地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
国際博物館の日2015:リニューアル後のカタルーニャ美術館(MNAC)
毎年5月18日は「国際博物館の日」ということで、先週の土曜日はバルセロナ市内に点在する80を超える博物館・美術館が午後19時から午前1時まで入場無料でした。



このイベントは40を超える地域で開催されていた為、週末の夜を博物館・美術館で楽しく過ごした人達が世界中で大勢いたことだろうと想像します。



カタルーニャ美術館(バルセロナ)では、午後22時を回った頃から音楽が流れ始め、ホールが巨大ディスコに様変わり!みんなで楽しげにサルサを踊って夜を更かしたんですね。ちなみに上の写真は午前0時を回ったところを撮影したもので、この宴が午前1時まで続くという熱狂振り(笑)。いつものことながら、「カタラン人達の人生を楽しむエネルギー」には驚かされます。 ←多分、人生を楽しむことに掛けてはカタラン人の右に出る民族はいないんじゃないのでしょうか?そして僕がいつも感心してしまうのは、その為の装置やインフラが、市側(官)によって整備されているということ。そう、この街ではバルセロナという都市全体が、「人生を楽しむ為にデザインされている」かの様なのです。

今回の「真夜中の博物館」という企画もその一つで、グローバルに展開してるそのイベントを、ローカルな事情に合わせているところが大変興味深いかな、、、と。世界広しと言えども、夜中の1時まで博物館・美術館を開放している地方は少ないと思うんですね。一見どこの地域においても同じに見えるイベントの中に「ちょっとした差異を発見する」、そのちょっとした違いのことを我々は文化と呼んでいるのです(地中海ブログ:バルセロナで売ってるプリングルズの生ハム味に見るグローバルとローカルの問題)。



という訳で、今年はモンジュイックの丘の上に聳え立つカタルーニャ美術館に行ってきました。去年、ディレクターが代わり、美術館全体に及ぶ大規模なリニューアルをしてからは初来館です!
←館長選出については一悶着あったみたいで、結局、元ピカソ美術館の館長だったセラさんが就任されたみたいです。セラさんと言えば7年前にピカソ美術館の館長に「突然」抜擢された際、「ナルシス・セラ(民主化後初のバルセロナ市長であり、スペイン副首相も勤めた大物政治家)の甥だからだろう」と、カタルーニャ社会全体を巻き込んだ大論争が記憶に新しいのですが、その批判をバネに次々と新機軸を打ち出し、ピカソ美術館を未だかつてないほど魅力的にした行動派。その辺の事情については、以前の記事に書きました(地中海ブログ:バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情)。

さて、カタルーニャ美術館のリニューアルに伴い、僕が大変楽しみにしてきた作品がこちらです:



1978年にバルセロナのIBM社屋の為にジョアン・ミロが製作したセラミックの壁画なんですね。ミロ独特の世界観がセラミックのねっとりとした質感と相俟って、非常に不思議な雰囲気を醸し出しています。



後ろでは学芸員のかたがJosep Llimonaの彫刻を丁寧に説明されていました。そう、国際博物館の日に伴う真夜中の博物館イベントでは、各博物館・美術館の学芸員の方々が15分おきくらいにツアーを敢行し、各博物館・美術館が保有するコレクションの魅力を存分に説明してくれるのです!

そんな中、今回のリニューアルで非常に嬉しかったのは、Fortunyの作品が増えていたことかな。



カタルーニャ出身の画家としては、ピカソ、ダリ、ミロなどを始め、ルシニョール(Santiago Rusiñol)やラモン・カザス(Ramon Casas)などが知られていると思うのですが、大変不思議なことにMariano Fortuny(マリアノ・フォルトゥーニ)ほどの画家が何故か日本には全く紹介されていないのです。



カタルーニャ美術館では以前は6点前後が展示されていただけだったのに、今回のリニューアルに伴い展示作品数が20点前後に増えていました。これは大変嬉しい誤算!

と、テンションが上がってきたところで、一階のロマネスク部門へGO!



ロマネスク・コレクションの数と質で世界的に知られてるカタルーニャ美術館なのですが、ここのロマネスク・コレクションが素晴らしいのは、その展示方法にも起因していて、来館者にオリジナルの気分を味わってもらおうと、教会のアプスを作って、そこに展示するという工夫をしています。



教会の小窓とかも忠実に再現してあって、あたかも本当に現地に来ているかの様な気分に。裏側はこんな感じになっています:



祭壇の前面部分を飾る板絵のコレクションも素晴らしい。数多ある板絵の中でも、僕のお気に入りがこちらです:



ドゥロ(Durro)のサン・キルク聖堂に飾られていた板絵です。3世紀の末頃、シリアで殉教した聖女ユリッタとその息子である聖キリスクを描いた板絵なんだとか。へぇー、へぇー、へぇー。



熱湯でグツグツと煮られたり、ノコギリで切り刻まれたりと、テーマ的にはかなり残酷なんだけど、それがコミカルに、、、というか、ロマネスク風に描かれると、かなり微笑ましく見えてくるから不思議です。そしてこちら:



ラ・セウ・ドゥルジェイの教区教会にあった祭壇板絵(12世紀初頭)。12使徒をピラミッド状に配置した構図といい、黄色と赤色を基調とする鮮烈な色彩が魅力的。お次は壁画:



ラ・ギンゲタのサンタ・マリア聖堂の壁画。6翼多眼の天使セラフィムが素敵すぎる。



よーく見ると、翼に付いた眼がかなり不気味なんだけど、なんか微笑ましい。そしてそして、このカタルーニャ美術館が誇るお宝中のお宝がこちらです:



タウイのサン・クリメント聖堂の内陣を飾っていた「栄光のキリスト」の登場〜。「我は世の光」と記された書物を持っています。

こんな素晴らし過ぎるロマネスク美術なのですが、カタルーニャが自国のお宝に意識的になったのはごく最近、しかもそれは「再発見されたものであった」ということは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day):世界屈指のロマネスク美術コレクションが凄いカタルーニャ州美術館(MNAC)



カタルーニャのロマネスク研究は、モデルニスモ期の建築家、プッチ・イ・カダファルクが1909年から1918年にかけて表した大著「カタルーニャのロマネスク建築」という本がその基礎を築いたということになっていて、フェルナンド・ブローデルなんかも「地中海」の中で言及していたりするんですね。



しかしですね、実はそれ以前にロマネスク研究の筋道を付けた人物がいたということは案外知られてなくって、近年進んでいる現地での研究成果によると、その道筋を立てたのは、プッチの師匠でありガウディのライバルでもあったドメネク・イ・ムンタネールであったということが明らかにされつつあります。



上の写真は、19世紀当時のサン・クリメント教会の「栄光のキリスト」が当時 どの様に扱われていたかを生々しく表しています。そう、あたかもその絵画を隠すかの様に、異物が貼り付けられているのを見ることが出来るんですね。

僕たちの価値観や美意識というものが如何に時代によって激しく変わっていくかということを指し示しているかの様で、非常に考えさせられる一枚だと思います。だからこそ我々は歴史に学ぶ必要があるということを再認識させてくれたりもするのです。



更に更に、鋭い人はもう気が付いたかとは思うのですが、もともと山奥に打ち捨てられていたロマネスクの壁画が何故この美術館に大量に保存されているのか‥‥???つまりは、山奥の教会堂などで手入れもされずに打ち捨てられていた壁画などを、よく言えば「芸術作品と見做し、後世に伝える為に保存した」、悪く言えば「もともとあった場所から引き剥がしてきた」ということなんですね。

‥‥と、こんな感じで、ここのロマネスク・コレクションを見ていると色んな事を考えさせられる訳なのですが、今回のリニューアルを経てもう一つ「考えさせられること」が増えました。それがこちら:



祭壇の左奥に見える十字の絵画、あれ、何か分かりますか?僕は見た瞬間、自分の眼を疑いましたが‥‥あれは紛れもなくタピエスです(地中海ブログ:スペインの新聞(La Vanguardia)のオマケが凄い!ダリ、ミロ、ガウディなど12種類のマグカップ)。そう、今回のリニューアルでは、ロマネスク美術と同じ空間に現代美術を飾るというかなり大胆な決断がされているのです。



横にあった説明を見てみると、「カタルーニャの前衛と伝統が織りなす対話」とある。まあ、実際、タピエスがロマネスク好きだったことは専門家の間では周知の事実だし、ここへロマネスクを見に来た人が、現代美術に興味を持つキッカケになるかもしれない。なにより、こういう「攻めてる感じ」は、僕は嫌いじゃありません。

と、そんなことを考えながら作品を見ていたら、結局閉館(午前1時)まで居てしまいました。



ちょっとお腹が空いたので、近所のバルで軽食、家に着いたら3時過ぎだった。それでも公共空間には人が溢れ、「夜はこれから」と言わんばかりに盛り上がっている‥‥。

これこそ、地中海都市の生活の質の高さであり、この都市の正しい楽しみ方だと、僕はそう思います。
| スペイン美術 | 07:31 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館のラファエロ展(El Ultimo Rafael):ラファエロの精神的遺書「キリストの変容」の制作過程が明らかに
昨日まで、とあるプロジェクトの打ち合わせの為にマドリッドに行っていました。って言っても何時もの様に駆け足の滞在。木曜日朝一番のスペイン版新幹線AVEに乗ってバルセロナから2時間30分ピッタリでマドリッドのアトーチャ駅に到着(AVEについてはコチラ:地中海ブログ:スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し、地中海ブログ:マドリッド出張:スペイン高速鉄道(AVE)、ファーストクラス初体験)。



荷物の配送が遅れたり、労働ビザの審査基準が偶々当たった審査官の気分次第だったり、はたまた銀行すらお釣りを間違える事が日常茶飯事なスペインにおいて、高速鉄道が何時如何なる時もピッタリの時間に着くというのはスペイン7不思議に数えても良い様な気がする(笑)。この国において物事が時間通りに進むというのは、それほど珍しい事なんです!



