地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その2:カサ・バトリョを訪れる観光客の行動に見るグローバリゼーションの一側面


さて中央サロンから外をみて見ると、この建築を撮影する人や見入っている人々の姿を沢山見る事が出来ます。



多分こんな光景って、当時ここに住んでいたブルジョアジー達も見ていたんだろうなー、という事に思いを馳せずにはいられません。(大昔の大金持ちと同じ空間から同じ様な風景を見ている事に驚きを隠せませんね。)

この建築が建てられた当初のオーナーは大金持ちのバトリョ氏だったと思うのですが(ちなみにスペイン語でCasaは家、Batlloは苗字を表します。つまりCasa Batlloとはバトリョさんの家という意味なんですね)、このサロンで毎晩のように友達を招いては晩餐会が開かれていた事は想像に難くありません。そこでは美しいドレスなどに身を包み、着飾った人々が室内で美味しいワインなどを嗜んでいた事だろうと思うんですね。そしてココでは「見る、見られる」の関係が成立していました。室内の人々は、そのガラスを通して路上の人々に対して自らの権力を見せびらかし、路上の人々は室内の人々を羨ましそうに観察していたと言う訳です。

それから一世紀経った今、この空間の中に居るのは、大金持ちではなく、一般の観光客に取って代わられました。

しかしですね、それらの人々を観察していると非常に面白い事に気が付きます。一般の観光客の中にも2種類の人がいるという事に気が付くんですね。つまり、外観だけ撮影してそのまま行ってしまう人と、外観を撮影して、それから中へと入ってくる人。



これは何を指し示しているかというと、観光客の中にも「なるべく安く観光したい派」と「高くてもいいから楽しもう派」が居るという、以前に書いたチープ観光に関わる現象が観察出来るという事です。(地中海ブログ:観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害

更にココにはマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)が懸念している美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化、文化の消費の諸問題も絡んできます。(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel、地中海ブログ:マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方

彼らはガウディが知りたいのでは無くて、ガウディ建築を訪れた、もしくは見たという証明が欲しいだけなのです。更に更に、観光客がこのような「派手で一風変わった広告」に食い付くと言う事を分かっている市当局が打ち出した政策が、建築家との共謀だという事は「広告としての建築論」で何度か書いた通りです。

これらは全て同じコインの裏表であり、繋がっている現象であって、我々の時代のグローバリゼーションの一側面を極めて鮮明に浮き彫りにしてもいます。



このサロンに備え付けられた薄く透明なガラスは決して超える事の出来ない、鉄の壁として存在してきました。見通す事は出来るんだけれども超えられ無いその透明な壁は、その内側と外側に2種類の別々のクラスの人々を作り出して来たんですね。かつてはブルジョアと一般市民とを、現在では観光客間のあらゆる格差を。

そしてこの壁はこれからもその表現の軽さに反して、強固な壁として存在していき、様々な格差を作り出していくんだろうなー、とか思ってしまいました。
| 旅行記:建築 | 20:26 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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