地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ
先週末(10月19日−20日)、バルセロナでは通常入る事が出来ない150以上にも及ぶ公共建築や私邸、はたまた一般企業の本社屋などを一般公開するイベント、オープンハウス(アーキテクチャー)が行われていました。



オープンハウスなるものを世界に先駆けて始めたのはロンドンだと思われるのですが(1992年)、建築/アーバニズム王国として知られるバルセロナ市がそのイベントに参加し始めたのは意外にもごく最近、3年前のことなんですね(その辺の経緯については以前のエントリで少し書きました(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。



バルセロナのオープンハウスで訪れる事が出来た建築の中で特に印象に残っているのは、ガウディ建築の傑作の1つ、サンタ・テレサ学院(地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))、ガウディの影武者だった男、ジュジョールによるプラネイス邸(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))、そしてカタルーニャが生んだ近代建築の巨匠、セルトによるパリ万博スペイン共和国館(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)などなど。



僕にとって建築というのは表象文化であり、「その地域に住む人達が心の中に思い描いていながらもなかなか形にする事が出来なかったものを一撃の下に表す行為」、それが建築だと考えています。つまり建築とは、地域で共有されている情報の可視化(ビジュアライゼーション)であると捉える事が出来、それが根差している地域社会における記憶であり情報の集積であり、代々受け継がれてきた(もしくは受け継がれていくべき)資産でもあるのです。



この様な「建築=地域の情報」をオープンにしていくという行為は、その地域に住んでいる市民の皆さんに自分達の街についてより良く知ってもらうという行為を通して、「自分達の街の誇り」や「地域固有の問題」などについて深く考えてもらう良い機会になると共に、(この様な情報の共有は)成熟した社会、ひいては民主主義にとって必要不可欠なプロセスだとも思います。



‥‥僕は長い間、「街中のどの様な要素が、その街の人々のアイデンティティ、はたまた市民意識を育むのか?」という事に大変強い関心を払ってきました。何故ならそれこそ都市を創造する/再生する際の基本要素だと思うし、バルセロナの都市戦略/都市計画が成功した理由の1つだとも思うからです(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



とは言っても、僕なんかがそんな大それた問題に答えられる訳もなく、今まで手探りでバルセロナの中心市街地活性化に関わりながら考え続けてきたんだけど、そんな僕の経験から言わせてもらうと、ヨーロッパ、特に集まって住む事を喜びとしてきた地中海都市の人々にとっては、「その町に変わらず存在する街角の風景こそ、そこに住む人々の心の拠り所、はたまたアイデンティティの原点になっているのかなー?」と、漠然と思う様になってきたんですね。

そんな事を思う様になったのは、3年程前から夏のバカンスで訪れているスペイン北部ガリシア地方にある村(人口400人程度)での滞在がキッカケでした(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事)。



周りを山に囲まれた大自然の中にあるこの村には、ローマ時代に創られた小さな小さな橋が1つ残っているのですが、この村に暮らす人々にとってこの小さな橋はこの村の誇りでありシンボルであり、親もその親もそのまた親も、ずーっと見てきた変わらない風景なのです。



だからこそ、その村では誰しもがその橋に纏わる思い出の1つや2つ持っていて、「この橋のここの石、私が小さい頃にはね‥‥」みたいな世間話が近隣同士で自然と発生し、その様な記憶を地域全体で共有する事が出来ていたのです。そしてもっと重要な事に、その様な意識が次第に(というか自然に)この橋をこの町のシンボルにまで押し上げ、ひいては「その風景を地域として守っていこう」という共有意識が生まれるに至っているのです。

‥‥「あれ、これってバルセロナでも同じ様な事が行われているよなー」と、僕が気が付いたのはごく最近の事でした。



それにはバルセロナの都市形態が深く関わっているのですが、と言うのも、地中海都市というのは概してコンパクトであり、人々は「密集して住まなければならなかった」が故に、「どの様にしたら楽しく集まって住む事が出来るのか?」、「どうすれば高密度の生活に彩りを与えられるのか?」という事を数百年に渡って考えてきたからです。逆に言えば、地中海人とは「集まって楽しく住むこと」のエキスパートでもあるのです。



そんな歴史的熟考の上に考え出されたのが、公共空間を核とした生活様式だったんだけど、つまりは「自分の家のリビングは狭いけど、家の目の前にはリビングの延長としての日当りの良いパブリックスペースがある」という考え方です。だから、その様な「自分の庭」を何処の馬の骨とも分からない建築家に勝手にいじられようものなら(例えそれが有名建築家であろうがなかろうが)物凄い批判が飛んでくる訳ですよ!



その事を実際に目にする機会を得たのは今から数年前、バルセロナのグラシア地区に新しく建った公共図書館とその為に整備されたパブリックスペースを巡って引き起こされてしまった大変衝撃的な事件を通してでした。



スペインでは巨匠の部類に入る建築家が公共空間をデザインしたのですが、そのデザインを見た市民からモーレツなダメ出しをくらってしまい、その事を全国紙が大々的に報じて社会問題にまで発展してしまったんですね(地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



どんなデザインだったのかというと、まあ、建築家が大好きな「記号」や「引用」を使いまくった大変奇抜なものだったんだけど、市民の間からは「何?あれ!意味分かんない」みたいな意見が続々と寄せられ大バッシングの嵐、嵐、嵐!!



この事件が僕にとって大変衝撃的だったのは、都市の変化に対して市民が大変鋭い目を光らせているということ、そしてその目からは幾ら巨匠建築家であろうと逃れられないという事実でした。



逆に言えば、その様な市民の目が機能しているからこそ、建築家も本気で風景を考えなければならないし、この様な正のフィードバックが働いているからこそ、地中海都市の風景は保持されてきた訳で、バルセロナでは公共空間が昔から重要視されてきた所以でもあるのだと思います。何故ならその様な議論というのは、いつ如何なる時も公共空間から沸き上がってくるものだからです(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。



その一方で、「この様な事が何故可能になったのか?」を解明し説明するのは決して簡単な事ではありません。そこには幾つものレイヤーが入り込んでいて、それらが様々なフィードバックを起こしながら1つの現象を形作っているからです。



しかしですね、その様な市民意識、はたまた地域への愛着の様なものが生まれ、それが市民の間に共有される様になった1つのキッカケは、そこに変わらず存在する風景や建築が「情報として」、その地域に住む人々に共有されていたという事が挙げられるのでは?‥‥と思います。



そしてもっと重要な事に、「自分達が住んでいる街についてより良く知ってもらおう」という意欲を、市民側だけでなく行政側も良く理解し、市民と一体となりながら様々なイベントを通して、正に市民の為に、ひいては自分達の街の為に情報を公開する事に惜しみない努力を注ぎ込んでいる‥‥、そしてその様な1つ1つの小さな積み上げこそが「現在のバルセロナのかたち」を創り上げたと言っても過言ではないのです。

‥‥と、そんな事を思いつつ、今年もオープンアーキテクチャーにレッツゴー!

追記: 今年(2013年)のオープンハウスは例年とは違い、ちょっとビックリする様な試みが為されていました。それがコチラ:



50ユーロ払うと列に並ばなくても直ぐ建物に入れるという「ビジネスクラス」みたいなチケットを販売していたんですね。「む、む、む‥‥50ユーロか‥‥ちょっと高いけど、一度経験するのも悪く無いかも‥‥」とか思いつつも購入する事に。そしてこれが大成功!

と言うのも、このイベントで大変悩まされてきた事の1つに、「何処に行っても人、人、人」という混雑が挙げられるからです。そうすると、どういう事になるかと言うと、1つの建物に入るのに1時間待ち、他の建物に行ったら行ったで、人気の建物は予約が必要で結局入れず(悲)‥‥という様なストレス満載の状況が多々発生する訳ですよ!

今回の試みはこの様な混雑を少しでも解消しようと実験的に導入されたらしいんだけど、これが大当たり!何処に行っても直ぐに入れて、おかげで今年は見たいものを全て見る事が出来ちゃいました。大満足です!!!

