地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして
バルセロナには結構美味しいパン屋さんがチラホラとあるのですが、それらパン屋さんの幾つかでは、今でも昔ながらのパン窯を使ってパンを焼いているんだそうです。



で、そのようなパン屋さんというのは、旧市街の細い路地の中にあったり、昔から続く地元密着の小さなお店であったりするのですが、コレは何故なのか?

ココからは僕の勝手な想像です。テキトーに、柿ピーでもつまみながら聞いてください(笑)。

パン屋さんという職業がいつ頃から存在したのか知らないのですが(wikiによると、ローマ時代には既にパン屋さんが存在したらしい)多分、長―いパン屋の歴史の中で比較的最近(20世紀の最初くらい)までは、何処のパン屋さんでも自分の店に専用のパン窯を持っていて、それでパンを焼いていたんだと思うんですね。しかしその後、産業革命やチープ革命などを経て技術が発展するに従い、低価格のオーブンやパン焼き機が市場に出回り、次第にパン窯が電化製品などに置き換わっていった結果、パン窯を使うパン屋さんがどんどん減っていったんだと予想されます。

重要なのは、そういう「技術の買い替え」が出来たのはお金持ちのパン屋さんだけであって、細々とやっている様な所は、新しい技術を買い入れる余裕が無かったと想像される事です。確かに新しい機械自体は安いかもしれないけれど、パン釜を壊すのにだってお金はかかりますからね。だから、貧乏なパン屋さんは窯で焼くしか手段が無く、電化製品を導入したパン屋さんとは生産力の違いなどからどんどん差が開いていき、挙げ句の果てにはパン屋さんを魚屋さんに変える店があったり、店自体を閉鎖するパン屋さんがあったりしたんだと思います(魚屋のオッサンが驚いた、ギョ(魚)!:懐かしいー、嘉門達夫)。

それから数十年後・・・・我々の時代になって、このようなパン屋さんを巡る状況が劇的に変わり始めます。

普段の生活に余裕が出て来た人達などが、日々の生活の中で生きるために必要な必要品を買い求めるだけではなく、ある種の「質」を求める事が出来る時代に突入しました。更にグローバリゼーションの一帰結として、「他とは違ったもの」や「ココでしか手に入らないもの」を求める人々が増え、その結果、機械生産に基つく大量生産・大量消費品などよりも、一つ一つ手で作ったりする「手工業」に注目が集まる様になったんですね。

そのような波は当然パン業界にも到達し、パン窯でパンを焼き、質の高い品を販売しているパン屋さんが注目を集める様になりました。(このような現象がある種の「観光」や「ブランディング」の要素を含んでいる事は、各都市で販売される「パン屋Top10」などの雑誌に、パンの値段や販売種と共に、パン窯で焼いているかどうか?というタグが付いている事からも容易に想像出来ます。)

そしてそのような窯が残っているパン屋さんというのは(勿論、最近になって電気窯を導入した所もあるのでしょうが)、実は貧乏だったが故に、機械を入れる事が出来ず、しょうがないから窯を残したパン屋さんだった所が多いのでは?と予想出来る訳です。そして時代を経るにつれ、価値観の変化が起こり、昔勝ち組でどんどん新技術を入れてバンバン売っていたパン屋さんが「その他大勢」という負け組に組み込まれていくにつれ、昔負け組で新技術を入れる事が出来なかったパン屋さんが自然と「勝ち組」に浮上するという逆転が起こっているのが現在の我々の時代です。

さて、何故に僕が長々とパン屋さんの窯の話なんかを持ち出したのか?というと、実はこのパン屋さんの窯を見た時に、「これって、本質的に都市再生と一緒じゃ無いの?」と思ったからなんですね。

今更言うまでも無く、80年代後半辺りからヨーロッパの各都市は疲弊した歴史的中心地区などの「都市再活性化」に躍起になっているのですが、そんな都市再生計画の中で常套手段と化しているのが、旧工場跡地などの再生利用計画です。

ヨーロッパの都市は何処でも、産業革命時に建てられたレンガ造の工場などが取り壊されもせず都市内に点在し、時には麻薬の取引や売春、泥棒ちゃん達のミーティングなどに(ある意味、再活用されながらも(笑))「都市にとっての負の遺産」として未だ残っている所が多いと思われます。しかしながら、都市が「観光」という新たなるモーターを発見するに従い、いつの間にかそのような「負の遺産」に新たなる視線が注がれるようになりました。つまり今までは都市のお荷物でしかなかったこれらの建造物が、「金の卵を産む鶏」に見えて来た瞬間が到来したのです。その結果、ある旧工場跡地は美術館に様変わりしたり、ある古い建造物群は大学に活用されたりして、「産業革命の象徴」から「知識社会への移行」を表象したりしている訳です。

例えばロンドンのテートモダンなんかは世界的に有名ですよね(地中海ブログ:ロンドン旅行その9:テートモダン(Tate Modern):Herzog and De Meuronの建築)。



