2013.03.03 Sunday
ボストンで出逢う事が出来た素敵な人達:さようならボストン
最近のボストンの天候と言えば、平日はがんがん晴れてるのに週末になると雪嵐になるっていう非常に不安定な‥‥と言うか、非常に不公平な日々が続いています(悲)。どうせだったら、研究室にいる平日は雨でもいいので、週末は晴れてほしいなー‥‥とか思いつつ。
例によって今日(3月2日、土曜日)もどんより曇り空。今にも泣き出しそうなボストンの空模様は、まるで今の僕の心を映し出しているかの様ですらあります。
‥‥僕は今、この記事を空港で書いています‥‥。
そう、丁度6ヶ月前、右も左も分からずに、かなり不安な気持ちで到着したこのボストン空港から、今度はバルセロナに向けて再び旅立つ日がやってきてしまいました(地中海ブログ:今日から半年間ボストンに滞在します)。
思えばこの6ヶ月、「本当に早かったなー」というのが正直な所かな。特に最後の一ヶ月なんて本当にあっという間だったと思います。「時間があっという間に過ぎている」という事は、それだけ「日々の生活が充実している」という事でもあり、楽しく過ごせているという事の裏返しでもあります。
僕のボストンでの生活は、度々このブログにも名前が登場する慶応大学の深見嘉明さんにお会いした時から始まったと言っても過言ではありません(地中海ブログ:ももクロの「さらば、愛しき悲しみたちよ」のPVを見て思った事)。深見さんがいなかったら、僕のボストン滞在はこんなに楽しく、そして充実したものにはなっていなかったと思います。
その当時、住む所を探していた僕に素晴らしいシェアハウスを紹介してくれたのは深見さんでした。
その深見さんを通して知り合う事が出来たのが、その後半年間一緒に住む事になる山田さんとOさん。Oさんに初めてお会いしたのは、セントラル・スクエアにあるスターバックスの前でしたね。
僕にとってOさんとの出逢いは新鮮な驚きでした。コンテクストは全く違うけど、ある意味、岡部明子さんにお会いした時と同じくらいの衝撃を受けたと言っても過言ではないと思います(地中海ブログ:とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)。
一緒に住んでいた事もあって、くだらない世間話をしたり、色んな所へ一緒に出掛けたりと、結構長い時間を過ごしたと思うのですが、その中でも特に印象に残っているのはカニ・パーティーの出来事かな。
他愛も無い話題から、誰かがふとこんな問い掛けをしました。「みなさん、どうしてボストンに来ようと思ったのですか?」‥‥と。みんな一人一人答えていったのですが、そんな中、いつも明るく笑顔を絶やさなかったOさんの顔が一瞬曇り、「実は凄く迷いました‥‥。10年前日本へ行ったばかりの時に感じたあの孤独感、寂しい想いはもうしたくなかったから‥‥」と言われていたのが今でも耳に残っています。
言葉も文化も全く知らない国に一人で行って、そこから何かを積み上げていく/創り上げていくと言う事は並大抵の事ではありません。その国の言葉を覚え、その土地の歴史や文化を理解し、その国の人達と競い合いながら生きて行くという事の辛さ、過酷さ、そして楽しさは、僕自身スペインで嫌というほど体験した事なので。
国は違えど同じ様なバックグラウンドを持ち、同じ様な環境で、しかも僕なんかよりもよっぽど上手く立ち回られているその姿、ある意味人間として尊敬出来る存在だと思っています。半年間、貴方と一緒に住む事が出来て本当に嬉しかったです。ありがとう。
9月初旬、深見さんとOさんと一緒に行った谷さんのアパートで、(MITとハーバードの間に位置する)セントラルスクエア周辺に住んでる日本人の人達と知り合う機会に恵まれました。
何故か日本のママチャリでボストン中を駆け回っている丸野さん、ボストンで非常に美味しい日本食を出すレストラン、カフェ魔美に行くのに何時も付き合ってくれたマロ君、十分な食材が手に入らないボストンで、俄には信じられないクオリティの料理を創り出してくれる谷さんとはそこで初めてお会いしました。
丸野さんとは同年代と言う事もあり、ラーメン屋や食べ放題のお寿司屋さんで、いつも取り留めの無い話で盛り上がっていました。
