地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
サロン・デ・マンガ2015:たんこぶちん(TANCOBUCHIN)とかいうガールズバンドが凄かった件。

今年もとうとうこの季節がやってきました。僕が首を長―くして待っているイベントの一つ、サロン・デ・マンガ(Salon de Manga)の開幕です!



毎年ハロウィンの週末に合わせて開催されるこのイベントは、自由奔放なコスプレをしたスペイン人オタク君達がイベリア半島中から集まり、マンガやアニメ、ゲームなどを楽しもうっていう、夢のような祭典なんですね。ちなみにバルセロナのサロン・デ・マンガは、(この手のイベントとしては)東京、パリに次ぐ世界第3位の規模を誇っています(入場者数13万人!)。数年前までバルセロナは世界第2位だったんだけど、パリが始めたジャパンエキスポにあっさり抜かれた。さ、さすが華の都パリ、、、としか言いようがない、、、(涙)。



スペイン人って、もともとコスプレ大好き民族なので、昔から地下鉄ではゾンビや魔女っぽい人達を見掛けてたんだけど、最近はこのサロン・デ・マンガの影響から、街中を歩いていると不意に全身真っ赤な巨人(進撃の巨人)だとか、暁のマント(ナルト)を羽織ったグループなんかに出くわすことがしばしば。そんなことを知らない一般人は、「一体、何が起こったんだ?」と、かなりビックリすること間違いナシという状況となっています。

ちなみに今までに(過去に)僕が出会ったスペイン人オタク君達のコスプレはこんな感じ:



念入りに作り込んだスカウターを装着したサイヤ人(2010年)。



定番アスカ(2010年)。



ちょっと微妙なミサトさん(笑)。



こちらもちょっと微妙なメーテル(笑)。「哲郎、999(スリーナイン)に乗りなさい」とか言われても、特に乗りたくないかも、、、(笑)。万感の思いを込めて汽車がゆく、、、ポォーwwww



更に、何を思ったか、ドラゴンボールのボール(笑)。しかもスーシンチュー(四星球)。



最初は「なんのキャラクターかな?」と思って聞いたら、イエスキリストのコスプレだった(笑)。



個人的には現在のジャンプの中では一番面白いと思っている「食劇のソーマ」から、ソーマのコスプレ。そして極め付けはコチラ:



フリーザ様(笑)。、、、っていうか、普通やりますかね、フリーザのコスプレなんて(笑)。かなり衝撃的だったので写真を撮らせてもらった後にちょっと話してたら、「来年はフリーザが乗ってるオマル(飛行船みたなの)も作ってくる」とか言って、やる気満々でしたが。。。(笑)。



まあ、そんなこんなで今年も始まったサロン・デ・マンガなんだけど、今年は例年とは違う(嬉しい)ハプニングがあったので、そっちをメインに書こうと思います。

取り敢えず、僕はこのイベントの運営に関わっている訳ではないのですが、「バルセロナ、日本、アニメ」みたいなキーワードで検索すると僕が引っ掛かることが多いらしく、この企画に関してアドバイスを求められる事がしばしばあります。とは言っても、僕としては個人的にこのイベントを目一杯楽しみたいほうなので、出来るだけそういう事には関わらず、一人でひっそりとイベントに参加して一人で勝手に盛り上がるスタイルを貫いているんですね。

しかしですね、今回、とある関係者の方から、「cruasanさん、今年のゲストで来るガールズバンドの子達、凄いですよ。是非ご意見が伺いたいので、ライブに行ってみてくれませんか?」ということを事前に言われていました。

サロン・デ・マンガの一つの魅力として、毎年多くのゲストを招いてサイン会を開いたり、コンサートを開いたりということが挙げられます。ちなみに2006年には影山ヒロノブさんが来てくださり、むちゃくちゃ盛り上がりました。

 

多分、予想以上の盛り上がりに一番驚いてたのは影山さん本人かな、、、と(笑)。もう一つちなみに、上の動画の前列から3列目くらいには僕が居ます(笑)。いや、ほんと凄かったんですよ、影山さんのライブ。スペイン人達、Cha-la Head-cha-la大好きなのでwww

 

また、2007年に行われた山田信夫さんのライブも凄かった。最初は「nobuo yamadaって誰だ?」とか思ってたら、聖闘士星矢のオープニングを歌ってる人だった(驚)。ヨーロッパにおいて、聖闘士星矢はドラゴンボール、キャプテン翼と並ぶ大人気アニメであることから、誰もが知ってるんだけど、オープニングソングの2番をみんなで合唱し始めた時はちょっと焦りました(笑)。

そんな楽しい経験から、今年もライブには行こうとは思っていたのですが、正直言ってそんなに期待していた訳でもなく、、、始まりが19:30だったので、「帰り掛けにちょっと寄ってみるか」くらいに思っていたんですね。そしたらですね、このライブが凄かったのです!正直言って圧倒されました!!



今年のゲストは「たんこぶちん」とかいう佐賀で結成された5人組のガールズバンド。正直言って、「日本の最近の若い女の子達はこんな感じですよ」みたいな、「お飾り枠」だとばかり思っていたら、なんか生演奏が始まった、、、 ←今までのサロン・デ・マンガで生演奏はありませんでした。 で、その音楽の完成度の高さにもビックリ。そして楽曲もなかなか良いんだな、コレが!

 

もちろん初めて聞いた曲ばかりだったんだけど、いつの間にか周りにいたスペイン人達も大盛り上がり。そのパフォーマンスの高さと迫力には凄まじいものがありました。そしてそして、彼女達がラスト曲に選んできたのが、、、「Welcome to this crazy time!このふざけた時代へようこそ、、、」、、、って、「たっぽい」じゃないですかー!

 

←「たっぽい」とは、北斗の拳2のオープニング、TOM CATが歌う「TOUGH BOY(タフボーイ)」のことで、歌詞の中の「TOUGH BOY, TOUGH BOY, TOUGH BOY」という箇所が、「たっぽい、たっぽい、たっぽい」に聞こえることから、巷ではそう呼ばれていたりします(笑)。

これには僕も大興奮!思っても見なかった状況に大満足!で、家に帰って早速検索してみたら、どうやら彼女達は「TOUGH BOY」を「TOUGH GIRL」としてカバーしているみたいですね。更に更にこんなの見つけちゃいました:

 

世界で一番暑い夏!本家プリプリとはまた一味違った雰囲気に仕上がっていると思います。

まあ、ちょっと真面目に分析とかしてみると、取り敢えず、「売り出し方が上手いなー」と思います。

最近はPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅ、ベビーメタルなど、最初から国外を視野に入れたアーティストが多くなってきてると思うんだけど、ヨーロッパへの足掛かりの一つとして(濃い日本オタク君達が集まる)ジャパンエキスポやコスプレサミットを狙ったマーケティングは素晴らしく目の付け所が良いと思います。



逆に、サロン・デ・マンガの運営側からすると、「彼女たちのプロモーションに手を貸すから」ということで「交渉を有利に進めたんだろうなー」という裏事情も容易に読み取ることが出来たりするんですね。

さっぱり期待してなかっただけに、かなり印象に残った今年のサロン・デ・マンガ。例年とはちょっと毛色の違った視点から存分に楽しませてもらいました。あー、今から来年が楽しみだー。

追記(2016年のサロン・デ・マンガのメモ):

ざっと見た感じ、今年(2016年)はジブリ系のコスプレが多かったかな。

あとは何と言ってもポケモンと妖怪ウォッチの爆発的な人気ぶりは特筆に値すると思います。

更には今年の目玉として、吉本ばなな氏を招いた講演会は非常に面白かった:

そしてもう一点。
ヨーロッパで人気を博しつつあるBAND-MAIDのライブが凄かった。

メイドの格好をした女の子5人組が、「BAND-MAIDでーす。宜しくお願いしますー」なんて登場するものだから、「あー、可愛いアイドル系かー」とタカをくくっていたら、本格的なハードロックじゃないですか!

歌唱力は勿論、ドラム、ギターのテクニックは日本が世界に誇るバンドに成長する可能性を十分に感じさせるものだったと思います。

BAND-MAIDの前に演奏したブラジルを代表するメタルバンド、Gaijin-Sentaiも素晴らしかったけど、その彼らの演奏がかすむほど、BAND-MAIDの迫力は凄かった。

日本では未だサッパリ知られてないけど、「海外で火が付いて日本で人気が出る」というパターンは正にベビーメタルと同じルート。
来年あたり日本でブレイクすることは間違いないですね。
要注目です!!