さて、実は今回のプロジェクトの打ち合わせは前回に引き続き美術館関係だったのですが、初日に打ち合わせをしていた美術館で丁度今、大規模なラファエロ展(El Ultimo Rafael)が開催されていて、「折角ならチョット寄っていくか」という事でチラッと見てきました。って言うか、その展覧会やってるって分かってたからこの時期に合わせてミーティング設定したんですけどね(笑)。


(ラファエロの自画像画)

今回登場するラファエロという人物は、イタリア・ルネサンス古典主義の完成者って言われてて、芸術史の中に占めるその重要性にも関わらず日本では驚くほど語られていない様な気がします。何故かと言うと、それは「日本人の性向に合わないから」としか言いようが無いと思うんだけど、例えばAMAZON.COMで検索するとレオナルド関連の書籍が997件も出てくるのに対して、ラファエロはほんの56件程度しか出て来ないんですね。

日本人って言うのは外から見ていると本当に面白い民族で、美術の好き嫌いにすら集団的な傾向が見受けられます。つまり皆が皆、右向け右的にフェルメールが 好きだったり、印象派と聞いただけで目の色を変えて美術館に長い行列を作ったり‥‥みたいな(笑)。ルネサンスだったら日本では圧倒的にレオナルド・ダ・ ヴィンチ、そしてミケランジェロ、ちょっと勉強した人ならティツィアーノくらいは名前を聞いた事があるかもしれません。ちなみにミケランジェロって言う名 前はイタリア語ではミカエル(Michael)と天使(Angelo)を併せたものとなっていて、スペインではMiquelとAngelがくっついて Miquel-Angelという一般的な男の子の名前になっています。つまりミケル天使君(どうでも良いスペインのマメ知識終わり)。



まあ、他の人がどう思おうとそれは大した問題じゃ無くって、ラファエロは個人的に昔から大好きな画家の一人、しかも大規模な展覧会をスペインでやると聞いたからには行かない訳にはいきません(ラファエロについてはコチラ:地中海ブログ:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)、地中海ブログ:ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio))。と言う訳でプラド美術館でのミーティングが終わってから次のミーティングまでの合間を縫って、駆け足で見て来ちゃいました。



今回の展覧会の基本コンセプトは、ラファエロが1520年に急死するまでの人生最後の7年間に焦点を当てつつ、彼の右腕だったジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)とジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ(Gianfrancesco Penni)との関連性にも着目しながら、彼の工房では一体どの様に恊働制作が行われていたのか?など、ラファエロ晩年の今まではナカナカ光が当たらなかった部分を明らかにしようという大変意欲的な展覧会となっていると思います。

上述した様に、僕は個人的にラファエロの大ファンなので、彼の事については当ブログでは事ある毎に言及してきました。特に4年前の年末年始にローマに長期滞在した際に見たラファエロ関連の絵画、彫刻、タピストリー、そして彼の人生に纏わる様々な足跡などは大変素晴らしかったなー、と昨日の事の様に覚えているくらいです。



例えば上の写真はラファエロが晩年、秘密裏に交際していた恋人マルゲリータ・ルーティちゃん、通称フォルナリーナちゃんの肖像画(La Fornarina)です(地中海ブログ:バルベリーニ宮:国立古典絵画館(Palazzo Barberini: Galleria Nazionale d’Arte Antica in Palazzo Barberini):バルベリーニ家とミツバチの紋章とか、フォルナリーナ(La Fornarina)とか、その1)。ちなみにフォルナリーナとはイタリア語で「パン屋の娘」という意味で、ラファエロがフォルネジーナ荘(Villa Farnesina)を手掛けている時に偶々出会ったパン屋の娘なんだそうです(最近になってフォルナリーナちゃんの存在やその出自などを疑問視する論文が発表されてるけど、その辺の事については又後日)。当時彼女が住んでいたと云われている家がローマの下町トラステヴェレ地区(Trastevere)に残っていて、それがラファエロ・ファン達の巡礼地になっていたりするんですね。



3階の隅の部屋がフォルナリーナちゃんの部屋だったそうなんだけど、今から約500年前にあそこにラファエロが居たかと思うと、それはそれでワクワクしてきますね。そしてコチラ:



パンテオンに今も眠るラファエロのお墓です。生前「パンテオンに埋葬して欲しい」と遺言を残したラファエロの意向に即して1758年に彼のお墓はパンテオン内部に移されたんだそうです。

さて、そんなラファエロに関する今回の展覧会はテーマ別に6つに分けられていて、その各々に見所が目白押しとなってるんだけど、その中でも個人的に大変興味を惹かれたのがコチラです:



ラファエロが死の直前に完成させた彼の代表作であり精神的遺書、そして最高傑作と名高い「キリストの変容」。この作品が一体どの様に構想され、作品制作中にその構想がどの様に変わっていったのか?もしくは最初の構想と最後に出来上がった作品の間には一体どの様な違いがあるのか?などを明らかにしようと構成されたセクションです。



現在ヴァチカン博物館にある人類の至宝、ラファエロの「キリストの変容」についてはローマ滞在中に3日間も掛けてヴァチカン博物館へ通い、それこそ作品に穴が空くほど見まくりました(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。で、今回初めて知ったのですが、どうやらプラド美術館はラファエロの弟子、ジュリオ・ロマーノによる「キリストの変容」の複製を所蔵しているそうなんですね。し、知らなかったよー。

 

実はこの展覧会で「キリストの変容」が展示されている事は新聞などを通して知ってはいたのですが、それを見るに付け、「‥‥ヴァチカン博物館、お宝中のお宝を本当に貸し出したのか?」と、かなり半信半疑だったんですね。何でかって、これってつまりはルーブル美術館がモナリザを他国に貸し出したり、もっと身近な例で言うと、東京国立博物館で鯱展やるからって名古屋城が金の鯱を貸し出す様なものですからね。ヴァチカン博物館にとってラファエロの「キリストの変容」はそれくらい重要なものなのです。

で、今回の展覧会を見ていて個人的に大変興味深かったのが、この絵画が描かれた過程とその変容です。



先ずはこの絵画の主人公(内股でちょっとゲイっぽいキリスト(笑))なんだけど、初期の頃の構想ではキリストは裸だったという事がX線を用いた分析で明らかになったそうです。



ヘェー、ヘェー、ヘェー!これは知らなかった!つまりラファエロは先ずは裸のキリストを描いてから、製作期間中にそのキリストに服を着せると言う様に図柄を変更したという事なんですね。そしてその裸のキリストを描く為にラファエロはかなりの数のスケッチを残しているんだけど、その一部が今回の展覧会で展示されていました。

更に今回、弟子達が描いた「キリストの変容」のコピーとラファエロが描いたオリジナル作品の両方にX線分析を掛け、それら2つの絵画を比べてみた所、弟子達がどうやってオリジナルをコピーしていたのか?つまりはラファエロの工房では一体どの様に恊働作業が進んでいたのか?などを知る非常に重要な手掛かりが得られたんだとか。



それにしても、いつ見てもラファエロの描いた絵画には「幸せ」が満ち溢れている様に感じられてなりません。そしてそれだけに留まらず、彼の描いた絵画はそれを見る人の心までをも幸せで一杯にしてくれる、正にそんな気がしてくるから不思議です。

何故ラファエロにはこんな絵画を描く事が可能だったのか?何が彼にそうさせたのか?

それはやはりラファエロ自身が、短いながらもこの上無い幸せな人生を送り、正に「幸福の画家だった」という事なのだろうと想像します。と言うかそう思わざるを得ません。日本語で読める数少ないラファエロ関連書籍の内の一つ、フォシェン(Henri Focillon)の訳書のタイトルが「ラファエロ―幸福の絵画」となっているのは、彼の人生そのものを表しているかの様で、大変素晴らしい訳だなーと思います。

(何時も引用するんだけど)晩年のラファエロはこんな言葉を残しています:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」



自分の生きた時代をこんな風に誇る事の出来る人生、あー、何て素敵な人生なんだろう。ラファエロという人は自分が生きていた時代を心から誇る事が出来る、そんな仕事をし、毎日を精一杯生きていました。だからこそ彼はこの上なく幸せだったのでしょうね。

そしてこの言葉は数百年の時を経て、現代社会に生きる我々にも直接訴えかけてきます。

「貴方は自分が生きている時代を心から誇る事が出来ますか?毎日を精一杯生きていますか?今、幸せですか?」と。
| スペイン美術 | 01:27 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本(Codex Calixtinus)発見!
一昨日(7月4日)のお昼頃の事だったのですが、ビックニュースが飛び込んできました!約一年前にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたお宝中のお宝、カリクストゥス写本が発見されたという、思ってもみなかった大変嬉しいニュースが舞い込んできたんですね。



実はその数時間前に「写本を盗んだとされる容疑者逮捕!」の速報がスペイン中を駆け巡り、「と言う事は写本も見つかったのか?」という淡い期待を齎したのですが、それも束の間、その時点では「犯人は逮捕したものの写本は見つからず‥‥既に売却済みか?」という失望感が関係者達の間を覆い始めていました。スペイン中がガックリと肩を落としている正にその時、容疑者宅のガレージを調べていた一人の捜査員がゴミ袋に包まれた写本を見つけ出し、即座に大聖堂側に本物かどうかの確認をしてもらった所、その真証性が確認されたという大ニュースが駆け巡ったと言う訳なんです。



先ずはこの事件の事を良く知らない人達の為に少し解説をしておくと、カリクストゥスの写本とは12世紀に描かれた「サンティアゴの道を歩く為のマニュアル本」で、世界で初めて書かれた旅のガイドブックの事なんですね。つまり元祖「地球の歩き方」という訳(笑)。



ちなみにこの写本が人類にとってどれほど価値があるものなのか?という事は、この事件が起こった当時、各国の新聞がこぞって記事にしたという事実に如実に現れていると思います。その中でもワシントンポストはプラド美術館の至宝、ラス・メニーナスと比較してこんな記事を載せていました:

計り知れない価値を持つカリクストゥス写本を警察が捜索
Busqueda policial de la obra de valor incalculable


ワシントンポストは、今回起こってしまった盗難の原因の捜索と、既に写本がスペインの国境を超えた場合を想定して、警察が国際的な警報を発した事を大々的に報じている。アメリカ合衆国の新聞は、今回の盗難はプラド美術館からベラスケスの代表作ラス・メニーナスが盗まれるのと同等に値する事件であり、写本に値 段を付ける事は不可能であると説明している。
El Washington Post resalto la investigacion policial a raiz del robo y la alerta internacional para tratar de localizerlo fuera de Espana, en el caso de que haya cruzado la frontera. El periodic norteamericano explica a sus lectores que la sustraccion equivale al hurto de Las meninas del Museo del Prado y que es imposible ponerle precio al codice.


