地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと

所用の為に、スペイン北部(バスク地方)のビルバオに行ってきました。

「ビルバオ」と聞いて多くの日本人の皆さんが思い浮かべるのは、奇抜な形態で世界的に有名なグッゲンハイム美術館ではないかと思います。建築家フランク・ゲーリーがデザインしたあの独特な形態と、鈍く光るチタニウムに包まれた外観、そんな摩訶不思議な建築が、重工業で廃れた街を蘇らせたというシンデレラストーリー。

ビルバオの都市再生については(バルセロナの都市再生の事例と共に)、当ブログでは何度も扱ってきたので再度ここで詳しく取り上げることはしません(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。ただ一点だけ強調しておくと、ビルバオはグッゲンハイム美術館だけで蘇ったシンデレラ都市ではありません。そうではなく、バスク州政府やビルバオ市役所などが何年も練ってきた都市戦略と都市再生計画、それらの上に細心の注意を払いながら乗せられたもの、それがゲーリーによるグッゲンハイム美術館であり、ビルバオ都市再生の骨子でもあるんですね。

極端な話、ゲーリーによるグッゲンハイム美術館が無かったとしても、僕はビルバオの都市再生は成功していたと思います。そしてこの点にこそ僕は「都市に対する建築の可能性」を感じてしまう瞬間はありません。 ←どういうことか?

上述したようにビルバオは決してゲーリーのグッゲンハイム美術館だけで再生したシンデレラ都市ではありません。←ここ、本当に大事です!←テストに出ます(笑)。

しかしですね、いまではビルバオに住んでいる誰もがグッゲンハイム美術館のことを知っていて、(ビルバオに実際に行けば直ぐに分かることなのですが)この地では子供からお年寄りまで、誰もがグッゲンハイム美術館のことを嬉しそうに語るんですね。街中で道を尋ねようものなら、「あなた観光客?グッゲンハイム美術館ならあの角を曲がってちょっと行ったところよ、、、」といった感じで、その口調は「この美術館のことを心から誇りに思っている」、そんな感じを受けてしまいます。

いわばグッゲンハイム美術館という建築は、「都市再生の効果を何十倍にも増幅することに成功した」と、そういうことが出来るのでは無いでしょうか?そしてこれこそ建築本来の姿なのでは、、、と思う訳ですよ。何故なら:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

だからです。

そんなグッゲンハイム美術館なのですが、その都市的コンテクストについては今まで数々の言説が出ているにも関わらず、その内部空間、ひいては展示物との関係性についてはそれほど語られていない状況だと思います。そしてこの美術館を訪れた時に見るべきなのは、「内部空間の連なり」と、「その展示物との類稀なる関係性である」ということを今日は書いてみようと思います。

グッゲンハイム美術館は工業都市ビルバオの旧市街からはこんな風に見えます:

これだけで背筋がゾクゾクしますね。この辺りは旧重工業地帯のど真ん中で、それらの工場が廃れていくと共に、売春婦や麻薬中毒者、貧困層などが多く住み着くエリアとなってしまったそうです。

失業率は50%を超え、誰もが希望を失う、そんな悲しい街となっていったんですね。その時の名残、、、とでもいうのか、この細い路地の両側には車両が立ち並び、少し薄暗い路地を通してグッゲンハイムを見ることが出来るのです。そしてこの路地を抜けると出逢うのがこの風景:

圧巻の風景です。右手に見えるのはコピーと言う名前で呼ばれている巨大猫(笑)。この猫、表面が植栽されていて、季節によっては色とりどりのパンジーなどが植えられ、色鮮やかな猫に生まれ変わるそうです。

そこを通り過ぎて、もう少し近づいてみます:

どーん。先ずは向かって右手方向に大きく傾斜している壁、、、というか「アルミの塊」が非常に印象的です。これがものすごい圧迫感で迫ってきます。そして(雑誌に掲載されている写真ではナカナカ伝わらないと思うのですが)この建築へのアプローチはここから階段で1フロア降りていった所からになっているんですね:

うーん、、、このアプローチは非常に良く考えられてるなー。と言うのも、このアプローチは先程見た巨大猫との関係性から逆算されてデザインされているものだからです。多分、大多数の来館者の方々が先ず訪れるのは先程の巨大猫だと思うのですが、そこから一直線に美術館に向かってアプローチして行ってみます:

先程見た塊(右側の壁)が「これでもか!」と言わんばかりに迫り出してきます。そして下階へと向かう階段が、「左周りに螺旋を描きながら」下降していっているんですね。それはこちら側から見ると良―く分かります:

ほらね。もしもゲーリーが感覚に任せて、まるで「紙を丸めてグチャグチャと形態を決めているだけ」なら、決して出てこない形だと思います。言うまでもないことですが、このようなアプローチ空間における螺旋の構造は、コルビジェが非常に得意としたところでもあります(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。アルド・ヴァン・アイクとかもやってました(地中海ブログ:アルド・ファン・アイク(Aldo Van Eyck)の建築その1:母の家:サヴォア邸に勝るとも劣らない螺旋運動の空間が展開する建築)。

そしてエントランスを潜ったところで出会うのがこの空間:

非常に気持ちの良いエントランス空間の登場〜。壁が飛び出てきたり、反対に引っ込んだりと、非常に不思議な感覚を醸し出しています:

見上げれば色んな形態が複雑に絡み合いながら空を切り取っています。

ここから外へ出て行ってみます。川沿いに芸術作品が並び、観光客と共に地元の人達のお散歩コースになっているようでした。

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといました。

ちなみにここから10分程歩いた所にはカラトラバの橋が掛かり、街中にはノーマン・フォスターがデザインした地下鉄の入り口が口を開けています。

街の中心、Moyua駅構内にはノーマン・フォスターが残していったサインが大切に保存されていました。スペインという社会文化の中で、建築家という職業がどの様に扱われているのか、社会的にどの様な地位が与えられているのかが良〜く分かる象徴的な取り組みだと思います。

さて、グッゲンハイム美術館の内部空間に話を戻します。

先程外へ出た所から左手方向に歩いていくと、この美術館最大の展示室へと導かれます。そしてこの展示室にはリチャード・セラの超大作(The matter of time (1994-2005))が「これでもか!」と、所狭しと並べられているんですね。

(注意) グッゲンハイム美術館の内部は、美術作品以外は基本的に写真撮影可能となっています。そして写真撮影不可の美術作品が展示されている入口には「撮影禁止」という表示が掲げられています。しかしですね、リチャード・セラの展示室の入口には撮影不可の表示はありませんでした。また、他の来館者の行動を観察していると、みんなパシャパシャ写真を撮っているし、その姿を見ていた学芸員も注意等はしていなかったので写真撮影可と判断しました。

と言う訳で、いよいよリチャード・セラの作品を体験してみます。良く知られている様に、リチャード・セラは巨大な鉄板を弓形に曲げて、あたかも空間の歪みを作り出しているかの様な、そんな作風で知られています:

こちらは分厚い一枚をグルグルっと巻いて作った空間です。少しづつ中へと入って行ってみます:

入ってみると分かるのですが、この鉄の曲がり方が少し手前へ倒れていたり、あちら側に反れていたりと、一見同じに見える形態でも、それらの間にチョットした変化があるんですね:

そして見上げてみればこの風景:

歩くことによって刻々と変わっていくカーブが空を切り取っています。更に進むと、先程の倒れ掛かってくる壁の角度が変わることから、僕を包み込む空間も激変するんですね:

そしてまた空を見上げてみます:

先程とはちょっと角度が異なっていることにより、これまた空間が激変します。 、、、こんな時、僕が何時も思い出すのは、学生時代に目にした新建築住宅コンペ金賞案に書かれていた次の記述です:

四角形を多角形の中に挿入する。それをどんどん変化させていく。ある所は部屋になり、ある所は廊下になる。わずかな差であるが、空間は激変する」

(もう15年近く前だから裏覚え。でもこんな感じだったと思う)

これはジャック・ヘルツォークが審査員を務めた年の金賞案だったんだけど、説明文はこれだけで、あとはその四角形の中で多角形が少しづつ変化していく図が100個ぐらい書いてあるだけ。。。 ←キョーレツな印象を僕の心に残してくれました。

、、、と、そんなことを思いながら、今度は隣にある彫刻を見に行ってみます。こちらには何枚もの鉄板が立っています。その隙間から入って行ってみます:

壁がこちら側に押し寄せてきたり、あっち側へ行ったり、、、:

うーん、これはちょっと面白いぞー、、、と思い始めたら最後、気が済むまで体験するのが僕の可愛いところ(笑):

この巨大な空間に散らばるリチャード・セラの彫刻を一つずつ、端から端まで行ったり来たりしてみました:

特に数えてた訳じゃないけど、20往復はしたと思います(笑)。時間にして約6時間、、、 ←ひ、暇だな、オイ(笑)。 ←挙句の果てに、彫刻の前に座っていた警備員が、「あのー、だいぶ熱心に見られてるようですが、専門の方ですか?」とか話し掛けてくる始末(笑)。 ←「ええ、来館者調査のエキスパートですよ。MITの研究員とルーヴル美術館のリサーチ・パートナーやっています」って答えたら、なんか奥から学芸員という人が出て来て、、、と、今日の記事とは関係ないので、この続きは別の機会にでも。

そんなこんなで、6時間くらい歩き回った時のこと、「あ、あれ、この壁の傾き方はちょっと面白いかも、、、」と思ったのがこちら:

そう、この壁の傾き方は、シザの教会の壁の膨らみに似てるかも、、、と一瞬そう思ってしまったんですね。そしてここで僕はあることに気が付きました:

「も、もしかして、リチャード・セラという彫刻家は、こんな風に壁を迫り出したり、押し込めたり、はたまた湾曲させてみたりして、その空間を歩き回る我々がその空間でどう感じるかという実験を行なっているんじゃないのか、、、???」

そーなんです!リチャード・セラがこの広大な空間で実験していること、それは一枚の大きな壁を使って様々なパターンを作り出し、我々がそういう空間に身を置いたらどう感じるか、、、という壮大な空間実験をしているのです!

これは凄い!というか面白い!何故ならこれは非常に建築的な提案でありながらも、単体の建築には真似出来ないことだからです。 ←上に述べたシザの教会の壁や(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)、エンリック・ミラージェスのお墓で傾いていた壁など(地中海ブログ:イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地)、局所的に一つか二つくらいの空間体験を作り出すことは可能かもしれないけど、空間体験の色んな可能性をここまで用意するのはコストの面から言っても非常に難しいかなー、という気がします。

僕がこの壮大な実験のことに気が付いたのは、この展示室に入ってからかなり時間が経った頃のことだったんだけど、何故そんなに時間が掛かってしまったかというと、それは僕の頭の中では「彫刻=一瞬の凍結」いう方程式が先入観としてあったからなんですね。彫刻と建築の違いを僕は以前のエントリでこんな風に書いています:

「‥‥彫刻の素晴らしさ、それは一瞬を凍結する事だと思います。何らかの物語の一コマ、その一コマをあたかもカメラで「パシャ」っと撮ったかのように凍結させる事、それが出来るのが彫刻です。建築家の言葉で言うと、「忘れられないワンシーン」を創り出す事ですね。

では何故、彫刻にこんな事が可能なのか?それはズバリ、彫刻は動かないからです。「そんなの当たり前だろ、ボケ!」という声が聞こえてきそうですが(笑)、これが結構重要だと思うんですよね。彫刻は時間と空間において動きません。だから僕達の方が彫刻の周りを回って作品を鑑賞しなければならないんですね。そしてもっと当たり前且つ重要な事に、彫刻は一度彫られた表情を変えないという特徴があります。だからこそ、彫刻の最大の目標は「動く事」にあると思うんですね。

‥‥中略‥‥

建築家である僕は(一応建築家です(笑))、ココである事に気が付きます。「これって建築、もしくは都市を創造するプロセスとは全く逆じゃん」という事です。どういう事か?