マロ君、そしてその後知り合う事になる竹内さんからは、研究者としての考え方というものを教えてもらった様な気がします。しゃぶしゃぶ屋さんなんかで、これ又どうでも良い話で盛り上がっていたのですが(笑)、その節々に出てくるお二人の専門分野における裏話なんかが僕にとっては大変新鮮で、本当に多くの事を学ばせてもらいました。
谷さんには年末年始、ご自宅で開かれた年越しパーティーに呼んで頂きました(地中海ブログ:新年あけましておめでとうございます2013:Feliz Año NuevoとFeliz Ano Nuevoの違い)。深見さんの送別会で初めてお会いした時の事、遅れて来た丸野さんが何も召し上がってなかったのを見て、即興で無茶苦茶美味しいおにぎり、そしてラーメンを作られていましたよね。あれを見た時から、「この人は出来る!」と密かに思っていました(笑)。その後丸野さん、井上さんと一緒にお聞きした「乙女辞典」のお話には度肝を抜かれましたけどね(笑)。
僕が今の家に引っ越して来て直ぐの事、右隣の部屋に住んでいた中島さんに携帯電話を買いに行くのに付き合ってもらい、更にOさんと3人でボストンでも美味しいと評判のパスタ屋さんへ連れて行ってもらいました。
更に更に、前の部屋に住んでいたルーシーも交えて日本食/中華料理パーティーを開催した時の事、中島さんがかなり手の込んだパスタを作られてきてビックリ。あの時ルーシーが作った麻婆豆腐の味が今でも忘れられません。
ボストンもかなり寒くなってきた頃の事、Oさんと丸野さんと一緒にボストンに新しく出来た評判のラーメン屋さんに行ってみようという話があったのですが、その時僕は体調が悪く直前にキャンセルしてしまい、夜の飲み会だけ参加したら、何故かそこに見知らぬ人達が‥‥その人達こそ井上さんと浅井さんだったのですが、「どうやって知り合ったんですか?」とお聞きしたら、ラーメン屋で並んでいたら前に居ましたとか何とか(笑)。そんなひょんな出逢いだったんだけど、今では井上さんはうちのアパートの住人だって言うんだから、人間何が縁になるのか分かりません。
11月も半ばを過ぎた頃、セントラルスクエアにあるイタリアンレストラン、シンデレラで、その後何度となく飲みに行く事になる竹内さんと初めてお会いしました。その数日後、竹内さんにはマロ君と一緒にラーメンを食べに連れて行ってもらったんだけど、その日は偶々ボストン中が大停電になった日で、それはそれで思い出深い出来事になりました(地中海ブログ:リアル、エヴァンゲリオンの世界を体験してしまった:MITを含むケンブリッジ市の大停電)。
そうこうしている内に年末になり、ある日突然Oさんから電話が。「何事か!」と思いきや、「年末年始に友達がボストンに来るので、美術館に行こうと思っています」とか何とか。で、「友達をキチンと案内したいので、予行練習してください」だって(笑)!いつもは一人で行く美術館だったんだけど、2人で回る美術館はこれまた結構新鮮で、それはそれで楽しい体験でした(地中海ブログ:ボストン美術館に再現されているカタルーニャ・ロマネスク教会)。
その後近くのイタリアンレストランへ行き、「一人一皿づつパスタを頼んで、ちょっとづつ味見しよっか」と言い合ってた時の事、Oさんが「じゃあ、フィッシュ&チップスも頼もう」とか言い出して、「えー、ちょっと多いんじゃないの?」とか内心思ったんだけど、案の定、店員さんに注文したら「二人で3皿は多いからやめなさい」と怒られる始末(笑)。
しかもパスタだけで僕は結構お腹が一杯だったんだけど、そのレストランの前にあるイタリア系のお菓子屋さんで、Oさんが大量のお菓子&ケーキを買い込んでいたのにはかなり驚きました。「え、まだ食べるの?」みたいな(笑)。
年末年始には家のアパートに沢山のゲストの皆さんが来られた事などから、井上さんのご提案で中華街でロブスターを買ってきて、それを調理しようという事になりました。一匹10ドル前後であの味はかなりお得!それ以来、ことある毎に我が家ではロブスターを買ってきたりカニを買ってきたりして、家で調理して楽しむ機会が増える事に。