JUGEMテーマ:アート・デザイン
| バルセロナ都市 | 05:10 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
第8回モデルニスモ祭り:19世紀末にタイムスリップさせてくれる素敵な地区祭り
暑い、非常に暑い!バルセロナは先週辺りから急に暑くなってきて、日中なんかは25度を超える日が珍しくなくなってきました。アンダルシアや内陸部では35度を超えている所もあるんだとか。



そんな状況なもんだから、バルセロナのビーチは6月初旬と言えども結構な人達で大賑わい。もうホント、初夏の到来って感じです。

さて、バルセロナでは毎年この時期になるとハイシーズン(夏)の到来を祝う、Fiesta Mayorと呼ばれる地区祭りが市内の至る場所で企画され、街路が華々しく飾り付けられたり、交通を規制して即席のコンサート会場やテラス席が設けられたりして、それこそまるで街全体で初夏の到来を喜んでいるかの様な、そんな光景に出くわす事が出来るんですね(グラシアの地区祭りについてはコチラ:地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。そんな中、今週末は毎年恒例の「モデルニスモ祭り」がGirona通りの一角にて開催されていました(去年のお祭りの模様についてはコチラ:地中海ブログ:第7回バルセロナ、モデルニスモ祭り(Fira Modernista de Barcelona 2011))。



まあ、お祭りというのはその地方の(民俗的な)個性が存分に現れる所に面白みがあると思うんだけど、このモデルニスモ祭りというのは、これが行われているバルセロナの新市街地の特性がハッキリ見えるという意味において大変興味深いものとなっていると思います。

どういう事か?

バルセロナ市内の各地区は「何とか自分の地区のお祭りを一番魅力的なものにしよう」と競っている側面があるのですが、「一体何が自分達の地区の魅力なのか、特徴なのか?」という事を考えに考えた挙げ句、この新市街地の住民達が捻り出したアイデア、それが自分の家の前のファサードに華を添えている「モデルニスム期の建築を有効活用しよう」というコンセプトだったのであり、それを発展させた「モデルニスモ祭り」という解答だったんですね。



当ブログでは何度も主張してきたんだけど、バルセロナが誇る建築的なお宝は何もガウディやムンタネールといった巨匠達によって創られたものだけではありません。



彼らの建築が素晴らしい異彩を放っているという事と、そこだけを取り上げて誇張するメディアの偏向によって日本では全く注目されないんだけど、この新市街地に散りばめられている有名/無名の建築家達による無数のモデルニスモ建築の共演こそ、バルセロナが誇るべきお宝中のお宝だと僕は思っています。故にその事に気が付いた少数の人達はこのエリアの事を「黄金の四角形」と呼んできた程なんですね。



そんなお宝満載のこのエリアの地区祭りでは、このエリアに住む人達がモデルニスモ期の衣装に身を包み、世紀末の風景と一体となる事によって、一歩このエリアに足を踏み入れると、恰もその時代にタイムスリップしたかの様な、そんな素敵な体験が出来ちゃう希有なお祭りとなっています。



まあ、早い話がこの地区全体を巻き込んだ世紀末コスプレ大会という事です(笑)。そしてこのコスプレ大会を特別なものにしているのが、何を隠そう上述したモデルニスモ建築群なんですね。逆に言うと、それらの建築群がこのお祭りの舞台背景を用意してくれているからこそ、モデルニスモ祭りの雰囲気が一味も二味も違う物になっているという事が出来るかと思います。そんな素敵なモデルニスモの建築は例えばコチラ:



1912年から14年に掛けて創られた薬局です。当時の雰囲気をありありと伝えていますね。外観だけではなくて、中もかなりキチンと修復保存されている:



こんな素敵な薬局で薬とか買ったら、それこそ病気なんて直ぐに治りそうだよな〜(笑)。正に「病は気から!」(地中海ブログ:リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech i Montaner)によるモデルニスモ建築の傑作、サンパウ病院(Hospital de la San Pau):病院へ行こう!どんな病気も直ぐに治るような気にさせてくれるくらい雰囲気の良い病院)。もしくはコチラ:



パン屋さんです。実は今、バルセロナでは昔ながらの窯で焼いたパンが密かに流行っていて、そんな窯が残っているパン屋さんの前には長―い行列が出来るという現象が起こっているのですが、勿論そんな希有なパン屋さんなんて市内でも数える程しかありません。何故ならそれらの窯は近代化(機械生産化)と同時に殆ど取り壊されてしまったからです。



で、ここからがポイントなんだけど、それらの窯を取り壊し、(当時としては最新式の)機械を取り入れる事が出来たパン屋さんというのは、当然「儲かっていたパン屋さん」なのであり、全く儲かっていなかったパン屋さんは機械の窯を入れる事が出来ず、今日まで昔ながらの窯でパンを焼く羽目になってしまいました。



‥‥それから百年後、当時は思いもしなかった事態が起こります。そう、昔は全く無価値だと思われていたパン窯に新しい視線が注がれ、それが「価値あるもの」として急浮上してきたのです。その結果どうなったかというと、昔は繁盛しまくってて最新機器を導入する事が出来た/してしまったパン屋さん、つまりは昔ながらの窯が残っていないパン屋さんが冷や飯を食わされる事となり、逆に、貧乏で貧乏で最新設備が買えなかったパン屋さんが棚ボタ的に儲かり始めるという逆転現象が起こってきている訳ですよ!

この話の本質は、実は「何故バルセロナの都市計画がバルセロナモデルとして成功したのか?」という話と通じる所があると思うので、以前のエントリで詳しく書きました(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

いかん、いかん、又脱線してしまった‥‥。



さて、このお祭りには他にも、その昔市内を走っていたバスやタクシーが展示してあったり、街中で即効の演奏会が開かれていたりと、それこそ様々な角度からモデルニスモの雰囲気を市民に味わってもらおうと、連日何十という企画が用意されているんだけど、毎年参加してる僕の目から見ても大変珍しかったのがコチラです:



朝来た時はこの機会仕掛けの「おもちゃ」みたいなのが「でーん」と置いてあるだけで、「あー、これは世紀末に使ってた何かの仕掛けなのかなー」くらいに思っていたのですが、夕方頃にもう一度来てみたらビックリ:



何とこの機械仕掛けのおもちゃ、動いてるじゃないですかー!しかも子供達が乗っている‥‥。 そーなんです、実はこのおもちゃ、どうやら当時の遊園地にあった観覧車の原型みたいなものらしいんですね。幾つかある椅子みたいな所に子供を乗せて、それがグルグルと回転する様になっています。勿論動力はコチラ:



人力(笑)。回すのは結構大変らしく、この人、かなりゼーゼー言ってました(笑)。そりゃ、疲れるよなー。しかもかなり暑かったし。で、この観覧車の横にはコチラ:



世紀末のメリーゴーランド。勿論こちらも人力(笑)。



雰囲気を出す為なのか、その横では当時の衣装に身を包んだおじいさんが、一生懸命炭を燃やして煙を出してました(笑)。単に煙たいだけだったんですけどね。



又、このモデルニスモ祭りでは、バルセロナ市を始めとするモデルニスモ建築の遺産を持つ各都市が各々のお宝を宣伝するというマーケティング的な要素も強い為、それらの自治体が各々のスタンドに出版物やパンフレットなどを所狭しと並べ、一生懸命宣伝している様子を観察する事が出来ます。それら陳列品の中には書店では手に入らないものや、その町に行かないと買えないものなどが結構あったりする上に、時々無料で貰えちゃったりする訳ですよ!



今年はモデルニスモに焦点を絞った新聞と、現在バルセロナ市が結構力を入れてるセルダブロック中庭開放計画に関連した書籍などをゲット!特に後者は書店では売ってない結構貴重な本だと思う。



この様な街全体を巻き込んだお祭りを見ていると、「やはりスペイン人達は自分達の生活にリズムを付ける為、ひいては生活を楽しむ為に街を使うのが上手いなー」と感心しざるを得ません。そしてそこで繰り広げられる人々の生活、主人公としての我々の振る舞いに舞台を提供し、雰囲気を創り出してくれているのは、「街路を彩っている建築である」という、結構基本的なんだけど、ついつい忘れがちな事実を我々に思い出させてくれます。と言うか、そういう事が分かっているからこそ、この街の人達は一つ一つの建築を大事に使い続け、何百年も前から子々孫々に受け継いできているんだと思うんですね。それがこの街に住む人達の心に「街を思いやる気持ち」を芽生えさせ、ひいては彼らの自身のアイデンティティに繋がっていくのだから。
| バルセロナ都市 | 03:33 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルサのグアルディオラ(Josep Guardiola)監督辞任会見
一昨日(金曜日)13:30分の事だったのですが、かねてから噂されていたペップ・グアルディオラ氏のバルサ監督辞任記者会見が行われました。2時間遅れで始まった記者会見の生中継(地元のテレビ局TV3)を同僚のカタラン人達と一緒に見ていたのですが、会場には数えきれないくらいの報道陣に加え、最前列には神妙な面持ちのバルサ現役選手達の姿なども映し出され、多くのカタラン人達がこのテレビ中継に齧り付いていた事だろうと思います。



