地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて
この所、バルセロナは連日の雨空。雨、雨、雨。ヨーロッパは現在イースターの真っ最中なので、晴れたらモンセラットやレウスに小旅行にでも行こうと思ってたのに何処にも行けない・・・。しょうが無いから久しぶりに映画館にでも行こうと思い、「何か面白そうな映画やってないかなー」と探していた所、目についたのが「愛を読む人(The Reader)」でした。そう言えば、色んな所で色んな人から「絶対に行った方が良い」と薦められていた事を思い出す。まあ、良い機会だしと思って行って来たのですが、これがナカナカ良かった。少なくとも、久しぶりに映画評を書いてみようかなー、と思わせる程の質は持っていたような気がしました。

と言う訳で何時ものように僕の独断と偏見(笑)で、「愛を読む人」の映画評を書いてみようと思います。

(注意)ここに書くのはあくまでも僕の観点から見た映画解釈なので何時ものようにかなり偏っています(笑)。こういう見方もあるというくらいに思っておいてください。あと、この評ではストーリー展開を詳細に追う訳では無いので、映画をまだ見ていない人が読んでもどうって事は無いと思いますが、まあ、それでも念の為一応:

警告:映画を未だ見ていない人はココで読むのをストップしましょう。




さて、僕が映画を見る時に興味があるのは「この映画では一体何が言いたかったのか?」という映画のテーマです。あらすじの裏に隠された主題ですね。この映画を見終わった時、僕の頭の中に浮かんだ一つの言葉がありました:

言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる
Verba volant, scripta manet (Words fly away, the Written Remains)


この言葉がこの映画にとって何を意味するのか?は最後にとっておくとして、とりあえず、この映画の主題なのですが、それはずばり「恥と罪悪感」、「感情と正義」だと思いますね。これらの対は映画内で様々な場面で交錯し互いに関連付けられるのですが、この映画はそれらが交差する時空間内において物語が展開されていくという構成を取っています。そしてそれらの物語が語られるのは常にマイケルの口(言葉)からであり、マイケルの視点からだという事もココで付け加えておいても良いと思います。

さて、ここからこの映画を論ずる為に必要最低限のあらすじを導入したいと思います。以下のあらすじは「愛を読む人」の公式サイトからコピーしてきたものだという事をお断りしておきます:

1958 年ドイツ。15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)は気分の悪くなったところを21歳年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)に助けられたことから、二人はベッドを共にするようになる。
やがて、ハンナは本の朗読を頼むようになり、マイケルは会うたびに様々な本を読んで聞かせるのだった。
ゲーテ、チェーホフ、ヘミングウェイ・・・彼女に読んだ本の数々。二人で出かけた自転車旅行・・・初めての大人の恋にのめり込むマイケルだったが、ある日ハンナは彼の前から突然姿を消してしまう。

時は流れて、ハンナとの出会いから20年後。
結婚と離婚を経験したマイケル(レイフ・ファインズ)は、様々な想いを胸に、ハンナの最後の“朗読者”になることを決心し、彼女の服役する刑務所に朗読を吹き込んだテープを送り始める・・・。



この映画の主人公、ハンナは読み書きが出来ないという設定になっていて、その事が一つのキーワードになって物語が展開していきます。ここがこの映画の非常に巧い所であり、絶妙な所なのですが、「読み書きの出来ないハンナ」という設定がこの映画に決定的な影響力を与えていると言っても過言では無いと思います。

ハンナはマイケルと出会う前、ナチで大量虐殺に関わっていた人間でした。そして人を殺したという事に罪悪感を持っていなかった。正確に言うと罪悪感を持つ事を「(最初は)意識的に、後に無意識的に避けていた」んですね。

どうやってか?

身近な人間に本を朗読させる事によって、その人(現実世界)を通してファンタジーの世界(本の物語世界)へと入り込む事によって、現実世界を直視する事を避けていました。

しかしココで問題が一つ発生します。本を朗読する人と一定期間時間を共にすると、そこに感情が生まれ、その感情が彼女を現実世界へと引きずり込むという問題が発生してきました。それを回避する為に彼女が選んだ方法は、一定期間毎に朗読者を取り替える事でした。これが彼女が収容所で次々に女性を取り替えた(死刑台に送った)理由でもあった訳です。

彼女が読み書きが出来ない理由は映画内では明らかにされてはいません。しかし「読み書きが出来ない事」が現実世界からの逃避、すなわち、罪悪感からの逃避を暗示している事は明らかだと思います。そしてこの「逃避」が二つ目の重要な要素、「恥」と交差する場面が映画中盤のハンナの裁判の場面です。

ハンナは「読み書きが出来ない」という事を死ぬほど恥じる価値観を持った女性でした。どれくらいかというと、人を何百人も殺したという罪悪感を上回るよりも、ずーっと重い価値観をそこに置いていたんですね。

価値観というのは人によって千差万別で、ある人にとっては些細な事でも、別の人にとっては凄く重要な事だったりします。何故なら僕達の社会は多様性に満ち、多様な価値観を享受する社会だからです。だから彼女の価値観をあーだ、こーだというつもりは毛頭ありません。そしてこの映画において彼女の価値観がどうのこうのと言う事はあまり重要では無いし、映画の本質には何の関わりも無いように思います。重要な事は以下の問いです。

彼女は本当に読み書きが出来ないという事を恥じていたのか?

彼女は実はそれを恥じていたのでは無いのです。彼女が本当に恥じていたのは「沢山の人を殺めた」という事実だったのです。しかし彼女はその重圧に耐えられず現実を直視出来ないが故に、「読み書きが出来ない」という事を自分の最も恥じている事に「仕立て上げ」、自分が本当に恥じている事の上に置く事によって、本当の恥を隠そうとしたのです。だから、実は彼女が恥じる事は「読み書きが出来ない」事であったって、「髪の毛が金髪である」事であったって、「シワが多い事」であったって、何だって良かったんです。重要な事は本当の恥を「捏造された恥」によって隠す事だったんですね。

さて、このハンナの裁判にはこの映画のもう一つのテーマである「感情と正義」が盛り込まれています。感情と正義、これら2つの要素というのは本来、独立して存在するべき要素です。しかし我々の現実世界ではこれら2つがまぜこぜにされ、分ける事はほぼ不可能に近いんですね。戦後、ドイツ国民の間に広がった、ある種の罪悪感、「ナチを生んでしまった」という罪悪感は、ナチが何をしたのかに関わらず、いきなり「ナチは悪い。だから撲滅しろ」という感情へと変わっていきました。ここで「感情と正義の葛藤」がマイケルの心情の葛藤として描かれています。マイケルは当然の事ながら彼女に「何らかの感情」を抱いています。ポイントはこの時、マイケルが抱いている感情が「彼女の事が好きなのか?」、「憎んでいるのか?」何なのかはっきりとしないという所なんですね。その一方で、彼は彼にしか知りえない彼女についての情報、「彼女は読み書きが出来ない」という情報を裁判官に伝え、彼女を擁護するという選択支も与えられていました。これは勿論、「正義」の暗喩です。

