地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)監督作品、AGORA(アゴラ):キリスト教についてのちょっとしたメモ
今、スペイン中で話題の映画、AGORA(アゴラ)を観てきました。

先週末くらいからどの新聞にも記事が載り、メディアでもバンバン宣伝しているのですが、何故にこれほど話題なのか?というと、監督にオープン・ユア・アイズ(Abre los ojos)海を飛ぶ夢 (Mar adentro)で脚光を浴びたアレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)監督を、主演にはハムナプトラ/失われた砂漠の都(The Mummy)のレイチェル・ワイズ(Rachel Hannah Weisz)を起用。加えて、ヨーロッパ映画史上最もお金を注ぎ込んだ映画ときてるから、話題性は抜群という訳なんですね。僕が行ったのが公開後初めての日曜日(公開は先週金曜日、10月9日)で、更にスペインは連休中という事もあり、グラシア地区のVerdi映画館は今まで観た事が無い様な長蛇の列、空席一つ無い満員御礼でした。



この映画の舞台は古代学問の中心都市、アレクサンドリアです。アレクサンドリアって、歴史好きにはものすごく魅惑的な都市で、世界七不思議の一つ、ファロス島の大灯台があったり、世界中から知識人を寄せ集めた学術研究所、ムーセイオンがあったり、そして極めつけは、今回の舞台となっている、古代最大にして最高の図書館だったアレクサンドリア図書館があったりと、まあ、色んな想像力を働かせてくれちゃう、ロマン満載都市な訳です。

そして今回の主人公は、類い稀な知性と美貌を持っていたとされ、5世紀頃にアレクサンドリアで活躍した新プラトン主義の女性数学者・哲学者、ヒュパティア(Hypatia)。彼女については余り良く知られておらず、はっきり言って謎だらけなんですが、今回の映画では仮説などを盛り込み、物語として結構楽しめる様になっています。

映画としては思っていたよりも良い出来だったけど、「ココで時間を使って批評しようというレベルでは無かった」というのが正直な感想ですね。(もしこの映画がハリウッドで作られていたら、彼女を取り巻く三角関係と肉体関係のオンパレードになっていたに違いない、そういう意味において、「良い出来だった」という事です。)ただ、キリスト教の勉強にはなりました。

ヨーロッパにいると思い知らされるのがキリスト教の浸透力とその強さです。

街中の至る所にキリスト教の痕跡があり、日常生活の至る所に食い込んでいるのがこの宗教。毎週日曜日にはミサがあり、季節の変わり目毎にキリスト教に基ついたお祭りが用意され、美術館に行けば、ほとんど全ての主題はキリスト教にまつわるものだと言っても過言ではありません。

このような現在見られる様な「キリスト教」と、その教義に基つく時間・空間的な再編成が行われつつあったのが、何を隠そう、今回の映画の舞台になっている時代区分だと言う事が出来るかと思います。

つまりキリスト教は最初から今我々が見ている様なキリスト教だった訳では無いんですね。

例えば、今でこそ一枚岩に見えるキリスト教(詳しく言うと、カトリック、プロテスタント諸派、正教会など多数)なのですが、その初期においては土着信仰など、他教義などには大変寛大であり、異端の存在なども有益だと考えられていた程、多様性に満ちた存在だった様です。初期のキリスト教はシリアやエジプトなどで、様々なユダヤ教分派と共存していたくらいですから。

ジョゼップ・フォンターナによると、そもそも「異端」(Airesis)っていう言葉の元々の意味は「選択」、「意見」、「学派」を意味していたらしく、今のように「分派」を意味するものではなかったとの事です。

このような状況が変わり始めたのが、ローマ帝国の国教化、つまりキリスト教とローマ帝国の協同、ローマ帝国政治権力との連携です。(ココで注意しておかなければいけないのは、「キリスト教の国教化」と「ローマ帝国のキリスト教化」は違うという点ですね(コレは長くなるので又今度))。それを決めたのがコンスタンティヌス帝なのですが、その理由が「十字架の幻影を見たから」だそうです。でも、コレが起こったのが、彼がアポロの幻影を見たわずか2年後だと言いますから、そのいい加減さが伺えます(笑)。改修した後だって、さして彼の生活には影響が無かったと言われていますし。

まあ、彼の神髄が何処にあれ、このような政治的に作り出された状況が、それまでの多種多様なキリスト教(異端、少数派など)との共存を不可能にしたという事は間違いありません。

こんな混沌期に生きたのが、この映画の主人公ヒュパティアであり、波乱に満ちた彼女の人生は、過激派の手により、教会の前で八つ裂きにされ閉じさせられてしまうのですが、彼女の死は古代学問の中心地であったアレクサンドリアの終焉をも象徴する出来事となりました。

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ヒュパティアのように、アレキサンドリアの伝統を守っていた異教の哲学者達は、彼女の虐殺を機に、シリアやメソポタミアへと逃れたそうです。その内の一つのグループが、ローマ、ペルシャの境界近くのハランに新プラトン主義の学校を開設し、ギリシャ文化のイスラム世界への伝播に大変な影響力を持ち、11世紀頃まで重要な機能を果たした事は良く知られた事実です。
| 映画批評 | 13:40 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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