地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事その2:スペインの泥棒ちゃんが自伝を出版しちゃいました
あー、忙しい‥‥前回のエントリでも書いたのですが、2月、3月というのは一年の内でも本当にお客さんが多い時期となっていて、昼夜問わずその方々の対応に追われる毎日が続いています。しかもその間に出張とかもあるもんだから、今月なんて本当にテンテコ舞い!ブログを書いてる時間も全くないという状況なんですね。そんな中、ちょっと前の新聞に大変珍しいインタビュー記事が載っていました。そのタイトルがコチラ:

「私をチンケなコソドロなんかと一緒にしないでいただきたい!私は大怪盗、Erik el Belgaです!」
"Hombre, yo no soy un chorizo. Soy un ladrón de lujo"

そう、以前にも紹介した、スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒、Erik el Belga氏のインタビュー記事が又々新聞に載っていたんです!



まあ、普通の日本人の感覚で言うと、「え、泥棒ちゃんのインタビュー記事?そんなの新聞に載っちゃうの?」とか思ってしまうのですが、Erik氏というのはスペイン人なら誰でも知ってる大怪盗で、しかも市民の間では結構人気がある存在として知られているという背景があります。‥‥って書くと冗談みたいに聞こえるかも知れないんだけど、これが冗談じゃないのが凄い所(笑)!いや、こういう冗談みたいな話が現実になる国、それがスペインの面白い所だとすら言えるかもしれません。



世界中を震撼させたサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本盗難事件。カリクストゥス写本と言うのは12世紀前半に書かれた人類初のガイドブックであり、現在世界中から観光客を集めまくってる「サンティアゴの道」の基礎となっている写本の事です(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!)。



そんな「人類の宝」が盗まれてしまったのが去年の夏の事‥‥その時、「是非意見をお聞きしたい!」と、スペイン中のメディアがこぞって訪れたのが元大泥棒だったErik氏だったという訳なんですね。ここで警察やカテドラルに話を聞きに行かずに、泥棒ちゃんに話を聞きに行くという所が結構面白い。つまりErik氏というのは、スペインにおいて「盗難と言えばこの人!」というくらいに知られ、情報筋としては大変信頼されているという事の現れでもあると見て良いのだと思います。

その時に新聞に載ったインタビュー記事がコレ又凄まじく面白かったので日本語に訳した所、その記事へのアクセス数が当時、一日1万件を超えたりして、日本社会での感心の高さを痛感したりもしました(地中海ブログ: スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について )。まあ、泥棒ちゃんのインタビューなんて、本当に珍しいですからね。ここでちょっと抜粋しておくと、こんな事とか言ってる訳ですよ:

Q:あなたが泥棒として働いていた時代に比べ、今の時代にはより多くのセキュリティシステムが完備されていると思いますか?
Q:Hay mas medidas de seguridad ahora que en su epoca?

R:勿論、今の時代の方がより優れたセキュリティシステムが整備されているとは思いますが、それらは未だに不十分だと思います。第一、セキュリティシステムがあろうがなかろうが、それらが如何に優れたものだろうが、この世に盗めないものなどないのです。
R:Si que hay mas, pero creo que siguen siendo insuficientes. En primer lugar porque no hay nada que no se pueda robar aunque se tengan los mayores y mejores medios.

「盗めないものなど無い」とか言ってるし(笑)‥‥さすがスペインが誇る大泥棒ちゃん!

で、ですね、今回彼のインタビュー記事が新聞に大々的に載っていたのは、どうやら彼、自伝を出版したらしいんですね。何が書いてあるかというと、何処でどんなものを盗んだのか?とか、建物にはどうやって侵入したのか?とか、作品を持ち運ぶのに、どんなに苦労したのか?とか、そういう事が書いてあるらしい(笑)。「泥棒ちゃんのインタビュー記事なんて見た事無い!」という訳で、日本語に訳してみました。是非ご堪能あれ!

以下の訳文はEl Pais紙(2012年3月11日)に載ったインタビュー記事の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=元泥棒ちゃんの回答

Q: 今まで7回も結婚されてますね。そうか!だから沢山盗まなければならなかったんですね。
Q: ¿Cómo se puede uno casar siete veces? Claro, había que robar muchísimo, para darles de comer a todos.

R: 離婚するのが好きなんですよ。泥棒というのは一つの土地に長く留まる事は出来ません。だから全てを捨てていかなければならないのです。住居も含めてね。
R: Y, sobre todo, porque si no no te puedes divorciar. Yo, cuando me voy dejo todo, empezando por la casa.

Q: あなたは高価なものしか狙わない、いわば贅沢なコソドロだと思ってよいのでしょうか?
Q: ¿Es usted un chorizo de lujo?

R: 私をチンケなコソドロなんかと一緒にしないでいただきたい!私は大怪盗、Erik el Belgaです!今まで絵画や彫刻などと言ったアート作品を盗んできました。しかし未だかつてお金を盗んだ事はありませんし、お金を盗む事に興味もありません。私がアートを盗む理由、それはそれらの作品を愛しているからなのです。
R: Hombre, yo no soy un chorizo. Soy un ladrón de lujo. He robado por amor al arte, y he robado cosas de lujo. El dinero no tiene lujo.

Q: 今回出版されたあなたの自伝を読んだ鋭い分析家達は、これは「あなたの記憶が詰まった自伝」というよりは、「忘却の自伝」だと言っています。つまり、泥棒という職業柄、言えない事が沢山あると推測されるのですが。
Q: Un analista perspicaz dice que, más que memorias, lo suyo son unas desmemorias.

R: 勿論言えない事は山ほどあります。一つ付け加えておくならば、今回の自伝は私が直接書いたのではなく、結婚して27年になる妻が書きました。
R: Por supuesto, hay cosas que no se pueden decir. El libro lo ha escrito mi mujer, con la que llevo casado 27 años.

Q:この自伝を読んでいると、あなた自身が大きな仕事(盗み)をしたという印象は受けません。むしろ、他の人がやった仕事をあたかも自分がしたかの様に書かれている箇所が幾つもあるのですが。
Q: Da la impresión de que no ha hecho grandes cosas en primera persona; que se ha colocado medallas de otros.

R: 読者がそういう感想を持ってくれる事は私にとって大変嬉しいのですが、残念ながら真実は全く違います。私が盗んだもの、もしくは私の仲間がやった仕事を直接表現するのは、何とも野蛮というか、はしたないというか、少しは隠したり、暗喩を使ったりしてぼやかしたりする方がエレガントだと思うのです。
R: Mejor que todos lo crean así. No es cierto, pero encuentro más elegante la manera en la que lo he contado.

Q: しかし、「スペインにいる半分以上のジプシーが私の為に働き、彼らを利用した挙げ句、戦利品は全て私のもの‥‥」と書くのはエレガントとは言えないのでは‥‥
Q: Ya. Pero poner a currar a los gitanos de media España y aprovecharse luego del botín…

R: ジプシー達に盗みを強制した事は私の人生の中で一度足りともありません。もっと言うと、彼らと私とでは泥棒としてのタイプが違うのです。彼らは盗める物なら何でも盗みます。私は高価なものしか盗みません。故に彼らから沢山の芸術作品を買った事はありますが、彼らに仕事を頼んだ事は一度もないのです。
R: Yo nunca les mandé robar. Ellos iban a robar en cualquier caso. Les he comprado muchas piezas, pero no les hacía encargos.

Q: つまりあなたは泥棒の中でもエリート中のエリートに属していたという事でしょうか?汚い仕事や些細な事は全くしなかったという‥‥。
Q: ¿Ha sido un señorito del desvalije?

R: それはちょっと違います。盗みをやる時には必ず計画段階から参加しますし、仲間達に命令するだけでなく、盗みの下準備にも必ず参加していました。もう一つ付け加えておくならば、世間では「Erik el Belgaは400回もの盗みを働いた」と言われていますが、実際はそんなに多くはなくて、30回そこそこなのです。
R: Bueno, no. Siempre he participado en la preparación de los robos que he hecho aquí. No en los que me atribuyen, porque me atribuyen 400 y yo habré hecho unos 30.

Q: え、そうなのですか?30回そこそこなのですか?実は良い人なのでは(笑)
Q: Solo 30. Es usted una hermana de la Caridad.

R: 私の事をいい人だと言うのは貴方ぐらいですよ。確かに盗んだ回数は少ないのですが、それらはどれも重要な仕事でしたし。
R: Eso lo dice usted. Aunque los que hice eran importantes.

Q: ご自分の偉業を自慢されたいのでしょうか?
Q: ¿Se vanagloria de sus hazañas?

R: 違います。もし自慢するとしたら、盗んだ回数や作品の重要性などではなく、今まで一度も警察に捕まらなかったという事の方でしょうね。もし捕まっていたら、私は一生檻の中でしょうから。
R: De ninguna manera. Más bien de lo que estoy orgulloso es de que no me pillaran. Si no, hubiera pasado mi vida en la cárcel.

Q: もしもプラド美術館に自由に入れるとしたら、何をなさりますか?
Q: ¿Qué podría suceder si le sueltan en el Museo del Prado?



R: それはクライアントによりけりです。クライアントが何を求めているか、彼らがプラド美術館のどの作品を望んでいるのかに依ります。クライアント無しに盗難は出来ません。もしそんな事をしたら、すぐに監獄行きになる事は明らかですから。
R: Depende de quién esperara las obras que están dentro. No se puede robar una obra sin tener un cliente que la espera. Si no, uno va directo a la cárcel.

Q: 今回のインタビューをするにあたって、あなたと一緒にプラド美術館に入って館内で一緒に写真を撮る許可を申請したのですが却下されました。
Q: Pues hemos pedido un permiso para hacerle una foto dentro y nos han dicho que no.

R: そりゃ、そうでしょうね(笑)。
R: Hombre, no me extraña.

Q: 袖の下にベラスケスの「ブレダの開城」を持って出てくる事が可能だって事ですか。
Q: Sería capaz de salir con Las lanzas bajo el brazo.



R: この世に盗めないものなどありません。問題はその後なのです。今では多くの美術館がセキュリティシステムを完備していますが、ハッキリ言ってそれらをくぐり抜けるのはそう難しい事では無いのです。アラームを仕掛けた本人から聞き出せば良いだけの話ですからね。問題はどうやって良いクライアントを見つけるか、どうやって彼らを獲得するか、泥棒にとってはそっちの方がより重要で深刻な問題なのです。
R: Todo es fácil de robar. Depende de quién te lo encargue. Ponen alarmas, pero el que las ha colocado te enseña cómo desconectarlas. No son un problema. Lo importante es tener el cliente.

Q: かつてあなたはルーブル美術館からモナリザを盗んでみたいとおっしゃっていました。モナリザの他に何か盗んでみたい物はありますか?
Q: Ha dicho que le hubiera gustado robar La Gioconda. ¿Qué más se llevaría y de dónde?

R: そうですね‥‥もしどうしてもと言うのなら、美術館の館長でも盗みましょうか。もし美人ならね(笑)。
R: No lo sé. Quizá a la directora del museo, si fuera guapa.

Q: スペイン国内にあるカテドラルや修道院の中で、今まで一度も盗難にあった事が無い場所はあるのでしょうか?
Q: De las catedrales y monasterios de España, ¿dejó alguno sano?

R: 勿論です!カテドラルについて私が関わったのは一つだけ(タラゴナ)なのですが、修道院では沢山仕事をさせてもらいました。修道院での初めての仕事はエストレマドゥーラ州にあるユステ修道院でした。人生の中でヒエロニスム・ボスの絵画を一度だけ盗んだ事があるのですが、それがユステ修道院からのものだったのです。
R: Hombre, por supuesto. En la única catedral importante en que actué fue en la de Tarragona. De monasterios, bastantes, empezando por el de Yuste. De allí me llevé el único cuadro de El Bosco que robé en mi vida.



Q: もしも人生をもう一度やり直すとしたら、今度は真面目な人生を歩みたいと思われますか?
Q: Si empezara ahora, ¿le daría por ser decente?

R: そうはしないでしょうね。そんな人生つまらないでしょうから。
R: No creo. Es aburrido.

Q: 今までの人生の中で一番楽しかった事は何ですか?
Q: ¿Qué es lo que más le ha hecho disfrutar?

R: 愛です。女性への愛と芸術作品への愛です。お金もそうですね。お金が無い人というのは死んだも同然なのですから。
R: El amor. El amor y el amor al arte. El dinero, también, porque alguien sin dinero es una persona muerta.

Q: いつの日か、私が教会の香部屋を訪れる機会がある時の為に、何か助言をお願いします。
Q: Deme un par de consejos, por si me da por intentar algo en una sacristía.

R: 盗難という仕事はケースバイケースです。どうやって建物に入るか?どうやってそこから立ち去るか?どうやって盗んだ物を3000キロ離れた所へ持って行くのか?どうやって国境を越えるのか?‥‥それらは場合によりけりなので一概には言えません。
R: Para cada trabajo tendría que darle un consejo diferente: cómo salir, cómo entrar, cómo hacer 3000 kilómetros con la mercancía y pasar dos países con ella.

Q: 本職を離れられてからどれくらいになるのでしょうか?
Q: ¿Cuánto tiempo lleva sin comerse una rosca en el oficio?

R: 30年になります。
R: Treinta años.

Q: 賭博中毒者がカジノに立ち入り禁止の様に、美術館に入れなくなる様に美術館側に頼んだら見たらどうでしょうか?
Q: Como los ludópatas en los casinos, habrá pedido que le prohíban entrar en los museos.

R: そうですね、それも良いアイデアなのですが、まだその時期ではありません。美術館が好きなので、今は未だ美術館でゆっくりと芸術作品を楽しみたいんですよ。ロマン主義、闘牛関連の芸術品とかね。
R: No, todavía no, porque aún me da mucho placer visitarlos. Me gustan todos: los románticos, los de tauromaquia…

Q: 闘牛美術館には盗むに値する様なものはそんなに多くはないと思うのですが。
Q: De un museo de tauromaquia no se llevaría mucho.



R: ゴヤは非常に沢山の闘牛の版画を描いてます。もしも何処かの闘牛美術館にゴヤの版画があったらと思ってるのですが‥‥。
R: Si hay un grabado de Goya…

Q: 自伝の中にあった、アンダルシアにあるネルハの信徒達の為に絵画を描いてあげた逸話には何とも心がジーンとしました。
Q: Qué ideal y entrañable copiar un cuadro para las monjitas del Buen Samaritano de Nerja.

R: 心臓と目の手術をした時、彼女達は私の為に祈り、そしてわざわざ容態を心配して電話を掛けてきてくれたのです。優しくしない訳にはいきません。
R: Cómo no voy a resultar entrañable si rezan por mi cuando me operan a corazón abierto o de los ojos, y me llaman por teléfono para saber cómo estoy.

Q: ご自身は歴史上のどの泥棒に似ているとお考えですか?アルセーヌ・ルパン、フランシス・ドレーク、ファントマス、ボニーとクライド?
Q: ¿Sería más bien Arsenio Lupin, Francis Drake, Fantomas, Bonnie con o sin Clyde?

R: そうですね、ボニーとクライドにシャーロック・ホームズを加えたものと言った所でしょうか。
R: Más bien Bonnie and Clyde con la leyenda de Sherlock Holmes. Ambos.

Q: あなたは自分自身がカトリックの信者だとおっしゃられていますが、今までされてきた事を告解された事はあるのでしょうか?
Q: Va de muy católico. ¿Se ha confesado de todos sus pecados?

R: 子供の頃はミサの侍者だったのですが、その時以来、一度も告解した事はありません。しかしですね、教会に放置され酷い状態になっていたペトロの彫刻を、きちんと手入れをしてくれるだろう人物へ売ったり、ペトロには随分と良くしてあげたので、彼とはマブダチになったと思っています(注:ペトロは天国の門の番人なので、誰が天国に行けるか、行けないかを選ぶ事が出来る)。もしも天国に着いた時、ペトロが「お前は地獄行き」とか言ったなら、ピストルで撃ち殺してやります(笑)。
R: Yo fui monaguillo, y desde entonces no me confesé nunca. Pero soy amigo de san Pedro, he vendido muchos sanpedros y he salvado muchos. Y si cuando llegue al paraíso me echa a las llamas, le pego dos tiros.

Q: 今まで一度も警察と手を組まなかった事を誇りに思っていますか?何故警察に手を貸さなかったのに、彼らはあなたがスペインに住む事を見逃しているのでしょうか?
Q: Tiene a gala no haber colaborado nunca con la policía. ¿Por qué le dejan vivir en España?

R: 何故ならスペインはシェンゲン条約下にあり、ヨーロッパの国籍を持つ者なら誰でも自由に行き来できるからです。その上私の妻はスペイン人ですから。と言っても、スペイン国籍を申請した事は一度もありませんけどね。ここは天気も良いし、暖かいし、住み易い。私はベルギー出身なのですが、あそこは本当に寒いんですよ。
R: Porque esto es espacio Schengen. Además, estoy casado con una española, aunque no he querido nunca la nacionalidad. Yo soy belga. Pero aquí estoy calentito en la Costa del Sol, y en Bélgica hace frío.

Q: インタビューはここまでです。一応まだ鞄の中に財布があるか確認してみます(笑)。
Q: Esto era todo. Voy a controlar si sigo teniendo el monedero.

R: 忘れ物はしない様にしてくださいね。私は泥棒なのですから。
R: No se deje nada. No olvide que soy un ladrón.
| インタビュー集 | 20:37 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?
ちょっと前の新聞(El Pais Semanal, 29 de Enero 2012)にサスキア・サッセンのインタビュー記事が載っていました。



最近僕が興味を惹かれるのは、「この人はどんな事を考えているのかな?」というアイデアのレベルではなく、「何故この人はこんな考え方をする様になったのかな?」という、その人の創造力の源泉に関する問題なんですね。



例えばアルヴァロ・シザの建築形態操作には、彼が子供の頃に受けた体験、特に大病を煩って祖父母の家に隔離されていた時に受けた体験が非常に色濃く彼の創造力に影響を与えているという事は以前のエントリで明らかにしたばかりです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そういう意味において、今回のサッセンのインタビュー(特に後半部分)は彼女の生い立ちや家族構成、小さい頃の体験なんかが非常によく描き出されていて、彼女の思考体系の源泉を知る手掛かりになるのでは?と思われます。と言うか、日曜日の朝にこのインタビュー記事をカフェで読んでて、「これって、結構画期的な事が書いてあるじゃん!」と、穏やかにコーヒーを飲んでいるカタラン人達の間で思わず「おおっ」とか驚きの声を上げてしまった程、強く心に残るインタビューだと思います(笑)。特にこの部分なんて凄い告白だと思う:

「‥‥えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。‥‥(中略)‥‥祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥」(サッセンの発言:このインタビュー記事の後半部分、グローバルシティの写真のある辺り)

13歳から既に共産主義に傾倒し、世界中を転々としてきた彼女だからこそ、グローバルシティという秀逸なアイデアが出て来たのかな?と、そう思ってしまいます。この分野に関心のある人ならのめり込む事間違い無し!是非ご堪能あれ!

以下の訳文はEl Pais Semanal紙(1月29日(2012))のp28-30に載った文の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=サスキア・サッセンの回答
黒字=訳者メモ

Q: その昔、都市経済は人々の事を「消費者」として評価していました。しかしいつの間にかその同じ都市経済がそれらの人々を排除する方向へと態度を変えてしまった様に思われます。都市に人が溢れすぎた事が原因なのでしょうか?
Q; ¿La economía urbana ha pasado de valorar a las personas como consumidores a tratar de expulsarlas porque sobran?

R: そうですね、都市における排除のプロセスは世界中で起こっている現象だと言う事を先ずは申し上げておきたいと思います。更に言うと、その様な排除という現象は何も都市部だけで起こっている事ではなく、田舎でも同様の事が起こっていると言う事も付け加えておいて良いかもしれません。何故かというと、土地を買収すると、その土地を耕しそこで生活していた人々が必要なくなり、人が余ってしまうという現象が起こるからなのです。 さて、第二次世界大戦以後、我々は4つの異なる時代区分を体験してきた訳なのですが、現況では、都市中心部に中流階級が暮らせる家や、商店など小さな店舗は入ってこれない状況となってきています。そんな世の中において、中流階級は非常に多くのものを失ってしまったのです。それは彼ら(中流階級)が歴史的に保持してきた権力であり、権限であり、権利であり、未来における可能性なのです。フランスやアメリカ、そしてイギリスなど非常に発展した国々において、中流階級は疲弊し、世代が増すごとにどんどん貧しくなっていっています。新しい世代になればなるほど正式な教育を受ける機会が減少し、収入も親の世代に比べ少なくなり、ひいてはマイホームを購入する機会すら減ってきているのです。この様な現象こそ、国民一人一人の人生設計を阻害するプロセスであり、排除のプロセスという事が出来るのです。
R: Este proceso se da en muchos sitios. En el campo también, porque compran las tierras y sobran quienes las cuidaban. En la ciudad, los hogares y los comercios modestos quedan desplazados del centro. Además, en esta generación, la cuarta tras la Segunda Guerra Mundial, la clase media está perdiendo poder. Se está empobreciendo en países altamente desarrollados como Francia, EE UU y Reino Unido. La nueva generación adquiere menos educación formal, menos ingresos, y tiene menos posibilidades de comprar una casa. Eso es una especie de expulsión de un proyecto de vida.

Q: 我々は親から子へ、子から孫へと世代が進むにつれ社会も豊かになり、生活の質も向上すると、そう信じてきました。
Q: ¿Creíamos que cada generación avanzaría respecto a la anterior?

R: 社会が豊かになっていく事、親の世代よりも子の世代の方が質の高い暮らしを約束されていたという事は、世の中の誰しもが信じきた、ある種の社会信仰の様なものだったと思います。しかしですね、チリやアルゼンチンなどといった、未曾有の経済危機を体験し、そのシワ寄せが中流階級に降り掛かってきた国々においては、その様な直線的な進化の道筋は断ち切られてしまいました。
R: Parecía parte de un contrato social, pero esa trayectoria ha sido interrumpida en países como Chile o Argentina, donde fue brutal lo que le pasó a la clase media tras la crisis.

Q: 何故そんな事が起こってしまったのでしょうか?
Q: ¿Por qué ha sucedido?



R: 現在我々が生きている社会というのは、以前とは全く違うシステムの上に成り立っているからだという事が出来るかもしれません。一見このシステムは過去から脈々と続いてきたものの様に見えるかもしれませんが、実はそうではないんですね。金融というシステムは80年代に生まれ、そして90年代に定着した仕組みであり、それ以来、金融業界の論理が全ての経済分野に侵入し、彼ら(金融)の論理によって侵略を開始したのです。現在の世の中というのは、その時創られたシステムの上に構築されたものであり、我々は正にその中に生きる羽目になってしまったのです。 ここで最初の質問である、「こんな世の中においては一体何が変わってしまったのか?」という点に戻りたいと思うのですが、それをお話する為にはケインズ主義が旺盛だった時代にまで遡らなければなりません。その時代において経済のベースとなっていたのは大量生産、大量消費というパターンであり、その様な人々の生活スタイルに合わせ、郊外における大量の住宅建設と、それに伴う交通インフラの整備などが進められました。つまりは過去のシステムにおいては、消費という行為が非常に重要な位置を占めていたという事なのです。しかしですね、90年代に生み出された金融システムは、それまでとは全く違った新しい仕組みを創り出してしまったのです。それこそ大量消費を通過する事なく、何倍ものお金を生み出すというメカニズムだったのです。

R: Es un nuevo sistema. Parece una continuación del antiguo, pero no lo es. La lógica financiera ha invadido todos los sectores económicos. Hay una organización del sistema que nace en los años ochenta y se establece en los noventa. Hoy vivimos sus consecuencias. Y el cambio fundamental es que, en la época del keynesianismo, la base económica era la manufactura de masa y el consumo de masa: la construcción de espacios suburbanos de masa en las correspondientes carreteras e infraestructuras. Es decir, una serie de procesos económicos que implicaron que el consumo importara muchísimo. Hoy, el sistema financiero ha inventado modos de multiplicar la renta sin pasar por el consumo de masa.

Q: 郊外開発は今日においてビックビジネスへと変わってきています‥‥
Q: Construir suburbios se convirtió en un gran negocio…

R: 郊外に建てられる新しい住宅には、住宅自体だけでなく、その中に入る全てのもの(新しい冷蔵庫、新しいテレビ、新しい家具など)が新品という状態が想定されています。いわゆる3種の神器というやつですね。その事が(ポジティブではあるけれども)悪循環を生み出したのです。繰り返しますが、我々は消費に基づいたシステムの上に生きていました。例えそれが必要であれ不必要であれ、消費し続ける事は非常に重要な事柄だったのです。
R: Cada hogar suponía una nueva nevera, una nueva televisión, nuevos muebles… Todo nuevo. Se generó un ciclo vicioso positivo. Teníamos un sistema basado en el consumo. Fuera o no necesario, era vital seguir consumiendo.

Q: 現在の世の中はそうはなっていないのでしょうか?
Q: ¿Ya no es así?

R: その様な鎖は断ち切られてしまったのです。労働者の賃金はもはや消費を続ける事が困難なほど低くなってしまいましたし、大量の住宅建設が終焉した事によって、我々は以前とは全く違うサイクルの中に生きる事になってしまったのです。

R: Se ha roto la cadena. El salario del trabajador ya no hace posible mantener el consumo. Se ha roto la cadena, porque se ha terminado la construcción en masa. Ahora vivimos en un ciclo muy distinto.

Q: 都市に住みながらも消費行動が出来ない人達には一体何が起こるのでしょうか?
Q: ¿Qué sucede con la gente que vive en las ciudades y ya no puede consumir?



R: そうですね、それは社会的な不平等、もしくは社会的な排除といった様な問題だけには留まりません。勿論それらは既に存在しているのですが、それよりも何よりも、失業という問題が我々の社会にとって非常に重要な問題として勃興してきているのです。現在社会において、一度失業した人が再び平凡な日常を暮らしていく事は非常に難しくなってきています。例えばイギリスやアメリカでは刑務所に入っている囚人の数はココ数年で劇的に増え続けているのですが、それら多くの囚人というのは殺人を犯したという様な重犯罪者なのではなく、刑務所に入るべき類いの人達ではないのです。刑務所とはある意味、社会に適合出来なかった人間を収容するという、一つの「人間収容所」としての機能を担っているのですが、現代社会における囚人の激増は、仕事が無く雇用に有り付けないという事と全く無関係とは言えなくなってきているんですね。つまりは仕事が無いからこそ人々は軽犯罪に走り、そして刑務所に入るという悪循環が働いているのです。今の世の中において、一度犯罪者という烙印を押されてしまうと、一生、社会システムから排除された人間として生きていかなければならず、もう一度社会に復帰する事は非常に困難な状況となってきているのです。

R: No es solo un tema de desigualdad y exclusión social, aunque ambos existen. El nuevo elemento es que muchos de los desempleados de hoy no tienen posibilidad de volver a tener una vida normal de trabajo. Tanto en Reino Unido como en Estados Unidos, la población de presos ha aumentado muchísimo, y a mí me parece que si bien algunos de estos prisioneros son asesinos, la gran mayoría no lo son y no deberían estar en prisión. La cárcel es una especie de almacén de gente que el sistema no puede absorber, porque no puede emplear. Viven expulsados del sistema, almacenados y sin posibilidad de reinsertarse.

Q: さて、少し話題を変えたいと思うのですが、あなたの別のご関心事として、中国がアフリカのザンビアでやっている様な、他国の土地を買収している「国の動き」に非常に敏感に反応されていますよね。その様な買収は多くの場合、その地に住んでいた住民達を追い出すという結果に終わっています。何故その様な事が起こっているのでしょうか?追い出された人々はその後、一体何処へ行く事になるのでしょうか?
Q: Otro tema que usted toca es el de países que compran grandes cantidades de terreno a otros países, como China en Zambia, y que generan expulsiones masivas de población. ¿Cómo es posible eso, adónde va esa gente?

R: 2006年から2010年にかけ、各国の行政機関や金融業者などは、アフリカ、ロシア、ラテンアメリカ、ベトナム、ウクライナそしてカンボジアなどに7千ヘクタールもの土地を購入しました。購入したのは中国やサウジアラビア、アラブ首長国連邦や韓国、そしてスウェーデンなど、いずれも大国と言われる国々でした。しかしですね、驚くべき事に、この最後の数年間でそれら購入者リストに上がる名前が変わってきたのです。例えばココ数年のアフリカにおける最大の土地購入者は‥‥実は投資金融会社なのです。これがどういう事か、お分かりですよね!
R: Agencias de Gobierno y firmas financieras compraron 70 millones de hectáreas entre 2006 y 2010 en África, Rusia, América Latina, Vietnam, Ucrania y Camboya. Entre los grandes países compradores están China, Arabia Saudí, los Emiratos Árabes, Corea del Sur y Suecia. Pero en los últimos años los mayores compradores en África han sido… las firmas financieras de alto riesgo. ¡Imagínese!

Q: 何の為なのでしょうか?
Q: ¿Para qué?

R:それらの土地は農耕をする為のものであり、上質な地下水を伴った土地なのです。つまり、彼らは水がある土地を買っているのです。
R: Es tierra para el cultivo agrícola. Y tierra con altos niveles freáticos. Compran tierra con agua.

Q: 食料の値段が上がる事を予測してそれらの土地を買っているのでしょうか?もしくは収穫物を燃料に変える為なのでしょうか?
Q: ¿Compran en previsión del incremento del precio de los alimentos o para convertir las cosechas en combustible?

R: 大抵の場合、彼らはそれらの土地を何かしら一つの農作物に特化する為に買っているのです。今年、J.P.Morganは4万ヘクタールもの土地をウクライナに購入したのですが、驚くべき事に、投機会社は彼ら以上に土地を購入しているのです。土地は食物と水を表象します。と同時に、バイオ燃料やレア・アースといったモノをも意味しているのです。レア・アースという言葉を聞いた事がありますか?
R: En general, uniformizan los cultivos. Este año, J. P. Morgan compró 40.000 hectáreas de tierra en Ucrania, pero los fondos de inversión especulativos son los que han comprado más. La tierra representa comida y agua, pero también puede representar biocombustibles y también tierras raras. ¿Sabe lo que son?

Q: いいえ。
Q: No.

