スマートシティに関しては当ブログで散々書いてきた通りなので今更書き足す事は無いと思うんだけど(地中海ブログ:スマートシティ国際会議(Smart City Expo: World Congress)に出席して思った事その1:バルセロナ国際見本市会場(Fira Barcelona)の印象)、「バルセロナのこの会議」に関して言えば、その構想の初期段階から関わっていた事なども手伝って、「非常に感慨深いなー」というのが正直な所でしょうか。と言うのもですね、スマートシティなるものが一体何モノなのか世間一般にはまだよく知られていなかった5年程前のこと、「この分野でリーダーシップをとっていく事が、バルセロナの競争力ひいては都市の魅力を確保していく上で絶対に必要になります!」と、当時の市長や局長クラスを説得し、当時はまだ「知る人ぞ知る」っていう存在でしかなかったSENSEable City LabのCarlo Rattiを招く事によってバルセロナ誘致に漕ぎつけた‥‥という事情があるからなんですね(地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー)。
そんなスマートシティ国際会議の一環で今週バルセロナでは実に画期的な試みが行われているんだけど、それこそ今日のお題である「バルセロナ市バス路線変更プロジェクト」なのです。
これは何かと言うと、その名の通り「バルセロナ市内を縦横無尽に走るバス路線の変更を行う」っていう街全体を巻き込んだ壮大なプロジェクトなんだけど、何を隠そうこのプロジェクトを担当していたのは僕でしたー。←これ、嘘の様なホントの話(笑)。
バルセロナ市役所で働いていた時は主に4つのプロジェクトを担当していて、1つはグラシア地区の歩行者空間プロジェクト(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)、もう1つは欧州委員会との恊働プロジェクト(地中海ブログ:EUプロジェクト、ICING (Innovative Cities for the Next Generation)最終レビュー)、そして欧州グリーン首都賞を受賞したビトリア市の都市計画/都市モビリティ、そして最後の1つがこのバルセロナ市バス路線変更プロジェクトだったという訳なんです。
まあ勿論一人でやった訳では無くて、というかそんなこと口が裂けても言えなくて(汗)、市役所の同僚は勿論のこと、バス会社(TMB)で担当だった人達、地元工科大学のモビリティ分野の世界的権威、エネルギー関連のスペシャリストなどなど、実に様々な人達の何年にも及ぶ努力の結晶が、今日見るバス路線に結実した事は間違いありません。
「バルセロナモデル」に代表されるバルセロナの画期的な都市計画を研究している研究者は世界中に数多いるんだけど、文献や担当者との表面的なインタビューに頼るのではなく、実際の現場で手を動かし、あれやこれやとアイデアを出し合いながら「都市のかたち」を模索していくこと、そんな現場に参加する事が出来たという幸運。それらの事は今後の僕の人生にとって掛替えのない財産になったことは間違いないと思います(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?まとめ)
さて、では一体「何がそんなに画期的だったのか?」というと、それを説明する為には先ずバルセロナの都市形態の話から始める必要がありそうです。
これまた当ブログでは何度も説明してきた様に、バルセロナという街は胡桃の様な形をしているローマ時代に創られた歴史的中心地区(上の地図の真っ黒い部分がバルセロナの歴史的中心地区)、その胡桃を包み込む様に広がっている碁盤の目、更にその碁盤の目の外側に広がっている郊外という3層構造をとっていて、その中でもバルセロナにとって決定的に重要だったのが、19世紀半ばにイルデフォンソ・セルダ(Ildefonso Cerda)により導入された板チョコの様な新市街地、通称セルダブロックなんですね。
一辺約130メートルの四角形が整然と150個も並ぶ風景は圧巻としか言いようがありません。「なぜセルダがこの様な画一的な計画を実行したのか?」については諸説あって、例えばその1つがセルダの友人だったモントゥリオル(Narcis Monturiol:潜水艦発明の先駆者(地中海ブログ:エティエンヌ・カベ(Etienne Cabet)とモントゥリオル(Narcis Monturiol)))の影響を受けたんじゃないか?という大変ロマンチックなものが存在したりします。このモントゥリオルなる人物は、「海底2万マイル」に影響を受けて潜水艦を発明したんだけど、その彼の思想に多大なる影響を与えていたのがエティエンヌ・カベだったと言う事は専門家の間では良く知られている話だったりします。
ちなみに「ノーチラス号の資金源がビーゴ近郊に沈没した船からだった」というのは、「他には何も無い」と皮肉を込めて言うガリシア人達が嬉しそうにする数少ない自慢話の1つです(地中海ブログ:ガリシア旅行その3:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築、ビーゴ大学(Univeristy of Vigo)その1:ミラージェスの真骨頂、手書きのカーブを存分に用いた名建築)。