僕達が建築を計画する時、一体何を考えてデザインしていくかというと、空間の中を歩いていく、その中において「忘れられないワンシーン」を創り出していく事を考えると思います。何故か?何故なら建築とは空間の中を歩き回り、その中で空間を体験させる事が可能な表象行為だからです。だから建築や都市には幾つものシーン(場面)を登場させる事が出来ます。そう、幾つものシーンを登場させる事が出来るからこそ、我々は、忘れられない「ワンシーン」を創り出そうと試みる訳なんですね。

‥‥中略‥‥

このように彫刻と建築は、その作品の体験プロセスにおいて全く逆の過程を経ます。彫刻は「ある一瞬」から心の中に前後の物語を紡ぎ出す事を、建築は様々な場面から心に残る一場面を心に刻み付ける事を。しかしながら、それら、彫刻や建築を創り出す人が目指すべき地点は同じなんですね。それは「忘れられないワンシーン」を創り出す事です。」(地中海ブログ:彫刻と建築と:忘れられないワンシーンを巡る2つの表象行為:ベルニーニ(Bernini)の彫刻とローマという都市を見ていて

しかしですね、このグッゲンハイム美術館で展開されているリチャード・セラの彫刻は、今まで僕が見てきたどんな彫刻とも全く違うものだったと思います(地中海ブログ:世紀末の知られざる天才彫刻家、カミーユ・クローデル(Camille Claudel)について)。それは、何かしら忘れられないワンシーンを一瞬に凍結したものではなく、その中を歩くことによって我々に空間を体験させる、いわば、建築の様なものだったのです。

彫刻は動きません。だからこそ、いかにそこに動きを創り出すかが彫刻の究極の目的だと僕は思います。その一方、建築は空間を連続させることによって、来館者にその空間を体験させます。つまりは、その空間の中を動く来館者が、いかに「忘れられないワンシーン」を記憶に残すことができるか、それが建築の醍醐味なんですね。

しかしですね、今回見たリチャード・セラの彫刻は、あたかも「建築的に振舞っているかの様」なのです。しかも、建築には到底真似出来ない方法で、来館者に様々な建築的な体験をさせるというおまけ付き。

この様な建築的な彫刻が、ゲーリーのグッゲンハイム美術館の、その最も代表的な彫刻としてここにあることの意味、それを考えるのもまた面白いとは思うんだけど、それはまた、別の話。

動かないが故に、一瞬の中に動きのエッセンスを込めることによって、そこから動きを彷彿させることを信条とする彫刻。空間の中で動くことが出来るが故に、その動きの中から忘れられないワンシーンを永遠に動かないものとして止めることを目的とする建築。

非常に良いものを見させて頂きました! 星、3つですー!!!

追記: バスク地方はグルメの街としても非常に良く知られています。一応事前に調べて「タパスが美味しい」と評判のお店に行ったのですが、これがトンデモなく美味しかった。下記は僕が滞在中に食べたタパスの一例。どれも400円くらいの小皿なんだけど、全てのお皿がコース料理のメインをはれるくらいの質を持っていました。正直、このレベルの料理がこの値段で街の至る所に溢れているというのは、ちょっと驚愕レベルだと思います。

タコ煮。

ホセリート(イベリコ豚の最高級品)、チーズ、フォアグラ。

中はこんな風になっています。

こちらはホセリートの角煮っぽいやつ。

卵、フォアグラ、キノコ、ポテトなんかをフライパンに載せたもの。一体自分が何を食べているのか、正直良く分からなかったけど、今まで食べたことがないくらい美味しかったことだけは確かww

こちらは卵焼き(トルティーリャ)。在スペイン16年だけど、こんなに凝ったトルティーリャはいままで見たことがありません(笑)。

| 旅行記:建築 | 14:32 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザのセトゥーバル教員養成学校:「ふつう」であることの凄さ
な、なんか先週末くらいから急に40度近い高熱が出てしまい、2日経っても一向に引いていく気配すらなかったので、仕方なく救急センターへ(連休中につき、市内の病院は絶賛お休み中(苦笑))。結論からいうと、疲れ&ストレスによるものだろうということで、「1週間は安静にしていなさい、、、」ということでした。
 
 
 
↑↑↑カタルーニャは先週まで復活祭(イースター)の大型連休で、この地方では伝統的に、豊穣のシンボルである卵の形をしたチョコレートを食べます。
 
正直言って、年度末のこのクソ忙しい時期に休んでる暇などなく、、、「熱下がれ、熱下がれ〜(念)」と内心思いつつも、焦っても熱は一向に下がってはくれないことも分かってはいたので、「こんな時は本でも読むか」と日本から持ってきた書籍をパラパラめくるも、あたまが痛くて全然文章が入ってこず。。。(涙)
 
「じゃあ、溜まってる論文やら原稿でも書くか、、、」と原稿を進めるも、論文って考えながら書かなきゃいけないので、これまたあたまが痛くてなかなか進まず。。。
←「そ、そうだ!京都行こう!
←←いや、違う(笑)。
←←←「そ、そうだ!なにも考えなくていいブログでも書こう」と思い付き(笑)、いまこの原稿を書いています。ほんとブログ記事って、なにも考えなくてもいいから楽ですよねー(笑)。
 
 
(ガリシア美術センター中庭)
という訳で、前回のリスボン滞在記の続きなんだけど(地中海ブログ:タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件)、今回のリスボン滞在最大の目玉は、なんと言ってもアルヴァロ・シザの建築訪問にあります。アルヴァロ・シザの建築については当ブログではことある毎に書いてきました(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築について僕がいつも思うことはですね、なんか世間的には彼の代表作って「白い教会(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)」ってことになってるんだけど、僕的にはあれは亜流だと思うんですね。何故なら、シザ建築の3つの特徴が「ダイレクトには見えない」からです。例えば天井操作。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築に欠かせない働きをしているのが天井操作であることはクドイくらい言ってきたことなんだけど、あの教会の天井はツルツル。「特徴がないことが特徴である、、、」と言ってしまえば、まあ、それはそうなのですが、、、
 
では、シザ建築第2の特徴である「パースペクティブ的空間」が見られるかというと、これも「ダイレクトには」見られません。こちらはですね、教壇左右に位置する半円同士が、教壇中央に開いた二つの穴(地階=地獄へと繋がる)へと我々の視線を誘導したり、空間に直接的なパースが付くというよりは寧ろ、左側の壁がこちら側へと迫ってくることなどから、それが「間接的に空間にパースをつけている、、、」と言えなくもない。だから第2の特徴は見えることは見えるんだけど、これも直接的ではありません。
 
 
(セラルヴェス現代美術館エントランス)
というわけで、世間的に言われているように、この教会がシザの代表作か?と言われれば、それは「亜流だけど、、、亜流であるが故に代表作かな、、、と思わないこともないかな、、、」と。
 
、、、いかん、いかん、、、シザを語り出すと熱くなりすぎて、それこそ熱が上がる(苦笑)。
 
そんな中、シザがデザインした「セトゥーバル教員養成学校(Escola Superior de Educacao: Instituto Politecnico de Setubal)」と言われてパッと頭に浮かぶ人、もしくは実際に現地まで見に行った人というのはそう多くはないのではないでしょうか?

もしかしたら、「その存在すら知らない、、、」という人が多いのでは?と思われるんですね。
 
しかしですね、僕の見る限り、シザが1986-1993年に掛けてデザインしたこのセトゥーバル教員養成学校はシザ建築の中でも傑作中の傑作だと思います。というか、個人的には、デザインを学んでいる人、デザインに関わっている人には絶対に一度は見に行って欲しい、そんな建築となっているんですね。
 
そんなわけで、とりあえずいつものように「建築の歩き方」から。
 
 
 
行き方は簡単で、リスボン市内の鉄道駅(僕はSete Rios駅から乗りましたが、Roma-Areeiro駅からでも大丈夫です)からセトゥーバル(Setubal)行きの電車に乗ります。
 
 
 
ちなみにこの電車に乗ると、テージョ川(Rio Tejo)に掛かっている425日橋(Ponte 25 de Abril)を渡ることが出来ちゃいます。電車に乗って揺られること約1時間、セトゥーバルに到着〜。セ、セトゥーバルってポルトガル第4の都市だと思ったけど、、、駅、ちっちゃ!!!
←そのあまりの小ささに軽いショックを受けながらも、そこからローカル線のPralas do Sado A行きに乗り換えて終点(Pralas do Sado A)で降ります。そこまで約5分。
 
 
 
(注意)
上の写真のように目指すべき駅は終点なので電車はこの先には行きません。セトゥーバル駅から終点(Pralas do Sado A)の間には1駅(Praca do Quebedo)しかないのですが、その駅と終点との間くらいに地元民が多く働く工場があるため、そこで一旦電車が止まります。が、、、間違えて、そこで降りてはダメです。そこで降りてしまったら、道無き道を20分近く歩かされることになります。僕は間違えてそこで降りちゃったんだけど、運良く車掌さんが「おいおい、ここは労働者しか降りない駅だから、多分君の行きたいところとは違うよ」と教えてくれました。

←ポルトガル人、優しいー。スペイン人だったら絶対無視するところだな(苦笑)!
 
という訳で、終着駅を降りたそのすぐ目の前に建っているのが今回目指すべき建築、セトゥーバル教員養成学校です。
 
 
 
僕がこの建築を初めて訪れたのはいまから約15年程前のこと、ちょうどポルトに住み始めて半年くらい経った時のことでした。「一度、首都リスボンにでも行ってみるか!」と思い立ち、リスボンに来た次いでにセトゥーバルに立ち寄ったのがその始まりだったんですね。
 
 
 
まあ、正直最初は、かなり軽い気持ちで「一応見ておくか」くらいに考えていたのですが、来てみてビックリ!この建築にはシザ建築の特徴がギッシリと詰まってると言っても過言ではなく、それがデザインの本質にまで昇華しているのを目の当たりにしてしまったからです!
 