R: レア・アースとはドミトリ・メンデレーエフの周期表により存在が確認された17元素からなるグループの事です。それが何の役に立つのか、以前は一部の人々を除いてさっぱり分からなかったし、知られてすらいなかったのですが、ここにきてその全貌が明らかになってきました。実はですね、エコ電池を作り出す際、その材料としてそれら17種類のレア・アースが必要となるという事が判明したのです。各国はその対応に追われていたのですが、アメリカでは、それらレア・アースを中国から輸入する事に決め、自国でレア・アースを発掘したり、それらを抽出する技術を開発するという道はとらない事に決めました。現在では、中国が世界的に見てレア・アースの主な輸出国となっていて、実に世界総輸出量の90%を占めるまでに至っています。故にレア・アースを輸入に頼っている国々、日本やアメリカなどは中国からの輸入がストップする事を大変恐れているのです。ある国(例えば中国の様な)がコンゴに300万ヘクタールもの土地を買ったり、ザンビアに280万ヘクタールもの土地を購入し、そこにヤシの木を植えるといった様な、一つの土地に一つの農作物だけを植え続けるのは理由があります。そうする事で、その土地に存在する全て動植物だけでなく、農業に従事する人々をも追い出し、その土地を疲弊させる事が目的なのです(サッセンはこの様にしてレア・アースを手に入れる事が出来るとは明言してはいないが、そう推測される)。 それら自らの土地を追い出された人々は一体何処へ行くのでしょうか? 彼らは都市へと行く事になるのです。インドでも同じ様な事が起こっています。最後の30年間において、小作農業者達が追い出されているのです。彼らとて無知ではありませんから、大地は恵みをもたらし、その土地が我々人類に与えてくれる豊かさについては熟知しているのですが、悲しいかな、投機会社との戦いには何時も敗北する様、運命付けられているのです。
R: Hay 17 componentes que Mendeleyev identificó en su tabla períodica como elementos que no sabía para qué podían servir. Ahora lo sabemos. Las pilas ecológicas requieren algunos. Los americanos decidieron importarlos de los chinos y no desarrollaron la tecnología para obtenerlos. Y ahora China es el principal país exportador con casi el 90%, y Japón, EEUU y otros están aterrorizados con que pueda suspender las exportaciones. Cuando un país como China compra 3 millones de hectáreas en el Congo y 2,8 millones en Zambia para plantar palma, o sea, para plantar un único cultivo, eso es una manera de empobrecer la tierra. Además de expulsar especies de flora y fauna y pueblos enteros, expulsan a los pequeños agricultores. ¿Adonde se van? A las ciudades. Lo mismo pasa en India. En los últimos 30 años, los pequeños agricultores han sido expulsados. Estos pequeños propietarios no son estúpidos. Saben que la tierra produce. Pero los agricultores pierden esa batalla.

Q: 排除された人達は都市へと向かうとおっしゃられましたが、都市部には彼らの為の仕事は存在するのでしょうか?もし無いとしたら、彼らは一体どうなるのでしょうか?
Q: Expulsados hacia las ciudades, ¿y si allí no hay trabajo para ellos?



R: 現行の経済システムや金融業界の勢いは仲介業者を成長させ、正にその様な状況こそが、それらの分野を戦略的な位置に押し上げる要因となりました。しかしですね、ここが重要なポイントなのですが、それらのメカニズムは経済成長の恩恵を分配する事はありません。逆に、それらのシステムが生み出した恩恵は、彼らが潤えば潤うほど、彼ら自身に集中する事となるのです。今日において都市部では人が余っています。都市部ではこれ以上の人は必要ないのです。

R: El sistema económico, el auge de las finanzas, ha hecho crecer a un sector intermediario que se ha vuelto estratégico. Pero este sistema no distribuye los beneficios del crecimiento económico. Al contrario, los concentra más y más. Hoy, en las ciudades sobra gente. Ya no hacen falta.

Q: お言葉ですが、現在でも世界中の都市は成長を続けていると思うのですが‥‥
Q: Pero muchas ciudades no dejan de crecer…



R: 都市は未だに人々を吸収し続け、そして多くの人達にとって魅力的な場となっている事は確かだと思います。社会的不安と不安定が蔓延る現代の世の中においては、都市に大きなチャンスが転がっている事も又事実であり、正にその事によって人々の心はオープンになっていると言う事も出来るからです。だからこそ逆に、失敗した時の失望も大きなものとなるのです。都市は可能性の場であり、希望の場でもあります。しかしそれは社会が豊かになるとか、仕事を得る事が出来るとか、その様な進化が保証させているという事ではありません。それは全く別の次元の話なのです。

R: La ciudad todavía absorbe a gente, todavía es atractiva. En una época como la nuestra, de grandes inestabilidades, se da una mayor apertura mental, hay grandes oportunidades y, por tanto, grandes desilusiones. La ciudad es el territorio de lo posible, pero no del progreso asegurado.

Q: 人々は一か八か都市へ勝負しに来るという訳ですね。
Q: Vamos a la ciudad a probar fortuna.

R: その通りです。田舎に残された可能性は少ないですからね。今や田舎の土地の大部分は大企業や中国の様な政府機関の手により私有化されているのですから‥‥。 我々の都市は変わり続けています。ダイナミックに変化し続ける都市なのですが、それでも我々は都市を認識する事が出来るのです。各々の都市が提供してくれる社会的関係性や人々との出逢い、身体的な接触などは、何者にも変え難く、掛替えの無いものとなっているのです。中心市街地は人々がお互いを見る/見られるの関係性を実現する場であるし、見知らぬ人との遭遇や出会いなどの機会を与えてもくれます。そして大変重要な事に、中心市街地における見知らぬ人同士の接触や唐突な出逢いは暴力を伴う事はありません。そこは人種や階層など全く違う人々を混ぜ合わせ、お互いがお互いを認識する場を提供する事によって、平和をも切り開く可能性と潜在性を持った大変魅力的な場となっているのです。

R: Ahí voy. En el campo queda poco. La tierra está privatizada en manos de grandes empresas y de grandes agencias de Gobierno como las de China… Nuestras ciudades son mutantes, pero las reconocemos a pesar de sus cambios. La sociabilidad, el contacto físico que ofrece la ciudad, es insustituible. Los centros hacen que la gente se vea. Gente muy distinta se tropieza, habla. Y esos encuentros en un centro urbano no generan violencia. Los centros urbanos son fascinantes por esa capacidad de mezclar sobrepoblación y paz.

Q: 人々の間に不安が蔓延っている今日において、中心市街地とは人々を文明化する為の空間として機能しているという事なのでしょうか?
Q: ¿El centro de la ciudad hoy, en tiempo de grandes inestabilidades, es un espacio de civilización?

R: 都市とは誰か一人の私的所有物なのではなく、そこに住む人、そこを訪れる人、全ての人に開かれた場であり、全ての人の所有物なのです。そうであるからこそ、中心市街地では移民にしろ観光客にしろ、誰しも大変居心地良く過ごす事が出来るんですね。反対に、同じ都市部だとは言っても、郊外では全く事情が違ってきます。郊外において起こっている事、それはその土地の住民による拒絶に他なりません。彼らは他地区から人々が自分達のテリトリーに入ってくる事を大変嫌っているのです。 繰り返しますが、都市とは見知らぬ人々、違う階層に属する人々に出逢いの場を提供し、それらの人々がフィジカルに接触する事によって活力を与えられる場でもあります。彼ら一人一人の存在、出逢い、そしてフィジカルな接触が都市の原動力になっているのです。何故都市部でそんな事が起こるのかというと、それは人々が都市で生き延びる為、もしくはより良い生活を手に入れる為に仕事を見つけなければならないからです。つまり、そうやって情報を交換しているという訳なんです。
R: Es de todos. Un inmigrante o un turista se sienten bien en el centro de la ciudad. Los barrios suburbanos son otra cosa; la misma mirada de la gente puede expulsar. Con tanta gente desesperada por tener un empleo y una vida con más posibilidades, es el contacto físico de diversas clases sociales lo que da la sensación de potencial en las ciudades.



Q: それは中心市街地に人々が溢れ、活力が生まれた時にこそ言える事だと思います。ジェントリフィケーションが貧困層を追い出し、裕福な層だけで一様な風景が形成される時、そのエリアの市民意識は失われるのでしょうか?

Q: Eso sucede cuando los centros son lugares con vida. Cuanto la gentrificación expulsa a los pobres de los centros y los uniformiza con una única clase social, ¿se pierde ese civismo?

R: その様な市民意識、つまりは都市の活力が失われるのです。私の息子(ヒラリー)は彫刻家でロンドンに住んでいるのですが、彼が住んでいる地区は、ありとあらゆる民族と宗教が入り交じったゾーンとなっています。彼らに共通する事と言えば、お金を持っていないという一点に尽きます。その地区は夜になると昼間とは全く別の顔を現し、まるで小さな地球の如くの様相を呈してくるという特徴を持っているのですが、何故なら夜になると、その地区の住民が仕事から帰ってくるからなのです。都市においては、若者達が道ばたで偶然出逢ったり、話し合ったりといった出来事が日常的に起こるのです。 私の息子はニューヨークからロンドンへ移り住んだ時、友人達と、とある建物を不法占拠して住み始めました。ロンドンでは人々が建物を不法占拠した時などは、先ず警察が来て不法占拠者に対し警告を開始します。この類いの警告は彼らを強制退去させる3ヶ月前に行われる事になっています。 不法占拠者達というのは、社会システムからは外れた所にいる、いわば社会不適合者とも言える存在です。しかしですね、彼らがそれらの建物を占拠している間、展覧会を企画したり、それが話題になり新聞に載ったりと、様々な事が起こったのです。これらが指し示している事、それは彼らのしている事は勿論違法であり、法の外にいるのは間違いないのですが、と、同時に守られてもいるという事なんですね。ベルリンでは壁が崩壊した時、正にこれと同じ様な事が起こりました。これら全てのメカニズムは、システムの外に居る人や、家が買えない人、もしくは家賃が払えない人などを生き延びさせるのに非常に役に立つのです。勿論その様な状況は居心地が良いとは言えず、環境も悪い事に変わりはないのですが、しかしそれでも生きていく事は出来るのです。
R: Se pierde el motor de la ciudad. Mi hijo Hillary, que es escultor, vive en Londres en una zona que mezcla todo tipo de razas y religiones. El denominador común es la falta de dinero. En ese barrio, por la noche, aparece el mundo. En las ciudades ocurren cosas como que los jóvenes se encuentran. Mi hijo llegó a Londres desde Nueva York y ocupó un edificio con otros amigos. Si ocupas un edificio, la policía te debe dar un aviso de expulsión tres meses antes de echarte. Están fuera del sistema, pero mientras viven en esos edificios montan exposiciones que reciben críticas y reseñas en la prensa. Eso es interesante. Estás fuera de la ley, pero estás protegido. En Berlín Este sucedió algo parecido tras la caída del Muro. Todos esos mecanismos permiten sobrevivir y tener un proyecto de vida. No es cómodo, pero es posible.

Q: お言葉ですが、あなたの息子さんはそれら貧乏な人々の良い例とは言えないのではないでしょうか?何故なら母親が有名大学教授だからです。
Q: Pero su hijo probablemente no sea un ejemplo de pocos recursos. Tiene una madre académica.

R: そうですね。しかし彼は親を頼るのではなく自分自身の力で生きていきたいと願い、彼自身の人生を自分の足で歩み出したのです。22歳の時の事でした。そんな彼も今では30歳になり、ワンルームマンションを所有するまでになりました。しかしですね、今ではマイホームを所有している彼ですら、自立を始めた時は不法占拠者という立場からのスタートだったのです。法の外で生きる事が出来る可能性がある事は良い事だと思います。ブラジルのファベイラの様に世界中に点在している郊外には、貧困や悲惨さだけでなく、それ以上のものが存在し、その地区独自の経済を発展させているのです。
R: Es verdad. Pero él quería su propio proyecto de vida. Se trata de poder pertenecer al mundo. Lo hizo con 22 años. Hoy, con 30, tiene un apartamento con una habitación, pero su entrada fue al margen de la ley. Esa posibilidad de llegar fuera de ley es buena. Algunos suburbios, como las favelas, son algo más que zonas de miseria. Desarrollan sus propias economías.

Q: 現代都市において生き延びていく為には、アウトサイダー的に法の外で生きていくしかないと言う事をおっしゃりたいのでしょうか?
Q: ¿Está diciendo que para sobrevivir en las ciudades hay que hacerlo de manera marginal?

R: 私が強調したい事は、貧乏な人達だってその様なやり方で都市部で生き延びていく事が出来るという可能性であり、彼らも都市の一部だという事が言いたいのです。例え何も持っていなくとも、誰だって「自分自身の都市に生きている、この都市は自分の都市だ」という事を感じる事だって可能なのです。それは何も理論的な事ではなく、私自身の体験から来ている事でもあります。お話しした様に、私はアメリカに違法移民として入り、違法移民だったその時でさえもニューヨークという都市に対する帰属意識、「ニューヨークは私の都市だ、自分の都市だと」感じる事が出来ました。都市とは個人レベルで創られるものではありません。それは集団の中から現れてくるものなのです。そして都市とはその様な集団の想いによって創出されるものであり、決して奇跡的な産物などではないのです。
R: Lo que quiero remarcar es que la gente sin recursos puede hacerlo así y sentirse parte de la ciudad, sentir que está también en su ciudad, que la ciudad le pertenece un poco. Yo entré en EEUU de inmigrante ilegal y sentí eso, sentí que Nueva York también era mi ciudad, my city… Es un hacer colectivo. No es un milagro, la ciudad lo permite.



Q: あなたはオランダで生まれアルゼンチンで成長され、その後ヨーロッパ中を転々とされました。何故その様に沢山の国々を渡り歩かれたのでしょうか?

Q: Nacida en Holanda, crecida en Argentina, nómada después por Europa… ¿Por qué tanto traslado?

R: 50年代初頭にブエノスアイレスに着いて以来、私の家族は14年間そこに住んでいました。つまりアルゼンチンに移住したのは戦後という事なのですが‥‥。何故その時期にアルゼンチンに住み着いたのかというと、その裏には複雑な事情が混在していたのですが、それはその当時、私の両親が未だ若く、そして非常に冒険好きだったという事と深い関係があります。第二次世界大戦後のオランダ政府は、国家政策として東欧からの難民や逃亡者を受け入れると決め、当時としては非常に革新主義的な策を講じました。と言うのもその際、オランダ人に対して他国への移住を強く進めたのです。彼らは言います:「あなた方オランダ人は世界中何処へ行っても受け入れてもらえるでしょう。しかし東欧からの難民はそういう訳にはいきません。ここオランダには彼らを受け入れる為のスペースが必要なのです」と。そんな理由から当時沢山の人々が移住を決意し、現在でも9百万人ものオランダ人が、自国以外の国で生きているのです。
R: Mi familia vivió 14 años en Buenos Aires. Llegó a principios de los 50. En la posguerra… Hay dos o tres cosas que se mezclan… Mis padres eran jóvenes, aventureros. El Estado holandés tomó medidas progresistas cuando decidió acomodar a los refugiados de Europa del Este tras la Segunda Guerra Mundial. Facilitaron la emigración de holandeses bajo la idea: “Ustedes son holandeses, les va a recibir todo el mundo, y aquí necesitamos sitio”. Hoy hay nueve millones de holandeses fuera del país.

Q: と言う事は、あなたのご両親は難民達の為に自分達の空間をお譲りになったという事ですか?
Q: ¿Sus padres decidieron ceder su sitio?

R: えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。ナチスが街に侵攻してきた時、彼らは祖父にこう言ったのです:「我々に協力するか、それとも街を爆破されたいか、どっちにする?」と‥‥。祖父はユダヤ人を一人たりともナチスに引き渡しませんでした。何故ならスヘルトーヘンボスには当時、ユダヤ人は一人も居なかったからです。しかしですね、祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥
R: Bueno… Le explico el contexto. Mi papá era periodista, y mi abuelo era el alcalde de una ciudad bellísima del sur de Holanda, Hertogenbosch. Al ser invadida por los nazis, le dijeron que o colaboraba o le bombardeaban la ciudad… No entregó a ningún judío. No había judíos allí. Pero colaborar significaba que uno hacía un pacto. Después de la guerra, a mi abuelo se lo llevaron a prisión. Y mi papá había estado con los nazis como periodista… Pero quizá fuera mejor dejar ese tema…

Q: 続けてください。
Q: No, por favor.

R: 先程も申し上げたのですが、私の父は根っからの冒険好きで、自ら進んで戦線に赴き、戦争の従軍記者となりました。そんな中、ヨーゼフ・ゲッベルスは従軍記者達で構成された中隊を編制したのです。中隊といっても、全員がジャーナリストで、タバコを吸い、酒を飲んでいたそうですけどね。規律や秩序といったものは一切無く、非常に滑稽な従軍記者団だったという事です。そんな中隊だったのですが、勿論彼らの仕事は危険に満ち満ちたものである事に変わりはなく、時には怪我もするし、何より私の父は戦火が最も激しかった戦場の一つ、ロシアとの戦線に送られていたのです。少し時が経つと、ゲッベルスは父を刑務所へ送りました。ゲッベルスと父は互いに啀み合い、上手くいってなかったのです。私の父は反ソビエト派だったんですけどね。 反対に、私はと言うと、父とは全く逆の思想を持っていて、13歳にして共産主義に賛同するソビエト派でした。どれほどのめり込んでいたかというと、ロシア語を勉強していた程だったのです。当時の私は、父の思想に我慢が出来ず、家を出て行く事にしたのです。もうちょっと詳しく言うと、事態はもっと複雑だったんですけどね‥‥。と言うのも、私の父方の家族は大きな鉱山を所有していたという事、そして当時の南オランダに居るカトリック教徒達はイギリス人達を大変嫌っていたという事、その様な幾つかの事情が合い重なっていたからです。 えっと、このテーマを話すには結構大きな問題が付き纏っていまして‥‥と言うのも、「イギリスに反対していた」と言うと、多くの人々は「あー、あなた、ナチス側の人間なのね」と、そう思われてしまう事がしばしばなんですね。だからニューヨークではこのテーマを話す事は出来ません。もしニューヨークでこの話題を出そうものなら、人々がこう言ってくる事は目に見えているからです:「サッセンさん、あなたは反ユダヤ主義者なのですね」と。今までそんな事は無かったのですが、そうなる可能性は十分にあります。だから、なるべく話さない様にしているのです‥‥。
R: Mi papá, que era un aventurero total, se trasladó al frente, se hizo corresponsal de guerra. Goebbels había creado un batallón para los corresponsales de guerra. Eran todos periodistas; y fumaban, bebían. Nada de disciplina. Era un batallón cómico. Aun así, mi padre estuvo en el frente en Rusia… Incluso fue herido. Luego Goebbels lo metió en prisión. El general odiaba a mi padre y mi padre odiaba a Goebbels. Pero mi padre también se volvió muy antisoviético. Yo, en cambio, me hice comunista con 13 años; hasta estudié ruso. Y me fui de mi casa porque no aguantaba más. Pero todo es más complejo… La familia de mi padre era de grandes propietarios de minas. Y los católicos del sur de Holanda odiaban a los británicos, porque consideraban que estaban robándoles… El problema de hablar de estos temas es que, al decir que estaban contra británicos, la gente tiende a calificarte de pronazi. En Nueva York no puedo hablar de este tema. Terminarían diciéndome: “Lo que sucedes es que usted es antisemita”. No me ha pasado, pero podría pasarme. Por eso no hablo mucho de eso…

Q: お母様はどんな方だったのですか?
Q: ¿Y su madre?

R: 母は自由気ままに生きる事が大変好きな人で、ボヘミアンな生活を楽しんでいました。父と母が小説家と一緒に映っている写真を何枚か持っています。アイルランドに住んだ後ですら、彼らは未だ反イギリス主義を貫き通していたくらいだったのです。まあ、その様な反イギリス主義は、ホロコーストに対する社会的批判がどんどん高まっていくにつれ、段々と失われていったんですけどね。何故かと言うと、あの時代に反イギリス主義を表明するという事は、それだけでナチス側の人間と見做され、ホロコースト賛同者と見做される時代だったからなのです。その結果、「反イギリス主義反対」という機運が、反イギリス主義者の間にも急速に高まっていく事となりました。そんな空気の中においてさえも、私の両親は自らの考えを変えようとはせず、結局、アイルランドから立ち去る事にしたと言う訳なのです。
R: Mi madre llevaba una vida bohemia. Tengo fotos de mis padres con escritores. Después de vivir en Irlanda, seguían siendo antibritánicos. Eso se pierde luego en Europa por oposición generalizada al Holocausto. Esa nueva negativa domina a la anterior antibritánica. Así es que mis padres decidieron embarcarse.

Q: アルゼンチンに着かれた時、お父様は何をされていたのですか?
Q: Cuando llegan a Argentina, ¿qué hace su padre?

R: えっと、私の父ですか‥‥私の父は、ラテンアメリカに居る独裁者達と友好関係を築こうとしていました。勿論、ペロンともね‥‥。その一方で、彼の心の中には常に何かしら社会主義的なものが残っていた様にも思います。つまり独裁者達と一緒に居た一方で、ブエノスアイレスの港湾都市であるマル・デル・プラタで行われていた労働組合の非合法な会合にも顔を出していたのです。その様な会合に私達幼い姉妹は良く連れて行かれたものです。今にして思えば、私達はカモフラージュに最適だったのでしょうね。
R: Bueno, él… él se hizo amigo de todos los grandes dictadores de América Latina: de Perón… Pero siempre tuvo algo que por ahí era el socialismo. Estaban las dictaduras militares, pero también los sindicatos… reuniones clandestinas en Mar del Plata. Y siempre nos llevaban. Éramos nenas; creo que servíamos de camuflaje.

Q: 両親が反イギリス主義者だったという事や、お父上が独裁者の友人だったという事は、大きくなられてから理解されたのでしょうか?
Q: ¿Todo esto lo ha entendido después?

R: そうですね、その時にそれらの事情が分からなかったという事が、私の人生を決めたという事が出来るかもしれません。と同時に、政治的な動きが私の人生を支配していたという事も出来るのです。私は共産主義者でしたし、その事で両親と対立さえしたのですから。家を出て行きたかったので、貯金したりもしていましたし。結局、親にお金を借りてハンブルグへ行く事にしました。その間、貧困というものを体験し、お腹を空かせたりもしました。パリやトリノで過ごした暗く寒い夜などには、レストランのオーナーと交渉し、一杯のスープを恵んでもらったりしていたのです。アメリカではお金を稼ぐ為に家政婦のバイトをしていたし、アカデミックな学生という顔と家政婦という顔、その二つの顔を同時に持ちながら過ごしていたのです。
R: Eso de no entender me marcó. Pero la política dominaba mi vida. Yo era comunista y me enfrenté a mis padres. Quise irme. Ahorré dinero. Les pedí un préstamo y tomé un barco a Hamburgo. Experimente la pobreza y pasé hambre. En París, en Turín, donde en invierno llegué a un acuerdo con el dueño de una trattoria para que cada noche me diera un plato de sopa. En Estados Unidos, donde me dediqué a limpiar casas. He tenido una vida paralela.

Q: 多くの場合、あなたは固定観念や確立された概念に反対の立場を表明されていますね。例えば、発展途上国への投資は移住者を増加させるだとか、それらの投資は地域経済をダメにするとか。
Q: Usted va a menudo contra los conceptos establecidos. Por ejemplo, defiende que la inversión en los países menos desarrollados aumenta la emigración porque devasta las economías tradicionales.

R: その点については、もう既に自明の事だと思います。発展途上国への投資問題は一見矛盾しているかの様に見えるが故に、大変興味深いものとなっているのです。都市という狭い範囲に限らず、もっと先にある「何か」を都市を通して理解してみたいのです。
R: Eso hoy está comprobado. Puede parecer contradictorio, y por eso me interesa. Uso la ciudad para entender una realidad más allá de lo urbano.

Q: アラブの春はネットが無かったら不可能だったという事は常々言われてきた事ですが、ネットだけでなく都市が無かったとしても、それらは不可能だった様な気がします(アラブの春についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・)。人々を革命へと導くのに、都市はどの程度まで鍵となるのでしょうか?
Q: Se repite que las movilizaciones del mundo árabe no hubieran sido posibles sin Internet, pero tampoco se podrían haber producido sin las ciudades. ¿Hasta qué punto la ciudad es clave para movilizar a la gente?

R: 都市に沢山の変化が訪れる時、1人では何も出来なかった個人が群衆となり、歴史を築く事が出来る様になるのです。その様な群衆は常に権力を持つとは限らないのですが、個人が群衆になるという事は、「権力の目に付き易い」という事を意味します。つまり都市は非力な個人同士を繋ぎ合わせ、彼らを可視化する許容力があるのです。それは権力者の家の前で抗議活動をするとか、所有者/奴隷といった弁証法に終わる古いモデルとは全く違います。怒れる人々、世の中に不満を持っている人々は、単にその場で声を上げるだけとか、権力が自分達の存在に気づいてくれる事、ただそれだけを望んでいる訳ではありません。彼らはネットワークを築いているのです。都市において権力は見えません。と言うか、権力が見えなくなる事、見えなくする事こそ、都市自身が持つ潜在力であり、都市の特徴となっているとも言えるのです。
R: Cuando hay mucha transformación urbana, el individuo pobre se vuelve multitud y puede hacer historia. Eso no les da necesariamente poder, pero les da capacidad de hacerse presentes. Creo que la ciudad tiene la capacidad de generar redes y hacer presentes, visibles, a los sin poder. No es el viejo modelo de protestar delante de las casas del poder y caer en la dialéctica dueño/esclavo. Los indignados no buscan solamente estar ahí y que el poder los vea. Hacen red. Ahí se ve la capacidad de la ciudad de volver compleja la falta de poder.
| インタビュー集 | 06:59 | comments(7) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ現代文化センター(CCCB)館長ジョセフ・ラモネーダ(Josep Ramoneda)氏解任に関する波紋その2:インタビュー記事全訳
前回の記事の続きなのですが(地中海ブログ:スペインを代表する知識人でありバルセロナ現代文化センター館長ジョセフ・ラモネーダ(Josep Ramoneda)氏解任に関する波紋)、今日の新聞(El Pais, 17 de Diciembre 2011)にバルセロナ現代文化センター館長であるジョセフ・ラモネーダ氏のインタビュー記事が載っていました。内容は勿論、政権交代による解任劇とその裏事情。その行間からは彼の苛立ち、悲しみ、ひいてはこの先バルセロナが何処へ行こうとしているのか/もしくは何処へ行ってしまうのか?などが読み取れて、大変興味深い内容となっています。バルセロナの文化政策などに興味のある方は必見です!



以下の訳文はEl Pais紙(2011年12月17日)のP51に載った文の全訳です。

Q=インタビュアーの質問
R=ジョセフ・ラモネーダ氏の回答
赤字=訳者メモ

「バルセロナを牛耳っている現政権CiU(カタルーニャ地域主義政党)は、私の館長解任を通して、バルセロナ市の政治的変化が文化部門にも及んでいるという事を視覚化しようとしている」
"Con mi salida, CiU visualiza el cambio cultural"

ジョセフ・ラモネーダ
Josep Ramoneda


Q: あなたが去った後、バルセロナ現代文化センター(CCCB)に一体何が起こるのでしょうか?
Q: ¿Qué pasará con el CCCB?

R: これから一体どんな事が引き起こされるのか?それは私には分かりません。ただ分かっている事は、館長としての私の契約が更新されず、12月31日をもってCCCBを去らなければならないという事だけです。通常、文化センターなどの館長が変わる際には、次の館長が就任するまでの空白期間を前館長が補填するというのが慣習なのですが、個人的に現政権のやり方には納得がいかないので、それはしない事にしました。まあ現政権も頼んではきませんでしたけどね。間違ってもらっては困るのですが、民主主義的な手続きを踏んでバルセロナ市の政権を任せられたカタルーニャ地域主義政党(CiU)は私を解任する権利を持っているし、政権交代による公的機関のトップ交代などは何処の社会でも普通に行われている政治的ゲームの一部なので、その事を批判したり非難したりするつもりは毛頭ありません。ただ、そうするならするで、別のやり方があったと思うのです。

バルセロナ現代文化センターは他の諸機関には見られない特別な特徴を持った機関であり、そのユニークな個性を存続させる為には、スムーズな移行、特に前館長と次期館長の間における密なコミュニケーションに基づいた移行が必要とされるのですが、今回に限っては、その様な移行は行われない事になりました。代わりに、この机の上に現在行われている展覧会やカンファレンスなど全ての活動に関する諸情報と、それらについての私なりのメモを残していきます。これが今回の館長交代における移行であり、この様な移行こそ、現政権が望んでいる移行なのです。たった一つのファイルがね。

何故この様な解任劇が起こったのかについてなのですが、個人的な分析に依ると3つの可能性が考えられるかと思います。一つ目は、政治の世界においては常に付いて回る政治家達の怠慢が原因であると言う事、二つ目は政治家達の文化センターに対する配慮の無さと無関心、そして最後の一つは意図的に練られた戦略政策と言った所でしょうか。それらの内、どれが今回のケースに当てはまるのかは分かりませんが。
R: A día de hoy solo sé que no me renuevan y que por lo tanto el próximo día 31 yo me voy, y tal como han ido las cosas, no aceptaría una prórroga de interinaje. Tampoco me lo han sugerido. Quiero dejar claro que tienen todo el derecho a destituirme; forma parte de las reglas del juego, pero se podía haber hecho de otra manera. Esta institución tiene unas características peculiares que exigen una buena transición y en cambio, aquí, sobre la mesa, solo quedará una carpeta con los proyectos que hay en funcionamiento y una nota mía con informaciones que puedan serle útiles al futuro director. Esta será la transición. Que sea por una cierta desidia que a veces se da en el mundo político, por una falta de conciencia de la importancia de la institución o por una razón estratégica más deliberada, esto es algo que yo desconozco.

Q: 現段階では、いつ頃までバルセロナ現代文化センターの諸活動は決定しているのでしょうか?
Q: ¿Ahora mismo hasta cuando está programado el CCCB?

R: 2012年までは既にプログラムは決まっています。加えて2013年、2014年の為のプロジェクトなども動き出していますが、勿論それら全ての事は、新しい館長の意向によると思います。彼もしくは彼女が気に入らなければそれらはお蔵入りになるでしょうし。
R: 2012 está programado. Evidentemente habrá que ver lo que quiere quien venga, y hay muchos proyectos en marcha para 2013 y 2014.

Q: バルセロナ県のトップの方とはお話になったのでしょうか?((注)バルセロナ現代文化センターはバルセロナ県(75%)とバルセロナ市役所(25%)の出資によって運営されているコンソーシアムなので、館長任命などにはバルセロナ県の意向が強く出される。
Q: ¿Ha tenido contactos con el presidente de la Diputación?

R: 勿論です。彼はとても真摯で礼儀正しい方でした。私に対する今回の決定は、彼が決めた事ではなく、もっと上の方から手を回されて彼が決定させられた事だと思います。
R: Sí claro, es una persona muy cordial y muy correcta. Yo tengo la sensación de que ha ejecutado una decisión que le sobrepasaba, que venía de más arriba.