もう1つちなみに、HUNTER x HUNTERの12巻に出てくる幻影旅団が隠れていたヨークシンシティの地図は、バルセロナの新市街地(詳しく言うとMaria Cristinaからサンツ駅、そしてスペイン広場)辺りをコピーしているという事は以前書いた通りです(地中海ブログ:世界最悪の絵画修復が村の最高の宣伝になってしまった件とか、HUNTER x HUNTERの中に密かにバルセロナが登場する件とか)。
(スペイン広場辺りの地図:上のHUNTER x HUNTERの絵と比較すると如何にそっくりかが分かるかと思います)
あー、脱線してしまった‥‥。という訳でセルダの都市計画に話を戻すと、最近ではこの19世紀半ばに創られたセルダブロックが再び脚光を浴び始め、駐車場や工場として不適切利用されていた中庭を市民に開放しようという動きがある事などは当ブログで紹介してきた通りです(地中海ブログ:エンサンチェ(Ensanche:新市街地)セルダブロック中庭開放計画その1: Jardins de Maria Merce Marcal)。
一方、都市内におけるバスの路線というのは、一般的に言ってその都市の拡大と共に発展してきたと言えるかと思います。つまり今までは人があまり住んでいなかった地域が開発された事によって、その地域に市民が集中し始めたが為に既存の路線が無理矢理繋げられたり‥‥と言った様に。その様にして出来上がったのが現在我々が各都市で見る事が出来るバス路線なんだけど、それらは文字通り「グニャグニャ」としていて、ある地点からある地点に移動する所要時間にしてもエネルギー消費の観点から見ても明らかに最適化されているとは言い難い状況に陥っているのが常だと思うんですね。
今回バルセロナで僕達が目指したもの、それは地点Aから地点Bに移動する際に最も所要時間が短くなり、且つ、最もエネルギー消費が少なく、そしてなるべく多くのエリアを最小のバス路線と本数でカバー出来ると言う最適解でした。
その際に大変考慮したのが上述したセルダブロックであり、バルセロナという都市が「地」として元々持っていた都市形態だったのです。もっと具体的に言うと、整然と並べられたセルダブロックに沿って上の図でA点からC点に移動したい人は、取り合えずA点からB点まで直進してからB点で一度乗り換える。そして再びB点からC点まで直進する事によって移動時間を最小化出来る‥‥というアイデアなんですね。このアイデアを実際の路線に翻訳するとどうなるか?と言うと、こうなります:
山手側から海側に向かって一気に降りて行くバス路線。そしてもう1つは:
左手側(右手側)から右手側(左手側)へと真横一直線に進んで行く路線群。それが合わさったのがこれ:
現在バルセロナ市内を走っているバスにはH18とかV20と言った「H」と「V」という記号が付いているのですが、これはHorizon(水平)とVertical(垂直)の頭文字であり、その記号を見る事によって市民は「あー、このバスは水平に走ってるバスなんだなー」と、一目で認識出来るという訳なのです。
さて、この様なプランを実現する際に非常に重要になってくるのが乗り換え場所、つまりバス停なんだけど、このバス停のデザインとコンセプト創りには非常に長い時間とエネルギーが注ぎ込まれました。
と言うのもバルセロナのバス停は、大体400メートル毎に配置されているんだけど、この400メートルという数字がミソで、これは大人が普通に歩いて5分の距離であり、歩いて5分というのは人が歩こうと思う限界時間なんだそうです。つまり5分を超えると他の交通手段を使おうとするらしいんですね。更に更に、400メートルというのは上述のセルダブロックに換算するとブロック3つ分に相当するんだけど、この様に上手く分配されたバス停をその地域における情報の結節点、つまり「日本で言う所のコンビニの様な存在にしようじゃないか!」というのが僕達が出した最初の提案でした。
そしてそれら情報の結節点には当時としてはかなり斬新だったタッチパネル式の液晶を配置し、そこで市民は様々な情報を得る事が出来る‥‥という提案がなされたのです。
現在見る事が出来るバス停にはこれら全ての提案が「反映されてはいない」んだけど、と言うのもバス停のデザインに関して絶対的な権限を持っているのがフランスの大手広告会社、JC Decauxという会社であり、バス停に関しては彼らの意向に従う必要があったからなんですね。ちなみにこの会社のビジネスモデルは非常に面白くて、彼らは例えばバルセロナ市なんかにこう働きかけるわけですよ:
「バス停を無料でデザインします。建設費も設置費も全て我々が負担します。その代わり、バス停での広告独占権は頂きますよ」
と。この話を聞いた時は度肝を抜かれましたけどね(笑)。ちなみにセニョール・デコーがバルセロナに来る時は「わざわざ市長が出迎えに行く」という噂があります(笑)(地中海ブログ:JC Decaux(JCデコー社)とフランス屋外広告事情;地中海ブログ:ヨーロッパのバス停デザイン:バルセロナ新バス停計画)。
まあ、そんなこんなで、足掛け10年あまりを経てようやく実施に辿り着く事が出来た今回のバルセロナ市バス路線変更計画。勿論ここがゴールではなくて、今後市民へのアンケートなどを経て、市民の反響などを見ながら少しづつ路線修正していく事になると思います。
そう、我々が毎日使うインフラの計画、ひいては都市計画とは、その計画が竣工した時がゴールなのではなく、「そのインフラを使っている市民がどう思っているのか?」、「使い勝手はどうなのか?」、「何処か不備は無いのか?」などユーザーの反応を見ながら段々と修正していく、最適化に近づけていく、そこまでやって初めてインフラ計画と言えるのです。
そういう意味で言うと、バルセロナのバス路線変更計画はまだ始まったばかりなのです。