ここでもし彼が「正義」を取るのならば、この情報を裁判官に伝えるという決断を取ったはずです。しかしながら、彼はそうはしませんでした。彼は結局、自分の感情を正義の上に置いたんですね。つまり彼女は「罪を償うべきだ」というドイツ国民全体が感じていた集団的感情と同様に。

これは如何に我々の社会において正義と感情をわける事が難しいかという事を指し示しています。そしてココにおいて、映画監督は我々にこう問いかけている訳です:我々の社会におけるモラルとは何か?平等とは何か?正義とは一体何なのか?と。

さて、映画の後半部分、非常に重要な転機が彼女に訪れます。彼から送られてきたテープに刺激されて読み書きを覚えるように努力を始めたのです。ここがこの映画の一番の見所であり、感動する所だというのが一般の見解かなー、と思います、こんな感じで:

「あー、彼の情熱に答えて、読み書きを覚え、彼に愛していると言いたいのね」。もしくは「あー、彼の盲目の愛に打たれて、彼女もとうとう良い人間になる事を決意したのね」みたいな。

悪くは無いけど、僕はちょっと違う事を考えていました。彼女が読み書きを覚え始めたというのは、彼女が現実世界に接近してきた暗喩なんですね。今まで彼女は読み書きが出来ない事によって、ファンタジーの世界に生きていました。しかしそんな彼女も読み書きを覚える事によって、現実を少しずつ直視するようになってきたのです。

現実を直視するようになってきたという事は、それまで隠されていた本当の恥、沢山の人を殺めてしまったという罪悪感を直視し始めた事を意味します。それを裏付けるかのような発言が彼女の世話人の口から説明されています:

「彼女は入所した頃は本当に自発的に仕事をこなしていたわ。でも、最後の数年間は自室に閉じこもる事も多く、暗かった・・・」(はっきりと台詞を覚えている訳では無いのですが、確かこんな感じだったと思います)

つまり文字を覚えれば覚える程、彼女は現実世界を直視するようになっていったので、それだけ罪悪感が増していったという事です。そしてその罪悪感がピークに達したが故に彼女は自殺してしまったのです。

ハンナはこのように、彼女の長ーい人生の大半をかけて、彼女にとっての「恥」、そして「罪悪感」からの逃避と現実との直面との間の闘争を続けてきた訳なんですが、それは彼女の自殺という行為を持って、成就した(現実を直視する事が出来るようになった)と見なす事が出来ます。一方で、マイケルの方も、彼の生涯を悩ましてきた「感情と正義」そして「罪悪感」、これらの葛藤からの開放を暗示しているのが、物語の一番最後で、誰にも言わなかった過去を彼の娘に口述するという行為なんですね。

そしてこれら、ある種の「自分探しの旅」を暗喩しているのが、彼が彼女に何度も朗読した「オデュッセイア」なのです。オデュッセイアとは勿論、ギリシャ神話の物語なのですが、その中でオデュッセウスが乗った船が遭難し、長い長い旅の末、元の家に行き着くという物語です。この物語では船の遭難と心の遭難とが重ね合わされ、旅という形式を取って自分探しをするという2重の旅が展開されているのですが、勿論これは、ハンナとマイケルの自分探しの旅を暗喩しているのです。

さて、この評の最初にラテン語の散文を引用したのですが、それはそのままこの映画を物語っているように思います。

マイケルは言葉によって彼女に語り掛けてきたのですが、物語の最初から最後まで、常に何らかの変化を引き起こしたのは「書く事」によってだという事に気が付きましたか?

この映画には様々な対が出てくるのですが、その一つがこの「言葉」と「書く事」という対なんですね。言葉というのは「書く事」に比べて非常に弱い性質を持っています。このテーマは、はるか昔から論じられてきた所であって、特に目新しい主題では無いのですが、この映画では「言葉」をマイケルが、「書く事」をハンナが担っているんですね。そして「書く事」(ハンナ)というのは常に言葉(マイケル)よりも上位に置かれています。彼女の罪を決定したのは「書かれた文書」でしたし、彼にもっとテープを送ってくれと要求(命令)したのも「手紙」でしたよね。

そしてもう1つ重要だと思われる点がハンナとマイケルの役割についてです。この映画の主人公はハンナです(マイケルではありません)。ではマイケルとは一体何者なのか?

その答えはこの物語がどのように始まったか?をよーく思い出してみれば分かると思います。この物語はマイケルの語り口によって展開して行っています。つまりこの映画はマイケルの視点から見た物であって、それは同時にマイケルが知り得る所までしか、我々は知る事が出来ないという事を表しているんですね。つまりハンナが本当は何を考えていたのか?などは我々には知る事が出来ないのです。(これは謎などを作る時に頻繁に使われる文学(特に黒文学)のテクニックですね)

この意味においてマイケルは正に「朗読者」なのです。タイトルの朗読者とは何も映画内でマイケルがハンナに物語を読んで聞かせるという事だけを指していたのではなく、物語の進行をも彼の口が語るという事をも指し示していた訳なんです。

ちょっと長くなっちゃったなー。
物語の進行も良いし、様々に散りばめられたシンボルの扱いも面白い。そして何より色んな事について考えさせられる映画でした。
| 映画批評 | 22:43 | comments(69) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
勉強になりました。二度、三度観るべき映画ですね。(前半のセックスシーンでお腹一杯になりそうですか・・・)
| なるほど | 2009/06/20 10:12 PM |
なるほどさん、コメントありがとうございます。
そうですね、コノ映画はかなり奥が深くて、何度か見ると又、違った視点で現れてくるかもしれません。それにしても前半は凄かったなー(笑)
| cruasan | 2009/06/22 5:35 AM |
ここまで深く読まれていることにとても驚きましたし、本当に勉強になりました。映画評論家のようでした。すごく衝撃を受けた映画だったので、面白く解説を読ませて頂きました。有難うございます。このブログの他のページも読ませて頂きます。
| Haru | 2009/06/22 12:59 PM |
今日見てきたんですが、最後のでなぜ娘に口述するかなど、理解できませんでした。でも読ませていただいて納得です。さまざまな対比が読み取れることとか、オデュッセイアの意味することとかに気づかず、自分の読みの浅さにトホホです。ケイト・ウィンスレットの老け方、うまかったですね。
| cacao | 2009/06/23 7:55 PM |
近々映画を見ようと思ってます。
私は本しか読んでいないので、映画とここまで解釈が違うのか・・・と正直言って驚きました。
監督の解釈が成功したのか、あらゆる解釈が可能なのか。
でも、私も原文を読んだわけではない(読めないし)ので、翻訳された時点で著者の意図とは違っているかもしれませんしね。
| aki | 2009/06/23 11:42 PM |
映画を見たあと、理解できていない部分が多かったので、とても参考になりました!
再会した時の会話がマイケルの苦悩を物語っていたのですね。
建築系のお仕事は共通する部分ありますので、これからもブログ拝見させていただきます。
| JUN | 2009/06/24 2:50 PM |
Haruさん、コメントありがとうございます。
趣味でやってる事なので、そんなに褒められると恥ずかしいです(笑)。これからも面白い映画などあったら感想を書いていこうと思っているので、よろしくお願いします。
| cruasan | 2009/06/24 5:37 PM |
cacaoさん、こんにちは。
ケイト・ウィンスレットは演技に熱がこもってましたよね。前半ではとても魅力的な女性を、後編では老婆を。二つの役柄を一つの映画で出来る女優さんはそうは居ないのではと思いました。
| cruasan | 2009/06/24 5:38 PM |
この映画今日見てきました。。鈍感な私は途中で、
彼女がハンドライティングを法定でしなかったことの
後から徐々に。。最後になって、戻って理解できた
映画でした。この映画後でもう一度みたいです。
冒頭のシーンですが、心描写も細かくされていたので
私にはそれが印象的でした。。とても深い映画でした。