Q: バルセロナ現代文化センター設立当初(1994年)から言われ続けてきた事なのですが、CCCBにはナショナリズムの精神が欠如しているという批判が、特にカタルーニャ主義の人達から出されていますよね。その点については、右派(カタルーニャ地域主義政党)からだけではなく、前政権だった左派からも言われてきました。この事があなたの解任に繋がったのでしょうか?

Q: A lo largo de todos estos años ha habido una crítica permanente por parte del catalanismo, tanto de derechas como de izquierdas, al CCCB por su falta de espíritu nacionalista. ¿Ha jugado esto un papel en su destitución?

R: そうだと思います。その点については、あらゆる面における沢山の証拠がありますし、現政権の中には一部、強烈にナショナリズムを押し出すグループが存在するという事はスペイン人なら誰しも知っている事実です。間違ってはいけないのですが、それは現政権の中における「一部のグループ」だという事です。カタルーニャ地域主義政党の中には、それとは全く反対の事を推進している人達も存在しますので。問題はですね、そんなカタルーニャ・ナショナリズムを前面に押し出したい人達にとっては、私がCCCBに居る事が非常に厄介なのです。私を追い出さなければCCCBが本質的に持っているコスモポリタニズムという特徴を「現代ナショナリズム」という特徴を持つセンターに変える事は出来ませんから。更に私の解任は、バルセロナ市における政治の変化(政権交代)だけではなく、その様な変化が文化の面にも押し寄せてきているという事を視覚化する効果も伴っているのです。
R: Seguro que sí. Hay todo tipo de pruebas y todo el mundo sabe que había un sector de Convergència –un sector, porque otro pensaba lo contrario- que creía que era necesario que yo saliera del CCCB para que se “visualizara” que el cambio también había llegado a la cultura y que se tenía que sustituir el cosmopolitismo, esencialmente la etiqueta que se ha puesto a esta casa, por una cultura de nacionalismo moderno, por llamarlo de alguna manera.

Q: 現代ナショナリズムとは一体何なのでしょうか?
Q: ¿Qué es el nacionalismo moderno?

R: さっぱり分かりません。おそらく新しい館長が就任したら次第に明らかになるとは思うのですがね。(皮肉を込めて)そう期待しましょう‥‥。CCCBにとって本質的な事は、このセンターがバルセロナにあるという事、そしてその中でもRAVAL地区(バルセロナの歴史的中心地区)に存在すると言う事です。そんな環境で生まれ出たCCCBはその誕生から本質的にユニバーサルな雰囲気を持っていました。故に我々は今まで常に開かれたテーマを考えてきましたし、グローバルなテーマを扱ってきました。ローカルなテーマに優先順位を置くという事はしてこなかったのです。グローバルな視点を持ち、その中において自国の文化を捉えるというやり方こそ、私が「文化」を理解するやり方だからです。
R: Yo no lo sé, tal vez lo sepamos cuando otra persona tome el mando de esta casa… Nosotros solo teníamos presente que esta institución estaba en Barcelona, que estaba en el barrio del Raval, que es un elemento decisivo, y que su ámbito era un ámbito universal. Hemos intentado siempre pensar en temas abiertos y globales y no en priorizar lo local. Esta es la manera como yo entiendo la cultura.



Q: バルセロナ現代文化センターは慣習的な美術館とは一線を画した存在となっていますね。何故でしょうか?

Q: El CCCB es una institución atípica que escapa a la práctica museística habitual…

R: バルセロナ現代文化センターは「新しい文化センターのモデルになる」という強い意志を持って立ち上げられた特異なプロジェクトだったからです。ここで行われている教育的な諸コース、お祭り、カンファレンスや会議、更には展覧会などといった諸活動は、各々が独立して存在している訳ではなく、全体と密接な関係をもって動いているものであり、そういう意味において「全」の中の「一」なのです。それら一つ一つの部分がなければ全体は成り立ちませんし、もしも一部を取り除いてしまったら全体が崩れ落ちてしまう様な、そんな大変複雑な均衡の上に成り立っているのです。

近頃、大変気にかかる話題が私の耳にも入ってきているのですが、現政権がバルセロナ現代文化センターの隣にあるバルセロナ現代美術館(MACBA)の一部機能を現代文化センターに移し、2つの機関を統合しようという動きがありますよね。おそらく、その提案は現代美術館にとっては有意義なものなのでしょうが、我々にとっては迷惑極まりない提案だとしか言いようがありません。ハッキリ言うと、CCCBの個性を殺してしまう様なものなのです。
R: Porque era un proyecto atípico que nación con la voluntad de crear un modelo. Hemos desarrollado un modelo de equilibrio complejo, del que es muy difícil mutilar una parte sin cargarse el todo, porque los cursos, los festivales, las conferencias y las exposiciones no van cada una por lado sino que forman parte del todo. Estos días he oído algunas cosas preocupantes, como señales de que el Macba [el vecino Museo de Arte Contemporáneo de Barcelona] quiere ocupar salas del CCCB.

Q: おそらく、現政権にとっての文化の定義とCCCBが考えている文化の定義の食い違いだと思うのですが。
Q: Tal vez no encaja en lo que CiU entiende por cultura.

R: 一般的に言って、政治には幾つかの特徴があると思うのですが、その中でも特に保守系政党に関して言えば、文化政策を歴史的建造物や彫刻、もしくは絵画などと言ったコレクションとして博物館などに展示されているものへと狭く定義する傾向があります。しかし文化とは、それら歴史的遺産を蓄積するという枠組みでくくる事が出来るものだけではなく、創造力に基づいて何かしらを創り出すという活動も含まれるのです。そして公的機関が、この様な創造に関する文化政策に深く関与する事は非常に重要な事なのです。それらクリエイティビティを生かした諸生産は将来的な可能性の扉を開く事になりますし、その様な創造に基づいた活動というのは、プライベートセクターだけでは保持する事が非常に難しいからです。
R: Creo que hay algo muy característico de la política en general y de la política conservadora en particular, que es la tendencia a reducir las políticas culturales públicas a lo estrictamente patrimonial. Pero es muy importante que haya políticas culturales públicas que jueguen a fondo la carta de la creación, porque se abren puertas y se mantiene viva una sensibilidad muy difícil de tener solo con el sector privado.



Q: この20年間における社会文化的な変化をCCCBからどの様にご覧になっていましたか?
Q: ¿Cómo ha visto desde el CCCB los cambios de las dos últimas décadas?

R: そうですね、非常に重要な3つの変化を我々の社会は体験したと言えると思います。一つ目は、政治に対する信頼感の喪失です。政治の文化に対する無関心さ無理解さという意味においてですが。二つ目は近年勃興してきた新しいテクノロジーによる我々の生活や人間自身への影響について。そして最後の一つは、それら技術革新による変化によって、我々の社会に一体どの様な新しい組織が生まれ出てきているのか、もしくはどんな組織形態が必要とされているのかを見極めると言う事です。現在我々の社会が直面している新しいタイプの経済危機に対して、古い言語や古い態度を持って対処していても、それは何にもならないのです。この様な変革の真っただ中において、新しい言語や組織形態を探し出す事こそ、現在CCCBが扱っている最も重要なテーマの一つなのです。
R: Diría que hay tres cambios importantes: la pérdida de confianza en la política, en el sentido de una menor relación con la política institucional; la perplejidad sobre los grandes cambios tecnológicos y su impacto sobre la antropología, sobre la propia especie humana, y la necesidad de ver qué nuevas formas de organización nacen de estos cambios cuando hay la sensación de que la crisis y sus efectos están siendo tratados con posturas y lenguajes completamente antiguos. Este es uno de los ejes centrales sobre los que está haciendo cosas el CCCB.
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アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?
先週日曜日の新聞(特集版)にアルヴァロ・シザのインタビューが載っていました。アルヴァロ・シザと言う建築家についてはこれまで散々書いてきたのですが、やはり何だかんだ言って20世紀を代表する巨匠中の巨匠であり、かの二川幸夫さんが(とあるインタビューの中で)「世界一の建築家」と言われていた事も全く不思議ではありません(シザについてはコチラ:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



僕自身、シザの建築は現地を訪れるなどしてかなり見て回ってて、シザ関連の書籍や論文にも殆ど目を通してると思うんだけど、今回のインタビューでは彼の知られざる素顔、特に「彼の建築の特徴が一体何処から来たのか?」なんかが明らかにされていて、大変興味深いものになっていると思います。僕の知る限り、日本語でこの様な情報が齎されたのは初めての事なんじゃないのかな?特に、「幼少の頃、病気をしていて、その時に祖父母の家に閉じ込められていた事が、現在のシザ建築スタイルを創り上げた」と言うのは初耳であり、「ガウディ建築が彼の造詣に影響を与えた」って言う情報と同様、彼の建築を理解する為のキーになるとさえ思うくらいです(ガウディ建築がシザに与えた影響についてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。まあ、何はともあれ、大変興味深いこのインタビュー、とくと御覧あれ!

以下に訳すのはEl Pais(2 de Octobre 2011)の日曜版に載ったアルヴァロ・シザのインタビュー記事の全訳です。

難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われる
“El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles”

Q=インタビューアーの質問
R=アルヴァロ・シザさんの回答
黒字=訳者メモ

Q: 現在の社会の中において、一体何が建築を高慢で横柄な存在にしているのでしょうか?
Q: ¿Qué la hace arrogante?

R: そうですね、それらの建築が「建っている場所を無視している事」、「周りのコンテクストを全く考慮していない事」ではないでしょうか?人間は一人では生きていけません。我々は常に誰かと繋がり、互いに支え合って生きています。それら人間同士の関係性を繋ぎ合わせ、その様な関係性を維持する事こそ建築の目的なのです。間違って欲しくないのですが、私は何も、それらを達成する為には「建築は慎重であるべきだ」という事を言いたいのではありません。そうではなくて、コンテクストを裏切る様な建築、その場所に相応しく無い様な建築は高慢であると、そう思うだけなのです。
R: Ignorar donde está trabajando. Uno no está solo. Hay tramas de relaciones humanas. Continuarlas es la razón de ser de la arquitectura. Esto no quiere decir que la arquitectura deba ser prudente. Pero lo que traiciona el contexto es arrogante.

Q: ここ最近、社会の中に沢山の「高慢な建築」が建設されてしまったとお考えですか?
Q: ¿Últimamente se ha construido demasiada arquitectura arrogante?

R: そう思います。しかし、「高慢である条件」を高慢な建築家に結び付ける気はありません。つまり「高慢な建築家」は「高慢ではない建築」を創り出すことが出来ると思うし、その逆も又然りだからです。時々、高慢な建築にさえなっていないような、大変無能な建築にも出くわしますけどね。
R: Así ha sido. Pero no ligo la condición de arrogante a la arrogancia de quien la hace. A veces se trata simplemente de incompetencia.

Q: それら高慢な建築や建物に対して、あなたの建築は大変穏やかに、そして謙虚に佇んでいる様に見えます。
Q: Frente a la arrogancia sus edificios quieren ser tranquilos.

R: 「建築とは単に休憩の場を提供すべき存在である」と私が考えていると理解する人がいますが、全く持って不愉快です。勿論建築はシェルターや休憩所を提供すべきなのですが、しかしそれは又、共同の場、共生の場でもあるべきなのです。
R: No me gustaría que se entendiera que creo que la arquitectura debe generar solo lugares de reposo. Debe ofrecer abrigo y reposo, pero también, un lugar de convivencia.

Q: サラザール独裁政権下(1932−1968)では公共の仕事は勿論の事、僅かながらの小さな仕事しか無かったと思うのですが、独裁政権下で生きてきた経験は、あなたの建築に何かしらの影響を与えたのでしょうか?
Q: Trabajar durante la dictadura de Salazar en un segundo plano, sin hacer ruido, ¿marcó su arquitectura?

R: 独裁政権は、建築の仕事はおろか、大学で教鞭をとる事や、教育機関で建築を勉強する事さえも妨げました。その時代、本当に数少ない建築家だけが公共の仕事をする事が出来たのです。
R: Marcó las restricciones en el acceso al trabajo, a la formación y al aprendizaje. Pocos arquitectos podían realizar una obra pública institucional.

Q: 独裁政権下で公共の仕事を得ると言う事は、独裁政権への迎合を意味するのですね?
Q: ¿Debían ser afines al regimen?

R: うーん、というか、当時は旧体制を受け入れなければならなかったのです。当局は伝統的で国民的な建築、つまり彼らにとっての「ポルトガル的な建築」を創りたがっていました。何故ならポルトガルは国としては小さいのですが、とても沢山の建築で満ち溢れていたし、今現在も満ち満ちているからです。国民的建築と言うは彼らの発明品でした。つまり彼らは外部に向かって「ポルトガルには唯一絶対の建築しか存在しない」と、そう宣伝しようと画策していたのです。当時の独裁政権はポルトガルが国として貧乏であり、国民は絶対的に屈従している、そういう国を好んでいましたし、社会的コンフリクトを避ける為に他国への移住を容認してもいました。
R: Bueno… tenías que ser aceptado por el régimen. Querían hacer una arquitectura nacional con referencias a lo que para ellos era la arquitectura portuguesa, como si hubiera una tradición, porque, aunque Portugal es un país pequeño, había y hay muchas arquitecturas. Se pretendía dar al exterior una única mentira. La ideología prefería mantener un país pobre conformado, y así, consentían la emigración para evitar conflictos sociales.

Q: あなたの建築は、何処までが貴方自身の「伝記」として読めるものなのでしょうか?小さい頃、病気をされたと伺っています。その際、おじいさんの家で一緒に住む事を強制されたそうですね。そこでの生活が、あなたの建築の諸特徴、特に「窓によって風景を切り取る」と言う手法に影響を与えたのでしょうか?
Q: ¿Hasta qué punto su arquitectura es biográfica? Pienso en la enfermedad que tuvo de niño, que lo obligó a vivir con sus abuelos. ¿Allí se acostumbró a enmarcar los paisajes con las ventanas?



R: その通りです。しかし又、別の事も学びましたけどね。小さい時の経験は、住居とその外部との関係性について考えさせてくれたのです。祖父母の家で療養している期間は外に出る事が厳しく禁止されていました。2ヶ月もの間、ずっと家の中に居なくてはならず、その間、殆ど毎日の様に窓から外を眺めていたのです。と言うか、それしかする事が無かったのです。
R: Sí, pero también hay otros aprendizajes. Esa de niño fue una experiencia que me hizo pensar la casa y su relación con el exterior. Yo no estaba autorizado para salir. Tuve que permanecer encerrado dos meses, y eso me obligó a mirar por la ventana.

Q: どんな病気だったのですか?
Q: ¿Qué enfermedad tenía?

R: 当時の子供がみんな患ってた病気でした。結核の前症状の様なものです。当時は未だ効果的な治療薬が無く、最善且つ唯一の治療法と言えば絶対的な安静でした。だから小さな,本当に小さな村に移り住む事になってしまったのです。家の中は窮屈だったので、新鮮な空気を吸う為にベランダへ良く出て行ったものです。そこからは本当に美しい景色が見えました。「開発されていない」という事は、「美しい風景が保持されている」という事と同義語です。その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。
R: Yo tenía, todos teníamos entonces, una “primera infección”, la antesala de la tuberculosis. Todavía no había antibióticos y la única posibilidad de recuperación era el reposo absoluto. Total, que estaba en un pueblo muy pequeño. Y me acercaba a la terraza para tomar aire. Desde allí se veía un paisaje maravilloso. La falta de desarrollo se traducía allí en la falta de deterioro del paisaje. El pueblo era un pueblo agrícola, y es la arquitectura la que hace el paisaje. Por tanto , el paisaje era precioso. Pero, a pesar de eso, tras 15 días de reposo ya no soportaba verlo. Por eso, años después, evité la tentación de crear una gran cristalera con una gran vista y preferí orientar las aberturas de una forma intencionada, pedazo a pedazo.



Q: クライアントは大きな窓を欲しがるのではないのでしょうか?小さな窓を創る事を理解しますか? Q: ¿Los clientes lo entienden?

R: 文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。
R: Protestan. Frente a un gran paisaje creen que hay que hacer un gran mirador. Y yo les contesto que no, porque cansa. El paisaje no debe ser una imposición permanente, debe ser una elección.

Q: あなたに絵を書く事を教えたのは叔父さんですね?
Q: Fue su tío quien le enseñó a dibujar.

R: 当時、叔父は私達と一緒に暮らしていました。当時におけるポルトガルの一般的な家族と言うのは大変大きなもので、私の家族の場合は、祖母、両親、両親の姉妹、結婚していなかった私の父の兄弟(叔父)、そして我々兄弟が一緒に住んでいました。毎日の生活が営まれる舞台は常に大家族が背景だったのです。夕食や昼食の時などは何時も大きな大きなテーブルを皆で囲んでいたものです。そんな大家族だったのですが、それでも何とかやっていけたのは、当時の母親には今日の母親よりも助けの手が沢山差し伸べられていたと言う事が挙げられると思います。家族の中には必ずと言って良いほど、結婚していない叔母などが居て、彼女達は何時如何なる時も互いに助け合っていたからです。ちなみに私の家族は2人のお手伝いさんを雇っていたのですが、それは別にお金持ちだったとか特別だったと言う事ではなく、当時支払っていた給料と言うのは本質的には食事だけで、それ以外は払っていなかったという事情があるんですね。当時は何処の家もそんな感じだったのです。近隣住民との関係は大変楽しいものでしたし。この様な環境で私は育ち、そして成長していきました。夕食後、女性達は編み物をし、父は次の日の授業の準備をしていました。そして独り者の叔父、(彼は人生において何をするのか目的が無い人だったのですが)、その彼が私を呼び、机に座らせ、そして絵を描かせたのです。
R: Vivía con nosotros. Las familias eran grandes. En nuestro caso estaba la abuela, mis padres, las hermanas y ese hermano de mi padre, que era soltero, además de nosotros. Los escenarios eran los de una gran familia. Las cenas o las comidas eran siempre en mesa grande. Las madres de entonces tenían más recursos que hoy porque había siempre unas tías solteras que ayudaban en todo. Teníamos también dos empleadas, porque por aquella época se pagaban prácticamente con la comida y nada más. La vida era así. Las relaciones vecinales eran muy distraídas, pero limitadas también. Ese fue el ambiente en el que crecí. Y después de cenar, cuando las mujeres se ponían a hacer punto y mi padre preparaba sus clases…, ese tío soltero que vivía con nosotros y que era un negado absoluto no sé por qué me sentaba a dibujar.

Q: お父様はエンジニアだと思っていました。
Q: Creía que su padre era ingeniero.

R: 以前はそうでした。日中は砂糖工場で働き、夜は電気技師の学校で教えていたのです。給料は安く、そして家族は大きかったからです。
R: Lo era. De día trabajaba en una fábrica de azúcar, pero por la tarde-noche daba clases en una escuela de electricistas. Los salarios eran bajos y la familia grande.

Q: ご兄弟も絵を描いていたのでしょうか?
Q: ¿Sus hermanos también dibujaban?

R: 叔父は夕食が終わった後、テーブルクロスを剥ぎ取り、そこに座りました。正確に言うと、叔父は私に絵を書く事を教えてくれたのではなく、私に書く事を勧めていただけだったのです。私は5人兄弟だったのですが・・・一番上の兄は医学を学んでいました。スポーツマンで、バスケットをやっていたのですが、事故に合い、死んでしまいました。医学部を卒業した正にその直後の事だったのですが、彼の死が私の家族にどれ程の衝撃を齎したかについては言うまでもありません。私は上から2番目で、下の弟はエンジニアです。他の2人は妹達で、一人は修道士、もう一人は哲学を勉強しました。
R: Mi tío se sentaba a la mesa en cuanto se terminaba la cena y quitaban el mantel. No me enseñó a dibujar. Pero me animó a hacerlo. Mis cinco hermanos… el mayor se diplomó en Medicina. Era deportista, jugaba al baloncesto, y luego, en un estúpido accidente, murió. Justo había terminado Medicina, y, claro, eso marcó mucho a mi familia. El que va detrás de mí es ingeniero. Y luego van mis hermanas, la que es monja y la que estudió filosofía.

Q: 信仰心の強いご家族だったのでしょうか?
Q: ¿Fue una familia religiosa la suya?

R: その当時は全ての家族が信仰心の強い家族だったのです(笑)・・・しかし実質的な担い手は女性達でした。特に結婚してない女性達。男達と言えば・・・日曜日に女性達に付き添って教会に行っていたくらいです。しかし宣教師の説教の時間になると、男達は皆、外へ出てタバコを吸っていましたけどね。
R: En aquellos tiempos todos éramos religiosos… [se ríe] pero la versión practicante eran las mujeres. Sobre todo las tías solteras. Los hombres… el domingo, para acompañar a la mujer. Pero durante la homilía salían a fumar un cigarro…

Q: 慣習的にミサに行かれていたのですか?
Q: ¿Iban a misa como un ritual?

R: もしミサに行かなかったら、それこそ一大スキャンダルとなる様な時代でした。子供達も行っていましたし、私の年代では15歳まではミサには行っていましたね。15歳を過ぎると、付き添いを外で待っていたり、タバコを吸い始めたりして、そして次第に行かなくなるというのが一般的だったと思います。
R: Hubiera sido un escándalo no ir a misa. Los niños también íbamos. En mi generación fuimos hasta los 15 años. Luego empezamos también a esperar fuera, fumando el cigarrillo, y ahí acababa la cosa.
 


Q: オペラ歌手になりたかったというのは本当でしょうか?
Q: ¿Es cierto que quiso ser cantante de ópera?

R: 誇張し過ぎです。子供達は皆、消防士になりたいと言いますよね。あれと同じですよ・・・。私の父はオペラが大好きでした。好きなだけでなく、歌を習ったり、クリスマスのパーティーの時などには、叔母の一人(ピアノの教師であり、家でピアノ教室を開いていました)がピアノを弾き、そして父がアリア(オペラの独奏)などを歌ったりしたものです。
R: Es una exageración. Sabe que de niños queremos ser bomberos… A mi padre le gustaba mucho la ópera. Incluso estudió canto y durante las fiestas de Navidad, una de las tías –que era profesora de piano y daba lecciones en casa- tocaba el piano. Y con ella mi padre cantaba un aria.

Q: お上手だったのでしょうか?
Q: ¿Lo hacía bien?

R: とても上手かったと思います。父の様に歌いたかったので、最初は彼と一緒に歌い始めました。その後オペラを歌っている事を建築学校でよくからかわれたものです。何でかって、当時オペラと言うのは何かしら冗談の様に捉えられていた時代だったので・・・。知的に正しい音楽と言えばクラッシクだったからなんですね。その後何年かして、オペラをからかっていた友人達が、急にオペラを民主主義の芸術として評価し始めたのにはチョット驚きました。物事と人の評価と言うものは、その時の状況に非常に左右され易いものなのです。
R: Muy bien. Yo empecé a cantar con él porque me gustaba cómo lo hacía. Luego, en la escuela de arquitectura me ridiculizaron, porque la ópera era algo bufo y lo intelectualmente correcto era la música clásica. Pero años después, los mismos amigos pasaron a valorarla como un arte democrático. Las cosas y las opiniones están sujetas a los momentos.

Q: あなたの家族構成には建築家に成る様な要素はさっぱり見当たらないのですが、何故建築家になろうと思ったのですか?
Q: En medio de esa familia, ¿por qué decidió ser arquitecto?

R: バカンスで時々スペインに行っていた事が非常に大きな影響を及ぼしたと思います。私の父はスペインが大好きでした。そして大変重要な事に、当時はエスクード(ポルトガルの通貨)はペセタ(スペインの通貨)の2倍の価値があったのです。だから最も経済的なバカンスの過ごし方というのはスペインに行く事だったのです。私の父は運転はしなかったのですが、車を借りて毎年違う地方を訪れたものです。
R: Porque durante algunos años pasamos las vacaciones en España. A mi padre le gustaba mucho y, no menos importante, un escudo valía dos pesetas. Así, la forma más económica de asegurarse unas vacaciones era venir a España. Mi padre, que nunca condujo, alquilaba un coche y cada año visitábamos una región.

Q: 幼少の頃は毎年そうされていたのでしょうか?
Q: ¿Toda su infancia?

R: スペインが経済成長を始め、スペインでバカンスを過ごす事が経済的でなくなるまではね。父は我々を美術館に連れて行くのが好きでした。とても教養のある人で、古典ポルトガル文学全集を持っていたいました。それに飽き足らず、自分の新聞を創ってしまった程です。新聞の名前はPelicanoと言い、Matosinhos(シザの実家がある都市)で起こった日々の出来事などを主に扱っていました。父が編集長を務め、3人の友達が新聞を刷ったり売ったりしていました。父は全ての事に関心を示す人でしたが、建築にはそれ程関心を持って無かった様に思います。
R: Hasta que España empezó a desarrollarse y ya no pudimos continuar. A mi padre le gustaba llevarnos a los museos. Era culto. Tenía libros de todos los clásicos portugueses. Llegó a tener incluso un periódico, El Pelícano, que informaba sobre la vida en Matosinhos. Él lo dirigía y tres amigos más lo producían y lo vendían. Mi padre fue un tipo interesado por todo, pero tal vez no tanto por la arquitectura.

Q: それから?
Q: ¿Entonces?

R: スペイン各地の都市を訪問した際、どの都市を訪れても最初に父が見ようとしたのは市場でした。「市場の雰囲気は、その都市のトーンを教えてくれる」だからだそうです。当時、私は彫刻を学ぼうと決心していたのですが、そんな時、父は当時の彫刻家が社会的にどう見られているか、そのイメージを話してくれた事がありました:「未来が無い職業だ」と。私の父はとてもチャーミングな人だったのです。そんな父に反対する事はしたくなかったので、平和的な解決をしようと密かに計画したのです。最初は美術学部に入学して、その後、ドサクサに紛れて彫刻の道に戻ると言うのが、当時の私の立てた戦略だったのです。しかしですね、ここで思いもかけない事が起こってしまったんですね。と言うのも、当時の建築学部は大変面白い時期に突入していて、根本的な革新の真っ只中だったのです。
R: Yo le cuento. Cuento visitábamos las ciudades, lo primero que quería ver era el mercado. Decía que la vida del mercado daba el tono a la ciudad. De modo que cuando pensé dedicarme a la escultura, mi padre me habló de la imagen que entonces había de lo que era un escultor: alguien sin futuro. Sucedía que mi padre era una persona encantadora. Así que no era cuestión de hacer la revolución y matar al padre. De modo que decidí hacer las cosas de una forma pacífica. Entré en Bellas Artes con la idea de regresar a la escultura. Solo que el momento en la escuela de arquitectura era muy interesante: un tiempo de profunda renovación.

Q: 何故何時もソーシャルハウジングに関心を持たれているのでしょうか?
Q: ¿Por qué siempre le ha preocupado hacer vivienda social?



R: 1974年の4月にポルトガルで革命が起こり、それが人々の生活に深い影響を齎した事は周知の事実です。建築学部は独裁政権に批判的な態度をとっていました。1968年のパリ革命の前、1962年にはポルトガルにおいてアカデミズムの危機が起こり、沢山の教師達が監獄送りとなりました。そんな折、建築学部はポルト市の中心部に位置していた貧困エリアと大変深い関わりを持っていました。それらは労働者達の住居であり、ブルジョア階級の豪邸の間に位置する庭先に建っていて、孤島(isla)と呼ばれていました。それらは本当に小さく、そして大変状態の悪いものだったのですが、19世紀の終わりにはポルト市の全住人の内、何と50%もの人達がその様な孤島に住んでいたのです。
R: Sucedió en abril de 1974 [la revolución de los claveles], y eso afecta a los intereses de las personas. La escuela de arquitectura era abiertamente crítica con el régimen. Ya en 1962, antes del Mayo del 68, hubo una crisis académica en las universidades y muchos profesores fueron encarcelados. La escuela tenía mucha relación con los barrios pobre del centro de Oporto que la rodeaban. Eran viviendas obreras, levantadas en los jardines burgueses formando filas que se llamaban islas. Eran muy pequeñas, malísimas, pero, al final del siglo XIX, el 50% de la población de Oporto vivía en esas islas.

Q: それはブルジョア階級と労働者階級を一緒に住まわせる為の方策だったのでしょうか?
Q: ¿Era una manera de forzar la convivencia?

R: 違います。それは名前が示す通り、周りからはあらゆる意味で断絶していたのです。そういう意味において、「孤島」と言う名前は非常に良く考えられた、ぴったりの名前だと思います。それらの孤島は革命の前に既に取り壊しが決まっていたのですが、と言うのも状態が非常に悪く、居住条件を十分に満たすものでは無かったからなんですね。しかし、それらの取り壊しが都市の中心に居座っている危険因子達を立ち退かせる為のちょっとした小細工に変換されてしまった所から全ては始まりました。当局などによって、彼らを郊外や辺境、もしくは断絶された地区へと立ち退かせる為のアイデアが探索され始めたのです。それらの事が中心地区のコミュニティを破壊してしまったのです。孤島では労働者の家族に大変厳しい規律(例えば猫を飼ってはいけないとか)が与えられ、何時も覆面警察の監視下に置かれていました。それら全ての事が暴動の引き金となったのです。その様な状況下において、建築学部の学生達が、それら労働者の人達と一緒に仕事を始めました。その事が彼ら(建築学生達)が社会学に興味を持ち始めたキッカケであり、その事件を元に1970年代には社会学はポルトガルにおいて一つの授業へと発展していったのです。それが意味する所はつまり、その何年か後に革命が起こった時、労働者達の計画を推し進める為の種は既に蒔かれていたという事なのです。
R: No. El nombre isla está bien puesto. Ya antes de la revolución se había decidido erradicarlas porque no cumplían condiciones de habitabilidad. Pero eso se convirtió en una hábil operación para retirar a esas masa “peligrosas” del centro de la ciudad. Buscaban llevarlas a la periferia, a barrios separados. Eso destruyó las comunidades del centro. En las islas, las familias obreras tenían un régimen habitacional muy duro. No podían tener gastos, por ejemplo. Tenían siempre a la policía política infiltrada, y todo eso creo una enorme revuelta. De modo que los estudiantes de arquitectura empezaron a trabajar con esa gente. Era el momento del interés por la sociología, que pasó a ser una disciplina universitaria en los años sesenta. Los estudiantes ayudaron y ciando llegó la revolución de los claveles, el terreno estaba abonado.

Q: 学生達によって蒔かれたそれらの種を元にして、住宅局の局長だったヌーノ・ポルタスがそれらの変化の準備をしたのですね。
Q: Tas la revolución, el secretario de Estado de Vivienda, Nuno Portas, organizó los cambios a partir de la semilla de los estudiantes.