当然の如く、翌日の新聞の一面は何処を見てもグアルディオラ氏の辞任会見記事で埋まりまくり、カタルーニャ地方の大衆紙(El Periodico)などは数ページに渡ってグアルディオラ氏の特集記事を組む程に。まあ、バルサというチームがカタルーニャ社会、ひいてはスペイン社会に与えるインパクトの強さを考えれば当たり前と言えば当たり前なんですけどね(地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



ちなみに上の写真はバルサが2009年に欧州チャンピオンズリーグ優勝をローマで決めた時の写真。上述したEl Periodicoはこの写真を用いて「グアルディオラよ、永遠に」と題された特集を組んでいました。ミケランジェロが描いた「アダムの創造」に引っ掛けた、こんなフォト・モンタージュが世間を賑わせていたのも今となっては良い思い出かな:



そんなカタルーニャ中が注目していたグアルディオラ氏の口から語られたバルサ監督辞任の理由は以下の通りです:

「辞任します。単純な理由ですよ:もう空っぽなんです‥‥これ以上クラブにも選手達にも何もしてあげられる事がないんです。サッカーへの情熱を取り戻す為にエネルギーを蓄え、自分自身を充電する必要があると、そう判断しました」
“Me voy. La razon es muy simple: estoy vacio. Siento que ya no puedo dar mas, necesito llenarme de energia”

「昨年の10月にRosselとZubiには私の辞任が近いだろう事は伝えていました。でも、選手達には言えませんでした。」
“En octubre les dije a Rosell y Zubi que veia mi final cercano. Pero no podria decirselo a los jugadores”

「新しい監督は上手くやると思います。何も心配する必要はありません。Titoは、私がバルサに与えられないだろう事を成し遂げてくると、そう信じています。」
 “El que viene lo hara muy bien, no tengais miedo. Tito dara a los jugadores las cosas que yo ya no podria darles”

このグアルディオラ氏の決断に対して、バルサの現役選手達がSNSで一斉にコメントを発表しています:



Carles Puyol: @Carles5puyol

「ペップ、本当にありがとう!僕達に進むべき道を示してくれて‥‥」
“Muchas gracias por todo, Pep! Nos has ensenado el camino… Un abrazo muy fuerte”

Gerard Pique: @3gerardpique

「本当に多くのものをありがとう、ペップ‥‥数え切れない程の勝利、幸せ、そしてサッカーで満ち満ちた4年間を」
“Muchas gracias Pep por darnos tanto… Cuatro anos llenos de victorias, de alegrias y, sobre todo, de lecciones de futbol”

Dani Alves: @DaniAlvesD2

「ペップは僕達、みんなの人生に多大なる影響を与えてくれた‥‥それは単にサッカーだけの話じゃなくて、人間として、そして個人として僕達を導いてくれたんだ。本当にありがとう」 “Darle las gracias por lo que ha aportado a nuestras vida y no solo futbolisticamente, tambien humanamente y personalmente”

Guaja Villa: @Guaje7Villa

「一緒に過ごす事の出来た2年間、バルサに齎してくれた単なるタイトル以上のもの‥‥ありがとうペップ。そしてTito!監督就任おめでとう。あなた以上の後任はいない!僕はそう思う」
“Gracias a Pep por estos dos anos juntos y por lo que le has dado al Bare mas alla de titulos. Y enhorabuena a Tito. Nadie major que tu!”

Andres Iniesta: @andresiniesta8

「今日、ミスターバルサが重大発表をした。今は只々彼、そして彼がこの数年率いてきたチームの皆に「ありがとう」と言いたい。未だ今期の試合が残っている事を忘れちゃダメだけどね。」
“Hoy nos ha dado la noticia el mister y solo darle las gracias a el y a su equipo por estos anos, sin olvidar que aun queda temporada”

Cesc: @cesc4official

「小さい頃からの憧れでありアイドル、そして僕の閃きの源泉だったペップ。一緒に素敵な時間を過ごしてくれて本当にありがとう。一生忘れない。」
“Pep, mi idolo desde pequenoy mi inspiracion como entrenador. Gracias por el tiempo compartido. Lo valorare siempre”.

記者会見会場に現れなかったメッシはFacebookでこんなコメントを発表しています:

「僕のプロ選手としてのキャリア、そして僕の人生において彼が与えてくれた掛け替えのないもの、計り知れないものに対して心から彼に「ありがとう」と言いたい。今の僕のこの気持ち、抑え切れない感情の高ぶりがあるので、今日の記者会見には同席しない事にするよ。記者達は僕ら選手達が見せるだろう悲しい表情をシャッターに収めようとする事は分かり切ってるからね‥‥そしてそんな悲しい表情、それは僕にとって誰にも見られたくない一面なんだ」
“Quiero agradecer de todo Corazon a Pep lo mucho que me ha dado en mi carrera professional y personal. Debido a esta emotividad que siento, preferi no estar presente en la rueda de prensa, sobre todo porque se que ellos buscaran los rostros de pena de los jugadores y esto es algo que he decidido no demostrar”

4年間本当にお疲れ様でした。沢山の夢をありがとう!
| バルセロナ都市 | 18:20 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインのTwitterフォロワー数国内ランキングを見て思った事:スペインではサッカーが生活のリズムを作っているという事について
先週半ば辺りからスペインを含むキリスト教国は復活祭(イースター)の連休に入っています(って言っても今日で終わりなんですけどね)。復活祭というのはキリスト教国においては大変重要な年中行事となってて、と言うのもイエス・キリストが十字架にかけられて亡くなり、その3日後に復活した事を記念するという、数あるキリスト教の名場面の中でも最もドラマチックな瞬間を祝う期間となっているからです。



故にこれらの場面を題材にそれこそ数えきれないくらいの名画が今まで書かれてきたんだけど、ラファエッロが描いた「キリストの変容」はキリストが復活し、その後、天に昇っていく正にその瞬間を捉えた傑作だと言う事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。ラファエロ、やっぱり良いな〜。

そんな中、先週金曜日はイエス・キリストが十字架に掛けられて亡くなってしまった「聖金曜日」だったので、「その受難と死を皆で分かち合おう」というコンセプトの下、街中のお店というお店が閉まり、街全体が悲しみに包まれる日‥‥という事になっていました。ちなみにフランコ独裁政権下のスペインでは、聖金曜日にはお店を開店する事を厳しく禁止し、ラジオではクラッシック音楽だけを流し、国民に「悲しむ事」を強制していたらしい。



もう一つちなみに、カタルーニャでは伝統的に「モナ・デ・パスクワ」と呼ばれる、ゆで卵が入ったパンケーキ(通称ゆで卵ケーキ(苦笑))を復活祭の翌日に家族みんなで食べるという習慣があります。



最近の流行では、バルサ模様のチョコレートケーキや、漫画のキャラクターに模したものなど様々なバリエーションが出てきているのですが、伝統的なモナ・デ・パスクワにはチョコレートで形作られた卵じゃなくて、本物のゆで卵が入ってて、ケーキと一緒に食べるのにはちょっと困る(苦笑)という状況になっちゃったりするんですね。



と言う訳で、店頭に並んだ色とりどりのケーキを見つつ、何時もの様にクロワッサンとコーヒーで朝食をとりながら新聞を読んでたら、ちょっと面白い記事が目に飛び込んで来ました。それがコレ:「世界におけるTwitter利用状況」という記事なんです。

その記事によると、世界で一番Twitterが使われているのはアメリカで、その数なんと、107,7万人!第二位はブラジルで33,3万人。日本は第三位(29,9万人)に付けてるんだそうです。スペインはというと、インド(13万人)とメキシコ(11万人)のちょっと下、カナダ(7,5万人)の上の世界第9位で、利用者は8,5万人らしい。スペインが世界第9位というのも驚きだったんだけど、それよりも何よりも、僕にとって圧倒的に面白かったのはスペインにおける「国内フォロワー数ランキング」でした。それがコチラ:

1. Alejandro Sanz: 5,325,922
2. Real Madrid: 4,091,809
3. David Bisbal: 3,004,734
4. Andres Iniesta: 2,851,302
5. Cesc Fabregas: 2,811,863
6. Gerard Pique: 2,488,351
7. Carles Puyol: 2,481,731
8. FC Barcelona: 2,103,131
9. Sergio Ramos: 2,070,276
10. Xabi Alonso: 1,990,031

何が面白いって、ランキングベスト10の内、実に8人もがサッカー関係者で占められているという驚きの事実がです。む、む、む‥‥これはスペインという国の一つの側面を現しているかの様で非常に興味深いなー。