私が気がつかなかった見解も読ませていただきました。
ありがとうございます。字幕があるとどうしても声を
ききながらそちらを追ってしまいます。

彼女は、最初の頃はきちんとしていた。。というのは
日本語の訳ではみなりのことを説明していたのですが
これも英語だけできくと違うかも。。と。

ありがとうございました。

| JUNJUN | 2009/06/24 6:10 PM |
Akiさん、コメントありがとうございます。
芸術って、創作者の手を離れた時からまるで生き物のように、一人で成長していきます。だからこそ、個人個人によって一つの映画に対する様々な解釈が可能なんだろうと思います。それこそ、僕らの世界が素晴らしい証だと僕は思っています。映画、是非楽しんでください!
| cruasan | 2009/06/25 4:46 AM |
JUNさん、コメントありがとうございます。
建築系の方ですか?僕はヨーロッパに居る利点を生かして、ヨーロッパ建築を見て回っています。建築ってやっぱり面白いですよね。これからも是非、宜しくお願いします。

| cruasan | 2009/06/25 4:50 AM |
JUNJUNさん、コメントありがとうございます。
そうですね、コノ映画はとても深いと思います。そして、何回見ても、又違った感動が得られるのではないか?と思わせてくれる映画でもあります。
字幕のお話、よく分かります。僕も英語で聞いていて、聞き逃したりすると、やっぱり字幕を見てしまいますね。僕の場合はスペイン語字幕なので、言語的に英語に近いので、それはそれで良いかなー、と思っている今日この頃ですが。
| cruasan | 2009/06/25 4:55 AM |
cacaoさん、こんにちは。

僕はやっぱり主人公はマイケルなんだなぁと感じました。

物語の主な要素はハンナの半生なのですが、
彼女が看守時代弱っている者に優しく接しつつ最後は死に追いやったことと、
マイケルがハンナを支えながらも最後に追い詰めてしまったのは、
同じ事ではないのかと。

ナチ裁判の矛盾、マイケルの苦悩、でもやっぱり最後にマイケルはその連鎖から逃れられなかった・・・


奇しくも、先日こんなニュースに関する記事を見かけました。
-----------------------------------
MSNBCは2009年5月12日にミュンヘンで、ドイツの裁判官がナチの死の収容所で2万9000人を殺した殺人共犯の裁判が、自動車工場で働いていて退職した労働者ジョン・デミジャンジュク(John Demjanjuk)の裁判が開廷したと報告した。


2万9000人の殺人共犯で裁く、ドイツのナチ裁判
http://blog.goo.ne.jp/jiten4u/e/a04d91bc3221d190736f2feb9d3b60ba

| さいふぉん | 2009/06/26 3:11 PM |
お返事ありがとうございます。
先日、観てきました。一人で観るか、帰国中の彼が戻ってきてから一緒に観るか、さんざん迷ったのですが、金曜日で終わってしまうというので駆け込みで一人で観ました。(こんなことわざわざ説明したのは理由があって・・・)
私は、ハンナの、年上の女としての「気持ち」(もちろん、マイケルの視点からしか説明されていないけれど)も、この物語の主要な部分だと思うので、プールサイドのシーンがなかったのは驚きでした。
マイケルの「裏切り」も。
ハンナが何に絶望したのか。
彼女は、最後まで任務に忠実であったことが罪とされたことに関しては、それほどこだわっていなかったのではないかと思います。納得はしていなかったでしょうけれど。
こだわったのは文盲であることを知られたくなかったことだけ。
彼女を絶望させたのは、マイケルが初めて面会に来た時、少しの間、手を握って、そしてそれだけだったこと。抱きしめてもくれなかった。
あれほど聴きたかった言葉も、マイケルの口からは発せられなかった。
あの時のハンナの落胆、絶望が、私の心と体に痛いほど流れ込んできました。あの時、生きていく希望も消えたのでしょう。
勝手な個人的感想を、長々とたいへん失礼しました。
なぜ一人で観ようか彼と観ようか迷ったのか。
私の彼は一回り年下の、戦争時にナチスの被害を受けた国の人だから。感想を聞いてみたいけれど、女心はあらゆる意味でまだ迷っています。


| aki | 2009/06/27 11:36 PM |
さいふぉんさん、コメントありがとうございます。
そうですね、僕達は人類が過去に犯してしまった事実を真摯に受け止め、どうあるべきか真剣に考える時期に来ているのだと思います。この映画は沢山の人達にその事を思い出させた、もしくは一度立ち止まって考えさせた、という所だけでも、勝ちある映画だと思います。
| cruasan | 2009/06/29 4:45 AM |
Akiさん、コメントありがとうございます。

実は僕の専門にしている事の一つが、スペインの歴史なのですが、ココ、スペインでは第二次世界大戦前にスペイン市民戦争というのがありました。とても大きな戦争で、同じ家族同士が、右派と左派に分かれて激しく殺しあったという経緯があります。その話は今でもスペインではタブーの一つになっているのですが、その一方で、事実を事実と認めた上で我々は先に進まなければならないというのも、又事実。そんなこんなで、テレビでドキュメンタリーが流れたり、映画が良くやっていたりするのですが、果たしてこのような映画を親しくしている友達や親しくしているスペイン人家族などと一緒に見に行っていいものなのかどうか、正直悩んでしまう所です。そういう意味で、Akiさんの悩まれているお気持ちが良く分かるなー、と思ったしだいです。
| cruasan | 2009/06/29 4:47 AM |
お恥ずかしいのですが、聞きます、最後に出て来た、あの、お金持ちの女の人は、どういう関わりがあった人ですか?
ハンナのカンに入ってたお金をマイケルが持って訪ねて行った女の人です。
意味不明でした。  教えてください。
| ito | 2009/07/06 3:14 PM |
itoさん。

通りすがりで申し訳ありませんが、彼女はハンナ達が裁かれた裁判で証人だった娘です。

解釈は様々でしょうけど、僕はマイケルがハンナの文盲を法廷で暴露しなかったのは正義と言うよりむしろ愛によってであって、彼女の意志を尊重したがための行為だったように思えました。
一番感動したシーンでもありますね。