 

その他、今年会場で出会った面白かったコスプレの数々:

 

| サブカル | 19:16 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
週末の夜、いつもの様にYoutubeを見てたら越路吹雪がカバーしていた「ラストダンスは私に」の動画を偶然発見!で、全く知らなかったんだけど、中森明菜が同曲をカバーしている事も発見しちゃって、その瞬間、僕の心の中でずっーと燻っていた「何か」が一本の糸でピーンと繋がった‥‥そんな感じを受けてしまいました。

 

僕は昔からテレビドラマが大好きで、80年代後半から2000年代前半くらいまでならほぼ全てのドラマを網羅しているという、(自慢なのか自慢じゃないのか)良く分からない自信を持ってるんだけど(笑)、そんな数多あるドラマの中でも特にお気に入りだったのが「古畑任三郎」なんですね。



古畑任三郎がテレビで放送され始めたのが1994年のこと、第二シーズンが1996年で、第三シーズンが1999年、最終回のファイナルに至っては2006年、その間なんと12年という超長寿ドラマ(驚)。で、このドラマの記念すべき最終回、しかもそのクライマックスで使われていた曲が、何を隠そう冒頭で紹介した「ラストダンスは私に」という曲だったのです。

繰り返し繰り返し、それこそ「画面に穴が空くんじゃないの?」って思うほど見たこのドラマなんだけど、第一話から順に見ていくにつれ、いつも僕の心に引っ掛かっていたことがありました。殺人トリックの解明と犯人逮捕に焦点が当てられている毎回話の中において、明らかに第一話と最終回だけは脚色が違っているのです。

とは言っても、「それが何故なのか?」、「どうしてそう思うのか?」を今まで上手く言葉で説明する事が出来なかったんだけど、今回たまたま「中森明菜が「ラストダンスは私に」をカバーしている」という事を発見するにつれ、古畑任三郎に纏わる1つの謎、ひいては三谷幸喜という人の類希なるデザインセンスに驚かされる事になってしまったのです。

と言う訳で(今回も)僕の独断と偏見を十二分に発揮して、至極勝手な「古畑任三郎論」を書いてみようと思うんだけど(地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)、その前に一言:

警告:ネタバレになる危険があるので、このドラマを未だ見てない人はここで読むのをストップしましょう。



結論から書いちゃうと、毎回難事件を巧妙な推理で解いていくこのドラマは(一見)刑事/推理モノの様に見えるんだけど、僕の見方によるとこのドラマは、古畑の恋愛物語で始まり、彼の恋愛物語で終わるという大変巧妙な構造をとっていると思います。そしてその組み立て方が非常に巧妙であり、日本的であり、ひいては建築的であるとさえ思ってしまうのです。

どういうことか?

先ず僕が注目したのは記念すべきこのドラマの第一回目の放送です。と言うのもこのドラマは三谷幸喜が昔から大好きだったという中森明菜演じる漫画家の殺人事件で幕を開けるからです。



中森明菜が第一回目のゲストとして登場しているという所が先ずはポイントなんだけど、と言うのも、古畑は第一話で出逢った女性(中森明菜)に好意をよせているということが、約12年後の最終回、それも犯人(松嶋菜々子)を自白に追い込むクライマックス・シーンにおいて明らかにされるからです。



ちなみに最終回のストーリーはどうなっているか?と言うと、松嶋菜々子演じる超売れっ子の脚本家の双子の姉妹(明るく社交的でマーケティングを主に担当する妹(楓さん)、そして実際に本を書いている姉(引き蘢りがちで人見知りタイプの姉(紅葉さん))が主人公となり物語が進んでいきます。「自分はいつも妹の陰に隠れて生きてきた」、「私だって表の舞台に立ちたい!」‥‥「でも妹がいるといつも比較されて」‥‥という状況、そして長年積み重ねられた妹への嫉妬が姉を殺害へと駆り立てるのです。



この最終回が他の回と明らかに異なっている点、それは物語の至る所で古畑が妹(楓)に好意を抱いている事が暗喩されている点です。「暗喩されている」と言う所がポイント。

楓は「次の作品が刑事モノであり、現役の刑事のプライベートが知りたい」という理由から古畑にこんな質問をします:

「刑事さんのプライベートについて知りたいのよ。例えば恋愛とか。犯人を好きになったりする事ってあるんですか?」

この質問にたじたじになってしまう古畑はいつもの様に誤摩化します。そして楓は更に突っ込んで:

「古畑さん、何で結婚しないんですか?」

この質問も古畑は上手く誤摩化そうとするんだけど、ここで重要なのは、三谷幸喜がこの様な伏線を物語の中にちりばめているという事なのです。更に言っちゃうと、三谷幸喜は現在のドラマが置かれた現実、そしてそれに対する批判を主人公の口を借りて語っているんですね:

「マスコミは駄目ね」



そんな中、大変鮮やかな手法で姉が妹を殺害したという事を突き止めた古畑は、そのことを彼女の口から自白させる事に成功します。そしてこの物語の最終的なクライマックスは、その直後に訪れます:

 
(上の動画で45:40秒くらいの所)

古畑:随分昔になりますが、あなたにとても良く似た女性と会った事があります。
松嶋:私に?
古畑:やはりものを書く仕事をしていました?
松嶋:作家さん?
古畑:漫画家です。才能に満ち溢れていて、若くして地位も名誉も手に入れた‥‥しかし彼女自身はとても控えめで、そして‥‥孤独でした。
松嶋:その人も誰か殺したの?
古畑:‥‥自分を捨てた恋人を‥‥。別荘の地下に閉じ込めて殺害しました。
松嶋:古畑さんが逮捕したんですか?
古畑:ハイ。
松嶋:彼女は‥‥今どうしてるんですか?
古畑:‥‥色々ありましたが、アメリカに渡って幸せな結婚生活を送っています。
松嶋:意外ね‥‥
古畑:‥‥私が言いたかったのは、人は生まれ変われる‥‥という事です。
松嶋:‥‥行きましょう。
古畑:その前に‥‥一曲、踊って頂けませんか?

松嶋菜々子が「意外ね‥‥」と言ったその後、少しの間があり、そして古畑が「私が言いたかったのは、人は生まれ変われる‥‥という事です。」と答える場面があるんだけど、この「意外ね」という言葉‥‥これがキーです。

一体何が「意外」なのか?
逆に言うと、「どうあったら意外じゃ無かったのか?」

松嶋菜々子が心に描いていたのはこの様な展開だと推測されます:

古畑はその女性に恋をしていた。だから彼女(中森明菜)が刑務所から出てくるのを待っていて、そして結婚した‥‥と思った。‥‥しかしそうじゃ無かった。彼女は「色々あったあと」、他の男性と結婚して遠くの国(アメリカ)で幸せに暮らしている‥‥。だから「意外ね」と言ったのではないのか?

そして実はこの発言こそ、前半部分で古畑が恋をした楓(松嶋菜々子演じる妹)が古畑に問うた質問:

「古畑さんって何故結婚しないのですか?」

に対する答えとなっているのです。

古畑は中森明菜が出所するのを待っていた‥‥。でも好きだとは言えず、結婚してくれとも言えず、ただただ彼女の幸せを見守るしかなかった‥‥。

更にその伏線として、「今度新しい小説を書くから」という名目で、楓は古畑に刑事の日常生活について質問する場面があるんだけど、その中で:

「‥‥刑事さんの恋愛とか‥‥。例えば犯人を好きになっちゃう事ってあるんですか?」

という発言が見事な伏線となっているのです。

僕が大変感銘を受けるのは、「古畑の恋愛感情」ひいては、この最終回のテーマが古畑の恋愛ドラマであるという事実、そのことがひた隠しにされ、物凄く控えめな表現をとりつつ進行していくという点なんですね。そう、ここには「何かしらの恥じらい」さえ感じるのです。この様な「これだ、これだ」と主張するのではなく、「控えめに感じさせる手法」、これこそ日本文化が最も得意としてきたお家芸であり、それこそ三谷幸喜の真骨頂だとも思うのです。その点を明らかにする為に、彼の代表作である王様のレストランから引用します:


千石:あー、私の理想の店の話、しましたっけ?
山口智子:ううん、聞いてないよ。
千石:トロアクロの様に、こう、広々とした調理場があって、そこには良く磨き込まれた鍋やフライパンが整然と並んでるんです。
山口智子:ねえ、私のこと口説いてるの?
千石:あー、天井は一面のガラス張りで、清潔で明るくって、まるで洗いざらしのハンカチの様に白く温かい。
山口智子:男が夢の話する時って口説いてるんじゃないの?
千石:流しは、窓に沿ってぐるりと調理場を囲む様になっている。何処に立っていても直ぐに水が使える様に‥‥
山口智子:うん、便利ね。
千石:全てが機能的で一切の無駄が無い。
山口智子:素晴らしいー。
千石:私は朝6時に出勤する。香ばしい匂いが調理場を囲んでいる。目映い朝の光の中で、早めに出て来たコックがクロワッサンを焼いているんです。
山口智子:アハハ
千石:私は先ず、コーヒーを入れる。廊下の向かい側に小さな部屋があり、そこが私の仕事場です。古い家具に囲まれ、その上には、古い思い出が一杯詰まった写真立てが並んでいる‥‥その内、朝一番で材料を仕入れて来たシェフが姿を表す。私は彼女を部屋に招いて、そしてコーヒーを御ちそうする。そしてあれやこれや、相談しながらその日のメニューを決めて行くんです。


 (山口智子にカメラが近寄りアップになる)。

 一体このやりとりの中で何が行われているのか?