 
 
シザ建築をいやという程見てきた僕に、そこまで言わせた圧倒的な風景がこちらです:
 
 
 
多分、当ブログの大方の読者の皆さんは、「。。。」という感じでしょうか(笑)。「こ、これのいったい何がそんなに凄いんだ」、、、と。いやね、この建築のいったいなにが凄いってね、この圧倒的な普通っぽさなんですよ。上の写真は真正面から見た全体像なんだけど、なんの変哲も無い、ごくごく普通の建築でしょ?
←「じゃあ、普通ってなんなの?」とかいうメタ議論はいまは無しでお願いします(笑)。
 
 
 
基本的な形態は、コの字型の建物が二層に積み上げられ、芝生で覆われた中庭と庇が突き出た屋根部分とを隔てる列柱群がリズミカルにコの字を描いている、、、というただそれだけの構成です。
 
 
 
ローマとか行くと頻繁に目にしそうな構成なんだけど、この建築とローマのそれ(完璧な調和)とを大きく分け隔てているのがこちら:
 
 
 
正面から見て左手前側なんだけど、そこに「ガクン」と一段だけ下がっているところがあるんですね。で、そこを支えている柱だけがV字型になっている。これはあたかも2つの柱が「寄り添い合っているかのような」、そんな表現を取っているんですね。
 
 
 
そう、この部分がこの建築の全てです。この部分があるのと無いのとでは大違い。このわずかな差が多大なる差異を生み出しているのです。
 
 
 
僕がこの建築から学んだこと、それは「建築のデザインってこれくらい静かでいいんだ」ということなんですね。で、これを遂行するのは言うほど簡単なことではありません。
 
これくらいの規模の建築を設計出来ることになると、みんな気負ってしまって、「あれもやりたい!」、「これもやりたい!」と色んなものを詰め込み過ぎてしまったり、一つのアイデアに絞ったはいいけど(一つの建築に一つのアイデアは鉄則)、それがいかにも大げさでいやらしく、もしくは生々しく見えてしまったりするものなんですね。
 
しかしですね、アルヴァロ・シザという建築家の凄いところは、彼が創造する建築はどれもが本当に普通なのです。一見、知らなければ通り過ぎてしまうくらい、それくらい普通に存在し、そういう建築がポルトやリスボンの街角を構成している。それが彼の建築の真骨頂なのです。
 
 
(ブラガンサの集合住宅)
その建築の前を通り過ぎようとした時に、「あれ、ちょっと待てよ」と少し振り返ってみる。「あの庇、ちょっと面白いよな」とよく見てみる。そうするとちょっと違うことに気がつく。そのうちだんだん、「あそこも、あそこも」とデザインの物語の連鎖が始まる。いつの間にかデザインを読むことに夢中になっている自分に気が付く(地中海ブログ:三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
 
これが僕が思うデザインの本質であり、日本の伝統的な美の意識だと思います。
 
 
(チアド地区改修)
……昔、僕に建築デザインの基礎を教えてくれた先生が、「cruasan君ね、シーランチみたいな建築って解る?」と言われたことがありました。「私はねー、将来はムーアのシーランチみたいな建築が創り出したいと常々思ってるんだよ、ハハハ」とか言われてて、というのも、彼は以前アメリカの大学で教えていた時に(←日本人ですが)、チャールズ・ムーアと同僚だったらしく(←まあ、いろんな意味で日本人離れした人なのです)、シーランチを何度も見に行かれたそうなんですね。で、その彼曰く、「シーランチは非常に静かで、そして普通」だったんだとか。あの時はよくわからなかったけど、いまなら彼が言おうとしていたことも、それなりに理解出来る様な気がします。
 
 
(教会近辺の改修)
さて、上にも少し書いたのですが、シザ建築には3つの特徴があります。天井操作、パースペクティブ的空間、そして物語空間です(知らない人はこちら:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。さらに、シザは幼少期のトラウマから、建築を外に開くのではなく、敢えて内に開く建築を創ることを志してきた、、、とインタビューで語っています(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。そう、このセトゥーバル教員養成学校も、実はそんな内に閉じた建築シリーズの一つ、しかも最初期のものと考えることが出来ると思います。
 
 
(ポルト大学離れ)
確かにこの「内に開くシリーズ」は、ケネス・フランプトンが既に指摘していて(でも彼は、なぜシザがそうする様になったのか?までは明らかにしていません。僕の知る限り、上に訳したインタビューはシザが自身の建築のアイデンティティの在りかを語った非常に貴重なものの一つとなっています。グッジョブ、El Pais紙!)。フランプトンは、それが最初に見られるのは「ポルト大学の離れ」だと主張しています。また確かに、「離れ」の場合には、コの字が少し内側に倒れかかっていて、内向き志向をより鮮明に打ち出していると読み取ることが可能。
 
その反面、セトゥーバル教員養成学校で僕が興味を持ったのがこちらです:
 
 
 
この2本の柱がV字になって寄り添う様に建っているところなんですね。さっき見た右手側の柱から始まって、全てが均等にまっすぐに並んでいるのに、ここだけ、そして最後だけガクンと落ちた上に、その柱が2本寄り添っている、、、物語的に言えば、ここが明らかにクライマックス的空間ということになります。
 
 
 
建築のデザインにおいてリズミカルというのは非常に重要なキーワードだったりします。このことを理解するのに一番良いのはキン肉マンのオープニングかなー(笑)。
 
 
 
サビの部分に注目:
わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜♪♪♪
走る、すべる、みごとに転ぶ〜♪♪♪
 
最初のクール(前半部分)で「わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜」とあった後、「走る、すべる、、、」と同じリズムで繰り返されることから、我々の脳は「あ、これは前回と同じリズム(4つの部分)で来るんだな!」と思わされるのですが、後半部分では「見事に転ぶ」と、二つの部分が一つになっていることから、後半には3部分しかなくなっていて、その部分がクライマックスになるようにリズムを付けている訳ですよ。
 
 
 
シザがここで行っていることも基本的にはキン肉マンのオープニングと全く一緒。
 
右手側から始まった列柱のリズムが建物のコの字と共にグルッと一周するにつれてリズミカルに発展していきます。で、ルネサンス建築のように完璧な調和を保ちつつ最後までいくのかな、、、と思いきや、最後の最後だけ列柱のリズムを少し変えてやることによって、見事にこの部分にクライマック的な役割を担わせているのです。
 
 
 
しかもそれが大げさではなく、非常にさりげなく、そして爽やかに行われている。シザの差異化の巧さのなせる業です。
 
 
(ボア・ノヴァのティーハウス&レストラン)
、、、また昔話しになってしまうのですが、以前、僕の先生と話していた時、東京体育館のデザインの話になり、「あのデザインの発端は、あたかも二枚の葉っぱが寄り添う様に、重なり合う様に、そんなところから始めたんだよ」と言われていました。この2本の柱を見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったなー(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。
 

(レサのスイミングプール)
何度も言いますが、やっぱりこのアルヴァロ・シザという建築家は他の建築家とは明らかに違うものを目指している気がします。なにか、こう、人間のもっと奥深くにある、我々の生の本質というか、そういう大きなものを建築を通して表現しているんじゃないか、、、とそう思わずにはいられません。
 
もしくは彼はそんなことは全く考えていないのかもしれない。しかし、知らず知らずのうちに、そのような「共同体の内なる心の声」を可視化してしまう行為、それが具現化出来てしまう人のことを我々は建築家と呼んできたはずです。そう、まさに:
 
「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)
 
今回も素晴らしい建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 16:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
磯崎新さん設計によるア・コルーニャ人間科学館(DOMUS)
暑い、非常に暑い!前回のエントリで書いた様に(スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))、現在ヨーロッパにはアフリカからの熱波が押し寄せて来ていて、スペイン内陸部では連日40度を越す猛暑が続いています(ニュースでは38度とか言ってるけど、あれは日陰で測った温度です)。



街路に掲げられている温度計(43度!)も暑すぎて壊れてるっぽい(苦笑)。「ヨーロッパは乾燥してるから、暑くてもジメジメしてないんだよねー」という、間違ったイメージを持ってバルセロナに来る観光客のかたが非常に多いのですが、バルセロナは海に面していることもあり、意外と「ジメッ」としています。以前京都から来た友人が「バルセロナって京都よりも湿度高いかも」と汗ダラダラになりながら苦笑いしていたのを思い出しますねー。



そんな酷暑の中、所用の為にア・コルーニャに行ってきました。スペイン北西部に位置するア・コルーニャ市は、真夏といえどもそれほど気温が上がらず、最高でも25度から27-8度程度と、非常に過ごし易い気候で知られているんですね。



また市内には、ユネスコ世界遺産に登録されているヘラクレスの塔(ローマ時代に作られた灯台)があることなどから、世界遺産大好きな日本人観光客のみなさんにも比較的馴染み深い都市となっているのでは?と思われます。



その一方、我々建築家にとって「ア・コルーニャ」といえば、やはりコチラかな:



そう、泣く子も黙る日本が生んだスーパースター、磯崎新さん(建築家)が設計されたア・コルーニャ人間科学館(ドムス:Domus)です。完成は1995年なので、ちょうど磯崎さんがパラウ・サン・ジョルディ(バルセロナオリンピックのメイン会場)を完成されて、「これからヨーロッパでガンガン建築を創っていくぞー」と息を巻いていた頃だと思われますね。



この建築が建っているのは、「大西洋のテラス」と形容出来そうな最高のロケーション!イメージとしては、僕が小学生くらいの時にテレビで放送していた「メイプルタウン物語」に出てきそうな街、、、というところでしょうか(笑)。
←ちなみにあのアニメ、第二弾が「パームタウン編」とかいって、「メイプルタウンとさっぱり関係ないじゃん!」と、子供心に思っていました(笑)。更に更に、なんでパームタウンに行く事になったかというと、主人公(うさぎ)の従兄弟がその街に住んでるからっていう設定だったんだけど、その従兄弟、犬なんですよね(笑)。しかも猫のギャングに虐められる‥‥っていう不思議な設定(笑)。

↑↑↑はい、どうでもいい豆知識終わりww

さて、海岸線沿いに降りてみると、カーブを描くビーチの何処からでもこの建築が目に入ってくることから、「この建築は、この街のシンボルになるように期待された」と、そう読み取る事が出来ます。



‥‥僕がこの街を初めて訪れたのは今から14年も前のこと、丁度オポルトに住み始め、シザの建築を見て回っていた頃だったと思います。「青春18切符ヨーロッッパ版」みたいなのを買って、ポルトガルやスペインを始め、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアなどの建築や街を見て回っていた時に、乗り換えの都合でたまたま立ち寄ったのが、このア・コルーニャという都市でした。



ただ当時は(乗り換えの為に)あまり時間が無く、街を一回りするだけで精一杯。磯崎さんのドムスも海岸側からチラッと見て、写真を1−2枚撮るだけに留まっていました。

しかしですね、今回の滞在で改めてこの建築をジックリと観察してみてビックリ!そのデザインの質の高さに驚いてしまったという訳なのです!!

そんな素晴らしい建築、先ずは、海岸側から眺めてみます:



全身に風を受けて立つ帆のイメージでしょうか、、、。目の前に広がる海岸の緩いカーブに沿って建てられた、非常に素直な形態です。そして大変特徴的な緑色のファサード、これはこの辺りで取れるスレートだそうです。



海岸線を背にしつつ、大階段の右手奥にそっと設えられた階段を登ってみます:



この小階段は大階段に対して直角方向に付いていることから、先ずは「ファサードに向かって」ではなく、「ファサードと平行方向に」歩かされます。
←ここ、重要!
左手側には海岸線、そこから更に右手方向に半転(90度)させられ、ここで再びファサードとご対面〜:



そして大階段を登り切ったポイントから振り返るとこの風景:



うーん、絶景かな、絶景かな。ここでちょっと上の方を見上げてみます:



これがファサードを構成する緑色のスレートのディテール。石を長方形にカットしておいて、それを一枚一枚丁寧に貼り付けているのが見て取れます。スペインとは思えない非常に丁寧な仕事、そしてそれを実現する技術力、、、といったら言い過ぎでしょうか?(苦笑)



そんなことを思いつつ、更に階段を登っていくとエントランスホールに導かれます。



海岸線から大階段、そしてエントランスへと、「これがこの建築の基本的なアプローチ空間の構成かなー」とか思ってたら、ここで大どんでん返し!!!



エントランスホールを左手に見ながらそのまま真っ直ぐ進むと裏通りに出るのですが、この建築の裏側、そこのデザインが凄かったのです!