しかしこの映画、考えれば考えるほど混乱します(笑)
BGMが的確というか、ウマイ雰囲気を作り出してましたね。
良かった良かった。
| 通りすがり | 2009/07/07 4:20 PM |
itoさん、コメントありがとうございます。
そして「通りすがり」さん、ベストアンサーありがとうございました。

この映画は大変奥が深いですよね。何度見ても新たな発見があって、何度でも感動できる映画だと思います。BGMって結構重要で、僕も大変効果的に使われているなー、と思っていました。
| cruasan | 2009/07/08 6:24 AM |
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
| とおりすがり | 2009/07/08 10:52 PM |
通りすがりさん&cruasanありがとうございます。
やっとスッキリしました。

それにしても、いろいろと考えさせられる映画でした・・・・。
| ito | 2009/07/08 11:32 PM |
今日この作品を見てきました。
見終わった後、「なんでハンナは文盲であることを、他の人の罪をかぶることをしてまでも隠したかったんだろう」とすごく疑問に思っていました。でも、この解説を読んで、なんとなく理解できました。
前半にハンナがマイケルに言っていた「恥を知りなさい」という言葉がとても印象的です。
マイケルという人物の役割についても、目からうろこでした。
すごくわかりやすい解説をありがとうございました。
| ちえ | 2009/07/09 12:16 AM |
とおりすがりさん、コメントありがとうございます。
映画って良い映画であればある程、色んな見方が出来て、色んな解釈があるんだと思います。ある場面で感動したという人もいれば、全く感動しなかったという人もいる。又、今回は理解できなかったけど、もう一回見たら理解出来たという人もいる。全部ひっくるめて、それら全部が映画の魅力だと思うんですね。
沢山の人達がこの映画を絶賛する中で、とおりすがりさんの様にこの映画を「変な物語だ」という人と出会うと、僕は逆に安心したりします。それこそ僕たちの世の中が多様性に満ちていて、それが僕らの社会を豊かにしている証拠だと思うからです。
| cruasan | 2009/07/09 3:14 AM |
ちえさん、コメントありがとうございます。
あの言葉は僕にもとっても印象的でした。僕はこの映画を4月はじめに見たのですが、あれから3ヶ月。沢山の人達からコメントを頂いて、改めてもう一度見てみたい衝動に駆られている今日この頃です。
| cruasan | 2009/07/09 3:18 AM |
今日観てきました。色々矛盾も感じましたが、とても胸の痛くなる映画でした。
沢山の人を殺めた事からの逃避、現実逃避の為に、文盲を恥じていた…という事までは私には読み取れませんでした。
ただ彼女は無能ではなかったが故に無学を、文盲である事を知られる事が恐怖を感じる程恥ずかしかったのだと、そして彼女はずっと彼を『Kid』と呼んでいましたが、女として幸せを感じられたのも、あのひと夏だけだったのではないだろうかと…同じ女性とても切ない気持ちになりました。。
最後に彼が娘に過去を語るところは、彼も自分を許せるように、そして時代も新しく変わっていくのだという事を感じました。
もう一度観に行きたい映画です。
ps.
『言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる』胸に響きました。

| Rin28 | 2009/07/12 9:22 PM |
Rin28さん、コメントありがとうございます。
この言葉、とても良い言葉ですよね。ローマ時代の言葉なのですが、何かしら人間社会の本質を突いているような気がして、そんな事を思う度に、「歴史に学ばねば」という思いを強くしちゃったりします。
| cruasan | 2009/07/13 6:10 AM |
昨日、映画を観て来ました。
原作を読んでも意味不明の箇所がありそれを発見する為に映画を見ましたがそれでもわからず。
悶々としている中、このサイトを発見し皆様方のご意見を読ませていただき納得したり違う意見だったり。

私の不明箇所は2点でした。
・なぜ、ハンナは自殺したのか?
→原作では読み取れませんでしたが映画ではマイケルの冷たさを感じたからだと思いました。自分に置き換えたら悲しくて泣けました。

・ハンナはなぜ途中から身の回りのことをかまわなくなったのか。
→やっぱり原因がわかりません。当初、年をとって周りをかまわなくなったのかと思いましたがそんなものではないような。。。
是非、見解を教えていただければ。

あと、マイケルが冷たくなった理由。原作を読んだ当初は見た目が老けたからと思いましたが、実は戦犯ということが大きく関係していたんですね。
でも、自殺前に服役所で面会をした際は、ハンナは戦犯としての罪悪感よりマイケルに冷たくされたことがショックだった様に感じました。

長くなりました。すいません
| かおる | 2009/07/16 10:51 AM |
ハンナはマイケルと別れて、別の会社で働き、そこで昇進の話が出た時に(車掌の時と同じ理由でしょうが)ナチの看守に応募したので、マイケルと出会う前に大量虐殺に関わったのではありません。
そこだけ気になったので。

マイケルとであった時のハンナの人格が、多量虐殺の後か前かで、ずいぶん意味が違うと思うので・・・。余計なお世話ですみません。
| 通りすがり | 2009/07/18 12:08 PM |
かおるさん、コメントありがとうございます。
ご質問の件なのですが、本文に僕の見解を書いたので、見て頂ければと思います。

そして、通りすがりさん、コメントありがとうございます。
実は僕は違った解釈をしていまして、ハンナがマイケルに出会ったのは、戦争後、つまりナチに関わった後だと思っています。
余計なお世話なんて、とんでもありません。
これからもどんどんコメントしてくださればと思います。ありがとうございました。

| cruasan | 2009/07/19 6:53 AM |
   ハンナはマイケルと出会う前にナチに関わっていたのか?
それとも、出会った後にナチに関わったのか?
私もやはり大きな疑問になってました。
差し支えなければ、cruasanの見解、通りすがりさんの見解・・・
どうしてそう思ったか双方聞けたら幸いです。
 私が、最近見た映画の中では、複雑で話がつきない作品です。


| ito | 2009/07/23 12:29 AM |
itoさん、こんにちは。
僕はハンナはナチに関わった後にマイケルに出会ったと思っているのですが、理由は至極単純で、この物語が1958年から始まっているからです。町の風景も戦争前や戦争中では無い様相を呈していますし。(もし戦争中なら、町のあちこちにナチ兵がいる事でしょうし。)
| cruasan | 2009/07/26 7:36 AM |
なるほど・・・・コメントありがとうございます。
もう一度この映画を鑑賞したくなりました。
| ito | 2009/07/26 8:21 PM |
最近妻が21歳年下と浮気してましてタイミング良くこんな映画が.....
洒落にならんのですw
絶対見たくない映画です.....
| アキラ | 2009/08/02 4:08 PM |
奥様の浮気とこの映画を同じ土壌で語られるのはご遠慮頂きたいです。
映画の後、本を読みました。映画と同じくもう一度読まなくては…と思いました。
映画ではハンナとミヒャエルとのストーリーに注意をひかれてしまいましたが、本を読むとナチス時代の犯罪をどう捉えるかという事が本題だったのだと感じました。映画も本も、ハンナとミヒャエルの関係、戦争犯罪と責任等々幾つもの問を私達に投げかけているのだと改めて知りました。著者の目的はそこにあるのでしょうね。
自分の人生、歴史…本当に色々な事を考えさせてくれるいい映画・そしていい本でした。
| Rin28 | 2009/08/09 4:25 PM |
はじめまして。