「シェフ」と言われて我々が思い浮かべるのは男性では無いでしょうか?しかし千石はここで敢えて「彼女」と言う代名詞を使う事によって、暗に「私の隣にいて欲しいシェフ=山口智子」という事を指しているのです。




ここまで書いてきた僕の推論が合っているのか間違っているのか?‥‥もっと言っちゃうと、三谷幸喜が本当にこの様に考えていたのか?どうなのか?ということは僕にとってはあまり重要ではありません。

そうではなく、僕にとって大変重要な事は、ある週末の夜にたまたま僕が中森明菜のカバー曲を発見し、正にその事を通して、あるドラマの創り方/構造を推察し、それがとても建築的だと感動した‥‥、その様に解釈出来た事こそが重要なのです。

人間は忘却の生き物です。毎日起こる全ての事柄を全て覚えていたら、とてもじゃ無いけど恥ずかしくて生きていられません。そう、僕達は忘れる事によって生きていけるのです。そんな、自分の人生に起こった殆どの事を忘れている状況の中において大切な事は、「何を覚えているのか?」、「何が自分の実になっているのか?」、「何を覚えていられるのか?」という事なんですね。何をどう理解し、どう自分の問題に引き付けて考える事が出来、それをどう自分なりに昇華する事が出来たのか?

情報過多の現代社会において、このことこそ、いま真剣に問われるべき問題なのです。
| サブカル | 12:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナのサロン・デ・マンガ2013(Salon de Manga Barcelona 2013):マンガ/アニメから入ったスペイン人達が日本文化全般に興味を示してくれていると実感出来たイベント
ついに今年もこの季節がやってきました!スペイン中のアニメ/マンガ好きがバルセロナに集結し、思う存分コスプレやゲームを楽しむ祭典、サロン・デ・マンガの開幕です!



規模だけで見れば東京、パリに次ぐ世界第三位のポジションを確保し、最新のゲームやコミック、はたまたデザインセンス抜群なスペイン人達のコスプレを楽しむ事が出来る上に、異国の地スペインにおいて「日本文化の紹介をしよう!」という意欲を感じる事が出来る夢の様なイベント、それがバルセロナで開催されるサロン・デ・マンガというイベントなのです(地中海ブログ:漫画フェスティバル2010 in Barcelona(サロン・デ・マンガ(Salon de Manga Barcelona 2010)))。



毎年ハロウィンを挟んだ週末(4日間)に開催されるこのイベントは、2年前まではバルセロナ市に隣接するホスピタレット市で開催されていたのですが、入場希望者が年々爆発的に増加していった結果、約2倍の収容スペースを擁する現在の見本市(スペイン広場)に場所を移し開催される運びとなりました。

そんなこんなで満を持して開催されたはずの今年のサロン・デ・マンガだったんだけど、蓋を開けてみれば例年を遥かに上回る入場希望者が殺到しちゃって、チケット売り場や入り口付近は大混乱!「入場までの待ち時間5時間!」とかいうトンでもない事になっていたんですね。



かくいう僕も初日の朝から連続4日間出陣してきたんだけど、土曜日の午前中の混み具合は本当に酷くて、結局その日は午前中の入場を断念する事に。だって1時間待って動いた距離が1メートル、2時間で2メートルですよ(怒)!

しょうがないから近くの美術館で時間をつぶし(地中海ブログ:カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)で開かれている印象派展 (Impresionistas):エドガー・ドガ(Edgar Degas)の画面構成は非常に建築的だなーとか思ったりして)、お昼ご飯を食べてから16時頃に行ったら今度は待ち時間無しで入る事が出来てちょっと拍子抜け(驚)。ちなみに来年からはバルセロナ郊外にある伊東豊雄さんがデザインしたFira Barcelonaに場所を移して開催するそうです(地中海ブログ:オリオル・ボイーガス(Oriol Bohigas)による伊東豊雄批判について思う事:バルセロナ国際見本市会場(Fira Barcelona)とSuite Avenue)。



今年のメイン会場は2つに別れていて、1つはコンサートや各種スポーツなどの実演を受け持つ会場、もう1つはコミックやお店、ゲームコーナーや日本食の屋台などが集まっているスペースとなっていました。という訳で最初はお店が集まっている会場の方に入ってみたんだけど、入り口にはこんなパネルが:



じゃーん!悟空が「フュージョン!」ってやってるパネル(笑)。「ご来場してくれた皆さん、ここでポーズをとってください!」っていう、まあ何とも嬉しい演出が僕達を出迎えてくれるんですね。



この演出にドラゴンボール大好きなスペイン人達は大喜び。パネルの前には長蛇の列が出来てて、沢山の人達が「フュージョン!」をしてたんだけど、その中でも一際目立っていたのがこの人:



ピ、ピッコロさんだー!毎年ドラゴンボール関係のコスプレは沢山見掛けるんだけど、顔まで作り込んであるピッコロさんに出逢ったのは初めて!



しかもそのピッコロさんが悟空とフュージョンしてる姿なんて超レア!原作中にも無かったはずです。初日から大変良いものを見させて頂きました(笑)。という訳で幸先の良いスタートを切った所で出会したのが、あの後ろ姿‥‥:



あ、あれはー:



フリーザ様だー!でも、ちょっと微妙(笑)。その隣にはこの人が:



キグナスの氷河!!実はスペインでは聖闘士星矢が凄まじい人気を誇ってて、毎年ゴールド聖闘士の皆さんが団体でいらっしゃるんだけど、例年に漏れず今年もいました:



あの黄金に輝くクロス!非常に創り込まれてて心底感心してしまいます。そんな中でも今年一番はこのカップルだったかな:



うーん、ここまでくると凄いとしか言いようがありません。大人達に負けじと、子供達もがんばっています:



ちっちゃいサイヤ人達と18号。そして牛魔王もいた:



体型を活かした見事なコスプレですね。な、なんか、スゲー似合ってるし‥‥(笑)。



さて、毎年僕が大変気になっているのが、「実際スペインではどんなアニメやマンガが流行っているのか?」という点です。



その際の指標となるのはやはり、「どのキャラクターのコスプレが一番多いか?」という点だと思うんだけど、長年の観察を通して、スペイン人達がしてくるコスプレには毎年ある一定の傾向がある事が分かっているんですね。



例えば2年くらい前までは圧倒的にナルトが人気で、何処を見ても暁(あかつき)、更にはイタチばっかりという状況でした。それでは「今年はどうなのか?」というと、今年の一番人気は明らかにコチラでした:



そう、進撃の巨人!圧倒的だった。その中でも人気だったのがミカサ(MIKASA)かな。真っ黒な髪の毛をホンの少しまとめて、額の所にちょっと垂らす‥‥みたいな(笑)。



こんなカッコイイ戦闘ポーズを取ってくれちゃったりして。戦士達が腰に付けてる飛行ブースターみたいなのの出来が凄かった(驚)。そんな中、やっぱりいました!こちら:



きょ、巨人だー!すごい。っていうか、良くやる気になりましたね、こんな理科室にある人体模型みたいなコスプレ(笑)。



しかも巨人の女の子バージョンまでいた(笑)。

うーん、進撃の巨人については言いたい事が山ほどあって‥‥例えば導入部分は非常に魅力的に出来てて:

「巨人が人々を襲っている→兵士達が巨人と戦っている→場面が変わって主人公2人の会話→エレン(主人公)が泣いている→MIKASAが「エレン、どうして泣いてるの?」と聞く。→(エレン)え、泣いてないよ。何言ってるの?‥‥」

みたいな感じで始まります。 僕の感じによると、冒頭に出てきた人間を襲っていた巨人って言うのは明らかにエレンであり、過去に彼は巨人だったと考えるのが妥当でしょうね。しかもその時に人間を食べていた。その時の記憶は消えていて彼自身覚えてないんだけど(というか、多分何者かに意図的に消されている)、人間を食ったという罪悪感だけは残っている。だから泣いているのです。

「あー、これってダンテの神曲、煉獄編に出てきたテーレー川の話に似てるな‥‥」、と言う事に気が付いた人はかなり勘が良い。



‥‥と、進撃の巨人については書きたい事が山ほどあって‥‥書き始めたらキリが無いのでこの話は又今度。



で、ですね、このお祭りには毎年日本からスペシャルゲストが招待されてて、例えば数年前にはCHA-LA HEAD-CHA-LAの影山ヒロノブさんがいらっしゃって、みんなで大合唱して盛り上がったりした訳なんだけど、今年一番のスペシャルゲストはこちらの方でした:



キャプテン翼の原作者、高橋陽一大先生の登場〜。ちなみにスペインでもキャプテン翼は大人気で、「キャプテン翼を知らない人はいないんじゃないか?」と思うほど爆発的な人気を誇っているんですね。実はそのことに一役買っているのがバルサの選手達なんだけど、と言うのも彼らの多くが「キャプテン翼の様になりたいと思ってサッカーを始めた」と明言しているからです。



だからバルサの本拠地カンプノウの隣にあるバルサ博物館に行くと、キャプテン翼コーナーが設置されていて、高橋先生のサインからグッズまで展示されている程なんですよねー(地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。