R: その政策は「地元援助サービス」と呼ばれ、建築家、法律家、そしてエンジニアなどが参加していました。そのアイデアの発端となったのは、建築家達と言うよりも、寧ろ学生達だったのです。しかしながら、政治的な思惑から、その計画の実行はそれほど簡単ではなかったのです。労働者達を偏狭に追いやり、土地の値段を上げる投機目的の土地の買占め計画が政府により進められていました。
R: Se llamaba Servicio de Apoyo Local y eran brigadas de arquitectos, juristas e ingenieros. El origen estuvo más en las manos de los estudiantes que en las de los arquitectos. Y no fue fácil porque había muchos intereses. La expropiación del suelo del centro había sido organizada para enviar a los obreros a la periferia y para especular con el suelo.

Q: あなたはそれら学生の一員だったのでしょうか?
Q: ¿Usted era uno de esos estudiantes?

R: いいえ、私はその時、既に大学で教鞭をとる身でした。教え子の一人にはエドゥワルド・ソウト・デ・モウラがいました。ある時、彼を含む何人かの学生が、彼らの立ち上げた計画にサインする為の建築家を探していて、私の元を尋ねてきたのです。素晴らしい計画で、非常に興奮したのを今でも覚えています。その計画が発表されて以来、元からあるコミュニティを維持するという考えはポルトガル全土に広がる事になります。ここからポルトガルの建築が他国に知られる様になっていったのです。
R: No. Yo ya era profesor y algunos alumnos, como Eduardo Souto de Moura, me vinieron a buscar porque necesitaban un arquitecto para firmar y dirigir el equipo. El proyecto me entusiasmó. Luego, la idea de mantener las comunidades se extendió por todo el país. A partir de ahí se conoció en otros países la arquitectura portuguesa.



Q: 今年のプリツカー受賞者であるソウト・デ・モウラ氏は5年間あなたの事務所で働いていました。そしてあなたは、彼に活を入れる為に事務所を追い出しましたね(エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ氏についてはコチラ:地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢、地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラのインタビュー記事
Q: El último Pritzker, Souto de Moura, trabajó con usted cinco años, hasta que lo echó para que espabilara.

R: 彼には彼自身の人生が必要だったのです。その上、当時の私の事務所には給料を十分に払う事が出来るだけの仕事が無かったのです。何故仕事が無かったか?と言うと、1974年から1976年の間の行われたそれら孤島の計画に参加した建築家達は、投機目的の計画を推し進めたかった人々(土地所有者、不動産業者、そして技術者)の目の敵にされた為、建築家としてのキャリアに傷が付けられ、ポルトガルの建築市場からは殆ど村八分状態にされてしまったからなんです。だからエドゥアルドは出て行ったのです。と言うか、私が追い出したのです。当時は若い建築家が独立する為の仕事が十分にあったと言う事も、彼を追い出そうと思った事を後押ししました。
R: Necesitaba su propia vida. Además, yo no tenía trabajo como para pagarle bien porque la gente que participó en ese programa de las islas entre 1974 y 1976 quedó marcada, absolutamente marginada, por quienes habían salido perjudicados en su ambición por hacer negocios especulativos: propietarios, inmobiliarias y técnicos. Así que Souto se fue. Había trabajo. Pero a nosotros nos habían sacado del mapa.

Q: その後、ポルトガルではなく他の国々があなたを招き始めました。
Q: Luego le invitaron a trabajar en otros países.



R: スペインとドイツ、そしてオランダで住民参加型のソーシャルハウジングの仕事をしました。そこに住む住民にとって必要なものと、彼らの人生を表象する様なデザイン、そんなアイデアを伴った住宅を依頼されたのです。世間は私の事を何時の間にか社会参加のスペシャリストと見るようになっていました。ハッキリ言ってそれほど不快な事はありませんでしたけどね。
R: En España, en Alemania, en Holanda hice vivienda social participada. Siempre me pedían casas en las el usuario da ideas para el diseño explicando su vida y sus necesidades. Quedé marcado como especialista en participación social, una cosa repugnante.

Q: 不快だったのですか?
Q: ¿Repugnante?

R: ハイ、何故なら「参加のスペシャリスト」とは一体何を意味するのでしょうか?私には皆目検討も付かないのですが・・・。
R: Sí, porque, ¿qué es eso de especialista en participación?

Q: とても英雄的な事の様に思えますけど・・・?例えばオスカー・ニー・マイヤーの様な建築家はソーシャルハウジングの仕事をしていません。彼はコミュニスタなので、ソーシャルハウジングを手掛けなければいけないはずですが・・・。
Q: Parece heroico. Arquitectos como Oscar Niemeyer no hicieron nunca vivienda social. Y eso siendo comunista…

R: そうですね、彼はソーシャル・ハウジングを手掛けていません。しかしですね、都市のデザインと言うのは近代化だけでなく、民主化も控えてなければならないと思うのです。そしてそれこそ社会な事だと思うんですね。都市を構成している多数の細胞の内の一つでしかないソーシャルハウジングを手掛ける事は必ずしも必要では無いのです。「変化」と言うのは都市の建設と共に訪れます。当時は本当に沢山のソーシャルハウジングの仕事が舞い込んできたのですが、ソーシャルハウジングの専門化にはなりたくなかったので、他のビルディングタイプのコンペに沢山応募しなければなりませんでした。他のプログラムを持った建築や違う規模の建物を手掛けたかったし、そうする必要性があったからです。
R: Sí, pero yo creo que es social una ciudad que tiene detrás un programa no solo de modernización, sino también de democratización. No es necesario hacer siempre la vivienda que es solo una célula. Los cambios llegan con la construcción de la ciudad. Tuve que hacer concursos porque no quería ser un especialista en vivienda social. Tenía necesidad de experimentar otros programas, otra escala.

Q: Matosinhosはあなたの生まれ育った街であり、ポルトの一地区といっても良いですよね?
Q: Matosinhos, la ciudad donde creció, es casi un barrio de Oporto.



R: ポルトは現在100万人規模の都市となり、周辺に位置する都市はポルトと共に大都市圏を創り出しています。Matosinhosを発展させたのは建築と漁業でした。何故ならポルト市内を流れる河川の漁港はMatosinhosに造られた人工的な漁港に移されたからです。だから第二次世界大戦中には、前線にいる(東西の区別無く全ての)兵士達に送る為の缶詰工場で大変繁栄したのです。何故敵対している両国に支援を送る事が出来たかと言うと、大戦中、ポルトガルはスイスと同様に中立的な立場をとっていたからなんですね。その後それら同じ漁業の事業者達が、タングステンを採掘し始めました。これらの資源がMatosinhosを豊かにしたのです。
R: Oporto tiene un millón de habitantes y las ciudades se han ido añadiendo formando un continuo urbano. Lo que desarrolló Matosinhos fue la arquitectura y la pesca, porque el puerto fluvial de Oporto se trasladó a un nuevo puerto pesquero artificial allí. Así, durante la II Guerra Mundial, se enriqueció mucho con fábricas de conservas que enviaban latas hacia los dos frentes, porque Portugal se mantuvo neutral, como Suiza. Luego, esos mismos empresarios de la pesca empezaron a explotar el wolframio. Con eso se hicieron las grandes fortunas allí.



Q: それら蓄えられた富を一体どの様に浪費してしまったのでしょうか?
Q: ¿Y cómo las gastaron?

R: それらの財産は大変短い間に蓄えられたのですが、その財産を創り出した時間よりもよっぽど早く消費してしまったのです。その富のおかげでMatosinhosは大変成長し、人口は増え、イワシに関しては世界一の水揚げ量を誇っていた程だったのですが、その後、モロッコと言う強力なライバルが現れ衰退期が訪れる事となります。今では缶詰工場は一つしか残ってはいませんが、当時は一つの街路が全て工場で埋まる程繁栄していました。
R: Las hicieron en poco tiempo y las gastaron en menos. La ciudad creció mucho. Aumentó la población y el puerto se convirtió en el primero en pesca de sardina hasta que comenzó la decadencia por la competencia con Marruecos. Hoy solo queda una fábrica de conservas, pero había una calle entera…

Q: ノスタルジーを感じていらっしゃるのでしょうか?それとも、それらの変化を憂いていらっしゃるのでしょうか?
Q: ¿Siente nostalgia? ¿Le preocupan los cambios?

R: 我々は近代化を信じてきたのですが、その近代化は車とバスに空間を譲る為に、路面電車をゴミ箱に捨てるという選択肢を選んでしまいました。それは明らかに間違いだったと思います。今、路面電車は少しずつですが復活してきています。今日において路面電車はクリーンな交通手段、自家用車に代わるオルタナティブな交通手段として見直されているからです。
R: Sí. Nos creímos modernos porque tiramos el tranvía a la basura para dejar pasar a coches y autobuses. Fue un error. El tranvía regresó tímidamente. Pero hoy es una alternativa limpia.

Q: あなたが子供だった頃の「都市と人間の関係」と、あなたの子供達が体験した都市との関係、どちらがより良い関係だと思われますか?
Q: ¿Su relación con la ciudad era mejor cuando era niño que la han tenido luego sus hijos?

R: 幾つかの側面においては、我々は何かしらを失ってしまったと思います。その一方で、現在の我々は昔に比べ遥かに良い生活をおくっているとも言えるのではないでしょうか。現代都市のサービスやインフラは比べ物にならないほど発達しましたからね。一つ例を挙げるなら、ヨーロッパの学生の為に創られたエラスムスと言う交換留学制度が挙げられるかと思います。あのプログラムは欧州委員会が欧州市民の為に実現した数少ない有益なサービスだと思います(地中海ブログ:ちょっと気になる広告:エラスムス(ヨーロッパの大学間交換留学プログラム:The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)の実態???)。
R: En ciertos aspectos hemos perdido. En otros, vivimos mejor. Hay más equipamientos. Para los estudiantes existe ese programa Erasmus, que es de las pocas cosas buenas que hizo la Comunidad Europea.

Q: 欧州に対して批判的なのでしょうか?
Q: ¿Es crítico con Europa?

R: 難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われます。今日においては近隣や街路を通した人と人との関係性というのは失われてしまいました。今、近隣関係は移行期にあり、我々は閉じられた建物の中に、まるで地域に背を向けるかの様に住むようになってしまったのです。それら個別的で都市に背を向けている住居郡は、まるでイナゴの大発生が田畑を壊滅させるのと同じ様に、都市、人間、そして我々の子供達をも駄目にしているのです。そんな状況が続いている限り、未だ都市の希望について話す事は出来ません。
R: El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles. Hoy, las relaciones de vecindad y de la calle se han perdido. Están en fase de transición y vivimos de manera primaria, en condominios cerrados al barrio que son una plaga para las ciudades, para las personas y para los niños también. Por eso no es posible todavía hablar con esperanza de las ciudades.

Q: あなたのご子息であるAlvaroさんも建築家ですよね。一緒にお仕事はされないのでしょうか?
Q: Su hijo Álvaro es arquitecto. ¿No trabaja con usted?

R: 息子は独立してやりたいんだそうです。分かりますよ、その気持ち。もしあなたが有名な建築家の息子だったら、多かれ少なかれ何かしらの問題に纏わり付かれると思います。彼は才能に恵まれた建築家だと思うのですが、今日的な社会経済状況はそう簡単に仕事を獲得させてはくれないようです。だから時々こう言いたくなるのです:「一緒にやらないか」と。しかし彼はそうしたくないのです。Alvaroはいくつかの計画に非常に満足し、ロシアで2つの賞を獲得しました。
R: Quiso ser independiente. Y lo entendí. Si eres hijo de un arquitecto conocido, con razón o sin razón, tienes problemas. Tiene talento y hoy es difícil acceder a trabajos. Así que a veces me gustaría decirle: “vente”. Pero no quiere. Aun así, ha quedado contento con algunos proyectos y le dieron dos premios en Rusia.

Q: 1973年に奥様を亡くされましたね。建築に従事されていたのは、彼女を忘れる為だったのでしょうか?
Q: Usted perdió a su mujer, Maria Antónia Marinho Leite, en 1973. ¿La dedicación a la arquitectura ha sido un refugio?

R: 違うと思います。彼女の死が私にとって大変大きなトラウマとなった事は事実であり、その事が時に私の集中力を極限まで高めたのかもしれませんが・・・分かりません。分析したくは無いですね。妻が死んだ時、子供達は未だ幼くて、母親が付き添っていなければならない時期だったのですが、多分私は十分に彼らの世話が出来なかったのでは?と思っています。子供達は何時も私と共に生活していましたけどね。
R: No lo creo. Pero claro que fue un trauma muy grande y tal vez eso me empujara hacia una mayor concentración. No sé. Prefiero no analizarlo. Mis hijos eran pequeños cuando mi mujer murió y es posible que no los haya acompañado con la intensidad que sería necesaria. Pero estuvieron viviendo siempre conmigo.

Q: どうやって育てられたのでしょうか?
Q: ¿Cómo hizo para criarlos?

R: 祖母達のサポートがありました。
R: Tenía ayuda de las abuelas.

Q: 大家族のメリットですね。
Q: Otra vez la familia grande.

R: そうですね。しかし、昔とは事情が随分違っていました。祖父母達は子供達とは年代的に相当な隔たりがあり、彼らは彼らの人生を生きてきたので、彼らの自身の経験を、年代も育ってきた環境も全く違う若い子供達に当て嵌める事は出来なかったのです。しかし本当に良く助けてくれました。仕事で外に出て行かなくてはならない時など、祖父母達が代わる代わる面倒を見てくれたのです。しかし、子供達の教育と、彼らと一緒に居る事が出来た時間などに関しては本当に悪い事をしたなと何時も思っています。違うやり方もあった事はあったのですが・・・それは難しい選択でした。
R: Sí, pero no es lo mismo que en otras épocas porque, en determinado momento, los abuelos tienen una experiencia de vida que ya no puede ser traducida a otra generación. Pero ayudaron mucho. Si me tenía que ir fuera, los niños se quedaban con una u otra abuela. Pero, claro, yo tengo la sensación de que no me desempeñé bien respecto a su educación y su compañía. Que otra opción hubiera podido ser mejor, pero… era difícil.

Q: 多分、どんな親でも子供の前では「もっと良く出来たかもしれない」という後悔の念に近い感覚を持つのではないのでしょうか?
Q: Tal vez uno siempre tiene esa sensación ante los hijos, la de no haber hecho lo suficiente.

R: そうかもしれませんね・・・。ところで、絵を描く事は人生を通して何時も私を虜にしてきたのですが、その一方で、絵を描く事にそれ程従事してきた訳ではありません。何故かと言うと、妻が非常に絵が巧かったからなんです。彼女は稀に見る描き手で、彼女の前で絵を描く事など無駄な事にさえ思えたほどだったのです。若くして死んでしまったので、その技術を成熟させる事は出来なかったのですが、彼女は幾つかの素晴らしい作品を残していってくれました。当時、彼女が好んで描いていたのはフィギュラティブ・アートでした。しかもフィギュラティブ・アートが危機に陥ってる時代に、それを描いていたのです。彼女の類まれな才能に何人かの教授は気が付いていたのですが、大学内でさえ、彼女はサポートを得る事が出来なかったのです。理由は簡単で、当時においてフィギュラティブ・アートは流行ではなかったからなんですね。彼女は何時も時代の流れに逆らうような所があり、芸術においてもその姿勢を崩す事はありませんでした。だから彼女の偉大なる才能は、彼女の死後だいぶ経ってからフィギュラティブ・アートの時代が来るまで知られる事は無かったのです。
R: Sí, sí. Voy a intentar fumar ahora –dice disculpándose-. Creo que yo dejé un poco abandonado el dibujo, que siempre me apasionó, porque mi mujer dibujaba tan bien… Era una dibujante extraordinaria y pensé que era inútil ponerse a dibujar a su lado. Por edad, no tuvo tiempo de madurar en el aspecto de la pintura. Tiene algunas magníficas, pero poquísimas. Tiene sobre todo dibujo figurativo, y realizado en una época en la que lo figurativo estaba en crisis. Incluso dentro de la escuela, donde era reconocida por los maestros por su talento, no fue muy apoyada. Ella siempre iba a contracorriente y también en el arte actuó contracorriente. Por eso su gran talento no fue reconocido hasta años más tarde, póstumamente, cuando regresó el movimiento figurativo.

Q: 今もお一人なのですか?
Q: ¿Sigue siendo viudo?

R: はい。再婚しなかった事は間違いだったのかもしれません。きっと子供達にとっても新しい母親が来た方が良かった事だろうと思いますし。まあ、でも再婚なんかしたら、最悪の事態になっていたかもしれませんしね(笑)。一人身でいる事はとても辛い体験でした。
R: Sí. Probablemente fue un error. Tal vez para la ecuación de los hijos hubiera sido mejor no serlo. Pero también podría haber sido peor [se ríe]. Fue una experiencia muy dolorosa.

Q: 中国やドバイで仕事をされようとしませんよね。政治的な理由なのでしょうか?
Q: No ha querido construir en China ni en Dubai. ¿Razones políticas?

R: 違います。建築家と言うのは何時如何なる時でも、自身の政治的信念からはある程度の距離を保ち活動する必要があります。だから質問に対する答えはノーです。中国やドバイで仕事をしない理由は、条件があまり魅力的ではなかったからなのです。
R: No. Casi siempre, un arquitecto necesita tener en su actividad un distanciamiento de sus opciones políticas, con límites, para poder ejercer su actividad. No fue por eso. Las condiciones no eran atractivas.

Q: マドリッドの人々の間では、Prado-Recoletosの計画や、Congresoの前に創られた広場に関して「かなり硬い」と評判です。どうしてあんなにも沢山のコンクリートを使われたのでしょうか?
Q: Entre los madrileños, sus proyectos como el eje Prado-Recoletos o la finalizada plaza frente al Congreso tienen la fama de duros. ¿Por qué tanto hormigón?

R: 建築家が都市に介入する際、何時も何かしらの部分が不完全なものとして残されます。その部分はどんな建築家でも完成させる事が出来る類のものではなく、時間だけが完成させる事が出来るものなのです。「時」とは偉大なる建築家でもあるのです。新しい計画がよく組織された構造を持つ時にのみ、過去の都市が保持している複雑さの中において、新しい計画は未来の介入を吸収する事が出来るのです。反対に、一つの計画が完全にそこで終わっているように見える時なんかは大抵の場合、悪い計画になっていると思います。時間を計算に入れない建築家は何時も敗北するんですよ。
R: Cuando uno interviene en la ciudad siempre queda inacabado porque hay algo que hace el tiempo que ningún arquitecto puede hacer. El tiempo es un gran arquitecto. Solo si tiene una buena estructura organizativa, el proyecto nuevo podrá absorber las futuras intervenciones, en la complejidad que tienen las ciudades antiguas. En cambio, si un proyecto, de entrada, parece muy acabado, normalmente está mal. Quien no cuenta con el tiempo se pierde.

Q: ブラジルのポルト・アレグレに完成された新しい美術館は禁欲的で謙虚な佇まいをしています。しかし同時に、官能的で陽気でさえあります。あれを見た時、あなたには何かしら未だ使っていない新しいカードが隠されていたかのように見えたのですが。
Q: El nuevo Museo Iberé Camargo en Porto Alegre (Brasil) es austero, pero, a la vez, sensual y alegre. Parece como si se hubiera guardado una carta por jugar.

R: 別に今までそのカードを隠していたわけではなく、唯単にそのカードを使う場面が無かっただけなのです。そのカードを切った事は、ブラジルにおいて最高の状態で仕事をするコンディションを私に与えてくれました。潤沢な資金を持った大変優秀で人柄が良いプロモーターが、友人であり画家であるIbere Camargoの美術館実行委員会を組織していたのです。これら友人達による委員会は、この画家と残された婦人に対する友情の気持ちから、建築の質に大変高い関心を払っていました。この美術館のパトロンはポルトアレグレの企業家兼エンジニアで、彼はこの美術館の建設現場を組織するのに情熱を注いでいました。ただですね、この仕事は一つだけ問題を抱えていました。それはこの美術館の影響力の強さです。この美術館の後では、どの仕事もその影響を免れる事が出来ないのです。
R: La carta por jugar es porque no había tenido acceso a esa carta. El acceso me lo dio trabajar en Brasil en unas condiciones fantásticas. Un promotor inteligente, bueno, rico y buena persona formó una comisión de amigos del pintor Iberé Camargo. Estaban muy interesados en la calidad del edificio por amistad con el pintor y con la viuda, que todavía vive. El principal mecenas es un industrial de Porto Alegre, un ingeniero muy entusiasta que organizó la construcción. Ese trabajo, para mí, solo tiene un problema, y es que con los que he hecho después me ha quedado su recuerdo.

Q: 最近、韓国に作品を建てられましたね。しかし、エドゥワルド・ソウト・デ・モウラ氏が、「あなたは良く旅をし、そして他国で沢山の建築を建てられているが、あなたの建築はどれもポルトガルのアイデンティティを保持している」と、そうおっしゃっていますが。
Q: Últimamente ha construido también en Corea, pero Souto de Moura dice que aunque usted viaje mucho, sus proyectos son siempre portugueses.

R: 建築家としての教育、つまり何処の国でどんな教育を受けたかと言う事は、その建築家の作品に必ず爪あとを残します。しかし、その建築が建てられる土地との関係性を保持するという、ある種、建築家に課せられた責任を回避したいとは思いません。それは必要な事なのです。何故なら韓国で動いている工事現場の機械や、そこで働いている人々、更には仕事の仕方といった事はドイツやスペインでやられている事とは全く違うからです。ケネディ大統領が以前こんな事を言っていました:「(外国人が)ベルリンに到着し、その都市を取り巻いている雰囲気や、その都市が本質的に持っている力などを目の当たりにした時、その人はベルリンの人になる」。
R: Es natural porque la formación deja sus marcas. Pero no quisiera eludir esa responsabilidad: trato de mantener una relación con el lugar. Es una necesidad. Porque las máquinas y las manos que trabajan en Corea no son las mismas que las que trabajan en Alemania o España. El ambiente también es muy distinto. Como decía Kennedy, uno que llega a Berlín y ve la fuerza que tiene la ciudad, pasa a ser un berlinés.
| インタビュー集 | 05:42 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事
3週間ちょっとのガリシア地方滞在を経て、先週末バルセロナに戻ってきました。ガリシア地方はかなり涼しく過し易かったので、バルセロナに帰ってくるのがちょっと恐ろしかったんだけど、あれ、思った程暑くない(驚)。って言うか、夜なんて毛布が必要なくらいヒンヤリしてるじゃないですか!例年なら7月は猛暑のはずなのに、おかしいなー。

そんな訳でもう既に何時もの生活に戻っているのですが、先週日曜日の新聞に今年のプリツカー賞受賞者、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの結構長いインタビューが載っていました。何たる偶然!というのも、実は今回ガリシア(とポルトガル北部)に行った目的の一つは、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築を見る為だったんですね。と言うのも、「本当に彼の建築はプリツカー賞に値するのか?」と言う事をこの目で見極めたかったからです。



まあ、その辺の是非は次回以降のエントリでゆっくり書く事として、このインタビュー、ある意味ちょっと面白いかも。と言うのも、今年のプリツカー賞授賞式はオバマ大統領が仕切っていたという情報が載っていたり、更にはオバマ大統領、建築大好きで、シカゴに居た時にはミースが設計したビルで働いてたっていう、これ又、あまり知られてない事が載ってたりしたんですね。他にはソウト・デ・モウラがレアル・マドリッドのクリスティアーノ・ロナウドの家を設計する事になったとか何とかって言う、レアルファンには嬉しい情報なんかも交え、時にはシザとの関係なんかも話しつつ、なかなか楽しめるインタビュー記事だと思います。最初は全く訳す気なんか無かったんだけど、まあ、休み明けの肩慣らしって事で訳してみました。得とご覧あれ!

以下の訳文はEl Pais紙(2011年7月24日)に載ったインタビュー記事の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの回答

Q:今年のプリツカー賞授賞式においてはオバマ大統領が式典長を務められていましたが、アメリカ合衆国の大統領が建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞授賞式に参加するというのは一体どういう意味があるのでしょうか?
Q:Obama presidió la ceremonia de la entrega de su Pritzker. ¿Qué signifca que el presidente de EEUU entregue un premio de arquitectura?

R:2つの解釈の仕方がある様に思います。先ず一つ目は彼自身の願望、つまりオバマ大統領自身がこのセレモニーに参加したかったからだという事が一つ。大統領自身が言われていたのですが、どうやら彼は建築家になりたかったそうなのです。建築が大好きらしく、シカゴに居らした時などは、ミース・ファン・デル・ローエのデザインしたビルで働いていたとか何とか。もう一つ考えられるのは、プリツカー一家がオバマ大統領を支援していたという事が挙げられると思います。彼らは民主党支援者で、オバマ大統領を支持していました。
R:Hay dos formas de interpretarlo. Una está en su propio discurso: aseguró que le habría gustado ser arquitecto; que le gustaba la arquitectura, que en Chicago trabajó en un edificio de Mies van der Rohe. La otra es pienso que la familia Pritzker le ayuda mucho. Son demócratas y le apoyan.

Q:オバマ大統領とはどんな会話をしたのですか?
Q:¿De qué habló con él?

R:実は彼とは5分しか一緒にいなかったのですが、とても好意的な方でした。式典でオバマ大統領は演説をされたのですが・・・えっと・・・彼のブレインの誰かが社会的建築の重要性を説いた模範的な演説を用意したと思われるのですが、オバマ大統領はその内容を非常に良く解釈していたと思います。私にとって彼との出会いは、賞を頂くのと同様に大変重要な事柄だったと考えています。彼にもそう伝えました。
R:Solo estuve cinco minutos con él. Pero fue muy agradable. Hizo un discurso…, bueno, alguien hizo un discurso muy cabal sobre la importancia de la arquitectura social. Pero lo interpretó muy bien. Para mí ha sido tan importante el encuentro con él como el premio. Y se lo dije.

Q:他にはどんな事を伝えましたか?
Q:¿Qué le dijo?

R:あなたは大変重要な、責任ある仕事に就いていらっしゃる。そして、この世の中の何かしらを変える事が出来る数少ない政治家の一人であり、多大なる影響力をお持ちであると、そう伝えました。
R:Que él tenía una gran responsabilidad porque era de los pocos políticos que pueden cambiar las cosas. Porque tiene poder e influencia.

Q:彼は何と答えましたか?
Q:¿Qué le respondió?

R:共和党との間の大変複雑な状況をとても懸念している、と。彼がアメリカの負債と、その額を増やす為には憲法改正の余地があるという事、そして共和党が脅しをかけてきていると言う事について話しているのは分かっていました。つまり負債額を増やすなら社会保障の件はチャラにすると・・・。まあ、それはいいとして、彼が授賞式でプリツカー賞を手渡してくれた事は本当に嬉しかったです。先程も言った様に、彼はここ数年間で何かを成し遂げられる数少ない政治家なのだから。そして物凄く気さくな方だという事も分かりました。ご婦人もね。
R:Se le veía preocupado, porque está en una situación muy complicada frente a los republicanos. Sé que está discutiendo el plazo de la deuda americana y para aumentar la deuda hay que cambiar la Constitución, y los republicanos ahora le hacen chantaje: si quieres eso, la sanidad fuera… Bueno, me gustó mucho que me diera él el premio. Es uno de los pocos políticos que en los últimos años han tratado de hacer algo. Y es simpático. La mujer también.

Q:オバマ大統領は演説の中で、あなたのブラガの競技場について触れ、あなたの作品の中では最も重要な作品だろうとおっしゃっていましたね。
Q:En el discurso, Obama habló de su estadio en Braga. Dijo que podría ser su obra más importante.

R:そう、その発言。最高でした。
R:A mi es la que más me gusta.

Q:あなたのお父上はブラガ出身ですね。
Q:Su padre era de Braga.

R:はい。父が小さい頃、サッカーを見に行きたかったそうなのですが、お金が無かった為に何時も競技場の中には入れず、外から見ていたそうなのです。その競技場は私が建てたものとは別のもので、とても美しいファシズムの建築だったのですが、丁度Uの字に開かれた様な形をしていました。そこには丁度、Picotoと呼ばれる丘があり、お金を持っていない大衆階級の人達はその丘に登ってサッカーを見ていたそうです。建築家というのは自分が手掛けたプロジェクトの事をまるで自分の子供の事のように話します。多くの建築家にとっては、それら全ての子供達は平等にかわいく、誰が一番で誰が2番であるとか言うように、順位は付けられないのだと。しかしですね、私は違います。ブラガ競技場の仕事は、私にとって圧倒的に一番熱意を注いだものでした。
R:Sí, y cuando era pequeño e iba a ver el fútbol, era de los que se quedaban fuera. El estadio era otro, muy bonito, un estadio de arquitectura fascista, abierto como una U. En la abertura había una colina, en el monte Picoto, y allí subían los que no podían pagar, la clase popular. Muchas veces los arquitectos hablan de los proyectos como hijos. Dicen que son todos iguales, que no tienen preferidos. Yo no. El estadio de Braga ha sido el proyecto que más me entusiasmó.



Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:何故なら全ての事柄が上手く運んだからです。仕事を頼まれた時期、それが建てられた場所、そしてクライアントも最適でした。無我夢中で働いたものです。工事は全てのデザインが終わる前に始まりました。我々が最初にした事は岩を粉砕した事だったのですが、その為に物凄く優秀な若いエンジニアグループと一緒に仕事をしました。この作品は建築作品である共に、又、エンジニア的な作品でもあるのです。そしてランドアートでもあり、それらは全て綿密な仕事によって成り立っています。20ヘクタールという広大な計画において、製図用のカラス口を使って設計するという事は普通では考えられません。これら全ての事象が合致する様な幸運は二度と訪れる事は無いと思います。
R:Porque todo funcionó: el momento oportuno, el lugar indicado, con el cliente adecuado. Trabajamos día y noche. La obra empezó antes de terminar de diseñar el proyecto. Se trituraba el granito. Trabajé con un grupo de ingenieros jóvenes impecables. Es también una obra de ingeniería. Pero también una obra de land art y un trabajo minucioso. No es normal que en un proyecto de 20 hectáreas se pueda llegar a dibujar con el detalle del tirador. Todo este cúmulo de cosas creo que no va a suceder nunca más.

Q:ブラガには、あなたが一番最初に手掛けたプロジェクトである市場がありますね。
Q:En Braga está también su primer proyecto, un mercado.

R:はい、そのプロジェクトをやっていた時は、未だ学生でした。
R:Era todavía estudiante cuando lo hice.

Q:残念な事にも既に解体されたと聞いていますが。
Q:Y ya lo demolieron.