映画を観終り、頭の中で上手くまとまらず、タイトルで検索したらこちらにたどり着きました。
気持ち良いほど同意できました。

しかし、彼女が自殺した理由は罪悪感では無く、絶望だと思います。
マイケルのテープで初めて希望を見出だしたハンナは、面会のマイケルの態度で全てを失ったはずです。

マイケルが電車の2両目に乗った時のように…
| そらの | 2010/04/04 12:49 AM |
そらのさん、はじめまして、こんにちは。
コメントありがとうございます。
この映画に関してはいろんな人からちょくちょくコメントを頂くのですが、それだけいろんな人に感動を与えた映画だという事なのでしょうね。
今久しぶりにこのエントリを書いた日時を見たら、丁度一年前。あー、あれからもう一年も経ってしまったのか・・・という感じなのですが、久しぶりにもう一度見て、原作など読んで見ると、又違った解釈が出来るかなー、と胸を弾ませています。
| cruasan | 2010/04/06 3:14 AM |
はじめまして…こんにちは
この映画を見て、いろんな部分に解釈出来ず、検索したらここにたどり着き、いろんな意見を見させていただきました。
十人十色、いろんな解釈がありますね。みなさん、読みが深いですね。
参考になりました。
私は単純にしか物事を見ないのでわからない事が多くて…
もっと、深く見れたらいいのに、と思います。だから、マイケルが彼女の秘密を言えな…それが何かわかりませんでしたが、このブログを読んで理解出来ました。。。が他にも何かあるような…そんな気がします。
そしてこんな私が一番、印象に残ったシーンは、ハンナが自殺の時に、本を台にしてた事かしら…
単純に机だけでは高さが足りなかったのだろうけど、なんだかひっかかりました。

また違う映画を見て、このブログにたどり着けたらいいな…と思います
| yukkin | 2010/04/09 4:35 PM |
Yukkinさん、始めましてこんにちは。コメントありがとうございます。
この映画、本当に沢山の人の心に響いているようで、このエントリにも非常に沢山の人達がコメントを寄せてくれています。ありがたい事です。

十人十色、色んな解釈・・・素晴らしい事だと思います。
多分僕達の世界には「こうしなければいけない」もしくは「こう見なければいけない」ということは無くて、ただ、自分のした事や言った事に責任を持つ事が重要なのでは?と思うんですね。何故なら僕達の世界の素晴らしさは多様性にあるのだから。

これからも色んな映画を見て色んな感想を書いていこうと思っていますので、ヨロシクお願いします!
| cruasan | 2010/04/15 4:52 AM |
私もコメントさせて頂きます。今さっきやっとDVDを見終えて内容が上手く理解できずぐぐってみたらこちらにたどり着きました。

Cruasanの解釈やコメントに書かれている方々の解釈が非常に面白くて参考になりました。

ハンナは、年寄りの身寄りのない自分が出所して、マイケルに迷惑かけるわけにはいかないという思いもあって自殺に至ったのかなと捉えていました。しかし他にも奥深い理由を推測されているみなさんが素晴らしいです。

余談ですが、マイケルが大学の講義中もタバコを吸っていましたが、ドイツの大学は構内、ましてや講義中に喫煙可能なのでしょうか。まさかとは思いますけど(笑

私の大学は全面禁煙デーがたまに開催され、喫煙者たちは近くのコンビニの喫煙所に追いやられています・・・。大学全面禁煙は非常に難しいようですが、ヨーロッパでは禁煙運動が活発そうですが、どうですか?
| mai | 2010/04/17 1:35 AM |
maiさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
禁煙に関してはバルセロナは非常に厳しいですよ。2年程前から、一定以上の床面積のレストランやカフェでは、明確な仕切りのある禁煙場所を用意しない限り、禁煙は違法になりました。更に、今年もしくは来年の早い時期までには、レストラン、カフェでの禁煙は全面的に違法になる予定です。
大学のキャンパスでは特定の場所での喫煙は出来ますが、講義中なんて、もっての外ですね。
| cruasan | 2010/04/18 2:23 AM |
昨日DVDでこれを観て、あまりにもテーマが重すぎたために溺れたらしく、気付いたらこのサイトに漂着していました。去年の上映中は入院していて観られなかったので、とても楽しみにしていたのです。
 マイケルはなぜ離婚することになっちゃったんだろうか。
 ハンナはなぜ突然いなくなったんだろう。
 ロースクールに入ったマイケルは、若い盛りなのに同級生ギャルの誘いさえ 避けるほど、過去を引きずってしまったのか。
 マイケルはなぜハンナの冤罪を証言できなかったんだろう。臆病者?
面会に行ったのに、会わずに途中で帰ったのはどういうこと?
 熱心な夜毎のカセット録音も、さっぱりやめちゃったのは、なんでなの?
 ハンナは大量殺人への罪悪感など全く持ってないのかな?
 マイケルと面会して本当に絶望したんだろうか。
 字が書けるようになったのにフヌケになってしまったのは、なぜ?
再会できたのにさっさと自殺してしまったのは、どうしてか。
 本を踏み台にしたのは、何か意味があってのこと?
ハンナと出会ったことで人生が変わってしまったと後悔してるのかな?
 娘をお墓にまで連れて行ってハンナの話をしたのは、どういうことか。
もう一度借りてきてじっくり観ないと、自力脱出はできそうもありません。
| いみたん | 2010/05/04 5:59 AM |
いみたんさん、コメントありがとうございます。
そう、そう、この映画って、見ている内に質問が次から次へと出てくるんですよね。で、その一つ一つについてすごく考えさせられる。安易な回答を与えてくれる映画なんかよりも、ずーっと奥が深い映画だと思います。
僕もそろそろもう一回借りてきて見ると、又違った見方が出来るかな?と楽しみにしている今日この頃です。
| cruasan | 2010/05/07 1:13 AM |
今日、「愛を読む人」、遅ればせながらWOWOWの録画で観たあとに、部ログ拝読させていただきました。一言で、「スゴイ!」「そういう事だったのか〜!」です!
だから、ハンナは最後に刑務所から出ることも望んでいなかったですね。そして、マイケルの面会のときに言います、「死んだ人は返らない」
でも、他の方も言われていますが、冒頭からのシーンが強烈で、なんか主題がボケていませんか?
それにしても、もう一度じっくりと観たいので、録画は消しません。
ありがとうございました。

ところで、ワールドカップ、スペインが優勝しましたが、延長のときに主審がオランダのCKの判定をしなかったのにものすごく不満です!
オランダのファンは皆そう思っていることでしょう!
  
| chiakinei | 2010/07/12 3:59 PM |
Chiakineiさん、こんにちは、コメントありがとうございます。
この映画、本当に素敵な映画で、色んな人の心に印象に残っているようです。何回見ても、そして何回も見るたびに違う読み方が出来る程の質を持った映画だと思います。僕も時間を見つけてもう一度ゆっくり見れたらなーとか思っています!