もう1つちなみに、翼君はスペインでは「翼(つばさ)」というカッコイイ名前ではなく、ホリベと言います(笑)。タイトルは「ホリベとベンジ」。「ベンジとは一体誰なのか?」というと、翼君の永遠のライバルであるSGGKの若林君でーす(笑)。



あー、また脱線してしまった‥‥という訳で話をサロン・デ・マンガに戻すと、我々日本人にとって大変嬉しい事に、このお祭りは「日本文化を少しでもスペインの皆さんに知って頂こう」というコンセプトの下、毎年日本文化に焦点を当てた展示や各種実演会などが数多く行われています。



上の写真は最近スペインで大ブームの日本食に焦点を当てたパフォーマンス。日本人シェフの方が舞台に上がり、実際にその場で日本食を調理するという企画にスペイン人達は大喜び!ほんと、スペイン人って日本食大好きなんですよねー。ちなみに僕が良く頼まれるのが、「ねー、今度ホームパーティーやるから寿司作って来てねー」って言うもの。「あ、あのー、寿司なんか作ったこと無いんですけど‥‥(苦笑)」。

スペイン人はみんな、「寿司」という食べ物は(欧米人にとっての)「パンみたいなもの」だと思ってるらしく、日本人は誰でも作れると思い込んでいて、更に主食は寿司だと思い込んでる人多し(苦笑)。今ではさすがに「日本ではチョンマゲをしたサムライが刀をさして街を歩いてる」と思っているスペイン人は少なくなったけど、「ゲイシャは売春婦なんだろ」などの発言に代表される様に、スペイン人にとって日本という国はまだまだ未知の国なのかもしれません。



さて、バルセロナで行われるサロン・デ・マンガでは毎年何かしらのキーワードが掲げられ、それを基に展示や実演会の構想を練ってるみたいなんだけど、今年のキーワードはズバリ「スポーツ」。という訳で日本におけるサッカーや野球、バスケットの状況などと共に、柔道や合気道など日本の伝統武道が実演を交え紹介されていました。その中でもひときわ人気を博していたのがこちらです:



日本が世界に誇る国技、相撲(SUMO)です。相撲をとる力士の事はメディアなどを通してスペインでも良く知られているのですが、スペイン人で実際に目にした人はごく僅か。



フンドシをまいた力士が目の前で相撲をとっている姿はスペイン人達に物凄い衝撃をもたらしたらしく、力士達の一挙手一投足に観客達は大はしゃぎ!翌日の新聞にも写真入りで大々的に報じられていました。



そんなこんなで今年もかなり楽しく過ごす事が出来たサロン・デ・マンガだったんだけど、僕にとって大変感慨深かったのは、数年前まではこのイベントに来ていたのはアニメやマンガが大好きなオタク君達ばかりだったんだけど、今年は小さな子供連れやお爺ちゃん、お婆ちゃんを含んだ家族で来ている人達が多かったという点です。

つまり、日本文化への入り口としてアニメやマンガがその役割を果たしている事は確かであり、ここ数年変わらない傾向だと思うんだけど、それを通して日本文化全般に興味を抱き始めたスペイン人が多く現れ始めた、そういう事が出来るかと思います。

日本人の皆さんにとって、この変化は些細な事の様に思えるかも知れません。しかしですね、この小さな変化はスペインが日本文化の理解に踏み出した果てしなく大きな一歩だと言う事が出来るかと思うんですね。そしてその事が、僕にとって今年一番の発見であり、又日本人として大変嬉しい事でもありました。

今から来年が待ち遠しいですww

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
| サブカル | 20:48 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハイジ、ホロウに墜ちる」は、キッス(ヘビメタ)だったらしい。
ハイジ

「ハイジ、ホロウに墜ちる(笑)」とか騒いでたら、知り合いのスペイン人が「これってキッス(ヘビメタ)でしょ?」って教えてくれました。上の写真のHEIDI METALは日本語では「(アルプスの少女)ハイジ、メタル」っていう意味なんだけど、スペイン語読みでは「ヘイディ、メタル」となり、「ヘビメタル」と掛けた言葉遊び(=洒落)らしい。ヘェー、ヘェー、ヘェー(驚)。

ちなみにBleachではスペイン語を多用してるんだけど、その理由についてはコチラ(地中海ブログ:鋼の錬金術師を見てて思った事:「ココではない何処か遠く」を想起させるイメージ:何故Bleachではスペイン語が多用されるのか?)。



もう1つちなみに、こちらは巡礼者で溢れ返るサンティアゴ・デ・コンポステーラの売店に売ってたキティちゃんの巡礼者バーション。 スペイン人の想像力って凄い(笑)。
| サブカル | 04:47 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ハーバード大学の自然史博物館で飛行石を発見してしまった件
今週のボストンは非常に暖かい日が続いています‥‥とか思って温度計を見たらマイナス2度だった(笑)。じゃあ何で、「マイナス2度で暖かい!」と感じてしまうかと言うと、ボストンでは先週までの気温がマイナス20度とかだったから「相対的に暖かい」という事なんですね。マイナス20度ってどんな世界かって言うと、寒いのを通り越して、もう「空気に触れる肌が痛い」って言う感覚です。本気で耳がちぎれるかと思いました(汗)。ホンの数ヶ月前、バルセロナに居る時はマイナスの世界なんて考えられなかったのに、この極寒の環境にここまで慣れてしまうなんて、人間の適応力って凄い!これこそ生命の神秘です(笑)。

さて、そんな中、一昨日の朝方MITのビジネススクールに本を借りに行った時の事、ふとチャールズ川の方を見ると俄には信じられない光景が目に飛び込んできました:



か、川が凍ってるー!これが噂に聞くボストンの冬の風物詩、チャールズ川の凍結!噂には聞いてたけど、本当だったんだー。しかもこの日の前日にちょっと雪が降ったので良い感じで雪景色になってるじゃないですかー!こんな大きな川が凍るなんて、都市伝説じゃなかったんですね。恐るべしボストン。



さて、こんな世にも珍しい風景が展開するボストンなのですが、最近新しい日課が出来てしまって、それが毎週日曜日に散歩がてら行っているハーバード大学自然史博物館巡りなんですね。



僕の家から歩いて30分くらいの所にあるこの博物館は、「地球上のありとあらゆる生物を収集し、1つ屋根の下で研究したい!」とか言う超わがままなアイデア(笑)の下に創設されたんだとかなんとか‥‥。



それ以来、ガラスで作られた「グラスフラワー」で有名な植物博物館(1858年創設)、比較動物学博物館(1859年創設)、鉱物学と地質学博物館(1784年創設)、ピーボディ考古学と民族学博物館(1866年創設)など、現在では4つの博物館が集まってハーバード大学所属の自然史博物館を構成しているという訳なんです。



ちなみに入場料は大人一人9ドルで4館共通となってるんだけど、日曜日の午前中に限っては、「マサチューセッツ州に住んでる」みたいな住居証明を提示すれば入場料が無料になっちゃうっていう大変嬉しいプロモーションを企画中。個人的に「無料」という言葉にはめっぽう弱い性格なので(笑)、「タダだから行ってみるか」ぐらいの勢いで来てただけだったんだけど、来てみてビックリ!この展示が凄いんです!例えばコチラ:



恐竜の化石!うーん、これだけ大きいとかなり圧倒される!で、この恐竜の横にはこんな生き物が:



全長3メートルはあろうかという亀の甲羅!これだけ大きかったら、浦島太郎も背中に乗れるわな!‥‥って事はリアル竜宮城も存在する‥‥みたいな素敵な妄想が始まったりします(笑)。

で、個人的にかなり興味を惹かれるのが、この横に併設されてる「鉱物学と地質学博物館」なんだけど、この博物館では地球上に存在する2000種ほどの鉱物の内、その殆どを見る事が出来るって言うから驚きです。例えばこちら:



超巨大なアメジストです。



これ、見つけた人もビックリだったでしょうね。普通の石だと思って中を割ってみたらお宝ザックザックみたいな(笑)。



これなんて何だか良く分からないけど、なんかスーパーマンに出て来た様な気がするし(笑)。他にもクリスタルやらトパーズ、はたまた緑柱石なんてものまであって、驚きの連続!実は昔から石とか大好きだったんですよねー。



「あー、素晴らしい」とか思いながら1つ1つの石をじっくりと見て回っていた時の事、その出逢いは唐突に訪れました。



‥‥あれ、あっちの方になんか見た事がある様な石が‥‥。箱の中に丁寧に入れられた石、あ、あれはー:



飛行石だー!(ラピュタの内部でクルクル回ってた大きい方の飛行石)



この薄いブルーの色合い!



美しくカットされた三角形の形!



この威厳!これはもう飛行石に間違いありません!