R:それはちょっと違います。我々はそれを改修し、そして他の機能へと変換したのです。その裏にはこんな逸話があります。アルヴァロ(アルヴァロ・シザの事。以下ソウト・デ・モウラの発言でシザが出て来た時はアルヴァロで統一します)の事務所を辞めた後、私の学生時代にお世話になった都市計画の教授と一緒に働き始めました。市場の計画は彼のプロジェクトだったんですね。しかしですね、彼は私にそのプロジェクトを進める様に言ってくれたのです。それから間もなくして、私はミリタリーサービスへ行く事になったのですが、彼の態度は実に誠実そのものでした。私が進めていたその計画を彼は横取りする様な事はせず、軍隊に通いながらその計画を進める事が出来たのです。それが完成した後、時が経つにつれ天井には歪みが生じてきました。更に悪い事には、その市場がある地区にはスーパーマーケットが所狭しと並ぶ事となったのです。そんな状況から、市場がそこに存在する理由が無くなってしまったのです。
R:No. Lo transformamos. La historia es así. Dejé de trabajar con Álvaro Siza y fui a trabajar con mi profesor de urbanismo. El proyecto del mercado era suyo, pero me dijo que empezara a diseñarlo yo. Y lo dibujé. Luego me fui al servicio militar y él fue muy honesto. No lo continuó, me dejó trabajar desde la mili. Con el tiempo, apareció una deformación en el techo. Y, peor aún, el barrio se llenó de supermercados. Desapareció la razón de ser del mercado.

Q:スペインでは今、前世紀や今世紀初頭に建てられた古い市場が活気を帯びてきています。つまり人々はスーパーよりも古い市場に興味を示し始めているのです。
Q:¿Nos falta paciencia? Ahora en España están volviendo los mercados.

R:ポルトガルでも状況は同じです。しかし私が設計した市場は閉鎖されてしまいました。市場の売り子達は寒さに震え、人々はそこに行かなくなってしまったのです。そうこうしている内に、その場所は麻薬と売春の温床となり、どんどんと荒廃し始めていきました。そんな状況を見かねてか、ブラガ市の市長が「市場を解体したいのですが」と電話をかけてきたのです。その電話を受け取って以来、市場の将来について大変心配していたのですが、というのも、あの作品は私の人生にとって大変大切な作品だったからです。そうこうしている内に、ジャン・ヌーベルがパリのビエンナーレにその市場を展示したいと電話をかけてきました。あのブラガの市場からは本当に沢山の事を学び、そして本当に沢山のものを私に与えてくれたので、その時には、何かしらのお返しをしなければと考えるようになっていたのです。だから市長が「その市場に何かしらのプロジェクトがしたいですか?」と訊ねてくれた時、「少し考えたいので一日だけ待ってもらえませんか?」とお願いしたのです。その後市長に、屋根付きの街路、パサージュのようなものを提案する事にしました。こうして市場は2つの街路で結ばれ、人々はその市場の空間を行ったり来たりする様になったと言う訳なのです。そのような使われ方を復活させたかったし、都市における建物を変形したかったのです。歪みが出ていた天井を切り取り、列柱の遺構を伴ったローマ都市のように柱を残しました。今ではそこにはダンスとミュージックの学校が開校しています。その空間は非常に良く機能しているのですが、それは当初私が考えていた使用法とは異なり、人々がその空間をどう使うかを自ら考え、そして適応した結果なのです。
R:Y en Portugal también, pero el mío cerro. Los vendedores pasaban frío y los clientes dejaron de ir. El lugar se degradó con droga y prostitución. Y el alcalde me llamó porque quería demolerlo. Yo me preocupé. Esa obra fue importante en mi vida. Jean Nouvel me llamó para que la expusiera en la Bienal de París. Me había dado mucho y debía hacer algo por ella. Así que cuando el alcalde me pregunto si quería hacer algo, le pedí un día para pensarlo. Luego le propuse hacer una calle cubierta. El mercado conectaba dos calles y la gente lo usaba para pasar de una a otra. Quise recuperar ese uso y transformar el edificio en ciudad. Corté la cubierta que se deformaba y mantuve los pilares como una ciudad romana con restos del peristilo. Luego montaron una escuela de danza y otra de música. Hoy funciona muy bien, por el uso que han sabido darle.

Q:作品を完成させた何年か後にクライアントが再びその作品について意見を求めてくると言うのは普通なのでしょうか?
Q:¿Es eso habitual? ¿Sus clientes le piden opinión años después de que entregue una obra?

R:どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にします。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。
R:Estoy convencido de que cualquier edificio puede tener otra vida. Si hay una gangrena, no siempre es necesario cortar una pierna entera. Se puede cortar un dedo. Creo en la reparación. Me gusta ser realista. Es muy fácil para los arquitectos estar enfadados y sertirse mal con el mundo. La mayoría encuentran siempre motivos de ofensa. Yo soy realista. Creo en la reparación.

Q:それではクライアントとは良好な関係を築かれているのですか?
Q:¿Y tiene buena relación con los clientes?

R:はい、とても良い関係を築いていると思います。何故なら建築は建築家だけでは成立しないからです。クライアントが気に入らない事、もしくは建築家自身が気に入らない事は出来ないのです。もっと言うならば、あなたが信じない様な事やクライアントが理解出来ない様な事は実現出来ないのです。もしそれらを強引にしようものなら結果は散々に終わると思います。だからコミュニケーションを取る事が大変重要となってくるんですね。話をするという事は、お互いを理解するという事なのですから。患者に対して処方すべきだと信じている治療を許さない様な、そんな状況に陥っている医者の事を想像出来ますか?自分がどんな状態なのかをキチンと説明する事、コミュニケーションを取る事は基礎中の基礎なのです。そしてそれは我々建築家とクライアントの関係にも当てはまります。話す事によって片方はもう片方を理解する事が出来るのです。クライアントと建築家の関係と言うのは、カトリックにおける信者と神父との関係に似ているかもしれません。信者は神父に全ての事を包み隠さず話すのですから。何時トイレを使うのか、何処に服をしまうのかなど、建築家はクライアントの殆どの行動が分かっているといっても過言ではないでしょう。そういう意味において、私は建築を構成している単なる半分の要素ではありません。クライアントやプロジェクトとの関係において、私は私自身を深い最深部まで導きいれているのですから。
R:Muy buena. Porque la arquitectura no puede ser una media tinta. No puedes hacer una cosa que no le gusta a tu cliente o que no te gusta a ti. No puedes hacer algo en lo que no crees o algo que tu cliente no entiende. Todo eso sale mal. Por eso es fundamental hablar. Y hablar es conocerse. ¿Se imagina un médico contrariado porque no le dejan hacer lo que él cree que debe hacer? Es fundamental saber explicarse. Nosotros y los clientes. Hablando, uno se entiende. La relación entre cliente y arquitecto es casi como la que se establece con los curas, íntima. Nosotros sabemos casi todo sobre un cliente: cuándo usa el baño, dónde guarda la ropa… No soy una persona de medias tintas. En las relaciones, como en los proyectos, me meto hasta el fondo.

Q:あなたのお父上はブラガの眼科医でしたね。
Q:Su padre era un oftalmólogo de Braga.

R:はい、偶然にも現在ブラガ競技場がある、その目の前で生まれました。
R:Sí, por coincidencia nació justo donde hoy está el estadio.

Q:すごい偶然ですね。
Q:Causalidades….

R:偶然ならもっとありますよ。私の母が子供の頃、肺の病気を患っていたそうなのですが、その療養の為に、ボウロにあるサンタマリア修道院に行っていたそうなのです。あたかもトーマス・マンの「魔の山」と言う小説の様なのですが。何故かと言うと、私の叔父がそこで医者をしていたからなのです。数十年後、私がその修道院をポウサーダ(国の経営する高級ホテル)にしました。工事期間中、母をその現場に連れて行ったのですが、彼女は療養中に過ごした自分の部屋を覚えていました。このような偶然のお話なら数え切れないくらいあります。
R:Hay más. Mi madre de niña tenía los pulmones enfermos y, como en La montaña mágica de Thomas Mann, fue a recuperarse al monasterio de Santa María de Bouro, porque mi tío era médico allí. Muchos años después, yo reconvertí ese monasterio en pousada [el equivalente portugués de los paradores españoles]. Llevé a mi madre durante la obra y ella recordaba la habitación donde había pasado la convalecencia de niña. Hay muchas historias de coincidencias.



Q:伝記的な指紋があなたの作品のガイドをしているという訳ですね。
Q:Una huella biográfica que va guiando sus proyectos.

R:映画創れますよね。
R:Para hacer una película.

Q:あんたのクライアントの一人、世界的に知られている映画監督、Manoel de Oliveiraに相談してみては如何ですか。
Q:A lo mejor puede hablar con Manoel de Oliveira, uno de sus clientes famosos.

R:・・・彼とはそれほど話をしませんでした。そんなに簡単な人ではないのです。彼の息子の為に家を一軒建てたのですが・・・思うのですが、社会的により高い地位にいるという事は、社会的により多くの責任を負っているという事だと思います。だからそういう地位にいる人というのは、時に感情を押し殺し、合理的にそして落ち着いて対処しなければならないと思うのです。それは彼の行動や言動が全て息子の為だったとしてもです。
R:No. No hablo mucho con él. No es una persona fácil. Hice una casa para un hijo suyo, pero yo creo que cuanto más alto estás, más responsabilidades tienes. Por eso hay que tener la cabeza fría. Incluso si entiendo que por un hijo se hace todo.

Q:何がおっしゃりたいのでしょうか?あなたは感情を押し殺す事が無いのでしょうか?
Q:¿Qué quiere decir? Usted no tiene aspecto de tener la cabeza fría.

R:そうですね、何時も感情的になってしまうのですが、常に合理的であるべきだと思っています。以前、友人の子供達の指導教官になった事がありました。ある時、彼らの両親がこう言ってきたのです。息子達がスケッチをする為に毎日早起きをし、毎日ひたすら勉学に励んでいる、と。しかしですね、ハッキリ言ってそんな言動は全く何の役にも立ちません。結果を見なければならないのです。つまり言葉ではなく、何をしたかという結果が大事なのです。私の2人の娘達は建築家です。しかし上の娘が建築を学び始めた時、彼女の成績は現在の入学試験で言う所の9点を取れませんでした。つまり彼女の成績はそれ程良くはなかったのです。その後彼女は自分の選択が間違っていたのでは?と悩み、最終的には建築を辞めたいと言い出したのです。建築計画の先生が好きではないと。結果不合格になりました。私の友達は皆して私を責め立てました。どうしてそうなる前に彼と話をしなかったのか?どうして何もしなかったのか?と。私は娘に不合格になった理由を、「十分に努力しなかったからだ」と言い伝えました。そして彼女は留年してしまったのです。家族が自分と同じ領域で働いているという事は、時にとても複雑な状況を生み出します。私は建築家として娘達にとってとても厳しい父親だと思います。いつも責められていますから。
R:Pero debo tenerla. He sido profesor de hijos de amigos míos y no me basta que ellos me digan que sus hijos madrugan para ponerse a dibujar. Tengo que ver los resultados. Tengo dos hijas arquitectas. Pero cuando la mayor empezó arquitectura no pasó con 9, que lo que hoy piden en el examen de ingreso. Luego ella se sintió mal. Quería dejarlo, No le gustó el profesor de dibujo. Suspendió. Y mis amigos me criticaron por no haber ido a hablar con él, me criticaban porque no había hecho nada. Le dije a mi hija que no se había esforzado lo suficiente. Y ella perdió el año. Tener a la familia en lo tuyo es un tema difícil. Mis hijas son muy duras conmigo. Me critican muchísimo.

Q:奥さんもそんな感じなのですか?
Q:¿Su mujer también?

R:はい、4人ともそんな感じなのです。物凄くダイレクトに批判を浴びせてくるのです。
R:Sí, las cuatro. Son muy directas con sus críticas.

Q:彼らの言っている事は理に適っているとお思いですか?
Q:¿Y tienen razón?

R:あいにく、時々物凄く理に適った事を言っていますね。しかしですね、建築家の子供達は何時も何かしらの問題を抱えているものなのです。彼らはいつも父親の後を追います。そして彼らの多くは建築家として独立する事が出来ず、社会的な圧力の下に生きているのです。勿論その中には同業者としての親の仕事をきちんと見極めながら、自分の仕事をこなす人達もいます。リカルド・ボフィールと働いていたコデルクの息子やアルヴァロの息子、Álvaro Leiteなどがそうだと思います。そして私の娘達も同じです。各々が自分自身の道を模索し、そして己の道を歩むのが私は良い人生ではないかと、そう思うのです。
R:Por desgracia, a veces sí. Pero los hijos de arquitectos tienen siempre problemas. Están los que siguen al padre, que no se sienten seguros y tienen presión social. Y están los que, sin matar al padre, se buscan otra vida. Sí, como el hijo de Coderch, que trabajó con Bofill; el hijo de Siza, que firma Álvaro Leite. Mis hijas también: Luisa Moura, Eduarda Moura. Creo que es mejor que cada uno siga su propio camino.

Q:父親との関係を絶つ事が重要なのでしょうか?
Q:¿Es importante romper con los padres?

R:と言うか、自分自身の道を行く事が重要なのです。
R:Lo es seguir un camino propio.

Q:あなたのお父上は眼科医でした。何故建築の道を選ばれたのですか?
Q:Si su padre era oftalmólogo, ¿por qué decidió estudiar arquitectura?

R:兄の影響だと思います。とても教養のある人です。
R:Por mi hermano, un tipo muy culto.

Q:検察官の?
Q:¿El fiscal?

R:はい、彼は検察官の中でも皆を束ねるボスだったのですが辞めさせられてしまいました。何故かって、誰それ構わず、皆を皆、牢屋へ送っていたからです。そう、スペインで言う所の、有名な検察官、何と言いましたっけ・・・
R:Fue fiscal general, pero lo expulsaron porque metió a todos en prisión. Es como en España el juez…

Q:ガルソンですか?
Q:¿Garzón?

R:そう、ガルソン検事。私の兄は、ブルジョア階級の人物が関わっていた児童買春の、社会的に大変重要な事件を扱っていました。それらを暴く為に調査を開始したのですが、全ての情報は隠されていたり、闇の中に葬り去られていたりしていて、一からそれらを全て掘り起こさなければならなかったのです。彼は哲学を学んでいたのですが、スケッチがとても上手かった。だから美術を勉強したがっていたのですが、数学が好きでは無かった為に最終的には法律を選んだと言う訳なんです。その後私に建築を勉強するように勧めてきたのです。そんな私の選択を見て、父が怒鳴っていたのを今でも覚えています。「美術だと!そんなものとんでもない。全ての美術はコミュニスタだ!」、と。まあ、構わず建築を選びましたけどね。
R:Garzón. Mi hermano llevó un caso enorme de pedofilia con gente muy importante de la alta burguesía implicada. Se lo encontró todo cerrado, pero lo reabrió todo. Estudió filosofía. Dibuja muy bien. Quería hacer bellas artes, pero hizo derecho porque no le gustaban las matemáticas. Luego me aconsejó que estudiara arquitectura. Mi padre puso el grito en el cielo: “No, en bellas artes son todos comunistas…”. Pero lo hice.

Q:彫刻家になりたいが為に美術を始めたというのは本当でしょうか?
Q:¿Es cierto que empezó bellas artes porque quería ser escultor?

R:いいえ、違います。みんな、アルヴァロと勘違いしているのです。多分何処かでお読みになったのだと思うのですがハッキリ言います、それは間違いです。実はその類の記事、私も読んだんですけどね。
R:No. Es que me confunden con Álvaro (Siza). Lo habrá leído, seguro, pero no es verdad. Yo también lo he leído.

Q:あなたの人生の中で重要な影響を及ぼした人物と言えば、やはりアルヴァロ・シザという事になるのでしょうか?
Q:Una persona importante en su vida es el arquitecto Álvaro Siza.

R:はい、計り知れないくらいの影響を受けました。私が学生の頃、ポルト大学は物凄く政治化していました。社会学が幅を利かせていた時代だったのです。ブルジョア階級の豪邸の庭の片隅に労働階級が家を持っているという、そういう酷い住宅状況を変える為に必死になって働いている、正にそんな時代でした。それら労働者の人達の家はislasと呼ばれていました。そんな酷い状況を変える為、私達は近隣住民団体と共に働いていたのです。そんな状況下においてカーネーション革命は勃発したのです。革命後、政府が民主化されるに伴い、建築家のヌーノ・ポルタスが住宅局の書記官になりました。そして彼は、「もしも住宅問題に関して優れたプランや計画があるならば力を貸す」と、そう公表し、広く優れた案を募ったのです。我々は当時最低の質を持った住宅を少しでも誇りを持って住める住宅に変えようと努力していたのですが、そのプロジェクトにサインをする建築家が必要でした。当時の私達は未だ学生だったのですから。こうして最高の建築家を探し出したのですが、当時最高と思われたのがアルヴァロだったのです。こうして彼との繋がりが出来、そのプロジェクトが終わった後も彼の事務所に残る事にしました。その後5年間の間、彼の事務所で働く事になりました。
R:Sí. Mucho. Cuando yo estudié, la escuela de Oporto estaba muy politizada. Eran los años de la sociología. Y trabajábamos para cambiar las infraviviendas que los obreros tenían en los jardines de las viviendas burguesas. Se llamaban islas. Queríamos cambiar las cosas. Trabajábamos con las asociaciones de vecinos. Todo era muy social. Lo extraordinario es que luego estalló la revolución de los claveles. Y cuando Nuno Portas se convirtió en secretario de Estado de Vivienda dijo que quien tuviera un plan y estuviera organizado, él lo apoyaría. Decidimos dignificar esas viviendas. Pero necesitábamos un arquitecto que firmara el proyecto. Éramos estudiantes. Así es que fuimos a buscar al mejor. Y el mejor era Siza. Luego me quedé a trabajar con él cinco años.

Q:彼があなたを放り出すまでですね。
Q:Hasta que le dio una patada y lo echó.

R:そう、そうの通り。ある日彼は私に言いました。「建築家になりたいなら、ここで働き続ける事は出来ないよ。出て行かなくてはならない」。もっともな忠告だったと思います。あそこで働く事はとても居心地が良いものでした。そこから出て行く事は、自分自身に「活」を入れなくてはならなかったのです。アルヴァロと働く事は私にとって大変な喜びであり、素晴らしい体験だと思います。特に人として彼は普通ではありません。当時彼は未亡人で、私は独り者だったので、何度となく食事を共にしたものです。彼はアアルトを擁護し、私はミースを支持したのをよく覚えています。
R:Sí. Un día me dijo: “Si quieres ser arquitecto, no puedes continuar aquí. Tienes que irte”. Y tenía razón. Era cómodo trabajar allí. Pero al salir tuve que espabilarme. Trabajar con Álvaro es maravilloso. Como persona es excepcional. Por entonces él se había quedado viudo y yo era soltero, así que comíamos muchas veces juntos. Él defendía a Alvar Aalto. A mí me gustaba Mies van der Rohe.

Q:今でもその時と同じ様に考えていますか?
Q:¿Hoy sigue pensando lo mismo?

R:そうですね、アアルトには彼のアイデアの有効性、そしてその効力に物凄く印象つけられました。当時はアアルトの事を表現主義者だと思っていたのですが、彼の建築を実際に訪れてみると、彼は物凄い合理主義者だという事が分かります。アアルトは私が最も作品集を購入した建築家でもあります。彼の創り出す近代的で暖かい、そして匿名の家具が大好きです。それに比べると、ミースはもっと急進的だと思います。
R:Bueno… de Aalto me impresiona mucho la vigencia de sus ideas. Entonces creía que era expresionista, pero visitando su trabajo en Finlandia entiendes que era muy racionalista. Es el arquitecto del que compro más libros. Me gustan sus muebles: modernos, cálidos y casi anónimos. Pero creo que Mies era más radical.

Q:そして若いあなたは急進性を好んだ・・・
Q:Y como joven, usted prefería la radicalidad…

R:カーネーション革命の時期だったのです。国をもう一度立ち上げ、そして5千万世帯の住宅を建設しなければならなかったのです。アルヴァ・アールトの様に土地と慣習を模索しながらやる事は、その当時のポルトガルでは最良の選択だとは思えませんでした。時代がそうさせてはくれなかったのですから。ポストモダンの圧力を撥ね退ける為のテクニカルな言語が必要だったのです。実用的で効果的な言語です。沢山の議論を重ねた末、ミースはアアルトよりも我々にとって助けになると、そう思うに至りました。
R:Era el tiempo de la revolución de los claveles. Había que rehacer el país, construir medio millón de viviendas. Tanteando el lugar y las costumbres como Alvar Aalto, no íbamos a poder hacerlo. Necesitábamos un lenguaje técnico para vencer la presión posmodernista. Un idioma práctico y eficaz. Discutíamos mucho. Yo creía que Mies podía ayudar más que Alvar Aalto.

Q:シザのどんな所を素晴らしいと思いますか?
Q:¿Qué admira de Siza?

R:そうですね、私にとっては彼の創り出す建築というよりは、彼自身のパーソナリティ、人間としての倫理、そして知識ですね。彼は我々に何かを成し遂げる為のキッカケ、そして道具を与えてくれるのです。その反面、彼はとても口うるさい人でもあるという事を言わなければならないでしょう。穏やかで、そしてとても優しいのですが全てを理解したがります。何年か前に彼について書いたテクストがあるのですが、その中で彼のパーソナリティについて、「凡人が全て考え終わったと考えたその時こそ、アルヴァロ・シザにとっては全ての始まりになる」と、そう説明しました。
R:Lo que me marcó fue más su figura que su arquitectura: el hombre, su ética y su conocimiento. Él te da los instrumentos para hacer. Pero es extremadamente exigente. Es suave y dulce, pero lo quiere entender todo. Tengo un texto sobre él que escribí hace años. En él explicaba que con Álvaro cuando uno piensa que está todo acabado te lo hace empezar todo de nuevo.

Q:76歳になった今でも彼はポルト・アレグレに創った様な素晴らしい美術館を生み出し続けています。あれは何か新しいものが生まれ出て来る様な、そしてそこに辿り着くかどうか分からない、どこか遠くの地平線の彼方の様な、正にそんな2つの間に生まれ出たかの様な建築だと思います。
Q:Con 76 años, Siza firmó el Museo Iberê Camargo en Porto Alegre, que es una mezcla entre volver a nacer y haber llegado a lo que no sabías que se podía alcanzar.

R:あれは凄いですね。あんなものを見せられたら、コピーするとか、そこから何かを学び取るとか、そんな事はどうでも良い様に思えてくる程です。それほど完璧な創造だと思います。建築を創っている最中、何かしらの問題にブチ当たったり、何かに躓いたりすると、何時もこんな風に考える様にしています。「アルヴァロならどう考えるかな?どんな戦略を練るかな?」と。彼とは未だにプロジェクトを一緒にやる機会があるのですが、最近ではナポリの地下鉄の計画を進めていますね。彼と旅をするのは本当に楽しい。色々な話をし、議論をし、そして一緒に食事をします。私がスケッチを書いていると、こんな事を言うのです。「違う、違う、そうじゃないでしょ」みたいな(笑)。我々は今でも非常に良い関係を保っているのです。
R:Ese edificio es impresionante. Y ante algo así, uno piensa: ¿copiar qué?, ¿estudiar qué? Pero cuando tengo un problema, muchas veces pienso: ¿qué haría Álvaro?, ¿qué estrategia seguiría? Y todavía trabajo con él en algunos temas. Hacemos juntos el metro de Nápoles. Y es un placer viajar con él. Contamos historias, discutimos, vamos a cenar… Trabajamos bien. Yo dibujo y él me dice no, no, no… [Risas]. Es una relación muy bonita.

Q:シザの後継者にはなりたくなかったのですか?もしくは彼がそうさせなかったとか?
Q:¿Usted no quiso ser su discípulo o él no le dejó?

R:それは不可能でした。彼の頭の中に入り込むのは無理だったのです。彼の扱う建築的言語やテクニック、彼の使う建築的文法などは良く理解しているつもりです。しかし彼の様に考える事は出来ないのです。何故なら私の頭の中には私自身のアイデアがあり、それはアルヴァロのそれとは違うものなので。彼はこんな事を言います。「エドゥワルド、君の建築は、そう、君の好きなミースの様な新造形主義だね」と。私は何も彼に示す必要はないし、彼も私に対して何も強要はしません。こういう関係は私達にとって非常に心地良く、それが我々の関係を良好なものにしているのかもしれません。彼と一緒に働く事は私にとってはチェスをやるようなものなのです。私の家で一緒にスケッチをしたりもします。しかしもう一度強調したいのですが、彼のパーソナリティは建築家というものを遥かに超えた、非常に強いものだと思います。彼のアイデンティティを理解する事、そして彼の持っている倫理を理解する事は、ひいては彼の創り出す執着的な建築を理解する事に繋がるという意味において非常に重要な事なのです。例えば彼がボア・ノヴァのレストランをデザインしている時だったと思うのですが、何と彼はそのレストランが建つ敷地にある石の上に寝ていたんですね。そしてそれら全ての石の位置や形状を記憶していたのです。アルヴァロという人はそれくらい執着心が強い人なのですが、彼の娘も又、かなりの執着心持ち主だと思います。
R:No era posible. No lograría meterme en su cabeza. Conozco muy bien el lenguaje, la parte técnica. Conozco muy bien su gramática. Pero no podría pensar como él. Tengo otras ideas. Él dice que soy neoplástico, como el Mies que me gusta. Yo no tengo que probar nada a Álvaro, y él no quiere nunca imponer nada. Eso nos hace estar bien. Trabajar juntos es como jugar al ajedrez. Dibujamos en mi casa. Pero insisto: el personaje es más fuerte que el arquitecto. Es muy importante entender la identidad, la ética que da como consecuencia este tipo de arquitectura obsesionada. Siempre ha sido un tipo obstinado. Cuando estaba haciendo el restaurante Boa Nova, dormía en las piedras. Se las conocía de memoria. Su hijo también es obsesivo.



Q:シザの姪であるあなたの奥さんも建築家ですね。しかし、あなたとは一度も仕事をされていません。
Q:Su mujer, que es sobrina de Siza, es también arquitecta, pero no ha trabajado nunca con usted.

R:そうですね、女房とも娘達とも今まで一度足りとも仕事をした事はありません。今彼女は兄弟の為の家を数件デザインしています。
R:Eso lo tengo claro: ni hijas ni mujer. Ella hace ahora unas casas para sus hermanos.

Q:想像するに、3人の娘を持つという事は、今日の若者が持つであろう諸問題、つまりは仕事を探す為に他の国に行かなくてはならないという大問題に直面しているのではと思うのですが?
Q:Me imagino que tener tres hijas le acerca al problema de los jóvenes de hoy que tienen que emigrar en busca de trabajo.

R:全くその通りです。これは非常に大きな問題であり、夜も十分に眠れない程の悩みなのです。現在私の事務所には35人の所員がいるのですが、彼らに「リスボンに行って自分の事務所を開け」だとか、彼らの将来の為に私の同僚に何か良い仕事が無いか聞く事すら出来ない状況なのです。我々はまるっきり出口の見えない、そんな状況に追い込まれているのです。プリツカー賞を受賞した時、ポルトガルには仕事が一つもありませんでした。今の若者達はブラジルやスイスへ仕事を探しに行くか、もしくはレストランを開店するしか無い様な状況に追い込まれているのです。それらの若者は教育的に不十分だとか、能力が無いとか、そんな事は全く無く、むしろ、彼らの多くはレベルの高い教育を終了し、非常に高い技術と志を持っているのです。それにも関わらず、この国ではその能力に十分見合った職に就く事が出来ないのです。この様な社会的な変化は急速に訪れました。まるで昨日までは沢山の仕事があったのに、今日になって急に何も無くなってしまったかのような、そんな状況なのです。ハッキリ言って建築家として私と働く事はとてもシンドイと思います。私の事務所で何年間か苦労した後、自分の事務所を開設する事が出来るのならそれも又良い道だとは思うのですが、今はそんな事が出来る状況にはありません。私は彼らに何と言えば良いというのでしょうか?そんな状況を考えると大変憂鬱になり、そしてこの国の行く末、彼らの将来の事を心配してしまいます。
R:Es un problema enorme. Me quita el sueño. Yo tengo 35 colaboradores y no puedo decirles que vayan a Lisboa o a pedir trabajo a un colega. No hay nada. No hay ninguna puerta abierta. Cuando recibí el Pritzker, no tenía ningún trabajo en Portugal. Los jóvenes se tienen que ir a Brasil, a Suiza o a abrir un restaurante. Me preocupa porque hay mucha gente con formación y vocación y nos hemos encontrado este problema casi de un día para otro. Trabajar conmigo es duro, y pienso: ¿para qué?, ¿qué les dices a quienes se han esforzado tanto? Entristece lo que estamos viviendo y me preocupa.

Q:ポルトガルでは今でも仕事が無い状況が続いているのでしょうか?
Q:¿Sigue sin trabajo en Portugal?

R:はい、私も他の国に出稼ぎに行ったくらいです。
R:Sí. Yo también emigré.

Q:贅沢な出稼ぎにね。
Q:Emigrante de lujo.

R:当然です。苦しんでいると不平を言うつもりは毛頭ありません。しかし仕事を国外に探さなくてはならなかったのです。勿論自分の国に留まってここで仕事が出来たら最高だったのですが、そういう訳にもいかなかったのです。
R:Por supuesto. No digo que este sufriendo. Pero he tenido que buscar fuera. A mí me gusta mucho más quedarme en casa.

Q:こんな状況下において、今あなたの国と、そしてヨーロッパ全体が右傾化しようとしていますが、どう思われますか?
Q:En este clima, ¿qué opina de la derechización de su país y de Europa en general?

R:今日において左派はどんな意味を持つというのでしょうか?ハッキリ言ってそれ程重要な意味合いを持っているとは思えません。そしてその事は散々な結果に終わると思います。これは何もイデオロギーの問題ではなくて、不平等の問題なのです。ウォールストリートが世界の未来を決めるなどとは到底思えません。そして世界中の政府は、土地投機などに投資した銀行を助ける事は出来ないと思います。今我々が直面している状況というのは、右や左と言ったイデオロギーの違いによる問題ではないのです。右派にも物凄く優秀な人間はいます。問題なのはモラルが無い事なのです。そしてこの様な状況は、何かしら恐ろしいモンスターを産み出す事態に陥る可能性を孕んでいるのです。この様な状況は長くは続かないでしょう・・・。ポルトガルの状況は最悪です。
R:¿Qué es ser de izquierdas hoy? Parece que no tiene mucho significado. Esto va a acabar mal. No es un problema ideológico, es un problema de injusticia. Wall Street no puede decidir el futuro del mundo. Los Gobiernos no pueden ayudar a los bancos para que inviertan en especulación. La situación no es un problema entre derechas e izquierdas. Hay gente de derechas muy buena. La situación es amoral. No hay moral. Esto da la posibilidad de hacer cosas monstruosas. Esto no puede durar… Portugal está fatal.