ワールドカップ、すごかったですね。数々のドラマが生まれました。個人的に思うのですが(そして僕は全くの素人なのですが)、審判のエラーも含めた上で、サッカーって言うのは面白いのでは?と思います。もし、全て機械が制御して100%の確率で判定が下されたら、確かに平等かもしれないんだけど、そこにはマージンから生まれる「面白み」みたいなものが生まれないのでは?と思ってしまうんですね。いや、又勝手な事を言ってしまいました、ゴメンナサイ!
これからもヨロシクお願いします!
| cruasan | 2010/07/16 1:07 AM |
はじめまして わたしも今日『愛を読むひと』をDVDで観まして 解らないことばかりで いろんな方の感想をいろんなとこで読ませていただきました。その上ですぐにもう一回観ました。
ケイトがインタビューで恋愛物として演じているみたいなことを言ってました
二回目で気付いたことは、マイケルは傍聴席で初めて彼女が文盲であることを知ると同時に 自分に出逢う以前から彼女は本を読んでもらっていて 自分が特別ではなかったのだと(その時の彼女にとってはだと思うのですが)気付き(ユダヤ人の生き残りの方が発言した後の彼の落胆ぶり)、彼女の意志を尊重といいながらも 思春期の男の子の子供っぽい嫉妬や怒りから 助けなかったのではと…。
刑務所に面会に行った際も、本当は愛しているのに冷たくしてしまう だから刑務所をでてから反省する(まるで小学生の男子が好きな子をいじめるように)
彼女のために用意した清潔で明るいアパートに絵を飾るシーン。本当は彼女が出てくることに困惑しながらも楽しみにしていたと思います
またユダヤ人の娘さんにお金を渡しにいった際に『収容所では何も学ぶものがなかった』と言われて、彼女も刑務所では『何も学ぶことがなかった』が彼のテープがきっかけで『字を学んだ』と気付いたと思うんです。
実際、彼女の房は字を学び初めてから写真も増え、色づいていたような。
他の方がおっしゃっていたように 彼女は彼の物語を直接聞きたかったのだろうなと それがかなわないならば… それほど刑務所生活での彼の存在は大きかったのだろうと 彼が坊やから本当に大人になっていればまた別の結末が待っていたのかも とか考えます。また次に見直したら別の考え方も出てくるのでしょうね。楽しみです。
| うみ | 2010/08/30 1:52 AM |
はじめまして。「愛を読む人」を観ました。自分の中のわだかまりも皆さんの意見で色々整理できました。もう一度観たくなりました。いい作映画でした。ナチスが背景にある重く難しい内容かなと思いつつ、マイケルの朗読が心にしみ何度も涙しました。
こんなに苦悩しながらも人を愛せるのが人間で、殺すのも人間なんですよね。私がハンナの立場であったら罪を起こさずにいただろうか・・と、すぐに自分に置き換えてしまいます。犯した罪に誠実で向き合うことは苦しく辛いです。それ以上に無償の愛を感じました。原作を読んでみたいと思います。ありがとうございました。
| ここあ | 2010/11/17 1:03 PM |
気になっていながら観るチャンスがなく皆様にだいぶ遅れてDVDを見終えたところです。
 映画の中の2つのシーンについてどうしても知りたいと思い原作を借りて来ました。
 映画の中ハンナが気懸かりで部屋に引き返すも既にハンナはそこを去りもぬけの殻だったシーンの後、帰宅したマイケルに家族の視線が一斉に集まる中、父親が「食事を与えなさい」と言う場面がありました。私は、どうもそこが聖書に出てくる放蕩息子と重なるような気がします。
ルカによる福音書に出てくる「息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」と父親が言いよい服を着せ宴会をする場面です。
聖書のこの箇所は、映画の終わり近く、面会に来たミカエルにハンナの言う、死んだ者は帰らないという言葉と呼応していると思いました。
 最後のときハンナが自分の足を乗せた小さなテーブルの上の本は、一時停止にして見てみましたらリルケの詩集と「オデュッセイア」と「戦争と平和」までわかったのですがもう一冊はわかりませんでした。オデュツセイア」が帰郷の物語であるということが映画の中でも語られていたように思います。
 文字を知り知識を得ていった喜びと引き換えにハンナは自らの過ち(償うことのできない過ち)を知ることになったということでしょうか。知恵の実を取って食べてはならないと言われていたのに食べてしまったエデンの園の物語のようです。
考えすぎでしょうか。知りたくなると何も手に付かなくなり教えていただきたくてコメントしてしまいました。



| リベカ | 2011/02/16 12:32 PM |
遅まきながら、この映画を観て、こちらのブログの記事に辿り着き、映画評を拝見して感動しました。映画を観て感じたものがすごく近くて、勝手ながら共感しています。

それから、実は、1年前にバレンシアでの国際会議に参加したのですが、事前に情報収集していた頃にも一度拝見したことのある思い出のブログでした。私にとっては偶然の再会(ブログ画面ですが)でした。

これを機会にこれからも時々拝見します。
ツイッターもフォローさせていただきました。
| _miecos | 2011/03/10 10:16 PM |
GYOの動画を見たあとこのブログとめぐり合いました。1度見て又もう一度見直す中でハンナはナチスに協力していた年齢は8歳以下なのではないでしょうか。まだ文字を覚える前に戦争のために覚えることも出来ず、いいように戦争に協力させられた被害者にも見えますし無知あまりに残忍な行為も判らなかったのかもしれません、又隠しておきたい忘れてしまいたい「思い出」なのかもしれません。マイケルの献身的な読み聞かせがハンナの自分探し「読み書き」をはじめさせ、そこまでさせるマイケルのハンナへの思いと、なぜそこまで出来るのかという思いもあります。奥の深い内容でした。
| tanpopo | 2011/03/12 12:57 AM |
ハンナの戦争時の年齢は23歳ぐらいでしたね失礼しました。マイケルが8歳ぐらいですね?
| tanpopo | 2011/03/12 1:07 AM |
とても腑に落ちるレビューですね。
当方の「参考レビュー」としてリンクを晴らせていただきましたので、よろしくお願いします。
http://yui-planning.asablo.jp/blog/2011/05/15/5863836
| 森口秀志 | 2011/05/15 9:36 PM |
記事〜コメまで見させていただきました。
確かに自分でも理解できないところが多々あり・・・
多々ある中で自分なりの勝手な解釈ですが、
ハンナが消えた理由は、文盲なため昇進しても事務の仕事に就けない。
その悩みを抱えている状態でマイケルの「坊や」振りにどうしようもなくなった。本当であれば理解してくれる彼だったら展開も変わったのかも。
また、マイケルの事を考えれば自分(ハンナ)はマイケルの為にも身を引くべきだと考えたのかもしれません。過去の罪な自分、文盲な自分、年齢の差(「パーティに行け」という深い台詞もありました)などで何れ付き合えなくなるだろうと。自分が身を引くことが彼にとっての幸せ、そして愛の表現だったのかもしれません。
判決で何もいえなかったマイケルの思いは、本当は助けたい気持ちで一杯であったが、法では未熟な何も出来ない自分、そしてハンナの選択した人生を変えることが出来ない弱い自分がそこにあったのかなと思います。何も出来なかったマイケルが唯一できることは、「朗読」すること。。。それが彼の思いであり、愛でもあったもかと。
ハンナの自殺の選択は、マイケルへの負担と過去への償い(マイケルとの面会がきっかけ)の意味が含まれていたと思われます。
戦争やその時代背景もテーマにはなってますが、一番のテーマは人の「愛」の色々な表現だと思ってます。