バルセロナに住んでいると日常生活における「サッカーの影響力」というものの凄まじさを感じずにはいられません。試合が有る時は勿論、無い時にだって「3人寄ればサッカーの話」というくらいサッカー好きで知られている民族、カタラン人。伝統の一戦、バルセロナ対マドリッドの試合がある日なんかには、街全体が何だか朝からソワソワしてるみたいだし、勝ったら勝ったで街中に花火が上がりまくり、中心街は朝までお祭り騒ぎ。で、決まって次の日は11時くらいまでは仕事場には誰も来ない‥‥みたいな(笑)。

その様な状況が社会全体を包み込んだ文化にまで昇華している国、それがスペインという国なのです。もっと言っちゃうと、スペインにおける生活のリズムというのは正にサッカーと共にあると言っても過言ではないんですね。そう、この街では一年がサッカーと共に始まり、サッカーと共に終わっていくという状況が垣間見られるのです(バルサについてはコチラ:地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



かつて我々の生活にリズムを付けていたのは一年の節目節目に行われるお祭りや祝祭などでした。豊穣を祝うお祭りや、季節の変わり目に設定されていた祝祭というのは、農作物に感謝をしたり、願掛けをするというのは勿論の事、朝から晩まで同じ様な作業しかしない極めて平坦になりがちな我々の生活に「楽しみ」を提供する大変重要な役目をも担っていたんですね。



その様な、ローカルに根ざした祝祭というのは、その土地土地の影響を色濃く受け、独自に発展してきたものであるが故に、その土地の特徴を含んだ表象行為として現れる事となりました。そして我々はそれらの違いを「文化」と呼んだりしてきた訳です。



しかしですね、都市間競争が激しさを増し、「観光」が都市の主要モーターになるにつれ、かつては生活のリズムを刻んでいた祝祭などが、何時の間にか、観光客を惹き付ける一つの道具に変わってしまったという状況を我々は目の当たりにしています。先週から今週にかけてヨーロッパ全土で行われている復活祭のパレードが正にその良い例だと思うのですが、今ではその「一風変わったお祭り」を一目見ようと、世界中から観光客が押し寄せるという状況になっているんですね。



そんな「村民や住民達の為の祝祭」が、「観光客達の目を楽しませる為の見世物」に変わってしまった現代社会において、実は未だにローカルに我々の生活に楽しみを与え、そして我々の社会のリズムを作っているのは、もしかしたら、現在最もグローバルに展開している、それこそグローバリゼーションの申し子と言っても過言ではない「サッカーのリーグなのかもしれない」とさえ思えてきます。大体スペイン人って、6月とか7月頃にリーグの優勝が決まったら、「あー、今年も一年が終わったなー」とか思ってるぽいですからね(笑)。当然そこからは全く仕事にならず、8月の1ヶ月の夏休みに突入〜!みたいな(笑)。

そんな、日常生活の中で感じる事の出来る「感覚」をきちんとした数字で定量化するというのは結構難しい事で、今回のTwitterのフォロワー数というのは、正にその良い一例かなとか思っちゃいました。つまりはそのフォロワー数が社会の中におけるサッカーの影響力みたいなものを現しているという意味において。

さあ、春の長期連休も終わり、明日からは又忙しい日々が始まります。日も長くなってきた事だし、がんばっていこうかな。
| バルセロナ都市 | 03:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナに東方の三博士来る2012
2012年がつい先日明けたかな?と思ったら、早いものでもう一週間が過ぎようとしています。スペインのカレンダーでは1月1日は元旦でお休みなのですが、翌日の2日からは休日でも何でもなく、通常営業日となっている為、街中のカフェやレストランは勿論の事、多くのスペイン人にとっては今週が仕事始めの週となった人が多いのでは?まあ、とは言っても、スペインでは1月6日が祝日となっているので、人によっては12月24日から年越しを挟んで1月7日(今年は7日が土曜日なので9日の月曜日まで)2週間程度のバカンスを楽しんでいる人も多いとは思うんですけどね。



「では何故スペインにおいて1月6日は祝日となっているのか?」

これが今日のお題なんだけど、実は1月6日というのは、スペイン中の子供達が一年の内で最も心待ちにしている日であり、「まだか、まだか」と心をときめかしている日でもあるんですね。そう、何を隠そうその日はスペインにおけるサンタクロースこと、「東方の三博士」達が遥か遠くから子供達の為にプレゼントを運んで来てくれる日という事になっているのです(詳しく言うと、プレゼントは前日の夜に各家庭に運ばれる事になっています)。

「えー、じゃあクリスマスは何にも貰えないのー?」というと、その辺は家庭の事情によりけりで(苦笑)、クリスマスと1月6日、2回プレゼントを貰えるラッキーな子もいる事は居るかな。ちなみにこの間、お子さんをお持ちの知り合いに聞いた所では、最近では「敢えて」12月24日にプレゼントを渡す家庭も少なくないんだとか。何故かと言うと、冬休みが終わってしまう1月6日にプレゼントを渡すと、そのオモチャで子供達が冬休みに遊べなくなるからという、かなり実際的な問題認識かららしい(笑)。


写真はボッティチェリの傑作、「東方三博士の礼拝」

で、子供達にプレゼントを運んでくる「東方の三博士」、日本人の皆さんにはナカナカ馴染みが無いとは思うんだけど、「メルキオール(Melchior)」、「カスパール(Casper)」、「バルタザール(Balthasar)」と言えば聞き覚えがある人が多いんじゃないでしょうか?

 

そう、何を隠そう、東方の三博士とはエヴァンゲリオンに出てきたスーパーコンピュータ、MAGIシステムに付けられていた名前でもあるんですね(どうでも良いマメ知識終わり)。ちなみにエヴァンゲリオンの中ではこれらの3博士は、それぞれが「人間の持つジレンマを表している」と設定されているのですが、聖書に登場する3人の博士はそれぞれ青年、老年、壮年、といった3世代、そしてコーカサス人、アジア人、アフリカ人という3人種を表していて、そんな彼らがイエスを礼拝するという事は、人類全てがキリストの教えの元に入るという事を表しているんだそうです。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(マタイの福音書2章2節)

この辺の話は、ヨーロッパの子供達が人生にとって大切な知識やら常識やらを「聖書」や「哲学」などから学ぶのに対して、日本の子供達が「漫画」や「アニメ」から学ぶっていう話に繋がっていって大変興味深いんだけど、その話をしだすと長くなるので又今度。

で、ここからが面白い所なんだけど、この様な子供達の夢を「何とか記憶に残るイベントにしよう」と、毎年スペインの各都市では1月5日の夕方から夜にかけて大々的なパレードが行われるんだけど、それがちょっと凄いんです。何が凄いって、子供達の為に「東方の三博士がやって来る!」っていう物語を「街ぐるみ」で捏ち上げ、様々なセクターを巻き込みながら盛大に行うっていう情熱の掛け方が半端無いんですよ!ちなみに到着した東方の三博士を出迎えるのは現職市長の大変重要な仕事であり、こういうちょっとした行事から子供達は「市長っていうのは偉い人なんだ!街にとってのヒーローなんだ!!」という事を身を以て体験し、知識として体に刻み付けていく事になるんですね。



そんなかけがえのない東方の三博士達は、毎年1月5日の午後17時頃、プレゼントを一杯積んだ大きな船に乗ってバルセロナ港に上陸する事となります。



ちなみに内陸部の都市などでは東方の三博士は電車に乗ってきたり、はたまたヘリコプターで来る所なんかもあるんだとか。(上の写真はカタルーニャ内陸部に位置するレェイダ市の模様で、王様達を出迎えているのは、レェイダ市の現市長さん)。つまりは、東方の三博士というのは、「何処かは知らないけれど、遥か遠い所からやってくる」っていう、その点が重要な訳で、それを体現する為に船やら電車やらといった乗り物が使われていると言う訳なんです。



ここからは想像でしかないんだけど、遥か太古の昔に、キリストの誕生を聞きつけて「東方」からラクダに乗ってやってきたとされる東方の三博士っていうのは、ベツレヘム市(イエスが生まれた場所)にとっての「遥か遠く」というのが、当時は謎に包まれていた「東方」だったのであり、徒歩で来る事が不可能な距離を移動するには、当時最高最速の移動手段だった「ラクダ」が必要だったと、そういう事だったんじゃないのかな?そう考えると、「遠くから来る」という事象を、「移動スピードが速そうな乗り物(船や電車)で暗示する」と言う事に未だに頼っている所を見ると、我々人間としての「想像力」と言うのは2000年経った今でもそれ程変わってないのかな?と、そう思ってしまいますよね。