流石、天下のハーバード大学。飛行石まで持っていようとは(笑)。ちなみに僕は3年程前、南フランスを旅行中にリアル・ラピュタを見に行った事があります:



エクス・アン・プロバンスから車で2時間ほど行った所にある、知る人ぞ知る秘境、ゴルド村の風景です(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その7:天空の城、ゴルド(Gordes)の風景)。



山にへばりついた住居郡が一体となってお城の様な風景を醸し出し、その眺望はもうラピュタそのもの。更に更に、そこから歩いて1時間程行った所に存在するのがコチラです:



すり鉢上になった、その一番底に位置するセナンク修道院なんですね(地中海ブログ:風の谷のセナンク修道院:天空の城の後に見る風の谷:リアル宮崎駿ワールド)。どんな風になっているかと言うと、ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館の構造を思い起こしてみると分かり易いかもしれません。



修道院へのアプローチは峠のてっぺんからになっていて、修道院はその一番下の谷底に位置しているのです。つまり、この修道院に辿り着く為には、すり鉢に沿って作られたケモノ道をグルグル回りながらアプローチする様になっているので、谷の合間に風がびゅーびゅー吹き荒れ、正にここは風の谷(笑)。



この地で僕が発見してしまった事、それはリアル・ラピュタとリアル・風の谷は徒歩1時間程の所に存在するという事実であり、宮崎監督は実はここに来て、両方の作品のインスピレーションを得たのでは?という憶測でした(半分冗談です)。



まあ、それはいいんだけど、上述した様にこの鉱物博物館の直ぐ隣には民族博物館が併設されていて、そこには「あれ、あなた、ゴンドアの谷にいらっしゃいませんでしたか?」みたいな人達が沢山いらっしゃいます(笑)。



流行の服はお嫌いですか?」みたいな(笑)。



しかもこっち(動物博物館)にはヤックルみたいなのもいるし(笑)。

‥‥そうですか、そういう事ですか‥‥。ハーバード大学の博物館というのは、リアル宮崎ワールドを体現している博物館だったのですね。納得(笑)。
| サブカル | 01:14 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ももクロの「さらば、愛しき悲しみたちよ」のPVを見て思った事
前々回のエントリで書いた様に、年越しはボストンで仲良くなった友達の家で無茶苦茶美味しいおせち料理を御馳走になりながら紅白なんかを見て盛り上がっていたのですが(地中海ブログ:新年あけましておめでとうございます2013:Feliz Año NuevoとFeliz Ano Nuevoの違い)、その時に偶然にも今年話題のこの人達の映像を初めて見る機会に恵まれました:

 

そう、今年大ブレークした、ももいろクローバーZの映像です。僕の周りでも「追っかけするほど大好き!」っていう人が何人かいるのですが、僕自身は今まで一度も彼女達の曲を聴いた事も無ければ見た事も無く、多分僕一人だったらこのまま見る機会も無いまま‥‥っていう感じだったと思います。

余談なんだけど、実はこれがネットの非常に恐ろしい所で、無限の選択肢と無限の自由が与えられているという事は、自分の好きなものだけを見続ける事が可能という事であり、結果として「予期せぬ偶然の出逢い」という可能性を排除している事に等しいんですね。これこそキャス・サンスティーンが警告したサイバーカスケードという現象です(地中海ブログ:一瞬ヒヤッとした事)。

ももクロに話を戻すと、彼女達が歌った一曲目を聞いていて何故かとても不思議な感覚、そう、とても懐かしい感覚に襲われました。最初の内は「それが一体何なのか?」という事が全く分からなかったんだけど、家に帰ってちょっと調べたら、どうやらこの曲は布袋寅泰が作曲と編曲を担当したらしいという事が判明(そんな事は多分みんな知ってると思うんだけど、僕は全く知らなかった!)。「ほー、そうなの?」とか思いながら、もうちょっと調べたら、こんなページを発見:

 

ふむふむ、どうやら年末に行われた紅白のステージでは、彼女達の演出に「隠されたメッセージ」が込められていたとの事。記事を読む限り、ももいろクローバーというのは昔は6人グループだったらしく、だいぶ前に抜けたそのメンバーに向かって床を青く光らせたり、胸についてる飾りを光らせたりしてメッセージを発していたという事らしいです(上の動画で2分50秒くらいの所)。

「ほう、ももクロとはそんな事をやるグループなのか」‥‥と、そう思ってしまったら最後!色んなものが色んな所からの引用に見えてきて、彼女達の胸に付いてる「光る目」がサルバドール・ダリの作品(地中海ブログ:知られざる美術館、ダリ宝石美術館:動く心臓の宝石はダリの傑作だと思う)にしか見えなくなってきた(笑)。



まあ、そんな事は絶対無いとは思うんだけど(笑)、「そういう深読みをさせる」という文脈を創り出している所が結構重要かなとは思います(あとで聞いた所によると、目だと思っていたこの飾りは、実は地球だったのだとか)。

そんな事も手伝って、帰ってから「さらば、愛しき悲しみたちよ」のPVを見たら、これが結構面白くって、その創り方やデザインなどについてちょっと思う所があったので「少しだけ書いてみようかな」という気になったと言う訳なんです。

注意:以下に書く事はあくまでも僕個人の見解であって、今現在まで、ももいろクローバーZを全く知らなかった建築家が勝手に想像を膨らませて書いているだけです。「まあ、こんな見方もあるか」くらいに思って頂ければ幸いです。

このエントリの元原稿は、初めてももクロの映像を見た直後(数時間の内)にドバッと書いたものが下地になっています。それから今日まで約3週間、ネットで情報収集をするにつけ、彼女達のパフォーマンスの多くはプロレスからヒントを得ているという事や、彼女達の楽曲の多くはヒャダインが手掛けていて、実はそちらの方がメインストリームであり、そちらの方にこそ「ももクロ」と言うグループの特徴が良く見えるという事など、色んな事が分かってきました。

それらの背景が分かってくるにつけ、「今回書いた記事はちょっとズレてる所があるのかな?」と思う様になり、手直しをしたり、はたまた公開するのを辞めようかとも思ったのですが、まあこれはこれで「初めてももクロの映像を見た時の衝撃」、「何も知らないが故に書ける文章」と言った新鮮な部分が垣間見えて、1つの記録として残しておくのも悪くないと思い、記事の公開に踏み切ったという経緯があります。

この記事の元原稿を書き上げた時点で、この夏までMITに滞在されていた慶応大学SFCの深見嘉明さんに大変貴重なアドバイスを頂きました。どうもありがとうございました。今度是非、Bigelowハウス(地中海ブログ:
ボストン美術館に再現されているカタルーニャ・ロマネスク教会)に遊びに来てください!

 

さて、先ずはこの歌の主題から。 題名が「さらば、愛しき悲しみたちよ」とある事から、誰か(主体)が「悲しみたち」に「サヨウナラしている」という場面である事が想像出来ます。昔、齋藤由貴が歌ってた「めぞん一刻」の主題歌「悲しみよこんにちは」とは逆方向を向いてますね‥‥と、ここで補助線を引いておく。

 

で、「さらば、愛しき悲しみたちよ」の歌詞をもうちょっと見てみると、至る所に2項対立が鏤められている事に気が付きます。(行くの/行かないの?、言いなよ/言えない‥‥みたいな)。

この様な2項対立が出てくると言う事は、目的を実行するにあたって、何かしらの躊躇をしている、そしてそれを乗り越えて行く事で歌詞の中の物語が展開している‥‥と歌詞の中に流れる物語の内容を推測する事が出来ます。実際にPVを見ると明らかな様に、それらの対立が「善と悪」、「天国と地獄」、「白と黒」といった対で表され、曲の前半は心の中の葛藤が、後半はその葛藤を乗り越えた所にある天国の様子が描かれている事に気が付きますね。しかもその天国はどうやら夢を媒介にして辿り着く場所らしい:

「そしてどこまでも続く夢を見た。天使が舞い降りてきた」

夢と言えば当然の如く夢判断のフロイトなんだけど、まあ、葛藤した挙げ句、夢の世界で何かを得て、そして現実に戻ってきて目的を達成した、パチパチパチみたいな感じなのかな‥‥と。

 

で、ここまで書いてきて分かる人にはもう分かったと思うのですが、この歌の主題、それはズバリ「自分探しの旅」です。つまりはオデュッセイア以降、文学や詩、そして映画に至るまで様々なジャンルで散々語り尽くされてきた主題、それが今回の曲のテーマとなっているという訳なんです(地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)。

もう少し注意深く読み込んでみると、「愛しき悲しみたち」とは、昨日=「過去の何ものかである」という事が分かってきます。何故なら、歌詞の中に出てくる:

「さらば、昨日を脱ぎ捨てて」

と言う箇所が「さらば、愛しき悲しみたち」に対応しているからです。つまり、彼女達は「その様な過去を乗り越える事」が目的であり、その様な過去に「さらば!」と言い切る事によって、ももクロというグループがもう一段階成長する(=振り返るな、我らの世界はまだ始まったばかりだ)‥‥という物語が暗示されてる訳ですよ!