ハッピーエンドにならない要素は、見る人に考えさせること、愛の深さ、重さ、切なさ、儚さを表現したかったからだと思います。

長文失礼しました。
| 愛を見るひと | 2011/07/25 12:27 PM |
今夜はじめて深夜のテレビにてこの作品をみました。
「書かれた文字」と「読まれる言葉」の意味合い、なるほどと思いました。自分はただただ、戦前のナチ犯罪で罪を問われる場面で、自分が主犯とされることよりも、自分が文盲であることを知られることを恥じるハンナの意地に驚くばかりでありました。

ハンナとマイケルの関係性も、やはりドイツならではの世代間ギャップがあるのでしょうかね。おそらく・・・ハンナにとって看守の仕事はただの仕事であって、それがナチに加担していたとか深くは考えていなかったのでありましょう。それに対してマイケルは戦後にナチは悪と規定されて育った世代。自分の初めての女性がそういうひとだった、衝撃は並々ならぬと推察できます。
再会してハンナがマイケルに感じたものは、その衝撃の余韻、それだったのかもしれず、彼女は持ち前の知性で、ナチとかかわりのある自分をマイケルがけして無条件に受け入れてはくれぬのだ、それを感じ取ったがゆえの絶望であり、あの自殺だったのかもしれません。

しかし、ドイツと日本、同じ第二次大戦の敗戦国でありながら、日本ではこのような事例をとんと聞かないのは・・・果たしてどうなんでしょうね^^;ドイツ人のほうが理知的にすぎ、日本人のほうが情緒的にすぎるのかもしれません。

最後に、最近「ヒストリエ」というマンガの影響で、ホメロスの「オデュッセウス」に関して少し見方が変わっていて、それが本作鑑賞にも聊か影響しております。オデュッセウスは英雄英傑ぞろいの古代ギリシアの伝説の世界において、唯一、智謀によって名を成した英雄です。そう「知的」なのです。彼の戦略は素晴らしいものだったかもしれないが、しかし狡さ・賢しらの面もなくはなかった。彼があのような放浪の旅路をたどらねばならなかったのは、トロイア戦争で知略を駆使した報いだったのではないかという説もあります。知的ゆえの報い、長い旅路・・・オデュッセウスは、よりハンナに重なります。
| 綾川 | 2012/01/14 4:46 AM |
はじめまして

たぶん、ひとつ前のコメントの綾川さんと同じテレビ放送を、録画で最近見ました。見たあと、こちらのブログを読み、わたしなりに整理して記事を書いてみました。

トラックバックの機能がついてないようですので、宣伝っぽいですが、読んでいただけるとうれしいです。

→ http://smartass.blog10.fc2.com/blog-entry-2700.html

綾川さんのコメントへの返信になるのですが、アンナがどの程度、知性的であり、あの裁判の有罪の意味をどの程度理解していたのか謎です。わたしの解釈は、cruasanと同じように、自分で字を読み書きできるようになって、やっと自分が愚直に果たした任務の意味をほんとうに理解したのだと思います。肉体的な本能としての愛ではなく、人が人を愛するとうことも。

あと、コメント読んで気づいたのですが、ひょっとして放送は最後までやらずに、上映時間の都合でカットされた部分もあるのではないかと思いました。

では
| 出人 | 2012/01/30 11:56 AM |
解釈の部分、とても参考になりました。
こちらのレビューを見て、この作品の伝えたいこと、個々の戦争責任、法、裁判、償うとは、様々な事にハッとしました。
ハンナの生い立ちを想像するに、シーメンス社にいれば出世もあったろうになぜSSにという裁判でのくだりや忠実理性的に仕事をこなしていた証言等、彼女の訳あり転職歴だけでなく文盲なのに?だからこそ?エリートな仕事振りが、暗雲を呼び込む不幸に泣けてしまいました。
後年、マイケルがハンナに朗読テープを送り続けたのは、 慕情だけではなく、彼の職業意識がそうさせたとも言えるのか、ハンナの知性を刺激することで、ハンナに償いと向き合って欲しいもしくは向き合っていたか確かめたかったか。
しかし彼はそれに関してはまさに坊やだったのではないかと私は思っています。
彼女が自分の罪と真に向き合えば、彼女はたちまち罪の重さ罪の大きさを正確に把握し、自らの価値と照らし合わせ、その命を断つことを迷わず選んだと思うのです。命の数でこそ等しくはないが命には命でもって償う。
彼女をしっていればこそ先読みできたのではないでしょうか。
そして、罪の償いとは一体なんなのか。法律家である彼は抜け出せないトンネルに入ってしまったと私は思うのです。

戦争とは切っても切れない世界事情ですが、私たちは、永遠に、命を奪う罪の重さ、償うということを考えていかなくてはならないと、強く思いました。
| よし | 2013/02/20 2:27 AM |
09年制作だったんですねえ
昨日初めてテレビ放送で視た
んですが引き込まれてしまいました

ハンナて人は敏感な人で
付き合ってる時の彼の微妙な
気持ちの動きがよく分かった
んでしょうねえ

だから自分から身を引いたと
思います

刑務所での生活で彼からの
テープに希望を見いだし
読み書きまで覚えやっと手紙
を書いたのに返事が来ず

面会で彼は愛でなく施しで
やってると気が付いたから

しかも自分のつみを肯定されてる
と感じたんじゃないでしょうか

彼にだけは無実と思って
欲しかったんじゃないでしょうか
| とらとら | 2014/01/06 1:42 PM |
評判の映画(&小説)ですが今日まで観る機会がありませんでした。いまdvdを借りてきて見終わったところです。理解しがたい点が多々あったのですがこの記事を読んで納得できる部分がありました。ありがとうございます。

主人公が文盲である、と私が分かったのはファインズ(成長した少年を演じた役者)がボストンに渡ってそう明かしたから、というのだから私の理解度はかなり劣っています。わたしの疑問は文盲が、あれほど多数の本を聴くだけで理解できたのだろうか??ということです。この疑問は<文盲>の実態を私が知らないから、ですね。すくなくとも二十歳過ぎまで後進国ではなかったドイツで文盲でいられたのだろうか?という疑問です。この作品の著者はもちろん文盲では無い、読み書きできるひとです。文盲の世界と、読み書きできるひとの世界はわかり合えるのだろうか??という疑問。彼女が観た世界を映画でどう表現できるのだろう(できっこないですね)?