そんなお宝中のお宝がサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の宝物庫から消えている事が発覚したのが去年の7月5日の午前中の事。その日の午前・午後を通して関係者達が全員で大聖堂内を探しまくったんだけど結局見つからず‥‥。仕方が無いので大聖堂側が警察に通報したのがその日の夕方頃で、その1時間後には大事件として大々的にスペイン中に報道される事になったと、まあ、そんな訳なんです(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!)。



偶然にも去年の今頃、僕は夏のバカンスの真っ最中で1ヶ月ほどガリシア地方に滞在していました。つまり恵まれた大地の中で美味しいタコと白ワインを嗜みながら毎日を暮らしているガリシア人達の間に走った衝撃をリアルタイムで実感しちゃったという訳なんですね。事件が起こった直後には「一体誰が犯人なのか?」は勿論の事、何の目的で、そして写本は一帯何処にあるのか?などについて様々な憶測が飛び交い、それが又、現場の混乱に拍車を掛けているかの様ですらあったかな。



ちなみに僕はその事件が起こった1週間後、所用でサンティアゴ・デ・コンポステーラ市を訪れる機会があったんだけど、市内へのアクセスは厳しく制限されていて、市内から出て行く車一台一台を厳しく検問していたり、街中では警官の姿が異様なほど見られたりと、普段とは一味も二味も違うサンティアゴ・デ・コンポステーラ市の姿を見る事が出来ました(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)。それら一連の騒動の中でも僕が度肝を抜かれたのがコチラです:



事件が発覚した明後日に新聞にデカデカと載っていた、スペインが誇る伝説的な大泥棒、Erik el Belgaさんのインタビュー記事なんですね(地中海ブログ:スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について)。実はスペインには日本で言う所の石川五右衛門こと、伝説の泥棒ちゃんが存在し、その彼が何かしら大きな事件が起こる度にメディアから意見を求められ、更に緊急時には警察にも協力するという、まるで漫画か映画の世界の様な事が行われている訳ですよ!勿論今回の事件が起こった直後にも各種メディアが彼の所に取材に行き、結構な頻度で新聞やテレビを賑わせていたのですが、その時に彼が繰り返し言っていた事がコチラです:

「スペインには写本の購入者はいません。そんなに多くの書籍コレクターや、 それ程の額を支払う事の出来るコレクターが存在しないのです。・・・思うのですが、もしかしたら、この写本の最終目的地は日本と言う可能性が高いのでは?と思います。日本は世界でも有数の書籍コレクターの所在地なので。」

そう、スペインには写本を購入出来る様なコレクターは存在しないと言う事、写本を盗むには内部に協力者が必要だと言う事、そしてもしかしたら写本は日本にあるのでは?という事を繰り返し示唆していました。

この様な有益な意見や国際的な警察の協力の下、様々な角度から捜査が続けられたにも関わらず、これと言った進展もなく一年が経過しようとしていた、正にそんな時に突然訪れた急展開、それが今回の容疑者の逮捕と、それに続く写本の発見だったのです。



昨日の新聞によると、犯人は25年間もの間、大聖堂で働いていた電気技師で、近年の経済危機の影響から大聖堂を解雇された事に腹を立て犯行に及んだと供述しているそうです。つまりは個人的な恨みから今回の犯行に及んだという事らしいんですね。どうやら大聖堂のトップが最近変わったらしく、その人との相性が悪かった事などから解雇を言い渡され、更に退職金を要求したんだけど、それも拒否され、現在は大聖堂を相手取って裁判中なんだとか。

大聖堂側は彼の名前をかなり早い時期から警察に告げていたらしく、警察は極秘裏に彼の事を調べていたそうです。と言うのも、事件後直ぐに警察が入手した防犯カメラの映像から、7月4日に彼らしき人物が何かしら大きな包みを持ちながら大聖堂の宝物庫から出て行く姿が確認されたそうなんですね。まあ、とは言っても決定的な証拠が無い事などから、逮捕や強制捜査に持ち込む事は出来ず、彼が写本を売る為にマフィアや売人に接触するその決定的瞬間を抑え、そして逮捕!というシナリオだったらしい。しかしながら予想に反して彼は何も行動を起こさず、故に昨日まで逮捕が持ち越しになっていたという様な趣旨の事が書かれていました。

更に更に彼の家に踏み込んだ際、カリクストゥス写本と一緒に出て来たのが、大聖堂から盗まれたと思われる数々の重要文化財級の写本や文書、そして1億2千万円相当にも上る現金と大聖堂の鍵だったそうです。

それら貴重な文書や鍵は、以前から教会の司教の人達が、「あれは何処かへいってしまった」だとか、「鍵は無くしてしまった」だとか言っていたものだったらしい。つまり今回の事件が明らかにした事、それは誰でも大聖堂に入れて、誰でも何でも盗む事が出来るという教会側のずさんな管理体制と言う訳。

そしてそれ以上に問題なのが彼の家から発見された大量の現金!それらのキャッシュは殆ど全て大聖堂から盗まれたものと見られていて、中には500ユーロ札などの新札も含まれていた事などから、「それらの現金は一体何処から来たのか?つまりは大聖堂はそれらの現金を何処から手に入れたのか?」など、今度は教会側の税金逃れや闇取り引きという今まではベールに包まれていた部分へメスが入るかもしれない可能性を匂わせています。

今回の劇的な写本発見事件は思わぬ方向へ展開していきそうな予感がするんだけど、それにしても人類のお宝が無傷で戻って来て良かった〜。先ずは一安心です。
| スペイン美術 | 20:43 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
国際博物館の日(International Museum Day):世界屈指のロマネスク美術コレクションが凄いカタルーニャ州美術館(MNAC)
毎年5月18日は「国際博物館の日」という事で、その同じ週の土曜日は世界中で40を超える国や地域の美術館、博物館(3,000以上)が入場無料になり、我が街バルセロナでも市内に点在する50以上の美術館、博物館が午前1時まで入場無料になるという、美術館好きには堪らない企画が開催され、真夜中まで美術を楽しむ人達で賑わっていました。



週末の夕暮れ時に、ちょっと着飾って恋人や友達と街中に繰り出し、日が暮れるまで命一杯おしゃべりを楽しむ。そんな彼らを後押しするかの様に公共側が様々な企画を用意している。そんな光景を目の当たりにすると、「やっぱり地中海の住民達というのは人生の楽しみ方を知ってるよなー」と思わずにはいられません。っていうか、この地域の人達ほど、街を自由に使いこなし、どんな時でも人生を謳歌する事を忘れない、いや、人生を楽しむ事に執念を燃やしている民族はいないのでは?と、心の底からそう思う程なんですね。



かく言う僕も昨日は夜中まで美術館をハシゴしてたんだけど、真夜中に訪れる美術館というのは昼とは又違った幻想的な雰囲気を醸し出していて、特にリチャード・マイヤー設計のバルセロナ現代美術館(MACBA)なんて昼夜で全く違った顔を見せてくれるから驚きです。



全面ガラス張りのファサードからは、スロープを上り下りする人達の影が浮き彫りになり、それ自体がまるで芸術作品であるかの様ですらあります。



今回僕がバルセロナ現代美術館を訪れたのは23時くらい(イタリア人達の間でも「本場ナポリの味を忠実に再現している!」と評判のイタリアンレストランでマルガリータを軽く頬張った後)だったのですが、ディナー前の時間を利用して昨日最初に訪れた美術館がコチラです:



じゃーん、モンジュイックの丘の上に堂々と聳え立つカタルーニャ州美術館(MNAC)。世界屈指のロマネスク美術の宝庫であるこの美術館については、当ブログではことある毎に言及してきました(地中海ブログ:カタルーニャ美術館(Museu Nacional d’Art de Catalunya(MNAC))開館75周年記念展覧会:ドラゴンの違いに見るヨーロッパとアジアの違い、地中海ブログ:ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、1120−1180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180))。ちなみにこの美術館、最近館長さんが変わって、現在は元ピカソ美術館長だったペペさんが館長を務めています(地中海ブログ:バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情)。そんなカタルーニャ州美術館が誇る、というかカタルーニャが誇る必見のお宝中のお宝がコチラ:



ピレネーの山奥にひっそりと佇むロマネスク教会の祭壇に掲げられていた、息を飲むほど美しい壁画や祭具の数々なんですね。



カタルーニャ州美術館にはこの様な素晴らしいロマネスク時代の芸術作品が「これでもか!」と言うくらい沢山収蔵されているんだけど、この裏にはちょっとした逸話が隠されていて、と言うのも、それまで山奥の中で殆ど見捨てられ、手入れもされていなかったロマネスク教会から、良く言えば「それらの芸術作品を後世に残す為に」、悪く言えば「元あった場所からそれらの壁画を引き剥がしてきた」と、そう言う事が出来るからなんです。勿論剥ぎ取られた壁画があった場所には瓜二つの作品が描き直され、今でもロマネスク教会を訪れる人々に唯一無二の体験を提供してくれていますし、美術館に運ばれたオリジナル作品の方は、丁寧に修復された上で、美術館内に教会の空間構成を忠実に再現しつつ我々の目を楽しませてくれていると、まあ、そういう訳なんです。



美術館内に再現された空間構成は、特に教会のアプス部分(教会の一番奥の丸くなってる所)が大変丁寧に創り込まれ、その前に建つと、現地の教会においてロマネスクの壁画や祭具などが「どの様に配置されていたのか?」が直感的に分かる様に工夫がされています。裏側から見ると、こんな感じ:



そしてこの様な素晴らしい壁画と共に見逃せないのがコチラです:



何とも素晴らしい祭壇画の数々なんですね。この祭壇画なんて、当時の処刑方法を描いたものだと思うんだけど、ロマネスク風にデフォルメ化されてると、これが結構笑えたりする。



これなんて「煮えたぎる鍋の中に放り込まれるー!」っていう何とも恐ろしい地獄絵なんだけど、こうして見ると、二人でお風呂に入ってるみたいで何とも微笑ましい(笑)。もしくはコチラ:



なんかノコギリで切られてるし‥‥。

さて、今でこそロマネスク教会やロマネスク美術といったものは「カタルーニャが世界に誇るお宝」という事になってるんだけど、実はカタルーニャがそんなお宝を発見したのは意外にもごく最近、20世紀に入ってからの事だと言ったら皆さん驚かれるでしょうか?