さて、港で市長の出迎えを受けた東方の三博士達は、その後、約3時間程を掛けて市内をパレードする事になるのですが、これが見応え抜群なんです!それぞれの王様達が、プレゼントを載せた馬車やら部下やらを従えて街中を練り歩くのですが、その山車の凝ってる事、凝ってる事!そんな盛大なパレードは、馬に乗った兵隊達のトランペット演奏で幕開けです:



「う、馬だー!」。馬なんて真近で見る事なんて殆どないので、子供達よりも僕の方が大興奮(笑)。普段は無機質なオフィスとか、香水付けた人間とか、そういう管理された環境に慣れてしまっているので、不意に「自然」に出会ってしまうと、それはそれで心が躍ります。そうこうしている内に妖精達が登場してきました:



コチラは星の国から来た星人(?)かな(笑)。



更に何だか良く分からない足長星人達も:



と思っていたら、やってきました、最初の王様、メルキオールの登場です:



うーん、流石に王様らしく、物凄い馬車に乗ってる!で、その後ろには勿論コチラ:



王様が運んで来た贈り物の山、山、山!こういうのを見て、子供達は「あの箱の中に僕/私のプレゼントが入ってるんだー」とか想像する訳ですね。それが過ぎたら、今度は何やら蓮の花の妖精達がやって来た:



「音楽もアジア的〜」とか思ったら、アジア王、カスパールの登場です。



カスパール、もうノリノリで、馬車の上で踊りまくってました(笑)。



ちなみにこのパレードの最中に、山車から妖精達が見物客目掛けて飴玉を投げるんだけど、ただの飴だと思ってナメてたら大間違い。これが結構痛いんだな!飴って結構固いし、至近距離から投げて来ますからね。と言いつつも、今年は5個ゲットしました!

さて、カスパールが通り過ぎると、今度は又、雰囲気がガラッと変わって、巨大なキリンの登場:



結構大きくて迫力満点!キリンと言えばアフリカ。と言う訳で、アフリカ王、バルタザールの出番です:



バルタザールが登場した瞬間に、「キャー、バルタザール様〜!素敵―!!」みたいな黄色い声援がアチラコチラで飛んでました。実は去年も同じ様な現象が起こっていて、スペイン人に聞いた所、どうやらバルタザールは3博士の中でも一番人気なんだとか。ヘェー、そんなのあるんですね。で、このアフリカの王様の後ろにはコレ又、機械ラクダ(?)みたいなのが居てちょっと面白かったかな:



最後は、夢の国の妖精か何か知らないけど、「良い子の皆さんはもう寝ましょうね」みたいなのと、一年を通して行儀の悪かった子にはプレゼントの代わりに炭が贈られるという伝説がある事から、木炭で一杯の山車が来て締め括り。勿論子供達は大興奮&大満足!


 
バルセロナという都市の面白い点、それはこの様な都市全体を使った催しが頻繁に行われ、市民までもがそれに参加し、そしてそこにはチョットした洒落が利いているという所だと思います。交通規制や建物開放を市役所主導で大々的にやりつつ、昨日までは就業の地だった街が、一夜にして一大エンターテイメントの場に早変わりするっていう身のこなし方も魅力的。

そして何よりも大事な事、それは未曾有の経済危機という状況にも関わらず、この様な子供達にとっては非常に重要なイベントをきちんと企画し実行出来ている所ですね。つまりは予算は削るにしても、中止にはせずにきちんと子供達に夢を与える事を忘れないっていう所だと思うんですね。こういう事が出来る背景には、「3つ子の魂百まで」じゃないけど、子供の頃に体験した「忘れられないワンシーン」が、その人の一生を左右するくらい大切な記憶として残り、そういう一人一人の想像力/創造力の積み重ねが地中海都市の文明文化を成熟させてきたという事を、市民一人一人が良く分かっているという事の裏返しだと思います。そんな場面に遭遇した時ほど、地中海都市の懐の深さと言うモノを感じる瞬間はありません。

やはり僕達日本人がバルセロナから学ぶ事は未だ未だありそうです。
| バルセロナ都市 | 19:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインを代表する知識人でありバルセロナ現代文化センター館長ジョセフ・ラモネーダ(Josep Ramoneda)氏解任に関する波紋
前回のエントリで書いた様に、今週月曜日までスペインは10日間の連休だったんだけど、その連休が終わったかと思ったら、早い所ではもう既に今日から2週間に渡るクリスマス休暇に入る仕事場もあったりするそうで‥‥ホントに何時働いてるんだ、スペイン人(苦笑)!そうでなくても来週土曜日は12月24日クリスマスイブという事で、来週が仕事納めとなる人が多いかと思われます。



そんな中、僕はと言うと、何だかんだと予定が入ってて、結局年末までは忙しい日々を送る事になるかなーとか思ってるんですけどね(悲)。そんな訳で今週はブログを更新する暇も無いくらいなんだけど、今日の新聞(La Vanguardia digital version, 15 de Diciembre 2011)にちょっと無視出来ない記事が載っていたので、これだけは急いで書いちゃおう。バルセロナひいてはヨーロッパ全土の知識人層を揺るがす程の衝撃的なニュース、それがコチラです:

「バルセロナの知識人達は、バルセロナ現代文化センター館長ジョセフ・ラモネーダ氏の今季限りでの解任に不満爆発の様子だ。現政権に送りつけた公開状にはこんな言葉が記されていた: 「バルセロナが生んだ偉大な哲学者、ジョセフ・ラモネーダ氏はバルセロナ現代文化センターを国際的に名の通った「文化の実験室」に押し上げた。彼なくしては、ここまでの躍進は有り得なかった。その事を忘れたとは言わせない」
 “Intelectuales censuran el cese de Ramoneda al frente del CCCB; En una carta abierta, recuerdan que el filosofo ha convertido el Centre de Cultura Contemporania en “laboratorio cultural de la innovacion” de prestigio internacional”

そうなんです、何と、バルセロナ現代文化センター創設者の一人であり、1994年の開館から現在まで17年もの間、バルセロナの文化を背負ってきた知の巨人、ジョセフ・ラモネーダ氏がバルセロナ現代文化センターを去らなければならないという公式なお達しが現政権から出てしまったんですね。この余りにも文化的な事情が分かっていない現政権(ちなみに現政権のCiUは今年初めて政権についた1年生政党であり、文化政策にはそれ程力を入れてない)の決定に対して、スペイン中の文化人達が反対していると、そういう訳なんです。



当ブログでは事ある毎にラモネーダ氏に触れてきたんだけど、というのも、現代スペインの社会文化状況、そして政治経済状況を語る上で彼の名は絶対に外せないからなんです。何を隠そう彼は元々哲学者なんだけど、その後、EL Pais紙、そしてLa Vangurdia紙でジャーナリストとして働いていたという事もあって、専門である哲学は勿論の事、政治経済、文学、建築、現代アート、更には最近の音楽までカバーしている無茶苦茶守備範囲が広い、知識人中の知識人。

そんなスペインの誇る知の巨人、ジョセフ・ラモネーダ氏と僕の出会いは大変唐突なものでした。

あれは忘れもしない今から10年程前の事、僕が初めてバルセロナの地を踏んだその翌日、バルセロナ現代文化センターで行われた、僕が当時通っていたマスターメトロポリス(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis))のオープニングの席で、本当なら挨拶をする筈だった故イグナシ・デ・ソラ・モラレス氏に代わり、壇上に上ったのがラモネーダ氏だったのです。

その当時は、勿論ラモネーダ氏がどんな人なのか何て全く知らず‥‥バルセロナ現代文化センターという施設が一体何をしている所なのか?という事さえ分からず‥‥勿論その数年後、その施設で働く事になろうなんて夢にも思いませんでしたけどね。



ちなみにそのオープニングの後に開催されたウェルカム・パーティーで、なに気に仲良くなってしまったのが、コテコテのカタラン人で美術評論家のミケルさん。何で仲良くなったかって、彼も僕も英語がそれ程得意じゃなかった事から、2人ともボディランゲージでなんとかコミュニケーションを取ろうとしてたら、「何となく気が合った」‥‥みたいな(笑)。結局彼は、スペイン語がさっぱり分からなかった僕に本当に親切にしてくれて、時々家とかにも招待してくれてたんだけど、「今度は仕事場に来い」とか言ってくれたので行ってみたら、何とそこはバルセロナ現代美術館の館長室だった!「えー、ミケルさん、あなた館長さんだったんですかー!」みたいな(笑)。とっても気の良いお爺ちゃんで、趣味かなんかで美術評論やってるとばっかり思ってたんだけどなー(笑)。

と、まあ、ラモネーダ氏、そしてバルセロナ現代文化センターというキーワードを見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったんだけど、では何故ラモネーダ氏はバルセロナ現代文化センターを去る事になったのか?