Q:ポルトアレグレにおけるシザの様に、あなたの建築も又、時間と共に自由になってきたと思うのですが・・・。Paula Rego美術館は正確に言うと、あなたの一連の作品の様に、デカルトの流れを汲むものではなく、ましてや、ミースの流れを汲むものでもありません。
Q:Como Siza en Porto Alegre, usted también se ha soltado mucho con el tiempo… El Museo Paula Rego no es precisamente cartesiano ni miesiano como tanta obra suya anterior.

R:そう言われています。私の建築における変化は、ポルトの地下鉄をデザインしていた時から始まったのでは?と思います。あの時は何の先例も無く、自由気ままにやれたのです。医者が患者の体をよく観察し悪い所を発見する様に、都市の特徴を注意深く観察し、分析する事を学ばなければならなかったのです。地下鉄をデザインしている時に、ある一つの考えが浮かんできました。「もしかしたら、我々が考えているように、建築と言うのはそんなにデカルト的ではないかもしれない」と。その後、実験をしてみようという気になりました。実験無しには建築というのは非常につまらないものになってしまうのです。そう、この世の中は白と黒が支配しているのでは無く、色々な事を試す事が出来るのです。
R:Sí. Eso dicen. Creo que todo empezó cuando trabajé diseñando el metro de Oporto. Allí no había recetas. Tuve que aprender a tomar la escala de la ciudad como un médico tiene que explorar a un paciente para ver qué encuentra. Haciendo el metro pensé que igual las cosas no eran tan cartesianas como nosotros creíamos. Y luego está la idea de experimentar. Sin experimentar, la profesión es muy aburrida. Y como el mundo no es blanco y negro, se pueden probar otras cosas.

Q:実験するのはお好きですか?
Q:¿Le ha gustado experimentar?

R:非常に好きですね。私の事務所は今や研究所となってしまいました。各々のプロジェクトの為に、4つの違う模型を創っています。
R:Muchísimo. He transformado mi estudio en un laboratorio. De cada proyecto hacemos cuatro maquetas diferentes.

Q:今の方が楽しそうですね?
Q:¿Se lo pasa mejor ahora?

R:非常に楽しくやっています。「楽しむ」という事は、「我慢する」という事の基本でもあります。随分長い間、周りの無理解による悲しい時期を過ごしましたからね。しかしこれらの状況を打開しなければならない時がやってきたのです。これ以上悲しむ事に意味は無いと。以前は社会的な重圧などから自由な建築は出来なかったのですが、その考えが変わりました。そして赤い建築を創ってやろうと思い立ちました。以前は真っ赤な建築を建てるなど思いもよらなかったのです。
R:Mucho mejor. Me divierto, y para aguantar es fundamental disfrutar. Hemos pasado un periodo de lamentos por incomprensiones. Pero llegado a un punto hay que reaccionar. No valen más lamentos. Jamás pensé que en la vida haría un edificio rojo.

Q:クリスティアーノ・ロナウドの家を建てていますよね?
Q:¿Construirá la casa para Cristiano Ronaldo?

R:はい、デザインしました。しかし彼がマドリッドに行った時、工事はストップしてしまいましたけどね。
R:La diseñé. Pero cuando vino a Madrid suspendió la obra. La paró.

Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:本当にその家を建てたいのかどうなのか、少し考えたいそうなのです。この家を建てるに当たって少しばかり問題が発生したのです。家の計画は承認されたのですが、その建設予定地には保護林が存在していたのです。検事である私の兄はポルトガルにおいて保護されているコルクガシの木を伐採している者達を追っています。1200平米という広大な家を建てる為に私がそれらの木を伐採する事が出来るかどうか?という問題ではなかったのです。それらの木々を切り倒す事は法律的に禁止されているのです。その上、もしも私が兄の手によって牢屋に入れられ裁判にでもなったらどんな事になると思いますか?新聞はこう書き立てるでしょうね。ソウト(検事の兄)対ソウト(建築家)。ロナウドは激怒していましたね。何故ならその土地を売ったものたちは、そこに生えている木を切る事は出来ないという事を伝えずにその土地を売りつけたのですから。私は彼に言いました。「違う土地を探しましょう。そうしたら新しいプランを創るから」と。彼はうんざりしていましたけどね。
R:Se lo quiere pensar. Tenía problemas de construcción. El proyecto de la casa fue aprobado, pero se levantaba en un terreno donde había muchos árboles protegidos. Mi hermano fiscal había iniciado un proceso de persecución a quienes cortan los alcornoques protegidos. No era cuestión de que pusiera yo a cortar los alcornoques de Ronaldo para hacer sitio a su casa, enorme, de 1.200 metros. Talar los árboles no era legalmente posible. Además, imagínese los titulares: Souto contra Souto. Él estaba furioso porque le vendieron e terreno sin advertirle de que los árboles estaban protegidos. Le dije que cambiáramos de terreno y que haría otro proyecto. Y se molestó.

Q:ロナウドがあなたを探した事、そして建築家を雇ったという事は、とても驚きです。
Q:Es sorprendente que lo buscara a usted, que lo quisiera como arquitecto.

R:いいえ、裏事情はそんなに複雑ではありません。彼はブラガのサッカーチームの大統領の友達なのです。ロナウドはブラガスタジアムが気に入ったそうで、それで私に電話をかけてきたのです。私はサッカーの事は良く分かりませんし、彼は建築の事は知りません。しかし、彼と話した後、とてもよい関係、そう、とても直接的な関係を築く事が出来ました。彼は私に幾つかの要求をして、それに対して、私は出来る事、出来ない事を告げたのです。
R:No. Es muy simple. Es amigo del presidente del Braga. Le gustó es estadio y me llamó. Yo no entendía mucho de fútbol ni el de arquitectura. Pero después de hablar con él conseguimos una relación muy directa. Él pedía y yo le decía si era o no posible.

Q:何が不可能だったのですか?
Q:¿Qué no era posible?

R:湖を造る事、そしてそこに浮かぶ島、その他、幾つかの事が不可能でした。彼の様な社会的に重要な人物には常に何人もの召使がついてまわり、そして彼の世話をするのです。しかし彼らはご主人には本当の事を言わないものなのです。だから最終的に、真実を伝える為にはマンチェスターへ行き、直接彼と話す事が最良だと考えました。彼を不愉快にさせるような情報、敷地に生えてる木々は切る事が出来ないなんていう嫌な事は言いたくなかったのですけどね。
R:Un lago, una isla, algunas de las cosas que quería. Estos tíos tan importantes tienen una corte que los protege y los cuida. Pero les dicen cosas que no son verdad. Por eso al final la única manera de hablar con él fue ir a visitarlo a Manchester. No le querían dar un disgusto informándole de que los árboles no se podían cortar.

Q:その計画はストップしたのでしょうか?
Q:¿Es proyecto está parado?

R:はい、中断しています。しかし、プリツカー賞をとった時、ある新聞記事が目に留まりました。それ程期待が持てるかどうかわかりませんけどね。「ロナウド、もう一度新しい家が建てたい」。
R:Se suspendió. Pero cuando me dieron el Pritzker leí una noticia, no sé si especulación: Ronaldo quiere de nuevo la casa.

Q:スターはスターを惹きつけるという事でしょうか?
Q:¿Las estrellas atraen a las estrellas?

R:そうですね。そうかもしれません。
R:[Risas] Será eso.
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スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について
昨日からガリシア地方の首都、サンティアゴ・デ・コンポステーラに来ています。



今回ガリシア地方に来ているのは、昨日から3日間に渡って始まったカンファレンスとミーティングに参加するのが主目的で、その前後にちょっとずつ休暇をくっつけたって訳なんだけど、まさか、そのガリシア滞在中にサンティアゴ大聖堂からカリクストゥス写本が盗まれるなんて大事件に遭遇するとは思ってもみませんでした(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!)。

市内を出入りする主要道路には今でも所々に検閲がかけられ、ガリシアの地方新聞は連日この話題で持ち切りです。そんな中、今週日曜日の新聞に、「元泥棒ちゃん」と言う人物による今回の盗難劇に関するインタビュー記事が載っていました(Voz de Galicia, 10 de Julio 2011)。



これを見た時、正直、「えっ?」って思いましたけどね。だって、元泥棒ちゃんによるインタビューですよ?考えられないでしょ普通(笑)。しかもどうやらこの元泥棒ちゃんって言う人、実はスペインでは伝説的な大泥棒だったらしく、日本で言う石川五右衛門の様な存在らしいんですね。で、このインタビュー記事が面白いの何のって。ちょっと抜粋してみると、

 「あなたが泥棒として働いていた時代に比べ、今の時代にはより多くのセキュリティシステムが完備されていると思いますか?」

という質問に対して:

 「勿論、今の時代の方がより優れたセキュリティシステムが整備されているとは思いますが、それらは未だに不十分だと思います。第一、セキュリティシステムがあろうがなかろうが、それらが如何に優れたものだろうが、この世に盗めないものなどないのです。」

とか答えてる(笑)。ス、スゲー!「この世に盗めないものなどない」って言い切ってるし(笑)。更にセキュリティは不十分だとか言ってる!伝説の泥棒ちゃんが言うと、何か妙に説得力がある。

更に、価値のある書籍の盗難などには仲介者の存在が必要不可欠であり、インタビュアーの「盗難の仲介者と言う特化した職業についてる人はいるのでしょうか?」

と言う質問に対しては、

 「私がそうでした。」

とか言ってる(笑)。更に注目すべきがこの発言:

「スペインには写本の購入者はいません。そんなに多くの書籍コレクターや、それ程の額を支払う事の出来るコレクターが存在しないのです。・・・思うのですが、もしかしたら、この写本の最終目的地は日本と言う可能性が高いのでは?と思います。日本は世界でも有数の書籍コレクターの所在地なので。」

えー!そうなの??盗まれた写本が日本にある可能性が・・・。
まあ、その是非はともかく、現代スペインが誇る伝説的な大泥棒、Erik el Belgaさんの貴重なインタビュー、とくとご覧あれ!

以下の訳文はLa Voz de Galicia紙(2011年7月10日)に載ったインタビュー記事の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=元泥棒ちゃんの回答

Q:サンティアゴ大聖堂からカリクストゥス写本が盗まれた事をご存知でしたか?
Q:Esta al tanto del robo del Codice Calixtino en la cathedral de Santiago?

R:ハイ、この数日、新しい情報などに常に気を配っていました。この写本を盗難する事は大変難しい様に思われます。そしてこれを盗んだ泥棒は、写本の中に描かれている挿絵や様式といったものよりはむしろ、そこに書かれているテクストの内容に興味があったのではないか?と思います。勿論この事件の黒幕は、そこに書かれている内容を熟知していただろうし、経済的に多額の報酬を支払う能力があった者だと考えられます。もし依頼人がいなかったとしたら、この様な大変有名な芸術作品を盗んだりはしません。つまりこれは何者かが誰かに依頼した盗難だという事です。
R:Estoy al tanto. Me parece un robo muy dificil en el que la clave es el contenido del libro. Es evidente que alguien queria ese libro, que conocia su contenido y que estaba dispuesto a pagar por el. No se robaria esa pieza sin tener un cliente. Es un robo por encargo.

Q:この様な有名な作品を盗難する事が可能なのでしょうか?
Q:Como se puede robar una pieza asi?

R:この盗難は非常にレベルが高いものであり、緻密な調査に基づいて十分に計画されたものだと思います。聖堂内の空間構成や人の出入りなどの情報、そして勿論、それらのデータを提供したり、盗難を実行する際には共犯者、つまりサンティアゴ大聖堂内部の協力者の存在が必要不可欠です。
R:Es un robo de alto nivel, planificado y estudiado. Un robo en el que hay que conocer los espacios, las costumbres y que, desde luego, requiere de la complicidad interior para los datos y para la ejecucion.

Q:どの様な人物がこの様な仕事を企てる事が可能なのでしょうか?
Q:Quien puede acometer el trabajo.

R:ごく少数者に限られると思います。先ず第一に、写本は絵画ではないという事を考える必要があります。何故なら絵画にはそれらを売り買いする市場があるからです。しかしですね、書籍の盗難は市場が限られ売却するのが非常に困難な為、依頼人がいない事には盗難が成立しないのです。
R:Poca gente. Hay que pensar que un libro no es una pintura. Para la pintura hay mas Mercado. En el caso de los libros nadie opera por su cuenta porque la venta es muy dificil. Y en este caso, tan conocido, mucho menos.

Q:この様な盗難で、一体幾らくらいの報酬を得る事が出来るのでしょうか?
Q:Cuanto se puede cobrar por un robo como este?

R:15万ユーロ(日本円で1600万円)くらいじゃないかと思われます。
R:Podriamos calcular que sobre 150.000 euros

Q:盗難後、どの様なプロセスを経るのでしょうか?
Q:Cuales son los pasos que se dan despues del robo?

R:今回の様な場合、泥棒達は盗難実行から、それをどうやってスペイン国外に流出させるかと言う全過程を盗難前に全て熟知している必要があります。写本はもう既に依頼人の元に辿り着いている可能性が高いと思います。繰り返しますが、依頼人がいなかったら誰もこの様な盗難を引き受ける事はありません。この写本の様な作品を売り捌く事は非常に難しいのです。更に言えば、今回の様なケースでは、泥棒達と依頼人に加えて、仲介人や交渉人の存在を考慮する必要があります。何故なら価値ある書籍のマーケットは、絵画や他の芸術品の市場に比べて非常に限られている為、盗難実行から売買に至る一連の過程は盗難前に全て計画されていなければ意味が無いからです。泥棒達はこの写本が何処へ行くのか?誰の元に届けられるのか?などは一切知らないと思います。
R:En este cso los ladrones tenian que tenerlo todo estudiado, desde el robo hasta la manera de sacarlo de Espana. Es probable que el codice ya este en su destino. Nadie asumiria el robo sin tener un destinatario. No es facil colocar una pieza como el codice. Ademas de los ladrones y del comprador hay que contar los intermediarios o negociadores porque el mundo de estos libros es mas reducido que el de otros objetos de valor o de la pintura.. Todo eso tiene que estar atado desde antes del robo. Los ladrones no conocen al destinatario ultimo del libro.

Q:写本の最終目的地としてスペインは除外しても良いのでしょうか?
Q:Descarta Espana?

R:スペインには写本の購入者はいません。そんなに多くの書籍コレクターや、それ程の額を支払う事の出来るコレクターが存在しないのです。それらスペインに存在するコレクターの大部分は私のクライアントでした。彼らの多くはもう既に亡くなっている方が多く、彼らの子供達はコレクターを続けてはいません。思うのですが、もしかしたら、この写本の最終目的地は日本と言う可能性が高いのでは?と思うんですね。日本は世界でも有数の書籍コレクターの所在地なので。
R:En Espana no hay compradores. No hay mucho coleccionismo de libros ni muchas fortunas dispuestas a pagar. Muchos de los coleccionistas fueron clients mios. Se murieron y sus hijos no siguieron con el coleccionismo. Yo diria que Japon es una posibilidad para este libro porque uno de los mayores compradores de piezas.

Q:闇市場におけるこの写本の価値は幾らくらいだと思われますか?
Q:Cuanto calcula que puede valer este libro en el mercado negro?

R:この場合、コレクターがどれくらい支払う事が出来るかによって変わってくると思います。多くの場合、依頼主が支払う金額は、一般に考えられているよりも低いのです。今回の場合、その金額は100万ユーロ(日本円で1億1千万円)かもしれないし、1,000万ユーロ(11億円)になるかもしれません。又、その金額は、交渉人の腕にもかかってきます。
R:En estos caos puede valer lo que el coleccionista este dispuesto a pagar por el. Muchas veces es mucho menos de lo que se piensa. Podrian ser un millon de euros o podrian ser diez. Tambien depende de lo buenos que sean los negociadores.

Q:盗難の仲介者という特化した職業についてる人はいるのでしょうか?
Q:Hay gente especializada en la intermediacion de robos?

R:私がそうでした。書籍の場合には仲介者は必要不可欠です。盗んだものが絵画なのならそれを市場に出し売却する事はそれ程難しい事ではありません。しかしですね、今回の写本の様に世界的に知られている作品となると話は別です。売買する事は非常に難しく仲介者が必要となります。自らすすんで牢屋に入りたがる人はいないだろうし、コレクターは泥棒との直接的なコンタクトを持っているとは思えません。その逆も又しかりです。
R:Yo fui uno de ellos. Y en el caso de los libros son imprescindibles. Porque si robas una pintura es mucho mas facil moverte por cuenta propia en el mercado y conseguir venderla. Pero en este caso, con una pieza tan conocida y dificil de mover, tiene que haber intermediarios porque nadie quiere ir a la carcel y los coleccionistas no conocen a los ladrones, ni los ladrones a los coleccionistas.

Q:カリクストゥス写本を盗む計画があると言う様な事を聞かれた事がありましたか?
Q:En alguna occasion escucho hablar de la intencion de robar el codice?

R:いいえ、写本を盗むと言った話は今まで一度も聞いた事がありません。
R:Nunca fue una pieza de la me hablaran en ese sentido.

Q:写本が戻ってくる可能性はあるとお考えですか?
Q:Cree que hay posibilidades de que el codice se recupere?

R:警察の運によると思います。もしも身代金を要求する為に写本が盗まれたのだとしたら、写本が戻ってくる可能性はもっと高かったと思うのですが、今回の盗難の場合、身代金目当てだとは思えません。スペイン警察はこの手の犯罪捜査には大変優れていて、過去に何度も盗まれた芸術作品の回収に成功しています。別のオプションとしては、スペイン政府が写本を取り戻す為、もしくは盗難された写本の情報提供の為に報奨金を用意するという手が考えられます。これは良い手だと思うし、その上、もしこの方法で写本が回収出来たとしたら、将来的な盗難に対する抑止力にもなると思います。
R:Depende de la suerte de la policia. Si lo hubieran robado para pedir un rescate seria mucho mas facil recuperarlo. Pero no lo creo. La policia espanola es muy buena en estos trabajos y ha recuperado buenas piezas. Otra opcion es que el Gobierno ofrezca una recompense por la recuperacion del libro, por datos que lleven a su localizacion. Puede funcionar y, ademas, si se localiza es una buena medida disuasoria para que no se cometan futuros robos.

Q:あなたが泥棒として働いていた時代に比べ、今の時代にはより多くのセキュリティシステムが完備されていると思いますか?
Q:Hay mas medidas de seguridad ahora que en su epoca?

R:勿論、今の時代の方がより優れたセキュリティシステムが整備されているとは思いますが、それらは未だに不十分だと思います。第一、セキュリティシステムがあろうがなかろうが、それらが如何に優れたものだろうが、この世に盗めないものなどないのです。
R:Si que hay mas, pero creo que siguen siendo insuficientes. En primer lugar porque no hay nada que no se pueda robar aunque se tengan los mayores y mejores medios.

Q:今の方が文化財盗難は少ないですよね?
Q:Pero hay menos robos de patrimonio ahora?

R:そうですね、昔に比べたら減ってきていると思います。何故なら以前よりも警察が有能になってきているし、芸術作品は以前よりもコントロール下に置かれているからです。そして最も大きな要因として、以前よりもコレクターの数が格段に減ってきたという事が挙げられます。価値ある全てのものは盗難の対象になり、盗難されうるのですが、それを誰が買うのか?誰が買う事が出来るのか?と言う事が重要なのです。
R:Ahora hay menos en parte porque la policia es mas efectiva porque las piezas estan mas controladas, pero sobre todo porque ahora hay muchos menos compradores. Todo lo que tiene valor puede ser robado, pero hace falta alguien que este dispuesto a comprarlo.

Q:あなたが泥棒として働いていた時、ガリシアで仕事をした事はありましたか?
Q:En sus tiempos en activo trabajo en Galicia?

R:ガリシアは最も多くの仕事があった地ではなかったのですが、それでも何度かは仕事をした事がありました。一般的に、あの時代の仕事は非常に簡単だったと言う事が出来ます。何故ならセキュリティが殆ど無かったのですから。
R:No fue donde mas trabaje, pero si hice algunos trabajos en Galicia. En general, eran trabajos faciles porque en aquel entonces, en la practica, no habia medidas de seguridad.
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スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳
日本でも話題になっている様に、今週木曜日、スペインはカタルーニャにおいて村上春樹氏がカタルーニャ国際賞を受賞されました。



その時のスピーチの全訳がネットで出回り、この数日間、「カタルーニャ」って言うタイトルが付いたページに注目が集まる事態となっています。そんな中、一昨日の新聞には木曜日に行われたスピーチとは全く違った内容の村上春樹氏のインタビュー記事が掲載されていました。こちらは政治的なものと言うよりは、かなり著作(特に1Q84)の内容に迫ったものとなっています。「スピーチと合わせて読むと、結構面白いかも」と思い、下記にインタビュー記事の全訳をやってみました(スピーチの全訳はコチラ: 村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下))。

以下の訳文はLa Vanguardia紙(6月11日(2011)のP36-37に載った文の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=村上春樹さんの回答
黒字=訳者メモ

Q:1Q84はこれまでのあなたの作品の中で最も長い小説となっていて、3冊から構成されています。ここスペインでは第一巻と第二巻しか出版されていないにも関わらず、総ページ数は1000ページを超え、もう既に5万部を売り上げているそうです。この小説は、3人称で書かれた初めての作品ですよね。あなたの小説スタイルとしては劇的な変わり様だと思うのですが?
Q:1Q84 es su obra más descomunal: tres libros –aunque aquí solo se han publicado, de momento los dos primeros en un tomo-, más de 1.000 páginas, ya va por los cinco millones de ejemplares vendidos... Y además es su primera novela en tercera persona. ¿Un salto, no?

R:1Q84は書いていたら長くなってしまい、2人の主人公に距離を置きながら物語をより良く説明する為に3人称と言う形式が必要だったのです。まあ、どんな感じになるのか試してみたかったというのもあったのですが、30年間同じ形式で書き続けてきた後に、新しい視点を試してみるという事はとても刺激的でした。
R:La historia se me iba haciendo cada vez más grande y necesitaba esa tercera persona para referirme con distancia a los dos personajes principales. Quise probarla a ver cómo era. Ha sido excitante adoptar un nuevo punto de vista después de 30 años escribiendo.

Q:スペインにおけるあなたのイメージは、政治的、社会的意識を持った作家と言うものではなく、ポップな作家といったものの方が強い様に思います。しかし昨日のカタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチはとても政治的なものでした。
Q:No teníamos una imagen suya como escritor comprometido, más bien se le veía como un autor pop. Pero su discurso de ayer fue muy político...

R:大学生の頃はもの凄く政治化していたと思います。ジョンレノンを聴き、タバコを吸い、そして私のアイドルはChe Guevaraだったのです。それら全てのマルクス主義は私の中からは消え去りましたが、それは世界の状況が良くなったという事を意味する訳ではありません。福島での一件が私を変えました。今は我々を取り巻く政治的、社会的な状況に非常に敏感になったと思います。我々は自らを破滅へと導く、腐敗し切った、偽りのシステムの中に生きているのです。そのシステムとは、効率性という名の下に原発を正当化しているシステムであり、捏造された議論がそのシステムの正当性を支えているのです。
R:De universitario, estaba muy politizado, oía a John Lennon, fumaba y mi ídolo era el Che Guevara. Todo aquel marxismos ha desaparecido. Sin embargo, eso no quiere decir que las cosas funcionen bien. Y Fukushima me ha cambiado. Hemos vivido en un sistema corrupto, falso, que nos ha conducido a la desolación. El sistema que, en nombre de una teórica eficiencia, justificaba las centrales nucleares con argumentos falsos.

Q:カタルーニャにも(原発は)あります‥‥。
Q:Aquí también tenemos...

R:知ってます、タラゴナ(Taraggona)ですね。あなた方も、明日、もしくは今日の午後にでも、津波じゃないとは思うのですが、テロの攻撃、もしくはロルカ(Lorca)で起こった様な地震被害を受ける可能性は十分にあるのです(ロルカの地震についてはコチラ:地中海ブログ:速報:スペイン南東部(Lorca)で地震発生。スペインに存在する原発が事故を起こす可能性は十分に考えられるのですから。もしそうなったら、あなた達の全てが変わると思いますよ。現実は突然やってくるものなのです。しかしながら、それら未来を変える可能性も残されています。夢想家だと言われそうですけどね。我々日本人は伝統的に調和や忍耐と言ったものに価値観を見出してきた民族なのですが、世界を変える為にはそんなものは殆ど役には立たなかったし、これからも役には立たないと思います。それに比べてあなた方は文句を言うのが上手い。
R:En Tarragona, lo sé. Ustedes también pueden tener mañana, o esta tarde, tal vez no un tsunami, pero sí un ataque terrorista, o un terremoto como el de Lorca. Sus centrales pueden sufrir un accidente. Y entonces todo cambiará para ustedes. La realidad será otra, de golpe. Pero tienen la posibilidad de cambiar, aunque les vayan a llamar soñadores poco realistas. Los japoneses tenemos valores como la armonía y la paciencia, que no nos han sido muy útiles. Ustedes se quejan mejor.

Q:1Q84の話に戻りましょう。この物語の構成はバッハの作品に基づいてますね。まあ、多くの読者はそんな事には気が付かないでしょうが。
Q:Volvamos a su 1Q84. La estructura de libro, aunque la mayoría de lectores no lo vaya a advertir, se basa en una obra de Bach.

R:この小説はバッハの作品、「平均律クラヴィーア曲集」の構成に被せて創ってあります。つまり2周期の前奏曲に半音階の長調と短調を組み合わせたフーガです。バッハのこの作品は、1Q84と同様に24章に分かれています。私の小説では、女の子の物語と男の子の物語が交互に入れ替わる様に(女の子、男の子、女の子、男の子)、完全に対照的に出来ているのです。各々の章は、その章だけで帰結する様に出来ているので、そこだけ読んでもらっても構いません。しかしそれらの章が全て一緒になると、我々の現実世界を構成している全ての要素を反映する様に出来ているのです。それらは反復構成にならなけらばならなかったし、各章における強度は異なっていなければなりませんでした。
R:Toda la novela sigue la forma de El clave bien temperado de Bach, dos ciclos de preludios y fugas compuestos en todas las tonalidades mayores y menores de la gama cromática. Cada libro de esa obra, como el mío, tiene 24 partes. Alterno la historia de la chica, la del chico, la chica, el chico... de modo absolutamente simétrico. Cada pequeño fragmento puede leerse por sí solo y el conjunto aspira a contener todos los elementos de nuestro mundo actual. Tenía que ser una estructura repetitiva e ir variando la intensidad en cada capítulo.

Q:2つの現実世界が同時進行的に描かれています‥‥
Q:Hay dos realidades paralelas...

R:ジョージ・オーウェルは1949年に書いた作品、「1984」で未だ訪れてはいなかった未来を描き出しました。私がした事、それはオーウェルが過去から未来を描いた様に、私は未来から過去を描き出したのです。オーウェルは悲惨な事にも、近未来に何が起こるかを想像しなければならなかったのですが、私の場合は何が起こったかを完璧に知っていました。過去ですからね。そして私はそれら過去に起こった出来事を変える事によって、違う現実を創り出そうとしたのです。未来を描き出す事に付随する困難とは、ディテールが無い事だと思います。つまり、どんな服を着ているのか?どんな音楽を聴いているのか?それら全ての事を想像力で創り出さなければならないのです。そしてそれら創造された世界観は時々、とても嘘っぱちなものに見えたり、非現実的なものになったりします。 R:Orwell escribió 1984 avanzando el futuro, en 1949. Yo lo he hecho en el 2009. El pobre Orwell tuvo que imaginar qué podría suceder. Pero yo sé exactamente lo que pasó, y lo que he hecho es cambiar las cosas. El problema de escribir sobre el futuro es que no tienes los detalles, no sabes cómo visten, la música que escuchan, te lo tienes que inventar todo, y a veces queda poco creíble.

Q:しかしながらあなたの1Q84の世界には変わった物が登場しますよね。例えば、空には2つの月が輝いていたりとか。
Q:Pero su mundo de 1984 tiene cosas raras. En el cielo brillan dos lunas, por ejemplo.

R:その通りです。
R:Cierto.

Q:あなたの他の作品では現実世界とフィクションの世界といった2つの世界が出てくる事は出てくるのですが、この小説(1Q84)においては、それがもっと極端な気がするのです。
Q:Quiero decir que en otras de sus novelas tenemos también dos planos de la realidad, pero aquí es más radical.

R:「現実とは一体何か?」という事は、この小説の最も重要なテーマとなっています。例えばあなたと私は今この部屋の中で、私の本について話しています。ふと外を見れば、オレンジの木々に雨が降っています。私達は「これが現実だ」と信じがちです。しかしながらこの様な状況、我々が今ここで落ち合い話しているという状況は起こりえなかったかもしれないのです。もし15分前にここに来る途中で車に轢かれていたら私は今ここにはいなかった事でしょう。もしあなたが15年前に違う仕事に就いていたら我々は出会う事はなかったのです。だから私とあなたがここでこうして出逢っていると言う事は、殆ど奇跡的としか言いようが無い事なのです。この様な状況、不確定な現実、そして全てがとても奇妙に見える事こそ、今の私が最も興味引かれる事なのです。つまり小説の中に2つの月を登場させる事は、小説世界の現実、過去に起こった事に手を加える事に比べれば大した事では無いのです。我々の現実世界においては、9月11日や戦争の様に、世界を変える出来事が存在するのです。沢山の人達が、みんなが見ている物が果たして現実なのかどうなのか確信が無いのだと思います。沢山の人達が高層ビルから落ちて行く9月11日の様な情景は非現実的な様に見えます。それらの事件に対する沢山の目撃者や体験者達は今ではまるでワールドトレードセンターが無かったかの様に生活しています。しかし、もしあの事件が起こらなかったならば、ツインタワーは今でも存在し、それらの目撃者達は違う現実に生きている事になるのです。
R:La realidad es el tema de este libro. Creemos que esto es la realidad, usted y yo hablando en esta sala acerca de un libro, mientras llueve sobre los naranjos, pero esta situación hubiera podido no suceder nunca. Si quince minutos antes, me hubiera atropellado un coche en plaza Sant Jaume, no estaría aquí. O tal vez usted, hace quince años, podía haber optado por otro trabajo... Así que es realmente muy extraño que justamente estemos aquí usted y yo. Eso es lo que me interesa, que todo es muy extraño. No más que ver dos lunas en el cielo. Y luego hay esos sucesos que cambian el mundo, como el 11-S o una guerra. Mucha gente no está segura de si lo que todo el mundo ve es real. Escenas como la del 11-S nos parecen irreales, con todos aquellos cuerpos cayendo a vacío. Muchos testigos han reaccionado viviendo como si jamás hubieran existido las Torres Gemelas, lo que llegan a creer.