ロマネスク関連で国際的に知られているのは、モデルニスモ期の建築家プッチ・イ・カダファルクが1909年から1918年にかけて著した大著「カタルーニャのロマネスク建築」という本かな。これが「カタルーニャのロマネスク研究の基礎を築いた」という事になっていて、かのフェルナン・ブローデルも「地中海」の中でカダファルクのこの本に言及してるくらいですからね。ちなみに僕はこの本のオリジナルが欲しくて、数年前、古本屋をぶらぶらしていた時に偶々見つけたんだけど、3,000ユーロ(日本円で30万円相当)とか言う高値が付いていてビックリした覚えがあります。



で、ここからが面白い所なんだけど、確かにプッチ・イ・カダファルクはその大著によってロマネスク研究の基礎を築いたって事になってるんだけど、実はそれ以前にロマネスク研究の筋道を付けた人物がいたという事は意外と知られていません。何を隠そう、その人物こそドメネク・イ・ムンタネールだったのです(地中海ブログ:リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech i Montaner)によるモデルニスモ建築の傑作、サンパウ病院(Hospital de la San Pau):病院へ行こう!どんな病気も直ぐに治るような気にさせてくれるくらい雰囲気の良い病院、地中海ブログ:リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech I Montaner)の傑作、カタルーニャ音楽堂:コーディネーターとしての建築家の役割を再確認させてくれる名建築)。



ドメネク・イ・ムンタネールと言えば、ガウディのライバルでありカタルーニャ音楽堂やサン・パウ病院など数々の傑作を生み出してきたモデルニスモ建築の巨匠中の巨匠として知られているのですが、そんな彼は実は大変熱心な研究者としての顔も持っていて、その功績の一つがカタルーニャの山奥に眠っていたロマネスクの価値を見出したって事だったのです(注意:これは別に彼が最初にロマネスクを発見したと言っている訳ではありません)。



記録に残っている所では1879年にバルセロナ近郊のサンクガットの修道院に調査に行った際の記述があったり、そのちょっと後(1893年の4月、10月、11月)にはカタルーニャ地方の南西方面へロマネスク教会を訪ねる旅行をしてたりします。

それ以来、彼は若手建築家などを同伴しては、ちょくちょく現地調査に行き、写真やスケッチを残してたりするんだけど、その記録がちょっと凄いんです!何が凄いって、当時のカタルーニャにおいてロマネスクが如何に扱われていたのか、どんな待遇を受けていたかという事が明白な写真が目白押しだからなんですね。例えばコチラ;



この写真は、数あるロマネスク芸術の中でも最高峰に位置するサン・クリメント教会の「全能者キリスト」の壁画なんだけど、そのお宝中のお宝の上に、何か訳の分からない異物が、まるでその絵画を隠すかの様に蔓延り付いているのがはっきりと見えるかと思います。



コチラはその部分の拡大写真。本当ならアプスの奥に下記の様な素晴らしい壁画が見えるはずなんだけど、5つ程の三角形の尖塔みたいなものが邪魔してその壁画が見えなくなっているのが分かるかと思います。



これは一例でしかないんだけど、この様な驚くべき事態が当時のカタルーニャ社会では普通に行われていたという事なんですよ!ここでは「何故こんな事が行われたのか?」の詳細には立ち入りませんが、一つだけ言っておくと、この写真こそ、我々の価値観と言うものが如何に短い間に変わっていくのか?という事の動かぬ証拠だと思います。だからこそ我々は「歴史を学ぶ必要性があるのだ」という事を思い出させてくれますね。



この様な、息を呑むほどのお宝で一杯のカタルーニャ博物館のコレクションは大きく分けて3つの分野に分かれています。今日紹介したロマネスク部門はそれらの内の一つでしかありません。それに加えて2階にはラモン・カザスを初めとするコレ又素晴らしい絵画やジョセップ・リモナのうっとりする様な彫刻群などのコレクションがザックザック!バルセロナに来られたら必見の美術館である事は間違いないと思います。

それにしてもロマネスク美術は見れば見るほど新たな発見があり、「それがロマネスク美術の醍醐味なのかなー」とか思いつつ、今年の国際博物館の日は過ぎていきました。

追記:
寝ぼけていたせいか、バルセロナ現代美術館の建築家をリチャード・ロジャースとしてしまいました。Twitterで指摘してもらって気が付きました。正しくはリチャード・マイヤーです。訂正済み。
| スペイン美術 | 03:48 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)で開かれている印象派展 (Impresionistas):エドガー・ドガ(Edgar Degas)の画面構成は非常に建築的だなーとか思ったりして
日曜日の午後、以前から行きたかった「印象派;Clarkコレクションからのフランスの巨匠達展(Impresionistas, Maestros franceses de la coleccion Clark)」に行ってきました。



カイシャ・フォーラムというのはスペインの銀行、ラ・カイシャ(La Caixa)が運営している文化施設の事で、その豊富な資金をバックに年間を通して大変興味深い展覧会や講演会、はたまた音楽会などを企画している比較的新しい文化センターの事なんですね。しかもその殆どが無料ときてるものだから、財布の紐が固い(言い方を変えればケチ(笑))なカタラン人達には絶大な人気を誇っている文化施設でもあります。ちなみに現スペイン国王、フアン・カルロスとソフィア王妃の次女、クリスティーナ姫が以前勤めていた機関もこのラ・カイシャグループの一つでした(詳しく言うと、彼女が勤めていたのはラ・カイシャ財団)。



そんなカイシャ・フォーラムはカタルーニャ・モデルニスモ三銃士の一人、プッチ・イ・カダファルクによって20世紀初頭に建てられた工場の中に入っています。ちなみにこの建物が位置しているのは、近代建築の珠玉の作品、ミースによるバルセロナパビリオンの真ん前(地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pavilion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavilion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその1、地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pabillion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavillion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその2)。

元々この工場は1913年、当時絶好調だった企業家Casimir Casaramonaさんの為に建設され、その6年後(1919年)には早々と操業を停止してしまったのですが、1940年から1992年まで警察署として使用され、その後2002年に大規模な改修を経て文化施設として蘇るという経緯を辿っています。それ以来、リチャード・ロジャース展に始まり、現代スペインを代表するアーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)氏の大規模な展覧会を開催するなど、非常に質の高い数々の文化的な活動を提案企画してきているんですね(地中海ブログ:リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad、地中海ブログ:スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative)。


ルノワール:コンサートにて:1880年;クラーク美術館

そんなカイシャ・フォーラムで現在開催されているのが「印象派展」なんだけど、副題から明らかな様に、この展覧会はアメリカ、マサチューセッツ州にあるSterling and Francine Clark Art Instituteの所蔵するコレクションで構成されている展覧会となっています。Sterling and Francine Clark Art Instituteという美術館は、20世紀初頭にパリに住んでいたクラーク夫妻が集めた美術コレクションが元になってる私設美術館らしく、印象派を中心とした絵画が多く集められているんだそうです。特にクラークさん夫妻が熱心に収集していたのがルノアールの絵画らしくって、初期の重要な作品郡がコレクションに加えられているのだとか。ヘェー、ヘェー、ヘェー。今回の展覧会には、このSterling and Francine Clark Art Instituteから70点余りもの印象派の作品が来西していて、その中にはルノアールは勿論の事、モネ、シスレー、マネからドガまで大変見応えのある内容となっています。


ルノワール:団扇を持つ若い女:1879―80年;クラーク美術館

実はスペイン人って印象派が大好きで、その辺は日本人と通じる所が多分にあると思うんだけど、「印象派の絵画が纏まってやって来る!」って事で、開催前から各種メディアが大々的に宣伝をし、公開日から最初の数週間なんて「連日超満員」っていう映像が「これでもか!」とテレビを通じて報道されていたのが印象的でした。かくいう僕も、この展覧会が始まった直ぐの11月に行ってみたんだけど、これが物凄い人で、絵画を見る所じゃなかったんですね。個人的に美術鑑賞は静かな環境でゆっくりと心行くまで楽しむのを信条としているので(まあ、誰でもそうだとは思うのですが)、その時は泣く泣く諦めて帰る事に。で、年明け、ちょっと寒くなってきたので「カタラン人達はこんな寒い日には外なんかへは出歩かないだろう」と思っていたら、これが大当たり!結構空いてて、ゆっくりと絵画を鑑賞する事が出来たという訳なんです。


ルノワール:鷹を持つ少女:1880年;クラーク美術館

さて先ず最初に、と言うか僕なんかが言う事でも無いとは思うんだけど、元々「印象派」っていう言葉って、ルノワール、セザンヌ、ドガやピサロなんかが1874年の4月にパリのBoulevard des Capucines通りにあった、写真家のNadarさんのスタジオで開いた展覧会を見たジャーナリストが、その時受けた印象から「印象派」という名前を付けたというのが始まりだったと言われています。つまり、このエピソードが如実に示す様に、印象派と言われる画家達っていうのは、そもそも何か確固たる一つの美学や主義を共有していた訳では無かったという事なんですね。


Giovanni Boldini:穏やかな日々:1875年:クラーク美術館

まあ、その辺の話は掘り返していくと結構面白くて、話し出せばキリが無いとは思うんだけど、今回は印象派の歴史や背景なんかには立ち入らず、この展覧会で僕が大変感銘を受けた作品について述べていきたいと思います。それがこの作品です:


エドガー・ドガ(Edgar Degas):バレエ教室のダンサー達:1880:クラーク美術館

じゃーん、エドガー・ドガ(Edgar Degas)のバレエ教室のダンサー達(Dancers in the Classroom, 1880)。この作品が素晴らしかった!ルノアールの作品、特に「コンサートにて」も素晴らしかったんだけど、それ以上にドガの計算し尽くされた構図や大胆な画面構成、そして光と影による絶妙な表現とその効果に心を奪われてしまいました。

では何がそんなに素晴らしかったのか?何が僕をそれ程まで魅了したのか?