年明けに竹内さんから紹介して頂いた菊地さん!ボストン生活も残り一ヶ月となってきた時期だったんだけど、最後の最後にきて大変面白い方と知り合う機会に恵まれました。菊地さん、何と名古屋ゆかりの方で、その関係でボストンに在住している名古屋に縁のある人達が集まる飲み会、「名古屋会」なるものに誘って頂ける事に。主にお医者さんの集まりだったんだけど、今まで医学系の方と知り合う機会が無かったものだから、個人的にはかなり興味深い体験だったかなと思います。
そして勿論、研究室で仲良くしてくれたみんな‥‥。毎日の様にランチを一緒に食べに行き、苦楽を共にしながらもお互いはライバル同士。でも分からない事があると、いつも助け船を出してくれたり、計算を手伝ってくれたりしました。Stan, Alex, Markus, Micheal, Ricardo, Sebastian, Chao, Tao, Dietmar, David, Lauren, Gabriela、そしてCarlo‥‥。本当にありがとう。
‥‥と、ボストンでの思い出を書いていけば本当にキリがありません。ここに書いた事は、僕がこの6ヶ月の間に出逢った人達、お世話になった方々と築く事が出来た抱え切れないくらいの思い出、その中の極々一部のものに過ぎません。この他にも本当に沢山の人達との出逢い、そして支えがあったからこそ、ボストンでの生活はこんなにも充実したものになったのだと思っています。
‥‥深見さん、見てますか‥‥。あなたが紹介してくれたアパートで、あなたがボストンからいなくなった後、こんなに沢山の、そしてこんなに楽しい思い出を作る事が出来ました(って書くと、深見さん、亡くなった人みたいなんだけど、今もしっかり生きて大活躍なされてます(笑))。
Oさんは僕に、「cruasanさんはバルセロナに帰ったら私達の事なんて直ぐに忘れてしまうんでしょうね」って言われました。
‥‥人間は忘却の生き物だと良く言われます。何故なら人間は日常で起こった全ての事を覚えていては生きてはいけない生き物だからです。その一方で、時に僕達は、人生にとって決して忘れてはいけない体験や経験をしたりもします。
忘れる事、忘れなきゃいけない事、忘れちゃいけない事、そして忘れられない事‥‥それらの葛藤の狭間に生きているのが人間という生き物なのであり、この6ヶ月の間に起こった様々な出来事は、僕にとって「忘れてはならない事」、いや「忘れられない事」なのです。
‥‥空港の館内放送がローマ経由バルセロナ行きの搭乗案内を始めました。
こんな素敵な思い出を胸に、僕は今から暖かい地中海へ帰ろうと思います。
もう一度言います。
僕はこの半年間に起こった事を一生忘れません。
ボストンで僕に出逢ってくれたみなさん、ありがとう。
ボストンで僕と仲良くしてくれたみなさん、ありがとう。
ボストンで僕を支えてくれたみんな、本当にありがとう。
さようならボストン。
そしてこんにちは、バルセロナ!
例によって今日(3月2日、土曜日)もどんより曇り空。今にも泣き出しそうなボストンの空模様は、まるで今の僕の心を映し出しているかの様ですらあります。
‥‥僕は今、この記事を空港で書いています‥‥。
そう、丁度6ヶ月前、右も左も分からずに、かなり不安な気持ちで到着したこのボストン空港から、今度はバルセロナに向けて再び旅立つ日がやってきてしまいました(地中海ブログ:今日から半年間ボストンに滞在します)。
思えばこの6ヶ月、「本当に早かったなー」というのが正直な所かな。特に最後の一ヶ月なんて本当にあっという間だったと思います。「時間があっという間に過ぎている」という事は、それだけ「日々の生活が充実している」という事でもあり、楽しく過ごせているという事の裏返しでもあります。
僕のボストンでの生活は、度々このブログにも名前が登場する慶応大学の深見嘉明さんにお会いした時から始まったと言っても過言ではありません(地中海ブログ:ももクロの「さらば、愛しき悲しみたちよ」のPVを見て思った事)。深見さんがいなかったら、僕のボストン滞在はこんなに楽しく、そして充実したものにはなっていなかったと思います。
その当時、住む所を探していた僕に素晴らしいシェアハウスを紹介してくれたのは深見さんでした。
その深見さんを通して知り合う事が出来たのが、その後半年間一緒に住む事になる山田さんとOさん。Oさんに初めてお会いしたのは、セントラル・スクエアにあるスターバックスの前でしたね。