‥‥主題が自分探し、過去との決別、それを踏み台にしての成長を描いている‥‥という事は、その分析をしようとすると、当然その当事者達(ももクロ)がこれまで歩んできた人生、もしくはそのバックグラウンドに大きく影響される事になる為、ももクロの事を全く知らない僕にはこれ以上の読解は不可能という事に‥‥。という訳で、この線はここでボツ(笑)。

 

で、ここからは、もう一点大変気になる事があったので、そっちの方を攻めていきたいと思います。その鍵となるのが、僕が彼女達の映像を初めて見た時に感じた印象、「懐かしい」という点です。この問いはこう言い換える事が出来ます:

「何故僕は彼女達の歌に懐かしさを感じるのか?」

‥‥と。何度も繰り返す様に、僕はこの「ももクロ」というグループをサッパリ知らなかったので、曲を聴く前は「元気の良い女の子達のグループ」というくらいの認識しかありませんでした。ところがですよ、曲が始まってみたら、かなりのロック調!しかもカッコイイ!率直に言って、先ずはそのミスマッチにかなりビックリしたかな。齋藤環さんの「戦闘美少女の精神分析」を持ち出すまでもなく、日本人というのは昔から可愛い女の子が戦闘したり、マシンガンを持ったりっていうのが大好きなので、この手のジャンルは伝統的と言えば伝統的なんですけどね(例えば薬師丸ひろ子のセーラー服と機関銃)。

 

ちなみに闘う美少女のもう1つの代表作、スケバン刑事II少女鉄仮面伝説の第一話を(この間偶々)見ててビックリしたんだけど、南野陽子が登場する場面がちょっと凄いんですね。初代スケバン刑事(斉藤由貴)の後釜を捜していた西脇(蟹江敬三演ずる闇警察)が見つけてきた逸材、それが南野陽子扮する五代陽子(後の2代目スケバン刑事、麻宮サキ)なんだけど、彼女の事を闇指令にビデオで紹介する時の台詞がコチラです(下の動画で2分くらいの所):

 
TV「スケバン刑事 2 少女鉄化面伝説」 第1話「登場!謎のスケバン鉄仮面... por dekamagi30

西脇:「実は一人、面白い人物がいるんですが‥‥」
幹部:「ん?見せてみろ‥‥(ビデオを見て)な、なんだこれは!」
西脇:「五代陽子‥‥またの名をスケバン鉄仮面‥‥身長160センチ、体重49キロ、バスト80センチ、ウエスト56センチ、ヒップ82センチ‥‥」


あ、あれ、スケバン刑事になるのにスリーサイズとか関係無くないですか?(笑)。こういうのをサラッと何の問題も無くやっている、これだから昔のドラマは面白い!

で、このももクロの「さらば‥‥」を聞いた時、僕が一番最初に思ったのが、この「闘う美少女」とでも言うかの様な組み合わせのズレ、その中でも僕の目を惹いたのが天使の表象とも言える小さな女の子を場面の切り返しに用いている場面です(上の方の動画で1分15秒くらいの所)。実はこの手法も昔から良くやられていて、古くはこちら:

 

エルガイムのオープニング。1:02秒くらいの所から、ロボットと女の子(妖精)の切り返しが使われています。又、この曲を作曲した布袋自身のPVでも使われています(動画を探したけど無かった)。ベビベビベイビベイビベイビベイビベイベーのあれです(笑)(他にも探せばもっと出てくると思う)。

 

ちなみに彼女達の8thシングル、「Z女の戦争」が「闘う美少女」っていうテーマを真っ正面から取り扱ってるんだけど、非常に面白事に、この曲「リンリンリリン〜」で始まってる。勿論フィンガーファイブ。しかもその後は、ヤッターマン宜しくの「ワンワンワン」とか言ってるし(笑)。

「あー、何か懐かしいなー」とか思いながら見ていたら、今度はオナペッツが登場(上の方の動画で30秒くらいの所)。

 

オナペッツとは90年代初頭にテレビやCMで一世を風靡した伝説のドラッグクィーンなんだけど、このキャラも懐かし過ぎる!(実は後から教えてもらったのですが、どうやらこのピーナッツ頭の元ネタはオナペッツではなく、コーンヘッズとかマーズアタックらしいです)。もうちょっと言っちゃうと、歌詞の中で出てくる:

「見ざる、言わざる、聞かざるでござる」

とは、まあ、誰でも分かる様に「バザールでござーる」ですよね。これが世に出たのが1991年。それが今回の歌詞にも登場する。



さて、ここまで書いてきて一体何が言いたいのか?

つまりは、これら懐かしい香りのするフレーズや映像、そしてBOOWY世代には溜まらない布袋のロックなどを総動員する事によって、当時中学生、高校生、更には大学生だった世代に郷愁を与え、その懐かしさによって取り合えず、彼ら/彼女達の気を引こう、あわよくば取り込んでしまおうという戦略が垣間見える訳ですよ。そう考えると、この曲の題名の「さらば、愛しき悲しみたちよ」とは、(上述した「めぞん一刻」の主題歌)「悲しみよ、こんにちは」に対応しているのかもしれない‥‥とすら思えてくるから不思議です:

 

バブル全盛期の80年代に歌われた「悲しみよこんにちは」において、斉藤由貴は「悲しみ」に対して「こんにちは」と言ってるだけなんだけど、ももクロの場合は、躊躇し、悩み、苦しみ、そしてそれらを乗り越えた所で初めて「悲しみにサラバする事が出来ている」‥‥。つまり、2000年代を生きる女の子達は80年代の様に単純ではないんだぞ、と。

そしてそして、何より「上手いな」と思うのは、ももクロというグループの周りに展開する物語(ストーリー)、ありとあらゆる事象を巻き込みながら、見ている人にこの様な深読みを誘発させる構造を可能としている所だと思います(つまりエヴァンゲリオンと同じ)。

だから多分、僕がここで展開してきた論は全くの検討ハズレであって、あっち側からしたら「しめしめ、まんまと引っ掛かりやがって」って感じなのかも知れません。いや、きっとそうだと思います。その様な戦略がチラチラ見え隠れしている所、知らず知らずの内にその様な戦略に乗らされてしまう所、そこにこそこの「ももクロ」というアイドルの真骨頂があるのかなーと、いつも行くボストン/ケンブリッジにあるカフェでクロワッサンを食べながら思ってしまいました。
| サブカル | 12:44 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
世界最悪の絵画修復が村の最高の宣伝になってしまった件とか、HUNTER x HUNTERの中に密かにバルセロナが登場する件とか
日本でも大々的なニュースとして伝えられていると思うのですが、今週スペインでは世界中を震撼させる大事件が起こってしまいました。それがコチラ:



フランスの新聞に「世界最悪の絵画修復」とまで書かれてしまった、約100年前に描かれたフレスコ画の修復の結果です。見ての通り、これはもうキリストと言うよりも殆ど猿(笑)。



一体何が起こったのか?と言うとですね、どうやら最近劣化し始めた壁画(上の写真)を見ていた80代のお婆ちゃんが、「私の村のお宝が廃れていくのを見ているだけなんてとても出来ない!私が直しましょう」と、絵の具と筆を持ち、勝手に修復し始めたと言うのが事の始まりの様です。で、問題は、このお婆ちゃん、実は修復の専門家でもなんでもなく、全くのド素人だったんですね!ド素人なのに修復しちゃうって言う、その勇気だけは本当に凄い(笑)。その結果出来上がったのが下の猿の様な絵画だという訳です。

今回の事件を通して僕が驚いたのは、この事実が新聞に載った瞬間にTwitterなどを通して瞬く間に世界中に広がっていったそのスピードと、その翌日に沸き起こった、批判とは全く逆の「賞賛」という流れに対してかな。



この変わり果てたキリストの姿が世界に与えたインパクトに関しては特に説明するまでも無いとは思うんだけど、実はその翌日、と言うか、それらの批判が沸き起こってるその最中から、もう既にネット上ではこの絵を賞賛する動きが出ていたんですね。

「うーん、あの猿みたいな顔、現代アートだ!」 みたいな(笑)。

更にこんなコラージュまで作られる始末:



このお婆ちゃん、一夜にしてピカソに並んだ(笑)。そしてですね、今回僕が最も魂消たのが、この村の住民達の生の声を聞いた時でした。てっきり自分達の村のお宝をメチャクチャにされて、さぞかし怒っているのかと思いきや、大半の住民がこの出来事をポジティブに捉えている様子が、連日スペインの地元メディアを通して伝えられています。その理由が:

「この小さな村が、全世界のメディアに取り上げられて本当に嬉しい」

だからだそうです。「へぇー、そういう見方も出来るのか」と、個人的にはちょっと驚きました。ちなみに、大変有名になってしまったこのキリストの「抽象画」を写真に収めようと、この村には連日沢山の観光客が押し寄せているのだとか。

どうでも良い事を書いた序でにもう1つどうでもいい事を。最近友達から借りたHANTER X HANTERを夜な夜な読んでるんだけど、12巻辺りを読んでいたらビックリ!