それは、この比較的小さな長方形の中に描かれている全ての要素(ダンサー達のポーズや立ち位置、彼女達の表情から背景に至るまで)が、キャンパスを右手方向手前から左手方向奥へと斜めに貫く流れ(物語)を創り出す為だけに捧げられているという事。様々な要素が複雑に絡み合いながらも、一つの目的に向かって「バシッ」と決まっている、そんな瞬間が立ち現れてくる事に心が震えるのです。

先ず、この絵画に流れる「物語」は、右手前方で椅子に腰掛けている少女から始まっています:



この片足を立て掛けながらキャンパスの外側を向いている少女と、その横に座り、片足を伸ばしている少女。



この2人のバランスが驚くほど良いですね。この2人目の少女は、最初のダンサー(座っている少女)から始まった流れを、正にその投げ出した足が示唆するかの様に、3人目のダンサーへと受け渡しています。



誰でも気が付く様に、3人目のダンサーは、最初の2人が座っているのに対して、少し距離を置きながら立っています。先ずは此の距離感が絶妙です。この距離がある事によって、この3人の少女達の中に「ある種のリズム」が生まれ出ている。つまりは最初の二人でついた助走が、3人目のダンサーとの間にある空間で一気に膨れ上がり、その勢いのままに後ろへと流れを押し出すかの様な‥‥という意味においてです。

そして注目すべきは、この画面の中には近景と遠景という様に、2つのグループが創り出されているという点です。つまりは、前方の3人と後方の4人という2つのグループが存在し、それらが右手手前から左手奥へと流れを創り出している事によって、実に見事なリズム感を醸し出しているんですね。



ドガについては良く言われる様に、日本芸術が与えた影響、つまり19世紀後半のジャポニスムという現象が指摘されているのですが、とは言っても、彼の作品に直接的に日本的なモチーフが書き込まれていたり、彼自身が日本美術への興味を明言したりという事ではなく、それは彼の作品に見られる構図の特徴、つまりは斬新な対角線構図だとか、近景におけるクローズアップや大胆な切断など、明らかに浮世絵と共通する特徴を有するという意味においてなんです。今回の「バレエ教室のダンサー達」における2つのグループ分けによる近景と遠景の強調は正にその好例だと言っても過言では無いと思います。



さて、ここでキーとなるのが、実はこの3人目のダンサーの子なんだけど、この子が右側から来た流れを受け止めつつ、後ろに居る次のグループのダンサー達に流れを受け渡すという役割を果たしています。その事が、この3番目のダンサーの娘が「立っている」という事に集約されていると思うんだけど、何故かというと、それは「立っている事」によって、後ろのダンサー達が「如何に小さいか」と言う事を測っているからなんですよ。ここは秀逸!



さて、受け渡された流れは、後方にいる4人組に受け継がれる事になるんだけど、実はここにも幾つかの仕掛けがしてあって、4人組はテンポよく右側のダンサー(3番目のダンサーの陰に隠れて殆ど見えない)から左側へと移って行く事になります。そしてそのリズムが、彼女達の間に設けられた「空間の均等性」によって表現されているんだけど、その中で注目すべき所がココです:



そう、一番最後のダンサーの姿。実は彼女の前の空間だけ、それまでに比べて幅がかなり大きくとられ、更に彼女が向いている方向が「物語の流れ」とは逆方向である事が分かるかと思います。つまり彼女の役割とは、今まで受け継がれてきた「流れ」を受け止めキックバックさせる、もしくは、手前でオープンエンドに終わっていく流れの「余韻を創り出す」という事にある訳なんですね!それは彼女が伸ばしている足の方向にも如実に表れています。正に今までの流れを「受け止める」かの如くにキックしています。



こういう表現は言うなれば、以前紹介したラペーニャ&エリアス・トーレスの傑作、トレドにあるエスカレーターの最後部分のデザインに見る事が出来ます(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



そして見落としがちだけど非常に巧いのが、これら7人のダンサーによって創り出された流れと直角に交わるかの様に描き出されている床の線です。この絵の中心的な構図である「7人のダンサー達が右手前方向から左手奥に進むに従って小さくなっていくというリズム感」を強調する為に、わざわざダンサー達の創り出すリズムとは逆行するかの様な方向に描かれているのが床の線なんですよ。



これら床の線が右手奥から左手前に流れている事によって、ダンサーの動きと大変絶妙なバランスを取っている訳です。更に更に、これらの流れや「対角線に動く構図」をより一層豊かなものにしているのが、この絵画の長方形という特異なサイズなのです。正方形ではなく横長である事によって、対角線の流れが強調され、物凄く生きている事が分かるかと思います。

今まで述べてきた、これら全ての事があたかも螺旋を描くかの様に絡み合い、互いの要素が互いを高め合う事によって「ハスに構える」という状態に昇華している‥‥素晴らしい!見事な空間構成です。



ちなみにこの様な「ハスに構える」という構成をとっている名建築としては、坂本一成さんによる住宅S、ジャン・ヌーベルによる国立ソフィア王妃芸術センター、もしくはチッパーフィールドによるバルセロナの裁判所なんかが挙げられるかと思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)、地中海ブログ:デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):建築間の対話による都市風景の創出)。

巧い、非常に巧い!平面的であると同時に、非常に動的であり、そして建築的だなー。ハッキリ言って全く予期していなかった展開だけに、感動もひと際です。バルセロナ在住者だけでなく、観光に来られる方にも是非お薦めしたい展覧会です。
| スペイン美術 | 04:33 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!
昨日の夕方(7月7日)の事だったのですが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に保管されている、12世紀にローマ教皇カリクストゥス2世によって記されたとされる「カリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)」が消失したと言うニュースが飛び込んできました。



カリクストゥスの写本とか一体何か?と言うとですね、簡単に言えば、フランス各地からピレネー山脈を経由しサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂まで続く巡礼の道、「サンティアゴの道」をどうやって歩くか?と言う事が示されたマニュアル本であり、世界で始めて書かれた旅のガイドブックの事なんですね。



現在でもサンティアゴの道を巡礼に訪れる人は後を絶たず、特に去年2010年はサンティアゴ大聖堂建立800周年記念と言う事で、世界中からカトリック教信者や観光客の人達を数多く惹き付けた事が頻繁にニュースになってたりしたんだけど、それら巡礼者が道中でどの様に振舞わなければならないのか?現地の地理や風俗などはどうなっているのか?など、サンティアゴの道、その全ての基礎となる事柄が記された本、それが今回消失した「カリクストゥスの写本」と言う本なのです。

そんな、全人類の宝とも言える写本が突然消失したと言う事で、日本を除く世界中が大騒ぎしてるんだけど(苦笑)、時間が経つにつれて今回の事件の驚くべき真相が段々と明らかになってきました。

今日の新聞によると、昨日の段階では「消失した」と報道されていたのですが、どうやらカリクストゥスの写本は「何者かに盗まれた可能性が高い」と言う報道に切り替わっていました。更に犯人はこの写本を私的なコレクションに加える事を目的にした億万長者のアートコレクターでは?と考えられ、実際に犯行に及んだのは、彼もしくは彼女に雇われたマフィアが絡んでいるのでは?と言う推測もなされています。何故こんな事が言えるのかというと、今回盗まれた写本の価値は計り知れず、市場に出れば日本円で11億円は下らないだろうと見られる為、直ぐに足が付き、その可能性は低いと言う事がその一番の理由だそうです。

そして今回の事件で露呈してしまったもう一つの非常に重要な側面、実はそれがサンティアゴ大聖堂が保管している最重要書籍の大変ずさんな管理体制でした。

今日の新聞(La Voz de Galicia:これはガリシア版のLa Vanguardia)は一面から5ページぶち抜きで大聖堂のセキュリティ体制と、考えられうる犯行ルートを詳細に検討していたんだけど、それによると、この写本が保管されている場所まで辿り着く為には、少なくとも4段階のセキュリティを潜り抜けなければならないのだとか。

先ず第一段階はチケットを買って聖堂内に入り、古文書館へと続く扉まで辿り着く事。ここには観光客を含め、入り口でチケットを買った全ての人がアクセスする事が出来ます。

第二段階は聖堂の一角を占めている2階建てになってる古文書館への入り口なんだけど、ここに入る為には入場許可証が必要で、入り口にあるブザーを押して、中から鍵を開けてもらう必要があるそうです。入り口には5台の監視カメラが備え付けられています。

第三段階は写本が保管されている2階部分への古文書館へのアクセスなんだけど、その為には、古文書館長を含めた3人の内の一人に許可を得る必要があり、彼らのオフィスの前を通過する必要があるそうです。

最終段階は古文書館の中でも最も大切な書籍などが集められている特別室に入らなければならないんだけど、ここの鍵を持っているのは先程の館長を含めた3人だけ。つまりこの3人の内の誰かに鍵を開けてもらわない事には入る事は出来ないんだとか。

この様な、結構ハードルが高い4段階のセキュリティを潜り抜けなければ写本には辿り着けず、普通に考えたら無理っぽいんだけど、では何故今回の様な犯行が可能になったのか?