それはずばり、バルセロナの政権が変わったからです。その一点に尽きます。

スペイン民主化後、バルセロナ市では労働左派政権がヘゲモニーを敷いてきたんだけど、実は今年5月の選挙で、労働左派が右寄りのカタルーニャ地域主義政党に政権を奪われるという歴史的事件が勃発しました(地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2011:バルセロナに革命起こる)。それに伴い市役所内は勿論の事、関連機関などのトップだけでなく、今まで各部署でリーダー的存在だった人、現場の事が良く分かってる技術の人なんかを「根こそぎ変えてしまう」というトンでもない事態があちこちで起こっているんですね。今回のラモネーダ氏の交代は、明らかにこの軸線上に載ったものです。

未だ後任の情報は(公式には)出てないんだけど、僕の周りの噂ではESADE(バルセロナのビジネススクール)内にある社会文化研究所のとある人物が就任するんじゃないかと見られています。

まあ、個人的な意見を言わせてもらえれば、誰が館長になっても同じかな。何故ならジョセフ・ラモネーダ氏の後を継ぐ事が出来る人なんて絶対にいないからです。これと全く同じ事が都市計画部門でも起こってるんだけど(地中海ブログ:バルセロナで国連関連のワークショップ始まる:バルセロナの忘れられた地区大発見!)、これでバルセロナの文化部門も数年間の停滞、失われた4年間になる事は必至ですね。
| バルセロナ都市 | 07:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナで売ってるプリングルズの生ハム味に見るグローバルとローカルの問題
この所(かなり我侭な)知り合いのバルセロナ観光に朝から晩まで付き合わされていたのですが、観光客の視線と言うのは、普段バルセロナに住んでいる我々在住者の視線とは全く異なっていて、見慣れているはずの風景が全く違う形で目の前に現れたりして、それはそれでナカナカ面白い体験でした。



大体ですね、バルセロナに住んでたら、サグラダファミリアは勿論の事、ボケリア市場やモンジュイックの丘、スペイン村といった、ガイドブックに必ず載っている様な観光名所なんか殆ど行きませんからね。確かに日常生活においてワインは飲むし、生ハムも食べるけど、闘牛やらフラメンコを毎週見に行くなんて、よっぽどの変わり者で無い限り、そんな事は先ず無いと思います。



 「えー、サグラダファミリアって、あんなに有名で、変わった形してるのに行かないのー?勿体無い〜」

って、言う声が聞こえてきそうなのですが・・・、名古屋在住の人が名古屋城なんか滅多に行かないのと一緒(笑)。生粋のカタルーニャ人の中には、「サグラダファミリアに一回も行った事が無い」とか、「あるけど、小学校の遠足の時が最後」みたいな人が大半だと思います。住んでると行かないもんなんですよ、観光名所なんか。

そんな訳で、今回は(無理やり)ボケリア市場に連れて行かれたり、モンジュイックの丘にあるスペイン村に引っ張られて行った訳なんだけど、その様な観光客の視点から見たバルセロナの都市と言うのは、「新たなバルセロナ発見」みたいな感じで、大変印象深いものでした。特に、普段は見慣れている風景の中に、この土地独特のローカリティが織り交ざって出来上がってしまったモノ、この街の特徴を誇張したいが為に湾曲する様な形で仕上がってしまった商品なんかがチョット面白かったかな。代表的なのがコレ:



世界中、何処でも売ってるポピュラーなお菓子の一つ、プリングルズです。何処のショッピングセンターでも普通に見かけるプリングルズなのですが、実はスペインにはチョット変わったプリングルズが売ってるんですね:



じゃーん、何と「生ハム味」のプリングルズ!まあ、スペインの特産と言えば生ハムである事は間違い無くて、僕なんかは、「生ハムはスペイン人が世界に貢献した唯一の事なんじゃないのか?(笑)」とか思ってる程なんだけど、このスペイン独特の特産品を前面に押し出したこんなモノがスペインのスーパーには並んでるんですよね。

グローバリゼーションが進行する最中、我々を取り巻く風景は確実に画一化の途を辿っています。世界中、何処へ行っても同じ様な風景が展開し、同じ様な服装に身を包んだ店員さんが、同じ様なサービスを提供するという構図が我々の生活を取り囲んでいるんですね。そんな状況を指して、「我々の社会はグローバリゼーションの真っ只中に居る」、「我々の都市は何処へ行っても、同じサービスを提供する画一化に苛まれている」と言った類の批判をする事はそんなに難しい事では無いし、マクドナルドなどを持ち出して、「日本とスペインには同じ風景が展開している」と指摘する事も聞きなれた批評だと思います(Ritzerとか)。

しかしですね、我々の社会で現在起こっているグローバリゼーションと言う現象をより良く捉えている側面と言うのは、実は、その様な画一化ではなく、その画一化を乗り越えた、その先にあるんじゃないのかな?



もっと言っちゃうと、ショッピングセンターの食品棚に並んでいる沢山のプリングルスの風景がグローバリゼーションと言う状況を表しているのではなくて、何処にでも並んでいそうなその商品(プリングルス)が、その土地固有の特質や特徴(スペインの場合は生ハム)によってホンの少しだけカスタマイズされ、世界中に流通している商品とはホンの少しだけ異なっているその側面にこそ、我々は本当の意味でのグローバリゼーションの影響、もしくはその意味を見出す事が出来るのではないのでしょうか?

そしてその様な差異を見出す事が出来るのは、実は我々在住者と言うよりも、むしろ、その様な差異を求め、それらに敏感な観光客の視線なのかもしれない・・・と、そんな事を思っちゃった一週間でした。
| バルセロナ都市 | 02:15 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カタルーニャ州政府がスペイン初となる公共空間における売春を取り締まる規則を検討中らしい
先週の新聞に、「カタルーニャ州政府が公共空間における街頭売春を取り締まる規則を検討中」との記事が載っていました(La Vanguardia, 15 de Abril 2011)。何気ない1/4ページ程度の記事だったんだけど、「これって、スペインでは結構画期的な事だよなー」とか思ったんですね。まあ、そんな事思って読んでたの、僕くらいだと思うんですけどね(笑)。

ヨーロッパにおける売春の現状については以前のエントリで詳しく書いたのですが、スペインでは売春は違法ではありません(地中海ブログ:ヨーロッパの人身売買(Human Trafficking):スペインの場合)。では合法か?と言うと、そうでもなく、その中間を行くグレーゾーンと言う扱いになってるんですね。だからスペインでは売春を取り締まる法律なんかも当然無い訳で、郊外に大型売春宿を経営しているおっちゃん達の言い分って言うのは大体こんな感じ:

 「私達は売春クラブを経営している訳では無くて、ただ単に飲食店を経営しているだけ。そこへ勝手に下着姿の女の子が入って来て、飲み物を頼んで、これまた客として入って来た男性と自由恋愛をしているだけで、うちには全く関係ないよー」

みたいな(笑)。

こんな状況だから警察もよっぽどの事が無い限りお店に踏み込む事も売春を取り締まる事も出来ないんだけど、そんな曖昧な状況を利用してスペインでは最近、売春クラブが続々とオープンしていて、カタルーニャでも数ヶ月前、ダリ美術館がある事で有名なフランスの国境近くの町、フィゲラス周辺にあるLa Jonqueraと言う町に、ヨーロッパ最大となる売春宿がオープンしたばかりでした(フィゲラスについてはコチラ:地中海ブログ:知られざる美術館、ダリ宝石美術館:動く心臓の宝石はダリの傑作だと思う)。

まあ、そんな状況下にあるとは言っても、最近では「東欧から騙されて連れてこられた少女達が数十人、中心市街地のウナギの寝床の様な、本当に酷い環境下に住まわされ、売春を強要されている」と言うニュースがちらほらとメディアを賑わす様になり、「彼女達を救う為に警察が踏み込んだ」と言う記事もちょっとずつ見かける様になってはきましたけどね(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化)。

で、今回カタルーニャ州政府が検討している「売春を取り締まる規則」についてなんだけど、実はこれには先行モデルがあって、まあ、何時もの様に、フランス政府が検討中のモデルをそのまま移譲しようとしていると言う事らしい。ちなみに現在のフランスでの売春の扱いは「ほぼ違法」と言う事になっていて、中間業者などが女性を搾取している場合などは違法で、個人の意志で売春している場合は合法と言う扱いだそうです。