この原作はドイツ語ですね?英語圏で興行収入を得るには英語圏の俳優を使い、英語でしゃべらせるのはやむを得なかったのだろうが。。この主題ですべて英語で語らせることに疑問を持ちます。
| 古井戸 | 2014/02/05 8:51 PM |
はじめまして。

近々拙ブログ(http://kalalokki.exblog.jp/)に『愛を読むひと』の内容に関する投稿をアップするつもりでいるのですが、その際にこちらのブログのURLを参考リンク先として貼らせていただいても構いませんでしょうか?

個人的に私も大筋で同様の見解を持っています。原作は読んでいないのですが(^^ゞ
ただ、ハンナの自殺の理由は罪悪感だけではなく、ミヒャエルとの再会も大きな要因だったと、これは同性の視点から確実であると考えています。

もし問題あるようでしたら、お手数ですが拙ブログにその旨コメントを残していただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。



| kalalokki | 2015/06/06 10:33 PM |
kalalokkiさん、初めまして、こんにちは。

ご丁寧にありがとうございます。
はい、参考リンクの件、よろしくお願い致します。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。
| cruasan | 2015/06/11 3:13 PM |
はじめまして。最近になってようやく「愛を読む人」をDVDで見ました。かなり良い映画だと思って、それで皆さんがどんな風に感じたのだろうと気になってググってたらこのブログに行き着きました。もう6年も前のブログなんですね。たいへん興味深く拝見させて頂きました。それで蛇足なんですが一点だけ補足させてください。映画だとかなりわかりづらいんですが、主人公のハンナには裏の設定が秘められていて、それは彼女がロマ人(ジプシー)だということです。それは原作を読むと明らかにそれを示唆する文章や描写が出てくるんです。ロマ族は欧州の厄介者たちで、長年、欧州で差別され続けている人たちです。欧州人は人権を大変重要視する一方で、ロマ族に関しては自分たちが築き上げた人権の枠の外に置いています。ハンナは自分が文盲だと知られれば、ロマ族出身であることもじきにバレると思っていたのでしょう。それは終身刑を食らってでも絶対に隠したい事実だったのだと思います。なにしろ彼女は真面目で勤勉で、他人に迷惑をかけたりしないまっとうなドイツ市民だったわけですから。しかし一方で、明らかに普通のドイツ人とは違う人権感覚を持っていたもの事実ですね。そもそも15歳の少年と性的関係を持つなどたいへんな人権侵害であり、普通のドイツ女性ならもっと罪の意識にさいなまれたり、大変な葛藤があるはずですが、ハンナにはそれが欠落しています。法学者になったマイケルが、当初ハンナに関わりたがらなかったのは、大人になって始めて彼女がとんでもない人権侵害を自分にしていたことを実感したからだと思います。やっぱり教育って大事なんですね。この映画はラブロマンスとしても見れるとともに、人権を扱ったけっこう重たい映画だったんですね。長文失礼しました。
| yakitori | 2015/07/28 4:07 PM |
愛を読む人について、そういう映画だったのかと、解説を読ませていただき感銘を受けました。映画の作り手の構想を解き明かしていくcruasanさんの解説に、そういう見方が必要だったかと、ただただなるほどとうなづきました。小説や映画など、何度も読んだり観たりしていても、その都度、自分の考えをさまざまな角度から検証してみることは難しいと思います。色々な方々の分析や捉え方を聞くことで、自分がすでに読んだり観たりした作品が、また番った作品として、生き生きとし、深みを持って光り輝いてくるように思えます。まあ、ひとえに私の理解度が足りないということもあるのですが、kのたびは解説を拝読し大変勉強になりました。
| 二木紀行 | 2015/10/24 6:58 PM |
チェーホフ「犬を連れた奥さん」における男女の話との関連性について、述べる人がいないのは残念だなあ。
| Yasutaka | 2016/01/03 4:28 AM |
初めまして。こちらのレビューと、さらに他の方々の感想を読ませていただき、とても参考になりました。今、この映画を観終わったばかりですが、感動がさらに深まりました。あえて私がこちらに書き加えたい事は2つ。一つはハンナという女性が登場人物の中で一番の弱者ではなかったかということです。恋愛の上ではマイケルに対する年齢。社会的には文盲である事。裁判で証言した女の子は本を書いてその後の人生を切り開きましたが、ハンナはどんなに勤勉でも、出世に背を向けるしかない一生でした。大量虐殺に関わったことに対する罪の意識の低さや、根底にある優しさを隠すようなクールな言動にも、過去の人生においてかなりの苦労をしてきたことが伺えると思いました。もう一つはマイケルの成長です。彼の人生は15歳の恋によって大きく変えられてしまいましたが、そのことを恥じるのを止められたのは、ハンナの名義で文盲の人々を援助する団体に寄付をするという最後の行為を、法律家としてではなく真心からの交渉により勝ち得たことで、自分が唯一彼女の尊厳を守れた男になったという誇りからだと思います。それは冒頭に登場したドSで気難しそうな女性を愛してしまう自分の性癖を受け入れたらしい、幸福そうな彼の現在の生活からも読み取れました。恋においても人生においても、一見不幸の種になりそうな事件はいつでも転がっています。でも私たちは成長できる、人を助けたいと思う、そのことが幸せなのだと教えられた気がしました。
| tae | 2016/01/04 1:48 AM |
とても参考になりました。ハンナの心の奥底に本当に存在したものが何百人もの人々を殺してしまったことへの罪悪感、、、それは刑務所で2人が再会した際にハンナが話したことからもうかがえます。
ハンナが裁判官へ「じゃあ、あなたならどうしますか?」と言ったこと、、、このことに答えることのできる人はいないですよね。
| takashi | 2016/06/24 12:13 AM |
こんにちは。ナチにかかわった人って、相当ひどいことをしたひとでもうまく戦後に生活できていた人もいっぱいいたんですよね。なんかやっぱりああいう庶民はうまく立ち回れないのでしょうか。とにかく切なかったです …。
| 小梅さん | 2017/03/19 11:10 PM |
『犬を連れた奥さん』て、どうしても忘れられない、別れられない、でも結ばれることはない男女の話なんですね。また切なくなります …。
| 小梅さん | 2017/03/21 12:20 AM |
いい思い出のある人には会わない方がいいのかもしれないですね …。
| 小梅さん | 2017/03/21 1:07 AM |
もしかしてマイケルはハンナが読み書きができるようになるのが面白くなかったのでは? 手紙を受け取っても全然嬉しそうじゃなかったし。むしろ困惑していたような。返事も出さないし。それどころかハンナからの手紙をずいぶん粗雑に扱っていましたよね。その点も引っかかるところです …。
| 小梅さん | 2017/03/21 2:02 AM |
愛を読むひとを見て辿り着きました。あなたの解釈を読んで「この映画では一体何が言いたかったのか?」良くわかった気がします。
| yuki | 2017/08/26 11:51 PM |
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