どうやら警察の調べによると、驚くべき事が判明しちゃって、実は特別室の鍵は通常開けっ放しになってて、2階の古文書館へ入る事さえ出来れば、誰でも特別室に保管されているどんな書籍でも閲覧可能な状態だったそうなんですね。そしてその2階へのアクセスも、それ程コントロールされている訳ではなかったのだとか。その証拠に、今回の盗難が発覚しサンティアゴ大聖堂が警察へ盗難届けを出したのは火曜日の午後の事だったそうなんだけど、古文書館員が写本の存在を最後に確認したのは木曜日か金曜日の事だったそうなんですね。つまり少なくとも金曜日(もしくは木曜日)から火曜日の午前中に盗難に気が付くまで、4日間もの間、誰もそれをチャックしてなかったと言う事なんですよ!

今回の犯行は、この様な大聖堂側の大変ずさんな管理体制を利用した犯行だと考えられています。

・・・大聖堂側は勿論、新聞さえ書いてないけど、これってどう考えても内部事情に詳しい人物の可能性が強いですよね。少なくとも特別室へアクセスするには館長の許可が必要なのですから・・・。まあ、幸いにも、木曜日から火曜日の午前中までに特別室にアクセスした人の全ての記録は残っているそうなので、警察が真面目に調べ、そして大聖堂側が捜査に協力すれば、直ぐに怪しい人物の特定ぐらいは出来るでしょうけどね。大聖堂側が捜査に協力すればね。

一日も早く人類の遺産であるカリクストゥスの写本が戻ってくる事を願っています。

追記:
今日の新聞(7月9日)に、各国の新聞が今回の事件をどう報じているのか?と言う事が載っていました。概ねどの新聞も「大事件」として報じているのですが、その中でもワシントンポストはカリクストゥス写本をプラド美術館のラス・メニーナスと比べていて興味深かった。以下にその部分を訳してみました。

計り知れない価値を持つカリクストゥス写本を警察が捜索

Busqueda policial de la obra de valor incalculable


ワシントンポストは、今回起こってしまった盗難の原因の捜索と、既に写本がスペインの国境を超えた場合を想定して、警察が国際的な警報を発した事を大々的に報じている。アメリカ合衆国の新聞は、今回の盗難はプラド美術館からベラスケスの代表作ラス・メニーナスが盗まれるのと同等に値する事件であり、写本に値段を付ける事は不可能であると説明している。
El Washington Post resalto la investigacion policial a raiz del robo y la alerta internacional para tratar de localizerlo fuera de Espana, en el caso de que haya cruzado la frontera. El periodic norteamericano explica a sus lectores que la sustraccion equivale al hurto de Las meninas del Museo del Prado y que es imposible ponerle precio al codice.

| スペイン美術 | 21:15 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
知られざる美術館、ダリ宝石美術館:動く心臓の宝石はダリの傑作だと思う
昨日は所要で、バルセロナから電車で2時間程北上した所にある町、フィゲラス(Figueres)に行っていました。フランスとの国境近くに位置するこの町は、20世紀を代表するアーティスト、サルバドール・ダリの出生地として知られ、ダリの作品を取り扱った美術館としては世界最大規模を誇る、ダリ美術館(Dali Teatre and Museum)がある事で大変有名なんですね。



このダリ美術館、上述した様にバルセロナから電車で2時間強と、時間が無い観光客の皆さんにとっては決して利便性が良いとは言えないのですが、稀代の芸術家、サルバドール・ダリの残した作品が数多く展示されていると言う事などから、国内外から毎年数多くの観光客を惹き付ける事に成功しているんですね。この小さな町の小さな美術館が、集客力で言うと、サグラダファミリア、ピカソ美術館に次ぐ第3位につけていると言うから驚きです(地中海ブログ:世界の観光動向とカタルーニャの観光動向2008



そんなこんなで国内外に大変知れ渡っているダリ美術館なのですが、一風変わったこの美術館が実は2つの異なったパートから成り立っていると言う事は案外知られていません。



つまり、こんな作品が展示されているパートの方は国内外に広く知られ、ダリ美術館と言ったらコチラの方を指す事が殆どだと思うんだけど、その傍らにそっと開設されているダリ宝石美術館については、その存在は意外と知られていないと思うんですよね。



しかしですね、実はこのダリ宝石美術館、「わざわざフィゲラスまで来て、これらの宝石を見ずに帰ったら、ダリの作品を半分も見ていないんじゃないの?」って思っちゃうくらい、質の高い作品を所蔵しているんですよ!ハッキリ言って、この宝石部門を見に来るだけでも、フィゲラスに来る価値は十分にあると思うくらいです。例えばコチラ:



目を形取った時計の宝石です。青色ベースの中に一点、目じりの部分に赤色のルビーを持ってくるセンスは流石ですね(2011年1月現在、こちらの宝石はMNAC(カタルーニャ美術館)で開催中の特別展、“芸術家達の宝石展:モデルニズモから前衛まで”展に出展中)。この写真とか結構カッコイイかも:



もしくはコチラ:



唇を形取った宝石。真っ白な真珠と真っ赤なルビー、そしてそれらによって表された歯と唇の対比が大変美しい作品です。そして3年前、僕が初めてこの美術館を訪れた時、度肝を抜かれた作品がコチラです:

し、心臓が動いてるー!これは凄い!!と言うか、芸術作品を見て、久しぶりにビックリしました。こういう方向を目指してきたダリ芸術の中においては最高峰の一つなのでは?とすら思います。

作品の構成も非常に巧みで、黄金に形取られたハートの一部を切り取って、その中にルビーで表された真っ赤な肉塊部分が「ドクン、ドクン」と動いているって言う構成になってるんですね。多分、この赤い部分だけが脈を打っていたら、かなりグロテスクに見えると思うんだけど、心臓のイコンであるハートの黄金部分がある事で、それ程生々しくなってなく、センスの良い一品に仕上がっていると思います。

凄い、これは凄い!バルセロナから往復で4時間ちょっとかかっちゃうけど、「定期的に見に来たい」、そう思わせてくれるくらいの質を持った作品です。あー、楽しみが又一つ増えた!
| スペイン美術 | 05:43 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館の成した歴史的大発見:ピーテル・ブリューゲルの新作発見
ここ数日、様々な分野で何かと目新しい発見が続いています。

一昨日の事なのですが、アメリカの科学者達によって、人類を長い間苦しめ、今でも年間100万から150万人程の死者が出ていると言われているマラリアの病原菌の起源を発見したと言うニュースがありました(La Vanguardia 23 de Septiembre 2010)。近々詳しい論文が科学誌Natureに掲載されるらしいんだけど、どうやらマラリアと言う病気はゴリラに寄生している寄生虫がその原因らしいんですね。スペインの新聞でこの記事を読んだ時、「マラリアの元凶はゴリラについてる細菌らしい」ってTwitterでつぶやいたら、マラリア研究の専門家の方から、「おしい!細菌じゃなくて寄生虫です」みたいなつぶやきが帰ってきてビックリ。「普通に生活してたら絶対知り合わなさそうな業種の人から返事が来るなんて、何て凄い世の中になったんだ!」と、ニュースそのものよりも僕達を取り巻くコミュニケーション環境の移り変わりの凄さに驚かされました(笑)。

今週第二の発見は、今日の新聞(La Vanguardia 24 de Septiembre 2010)に載ってたのですが、アラゴン州にある小さな町、テルエル(Teruel)でヨーロッパで今まで発見されたものとしては最大である恐竜の脚の骨の化石が発見されたと言うものでした。骨の形状などからこの化石はトゥリアサウルス・リオデベンシス(Turiasaurus riodevensis)の脚だと今の所は考えられているようなのですが、もしかしたら新種の恐竜の可能性も捨て切れないとの事。先日はアルゼンチンか何処かで、鳥と恐竜の相の子みたいな生物の化石が発見されて、それが恐竜の進化の解明に繋がるみたいな話とかあったけど、何気に恐竜とかロマンがあってワクワクしますよね。

そして昨日、バルセロナではPalau Fabra財団でピカソの新作が発見されたと言う記事が地元の新聞(La Vanguardia 22 de Septiembre 2010)に載っていました。と言っても、簡単なスケッチなんだそうですけどね。



まあ、ピカソは彼の代名詞とも言えるキュビズムを始める前まではバルセロナに住んでたんだから、彼の作品があちこちから出てきても全く不思議じゃ無いと言う事は言えるかなとは思います。そんな「ピカソがピカソになる前」と言うコンセプトでバルセロナが上手い事プロモーションをして創った美術館がバルセロナ旧市街地にあるピカソ美術館(地中海ブログ:バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情)。偶然にも昨日はこのピカソ美術館でミーティングがあって、その会議が始まる前に館内にあるカフェで朝食とか食べてたんだけど、何時の間にか中庭にテントとか張られてて感じの良いカフェが出来てて、ちょっとビックリ。



唯、デザイン的に見たら(どちらかと言うと)ミロっぽいと思うんだけど、やっぱり屋外は気持が良いから、ま、いっか。

そしてですね、実はこの同じ日に、マドリッドのプラド美術館で美術界全体を揺るがす様な世紀の大発見が成されました。それが、ピーテル・ブリューゲルの新作(El vino de la fiesta de San Martin)の発見なんですね。ピーテル・ブリューゲルと言えば、その繊細で精密な画風で知られる16世紀フランドルを代表する画家で、代表作などには大変有名なバベルの塔なんかがある画家です。



ヒロエニスム・ボッシュの影響なんかを受けて、妖怪の絵なんか描いている事でも知られていますね(地中海ブログ:ベルギー王立美術館(Musees royaux des beaux-arts de Belgique)のピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude)とかバベルの塔とか)。そう言えば妖怪と言う事で思い出したんだけど、先月日本に帰った際にジャンプでチラッと「ぬらりひょんの孫」みたいなマンガを眼にして、それ以来結構気になってたんだけど、先日Youtubeで第一話みたら結構面白くて、今はまり中(どうでも良い雑談終わり)。