上の図は一見何気無い(漫画の)状況説明の地図に見えるかもしれませんが、分かる人には分かる筈‥‥。この地図、一体何を下敷きにしてるのかと言うとですね、実はバルセロナの新市街地の左側半分をそのままそっくり持ってきてるんですね。ほら:



他の人は騙せても僕は騙せません(笑)。って別に作者だって騙そうと思ってやってる訳じゃないとは思うんですけどね。で、ここまで話したので、もう1つ序でに言っちゃいます:



上の画面は毎週日曜日に放送している聖闘士星矢Ωの一場面なんだけど、ここに写っているのは言うまでも無くサグラダファミリアです。漫画の中でこのお城は「悪魔が棲む居城」みたいな設定になってるんだけど、この事をサグラダファミリア教会の人達が聞いたら起こるだろうなー(笑)。

さて、当ブログでは何度か書いてきているのですが、近年のグローバリゼーションの影響から日本人の英語力、語集力というのはそれなりにレベルが上がってきた様に思います。それに伴い、漫画の中で英語のフレーズを並べても、一昔みたく「クール、カッコイイ」という感じを受けなくなってきつつあるんですね。何よりも打撃だったのが、それら英語のフレーズを並べる事で醸し出したかった「ココではない、何処か遠い異国の地」というイメージを与える事がサッパリ出来なくなってしまったという事です。

そこで登場したのが、日本人には全く馴染みの無いフランス語やスペイン語を使おうというアイデアという訳なんです(地中海ブログ:鋼の錬金術師を見てて思った事:「ココではない何処か遠く」を想起させるイメージ:何故Bleachではスペイン語が多用されるのか?)。

つまり「ワン、ツー、スリー」と言うより、「ウノ、ドス、トレス」と言った方が(意味がサッパリ分からない為)、遠い異国の感じを与えられるという事なんですね。その戦略上に乗っているのが、ずばり漫画Bleachなんだけど、スペイン語が分かる人から見たら、漫画の中に出てくる怪物、メノス・グランデ(Menos Grande スペイン語でMenosは小さい、grandeは大きい)って一体何だ?とか言う事になる訳ですよ(笑)。

僕達の世界は段々と表層化(Banal化)していってて、その進行と共に「深いもの」よりは「浅いもの」、「考えないと分からないもの」よりは、考えなくても分かってしまう「分かり易いもの」に飛びつく世の中になってきつつあります。今回スペインで起こってしまったフレスコ画の修復の結果と、それが世界に巻き起こした騒動は、実はその様な世界的な変化の片鱗を覗かせているかの様で、ちょっと興味深かったかな?と思います。もっと言っちゃうと、今回の事件で注目すべき点は、「お婆ちゃんがフレスコ画を無茶苦茶にしてしまった」という点よりは寧ろ、「それに対する世界の反応の方にあるのでは?」と、そう思うんだけど、それを話し出すと長くなるので、この話は又今度。

今日のバルセロナはちょっと涼しいので、久しぶりにテラス席でコーヒーでも飲みながら読書でもする事にしよう。

追記:
9月18日の新聞(El Pais)によると、余りにも有名になってしまったこの絵画を一目見ようと世界中から押し寄せる観光客を相手に、何と教会が拝観料(1ユーロ)を徴収し始めたらしい(苦笑)。

| サブカル | 01:34 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ユーロカップ(EURO2012)スペイン優勝!
昨日、サッカースペイン代表(La Roja)が新たな伝説を創り出してくれました。2008年のユーロカップ優勝、2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会制覇に続き、2012年のユーロカップでの圧倒的な勝利と、主要3大会で連続優勝というサッカー史上誰も成し得なかった快挙を成し遂げちゃったんですね。



勿論今日の新聞はほぼ全紙その話題を一面に持ってきています。6月初旬から始まった今年のEURO2012、家に帰る頃になると何時もやっていたので、ご飯とか食べながらついつい全部見ちゃったんだけど、そんな約1ヶ月間に渡って繰り広げられた激闘と、その中で起こったドラマ、はたまたそこから生まれた様々な創作物の中で僕が一番印象に残ったのがコチラ:



魔人バロテッリ!これ凄い!っていうか無茶苦茶はまってる(笑)。この印象的なポーズは勿論、バロテッリがイタリア対ドイツの準決勝で決めた豪快なゴール(2点目)の後に取ったものが元ネタとなってるんだけど、あのゴールは確かに「魔人が生み出したもの」という気がするくらい凄かった!

ちなみに面白映像系としては、前回のW杯直後のカシ―ジャスと恋人のサラ・カルボナルのハプニング映像なんかがあったんだけど(世界一ロマンチックな映像とその邦訳はコチラ→地中海ブログ:スペイン、ワールドカップ優勝!:イニエスタのメッセージやカシージャスとサラ・カルボナルのハプニング映像など)、さすがに今年は何もありませんでしたね。



最近スペインの新聞社(La Vangaurdia)は予算が全く無いらしく、何とか経費を節約しようという意図から記事の写真を白黒に変更するという方針を取ったんだけど、スペインの政治家が写った白黒写真を毎日の様に見せられると、ほんと「スペインという国のお葬式」を暗示してるかの様で、それはそれで気が滅入ってきます(苦笑)。そうでなくても最近の話題と言えば、若者の失業率が50%を超えただとか、財政破綻の影響が教育と医療という国の根幹に関わるインフラにまで入り始めただとか、銀行はいつ潰れてもおかしくないだとか、「世の終わりは近いかも」と真剣に思うくらい、暗―い話題ばかりが続いていたんですね(ゾウ狩り旅行がバレて謝罪するスペイン国王(王室)の裏に見え隠れするもの)。そんな、奈落の底に居るかの様なスペインに訪れた久しぶりに明るい話題、それが今回のスペイン代表の偉業だったという訳です。



この一ヶ月、本当に楽しい一時を過ごす事が出来ました。素敵な時間をありがとう、スペイン代表!
| サブカル | 05:26 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012
昨晩はマドリッドでサッカーの国王杯決勝戦が行われ、スペイン国営放送(TVE:Television Espanola)とカタルーニャ放送(TV3:Televisio de Catalunya)が生中継する中、開始早々2分余りで1点目を先取したバルサがそのままの勢いで3点をもぎ取り快勝!見事、グアルディオラ監督の有終の美を飾る事に成功しました(地中海ブログ:バルサのグアルディオラ(Josep Guardiola)監督辞任会見)。

優勝が決まった瞬間からバルセロナ市内では「花火上がりまくり、クラクション鳴りまくり」の状態が続き、まるでカタルーニャ中が「バルサ、おめでとう。グアルディオラ監督、お疲れ様」と言っているかの様だったんですね。そんな光景を横目に見つつ、ネットを見ていたら、ちょっと面白い記事を発見!それがコチラ:



「スペイン国営放送(TVE)とカタルーニャのテレビ局(TV3)では国歌の聞こえ方が違った」と題打った記事が、それこそ試合が終わるか終わらないかの内にアップされていたんですね。

 一体これは何が言いたいのか?

手短かに言うと、つまりはスペインという国家を表象する国歌が流れている間、ナショナリズム色が強いカタルーニャ地方とバスク地方から各々のサッカークラブを応援する為に駆け付けたファン達が、「スペイン国家なんてクソ食らえ」くらいの勢いでブーイングをしまくったものだから、それらの野次を出来るだけ聞こえない様にしようと、スペイン国営放送(TV1)はボリュームを上げ、反対にナショナリズム色の強いカタルーニャのテレビ局は「ブーング大歓迎!」と言わんばかりに何もしなかったが故に、2つのテレビ局の間で国歌の聞こえ方が違った。それが中央と地方の温度差を表していると、まあ、こんな所ですね(苦笑)。

上のビデオで国歌が流れてる間中、ずーっとスタジアム全体を包む「ピュー、ピュー」という口笛が聞こえるかと思うのですが、これが全てブーイングです。

最近の日本では国歌(君が代)に対してのブーイングという行為が様々な議論を巻き起こしているみたいなんだけど、スペインでは「国歌に対するブーイング」は少なくとも禁止されてはいません。って言うか、カタラン人達からしたら「国歌にブーイングする何て当たり前」くらいに思ってるっぽい。今回の出来事はその様な、スペインと日本における「国というシステムに対する考え方の違い」を浮き彫りにしてくれたという意味において、見過ごされがちなんだけど大変興味深いものだったと思います。

 

さて、話は変わって、今日は一年の内で僕が最も楽しみにしているイベントの一つ、ヨーロッパの紅白歌合戦と名高いユーロビジョンの開催日です(地中海ブログ:ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、ユーロビジョン(Eurovision)2011、地中海ブログ:ユーロビジョン2010:欧州全域を巻き込んだ国民投票システムか?)。

まあ、今さらユーロビジョンとは一体何なのか?という事を書くまでもないとは思うんだけど、一言で言えば、それはヨーロッパ各国の意地と意地をを掛けた熱き戦い‥‥かな(笑)。って言うと結構冗談っぽく聞こえるかもしれないんだけど、実はヨーロッパ中を巻き込んだこのお祭り、規模だけで見ればワールドカップの次に視聴率が高いと言われるほど、欧州では注目されているイベントなんですね。しかも数年前からは投票システムにSNSなどの新しいテクノロジーを取り入れ、欧州全体でリアルタイム投票を実現しているというから驚きです。

 

で、このユーロビジョンの見所なんだけど、各国の代表歌手が交互に歌や踊りを披露する和気あいあいとした紅白歌合戦かと思いきや、ドッコイ!ここにはかなりの政治的な要素が絡んでくるから面白いんです!