僕にとってOさんとの出逢いは新鮮な驚きでした。コンテクストは全く違うけど、ある意味、岡部明子さんにお会いした時と同じくらいの衝撃を受けたと言っても過言ではないと思います(地中海ブログ:とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)。
一緒に住んでいた事もあって、くだらない世間話をしたり、色んな所へ一緒に出掛けたりと、結構長い時間を過ごしたと思うのですが、その中でも特に印象に残っているのはカニ・パーティーの出来事かな。
他愛も無い話題から、誰かがふとこんな問い掛けをしました。「みなさん、どうしてボストンに来ようと思ったのですか?」‥‥と。みんな一人一人答えていったのですが、そんな中、いつも明るく笑顔を絶やさなかったOさんの顔が一瞬曇り、「実は凄く迷いました‥‥。10年前日本へ行ったばかりの時に感じたあの孤独感、寂しい想いはもうしたくなかったから‥‥」と言われていたのが今でも耳に残っています。
言葉も文化も全く知らない国に一人で行って、そこから何かを積み上げていく/創り上げていくと言う事は並大抵の事ではありません。その国の言葉を覚え、その土地の歴史や文化を理解し、その国の人達と競い合いながら生きて行くという事の辛さ、過酷さ、そして楽しさは、僕自身スペインで嫌というほど体験した事なので。
国は違えど同じ様なバックグラウンドを持ち、同じ様な環境で、しかも僕なんかよりもよっぽど上手く立ち回られているその姿、ある意味人間として尊敬出来る存在だと思っています。半年間、貴方と一緒に住む事が出来て本当に嬉しかったです。ありがとう。
9月初旬、深見さんとOさんと一緒に行った谷さんのアパートで、(MITとハーバードの間に位置する)セントラルスクエア周辺に住んでる日本人の人達と知り合う機会に恵まれました。
何故か日本のママチャリでボストン中を駆け回っている丸野さん、ボストンで非常に美味しい日本食を出すレストラン、カフェ魔美に行くのに何時も付き合ってくれたマロ君、十分な食材が手に入らないボストンで、俄には信じられないクオリティの料理を創り出してくれる谷さんとはそこで初めてお会いしました。
丸野さんとは同年代と言う事もあり、ラーメン屋や食べ放題のお寿司屋さんで、いつも取り留めの無い話で盛り上がっていました。
マロ君、そしてその後知り合う事になる竹内さんからは、研究者としての考え方というものを教えてもらった様な気がします。しゃぶしゃぶ屋さんなんかで、これ又どうでも良い話で盛り上がっていたのですが(笑)、その節々に出てくるお二人の専門分野における裏話なんかが僕にとっては大変新鮮で、本当に多くの事を学ばせてもらいました。
谷さんには年末年始、ご自宅で開かれた年越しパーティーに呼んで頂きました(地中海ブログ:新年あけましておめでとうございます2013:Feliz Año NuevoとFeliz Ano Nuevoの違い)。深見さんの送別会で初めてお会いした時の事、遅れて来た丸野さんが何も召し上がってなかったのを見て、即興で無茶苦茶美味しいおにぎり、そしてラーメンを作られていましたよね。あれを見た時から、「この人は出来る!」と密かに思っていました(笑)。その後丸野さん、井上さんと一緒にお聞きした「乙女辞典」のお話には度肝を抜かれましたけどね(笑)。
僕が今の家に引っ越して来て直ぐの事、右隣の部屋に住んでいた中島さんに携帯電話を買いに行くのに付き合ってもらい、更にOさんと3人でボストンでも美味しいと評判のパスタ屋さんへ連れて行ってもらいました。
更に更に、前の部屋に住んでいたルーシーも交えて日本食/中華料理パーティーを開催した時の事、中島さんがかなり手の込んだパスタを作られてきてビックリ。あの時ルーシーが作った麻婆豆腐の味が今でも忘れられません。
ボストンもかなり寒くなってきた頃の事、Oさんと丸野さんと一緒にボストンに新しく出来た評判のラーメン屋さんに行ってみようという話があったのですが、その時僕は体調が悪く直前にキャンセルしてしまい、夜の飲み会だけ参加したら、何故かそこに見知らぬ人達が‥‥その人達こそ井上さんと浅井さんだったのですが、「どうやって知り合ったんですか?」とお聞きしたら、ラーメン屋で並んでいたら前に居ましたとか何とか(笑)。そんなひょんな出逢いだったんだけど、今では井上さんはうちのアパートの住人だって言うんだから、人間何が縁になるのか分かりません。