ブリューゲルに話を戻すと、彼の作品はベルギー王立美術館(Musees royaux des beaux-arts de Belgique)、そして一昨年訪れたウィーンの美術史美術館で死ぬ程見ました。政治的な理由から彼の作品の多くは故郷であるベルギーでは無くて、オーストリアの方に多く所蔵されてるみたいなんだけど、やはりその画家が育った街の雰囲気を味わいながら、その画家の故郷で見る絵画というのは、格別なものがあると思います。



例えて言うなら、イタリアバロックの巨匠、カラヴァッジョの作品を照明が煌々とたかれた美術館のホワイトキューブの中で見たってなかなか理解出来ないと言うのと同じだと思います。カラヴァッジョが何故にあんなにも明暗の対比を明確にしたのか?と言う事は、電球が無かった当時の暗い教会の中で見てこそ理解出来るものだと思うし、又その絵画の醸し出すドラマチック性に感動すると思うんですけどね。

さて、今回の大発見は「プラド美術館の歴史始まって以来」と言われる程騒がれているのですが、それは一体何故か?(下の絵が今回発見された新作、El vino de la fiesta de San Martin)



幾つか理由があるとは思うのですが、今回発見された絵画は現存するブリューゲルの絵画の中でも傑作に位置付けられる程の質を持っていると言うのがその大きな理由なんだそうです。絵画の特徴としては、第一にその大きさが挙げられます。その大きさ、なんと148×270.5センチメートル。このサイズは現存するブリューゲル作品の中では最大のものだそうです。そして何よりも珍しいのが、この絵画が描かれている素材らしいのですが、通常のキャンパスではなくて、絹地(Sergeと言う素材)に描かれているのだとか。そして使用されている画法も油彩ではなく、テンペラを用いているんだそうです(テンペラと言うのは、水性と油性を混ぜ合わせた絵の具なんだそうです)。絵のテーマとしてはブリューゲルが好んで描いたワインの収穫を喜ぶ構図が採用されているのですが、構図の美しさ、そして余す所無く用いられた彼の卓越されたテクニックなどが相まって、この絵をかなりの完成度にまで高めている事が分かるかと思われます。

では一体、これ程までに見事な絵が、何故今まで知られて来なかったのか?

どうやらこの絵の存在自体については17世紀頃に描かれたコピーから分かってはいたらしいのですが、オリジナルを描いたのは一体誰なのかを含め、その行方も在りかも、何もかもが不明だったそうなんです。と言うのも当時ブリューゲルは書き終わったこの絵画を直接スペインの貴族に寄贈して、それ以来その家族がずっと保持してたそうなので、今まで一度足りとも人の目に触れる事は無かったそうなんですね。で、今回何故この絵が日の目を見る事になったのかと言うと、どうやらその家族がこの絵を売る為に中間業者に競売に掛けてくれるよう依頼した所、その業者がプラド美術館に絵の鑑定と修復を依頼し、そこで調査した結果、今回の大発見に至ったと言う経緯があるそうです。

ブリューゲルが生きていた時代と言うのは、フェリペ2世の統治下で、彼はヒロエニスム・ボッシュの絵を非常に愛好していた事から、ボッシュの絵画を沢山購入しスペインに持ち帰っていました。僕達が今、プラド美術館でボッシュの代表作(快楽の園:プラド美術館所蔵)なんかを見ることが出来るのは、このようなフェリペ2世のおかげなんだけど、彼はボッシュだけではなくて、その弟子達の絵を購入していたことでも知られているんですね。そういう当時の社会文化的なコンテクストを考慮すると、今回マドリッドでブリューゲルの新作が発見されたと言う事はそんなに驚くべきことではないんだけど、奇しくも同じ日にバルセロナとマドリッドで同時になされた芸術の新作発見の質的な差異を見るに付け、「やっぱりマドリッドはスペイン帝国の首都だったんだなー」と言う事に思いを巡らさずにはいられません。

でも、何か、マドリッドがそんな歴史的な大発見をしただとか、マドリッドはやっぱり何百年と続いてきた文化的遺産が凄いとか言う話を聞くにつれ、「なにくそ」と悔しい思いに駆られる僕は、何時の間にかカタラン人に洗脳されているのかもしれませんけどね(苦笑)。
| スペイン美術 | 05:07 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative
今週金曜日からバルセロナではモンジュイックの丘にある銀行系の文化施設カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)にて、スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)氏の展覧会、Miquel Barcelo 1983-2009, La solitude organisativeが開催されています。



例のごとく、全く関係無い話から始めたいと思うのですが(笑)、バルセロナにはミケル・バルセロという名で知られている人物が少なくとも3人います。一人目は政治家で22@BCNの会長を勤め、La Ciutat Digitalなどの著作もあるミケル・バルセロさん。今は確かFundacio b_TECの会長だったかな。2人目はカタルーニャ工科大学の教授であり、工科大学サステイナビリティ顧問にしてヨーロッパSF賞の創設者でもあるミケル・バルセロさん。そして3人目が今回紹介するアーティストのミケル・バルセロさんなんですね。個人的にはカタルーニャ工科大学のミケル・バルセロさんとは昔から仲が良いのですが、最初の内はえらくとまどいました。「え、ミケルさんってSFにも詳しくて、情報学部の教授なのにアートもやってるんですかー!!!」みたいな(地中海ブログ:
カタルーニャとSF)。

そんなどうでも良い話は置いといて、今回の主役である現代アーティストのミケル・バルセロ氏の近年の活躍ぶりには目を見張るものがあります。最近話題となった所では、約22億円(1850万ユーロ)をかけて2008年に完成したジュネーブ(Geneve)の
国連欧州本部の人権理事会Human Rights and for the Alliance of Civilisations at the United Nations, Geneva本会議場「Room XX」の天井装飾なんかは非常に有名ですよね。



「海と洞窟、それは表面性と内面性を表しているが、その基本的な宇宙観をまずは表現したかった。垂れ下がった鍾乳石のような形は、赤、黄、紫など、色も
形も1つとして同じものはない。それはまるで、人権委員会に集まる異なる言語と異なる意見を持つ人々のようだ」 ミケル・バルセロ

ナルホドなー、上手い事言うなー。こんなコンセプトの下、様々に彩られた氷柱をどう表現するのか?など技術的な安全性の問題なども含めて約1年間アトリエで研究し、その後13ヶ月かけて創り上げられた傑作がこの天井装飾だったんですね。ちなみに下記の写真は当時何度となくスペインで報道されたものなんだけど、絵の具を天井に吹き付ける際に、ガスマスクをして作業に当たっている様子を撮影したものだそうです。



この傑作が世界中に発表された時のスペインメディアの騒ぎようと言ったらすごいものがあったんだけど、まあ、アートと言うのはその国の成熟度を測る指標であり自国のアイデンティティを確立する為の道具として政治的に利用されてきたという歴史的事実を考えれば特に驚くべき事でも無いかな(地中海ブログ:
パリ旅行その8:公共空間としての美術館。つまりアートって言うのはある意味、広告的な側面を持っていると言う事です。だからこの作品の制作費22億円の内、約半分をスペイン政府が負担していると言う事も、まあ、当然と言えば当然か。

さて、ミケル・バルセロ氏のアーティストとしての名声は今やヨーロッパ中に知れ渡り、世界のアートシーンの第一線で活躍するアーティストの仲間入りを果たしたと言っても過言では無いんじゃないかと思うのですが、その反面、実は日本では驚く程知られて無いんじゃないのでしょうか?ちなみに今、ウェブで関連情報を調べてみたんだけど、日本語では殆ど出てこない・・・。辛うじて
ピカピカさんがフォローしているくらいかな(さすがピカピカさん!)



ミケル・バルセロは1957年、スペインのマヨルカ島に生れました。マヨルカ島って、今はヨーロッパ屈指の観光リゾート地として有名なんだけど、実は昔からショパンやジョルジュ・サンド、もしくはミロなどと言ったアーティストを育んできた地でもあるんですね。そしてミケル・バルセロに関して言えば、このマヨルカ島という地が、実は彼のアーティストとしての才能や彼の作品に多大なる影響を与えているのでは?と思われる節がしばしば見受けられます。


今回の展覧会ではそんなミケル・バルセロの比較的初期の作品から昨年のヴェネツィアビエンナーレに出展され大きな話題となったゴリラの絵(La solitude Organisative)など180点が集められ、彼のアーティストとしての軌跡が辿れるようになっているのですが、この展覧会を訪れて先ず驚かされるのは、彼の作品のバリエーションの広さなんですね。




抽象画は勿論の事、水彩画やタピエスの伝家の宝刀である、様々な素材を画面に貼り付けていく事で立体的な3次元を構成していく様な作品、はたまた彫刻などまで、彼のアーティストとしての許容力の幅広さを見せ付けられる展覧会となっています。




展覧会場の入り口には、昨年パリのグラン・パレ国立美術館でも展示されていたゾウがひっくり返った彫刻が我々を出迎えてくれます。見た瞬間、「何でゾウなんだ?」って言う疑問が沸いてくるんだけど、現代アートの知識が恥ずかしいくらい無い僕にはそんな疑問に答えられる余地全く無し(悲)。まあ、現代アートって言うのは、その本質的な所は「コンテクスト読み」にある訳で、そういう意味においてこれだけ複雑になってしまった現代アートのコンテクストを読み切れる人間が世の中に一体何人いるんだろう?って事も思うんですけどね。そんな訳で、今回は僕のアンテナに引っかかった作品だけを、(何時ものように)僕の独断と偏見で(笑)紹介したいと思います。先ずはコチラ:




2003
年に出たスペイン版のダンテ神曲(Dantes Divine Comedy)の挿絵シリーズです。ダンテ神曲に関しては、その内容が様々な想像力を刺激する事から、今まで沢山の芸術家達によってイメージの解釈が出ています。ロダンの地獄の門とか、日本人にはお馴染みの作品もその内の一つですね(地中海ブログ:パリ旅行その5:カミーユ・クローデル(Camille Claudel)の芸術:内なる感情を全体で表している彫刻作品、もしくは彼女の人生そのもの)。ミケル・バルセロのダンテ神曲シリーズは合計24点で全てアクリルで描かれてるんだけど、人間の苦しみとか悩みとか、そんなものが本当に良く表現されてて、直に心に伝わってくるかのようです。アクリルと言う比較的単純な画法で、ココまで人間の内側に迫れると言うのはちょっと凄い。