フランスの売春と言えば記憶に新しいのが、「ソルボンヌに通う女学生が学費を稼ぐ為に売春している」と言う記事が数年前スペインの新聞を賑わした事があって、「え、名門、ソルボンヌの学生が!」みたいな感じで、スペイン社会全体に衝撃が走った事がありましたが、こんな事が可能なのも、「個人の意志を尊重するフランスならではなのかなー?」とか思ってしまいます。逆に「96時間」と言う映画の中では、パリに観光に来たアメリカ人学生が東欧マフィアに攫われ、強制的に売春をさせられている様子が生々と描写されていました。この種の映画としては、アメリカ映画、Human Traffickingなどがあるのですが、最近この手の映画が続々と出てきたと言う事は、「この様な事が増えているので気を付けてください」と市民に警告すると言う意味もあるのでしょうね。

 

このような状況の下、フランス議会の左派と右派が珍しく一致して推進しているのが売春取締法だと言う事なのですが、実はフランスが導入しようとしているこの法律にも先行モデルが存在します。それがスウェーデンが1999年から実際に導入している法律なんですね。

「スウェーデン?性関係?どっかで聞いた様な・・・?」と思った人は結構勘がいい。そう、日本が海老蔵事件に沸いている年末に、海外で大問題になっていた、ウィキリークス創設者のアサンジ氏がレイプ告発されたのがスウェーデンでした。で、あれって、何で告発されたかって、ナンパした2人の女性とセックスした時に「コンドームを付けなかったから」って言うのが、その告発理由なんだけど、どうやらスウェーデンでは女性の求めに応じてコンドームを付けなければ罰則を与えられると言う、大変厳しい規律が存在するそうです。そんなスウェーデンでは、売春に関しても当然の如く法律が存在していて、この場合は売春婦ではなく、そのサービスを買ったクライアントに対して罰則が科せられるんだそうです。

売春って世界最古の職業って言われていて、僕達の社会が向かっているエンターテイメント型社会においては絶対に避ける事が出来ない「闇の部分」だと言う事が出来ると思います(地中海ブログ:フランクフルト旅行その1:フランクフルト(Frankfurt)に見る都市の未来)。そしてそれら売春を必要悪と捉え、売春婦の労働環境の整備、健康管理などを通して、売春を合法化する事によってコントロールしていこうとしているのが、ドイツやオランダ,そしてベルギーなどなんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの人身売買(Human Trafficking):スペインの場合)。

逆に今まで態度をはっきりとしてこなかったのが、フランスやイタリア、そしてその中でも最も酷いのが我が国スペイン!最近スペイン政府が発表した報告書によると、スペインでは売春は一日で約5千万ユーロ(日本円で約55億円)程度のお金が動く闇産業である事などから、法の網を掻い潜って東欧マフィアなんかにいい様にやられてきたんだけど、この状況が今回の取締法導入によって果たしてどう動くのか?要注目です。
| バルセロナ都市 | 19:14 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サグラダファミリア工事続行か?反対か?を巡るカタラン人建築家達の意見


今やバルセロナ市内の観光名所の一つにまでなってしまった、モンジュイックの丘にある噴水なのですが、その噴水の前に今から約
100年程前(1919年)、プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)によってデザインされた4本の柱が建っていたと言う事は案外知られていません(地中海ブログ:カイシャ・フォーラム( Caixa Forum)とプッチ・イ・カダファルク( Puig i Cadafalch))。



この柱は
1928年にPrimo de Riveraによって取り壊されてしまったのですが、実はバルセロナでは数年前からこの柱を再建しようと言う動きがあり、つい先日、その4本柱がとうとう市民の前にその姿を現したんですね。



とは言っても、はっきり言って個人的には「ふーん」って感じなんだけど、実はこの柱の再建が結構社会的な論争とかになってて、先日の新聞なんかには、カタラン文化の有識者達が賛成派、反対派に分かれて、意見を闘わせたりしていました。僕的にはそれも「ふーん」って感じだったんだけど、それを見てて思い出したのが、
1ヶ月程前に新聞に掲載されていた、サグラダファミリアの建設続行の是非を巡る論争だったと言う訳です(12 de Noviemtre 2010)



こちらはそれなりに面白かったのですが、一体何故こんな論争が出て来たのかと言うと、実は一ヶ月程前、ローマ法王がサグラダファミリアを訪問した時の事、その様子がカタルーニャ中に生中継されたんだけど、「バルセロナに住んでるのに、今まで一回もサグラダファミリアに行った事が無い!」って人や、「以前何回か入った事はあるけれど、最近の急速な工事の進歩から、まさか、聖堂の中があんなに出来てるとは思わなかった!」と言う人まで、実はローマ法王の訪問と言う事よりも、むしろ、「サグラダファミリアの内部空間の映像が一般市民に引き起こした興味」みたいなモノの方が大きかったんですね(地中海ブログ:
バルセロナの都市戦略:ローマ法王のサグラダファミリア訪問の裏側に見えるもの

翌週の日曜日には、テレビを見て興味を覚えたカタラン人達がサグラダファミリアの前に長―い行列を作るって言う珍現象まで起こった程だったんだけど、実はその事が地元建築家達の間にも激しい論争を引き起こしたと、まあ、そう言う訳です。そんな状況下で、地元の新聞、
La Vanguardia紙が複数の建築家宛に用意した質問がコチラ:

「サグラダファミリアの聖堂内部について、ガウディがこの世を去った時の状態のままにしておく方が良かったと思いますか?それとも、やはり今の様に工事を続行するに値するものだとお考えですか?」


それに対する建築家達の回答がコチラ:


賛成派:


Juli Capella


「ここまで工事を続行する価値はあったと思います。もしも、私が以前、「工事は続行すべきではない」と反対の事を言っていたとしたら、今はその言葉を撤回したいと思っています。言い訳ではありませんが、私はガウディの作品を「継続すべきでは無い」と言った訳ではありません。そうではなくて、「これはガウディの作品だ」と明言しつつ、工事を続行する事に反対だったのです。つまり、この聖堂はもはやガウディの作品ではないと言う事です。何故かと言うと、確かにこの聖堂にはガウディのアイデア、構造についてのヴィジョンなどが残っているとは思うのですが、それと同時に、彼が思いもしなかった様な余計なものが沢山付いている事も事実なんですね。それでも、森林を模した様な構造体と言い、大聖堂のオアシスと言い、ガウディのコンセプトは十分に実現されているとは思うのですが。そして私は、そんな彼の建築に感動した事をはっきりと認めたいと思います。その体験は、ローマ法王の存在よりも強烈ですらありました。そう言う意味において、この聖堂の建設を中止すると言った事は間違っていたと認めざるを得ません。今はこの聖堂を完成させる事に賛成を表明しますが、同時に我々は、これはもはやガウディの作品では無いと言う事を認めなければならないとも思います。この聖堂の建設の始まりにおいて決定的な役割を担ったガウディが、今の聖堂においても何かしらの関連があると言い続ける事はとても嘆かわしい事だと思います。ローマにあるどんな教会も、その長い建設期間においては数々の著者がいたと言う事を公式文書は表しているのですから。」


“Ha merecido la pena llegar hasta aquí. Me retracto si antes dije lo contrario. Que conste que nunca afirme- y no es para excusarme- que no debiera continuarse, sino que no debia continuarse diciendo que era una obra de Gaudi. Esto lo mantengo, porque creo que en la nave central queda una vision estructural de Gaudi, pero tambien hay mucho pegote, mucha idea de pacotilla. Sin embargo, el concepto es lo suficientemente potente como para que esa columnata arborescente, ese oasis de la nave central, este logrado. Reconozco que su arquitectura me impresiona: me parece mas poderosa incluso que la presencia del Papa. Personalmente me equivoque si dije que no habia que seguir con las obras del templo. Ahora estoy a favor de que se acabe, en especial si se precisa que lo que se esta haciendo no es obra de Gaudi. Es deplorable que se siga diciendo que Gaudi, que tuvo un papel decisivo en sus inicios, tiene mucho que ver con lo que se hace hoy. En cualquier iglesia de Roma te documentan los distintos autores que ha tenido a lo largo de los siglos.”