表側の「緩いカーブ」とは対照的な「ジグザグ」を基本としたファサード、ちょうど屏風の様な形になっているんですね。ちょっと左方向に歩いて行ってみます:



うーん、ジグザグです(笑)。次は右手方向に歩いて行ってみます:



やっぱりジグザグ(笑)。しかもなんだか、「ジグ」と「ザグ」を繋いでいる直線部分が間延びしてたりして、ちょっとカッコ悪い、、、。



一番端っこまで行くと、そこから表側に回れるようになっていて、そちら側にはレストランが設えられていました。



この視点から見る空の切り方は秀逸。更に更に、端の切り方はもっと秀逸:



真横にビヨーンと伸びた形態って、その端の切り方でその建築の質が変わってくると思うんだけど、この納め方は非常に美しいですね。そしてここからもう一度裏側へ戻ろうとした時、事件は起こりました!それがこちらです:



な、なんと、先ほど見た伸び伸びでカッコ悪すぎた一つ一つのジグザグ、それらが重なり合うことによって「襞」を創り出し、この上ない風景を出現させていたのです!



す、素晴らしいの一言!

この様なデザインは、(1)我々人間の眼が地上から150cmくらいのところに付いている、(2)人間とはその様な眼を持って空間内を歩き回る存在である、ということが十分に解ってないと出来るデザインではないと思います。



「な、何をそんな当たり前のことを、、、」と思われるかも知れませんが、これが意外と難しいんだなー。そしてこの様な襞を創り出しているということは、この建築の一番の見所、そのパースペクティブを常に意識してデザインしているということでもあるんですね。

この様な手法を用いて創られた非常に優れた建築としては、ラペーニャ&エリアス・トーレスがデザインしたトレドのエスカレーターがあるかと思われます(マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



色んな方向を向いたエスカレーターが折り重なることによって襞を創り出し、更に適切な天井操作と相まって素晴らしくカッコイイ風景を創り出しています。が、しかし、それを反対側から見るとこんな感じに見えちゃいます:



ほらね、間延びしててカッコ悪いでしょ(笑)。しかしですね、こんな間延びすらデザインにしてしまったのが、何を隠そう我らがアルヴァロ・シザだったりするんですね:



シザのこの住宅、真正面から見ると襞が重なり合って非常にカッコイイ風景を創り出しているのですが、それを真横から見るとこんな感じ:



上の2作品と同様に確かに間延びしてるんだけど、このシザの建築の場合は、この間延びが、あたかもポルトガルの「ゆったりと流れる時間」のような社会文化を表象しているかのようですらあるのです!正にシザ・マジック!

‥‥僕は思うのですが、はやり建築というのは、「その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である(槇文彦)」‥‥と。そしてそういう能力を兼ね備えた人のこと、無意識の内にもデザインからその様な片鱗が見えてしまうものを創り出してしまう人のことをこそ、我々は建築家と呼ぶのだと‥‥。

あー、また脱線してしまった、、、。

さて、今回の磯崎さんの建築デザインなのですが、この様な「ジグザグ形態による襞」というかけがえのないアイデアを中心とした、「裏側のデザイン」を知った上で、「表側のデザイン」を見ると、また違った意味合いが出てくるから不思議です。



大西洋の風を全身で受け止めながら市内の一等地に建っているこの建築のファサードは様々なメディアに取り上げられ、「ア・コルーニャの顔」ともいうべきシンボルとなってはいるのですが、上述の形態操作などを見るにつけ、今まで「表」だと思っていたこちら側が、実は「裏側」なんじゃないか、、、という気すらしてくるんですね。

エントランスの扱い方を見るに付け、この思いはより一層強くなっていきます。

先ほどの襞が一番カッコよく見えるポイントから少し坂を登っていくとこの建築のエントランスにぶつかるのですが、進行方向に向かって門が少し「ハスに構えている」のが見て取れます:



そして言われるがままに歩いて行ってみます:



向こう側にはパッと開ける視界が少しだけ右側に曲がりながら開けているのを見ることが出来るんですね。



つまりこうすることによって、螺旋状の動きを作り出し、その流れに沿って自然にエントランスに導かれる‥‥という流れを作り出しているのです!入り口を入ったところがコチラ:



2層分吹き抜けの大変気持ちの良いエントランス空間の登場〜。ちなみに内部空間はこんな感じ:



‥‥どちらが表でどちらが裏なのか分からない、、、はたまた表はやはり表であって、でも裏側から見たときはそれが表になって、、、と考えれば考えるほど、なんか磯崎さんの術中にはまり、ひいては彼の掌の上でチョロチョロと遊ばされているだけだった、、、ということになるという、、、なんか、そんな色んなことを考えさせられる建築であることは間違いありません。



素晴らしい建築体験でした!

追記:
ア・コルーニャを訪れる楽しみの一つは大西洋が育む豊富な海産物です。そんな中でもガリシア風タコ煮は絶品!市内でも1、2を争うと言われるレストランがスペイン広場にあるんだけど、その名もA Pulpeira de Melide(メリデ村から来たタコ煮職人の家(笑))!



ここのタコ煮は絶品です。柔らかすぎす、かと言って固すぎず、厚さも適切にカットされている極上の逸品に仕上っています。



マテ貝も頼んでみたのですが、コチラも素晴らしい逸品でした!こんなに身がプリプリのマテ貝は珍しい。

食後のデザートはコチラで:



ア・コルーニャを本店とするチューロスの名店、Bonilla a la vista! 程よい甘さのホットチョコレートを揚げたてのチューロスにつけて食べると、もう最高〜。



建築探訪と共に、食事も最高のア・コルーニャ訪問でした。
| 旅行記:建築 | 12:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ローマ旅行2015その3:サン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノと聖ペテロの司教座(ベルニーニ)
カトリックの総本山、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に行ってきました。



ここに来るといつも思うのですが、とにかくデカイですね(笑)。カタルーニャでは「大きいことはいいことだ」みたいな風潮があるけど、大きさだけでここまで人を圧倒出来るのは、それはそれですごい事だと思います。



外のボリュームもすごいけど、中の空間はもっとすごい!それがこちら:



もう、ココまで来ると想像を絶します。かなり人間離れしたスケールです。そして前方に見えるのが今回お目当てのあれです:



ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)デザインによる、聖ペテロの墓の上にある主祭壇を覆うブロンズの天蓋「バルダッキーノ(baldachin)」の登場〜。これは大聖堂の交差部に位置し、更にその向こう側に見える「教皇の座」を示すものでもあり、この大聖堂の中心であるばかりでなく、言うなれば全世界のカトリックの中心を指し示しているんだそうです。

そんな神の領域の如くの仕事を請け負っちゃったベルニーニ。しかしそこはさすが天才、きっちりとデザインの力で返答しています。



デザイン的には先ず、高さ29メートルにも及ぶ4本の捩れ柱が直立しているところから始まっています。そのダイナミックさは、近くに寄るとより一層迫力を増します。更にこのモニュメントは人間的スケールを逸脱した大聖堂のドームと我々の身体スケールを繋ぐ役割を果たしているとも思うんですね。この台座がここにあるのと無いのとでは、この空間から我々が受ける感覚は大違い!

そしてこのバルダッキーノを通してあちらに見えるのがこちら:



聖ペテロの司教座です。デザインは勿論我らがベルニーニ。

「楽しみだー」とか思って近寄ろうとしたところ、ミサがあるとの事でバルダッキーノから向こうは信者の皆さんしか通行は許可されないとかなんとか‥‥。な、なんか、6年前に来た時も同じ様な理由で近寄れなかった記憶が‥‥。

まあ、仕様がないので少し遠くから椅子のデザインを眺めていたのですが、このデザインがまた素晴らしいんだな:



金色の部分に注目。多分、太陽の光とか天使の光とかを表しているのだと思うのですが、それらが四角い枠をはみ出してあたかも生き物のように振舞っています。つまり灰色の大理石で出来た、比較的カチッとした四角形の部分を「地」として、その枠から元気よく天使達や光が噴出しているという表現になっているんですね。

このデザインを初めて見たのは前々回、8年前のローマ旅行の時が始めてだったのですが、その時の感動を僕は当時のブログに、こんな風に書いています:

「‥‥僕が行った時は丁度法皇様が何か読んでてそれを信者の人たちが熱心に聞いているという場面。その法王様が居る一番奥の壁面一杯にベルニーニ作の巨大椅子があります。それがすごかった。先ず長方形のような窓枠が地としてありその中に雲か天使か分からないもやもやした黄金の塊が上から積もっていくという構図。この塊が上の方だと窓枠の中に納まっているんだけど、それが徐々に下に行くに従ってはみ出てくる。とても良く力動感というものを表していると思います。

昔、渡辺先生と一緒に「ルネサンスとバロック」と言う本を読んだのですがその時に「ベルフリンはあたかもルネサンスが生き物のように意識を持ってバロックに移り変わっていく様子を生き生きと描いている」とかなんとか言われてたけど、その時は正直言って何?みたいな感じだった。サンカルロアレクワットロ・ フォンターネとか例に挙げられてたけどあまり心には響かなかった。しかし今回のこの法王の椅子を見てベルニーニに対する意識が激変しました。」


そう、これこそ予定調和的ではない旅行の醍醐味なのです。



テレビを通して知っていた知識を確認したり、本には載っていなかった発見をしたりする。何でもいいんです、とにかく自分の頭で考えて自分の五感で感じること、それが重要だと思うわけです。

僕がラッキーだったのは、幸か不幸か、大学であまり勉強をしなかったので(笑)、殆ど何も知らずにヨーロッパに来て、こちらで目にする事と言えば目新しい事ばかり。だから知識よりは感覚が先ずは「経験」として入ってきたんですね。つまりは、日本で言われている詰め込み教育とは全く逆なのです(別にだからと言って詰め込み教育が悪いとは思いませんが)。



だから美術館とか歩いていても、とりあえず見るのは絵それ自体。その絵の構図や色使い、そして僕の感覚に訴える魅力があった時、初めて誰の作品か?をプレートで確認するようにしています。それで損する事(せっかく行ったのに有名な画家の絵を見落とした)なんて日常茶飯事です。だけど、自分の感覚に訴えかけてくるものを自分なりに消化しているので、僕にはその方法が合っていると思っています。 それに有名画家の絵に必ずしも感動しなければいけないなんて事は無いはずです。



今回この椅子を見ていて、ベルフリンが言いたかった事、彼がその不朽の名著において表したかった事が、正に一撃の下に理解出来た、そんな気がしました(気がしただけかもしれませんが(笑))。

これこそ文学や小説には絶対に真似の出来ない、建築や彫刻といったヴィジュアル系芸術の真骨頂なのです。
| 旅行記:建築 | 16:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ローマ滞在2015年その1:カトリック両王(スペイン)の超わがままから生まれたブラマンテの傑作テンピエット(Tempietto)
とあるプロジェクトの為に、今週はローマに来ています。

最近は5月から始まる万博の準備の為にお隣のミラノに足を運んでいたのですが、ローマに来るのはなんと6年振り!空港に着いたのがお昼過ぎだったので、取り合えずテルミニ駅近くの適当なレストランに入ってマルガリータを頼んだら出てきたのがコチラ:



で、デカイ!そして美味しい!!生地はパリパリで、チーズはとろとろ。そこにトマトの酸味がバッチリ効いてて言うこと無し!そしてこれが8ユーロだっていうんだから信じられません。ピザを食べてホテルへ向かう途中、アイスクリームのお店があったので寄ってみたら、今度はこんなのが出てきました:



うーん、イタリア人、美味しいもの食べてるなー。

‥‥と、初日から美味しいモノばかり食べててもアレなので(笑)、ホテルにチェックインしたその足で早速打ち合わせへ。今回はローマ市内が一望出来るモンジュイックの丘ならぬ、ジャニコロの丘に聳え立つスペイン王立アカデミーにて打ち合わせです。



‥‥ジャニコロの丘?‥‥スペイの王立アカデミー??‥‥と言えば当然こちら:



じゃーん!そう、ルネサンス建築の1つの頂点を指し示すと言われているブラマンテの傑作、テンピエット(Tempietto)なんですね。

「‥‥な、なぜスペイン王立アカデミーにテンピエットが???」と思った人はかなり勘が良い。そーなんです!ローマにある超有名建築テンピエットは、実はスペインと非常に縁の深い建築となっているのです!何故かというと、15世紀に地中海で絶大な権力を誇っていたカトリック両王(イザベル1世&フェルナンド2世)が、「この場所(ジャニコロの丘)をペトロが磷付にされた場所にしなきゃイヤダイヤダ」と駄々をこね、そのワガママがそのまま現実になっちゃったからです(笑)。
←かなり簡略化して書いてるけど、本質的にはこんな感じ。
←でも、そんなワガママが歴史的傑作を生み出したんだから、「スペイン人のワガママもたまには役に立つ」‥‥ということにしておこうwww

もう1つ序でに書いちゃうと、この小さな建築を見て、(当時)法皇に即位したばかりのユリウス二世はブラマンテの力量を見抜き、史上最大のプロジェクトであるヴァチカンの聖ペトロ大聖堂の建設を任せたっていうんだから、「カトリック両王のわがまま、どこまで歴史に影響を与えてるの??」って話なのです(笑)。



そんなこんなで、取り合えず、脇にある門から入って行ってみます。かなり控えめに備え付けられた門を潜ると最初に目に飛び来んでくるのがこの風景:



じゃーん!小振りながらも素晴らしくバランスが取れた建築の登場〜。円形の平面の周囲にドリス式の柱廊を巡らし、その上にドームが載るっていう大変明快な構成。何重にも円が円を包み込み、中に入っているだろう大切なモノをスゴく大事に守っている、そんな表現になっているのが見て取れます。



その様な物語は、先ずは足下に広がる6段の階段から始まっています。この階段が「ここまでの世界」と、「そこからの世界」を明確に隔て、その領域へと入って行く人達の「心の準備をする空間」となっているんですね。そんな、「これから入って行くぞ」という気持ちを整えた所で入ってみると、天井には非常にポップな装飾が:



床面にはこれまた見事なタイルが広がっています。



とは言っても、この建築は内部空間というよりも寧ろ、外から眺めるためのモニュメントとして計画されたものなので、どちらかと言うと塔のようなマッスが強調されているかな‥‥と。

ブラマンテの当初の計画によると、この建物を取り囲む中庭も円形になり、柱廊を巡らすはずだったのだとか。そうすると、円が円を取り囲み、それをまた円が包み込むという同心円状の素晴らしい建築空間が出来上がっていただろう‥‥と想像するのもまた楽しいですね。



‥‥と、ここまで見学した所で、「ミーティング第二部が始まるよー」と秘書の子が呼んでる‥‥。

という訳で、今回のローマ滞在は結構キツキツのスケジュール且つ、仕事がメインなのでどこまで観光が出来るかは解りませんが、幾つか見たいものを絞ってこの機会に見ておきたいと思います。

あー、楽しみだー!
| 旅行記:建築 | 05:14 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
新年あけましておめでとうございます2015
新年あけましておめでとうございます。



ここ数年、年末年始はボストン、ローマ、ロンドン、パリなどヨーロッパ各地で過ごすことが多かったのですが、今年は2015年の始まりを日本(名古屋)の実家で過ごしています。

昨年(2014年)は6ヶ月をアメリカ(ボストン)、5ヶ月をバルセロナ、そして残りの一ヶ月を日本で過ごし、ドタバタと足早に時間だけが経過していく毎日だった様に思うんだけど、そんな中でも印象深かったのは、やっぱりボストン滞在だったかな、、、と思います。



今回は2回目ということもあり、一昨年よりは勝手が分かってはいたのですが、やはり異国の地で過ごすのは「それなりに大変だったなー」というのが正直な感想かな‥‥。でも、まあ、新しい発見があったり、素晴らしい出逢いがあったりと、僕の人生にとっては大変有意義な滞在であったことは間違いありません(地中海ブログ:ボストン/ケンブリッジ市のカフェ事情:美味しいコーヒー屋さんについて)。



建築関係で言えば、ルイス・カーンの建築は本当に素晴らしかった!(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:ルイス・カーンのイェール大学英国美術研究センター(Center for British Art and Studies, Yale University)、地中海ブログ:ルイス・カーンのイェール大学アートギャラリー(Yale University Art Gallery))。



ポルトガルでの教訓から、僕は建築を語る時は自分の眼で見たものしか信じない事にしていて(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)、他の人が何と言おうと、その建築を実際に訪れ、自分の5感で感じた事しか批評しないことにしているんですね。そんな僕の眼から見て、「ルイス・カーンの建築は本当に素晴らしかった」と、胸を張って言えると思います。 今度は是非、「最高に素晴らしい建築」と言われているキンベル美術館、そしてソークに行ってみたいと思っています。



バルセロナに帰ってきてからは、「待ちに待ったバケーション!」ということで、毎年恒例のガリシア地方(スペイン北部)に一ヶ月のバカンスへ行ってきました。今年の目玉は、何と言っても「リアル風の谷」よろしく、人知れずひっそりと佇んでいる修道院を発見出来た事でしょうか(地中海ブログ:本邦初公開!ガリシア地方の山奥にリアル風の谷があった!エルミータ修道院(Santuario de Nuestra Senora de las Ermitas))。



鶏の「コケコッコー!」という鳴き声と共に目を覚まし、庭で取れた野菜を食卓に並べる「田舎生活」を満喫していたら、それを妨害するかの様な電話がフランクフルトの銀行から掛かってきたりして、ブーブー文句を言いながらも向かったプレゼンテーションだったんだけど、日本では全く知られていない(と思われる)名建築に出逢ってしまうという、大変嬉しい誤算があったりしました(地中海ブログ:フランクフルトにある隠れた名建築:Ferdinand Kramerによるフランクフルト大学薬学部棟)。



そしてそして、11月には3年越しの論文がやっと陽の目を見るという大変嬉しいニュースが飛び込んできました(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!)。ちなみにこの論文、(自分で言うのも何なんだけど)欧米では結構話題になってて、(今のところ)フランス、イタリア、ドイツ、スペインの主要新聞や雑誌などからインタビューを受け、大々的に取り上げられる状況となっています。



そんなこんなで、「あー、去年も色々あったなー」とか思いつつ、ふと気が付くと、地中海ブログも今年で9年目を迎えることが出来ました。

最初の頃は単なるメモ程度のノリだったのですが、今では毎日約5000人ほどの人達に見て頂けるまでに成長し、ABcruasanとして公開しているTwitterも含めると、「1つの小さなメディアを形成しつつある」と言っても過言では無い状況になってきていると思います。



今年は去年までとは違ったスケールのプロジェクトが動き出したり、個人的に今まで踏み込んだことの無い領域に挑戦したりと、色々な意味で飛躍の年になるのでは?と期待をしています。いや、絶対そうします。

そして今年も「楽しい人生」、「豊かな毎日」を送ることをモットーに、毎日全力で生きて行こうと思っています。

今年も昨年同様、僕の独断と偏見で勝手なことを思いっ切り書いていこうと思っている「超わがままな」地中海ブログですが、引き続きご愛読頂ければ幸いです。

当ブログの読者の皆さんにとっても素敵な年となりますように。 そして今年も宜しくお願い致します!

Happy New Year!
Feliz Año Nuevo!(スペイン語)
Bon Any Nou!(カタラン語)
| 旅行記:建築 | 17:02 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルトにある隠れた名建築:Ferdinand Kramerによるフランクフルト大学薬学部棟
忙しい‥‥なんか最近妙に忙しい!



最近はブリュッセルに行ったり、フランクフルトへ行ったり、はたまたその間にバルセロナで来月開かれる国際会議(IBMスマートシティ会議とバルセロナ・スマートシティ国際会議)の為のプレミーティングに、(強制的に)参加させられたりと、なんだか目まぐるしい毎日を送っています。



そんな超多忙な日々なんだけど、足早に過ぎていく時間の中で忘れてはならないことも多々起こっている訳で、その様な出来事をメモ程度に書き留めておこうかなと思います。

先々週のことになるのですが、所用でフランクフルトへ行った時のこと(夏休み明けから数えてもう3回目!)、意外にもプロジェクトの打ち合わせが早く終わったので、「この機会を逃すべからず!」くらいの勢いで市内にある幾つかの美術館へ行ってきました。



フランクフルト市内には見るべき美術館が幾つかあって、それらの多くがマイン川沿いに行儀良く並んでいるんだけど、例えばフランドル絵画のコレクションでは世界屈指の規模を誇るシュテーデル美術館(Städel museum)、ドイツ映画博物館(Deutsches Film Museum)、更にはドイツ建築の紹介を中心としたドイツ建築博物館(Deutsches Architektur Museum)なんてのもあったりするんですね。



ちなみに上の写真は約1年前にシュテーデル美術館を訪れた時にツイートしたものなんだけど、あれよあれよという間にリツイートされまくって、1年経った今でも時々現れている「つぶやき」です。 ←「あの写真、何処で撮ったんですかー?」って良く訊かれるんですが、ずばり、シュテーデル美術館2階奥にあるルノアール(絵画)の前で撮りました。



もう1つちなみに、このシュテーデル美術館は最近リノベーションが施され、地下空間が新しく付加されたのですが、これがまたシザ‥‥ひいてはアールトの甘いコピーに見えない事も無い‥‥と言ったら意地悪過ぎるでしょうか(苦笑)。



そんな中、今回はリチャード・マイヤー設計で知られるフランクフルト工芸美術館(Museum für Angewandte Kunst)に行ってきました。とは言っても、この美術館の空間構成についてはココで紹介するほどでもなく‥‥かと言って展示品もそれほど面白い訳でも無いんだけど、僕が今回ここを訪れた理由、それは久しぶりに倉俣史朗さんの椅子(How High the Moon)を見たかったからなんですね。


(倉俣史朗作、How High the Moon)
←倉俣史朗さん、僕が中学生くらいの時に亡くなったのですが、たまたまその当時テレビを見ていたら、「彼が亡くなった」というニュースと共に、彼の代表作とも言える「ミスブランチ」がテレビに映し出され、「こ、こんな椅子が世の中に存在するのかー!」と眼を奪われた事を今でもハッキリ覚えています。


(倉俣史朗作、ミス・ブランチ)
それ以来、彼の作品の大ファンになり、ことある毎に展覧会へ行ったり、海外に散らばっている彼の作品を見て廻ったりと、倉俣巡礼を繰り返しているという訳なんですね。ちなみに、初めてアルバイトをして頂いた給料で購入したのが、実は倉俣史朗さんの照明(オバQ)だったと言う事も今となっては良い思い出です。 ←本当はミス・ブランチが欲しかったんだけど、高かったんですよ(汗)。


(倉俣史朗作、オバQ)
そんなこんなで、今回も久しぶりにこの美術館に彼の作品を見に来たんだけど、「あー、これ以外に見るもの無いなー」とか思ってたら、なんかあっちの方に建築系の特別展示を発見‥‥。



展覧会場のど真ん中に位置している大きなパネルに船が映ってる事から、「あー、近代建築系かなー?」とか思いつつ、少し見て回っていたら、コレが結構面白くてビックリ!僕は全く知らなかったのですが、20世紀初頭から80年代くらいまでドイツで活躍したFerdinand Kramerと言う建築家なんだそうです。



当時撮られたと見られる大きな白黒写真が展示されていたのですが、これが彼の代表作っぽくて、写真で見る限り、「これは一度この眼で見てみたい!」そう思わせるに十分な質を持っている様に思えたんですね。 ←‥‥なんか最近、表面をゴチャゴチャと操作しただけの建築や、写真写りが良さそうなだけの建築が多いんだけど、そんな中、わざわざお金と時間を掛けてまで「実際訪れてみたい!この眼で見てみたい!」と僕に思わせてくれる建築って、そうそう無いものなんですよ。

