地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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バルセロナ新空港:リカルド・ボフィール(Ricardo Bofill)に見る現代社会が忘れかけている建築家という存在
前々回のエントリで書いたように、昨日はバルセロナ新空港(T1)の開港記念式典が盛大に催されました(地中海ブログ:バルセロナ新空港(T1)とうとうお目見え)。マドリッドからサパテロ首相(Jose Luis Rodriguez Zapatero)やナンバー2のJose Blanco氏、そしてカタルーニャ州政府大統領のJose Montilla氏など700人もの関係者が参加した、近年稀に見る式典だったようです。

先週の金曜日辺りから新聞はこの話題ばかりなのですが、それらの記事を読んでいて一つ気になった事が。それはこの空港をデザインした建築家、リカルド・ボフィール氏のメディアへの露出度の異常な高さなんですね。

日曜日の新聞の新空港特別特集に2ページ丸ごとボフィール特集が載っていた事は前々回のエントリで書いた通りなのですが、その日から今日まで新聞で「リカルド・ボフィール」という文字を見なかった日はありません。ちなみに火曜日と水曜日の新聞には写真入の紹介が付き、今日の新聞のカタルーニャ版の一面にはサパテロ首相とMontilla大統領を押しのけて、ボフィール氏が壇上で新空港を語っている姿が採用されていました。更に今日の新聞記事の中で「ボフィール」という文字の登場回数は実に9回。ボフィール、ボフィール、ボフィール。そんなにボフィールが好きなら結婚しろ!とか言いたくなっちゃうくらい、ボフィール・フィーバーが続いています。

近年一つの建物が完成し、これだけ建築家が表立って取沙汰された事は記憶にありません。未だ実際の建物を見ていないので、空間についてどうこう言う段階では無いのですが、それよりも何よりも、これだけ社会の中で建築家が取り上げられるという、その事実に驚いてしまいますね。

多分(というか確実に)彼の建築の質に関しては様々な批判があるとは思います。しかし、その一方で彼は未だに地元のヒーローであり、そういう意味において「本来の建築家の機能」を満たしているのではないか?と思う訳ですよ。

建築の高等教育が一般化する前、建築家っていうのは限られた人だけがなる事が出来る特別な職業でした。正に「市民が無意識下に思っていながらも、ナカナカ形に出来なかった願望を、一撃の下に表す行為」、それが出来る人の事を建築家と呼び、故に建築家とはその街のヒーローだったんですね。だから、彼の名前は子供から大人まで誰でも知ってるし、講演会に行けばおじいちゃん、おばあちゃんから、赤ん坊を連れた若い人まで大勢の人が訪れ、彼の言葉に耳を傾ける。僕がポルトガルの巨匠、アルヴァロ・シザから学んだ事は、「彼の建築が詩的」だとか、「その優れたディテール」だとか、そんな小さな事ではありませんでした。そうではなくて、もっと大きな、「社会にとって建築家とは一体何か?どんな存在なのか?」という、書物や写真からは勿論、実際の建築を訪れるという観光からでさえも絶対に分からない様な事だったんですね。

今回の一連のボフィールに関する記事は、僕が最近忘れかけていた、そういう何かとっても大事なモノを思い出させてくれたような気がします。
| 建築 | 21:54 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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