Q:1995年に東京で起こったオウム真理教が引き起こしたサリン事件について、あなたは今までに2冊の本を書かれています。そのテーマはこの本にもう一度出てきます。
Q:Usted escribió dos libros sobre el ataque con gas sarín en el metro de Tokio en 1995, ejecutado por la secta Aum. Es un tema que rebrota en esta novela.

R:このテーマをもう一度扱う事が1Q84を書いたもう一つの動機でもありました。オウム真理教を調査していて、何かしらの闇が私の心の中に残り悶々としているのです。「アンダーグラウンド」を書く為に60人以上の被害者にインタビューをし、「約束された場所で」を書く為には8人のオウム真理教のメンバーにインタビューを行いました。これは未だ私にとって吐き気を催す程嫌なテーマであり、私の憤慨と怒りは変色せずに未だ残り続けているのですが、ここには語られなければならない現実があります。私の興味は、林泰男被告(死刑執行確定)に集中しています。林被告はオウム真理教に入る前はごく普通の生活をおくる、何処にでもいる様な男で、オウム真理教に入った時、彼はこのグループが一体何なのか、何をしているのか?全く知らなかったのです。その後、オウムの洗脳を受け、彼は暗殺者へと変わっていきます。死刑執行の判決は日本刑罰システムによって彼に与えられました。それは遺族の受けた心の痛みを考えれば当然の事かもしれません。しかし、その判決が下された時、私の心の中を悲しみが埋め尽くしたのです。それ以来その辺にいる人、何処にでもいる様な普通の人が、何者かに洗脳される事によって暗殺者に変わると言うイメージが私の心を掴んで離さないのです。これが私の小説の始まりになりました。
R:Ese es el otro motivo para haber escrito 1Q84. Algo oscuro que se me quedó dentro tras haber investigado a la secta Aum. En Underground entrevisté a más de 60 víctimas, y en El lugar que fue prometido enrevisté a ocho miembros del grupo. Es un tema que todavía me revuelve el estómago. Mi indignación y mi rabia permanecen inalterables pero no todo es como parece. Mi interés se centró en Yasuo Hayashi, condenado a muerte, un hombre normal que se unió a la secta sin saber exactamente dónde se metía. Se convirtió en asesino tras sufrir un lavado de cerebro. La pena de muerte es lo que le corresponde según el sistema penal japonés y si se piensa en el dolor de las familias puede parecer justo pero, cuando fue sentenciado, me invadió una tristeza difusa. Me obsesionó la imagen de un hombre cualquiera, ni peor ni mejor que otros, y que alguien envía al otro lado de la luna hasta convertirlo en un asesino. Ese fue el punto inicial de mi historia.

Q:倫理の熟考‥‥と言う事ですね。
Q:Una reflexión ética...

R:我々は、何が良くて、何が悪いのか、何が正しくて、何が間違っているのか?における唯一絶対的な判断を持つ事が非常に難しい時代に生きています。犯罪を犯した者と、犯罪を犯さなかった者の間にある壁と言うのは、我々が考えているよりも遥かに薄く曖昧なものなのです。悪の中には善もあるし、その逆も又しかり。それらを2分する事が非常に難しい時代に我々は生きているのです。 R:Vivimos en una era donde es extremadamente difícil tener un juicio unívoco sobre lo que está mal. El muro que separa a aquellos que han cometido un delito de los que no lo han cometido es mucho más liguero de lo que se puede creer. Hay bien dentro del mal y al revés.

Q:ちょっと興味があるのですが‥‥あなたが小説の中に描写したやり方で人を殺めるのでしょうか?((注)多分、日本での死刑執行に言及していると思われます)
Q:Una curiosidad: ¿se mata a una persona con la técnica que usted describe?

R:ええ、全くその通りのやり方で。
R:Si, exactamente así.

Q:この小説の中でセックスは非常に重要な要素として出てきます。そしてその描写はかなり過激的です。
Q:El sexo es importante en este libro, además de brutal.

R:個性を描写するのに大変役に立つのです。この小説の中には、我々の世界に存在する全ての事象を詰め込みたかったのです。1Q84は1000ページにも及びます。もしもセックスや暴力という要素がなかったとしたら、果たして読者の感心を最後まで惹く事が出来たかどうか。個人的には現実世界において、家ではそんなに暴力的ではないし、本に出てくる様なセックスセーンに居合わせた事もありません。
R:Sirve para describir a los personajes. Quería que en este libro hubiera de todo. Necesito elementos sexuales para atrapar al lector, piense que esta historia tiene más de 1.000 páginas, y sin sexo ni violencia no sé si me iban a seguir hasta el final. Personalmente, no practico en mi casa la violencia extrema ni he asistido a escenas sexuales parecidas.

Q:登場人物は何時も感情的に不安定ですね。
Q:Sus personajes siempre son sacudidos emocionalmente...

R:心に傷があったりする、云わ場、壊れた人間、方向を見失っている人、そして最も重要な事に、彼らは薆を探し続け、人を魅惑し続け、そして人を捜し続けているのです。彼女は何時も完璧な薆を夢見ています。薆は2人の主人公達を人生における違うレベルへと導く事が出来ます。私はそのメカニズム、薆という事象がどの様に人々を違う場所へ連れて行く事が出来るのか、その点に興味があります。薆を探すと言う事は、何かしらの帰結を伴うものなのです。
R:Llevan cicatrices en el alma, son seres destruidos, desorientados y, muy importante, aquí siguen buscando el amor, y atrayendo y buscando el amor, y atrayendo y buscando a gente. Ella siempre sueña con el amor perfecto. Exploro cómo el amor, esa búsqueda del otro puede conducirles a un estadio muy diferente, me interesa esa búsqueda de la relación perfecta, esas son cosas que tienen consecuencias.

Q:あなたの描写は現実的ですが、殆ど夢の様な要素が出てきます。
Q:Sus descripciones son realistas pero hay muchos elementos casi oníricos.

R:バルザック(HonoreでBalzac)が好きで、彼がやった様に、ディテールを描写する事がとても好きなのです。だから人は私の事をネオリアリズムに分類します。何故なら、それら本当に存在するのかしないのか分からない様な物を、かなりのディテールを伴って描写するからです。それらの伝説や創造物は、たとえ我々が見なかったとしても、人々がする事の原因ともなっているのですから。1Q84は全体として、見たもの、そして見えなかった物が構成する世界を映し出しているのです。 R:Sí. Me gusta Balzac y describir las cosas con detalle. Me han etiquetado como nuevo realismo, porque describo detalladamente esas realidades que no se sabe si existen o no. Esos mitos o criaturas que, aunque no los veamos, hacen que la gente haga ciertas cosas. 1Q84 refleja el mundo en su totalidad, las cosas que se ven y las que no.

Q:1Q84を書いている時に最も苦労した点は何ですか?
Q:¿Qué ha sido lo más difícil de describir 1984?

R:携帯電話も無ければインターネットも無かった事ですね。何をするにも困難が付きまとう時代でしたし、今でも小説を読んだ読者から間違いを指摘されるかも知れません。だって、もし登場人物が探し物をしたいなら、ネットでグーグル検索する代わりに彼らを図書館に送らなければならないのですから。以前の世界は物事が非常にゆっくりと進んだ世界だったのです。でも最終的にはそれらの不便さが結構気に入りましたけどね。
R:No había teléfonos móviles ni Internet. Todo me parecían inconvenientes y aún hoy creo que me pillarán un fallo. Si los personajes quieren investigar algo los enviaba a la biblioteca en lugar de mirar en Google, el mundo era antes más lento. Al final esos inconvenientes me han gustado.

Q:あなたは1Q84年の中で若い人達を描写していました。そして彼らは今年で30歳を迎えます‥‥ Q:Usted escribe de jóvenes, aquí ya han cumplido 30...

R:多分4冊目を出す事になると思うのですが、その中では天吾(登場人物の一人)はもっと年をとっているはずです。
R:Tal vez haga un cuarto volumen con Tengo mayor, quién sabe...

Q:地震があった時、何処にいらしたのですか?
Q:¿Dónde le pilló el terremoto?

R:ハワイの自宅にいました。でも今は日本に住んでます。
R:En mi casa de Hawái, pero ahora estoy viviendo en Japón.
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エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)、プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)受賞
今週の水曜日の事だったのですが、今年のプリツカー賞がポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラに授与されると言うニュースが飛び込んで来ました。エドゥアルド・ソート・デ・モウラと言えば、ポルトガルにおいてはシザに並ぶ2大巨匠として知られている建築家で、彼の代表作、ブラガ(Braga)のサッカースタジアムは日本人のAさんが担当してましたよね。



僕も彼の建築はポルトガルに行く度に幾つか見て回った事があって、4年程前にも印象記なんかを書いたんだけど、その記事を今見てみても、彼の建築に関する今の僕の印象とそれ程かけ離れてないかなと言うのが正直な所かと思います(地中海ブログ:ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura) )。

今回のプリツカー受賞に関して、スペインの主要紙は文化面で結構大きく取り上げてたんだけど、印象的だったのは、ノーベル賞級の受賞なのに、受賞者自身がそれ程楽観的な事を言って無かった事ですね。キーワードとしては、「経済危機」、「仕事が無い」、「良くなる見込みも無い」みたいな。普通だったら、「今、デカイ美術館やってて、ノリノリ(笑)」みたいな感想になるはずなんだけど、そうじゃない所が、コレ又、ポルトガル的と言うか、何と言うか、個人的には、彼のインタビューの行間から滲み出て見えてくるポルトガルの社会文化的背景の方に大変興味を惹かれました。


下記に
La Vanguardia紙に載ってた受賞インタビューを訳してみましたので、興味のある方はどうぞ:

La Vanguardia 30 de Marzo 2011


「建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべき」

エドゥアルド・ソート・デ・モウラ
:プリツカー賞受賞者インタビュー
“La arquitectura debe volver a ser simple, objetiva y pragmática”
Eduardo Souto de Moura, ganador del premio Pritzker

現代性と伝統の残像を調和させた
30年間に及ぶ建築活動、そして権力と謙虚さ、大胆さと繊細さと言った、相反する2つのものを融合する比類無い能力。ポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラのその様な能力が評価され、建築界のノーベル賞に値するプリツカー賞が授与された。ちなみに彼の師匠であるアルヴァロ・シザは1992年にこの賞を受賞している。
Treinta año de arquitectura en los que se combinan “contemporaneidad y ecos de la tradición”,y una “habilidad única para conciliar opuestos(en sus obras) como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza”, le han valido al portugués Eduardo Souto de Moura(Oporto, 1952) el Pritzker, considerado el principal galardón arquitectónico mundial. Su maestro, Alvaro Siza Viera, lo ganó en 1992.


記者:最初はシザ、そして次はあなた。既にポルトガルの建築家が
2人プリツカー賞を採っているのに対して、スペイン人建築家はラファエロ・モネオ只一人。このような事実は、スペインとポルトガルの建築界の関係にどのような影響を与えるとお考えですか?
Primero Siza y ahora usted: dos portugueses ya en la lista del Pritzker y sólo un español (Moneo)en ella. ¿Cómo va a afectar esto a las relaciones arquitectónicas hispano-lusas?


エドゥアルド:ハ、ハ、ハ、特に悪い影響は無いと思いますけどね。建築は賞を採ったとか採らなかったとか、そんな事には影響を受けませんので。スペイン人の建築家の友達ともこれまでと同様の関係を保ち続けるつもりです。そして彼らも又、同じ様に接してくれると思います。

Ja,ja. No creo que les pasa nada malo a esas relaciones. La arquitectura no depende de los premios. Intentaré seguir siendo amigo de mis amigos españoles. Y ellos actuarán igual.


記者:建築界最高の栄誉を受賞した後で、どの様にプロジェクトに向かい合うおつもりなのでしょうか?

¿Cómo afronta el trabajo tras ganar el mayor premio arquitectónico?


エドゥアルド:何時もと変わらない喜び、責任感、そして今以上に自分自身に厳しくしたいと思っています。多分、他の人達は私の事を違う目で見るかもしれないし、作品に対する評価は手厳しくなるかもしれない。より成長すると言う事は、より多くの批判を受け取ると言う事なのだから。

Con el mismo entusiasmo de siempre, con la misma responsabilidad y con más autoexigencia, si cabe. Ahora quizás me miren todos con otros ojos, quizás el escrutinio será más severo. Cuanto más creces, más críticas recibes.


記者:今回の審査員の議事録には、権力と謙虚さ、大胆さと繊細さ、パブリックとプライベートと言った、相反する
2つのものを融合させるあなたの能力を賞賛していました。あなた自身は自身の作品をどの様に定義されますか?
El acta de jurado alaba su habilidad para conciliar expresiones opuestas, como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza, lo público y lo privado…¿Definiría así su obra?


エドゥアルド:矛盾と言うのは、建築において常に付きまとうものであり、それらを最も的確な方法で解決する事が我々建築家にとっての重要な責任だと思っています。それは機能的な観点からと言う事なのですが‥‥。美学的な観点から言うと、私は何時も
Santo Tomas de Aquinoの言葉を思い起こします:“美とは2つの違うものの間に存在する関係である”。
Las contradicciones se dan mucho en arquitectura y es nuestra responsabilidad como arquitectos resolverlas del modo más apropiado. Esto, desde el punto de vista funcional. Desde el punto de vista de la estética, me permitiré recordar unas palabras de Santo Tomás de Aquino: la belleza es la relación entre dos cosas diferentes.


記者:かなり昔の事になるのですが、ファーストフードを食べ飽きた人達が美味しい食事を再発見した様に、アイコン建築は質の良い建築を破壊する事は無いと仰っていましたね。あなたの予言は当たっているのでしょうか?もしくは、我々は同じ道筋を歩んでいるのでしょうか?

Hace años me dijo que la arquitectura icónica, espectacular, no iba a acabar con la buena arquitectura; que tras la comida rápida llegó el redescubrimiento de la gastronomía. ¿Se han cumplido sus predicciones o seguimos bajo la misma estrella?


エドゥアルド:ここ数年で何かが変わったと思います。私は4年前よりも太りましたが、建築界では物事はそんなにも速くは動きません。未だ我々はスター建築家の影響下にいるのです。しかしですね、遅かれ早かれ、そのような事態は収束すると思います。建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべきなのです。何故ならそれが唯一良い建築だからです。そして又、現在我々が直面している経済危機もアイコン建築の様な道に進む事を許しません。最後の数年間は、物語性ばかりが目立った建築が林立してきましたが、これは明らかに間違っています。建築とは語る事ではなく、建てる事にこそ意味があるのです

Algo ha cambiado: ahora estoy más gordo que hace cuatro años. En el terreno de la arquitectura las cosas no han evolucionado tan deprisa, seguimos bajo el influjo de la arquitectura estelar. Pero, tarde o temprano, eso se acabará. La arquitectura debe volver a ser más simple, objetiva y pragmática. Porque sólo así será buena arquitectura. Y también porque los problemas derivados de la crisis económica no permiten otra cosa. En los últimos años se ha prodigado una arquitectura demasiado narrativa. Esto ha sido un error. La arquitectura no sire para decir cosas sino para hacerlas.


記者:現在の経済危機によって、アイコン建築にとっては以前よりも遥かに予算が限られてくると思うのですが。経済危機によるポジティブな面とネガティブな面は一体何だと思われますか?

Ahora, con la crisis, hay menos dinero para la arquitectura espectacular. ¿Cuáles son las consecuencias positivas y las negativas de la crisis?


エドゥアルド:勿論、ポジティブな面は存在します。経済危機、特に予算の削減は我々にある種の変化を強制します。そしてそれは良い事だと信じています。経済危機は、その変化が必要だと言う事を示し、そしてその道が間違っていたと言う事をも示してくれました。未来の建築はここ数年間の建築よりももっと正直であるべきでしょう。

Hay consecuencias positivas, claro que sí. La crisis económica, y en particular la crisis de ingresos, nos obliga a cambiar, espero que para bien. La crisis demuestra que era necesario eso cambio, que no se avanzaba en la dirección correcta. Creo que la arquitectura del futuro debe ser más verdadera que la de los últimos años.


記者:今回の経済危機を喜ばれているかの様に思うのですが、ご自身の仕事などに影響は無かったのでしょうか?

Casi parece que se alegre de la crisis. ¿Es que no le ha afectado?


エドゥアルド:勿論影響はありました。しかもかなりね。リスボンに事務所を開設したのですが、私の都市、オポルトでは今は何も仕事がありません。ポルトガル南部では、何らかの仕事がまだあるのですが、私の国では公共の仕事が殆ど無いのです。全てがストップしているのです。だから最近では例えばスイスなどに設計競技を応募する事に専念しています。

Me ha afectado. Y mucho. En Oporto, mi ciudad, no tengo trabajo. He abierto oficina en Lisboa. Tengo algo de trabajo en el sur de Portugal. Pero la verdad es que en mi país hay ahora muy poco encargo público. Está todo parado. Me dedico a concursar en el extranjero; en Suiza, por ejemplo.


記者:危機や繁栄に直面した時の、あなたの作品における揺るぎなさを教えてくださ
い。Dígame una constante de sus obras, en era de crisis o de bonanza.

エドゥアルド:建築の向こう側にある努力でしょうか。私の仕事の結果としての作品は、良くもなるし、悪くもなる。しかし努力無しでは何も生まれません。

Quizás la constante es el esfuerzo que hay tras ellas. El resultado de mi labor podrá ser mejor o peor. Pero nunca llegué a nada sin esfuerzo.


記者:もしあなたが今プリツカー賞を与えるとしたら、どなたに与えますか?

¿A quien le daría usted el Pritzker?


エドゥアルド:イギリスの建築家、デイヴィッド・チッパーフィールドですね。

Al británico David Chipperfield.


記者:バルセロナの郊外(サンタコロマ)に建設中の建築は今どんな状況なのでしょうか?

¿En qué fase está su edificio Cúbics, en Santa Coloma de Gramenet?


エドゥアルド:その計画とはもう何も関係ありません。一年前程、プロモーターが、私と私のスペインの恊働者との関係を断ち切ったのです。

Ya no tengo relación con ese proyecto. El promotor prescindió de mi y de mis socios españoles hace un año.


記者:スペインでは他に何かプロジェクトをお持ちなのでしょうか?

¿Tiene más proyectos en España?


エドゥアルド:ちょっと前にバルセロナの北の方(エンポルダ)で小さな家を完成させてから、他には何もありません。スペインも経済危機ですからね。

No. Hace poco acabé una casa en el Empordá. Pero ya no tengo nada entre manos. También en España hay crisis.


記者:現在はどんなプロジェクトをされているのでしょうか?

¿Cuál es ahora la principal ocupación del nuevo premio Pritzker?


エドゥアルド:中東のとある国に大きな計画が進行中ですが、それ以上は言えません。又、オポルトの地下鉄駅の仕事もありましたが、今は止まっています。経済危機なのです。

Tengo en marcha un gran proyecto para un país de Oriente Medio. Pero no me pregunte nada más porque no puedo contestarle. Estaba trabajando también en el metro de Oporto. Pero ahora el proyecto está detenido. De nuevo, la crisis.
| インタビュー集 | 18:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家、坂茂さんのインタビュー、スペインの新聞に取り上げられる
日本人建築家、坂茂さんのインタビューが昨日の新聞(La Vangaurdia, 23 de Marzo 2011)に大きく取り上げられていました。



実は坂さん、バルセロナに拠点を置く建築スクール、IAAC(The Institute for Advanced Architecture of Catalonia)の講演会の為に先週バルセロナに来ていて、僕もその講演を聴きにいったのですが、取り敢えず何に驚いたって、会場に集まった人の多さにビックリしたんですね。

バルセロナ市当局が職住近接の「バルセロナモデル」として売り出し中のポブレノウ地区に位置する古い工場を改装した所が講演会場だったのですが、普段は全く人影が無い様なエリアに、その日だけは道路まで人が溢れていて、仕事の関係で開演時間ギリギリに行った僕は、勿論立ち見&最後列(悲)。



これだけ人が集まったって言うのは、勿論、坂さんのヨーロッパでの人気を反映しているものだとは思うんだけど、それ以上に、今回の講演会が先々週起こった日本での地震災害にドンピシャのタイミングで行われたと言う面がある事も否めないと思います。当日の新聞にも講演会の場所と時間が大きく明記されていた事から、「災害建築で名高い坂さんの意見を聞きたい」と言う一般人までもが駆け付けたのではないか?と思うんですね。

今回のインタビューはその時収録されたものだと思うのですが、海外経験が長い坂さんらしく、物事をはっきり言う辺り、かなり共感出来ます。そしてインタビューの最後部分では、自分の仕事のアピールも忘れてない!流石に世界を又にかける建築家、坂茂と言う事を思わせてくれますね。

La Vangaurdia (23 de Marzo 2011)


坂さん:B
記者:
J

B:
あなたがた海外メディアは、日本で起こっている状況を著しく誇張して報道している様に思います。
Ustedes los medios de comunicacion han exagerado burdamente la situacion de Japon.

J:
日本の大変衝撃的な映像が届いたので。
Nos llegaban imágenes dramáticas.

B:
しかしながらメディアの口調は、我々日本人の大部分は比較的落ち着いて今回の出来事に対処していると言う現実を反映していないでしょ。あなた方メディアのせいで、僕のところにも日本を脱出して避難してこいという電話が殺到しているのです。メディアと言うのはもっと注意深く、そして正確に現実を伝えるべきだと思うのです。
Pero el tono no reflejaba la realidad de la relativa tranquilidad con que se vivía en la mayor parte de Japón. Por eso, mis amigos europeos me llamaban ofreciéndome sus casas para que pudiera “huir” de Tokio. Deberían ustedes estar más atentos a mostrar la realidad con exactitud...

J:
肝に銘じます
... Tomo nota.

B:
我々は必ず日本を再建し、そして近い内にもう一度日本を復興させてみせますが、あなた方のした大げさな報道は、日本にとっても、そして日本の経済にとっても全く何の助けにもなっていません。
Eso no ha ayudado en absoluto a Japón ni a su economía, aunque le aseguro que reconstruiremos y volveremos a prosperar pronto.

J:
しかし、未だ原発の問題が残っています。
Pero todavía hay una alarma nuclear.

B:
そうですね。日本政府は予防措置として福島原発の周りに住んでいる3万人の人達を避難させました。
Veamos: el Gobierno japonés evacuó a 30.000 personas alrededor de la central de Fukushima como medida de precaución...

J:
そうですか。
Eso creo.

B:
‥‥ところで、被災地の放射能量は、東京ニューヨーク間を繋ぐ飛行機に乗る事によって浴びる放射線量よりも少量だと言う事をご存知でしょうか。そしてそれは病院でレントゲン写真を撮る事によって浴びる放射線量よりもずっと少ないのです。
... Pues bien, la radiación allí era inferior a la que usted se expone en un vuelo Tokio-Nueva York, por ejemplo. Y muy inferior a la que se sufre al hacerse una radiografía.

J:
各国メディアは日本人の規律と勇気を称賛してもいますが。
También los media hemos alabado la disciplina y temple de los japoneses.


B:単に我々は地震に慣れているだけだと思います。地震は我々の歴史の一部なのですから。今回の地震がちょっと特殊だったのは、今までで最大の強度であり、原発の脅威が存在したという点なのです。
Simplemente estamos acostumbrados a los terremotos. Es nuestra historia. La única diferencia en esta ocasión ha sido la mayor intensidad y la amenaza de la radiactividad.

J:
建築家として、今回の災害から何を学びましたか?
¿Qué ha aprendido usted como arquitecto de esta catástrofe?

B:
地震は人を殺めません、そうではなくて、建設者、建物の所有者、建築家もしくは権力者の腐敗や堕落が人を殺めるのです。日本において1981年以降に建てられた建造物は地震に耐える事が出来る様に建てられています。だからそれらの建物は神戸の地震にも良く耐えたと言う事は周知の通りです。
Lo que ya sabía. Que no matan los seísmos, sino la corrupción del constructor o el propietario o el arquitecto o las autoridades. En Japón, los edificios construidos después de 1981 han resistido bien el terremoto. Y también resistieron muy bien el de Kobe.

J:
どのようにしたら、そんな強固な建物を建設する事が出来るのでしょうか?
¿Cómo consiguen construir tan sólido?


B:日本の建築は地震に対する長い伝統を保有し、その為の回帰構造についての研究も進んでいます。きちんと規制値をクリアした建物なら、それらは地震にも耐える事が出来るのですが、そうじゃない場合が往々にしてあるのです。だから沢山の人達が亡くなったりするのですが、それは何も日本だけの事ではありません。
Nuestra arquitectura tiene una larga tradición antisísmica y hemos trabajado las estructuras de regresión. Cuando se cumple la normativa, los edificios aguantan, pero hay otros casos en que no se cumple. Entonces muere gente y no sólo en Japón.

J:
例えば?
Por ejemplo.


B:最近起こったニュージーランドのケースが考えられます。
Un caso reciente en Nueva Zelanda...

J:
とても誠実だと捉えられている国ですね。
Un país considerado muy honrado.


B:しかし、いかがわしい政治的取引によって、地震の為に必要な投資を免れる事に成功した建物が存在するのです。そのような建造物は地震によって崩壊し、犠牲者を出すと言う結果に終わっています。
Pero hubo un edificio en el que el propietario logró ahorrarse la inversión necesaria contra terremotos gracias a turbios manejos políticos. La construcción acabó derrumbándose por un seísmo y causó víctimas.

J:
地震の強度を計る地震計測器だけでなく、政治家がどれだけ腐っているかを測る「賄賂計測器」も必要になると言う事ですか。
Además de sismógrafos, deberíamos tener corruptógrafos.

B:
同じ様な事が中国でも起こりました。2008年に起こった地震によって、基準値を満たしていない建物が崩れ、沢山の子供達が亡くなったのです。これらはもう自然災害とは言えません。それは犯罪であり、それを引き起こした犯罪者は、賄賂を受け取った政治家や高官達なのです。
Algo parecido sucedió en el edificio de una escuela china en la que murieron decenas de niños al derrumbarse durante el último terremoto. Y no son catástrofes naturales. Son crímenes cuyos culpables son los políticos y funcionarios que aceptan mordidas.

J:
しかし、今回の津波は例外だったと思います。
Pero este tsunami ha sido excepcional.


B:津波の防壁は10メートルでした。しかし、今回海底地震によって引き起こされた津波はその防波堤を超えたのです。そして今回の地震では地震警報の無効さも明らかにされてしまいました。警報と津波の襲来の間には9分足らずしか時間が無かったのです。
Las defensas antitsunami eran de 10 metros de altura, pero fueron superadas por el maremoto. Y las alarmas también se revelaron ineficaces, porque tan sólo transcurrieron nueve minutos entre el seísmo y el tsunami.

J:
人が住んでいない海岸沿いのエリアを放棄して、もっと内陸部に建設すべきなのではないのでしょうか?
¿No deberían dejar esa área de su costa despoblada y construir tierra adentro?

B:
我々がやるべき事は、今回の津波の教訓を生かして、都市を再建する事です。
Lo que haremos es reconstruir la ciudad teniendo en cuenta las lecciones del tsunami.

J:
それらの教訓とは何なのでしょうか?
¿Cuáles son?

B:内陸部の建物を守る為に、海岸線沿いには津波の防波堤の役割をする背の高い建物を建て、それら建物の屋上は警報が発せられた際の避難所になる様に計画します。
Planeamos construir edificios pantalla de gran altura en primera línea antitsunami que protegerán a las demás construcciones y cuyas terrazas servirán, además, de refugio cuando se produzca una alarma.

J:
いいアイデアだと思います。
Parece buena idea.


B:ランドスケープの観点から、その視覚的インパクトが懸念される所なのですが、まあ、何とかなるのではないかと考えています。重要なのは、行動を起こす事であり、計画する事なのです。そう言えば、私が1999年に起こった地震の後働いていたトルコにおいては、新たな地震はますます西の方へ、つまりイスタンブールの近くで起こっていました。その点は非常に考慮すべきだと思います。そして彼らは地震に対する十分な予防策を持っているとは思えないのです。
Sólo le veo el inconveniente de su impacto paisajístico, pero tal vez se pueda suavizar. Lo importante es que ahora reaccionemos y planifiquemos. Y por cierto, en Turquía, donde trabajé tras el último terremoto, deberían tomar nota también de que cada nuevo seísmo se produce más al oeste, más cerca de Estambul. Y no les veo prevenirlo...

J
:どうして避難所の様な人道主義的な建築に特化されたのでしょうか?
¿Por qué se especializó también en arquitectura humanitaria para refugiados?

B:1994
年、ルワンダ内戦中に大虐殺が起こった当時、私はその現場に出くわしました。その時、この世の地獄とも言える様な悲惨な状況を目の当たりにして、初めて、私も何かしら彼らの役に立ちたいと言う必要性を強く感じたのです。当時は自分が医者ではない事をとても残念に思ったのですが、医師を目指すには、私は年をとりすぎていました。だから私に出来る事は建築家として彼らを手助けする事であり、その時、自分のキャリアを見直す事となったのです。
Estuve en Ruanda durante la masacre y lo primero que experimenté al ver tanta desgracia fue la íntima necesidad de ser útil. Por eso lamenté no ser médico, pero ya era demasiado mayor para estudiar medicina, así que pensé que allí sólo podía ser de ayuda como arquitecto y replanteé mi carrera.

J:
どのようにして?
¿Cómo?

B:建築家の仕事とは、金持ちや政治家達の目には見えない権力を視覚化する事だと気が付きました。いわゆる彼らの優位性を大衆の現前に示す事が出来る様に何かしら具体的なものに変換する事なのです。権力者の傲慢さのショーウィンドウを建造物やモニュメントとして建設するのです。
Me di cuenta de que el trabajo de los arquitectos es hacer visible el poder silencioso de los millonarios y los políticos. Convertimos su prepotencia en algo material, que se puede exhibir ante el pueblo. Construimos los escaparates de la soberbia de los poderosos: sus edificios y monumentos.

J:
時々、趣味の悪いものとしてね。
Y a veces de su mal gusto.

B:
しかし同時に、何も持っていない人達の為にも僕の能力を発揮したいとも思っているのです!
¡Pero yo también quería poner mi talento al servicio de quienes no tienen nada!

J:
何も持っていない彼らからどんな事を学びましたか?
¿Qué le han enseñado?


B:貧乏であると言う事や災害に苦しんでいると言う事は一見、金持ちや権力者の様に多くを要求してはこないと思われがちなのですが、現実は違います。彼らも権力者同様に、非常に多くの事を我々に要求してくるのです。

Que el hecho de ser pobre y haber sufrido una catástrofe no les hace menos exigentes que los poderosos y millonarios.

J:
何も持たざる者達は、あなたの人道主義的な作品を批判するのですか?
¿Criticaban su obra humanitaria?