Miquel Espinet


「以前は、この聖堂はロマンチックな廃墟として残すべきだと考えていました。しかしながら、先週末この作品を実際に訪れる事によって、この考えが変わりました。何故なら、今から
40年の内に、人々は「この聖堂は完成させなければいけない」と言う様になるのではと思ったからです。つまり私は、永遠のモニュメントと言うロマンチックな考えと、完成した作品と言う考えの中間にいると言う事なんですけどね。しかしながら、教会を実際に訪れる事によって、そんな私の考えは、後者の方、つまりサグラダファミリアを完成させると言う方に傾き始めています。ゴシックの教会も完成までには幾度もの遅延を経験してきました。私はコンベルソ(ユダヤ教からカトリックへの改宗者の事。ここでは考えを直に変える人と言うメタファーとして使われている)なのでしょうか?そう、確かに私は「実用的な」コンベルソなのかも知れません。何故ならサグラダファミリアは21世紀に完成するであろう、最高の宗教的建築となるやも知れないからです。」

“La idea que yo tenia era dejar el templo intacto, como una ruina romantica. Pero he ido visitando la obra y, ante lo visto el pasado fin de semana, ahora diria que dentro de cuarenta anos la gente opinara que ha sido una gran idea acabarla. Eso es lo que yo pienso. Esoty entre la idea romantica del monumento inacabado y la del edificio terminado. Pero a la vista de lo que hay, me inclino por acabar la Sagrada Familia. Las catedrales goticas tambien se demoraban siglos. Que si soy un converso? Digamos que soy un converso practico. La Sagrada Familia sera, seguramente, el principal edificio religioso completado en el siglo XXI.”


Josep Llinas


「先週末の放送を見ていて、サグラダファミリアを是非ゆっくりと訪れたいと思う様になりました。今は、「この作品を完成させるべきではない」と主張する人達に対して、以前よりも厳しい疑惑の目を向けるかも知れません。前は思わなかったのですが、今はもっとディテールを見てみたいと言う衝動に駆られてすらいます。以前、
Perejaumeが書いた、とある本を読んだのですが、そこには、サグラダファミリアを近代建築の教義からは離れた目で見ると言う大変魅力的な見方が示されていました。それはある意味、この教会を見る事が出来る別の可能性かも知れませんね。」

“A consecuencia de lo visto en la tele, me he propuesto visitar el templo con calma. Quizas ahora hay mas dudas sobre la radicalidad de quienes defendian no terminar la obra. Siento un interes por conocerla al detalle que antes no sentia. He leido un librito de Perejaume muy interesante, que invita a ver la Sagrada Familia con ojos alejados de la ortodoxia del movimiento moderno. Es otra posibilidad.”


反対派:

Oriol Bohigas


「サグラダファミリアの工事を続行するのは間違いです。現在の見てくれが何よりの証拠だと思います。彼らが達成した事、それはガウディのまがい物を作ったと言う事であり、原作者と言う観点から、この聖堂には完全に議論の余地があります。今となってはどうしようもない事なのですが、ガウディの建築(アイデア)には触らない方が良かったのです。その点については既に我々は散々議論をしたのですが、大勢の人達が集まる事が出来る様に、(ガウディがデザインした様に)聖堂の周りには空間を設けておくべきだったのです。先週末のセレモニーでは、沢山の椅子やモニターを設置する為に、周りの街路を遮断しなければなりませんでした。しかしながら、都市内に開かれた空間がある場合、都市は街路に溢れる人々やその流れを最大限に包容する事が出来るのです。」


“La continuación de la Sagrada Familia es unn error la prueba esta a la vista: lo que se ha logrado es un falso Gaudi, totalmente discutible en terminos de autoria. Hubiera sido mejor no comprometer la arquitectura de Gaudi, ahora desvirtuada. Ya dijimos en su dia que hubiera sido preferible hallar un gran espacio exterior para reniones multitudinarias. En la ceremonia del fin de semana se lleno el templo y hubo que cortar calles para colocar sillas y pantallas. En un espacio abierto, la ciudad habria absorbido mejor el flujo de asistentes.”


Josep Lluis Mateo


「サグラダファミリアが得たものは、ものすごく大きな空間です。しかしそれを作る為に払われた努力には価値があるとは到底思えません。それは映画の為に拵えられたセットの様にすら見えてしまうからです。テレビ中継が我々に届けていたものは、「映画」であって、「現実」ではありませんでした。何が言いたいかと言うと、同じくガウディが設計に携わったパルマの聖堂は「リアル」な空間が実現されているのに対して、サグラダファミリアの方は、張り子か何かの様に見えると、まあ、そういう事です。」


“Se ha logrado un espacio grande, espectacular. Pero no me atrevo a decir que el esfuerzo haya valido la pena. Me parece un gran decorado de pelicula la retransmisión televisiva le daba ese toque cinematografico, de irrealidad. Quiero decir que un espacio como el de la catedral de Palma, en el que tambien intervino Gaudi, me parece real, mientras que el de la Sagrada Familia me parece mas de carton piedra.”
| バルセロナ都市 | 09:44 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインの航空管制官の仮病騒動その2
先週のカタルーニャ州議会選挙でのカタルーニャ社会労働党(PSC)の歴史的な惨敗に伴い、「次の大臣が誰になるのか?」と言う事も含め、モメにモメている僕の職場なのですが、今日も結構遅くまで今後の対応を決めるミーティングがあり、実は今、家に着いたばっかり。で、何時もの様にネットでニュースを見ていてビックリしたんだけど、なんと、今日の午後1830分、スペイン中の空港で管制官が、又、「仮病騒動」を起こしたらしく、殆どの空港が閉鎖に追い込まれてるらしいじゃないですか!しかも今回はかなり大規模らしく、全国で約70%もの管制官が「仮病」で休んでいるのだとか。しかも彼らは今日の午後6時頃までは普通に働いてて、その後、みんなで近くのホテルに行って、そこで病気だと訴えたらしい(笑)。

実は、スペインの管制官の仮病騒ぎは今に始まった事ではなく、一回目は夏前、丁度僕がブリュッセルに出張に行く日に起こった出来事だったんですね(地中海ブログ:
ブリュッセル出張:Infoday 2010:バルセロナ空港管制官の仮病騒動とか)。事の発端は、サパテロ首相が、高給取りの管制官の「給料カット」を言い出した事に始まります。

僕はスペインの航空管制官の給料体系がどうなっているのか?と言う点は詳しくは知らないのですが、新聞報道などによると、彼らは年間
2000万円以上も稼いでいる高給取りらしいんですよね。更に、彼らの給料の40%を占めるのが、残業代や付加給料らしく、そこに目を付けたのがサパテロ首相:

「昨今の経済危機の影響で、全国の公務員が
5%の給料カットを強いられている中、管制官だけがそんなに給料をもらっているのは実にけしからん」

と言う訳で、管制官の給料カットに踏み切ったと言う訳。まあ、ここには、自分の給料が彼らの半分以下である
850万円だって言う妬みも多少は入ってるんでしょうけどね(地中海ブログ:スペインの各自治州政府大統領の給料について)。

この給料カットに猛反発したのがスペイン全土の管制官達なんだけど、彼らは何と「仮病」を使い、空港を閉鎖すると言う手段に出た訳ですよ。何でかって、管制官がいないと、飛行機飛びませんからね。前回の仮病騒動はバルセロナ空港で起こったんだけど、その時は、全管制官の内、約4分の
128人)もの人達が一斉に病気になってた。どう考えてもオカシイでしょ(笑)。

その時は、政府との交渉で何とか騒ぎは治まったんだけど、今回はスペイン全土、しかも、今日から始まる大型連休に合わせて「仮病」を起こしたとあって、マドリッドだけでも
25万人もの足に影響が出たって言うんだから、さすがに今回は政府も黙ってはいません。仮病騒動が始まった約3時間後、ホセ・ブランコ勧業大臣は、「病状を偽っている管制官は全て首にする」と大胆な発言を発表するにまで至りました。その後、この大胆発言は撤回されたのですが、それでも、「政府が用意する医者に病気で休んでいる管制官の症状を見てもらい、それでも仕事に戻らない場合、スペイン軍の管制官を民間の空港に代行として着かせる」と言う決定が為されるまでになっています。もう、ココまで来ると、フランコ政権時代の様相を呈して来ている感すらしますけどね。

確かに給料が減らされるのが嫌なのは分からないでも無い。と言うか、その心情は一労働者としては痛い程良くわかる。しかしですね、だからと言って、大型連休を、他の都市でゆっくりと過ごそうとしていた多くの人達の「楽しみ」を奪う事は絶対に許せない。みんな、この日の為に一生懸命働き、お金を貯め、そして時間を創って来ているのだから。


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時現在の政府の発表では、明日土曜日の朝8時まではマドリッド、バルセロナ、パルマ、カナリアと言った主要空港が閉鎖されると見られていました。それに伴い、Iberia, Spanair, Vueling, Ryanairと言った航空会社が土曜日11時までの飛行機を全面キャンセルにすると言う発表もあった様です。

その一方で、バルセロナ空港では、午後
22時現在、約半分の管制官が仕事に戻り、徐々に平常を取り戻しつつあるとの情報も入ってきつつあります。

この連休を楽しみにしている人達の為にも、一刻も早く、事態が収拾される事を望みます。
| バルセロナ都市 | 08:39 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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