これなんて、この光の玉(魂?)の中に人間のエネルギーが満ち溢れているようでいて、しかし同時にそこには何かしらの「儚さ」も感じさせられるんですね。そう、まるでそれら相反する2つの力が共存しているかのような・・・。




これなんて、アクリルでサッと描いただけなんだけど、人間の苦悩が本当によく表現されている。2年程前に見たスロベニア出身の画家、ゾラン・ムジチの作品群も人間の「恐ろしさ、おぞましさ」にかけては秀でたものがあったんだけど、このシリーズもナカナカ見ごたえがあります(地中海ブログ:
ゾラン・ムジチ展覧会:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia))。ちなみにミケル・バルセロのこのシリーズは2004年にルーブル美術館で展覧会が行われ、大成功を収めたそうです。納得の質!そしてコレなんかも目を奪われました:



エイを題材にした作品なんだけど、海の底で静かーに獲物を待っているかのような、「気迫」みたいなものがマザマザと伝わってくるかの様な大変力強い作品です。ヒョロっと伸びたエイの尻尾と重く鎮座する体とのバランス、そしてそれによる視線の移動、空白が空白に見えない構図の素晴らしさ・・・見れば見るほど、良いなー。そして今展覧会の主役とも言うべき作品がコチラです:




2009
年のヴェネティアビエンナーレ、スペイン館に出展されたLa Solitude Organisativeと言う作品です。見ての通り、ゴリラが一匹コチラを向いて座っているだけの作品なんだけど、これまた不思議な作品ですね。



このゴリラ、確かな存在感があるかと思いきや、今にも消えて居なくなりそうな儚い存在感をも醸し出しています。そんな、存在と非存在の間にいる存在、それがこのゴリラかな。
今までミケル・バルセロと言えば、動きのあるダイナミックな作品の印象が強かったんだけど、このゴリラは全くその逆。いや、存在感がある事では今までの作品と同じ系譜に載っているんだけど、それだけじゃない「何か」がある気がする。そしてそれがあるが故に、僕達の想像力/創造力を刺激し、魅力的な解釈へと導いているのかも知れません。

この展覧会、2011年の19日までだそうなので、バルセロナに観光に来られた方々には是非お勧めです。入場無料ですし、ミースのバルセロナパビリオンの真ん前ですし、スペインの現代美術に浸る良い機会なのでは?とも思います。
| スペイン美術 | 08:21 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ベラスケスの新作発見か?
先週の土曜日の事だったのですが、何と、米国はイェール大学でベラスケスの新作が発見されたという大ニュースが入ってきました(下の写真が今回発見された聖母の教育(La Educacion de la Virgen))。



ベラスケスと言えば、プラド美術館のお宝中のお宝として名高いラス・メミーナスを始め、数々の名作を残している巨匠中の巨匠(バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情

「その巨匠の作品が何故今米国で?」と言う事で、美術関係者の間では大変な話題になっている様なのですが、昨日の新聞
(El Pais, 4 de Julio 2010)に発見者であるサンディエゴ美術館(Museo de Bellas Artes de San Diego)学芸員のJohn Marciariさんのインタビューが載っていました。

このインタビューには、「今回の作品を何時どのように発見したのか?」などの経緯が詳細に描かれていたのですが、何でもこの作品を発見したのは、「幾つかの偶然が重なった事が大きな要因だった」そうなんですね。そして、「最初にこの作品を見た時の衝撃と言ったら無かった」と言う様な、当時の状況についての大変生々しい声などを含んでいた事などから、バーゲンに早く行きたい気持を押さえ込んで(笑)マジマジと読み込んでしまいました。

ちなみにこの大発見に至った経緯について、El Pais紙は、「「聖母の教育」の発見に至る過程は、度重なる偶然と直感、そして幸運の賜物だった」と纏めています。

“La historia del descubrimiento de La educacion de la Virgen esta llena de casualidades, intuiciones y golpes de suerte.”, P 44, El Pais, 4 de Julio 2010


このインタビュー、ナカナカ興味深かったので、少しココに訳して見る事とします:

記者:「聖母の教育」と言う作品の存在を知ったのは何時頃だったのでしょうか?

ジョン:私は1993年から1999年にかけてイェール大学の博士課程に在籍していました。その間、この作品を目にする事はなかったばかりか、聞いたことすらありませんでした。公共の場に飾られた事は今まで一度も無かったと思います。つまり、ほんの限られた一握りの人だけが見る事を許された作品だったと言う事です。その結果、80年もの間、暗い倉庫の中に放置されていた為、傷がついたりしてかなり痛んでいます。

記者:発見した時、一体どんな状況だったのでしょうか?

ジョン:2002年から2003年にかけて、コレクションの責任者としてイェール大学に戻りました。大学のアートギャラリーの増築と補強をしなければならなかったからです。その間、常設コレクションの多くは他の場所へと移動させられる事となったのです。その結果、今までは倉庫にしまいこまれていた作品が初めて日の目を見る事となり、それらを調査する幸運に見舞われたと言う訳です。イェール大学長はその仕事をLaurence Kanteと私に依頼し、我々はヨーロッパ絵画を専門に扱う部門を創設したのです。これが各作品を詳細に調査する事に恵まれた瞬間でした。

記者:そしてココに「聖母の教育」があったと言う訳ですね。

ジョン:最初にこの絵画を見たのは2003年でした。「(この作品を見た時)、自分の前にあるのは間違い無く傑作である」と言う事には自覚的でした。全身に衝撃が走るようでした。作品の状態にも関わらず、その作品からは特別な何かを感じた事もあって、この絵画に関する詳細などは全く分からなかったのですが、取り合えず、スペイン絵画の部類にカタログ化する事にしたのです。それからの数ヶ月間、その事で頭が一杯だったのですが、ある日突然、「ちょっと待て、これはベラスケスじゃないのか?」と思いついたのです。

記者:直感だったのですか?

ジョン:自分は頭が可笑しくなってしまったのではないかと思いましたね。何故ならベラスケスの作品が誰にも知られずに80年以上もイェール大学に存在する事など不可能だったからです。そんな事は絶対にあり得ない。しかしながら、以前にもこのような状況に遭遇した事はありました。ただ、今回の状況が少し違ったのは、過去に事例が無い程の大きな挑戦であった、そして比べようも無いくらいに難問だったと言う事です。何故ならこの作品がベラスケスのものであると言う証明をしなけらばならなかったのですから。

記者:この瞬間を誰と共有したのですか?

ジョン:実は、数ヶ月の間、誰にも言わず、ただ自分自身に、「これはきっとベラスケスと同じ時代に生きた他の画家が描いたものに違いない」と言う事をひたすら言い聞かせていました。何故なら、この作品がベラスケスのものであると言う事は凄く難しい事に思えたからです。しかしながら、ある時を境に、そのような感情を抑え、世界的に著名な専門家や職場の同僚に見せてみようと思い立ちました。その中には、Perez SanchezSalvador Salortがいました。それらの人達に、写真を添付してメールを送りました。その時、全ての可能性に対して扉を開く様に、自分の考えは伏せて、ただ写真だけを送ったのです。そして彼らからは直ぐさま返事が返ってきました:「(この絵画の写真を前にして)全身が震えている」と。

記者:それが、全てを始める為に必要だった返事だったのですね。

ジョン:他にもこんな事もしました。Salvadorに作品の写真を見せ、彼の返事を見た後、わざと事務所の自分の机の上に作品の写真を置いておいたのです。何故なら、僕の同僚が電話をかける為に部屋に入ってくる事が分かっていたからです。そうして部屋を出て、彼が電話を掛け終わるのを見計らって部屋に戻っていきました。そうすると、彼は「コレはGiovanni Doの作品ではないな!これはLa Anunciacion a los pastoresといったバロックの巨匠の作品ではない。これが最大の問題だな。」と言い放ちました。私達にはこれがベラスケスの作品だと言う事は最初から分かっていました。しかしながら、それを証明する事の難しさも最初から分かっていたのです。その時から7年が経過したと、まあ、そういう訳です。

記者:証明は何処から始めたのですか?

ジョン:どうやってこの作品がイェール大学の倉庫に来る事になったのか?その経緯を調べる事から始めました。作品には1900.43という番号が振られていました。これはイェール大学に1900年に来た事を指し示していたのですが、この番号は虚位の番号で、我々の調査は最初からつまずいてしまったのです。その後、名の知らぬ寄贈者により、この作品が倉庫に着いたのは70年代だと言う事を突きとめました。更に長い調査の結果、この作品はTownshend家により寄贈されたもので、1925年にイェール大学の美術学部に入ったと言う事がわかったのです。

記者:この発見をどうやって広めたのでしょうか?

ジョン:イェール大学のヨーロッパ美術の責任者、Laurence Kanterの許可の下、傷ついた状態のままの作品の写真を公開する事にしました。何故なら、このままの状態をなるべく沢山の専門家に見てもらいたかったからです。修復はその後でも十分でした。

記者:否定的な意見は沢山ありましたか?

ジョン:本当の事を言うと、大学内の沢山の人達が疑問を抱いていた事は確かです。しかしながら、誰一人として他の著者である可能性を説明できる人はいなかったし、満足いく説明を出来る人もいませんでした。反対に、その他の多くの人達は、最初から僕の意見を支持してくれました。僕の調査報告書はほぼ全ての質問に出来る限り答えていると思っています。

記者:じゃあ、今はもう、専門家の最終的な判断を待つだけですね

ジョン:個人的には、この作品がマドリッドのプラド美術館に期間限定で展示されたら良いなと思っています。そうすれば多くの人の目に触れる事になるし、そうする事で、多様な意見を聞く事が出来ると思うからです。

P 44, El Pais, domingo 4 de Julio de 2010
| スペイン美術 | 22:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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