「まあー、でもなー、写真が白黒だし、雰囲気も昔の建物っぽいので、さすがにもう残ってないよなー」とか思いつつ、ダメ元で学芸員の人に聞いてみたら、「ハイ、ありますよ。フランクフルト市内です」との意外な答えが!「えー、これ、まだ残ってるの!!し、しかもフランクフルト市内???」。



で、詳しく聞いてみたら、どうやらこの建築はフランクフルト大学薬学部の建物なんだとか。更に更に、その学芸員の人、大変親切にも地図まで書いてくれた上に、大学図書館に連絡まで取ってくれて至れり尽くせり! ←何でも、遠い島国から来た日本人がドイツの建築家にこんなに興味を持ってくれたのが心底嬉しかったのだとか。

という訳で早速行ってきました。

市内を走っている地下鉄U4線に乗りBockenheimer Warte駅で下車すると、眼の前に広がっているのがフランクフルト大学のキャンパスです。



この大学、正式名称はヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン(Johann Wolfgang Goethe-Universität Frankfurt am Main)と言うそうなんだけど、日本を含む欧米では「フランクフルト大学」という通称で通っているので、こちらを用いる事にします。

「ん‥‥?フランクフルト大学?」と思った人はかなり勘が良い。そーなんです!この大学こそ、あのハーバーマスを擁するフランクフルト学派の拠点なんですね(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel)。大学創設は1901年に遡るらしく、元々はこの辺りにキャンパスが広がっていたそうなんだけど、学生数の増加に伴い、近年は郊外へとキャンパスを移転したそうです。

最寄り駅を降りて歩くこと10分、この辺りには結構古い建物が残ってて、この建築(下記写真)もFerdinand Kramerによる作品なんだとか。



そこから更に歩くこと2分、見えてきました、それらしい建物が!



緑豊かな中に静かに佇んでいる姿は、金融都市フランクフルトの喧噪からは想像も付かないほどゆったりとした時間が流れています。この日は週末だった為、学生さんは誰もいなくて建物内は空っぽ。下の庭には裏から廻れそうだったので、そちらから行ってみる事に。



な、なんか物々しい雰囲気の裏側‥‥。



そこを曲がるとヨーロッパ随一の金融都市「フランクフルト」が顔を現します。それらの超高層と比較すると、正に「都会のオアシス」と呼ぶに相応しい雰囲気のポケットパークが姿を現します。



で、そこを曲がると現れるのがこの風景:



じゃーん!こ、これだー!しっかりとした本体部分にブリッジが架かっていて、この建築に流れる「物語」の「余韻部分」とでも言うべき四角い箱がくっ付いています。



真っ白な躯体に全面ガラス張りの四角い箱。



言うまでもなく、この小さな四角い箱と、それを繋ぐブリッジがこの建築の肝なんだけど、正にこの小さな箱がこの建築の質を「決定的なもの」にし、この何でも無い平凡な建築を「唯一無二の存在」にしているのです。



よーく見ると、大変注意深くデザインされていて、例えばこの箱の立面を「一枚の壁である」かの如くに強調する為に、こんなデザイン上の工夫がされていたりするんですね。



今度は反対側から見てみます:



50年以上の歳月を経て、ここの自然と素晴らしく同化しているのが見て取れます。

今度はもう一度上に戻って、正面からこの建築を見てみます。



先程のブリッジの部分です。渡ってみます。



右手側には先程の中庭と、しっかりとした基盤である高層棟。



左手側にはガラスを通して階段が見えます。



‥‥建築とは、何かしら建築家がやりたい1つのアイデアがハッキリと眼に見える形で実現出来ていれば良い建築である‥‥と、僕はそう思っています。

今回訪れたフランクフルト大学薬学部棟のアイデアは大変明快且つシンプル、更に言うなら、その表現としても「これだ、これだ!」と大声で自分を売り込むのではなく、大変謙虚な姿勢を貫き、パッと一目見ただけでは見過ごしてしまう様な、そんなごく普通の佇まいをしているんですね。



もっと言っちゃうなら、この「四角い箱をブリッジで繋ぐ」という掛替えの無いアイデア、たった1つの為に、この建築は最上級の質を伴った建築に昇華しているのです。



素晴らしい、本当に素晴らしい建築だと思います。

こんな建築が今まで日本に紹介されていなかった事、こんな素晴らしい建築を建てた建築家が殆ど無名のままでいること‥‥。

この様な予定調和的ではない体験が出来るからこそ、僕はヨーロッパの街を訪れ続けているのであり、この様なヨーロッパの深淵に不意に出逢える事こそ、ヨーロッパ旅行の醍醐味でもあるのです。
| 旅行記:建築 | 04:06 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
リアル・ドラゴンボールっぽい、ブリュッセル万博(1958年)の置き土産、アトミウム(Atomium)
今週はブリュッセルに来ています。
←バルセロナのスマートシティ政策に関する講演会(レクチャー)を欧州委員会関連で頼まれたので。



EUプロジェクトの関係などから、ボストンへ行く前は毎月一回、ひどい時になると1ヶ月に3回くらい来てたブリュッセルなんだけど(地中海ブログ:EUプロジェクト交通分野説明会2010、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景、地中海ブログ:ブリュッセル出張:Infoday 2010:バルセロナ空港管制官の仮病騒動とか)、この街を訪れるのは実に1年ぶりだと言うことが先程判明!まあ、1年も経つと見慣れていた風景が色々と変わっていたり、知らないレストランが続々とオープンしていたりと、久しぶりのブリュッセルの街並の変化を楽しんでいたりします。



今回僕が行ったプレゼンテーションやその内容などについては、また別の機会にゆっくりと書いていこうかなと思ってるんだけど、一言だけコメントしておくと、今回一緒になった登壇者の中で、「ほぉー、これは!」と僕に思われてくれる興味深い取り組みをしていたのは(やはり)横浜市でした。
←知ってる人は知ってるかもしれないけど、「横浜市のスマートシティへの取り組み」って欧州におけるスマートシティ賞を結構受賞してたりするんですね。ちなみにこの分野で主導権を握ろうと、バルセロナが3年程前に作った「スマートシティ国際会議」第一回目のキースピーカーとして招かれたのが(僕がMITで所属しているラボの所長)Carloさん(スマートシティの世界的権威)であり、彼にオープニング・スピーチをしてもらう事でこの会議に権威付けを行うという戦略をバルセロナが敷いていた事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画、地中海ブログ:スマートシティ国際会議(Smart City Expo: World Congress)に出席して思った事その1:バルセロナ国際見本市会場(Fira Barcelona)の印象)。ちなみに、今年京都で行われたスマートシティ国際会議も全く同じ路線を敷いていて、Carloさんをスピーカーに招いていました←その件でカルロには日本へ行く前に、京都について、はたまた日本のスマートシティに関する取り組みについて散々質問されたりしました(苦笑)。もう1つちなみに、その第一回会議で世界スマートシティ大賞に輝いたのが何を隠そう横浜市の取り組みだったりします。



レクチャーの翌日は、地元ブリュッセルのICT関連の研究者が「どうしても意見交換したいのですが‥‥」とメールを送ってきてくれていたので、朝からお昼までは市内でミーティング三昧。帰りの飛行機が結構遅い時間だったので、ミーティングが終わってから空港へ向かうまでの時間を利用して、ちょっとした観光をしてきました。まあ、とは言っても、ブリュッセルは今までに何十回も来てるし、「主要な観光地は殆ど廻ったからなー」とか思いつつ、地図を見ていたら一カ所行っていない所を発見!な、なんとあろう事か、ブリュッセルで最も観光客を惹き付けているモニュメントの一つ、アトミウムに行っていない事に気が付いてしまったのです!



1958年にブリュッセルで開催された万国博覧会のシンボルとして創られたこのアトミウムは直径18メートルの9個の球体とそれらを繋ぐ12の辺で構成されています。この形状は鉄の結晶構造(体心立方格子構造)を表しているらしく、モニュメントの高さは103メートルにも及び、実際の鉄の結晶構造を1650億倍に拡大したものなんだとか。ヘェー、ヘェー、ヘェー。2004年にリフォームの為に一旦閉館し、再び開館したが2006年。それ以来、小便小僧と並び、ブリュッセルを代表するモニュメントとしての地位を確立しているんですね。「こんな魅力的なモニュメントを訪れて無いとは建築家の恥!」という訳で早速行ってきました。

いつもならここで、この建築へのアクセスの仕方=「建築の歩き方」から始めるんだけど、この建築には市内から地下鉄で簡単にアクセス出来る為、今回は「必要無し」と判断。最寄り駅は地下鉄のHeysel駅。駅を降りて地下鉄構内を出ると広がっているのがこの風景です:



じゃーん!木々の間から垣間見える巨大なボールと、それらを繋ぐ鉄の棒が創り出す風景は、正に「非現実的」という言葉が相応しいかと思います。



このアトミウムは理科室に置いてある模型を巨大化した様な、そんな大変奇妙な感覚を僕に生じさせます。ちなみに、バルセロナの山手側、セルトが手掛けたパリ万博のスペイン館(1937年)の真ん前にマッチ棒を巨大化したアート作品があるんだけど(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)、これはオールデンバーグとバン・ブルッゲンによる彫刻作品で、コンセプトとしては、アメリカのポップアートの一潮流であった「我々が普段見慣れている日常生活品を巨大化する事」によって、我々の意識下に浸透している潜在意識の意味を問うと言う、そんな大層なモノだったりします(笑)。



そんな事を思いつつ、どんどん近づいて行ってみます:



足下まできました。か、かなりデカイ。で、見上げるとこの風景:



うーん、巨大な銀色のボールが9つ。正にリアル・ドラゴンボール(笑)。7つじゃなくて9つだけど‥‥。僕が訪れた時は微妙に空が曇ってて、巨大なボールが空中に浮いているという超非現実的な風景の中、「い、いでよシェンロン!」とか唱えたら、本当に龍が出てきそうな雰囲気でした(笑)。



とまあ、冗談はこれくらいにして、イヨイヨ中に入って行ってみます。ちなみに入場料は11ユーロ!「た、たかい!!」‥‥とブツブツ文句を言いながらも入場料を支払いエントランスを潜ると、ベルギーで絶大な人気を誇る冒険漫画の主人公、タンタン(TINTIN)が出迎えてくれ、彼と一緒に強制的に写真を撮らされるんですね(タンタンについてはコチラ:地中海ブログ:クリスチャン・ド・ポルザンパルク(Christian de Portzamparc)のエルジェ美術館(Musee Herge)はなかなか良かった)。



←後に判明するのですが、この写真、出口で10€くらいで売ってました←結構セコイ商売してるなー(苦笑)。

さて、僕が非常に感心したのがこの建築の巡回方法です。←職業柄、建築や美術館の中で人がどう動くか?という事についつい眼が行ってしまうのです(地中海ブログ:ウィーン旅行その9:シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)のオーディオガイドに見る最も進んだ観光システム/無意識下による人の流れのコントロール)。



エントランスを入った直ぐの所にはエレベーターが設置されていて、先ずは強制的に最上階まで運ばれます。で、このエレベーター、天井がガラス張りになっていて、そこからチューブ内の構造が見えるんだけど、これがカッコイイんだな!



上の写真がエレベーターが止まってる所。当時使われていたチューブ内の構造がありありと見えるんだけど、こんな風景滅多に見えるものじゃあありません。更に更に、エレベーターが動き出すともっと凄いんです!



