地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ベラスケスの新作発見か?
先週の土曜日の事だったのですが、何と、米国はイェール大学でベラスケスの新作が発見されたという大ニュースが入ってきました(下の写真が今回発見された聖母の教育(La Educacion de la Virgen))。



ベラスケスと言えば、プラド美術館のお宝中のお宝として名高いラス・メミーナスを始め、数々の名作を残している巨匠中の巨匠(バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情

「その巨匠の作品が何故今米国で?」と言う事で、美術関係者の間では大変な話題になっている様なのですが、昨日の新聞
(El Pais, 4 de Julio 2010)に発見者であるサンディエゴ美術館(Museo de Bellas Artes de San Diego)学芸員のJohn Marciariさんのインタビューが載っていました。

このインタビューには、「今回の作品を何時どのように発見したのか?」などの経緯が詳細に描かれていたのですが、何でもこの作品を発見したのは、「幾つかの偶然が重なった事が大きな要因だった」そうなんですね。そして、「最初にこの作品を見た時の衝撃と言ったら無かった」と言う様な、当時の状況についての大変生々しい声などを含んでいた事などから、バーゲンに早く行きたい気持を押さえ込んで(笑)マジマジと読み込んでしまいました。

ちなみにこの大発見に至った経緯について、El Pais紙は、「「聖母の教育」の発見に至る過程は、度重なる偶然と直感、そして幸運の賜物だった」と纏めています。

“La historia del descubrimiento de La educacion de la Virgen esta llena de casualidades, intuiciones y golpes de suerte.”, P 44, El Pais, 4 de Julio 2010


このインタビュー、ナカナカ興味深かったので、少しココに訳して見る事とします:

記者:「聖母の教育」と言う作品の存在を知ったのは何時頃だったのでしょうか?

ジョン:私は1993年から1999年にかけてイェール大学の博士課程に在籍していました。その間、この作品を目にする事はなかったばかりか、聞いたことすらありませんでした。公共の場に飾られた事は今まで一度も無かったと思います。つまり、ほんの限られた一握りの人だけが見る事を許された作品だったと言う事です。その結果、80年もの間、暗い倉庫の中に放置されていた為、傷がついたりしてかなり痛んでいます。

記者:発見した時、一体どんな状況だったのでしょうか?

ジョン:2002年から2003年にかけて、コレクションの責任者としてイェール大学に戻りました。大学のアートギャラリーの増築と補強をしなければならなかったからです。その間、常設コレクションの多くは他の場所へと移動させられる事となったのです。その結果、今までは倉庫にしまいこまれていた作品が初めて日の目を見る事となり、それらを調査する幸運に見舞われたと言う訳です。イェール大学長はその仕事をLaurence Kanteと私に依頼し、我々はヨーロッパ絵画を専門に扱う部門を創設したのです。これが各作品を詳細に調査する事に恵まれた瞬間でした。

記者:そしてココに「聖母の教育」があったと言う訳ですね。

ジョン:最初にこの絵画を見たのは2003年でした。「(この作品を見た時)、自分の前にあるのは間違い無く傑作である」と言う事には自覚的でした。全身に衝撃が走るようでした。作品の状態にも関わらず、その作品からは特別な何かを感じた事もあって、この絵画に関する詳細などは全く分からなかったのですが、取り合えず、スペイン絵画の部類にカタログ化する事にしたのです。それからの数ヶ月間、その事で頭が一杯だったのですが、ある日突然、「ちょっと待て、これはベラスケスじゃないのか?」と思いついたのです。

記者:直感だったのですか?

ジョン:自分は頭が可笑しくなってしまったのではないかと思いましたね。何故ならベラスケスの作品が誰にも知られずに80年以上もイェール大学に存在する事など不可能だったからです。そんな事は絶対にあり得ない。しかしながら、以前にもこのような状況に遭遇した事はありました。ただ、今回の状況が少し違ったのは、過去に事例が無い程の大きな挑戦であった、そして比べようも無いくらいに難問だったと言う事です。何故ならこの作品がベラスケスのものであると言う証明をしなけらばならなかったのですから。

記者:この瞬間を誰と共有したのですか?

ジョン:実は、数ヶ月の間、誰にも言わず、ただ自分自身に、「これはきっとベラスケスと同じ時代に生きた他の画家が描いたものに違いない」と言う事をひたすら言い聞かせていました。何故なら、この作品がベラスケスのものであると言う事は凄く難しい事に思えたからです。しかしながら、ある時を境に、そのような感情を抑え、世界的に著名な専門家や職場の同僚に見せてみようと思い立ちました。その中には、Perez SanchezSalvador Salortがいました。それらの人達に、写真を添付してメールを送りました。その時、全ての可能性に対して扉を開く様に、自分の考えは伏せて、ただ写真だけを送ったのです。そして彼らからは直ぐさま返事が返ってきました:「(この絵画の写真を前にして)全身が震えている」と。

記者:それが、全てを始める為に必要だった返事だったのですね。

ジョン:他にもこんな事もしました。Salvadorに作品の写真を見せ、彼の返事を見た後、わざと事務所の自分の机の上に作品の写真を置いておいたのです。何故なら、僕の同僚が電話をかける為に部屋に入ってくる事が分かっていたからです。そうして部屋を出て、彼が電話を掛け終わるのを見計らって部屋に戻っていきました。そうすると、彼は「コレはGiovanni Doの作品ではないな!これはLa Anunciacion a los pastoresといったバロックの巨匠の作品ではない。これが最大の問題だな。」と言い放ちました。私達にはこれがベラスケスの作品だと言う事は最初から分かっていました。しかしながら、それを証明する事の難しさも最初から分かっていたのです。その時から7年が経過したと、まあ、そういう訳です。

記者:証明は何処から始めたのですか?

ジョン:どうやってこの作品がイェール大学の倉庫に来る事になったのか?その経緯を調べる事から始めました。作品には1900.43という番号が振られていました。これはイェール大学に1900年に来た事を指し示していたのですが、この番号は虚位の番号で、我々の調査は最初からつまずいてしまったのです。その後、名の知らぬ寄贈者により、この作品が倉庫に着いたのは70年代だと言う事を突きとめました。更に長い調査の結果、この作品はTownshend家により寄贈されたもので、1925年にイェール大学の美術学部に入ったと言う事がわかったのです。

記者:この発見をどうやって広めたのでしょうか?

ジョン:イェール大学のヨーロッパ美術の責任者、Laurence Kanterの許可の下、傷ついた状態のままの作品の写真を公開する事にしました。何故なら、このままの状態をなるべく沢山の専門家に見てもらいたかったからです。修復はその後でも十分でした。

記者:否定的な意見は沢山ありましたか?

ジョン:本当の事を言うと、大学内の沢山の人達が疑問を抱いていた事は確かです。しかしながら、誰一人として他の著者である可能性を説明できる人はいなかったし、満足いく説明を出来る人もいませんでした。反対に、その他の多くの人達は、最初から僕の意見を支持してくれました。僕の調査報告書はほぼ全ての質問に出来る限り答えていると思っています。

記者:じゃあ、今はもう、専門家の最終的な判断を待つだけですね

ジョン:個人的には、この作品がマドリッドのプラド美術館に期間限定で展示されたら良いなと思っています。そうすれば多くの人の目に触れる事になるし、そうする事で、多様な意見を聞く事が出来ると思うからです。

P 44, El Pais, domingo 4 de Julio de 2010
| スペイン美術 | 22:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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