設計は言わずと知れたHerzog and De Meuron。旧発電所跡地が見事なまでに世界を代表する美術空間に生まれ変わりました。ちなみにこの美術館の館長はスペイン人Vicente Todolíが努めています。もう一つちなみにVicente Todolíは国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の現館長で元バルセロナ現代美術館館長(MACBA)だったマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の学生時代からの親友です。ヨーロッパを代表する2つの現代美術館の館長をスペイン人が努めているというのは、考えようによってはちょっとすごい事だと思います。



この前のオランダ旅行で訪れたロッテルダムにあるファン・ネレ煙草工場も、昔の遺産を「文化と創造の拠点」として現代都市に蘇らせた見事な事例ですね(地中海ブログ:ファン・ネレ煙草工場(Van Nelle Tobacco Factory):近代建築の傑作はやっぱりすごかった!)。



バルセロナにはこのような事例が山程あって、例えば旧工場跡地再利用で大成功しているのが、以前紹介したPompeu Fabra大学の施設群です(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎)。今年完成した新キャンパスは22@BCN地区に位置しているのですが、旧工場が見事なまでに学生キャンパスとして活用されています。



更にナカナカ知られていないのですが、シウダデリャ公園の脇にあるPompeu Fabra大学付属の図書館は、19世紀に建てられた貯水庫を改築した図書館建築の傑作です(地中海ブログ:ポンペウ・ファブラ大学図書館(Unversitat Pompeu Fabra))。つい先日Twitterの方で、図書館建築の話になり、カタランボールト研究と実践の第一人者である森田さんとも、この建築の素晴らしさを確認し合った所でした。

さて上述した様に、「旧工場跡地などを文化と創造の場へと変換し、新たなるアクティビティをその周りに創出する事によって都市再生の核とする」という考え方はほとんど定石となっていると言っても良いと思うのですが、その前提となるのは当然のことながら、それら旧工場群が都市内に残されているかどうか?にかかっています。それらが無かったらお話にもなりませんからね。そしてそれら旧工場が残されているかどうか?というのは、ほとんど偶然としか言いようが無いのでは?というのが僕が今抱いている印象です。

バルセロナに何故沢山の旧工場が残っているのか?それは 多分、「壊すのに思った以上のお金が掛かり」、「他のインフラ整備に比べて優先順位が低かったから」というのが、本当の所なのでは?と思うんですね。

つまりパン屋さんと全く同じ理由。

独裁政権時代、フランコに睨まれていたバルセロナには都市に対する投資が全く行われず、民主主義に移行した後も、学校など絶対必要なインフラから順に整備されていったので、旧工場跡地の取り壊しなんてのは後回し後回しとされていきました。「スペインのマンチェスター」の異名を採った工場群が位置しているのは、現在の22@BCN計画が進んでいるエリアなのですが、そのエリアはどういうエリアか?というと、市内でも最も遅い時期に開発が始められたエリアなんですね。つまりそれら金の卵を産む旧工場群が残されているのは、貧乏で貧乏で壊すお金も無かったから残ったのでは?と思っちゃう訳ですよ(勿論全てがそうだとは言いませんが)。

そしてココからが面白い所なのですが、昔、工場などをバンバン建てて明らかに勝ち組だったマンチェスターなんかは、その後、その時蓄えた資源を使って、都市開発をバンバン行い、古い工場なんかは壊しまくって、都市を発達させていきました。反対に投資が全く無かった事から開発がしたくても出来なかった、ある意味負け組のバルセロナのような都市は、乱開発される事無く、古い町並みなどが残される結果となりました。

そしてそれから数十年後‥‥‥社会の価値観が変わっていくにつれて、高層ビルが林立する何処にでもあるような風景よりも、中世の城壁や産業革命の名残が残る「そこにしか無い風景」に価値が見いだされる様になったのです。100年前、マンチェスターがスペインにとっての都市発展のモデルとされていたのとは対照的に、今ではバルセロナがマンチェスターにとってのモデルになっているというのは、この上無い皮肉に思えて仕方がありません。

ただ一点だけ弁護するとするならば、いくらそれらの「種」が残されたのが偶然だからって、その後、それらを活性化の核として再利用しようという「確固たる意志」がなければ計画は遂行されないわけであり、そういう意味ではバルセロナとかは良くやったとは言えると思います。

おいしいクロワッサンをかじりながら、そんな事を考えた日曜日の朝でした。
| バルセロナ都市計画 | 23:42 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
すごく面白い視点ですね! まったくその通りかも。ポンペウファブラは空間が人を育てることをよく理解してるような。では、そろそろおめにかかれそうで楽しみです。
| kyoko | 2009/11/26 6:52 PM |
Kyokoさん、コメントありがとうございます。
ポンペウはなんだかんだいって、州政府の大学ですから資金は豊富ですよね。内部では色々とある様なのですが‥‥。続きは又土曜日にでも。
| cruasan | 2009/11/27 5:42 AM |
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