B:
そうです。彼ら自身が避難している避難所について文句を言い、沢山の批判を浴びせてきます。
Sí, los propios refugiados que la habitaban, y me enseñaron mucho con su crítica.

J:あなたはそれらの仕事に対して報酬を受け取ってはいないけど、その代わりに批判を受け取り、更にはそれらを通して、ある種の体験と知識を受け取ったと言う訳ですね。
Pues ya no se fue sin cobrar.

B:
誤解しないでほしいのですが、「危機の建築」は単に私の建築活動の一部でしかありません。それは権力者と金持ちを賞賛すると言う、ずっと続けたいと思っている仕事との均衡を取る為の一つの方法なのです。
Pero no me malinterprete: esa arquitectura de crisis sólo es una manera de equilibrar mi dedicación a glorificar a los dueños del dinero y del poder, un trabajo que también estoy encantado de seguir haciendo.

J:
災害が来た時に一番最初にする事は何ですか?
¿Qué es lo primero que hace cuando llega a una catástrofe humanitaria?


B:
距離を取る事。感情的にならない事。手術に集中する際に感情を押さえ込んでいる外科医の様になる事に努めています。そして私は、災害避難所の計画と同様に、私のキャリアにおいて最も予算がついている計画にも同様に集中しているのです。
Tomar distancia: no emocionarme. Debo ser como un cirujano que olvida sus sentimientos para concentrarse en la técnica quirúrgica. Yo me concentro igual en un campo de refugiados que en el proyecto de mayor presupuesto de mi carrera.
| インタビュー集 | 23:51 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
モナリザの起源が遂に判明か?レオナルド・ダ・ヴィンチって実はカタラン人だったらしい
(最初に断っておきますが、これはトンデモ話です。)

一昨日の夜の事だったんだけど、Twitterの方でレオナルド・ダ・ヴィンチに関する驚きのつぶやきが流れてきました。それがコチラ:

"モナ・リザの目を顕微鏡で拡大すると文字が書かれていることが判明したと伊文化遺産調査委員会。右目には「LV」、左目にも「CEもしくはB」に見えると。"

「えー、そうなの!!」って、何気にダヴィンチコードとか大好きな僕は、この手の話にはかなり興奮してしまうのですが、そんな興奮も冷め遣らぬ昨日の新聞に、これまた驚きのダヴィンチ関連情報が載っていました。と言うのも実は最近、Jose Luis Espejoとか言う歴史家がレオナルド・ダ・ヴィンチに関する書籍、「レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密の旅(El viaje secreto de Leonardo de Vinci)」とか言う本を出版したそうなんだけど、その本に関する著者のインタビューが載ってたんですね。

で、タイトルに惹かれて興味本位で読み始めたんだけど、そしたらそのインタビューにすごい事が書いてあった!な、なんと:

「レオナルド・ダ・ヴィンチは元々カタラン人だった!」

とか書いてあるじゃないですか!!!「えー、そうなのー!!うそー!!!」って、かなり興奮して続きをどんどん読んでいくと、これまた、ものすごい事が書いてある。



バルセロナ近郊には「モンセラット」って言う、変わった形をしたお山があるのですが、そこの修道院は結構由緒正しい修道院で、黒い色をしたマリア像がある事で大変有名なんですね。

勿論、「何故黒いのか?」って言う謎もあるんだけど、それよりも何よりも、実はこのマリア像、見る角度によって、その表情を変えるってんだから驚きです。つまり左右どちらから見るかによって、その表情が笑って見えたり、怒って見えたりする訳なのですが・・・。で、これって何処かで聞いた事のあるお話だとか思いませんか?(ガクガクブルブル)

この著者によると、元々カタルーニャに住み着いていたダ・ヴィンチ家は、何らかの理由で13世紀頃にイタリアに移り住んだらしいのですが、実はレオナルド・ダ・ヴィンチって1498年の8月から1459年の3月にかけて行方不明になってて、その間の記録が一切残って無いそうなんですね。で、この間何をしていたのか?と言う事が専門家達の間で一つの議論を巻き起こしているそうなんだけど、この作者が唱えた仮説によると、実はレオナルドはこの間、カタルーニャに里帰りをしていて、その時にモンセラットへ行き、この黒いマリア像を見たのではないか?と言ってる訳なんですよ!で、この時見たこの黒いマリア像の「微笑み」に多大なるインスピレーションを受け、後に彼はモナリザの微笑を描いたのではないか?と言う、云わば、「モナリザはMade in Catalunya!」みたいな事を言ってるんですね!

「おー、何だその全く新しい発想はー!面白いじゃないですかー!!いいぞ、カタラン人!」

で、更に更に、レオナルドがカタルーニャに来たのには隠された理由があって、それは、この地で当時非常に盛んだった錬金術を学ぶ為だったとか。そして錬金術における最も重要な物質は黒色、モンセラットの黒いマリア像、モナリザの衣服は黒、モナリザの背景の中に見えるモンセラット山・・・。そしてそれらの背後に蠢く影、それが薔薇十字軍とフリーメイソン、そしてダヴィンチ家はカタリ派の血筋で、実はレオナルドが描いてきた絵画にはある暗号が隠されていて・・・

おー、おー、面白い!これはカタラン版ダヴィンチコードです!!!こんな(色んな意味で)面白いものを独り占めするのは勿体無い!と言う訳で、下記にインタビューの全訳をしちゃいました。興味のある方はどうぞ!吹き出す事間違い無し、特にインタビュアーの最後の質問なんて爆笑もんだと思います。

Q
=インタビュアーの質問
R
=著者の返答

Q:
今日は何故この場所を指定されたのでしょうか?
Q: Por que estamos aqui?


R:
(二人とも、このレストランのガラス窓から見える古い灯台と、その奥にあるゴシック教会の塔を背景としたバルセロナ港を見つめながら)何故ならここから見える風景こそ、レオナルド・ダ・ヴィンチと最も関連あると思われる所だからです。ココこそ彼が、La Anunciacionを描いた場所なのではないか?と思われるんですね。このようにして彼は、バルセロナにおける彼の存在の証を残したと言う訳なんです。
R: (Ambos miramos por la ventana panoramica del restaurante la entrada del puerto, con el antiguo faro y las torres de las iglesias goticas de fondo). Porque este es el paisaje mas asociado a Leonardo da Vinci en Barcelona. Queda reflejado en su cuadro “La Anunciacion”. De esta manera dejo constancia de su presencia en la ciudad.

Q:
レオナルドはバルセロナに一体何をしに来たのでしょうか?
Q: Y que vino a hacer?


R:
彼のバルセロナへの訪問は彼の家族と関係があります。彼の祖先であるGiovanni da Vinci40年近くバルセロナに住み、そしてバルセロナで亡くなりました。彼は多分、親戚などとは離れて暮らしていたのだと思われます。だからレオナルドにはバルセロナに、遠い従兄弟がいたのでは?と思われるんですね。
R: Su visita puede tener relacion con su familia. Un antepasado suyo, Giovanni da Vinci, vivio 40 años en Barcelona y murio aqui. Posiblemente dejaria familia. Leonardo seguramente tenia primos lejanos en Barcelona.

Q:
と言う事は、レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャ出身と言う事なのでしょうか?
Q: Leonardo seria de origen catalan?


R:
そうだと思います。彼の苗字と家紋はどちらもカタラン人のものです。Vinciと言うのは(私にとっては)、昔のカタルーニャ領土だったConflent地方で用いられていた苗字、Vincianoの省略形です。Vincaと言う苗字は当時のカタルーニャではありふれたものでした。家紋の方はと言うと、これは3つの縦線を伴ったカタルーニャのものであり、マヨルカ王国の紋章の別ヴァージョンだと考えられます。私の推論では、彼らはカタルーニャから来たのでは?と思う訳なんですよ。
R: Creo que si. Su apellido y su escudo son catalanes. Vinci, para mi, es un apócope de Vinciano, que esta en el Conflent. El apellido Vinçà era comun en Catalunya. Su escudo es un escudo de Catalunya con tres barras, lo que es una brisura, una variedad, del escudo que representa el reino de Mallorca. Mi hipotesis es que venian de Catalunya.

Q:
何故レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャを離れたのでしょうか
Q: Y por que la dejaron?


R:
多分、宗教的な理由の為に、13世紀の初頭頃、彼の家族はイタリアへ移ったのだと考えられます。多分彼らは異端であり、当時の多くのカタラン人やオクシタニア人達と同様に、異端尋問を逃れる為にイタリアへと移って行ったのだと考えられるんですね。だから彼らは苗字にVincianoと言う、元々の彼らの出身地を匂わす苗字を付けたのだと思うのです。フィレンチェにおいてVinciと言う苗字は、外国人の苗字と考えられています。
R: Creo que su familia iria a Italia por motivos religiosos a principios del siglo XIII. Seguramente serian herejes y se instalaron en Italia como tantas familias catalanas y occitanas que huian de la Inquisicion. Entonces se pusieron el apellido de Vinciano, porque era su lugar de origen. En Florencia, los da Vinci aparecen como una familia foranea.

Q:
そうなんですか!ダ・ヴィンチ家がカタルーニャ出身だと言うのは、コロンブスがカタルーニャ出身だと言う説を彷彿とさせます。
Q: Vaya, da Vinci de origen catalan como otro personaje celebre de la epoca, Cristobal Colon, segun indican algunas teorias…


R:
興味深い事に、実は彼らは共通の友達を通じた友人関係にあったのではないかと考えられます。Americo Vespucioと言う、レオナルドが若い頃の友人なのですが、彼らは共に、Giorgio Antonio Vespucciの弟子だったとも考える事が出来ます。
R: Curiosamente podian haber tenido un vinculo de amistad a traves de un amigo comun, Americo Vespucio, amigo de juventud de Leonardo, ambos seguramente discipulos de un mismo maestro, Giorgio Antonio Vespucci.

Q:
レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャに彼の起源を探しに来たのでしょうか?
Q: Y Leonardo vino a Catalunya para conocer sus origenes?


R:
レオナルドは1481年の9月にフィレンチェで消息を絶ってから、1483年の423日にLa Virgen de las Rocasの契約書にサインをするまでの間、何処に行ってたのかは分かっていません。彼が1年半もの間、何処に行っていたのかを知る人が居ないのです。これは私の推論なのですが、彼は実はこの間、モンセラットに行っていたのでは?と思っています。
R: Sobre el mes de septiembre de 1481 desaparece de Florencia y no se sabe nada de el hasta el 23 de abril de 1483, cuando firma el contrato para pintar “La Virgen de las Rocas”. Nadie sabe donde estuvo durante ese año y medio. Creo que el habria ido a Montserrat.


Q:
どういう根拠からそのような結論に達したのでしょうか?
Q: En que se basa para llegar a esta conclusion?


R:
先ず初めに、彼の絵画に現れるイコノグラフィーが挙げられます。それらの多くに、モンセラットを見る事が出来るんですね。更に2つの絵画を描く為に、当時、実際にモンセラットに来てもいます。その一つが、1842年に寄贈された聖ヒエロニムス(San Jeronimo)なんですね。
R: Primero, en la iconografia que aparece en sus cuadros. En varios se puede ver la montaña de Montserrat. Ademas, vino a pintar dos cuadros. Uno de ellos seria el “San Jeronimo”, datado en 1842.


Q:
彼はそれをモンセラットで描いたと言う事なのでしょうか?
Q: Lo habria pintado en Montserrat?


R:
その通りです。聖ヒエロニムスは19世紀にローマで発見されました。多分、ナポレオン軍が略奪しに入った時、修道院から持ち去ったのだと考えられます。フランス人達はモンセラットにあった絵画を持ち去り、そしてこの時、フランスのコレクションにそれらを加えたのです。当時はナポレオンの叔父がそれを持っていた可能性が高いのですが、後にそれをバチカンに売り払ったのだと考えられます。レオナルドがそれをモンセラットで描いたと言うもう一つの理由は、この聖ヒエロニムスに大変似ているPau Serraと言う、1776年に創られたレリーフが存在するからなんですね。こんな事が可能なのは、当時モンセラットに掲げられていたレオナルドの絵画からインスピレーションを受けたとしか考えられません。その上、それらにはモンセラットの風景やCavall Bernat、シエラネヴァダ山脈(Sierra)の特徴なども出現するのです。
R: Si. Este 'San Jeronimo' aparecio en Roma en el siglo XIX. Creo que las tropas napoleonicas se lo llevaron del monasterio cuando lo saquearon. Los franceses se llevaron cuadros de Montserrat, que fueron a parar a colecciones francesas. El tio de Napoleon pudo haberlo adquirido y luego lo vendio al Vaticano. Digo que lo pinto en Montserrat porque existe un relieve de Pau Serrra, hecho en 1776, muy parecido al 'San Jeronimo'. Solo pudo haberse inspirado en el cuadro de Leonardo, lo que lo situa en Montserrat. Ademas, aparecen paisajes montserratinos. Aparece el Cavall Bernat y unas rocas caracteristicas de la sierra.

Q:
もし聖ヒエロニムスがモンセラットに存在したのなら、何かしらの証拠が残っているはずです。モンセラットの修道士とはその事についてお話をしたのでしょうか?
Q: Si el “San Jeronimo” estuvo en Montserrat, deberia quedar constancia… Ha hablado con los monjes?


R:
彼らの意見を聞く為に今まで何枚もの手紙を出しましたが、返事はありませんでした。
R: Envie varios correos para pedirles su opinion y no he obtenido respuesta.

Q:
何が障害となっているのでしょうか?
Q: A que lo atribuye?


R:
彼らは秘密主義者なので何も話したくないのです。もし私の推論がバカバカしいものだと思っているならば、「そのような根拠は何も無い」とハッキリと示してくるものだと思うんですね。しかしながら何も言ってこない。つまり暗に私の推論を認めているのだと言う事です。反対に、「私の論に賛同する」と連絡をくれた方々が何人かいらっしゃいました。
R: A que son hermeticos. No les gusta airear sus cosas. Si considerasen que mis teorias son una tonteria, me lo dirian claramente, que no hay bases para sostenerla. Pero no me lo han dicho. Lo atribuyo al silencio administrativo. En cambio, hay gente que se ha puesto en contacto conmigo para ratificar extremos de mis teorias.

Q:
例えば
Q: Por ejemplo?


R: Andrea Hernandz
Retrato de Musicoに出てくる楽譜は、「モンセラートの朱い本Montserrat de Vermell Llibre)に出てくるものではないかと私に教えてくれました.
R: La musicologa Andrea Hernández me contacto para decirme que la partitura que aparece en el cuadro “Retrato de musico” es una de las piezas del Llibre Vermell de Montserrat.

Q:
皆さんどのようにあなたの論を捉えてらっしゃるのでしょうか?馬鹿らしいと思っているのか、もしくは扇情主義者だと考えているのでしょうか?
Q: Teme que consideren que sus teorias son una tonteria o sensacionalistas?


R:
私の仮説は別に扇情主義ではないと思います。何時も言うのですが、私は仮説作業を行っているのだと。今の所、誰も私の論に矛盾を唱える人は出てきていません。そんな事を指し示す文書もありません。唯一存在する文書と言えば、レオナルドが1504年にSalsesにある居城を訪れたと言う事を表す文書が存在するだけなのです。そしてそれは我々をモナリザへと誘う、彼の2回目の旅を確証する事が出来るだけなのですが‥‥。
R: No son sensacionalistas. Siempre digo que se trata de hipotesis de trabajo. Nadie me ha dado hasta ahora ningun argumento que contradijera los mios. No hay documentos. Los unicos que existen son sobre su visita al castillo de Salses en 1504. Como minimo, podria confirmar el segundo viaje, que nos llevaria a la “Gioconda”…

Q:
それについてお話をお聞きしたいのですが、その前に、何故レオナルドがモンセラットに行ったのか?について聞かせてください。
Q: Hablaremos de ella. Antes digame por que Leonardo iria a Montserrat?


R:
当時の修道士の長(Abad Comendatario)はその後、ローマ法王Julio IIになります。当時、カトリック両王はモンセラットをジェロニモス修道院にしたいと考えていました。そうする為に、工事もしていたのですが・・・。
R: El abad comendatario de esa epoca era el que se convertiria en el Papa Julio II. En esos tiempos los Reyes Catolicos querian convertir Montserrat en un monasterio de jeronimos.
Incluso se hicieron obras…

Q:
だから聖ヒエロニムスなのですか?
Q: Por eso el San Jeronimo?


R:
その通りです。モンセラットで一番高い所にある礼拝堂、一番高い壁、そして一番高い山の頂、それらは全て聖ヒエロニムス派に属するものであると言う事に我々は気が付くべきなのです。そしてモンセラットの美術館には3つの聖ヒエロニムスが展示されていますし、更にモンセラットの図書館には、4つの聖ヒエロニムスに関する揺籃印刷本(インキュナブラ)が所蔵されてもいます。つまり聖ヒエロニムスに対して、何かしら特別な視線が向けられているのです。そう考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチに聖ヒエロニムスを描く様に依頼したと考えるのはごく普通で自然な事の様に思われるんですね。そして彼がモンセラットへと行った理由、それは研究の為でもありました。
R: Sí. Hay que tener en cuenta que la ermita mas alta, la pared mas alta, el pico mas alto de Montserrat son los de San Jeronimo. En el museo de Montserrat hay tres san jeronimos. En la biblioteca hay cuatro incunables de San Jeronimo. Habia un especial interes por San Jerónimo. Seria muy normal y logico que le encargasen el cuadro. Y tambien fue a Montserrat a aprender.

Q:
何の
Q: Que?


R:
錬金術です。モンセラットとサンクガットはその当時、大変重要な錬金術の中心地でもあったからです。錬金術はカタルーニャで生まれました。そこには、Ramon LlullArnau de Vilanovaと言う二人の錬金術師がいたからです。
R: Alquimia. Montserrat y Sant Cugat eran dos centros alquimicos muy importantes en esos tiempos.
La alquimia nacio en Catalunya, en la Europa occidental. Alli estan Ramon Llull y Arnau de Vilanova, que eran alquimistas.

Q:
他の絵画でモンセラットの風景が出てくるものはあるのでしょうか?
Q: En que otros cuadros aparecen paisajes montserratinos?


R:
例えばLa Virgen de las rocasでは、モンセラットのシンボルである3つの頂が出てきます。それらは男性のシンボルでもあり、洞窟が子宮を表してもいるCavall Bernat(モンセラットの近くの山)を表象しているのです。これらは皆、生命や肥沃さと言ったものを表すヘルメス主義者が用いるシンボルなんですね。レオナルドの絵画の中に、そのようなモノ達が散りばめられていると言うのは、余りにも偶然的すぎるとは思いませんか?彼の絵画はヘルメス主義のシンボルの宝庫でもあるのです。例えばモナリザ・・・
R: En 'La Virgen de las rocas', por ejemplo, aparecen tres cimas que son el emblema de Montserrat. También esta representado el Cavall Bernat, que es un simbolo falico, asi como la cueva representa el utero. Son simbolos hermeticos para representar la fecundidad, la vida. Son demasiadas casualidades. Sus obras son un compendio de simbolos hermeticos. Por ejemplo, la 'Gioconda'…

Q:
そう、ここ!ココこそ今日お話ししたかったポイントなのですが。
Q: Ahi queriamos llegar.

R:
「モナリザとは一体誰なのか?」と世界中の人が問うているのですが、それは適切な質問ではありません。「誰なのか?」では無く、「それは何なのか?」と問うべきなのです。そしてそれは一体何を表しているのか?と。
R: Todo el mundo se pregunta quien era la Gioconda, cuando la pregunta es que era, que representa.

Q:
それは何を表しているのでしょうか?
Q: Que representa?


R:
マリア、イシス、物質(ラテン語の物質を表す語、Materに由来する)、そしてこれらは全てイエスの母、マリアを表しています。と同時に、それらは錬金術における原材料、つまり「黒」をも表しているんですね。だからモナリザは黒い衣服を身に着け、そしてモンセラットにあるマリア像は黒色、黒い聖母、そしてそれは原材料‥‥。これらは全て関係しているのです。
R: Representa la Virgen, Isis, la materia, que viene de mater, la virgen madre. Al mismo tiempo representa la materia prima de la alquimia, que es negra, por eso va de negro y la Moreneta es negra, la virgen negra, que es la materia prima. Todo esta relacionado.

Q:
その不可解な微笑みは一体我々に何を語っているのでしょうか?
Q: Y que me dice de su enigmatica sonrisa?


R:
それはモンセラットの黒いマリア像(Moreneta)にインスピレーションを受けたのだと思います。レオナルドはモンセラットのマリア像の口の表現をそのままモナリザに重ね合わせたのです。両者の表現は酷似しているのですが、それは私が言い出した事ではありません。それを見極める為にはモンセラットの黒いマリア像を違う方向から眺めなければなりません。何故なら、方向によって全く違う表情が立ち現れてくるからです。ある方向から見た時は、その微笑みは軽く、もう一方の側から見た時は、その表情は険しいものへと変わるのです。つまり見る角度によって立ち現れる表情が全く違うのです。
R: Esta inspirada en la Moreneta. He cogido su boca y se la he superpuesto a la Gioconda. La expresion es muy parecida, y eso no lo he dicho yo. Para verlo, tienes que ver la Moreneta por uno de sus lados, porque cada lado es diferente. En uno, aparece una leve sonrisa, y el otro es serio. Depende de como la veas, es seria o sonrie.

Q:
モナリザの微笑と同じですね。
Q: Igual que la sonrisa de la Gioconda…


R:
そう、全く一緒なんですよ。又、モナリザが身に着けている衣服、それは神の神々しさを彷彿とさせ、このポイントもモンセラットの黒いマリア像と同じ特徴を持っていると言えるかと思います。では何故それらの事を、レオナルドは彼に絵画を依頼した人達に言わなかったのでしょうか?何故彼はモナリザを生涯死ぬまで手放さなかったのでしょうか?私はそれはレオナルドの大変重要な遺言だと考えているのですが。
R: Si, lo mismo. Podria venir de ahi. Tambien la ropa, sus velos, aludiria al caracter de deidad, de virgen negra, de gran madre. ¿Por que si era un retrato no se lo dio a quien se lo encargó? ¿Por qué lo tuvo hasta que murió? Lo veo como un testamento vital.

Q:
モナリザにはモンセラットも描かれているのでしょうか?
Q: Tambien aparece Montserrat?


R:
ハイ、何故ならレオナルドにとって、モンセラットは非常に重要な風景だったからです。モナリザには実際に存在する観測所から見た風景が描きこまれています。この絵画においては女性の肖像と同時に、風景が大変重要なものとして現れているのです。
R: Sí, es uno de sus paisajes vitales. En la Gioconda esta Montserrat visto desde un observatorio que realmente existe. En este cuadro es tan importante el fondo como la figura.

Q:
では、モンセラットの黒いマリア像(Moreneta)も又、謎めいたものなのでしょうか?
Q: La Moreneta tambien es misteriosa?


R:
ものすごく謎めいています。イタリア全土、そしてフィレンチェにはヨーロッパ中で信仰されていた「モンセラットのマリア」の為の教会が幾つもありました。それはベネディクト会や錬金術、そして異端と結び付いた黒いマリア像のシンボルでもあったのです。キリスト教会は異端だった彼らの教義を引き受けました。それらの一つが処女マリアだったと言う訳です。キリストの母は数世紀前までは実際には信仰の対象ではありませんでした。しかしテンプル騎士団がキリストに対する優位性を獲得したのです。その崇拝はカタリ派と関連付けなければなりません。そしてそれは又、イシス、そして肥沃さ、更には黒の信仰‥‥とても複雑な事象なのです。
R: Mucho. En toda Italia y Florencia habia capillas de la virgen de Montserrat, era venerada en toda Europa. Era el simbolo de la virgen negra, asociada a los benedictinos, a la alquimia y a lo que es heretico. La iglesia cristiana asumio como suyas doctrinas que eran hereticas, una de ellas es la de la Virgen. La madre de Cristo, siglos atras, practicamente no era venerada, pero con los templarios adquiere primacía sobre Cristo. Ese culto tiene que ver con el de los cataros. Representaria también a Isis, la tierra fecunda, negra… es complejo.

Q:
レオナルドはカタリ派と関連があったのでしょうか?
Q: Leonardo esta relacionado con los cataros?


R:
レオナルドの生まれた家は、薔薇十字団の様な秘密結社に関連するカタリ派を起源とした家系なのでは?と考えています。バラの花と言うのは知識と秘密のシンボルです。薔薇十字団とフリーメイソンはSanjuannismoに関連しており、それはカタリ派の教義でもありました。だから彼の絵画には、出現すべきでは無い所にSan Juanが描かれていたりするんですね。La Virgen de las rocasなんかがその良い例です。外典に書かれている一つのエピソードでもあるのですが、JesusSan Juanは子供の頃からの知り合いではなく、ヨルダン川で知り合ったのではないか?と私は思います。このSan Juanこそ、大天使によって選ばれたあのSan Juanなのです。レオナルドはSan Juanとマリアに、キリストよりも優位性を与えたのです。それはLa adoracion de los Magosと言う絵画においてハッキリと見る事が出来ます。その絵画において、キリストはとても傲慢な顔で現れ、その横にはそのキリストの行為に不満を抱いている老人の姿が描かれています。実はレオナルド自身もこの絵画に現れるのですが、キリストには背中を向けているんですね。これは、「カトリック教会の教義には賛成出来ない」と言う彼の態度表明に他なりません。
R: Creo que Leonardo deriva de una familia de origen catara, que estuvo en una orden secreta del tipo rosacruz. La rosa asociada a la sabiduría y al secreto. La rosacruz y la masoneria estan ligadas al sanjuanismo, y eso es la doctrina catara. En sus cuadros aparece San Juan cuando no tendria que aparecer. En 'La Virgen de las rocas', por ejemplo. Piensa que Jesus y San Juan no se conocieron de niños, sino en el Jordan. Es una lectura apocrifa. Este San Juan es elegido por el arcangel que lo señala. Ofrece la primacia a San Juan y a la Virgen antes que a Cristo, que es un simbolo de la iglesia oficial, romana. Eso se ve claramente en el cuadro '
La adoración de los Magos'. Jesus aparece con cara de caprichoso y al lado hay un viejo que lo desaprueba. Leonardo está en el cuadro dando la espalda a Cristo. Esta diciendo que el no esta con la doctrina catolica romana.

Q:
彼の絵画はシンボルで溢れていると言う事ですね。
Q: Sus pinturas estan llenas de simbolismo….


R:
彼はそれらの絵画を自分の仲間の為に描いたのではないのでしょうか?つまりそれらのシンボルを通して、分かってくれる人の為にだけある種のメッセージを伝える為に描いたと言う事です。そしてそれらはカタリ派の何者かによって画策された、隠された地図の様なものであり、誰かに依頼されて描いたものであるはずなんですね。
R: Creo que el hizo los cuadros para iniciados. Deberian ser de encargo, como hojas de ruta para los que se quisieran iniciar.

Q:
どのようにレオナルドと言う人間を見ますか?
Q: Como definiria a Leonardo?


R:
彼はとても賢く、頭の良い、しかし不節操で不安定な心の持ち主だったと思います。彼は沢山の事を中途半端で投げ出しているし、絵画を含め、何かしらのマエストロと言う訳でもありません。
R: Era una persona muy brillante, inteligente e inconstante. Dejo a medias muchas cosas y no era maestro de ninguna, ni siquiera como pintor.


Q:
しかし、彼は後世に絵画に関する偉大な指南書を残したし、多くの画家達は彼の事をマエストロだと捉えています。そして現在の多くの画家の中にもそう考える人達が沢山いますが‥‥。
Q: Pero dejo un gran tratado de la pintura y muchos artistas posteriores lo consideran su maestro, incluso muchos actuales…


R:
その指南書は読みましたけど、読むに耐えるものではありませんでした。間違いが多すぎるのです。彼の解剖学の研究も間違いだらけでした。レオナルドは偉大な解剖学者の弟子で、確かに解剖をしていたのですが、それは彼が弟子達の中で一番優秀だったからと言う理由なのでは無く、単に彼のマエストロがそうする事を許したからなのです。彼は他の多くの事と同様に、解剖学についてもアマチュアだったのです。レオナルドは画家としてはほんの少しの作品しか残してはいませんが、完成しなかったもの、途中で投げ出した作品の数はもっと多いのです。現代において彼のフレスコ画は崩壊しかけていますが、それは彼が適切な化学的調合を知らなかったからなんですね。
R: He leido el tratado y es infumable. Esta lleno de errores de todo tipo. Sus estudios de anatomia tambien estan llenos de errores. Era discipulo de un gran anatomista, hacia disecciones porque le dejaban, no porque fuese el primero. Era un aficionado, como en tantas cosas. Como pintor hizo pocas obras y acabo muchas menos. Sus pinturas al fresco se echaron a perder porque no hizo las mezclas quimicas pertinentes.

Q:
しかしレオナルドがもし錬金術を身に付けていたのなら‥‥
Q: Pero si era alquimista...


R:
錬金術に関しても彼はアマチュアだったのです。レオナルドは過大評価を受けている人物だと私は思います。そしてとても保護されている。彼は確かにシンボルに溢れる連作を描いてはいますが、人類の歴史の中でそれを成し遂げたのは何も彼一人ではないのです。ラファエロやミケランジェロの方が画家としては数段優秀だったと思います。彼らに比べると、レオナルドの絵画はインスピラーションに欠けると言わざるを得ません。もっと正確に言うと、彼の絵画はシンボルのカタログであり、重要な風景のカタログだと言う事が出来るでしょうね。何故なら彼は、ある特殊なグループの人達の為にだけ描いていたのですから。
R: Incluso en eso era un aficionado. Leonardo es una persona muy sobrevalorada. Lo veo como un protegido. Hizo una serie de cuadros llenos de simbolos, pero no es el unico. Rafael o Miguel Angel eran mas competentes como artistas. Sus pinturas estan carentes de inspiracion. Son mas bien un catalogo de simbolos y paisajes vitales. Pintaba para los suyos, para su orden.


Q: Racionero
(カタラン人)はあなたのこの著作のプロローグで、イグナチオ・デ・ロヨラ(有名な修道士)とモンセラットについての本を書く事を薦めていますが、これが次回の研究テーマになるのでしょうか?
Q: Racionero le alienta en el prologo de “el viaje secreto de Leonardo da Vinci” a escribir un ensayo sobre Ignacio de Loyola y su relacion con Montserrat.
Esta sera su proxima investigación?

R:
いえ、それはもうちょっと後にとっておこうと思っています。今やりたい事、それはヒットラーの伝記を書くと言う事です。
R: Aun no. Primero quiero hacer una biografía de Hitler.

Q:
まさか、ヒットラーがカタラン人だったなんて言うんじゃないでしょうね?
Q: No me diga que era origen catalan!


R:
残念ながらそれはありません。
R: Afortunadamente no.
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