じゃーん!こんな感じで気分は正に60年代にタイムスリップ!!こんな風景を楽しんでいると30秒ほどで屋上に到着〜。



屋上はブリュッセルが一望出来る展望台になっています。更にそこから階段で上がっていくと(お約束通り)レストランになっているんですね。



こちらも当時の構造体を露出させ、現代的な材料やデザインと上手く組み合わせる事によって大変独特な雰囲気を醸し出しているのが分かります。



更にその上階には特別席(?)みたいなのがあって、まるでスタートレックに登場した船内を思わせるかの様な風景になっています。で、ここを見終わると先程のエレベーターに乗せられ、再び一階へ。



ここからはエスカレーターと階段を使って1つ1つ球体の中を移動していく事になるんだけど、このエスカレーターのデザインがコレ又レトロな感じで最高でした。



1つ1つのボールの中にはそれぞれのテーマが設定されていて、それに関するちょっとした展示が企画されています。例えばこちらはブリュッセル万国博覧会が開かれた当時(1958年)の様子を写真や映像で伝えるコーナー。その当時、科学技術が「如何にバラ色の未来を約束するものだったか?」、「如何に人々に夢と希望を与えるものだったか?」という事がビシビシ伝わってくる内容となっています。そしてまた別の通路へ。



この通路も素晴らしくレトロ・フューチャー!!全ての球体を見終わり下階へ降りて行く時はエスカレーターを使う事になるんだけど、そこが一番凄かった!



映像と音を駆使して、我々を過去へとタイムスリップさせてくれるんですね。



‥‥万国博覧会というのは元々ヨーロッパ帝国主義のプロパガンダ装置、つまりは「国家の広告」として発明され発展してきたが故に、会場に設置されたモニュメントや展示物を通して常にその時代時代の国家、産業、そして大衆との関係を表し続けてきたという歴史があります。史上初の万博であった1851年のロンドン万博では、その当時の技術の粋をつぎ込んだクリスタルパレスが生まれ、1899年のパリ万博ではエッフェル塔が発明され、更に1967年のモントリオール万博ではフライ・オットーのネット構造物が生まれたりしています。

つまり万博というのはその構造物と、その構造物の「物理的なサイズ」によって、その国家の技術と経済力の一大プレゼンテーションとして機能してきた訳なのです。

この様な状況(つまりは万博の為に建設されたモニュメントが担う機能)に変化が現れ初めたのが1964年のニューヨーク万博。この万博では、会場構成を担当したのがディズー社であり、その会場や風景は「技術が生み出すバラ色の世界」というよりは寧ろ、遊園地やテーマパークと言った様相を呈していたのです。その後、1968年にパリ革命が起こり権威の失墜が始まります。更には1970年の大阪万博では、国家のアンチである筈の前衛芸術家が国家に利用され始めるという逆転現象が起こり始め‥‥という様に続いていくんだけど、この話をし出すと長くなるので又今度。

簡単に要約すると、ある時期までは万博というのはその国における最新テクノロジーとその国の威信を掛けた世界最先端のものを展示する祭典だったんだけど、ある時期を境に巨大なテーマパークの様なものに変わっていきました。その背景にあるのは、我々が以前の様には「科学の進歩の力を信じられなくなった」という事が挙げられると思います。つまりは「21世紀になったら車は空を飛んだり透明チューブの中を走ったり、はたまた宇宙旅行が当たり前で、人類は宇宙ステーションに住んで地球の人口増加は解決されたり‥‥」と言った様な「科学技術がもたらしてくれる夢の未来、明るいバラ色の未来は来ない」という事をいつの間にか悟ってしまった訳なんですね。



それらを背景として近年起こってきている事‥‥それは現代の世の中に希望を見い出せなくなった世代が「バラ色の未来を夢見ていた過去に強い憧れを見い出す」という逆転現象なのです。もっと簡単に言っちゃうと、「明るい未来を想像し、夢を見ていた過去は良かったよなー」みたいな、そんな感覚なのです。

近年日本の社会で起こっている諸現象は、この様な「ロストフューチャー論」で結構説明出来て、例えば去年大旋風を引き起こした「あまちゃん」なんかは、日本が圧倒的に輝いていた80年代のアイドル映像などを取り混ぜながら、それらを大変巧妙に物語に組み込んだ事によって成功した事例だと、僕は思っています(地中海ブログ:多度大社から歩いて3分の所にある皇室御用達の鯉料理の老舗、大黒屋)。



ブリュッセル万博(1958年)のシンボルとして建設された今回のアトミウムは、明らかにこの路線上に乗っているモニュメントです。故にその当時の社会に充満していた科学技術に対する信頼、科学技術が切り開くバラ色の未来、その様な雰囲気をこのモニュメントは「建築として」表象しているのです。だからこそ、この建築を訪れた我々はこれ程までに過去の雰囲気を「体験として」感じることが出来るのであり、この建築はこれ程までに我々の心を過去へとタイムスリップさせてくれるのだと思います。

一風変わってたけど、面白い建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 02:06 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その2:内部空間編:パノラミックな風景が売りの敷地においてパノラミックな風景を見せないという選択肢
JUGEMテーマ:アート・デザイン
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)編の続きです。



素晴らしいアプローチ空間を堪能した後は、いよいよ中へと入って行きます。我々を出迎えてくれるのは、これまたシザの建築言語で溢れ返ったエントランス空間:



入り口を入った直ぐの所にはカフェが設えられていて、天井にはシザがガリシア美術センターで用いた「逆さまになった机」が(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)、左手奥の方には不思議な光で照らし出された大階段がチラチラ見え隠れしています。



この様な「光の質の違い」によって来館者を(自然と)進行方向に導くデザイン力は素晴らしいとしか言いようがありません。と言う訳で、誘われるがままに階段を上っていってみます:



左手上方には横一直線に大きな大きな窓が取られていて、階段を上るにつれてそこから外界の風景が徐々に見えてくるんだけど、丁度階段を上り切った所がこの窓の終わりに位置している為、「風景が全開に見える」というよりは寧ろ、その様なクライマックス的空間が「チラチラ見える」と言う程度に留まっているんですね。この様な「風景の開放/制御」を用いた視線コントロールは本当に上手い!そして階段を上り切った所で右手(90度)に進行方向を強制的に変更させられるんだけど、そこに展開しているのがこの風景:



閉じているのに不思議なくらい透明感に溢れた空間の登場〜。薄い茶色の大理石や真っ白な壁など、「材料の組み合わせだけでこれほどまでに空間に透明感を与える事が出来るのか!」というお手本の様な空間になっていますね。この地点から、たった今上がってきた階段を振り返るとこの風景:



階段と、その上に位置する横長に取られた窓の位置関係が良く分かるかと思います。

さて、ここのレセプションからは時計回りに進んで行ってみます:



先ず現れるのは、真っ正面に3人掛けの椅子が置かれ、木製の本棚に囲まれた非常に落ち着きのある空間です。向かって左手奥にはコンピュータ室(窓が必要ない部屋)が、その反対側からは微かに光が漏れていて、その漏れ出す光があたかも我々に「おいで、おいで」と手招きをしているかの様ですらあります。



‥‥この空間でシザが試みていること、それはこの後に展開するであろう「クライマックス的空間」に入る前に「ホッ」と一息つく空間を用意しているんだけど、この様に最後の空間の前にワンクッション置く事によって、「クライマックス的空間に入って行くぞ!」という気持ちを整えることが出来るんですね。そんな事を思いつつ、右手方向から漏れてくる光に導かれるままに歩を進めて行くと我々の前に姿を現すのがコチラです:



光に満ち溢れ、真横一直線に取られた窓がこの上なく美しい風景を切り取っている閲覧室の登場です。



大変抑制された開口が、強過ぎない光を閲覧室に導き入れ、非常に居心地の良い空間を形成しているのが見て取れるかと思います。木製の本棚と真っ青な海の対比‥‥。そしてココにはシザ建築のもう1つの特徴である天井操作が見られます:



こちらは2重天井となっていて、一番上に取られたスリットから直接光を取り入れ、その直接光を2番目の天井をクッションとしつつ柔らかい光に変換してから室内に取り入れています。

そして僕にとって大変重要な事に、この空間にはシザ建築の真骨頂とも言うべき、「ある秘密」が隠されているのです。シザはとあるインタビュー(スペイン紙)でこんな事を告白しています:

R:「‥‥(私が子供の時煩った病気の時に滞在していた)その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。

‥‥

文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。」
(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?

そう、シザにとって目の前に広がる大自然を強制的に見せる建築と言うのは、単に人々の心を疲れさせるだけのものなのです。つまり彼にとってその様なパノラミックな風景を見せるということは強制であるべきではなく、「選択肢の1つ」として用意されていなければならないのです。

この様な幼少期の体験=トラウマこそ、シザ建築に多く見られる特徴、すなわち「内に開かせる」という建築形態を決定付けた主要因になった訳なのですが、今回のヴィアナ・ド・カステロ図書館においてシザは正にそのコンセプトを実現しているかの様に僕の眼には映ります。

どういう事か?

先ずは左手方向を見てください:



先程見た横長の窓からは美しいパノラマを楽しむ事が出来るのですが、その風景を見つつ読書を楽しむ人、勉強に勤しんでいる人達など、こちら側の空間では人々の様々なアクティビティを見付けることが出来ます。そして次に右手方向を見てみます。するとそこには全く別の風景が展開している事に気が付きます:



こちら側に展開している風景、それは内側に向かって開かれた中庭空間なんですね。コチラ側の窓からは先程の様な大自然のパノラマは見る影もありません。

そう、シザは両側に「全く異なる風景」を用意する事によって、ここを訪れる人々に「どちらの風景がいいですか?」と選ばせているのです!



ある人は「大自然を楽しみながら読書したい!」と左側の席を選ぶだろうし、またある人は「読書をするには海の青色は強過ぎる。中庭の方が本を読むには集中できる」と右側の席を選ぶことでしょう。



そしてこんな素晴らしい「空間の質」に寄与しているのが窓のデザインです。



窓の形、窓枠、カーテン‥‥全ての線がビシッと決まっています。更にこの空間の印象を決定付けているのがコチラ:



木で出来た本棚なんだけど、床面との材質を合わせる事によって、あたかも本棚が床から「ニョキニョキ」っと生えてきたかの様な感じを醸し出しています。そして見上げればコチラ:



さっきも言及した天井操作なんだけど、上の写真の真ん中に開いている長方形の開口にリズミカルに並んでいる3つの直方体が、それぞれ少しづつ内側に倒れ掛っていて、台形の様なデザインになっているんですね。



写真では分かりにくいかも知れないんだけど、これらの梁がホンの少しだけ内側に倒れ掛っている事によって、この空間の印象がガラッと変わっているのが見て取れるかと思います。

これら全てに共通している事、それは、窓も本棚も天井も、この空間を構成するどの要素も「これだ、これだ」と自己主張するのではなく、まるで自分自身を消しているかの様な「静のデザイン」になっているという事実です(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。そう、まるでこの図書館は、「デザインってこのくらいやればいいんだよ」と、我々にそう語りかけてくるかの様なんですね。



‥‥この建築を見ていると、近年しばしば見掛けられる「やり過ぎのデザイン」、「自己主張ばかりして何も訴えかけてこないデザイン」とはまるで逆を向いている事に気が付きます。



この建築には、古今東西で様々な建築を創り続けてきたアルヴァロ・シザという建築家が辿り着いた1つの答えの様なものを見る事が出来る‥‥と言ったら、言い過ぎでしょうか?