各国代表の歌手達が5分程度のパフォーマンスを披露した後、各々の国は自分達が良いと思った国に投票する権利が与えられてるんだけど、半分お遊びみたいなイベントだからこそ、オフィシャルな舞台では絶対に表には出さない様な「近隣諸国に対する本音」みたいなものが垣間見えるんですね。だから、「フランスはどんな事があってもイギリスにだけは投票しない」とか、「スカンジナビア諸国は仲間意識が強いので、互いに票を入れ合って助け合う」とか、スロベニアはクロアチアに投票するんだけど、スペインは絶対にポルトガルには投票しないとか、そんな各国の本音を物凄くハッキリと見る事が出来る希有なプログラムとなっているんですよ(笑)。

一昨年なんて、ドイツがギリシャに高得点入れてましたからね。つまりはリアル世界では酷い事になってるけど、ユーロビジョンくらいは楽しんでね、と、そんなメッセージだったのかもしれないなーと、そう思って見てました(地中海ブログ:ユーロビジョン2010その2:欧州の大国がギリシャに投票したのはある種のメッセージなんじゃないの?とか思ったりして(半分冗談))。

さて、そうこうしているうちに今年もユーロビジョン開催の時刻が刻一刻と迫ってきています。今夜21時の開幕と同時に、Twitter上では欧州在住組の皆さんによる熱き戦いが繰り広げられます(笑)。皆さん、今年も楽しみましょう!

速報:
今年も音楽的なパフォーマンスとは全く関係がない政治的な投票の結果(笑)、2012年ユーロビジョンの優勝はスウェーデンに決まりました。結構圧倒的で途中からは独走状態だったかな。個人的にはロシアのおばちゃん集団が今までの常識を打ち破るスタイルでインパクト満点だったんだけどなー。



ちなみにこのスウェーデン代表の人、「どう見ても貞子にしか見えない」とTwitterでは話題騒然でした(笑)。
| サブカル | 22:31 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
オードリー・ヘプバーンの「ティファニーで朝食を」のスペイン語版タイトルは「ダイアモンドを見つめながら朝食を」と言います
あー、先週も忙しかった‥‥。毎年この時期になると欧州プロジェクトの各種締め切り&ミーティングに加え、(大変嬉しい事に)日本からのお客さんがドバッと増えるので、その方々の対応に追われる事となります。先週も何組かのお客さん(欧米+日本から)がバルセロナを訪ねてきてくれて、彼らと一緒に街を練り歩いたり、ディスカッションをしたり、はたまた世界各地で起こっている生の現地情報を聞かせてもらったりと、忙しいながらも大変充実した時間を過ごす事が出来たんだけど、その中でも特に印象に残ったのは、日本から欧州都市調査に来られていた方々+EUと都市の関係を見つめ続けるバルセロナの大先輩、Oさんと持てた時間でした。

今回はご飯をご一緒させて頂いただけなんだけど、短い時間ながらもOさんの言葉の端々には深い洞察が含まれてる様な気がして、何時もながらに大変刺激的な時間を過ごさせてもらう事が出来たんですね。特に政権交代後のバルセロナが進む方向なんかについての彼女の洞察は、非常に示唆に満ちてる気がして、家に帰ってからも「うーん」と唸るほど考えさせられるものでした。

‥‥それにしても膨大な情報量の中から必要なものを見つけ出し、本質へと一気に降りていくその加速度といい、的確な言葉によって周りを巻き込んでいく表現力といい、そこにはまるで日本刀でスパッと切ったかの様な鋭さがあり、切られたコチラ側は「痛さ」を通り越して「清々しさ」さえ感じる程でした(笑)。もう少しお話したかったけど、お互い忙しかったので今回は時間切れ。又次回に持ち越しです。

さて、全く話は変わりますが、最近スペインでは新聞の抱き合わせ販売が盛んになっていて、La Vanguardia紙なんかは毎週日曜日に「タピエスやガウディのマグカップをプレゼント」みたいなキャンペーンをやっていたりします。



それに負けじと応じているのがEL Pais紙。こちらは映画の名作DVDをオマケに付けてるんだけど、一月末から始まったこのオマケシリーズの幕を開けたのは、何を隠そうオードリー・ヘプバーン主演の不朽の名作、「ティファニーで朝食を」のDVDだったんですね。



1961年に創られたこの映画、「未だ見た事無―い」って人でも「名前くらいは聞いた事ある!」っていう人が多いのではないでしょうか?世界的に知られている名作中の名作なんだけど、実はスペイン語版をこの目で見たのは今回が初めて!で、そのタイトルを見てビックリ!



何と、スペイン語版のタイトルには、この映画の代名詞ともなっている「ティファニー(Tiffany)」という言葉が何処にも見当たらないじゃないですかー!

あ、あれ?みたいな(笑)。

もうちょっと詳しく言うと、日本語版のタイトルは皆さんご存知の通り、「ティファニーで朝食を」となっていて、英語版では“Breakfast at Tiffany’s”。その慣例に従うと、スペイン語版では”El desayuno en Tiffany”となるはずなんだけど、そうはなってなくて、“El desayuno con el diamante”となっているんですね。直訳すると「ダイアモンドと共に朝食を」、意訳すると「ダイアモンドを見つめながら朝食を」となります。

む、む、む‥‥これを見た瞬間、「このタイトルには、この映画が創られた当時(1960年代)のスペインという国が置かれていた社会政治的な状況がチラチラ見え隠れしていて興味深いなー」とか思ってしまいました。

どういう事か?

この映画が創られた1960年代というのは、スペインでは未だフランコの独裁政権真っ只中で、スペイン国外から入ってくる情報は厳しく検閲されていた時代でした。そんな時代には勿論、国民に対する娯楽なんかも非常に厳しく制限されていた為、当時のスペイン国民の中で「ティファニーとは一体何なのか?」という事を知ってる人は非常に少なかったんですね。



つまり、もしスペイン語版のタイトルを「ティファニーで朝食を」としてしまうと、「ティファニーって一体何だ?クロワッサンの一種か?」とか(笑)、そういう状況に陥る可能性が大だったという訳なんです。そんな状況下において、翻訳家の人達が頭を捻りに捻った末に出してきた渾身のアイデアが、宝石の代名詞と言っても過言ではない「ダイアモンド」という単語であり、結局スペイン語版のタイトルは「ダイアモンドを見つめながら朝食を」となったという訳なんです。

さて、まあ、ここまで書いてきたし、その延長線という事で、今日はこの映画の内容にちょっとだけ触れようかなと思います。「ティファニーで朝食を」という映画において一番重要な場面はズバリ、この映画の冒頭に出てくるこの場面だと思います:

 

過去のセンチメント(感情)を「お金の力」によって忘れ去りたいオードリー・ヘプバーンが、夜遊びの帰り道にティファニーの店頭に飾ってある宝石を覗き込む場面です。この場面では「私を夢の世界(フェイクの世界)へと連れて行ってくれるティファニーちゃん♪」という思いで宝石を見つめているオードリー・ヘプバーンが、ロマンチックなバックミュージックと共に映し出され大変魅力的な場面となっている事などから、多くの人々の心の中に焼き付いている事だろうと思うんですね。

しかしですね、実はこの場面で行われている事というのは一般に理解されているほど単純な事ではありません。つまり、美しい女性(オードリー・ヘプバーン)と美しい宝石の共演‥‥という様な、世の中の女性達が「きゃー、ティファニーよ、何て奇麗なのー。私もオードリー・ヘプバーンみたいに可愛くなりたいわー!」みたいなイメージとは全く逆の事が行われているんですね。

何故か?

何故ならこの映画においてティファニーという宝石は、現実逃避する為の「フェイクの世界の象徴」として描き出されているからです。そしてこの映画の冒頭部分で、ガラスに映り込んでいる主人公自身の姿が、その宝石と重ね合わせられる事によって、「彼女自身の生き方が偽りである」という、大変複雑なんだけど、非常に優れた暗喩が実現されていると言う訳なんです。

故に、もしこの映画を正しく理解するならば、「ティファニーは偽りのシンボルとして扱われている」という事が容易に分かる筈であり、この事はティファニーというブランドにとっては致命的な負の宣伝効果しかないはずなんだけど、世の中の大半の人というのはそんな風には受け取ってなくって、「ティファニー=美の象徴=女性達の憧れ」みたいなイメージだけが世の中に蔓延ってしまったと、そういう訳なんですね。



その様な表面的な解釈をするという事自体が、実は我々の時代そのものを表象し、あのガラスに映ったオードリー・ヘプバーンの姿というのは、実は我々自身の姿なのかなー?とか、そう深読みする事も出来るんだけど、まあ、そんな映画的構造や意図、つまりは「リアルとフィクションの境目」さえも、往年のオードリー・ヘプバーンの美しさの前には霞んで見える事も又確かかな?と思ったりもするかな。

追記:
廊下を歩いていたらこんなポスターを発見!




なんと、ティファニーとMITはコラボしていた!「ティファニーのあの輝きの裏には、実はMITの最新技術が貢献していたのか!」とかなり驚いた。

| サブカル | 05:54 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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