建築家なら誰しも、「自分の作品に署名を残したい!」、「なるべく他の建築との違いをつけたい!」、「もっと特別なものにしたい!」という強い思いがあり、ついついデザインをやり過ぎてしまうというのが人情だとは思います。

しかしですね、建築のデザイン、ひいてはデザインの本質って「目立つこと」というよりは寧ろ、「目立たないこと」、「パッと見、普通なんだけど、よーく見るとちょっとだけ違う」と言った様な、「差異化にある」と思うんですね。そしてそれを達成する為には「やり過ぎないこと」、強く出たい所を一歩引いて、自分を消す事、そう、デザインってこのくらいでいいのです。

アルヴァロ・シザはこの図書館建築を通して、我々にそう語り掛けているかの様でした。

星、三つです!!!!
| 旅行記:建築 | 18:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について
一昨日からスペイン最大の港湾都市、ビーゴ(Vigo)に来ています。



この都市に来るのは通算5回目なんだけど、コレと言った観光名所も無いビーゴに何度も来るというのは普通の感覚からするとちょっと珍しいかもしれません。「ビーゴに5回も来るんだったら、もっと他に行く所があるだろ!」みたいな(笑)。



理由は至って簡単で、僕が滞在しているPETIN村から比較的近いということ、ビーゴを拠点としてポルトガルへ気軽に行けるということ、そして何より大きいのが、知り合いのガリシア人(在ビーゴ30年以上)が美味しい海産物をたらふく食べられるバルやレストラン、地元民で溢れ返る穴場スポットなんかを熟知しているということかな。



そんな感じで何度となく来ているビーゴなんだけど、特に去年はエンリック・ミラージェスがデザインしたビーゴ大学をじっくりと見る事が出来て非常に印象深い滞在となりました(地中海ブログ:ガリシア旅行その3:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築、ビーゴ大学(Univeristy of Vigo)その1:ミラージェスの真骨頂、手書きのカーブを存分に用いた名建築)。



ちなみにエンリック・ミラージェスはアルヴァロ・シザと並んで僕が最も尊敬する建築家であることから、当ブログではことある毎に取り上げてきています(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編、地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。

さて、ここ何年かは「ガリシアに来たらちょっと足を伸ばしてポルトに行く」というポルトガル旅行が恒例になってるんだけど、今年はちょっと趣向を変えて、ビーゴから車で南に1時間ほど行った所にある小さな町、ヴィアナ・ド・カストロ(Viana do Castelo)に行ってきました。



緑豊かなミーリョ地方、その中でもリマ川が大西洋に注ぐ港町であるヴィアナ・ド・カストロは非常に美しい町と知られ、(知人によると)「リマの女王」と呼ばれているのだとか。しかしそのこと以上にこの小さな町が我々建築家を惹き付ける理由、それはこの地にアルヴァロ・シザが建てた図書館があるからなんですね。



(上述した様に)アルヴァロ・シザについては個人的に大変興味深い建築家だと思っているので、当ブログではことある毎に言及してきました(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?、地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。



シザ建築の特徴、それは写真では絶対に捉える事が出来ない空間の質です。だから僕はシザの建築を語る時は書籍の情報にはなるべく頼らず、実際に訪れてから語る事にしています。シザの建築ほど現地に来ないと分からない建築は無いと思うし、彼の空間を実際に体験しない事には本質を見誤ると思うからです。



ヴィアナ・ド・カストロ市の目抜き通りがリマ川とぶつかる、その最高の場所に今回目指すべき建築は佇んでいます。しかも大変贅沢な事に、ポルトガルが世界に誇る3巨匠の作品が一堂に会しているんですね。



先ず一番手前にある真っ黒なダクト(?)がむき出しになっているのが、最近プリツカー賞を受賞してノリにのってる建築家ソウト・デ・モウラの作品です(ソウト・デ・モウラについてはこちら:地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro)その2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢、地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ブラガ市立サッカー競技場(Estadio Municipal de Braga))。その真横に位置しているのがポルトガルの丹下健三こと、フェルナンド・タヴォラの作品:



ポルトガルの近代建築を語る上で欠かせない存在であり、アルヴァロ・シザの師でもあるフェルナンド・タヴォラについては日本では殆ど知られていません。しかしですね、彼の建築には見るべき所、学ぶべき所が非常に多く、ポルトガルに来たら絶対に見るべき建築に数え上げられる事は間違い無いと思います。

そしてその真横に鎮座しているのが今回目指すべき建築、アルヴァロ・シザによるヴィアナ・ド・カストロ図書館です:



真っ青な空に美しく映える真っ白なコンクリート、そしてそこに施された恐ろしく控えめなデザインが大変静かな表情を創り出しています。



なにかしら特別な事をするのではなく、「これだ、これだ!」と自己主張する訳でもない‥‥。一見普通なんだけど、よーく見ると何処か違うという「差異化」=静のデザイン(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。そんなこの建築のデザインに決定的な影響を与えているのが、隣にあるタヴォラの作品との対話なんですね:



ちょっと調べてみたところ、タヴォラの作品の方が若干早く完成しているので、教え子であるシザの方が「師の作品に敬意を払いつつデザインを合わせた」と、そう見る事も出来るかと思います。



で、僕にとって大変興味深く且つ大変重要な事に、ここにはシザ建築の特徴の1つである「パースペクティブの付いた空間」が「かなり控え目に」実現されていると思うんですね。



そう、この「控え目に」というのがこの建築の1つのキーワードかなと思います。と言うのもこの建築にはかつてシザがガリシア美術センターで見せた様な「強調された軸線によるパースペクティブ」も見られなければ、ポルト大学で用いたスロープの手前側と向こう側で幅員を操作する事による「パースの強調」も見られないからです。



そうではなく、この図書館ではヴィアナ・ド・カストロ市のシンボルである山頂の教会に向かって消失点が引かれるかの様に、真横にあるタヴォラの建築の軒先に合わせて真っ白な四角形を「ポン」と置いただけに見えるのです。先ずはこの点を抑えておく必要があるかと思います。



そんな事を思いつつ水際沿いを歩いて行ってみます。四角いボリュームがガクンと一段下がった向こう側には、同じくらいの面積を伴った緑の空間が取られています。



時々あっちの方に見える緑色の鉄橋を渡っていく黄色い電車、そして真っ青な海と空の対比が素晴らしい。‥‥とか思ってたら、緑の公園の向こう側に何やら口を開いた様なコンクリートの塊が見える‥‥。そして地面には緑の中を掻き分けるかの様な道筋が‥‥。



そうなんです!僕はココへ来てようやく気が付く事が出来たのですが、この建築の真のアプローチ、それは(上で見た)タヴォラの建築の真横にある四角い箱(この建築の本体)なのではなく、そこから海沿いに少し歩いたこの地点だったんですね!



と言うか、シザはこの建築を訪れる人達に、直ぐに図書館に入るのではなく、この建築の周りをぐるぐると歩いて欲しかったのだと思います。

何故か?

それは大自然の美しさと雄大さ、そしてそれに対する人間の創造力/想像力の結晶としての「建築」との対比を見てもらう為だと思います。



手法は全く違いますが、ルイス・カーンも同じ様な事を試みていました(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート2:全く同じファサードが4つデザインされた深い理由)。そしてここからがシザ建築の真骨頂の始まりです:



上の写真を見てください。普通に見ればこの空間には、向こう側に佇んでいる真ん中に穴の開いた四角い箱と、そこへ続く道があるだけなんだけど、ここには今日までアルヴァロ・シザという建築家が蓄積してきた建築言語が「これでもか!」と詰まっているんですね。



向こう側に見える真っ白な四角い箱の天井部分に光が反射し、あたかもこの建築を訪れる人達に「おいで、おいで」と言っているかの様ですらあります。



これはアプローチ方向向かって右手側に四角い塊を置き、天井との間にスリットを入れて光を導き入れ、そこからの光を一度その上方に反射させ、更にその反射光をもう一度天井に反射させる事によって実現している光なのです。



これはシザがセラルヴェス現代美術館のアプローチで奇跡の空間を実現したデザイン言語です。セラルヴェス美術館の場合は、ちょっとした料金所でアプローチ空間の一部を狭めておき、その後ろにオーディトリアムという大きな塊を置く事によって、それら真っ白な大きな壁に反射した光を天井に映し込んでいました:



また細かい事を言っちゃうと、躯体全体を白いコンクリートで覆ってしまうのではなく、薄いブルーの腰壁を立ち上げつつ白い壁と自然に連続させる事によって、あたかも地面から生えてきたかの様な表現に成功しています。これはシザがポルト大学の外構をデザインする際に開発したデザイン言語でもあります。



天井に映り込んでいる「奇跡の光」に導かれる様に向こう側へ行こうと思うんだけど、ここにもシザ特有の「デザインによる仕掛け」が我々を待ち構えています。我々を導いてくれる石畳が入り口に向かって一直線に敷かれているのではなく、ジグザグになっているんですね。細かくてナカナカ気が付かないんだけど、こういうちょっとしたデザインの積み重ねこそが、この建築に対する我々の印象を決定付けているのです。

さて、言われるがままに歩を進めていくと一度正面の壁にぶち当たり、もう一度進行方向を変えさせられてから(左手に90度折れ曲がる)、開口を通してあちら側に視線が抜ける様になっています。いま通って来た道を振り返ると、ここまでのアプローチ空間がどうなっているのかが良く分かるかと思います:



ほらね、何度もカクンカクンって折れてるでしょ?これって元々日本のお家芸だったんですよねー。例えばコチラ:



今年の日本滞在時、京都に寄った際に見て来た村野藤吾の佳水園のアプローチ空間です。門へと至る石の置き方、門を潜ってから右手側の滝をチラチラ見せておいてからの圧倒的な中庭空間への繋ぎ方。そしてそこから振り返り様に設えられているエントランス‥‥。あー、また脱線してしまった‥‥。この建築の詳しいお話はまた今度。



さて、ここまで書いてくればもう大凡の見当は付いているかとは思うんだけど、この小さな四角い塊はこの建築に展開している物語の「始まりの要素」であり、この建築に流れている「起承転結」における「起」を担う大変重要な要素となっているのです。そしてこのエントランスを潜った所に展開する風景がコチラです:



建物と壁に遮られて全く見えなかった向こう側の風景。逆に言うと、この長―い壁が、先程まで見ていた緑や水際を含む「自然界の風景」を断ち切っているかの様に存在しているんですね。



そう、シザはここでわざと自然界の風景を見せない様にしているのです。更に言うなら、この壁は目的地(建築本体)に辿り着くまでに段階的に高くなっていき、それがあたかも、訪問者の高揚する心を表しているかの様ですらあります。



そんな事を思いながら歩を進めて行くと、左手方向に「パッ」と視界が開ける場所に辿り着きます:



四角形に切り取られたコンクリの隙間からは、真っ青な海と空がチラチラ見え隠れしています。そう、ここには「自然界の緑」、「海の濃い青」、「真っ青な空」、そしてそれに対抗するかの様な「真っ白な人工物」が並列に置かれているのです。そしてここに注目:



この図書館への入り口が今来た進行方向とは全くの反対方向、つまり振り向き様に設えられているのです(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



お解りでしょうか?シザはタヴォラの建築との間に創った中庭から最短距離で訪問者を迎え入れるのではなく、わざわざ遠回りをさせながらも自然物と人工物を交互に見せつつ、最終的に訪問者をこの建築に迎え入れるという大変厄介な事をしているのです。



これは建築という創造物を用いた「自然」のドラマチッックな見せ方を通した人間の創造力/想像力の結晶でもあるのです。

アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viena do Castelo)その1:内部空間編に続く。
| 旅行記:建築 | 18:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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