11月も半ばを過ぎた頃、セントラルスクエアにあるイタリアンレストラン、シンデレラで、その後何度となく飲みに行く事になる竹内さんと初めてお会いしました。その数日後、竹内さんにはマロ君と一緒にラーメンを食べに連れて行ってもらったんだけど、その日は偶々ボストン中が大停電になった日で、それはそれで思い出深い出来事になりました(地中海ブログ:リアル、エヴァンゲリオンの世界を体験してしまった:MITを含むケンブリッジ市の大停電)。
そうこうしている内に年末になり、ある日突然Oさんから電話が。「何事か!」と思いきや、「年末年始に友達がボストンに来るので、美術館に行こうと思っています」とか何とか。で、「友達をキチンと案内したいので、予行練習してください」だって(笑)!いつもは一人で行く美術館だったんだけど、2人で回る美術館はこれまた結構新鮮で、それはそれで楽しい体験でした(地中海ブログ:ボストン美術館に再現されているカタルーニャ・ロマネスク教会)。
その後近くのイタリアンレストランへ行き、「一人一皿づつパスタを頼んで、ちょっとづつ味見しよっか」と言い合ってた時の事、Oさんが「じゃあ、フィッシュ&チップスも頼もう」とか言い出して、「えー、ちょっと多いんじゃないの?」とか内心思ったんだけど、案の定、店員さんに注文したら「二人で3皿は多いからやめなさい」と怒られる始末(笑)。
しかもパスタだけで僕は結構お腹が一杯だったんだけど、そのレストランの前にあるイタリア系のお菓子屋さんで、Oさんが大量のお菓子&ケーキを買い込んでいたのにはかなり驚きました。「え、まだ食べるの?」みたいな(笑)。
年末年始には家のアパートに沢山のゲストの皆さんが来られた事などから、井上さんのご提案で中華街でロブスターを買ってきて、それを調理しようという事になりました。一匹10ドル前後であの味はかなりお得!それ以来、ことある毎に我が家ではロブスターを買ってきたりカニを買ってきたりして、家で調理して楽しむ機会が増える事に。
年明けに竹内さんから紹介して頂いた菊地さん!ボストン生活も残り一ヶ月となってきた時期だったんだけど、最後の最後にきて大変面白い方と知り合う機会に恵まれました。菊地さん、何と名古屋ゆかりの方で、その関係でボストンに在住している名古屋に縁のある人達が集まる飲み会、「名古屋会」なるものに誘って頂ける事に。主にお医者さんの集まりだったんだけど、今まで医学系の方と知り合う機会が無かったものだから、個人的にはかなり興味深い体験だったかなと思います。
そして勿論、研究室で仲良くしてくれたみんな‥‥。毎日の様にランチを一緒に食べに行き、苦楽を共にしながらもお互いはライバル同士。でも分からない事があると、いつも助け船を出してくれたり、計算を手伝ってくれたりしました。Stan, Alex, Markus, Micheal, Ricardo, Sebastian, Chao, Tao, Dietmar, David, Lauren, Gabriela、そしてCarlo‥‥。本当にありがとう。
‥‥と、ボストンでの思い出を書いていけば本当にキリがありません。ここに書いた事は、僕がこの6ヶ月の間に出逢った人達、お世話になった方々と築く事が出来た抱え切れないくらいの思い出、その中の極々一部のものに過ぎません。この他にも本当に沢山の人達との出逢い、そして支えがあったからこそ、ボストンでの生活はこんなにも充実したものになったのだと思っています。
‥‥深見さん、見てますか‥‥。あなたが紹介してくれたアパートで、あなたがボストンからいなくなった後、こんなに沢山の、そしてこんなに楽しい思い出を作る事が出来ました(って書くと、深見さん、亡くなった人みたいなんだけど、今もしっかり生きて大活躍なされてます(笑))。
Oさんは僕に、「cruasanさんはバルセロナに帰ったら私達の事なんて直ぐに忘れてしまうんでしょうね」って言われました。
‥‥人間は忘却の生き物だと良く言われます。何故なら人間は日常で起こった全ての事を覚えていては生きてはいけない生き物だからです。その一方で、時に僕達は、人生にとって決して忘れてはいけない体験や経験をしたりもします。
忘れる事、忘れなきゃいけない事、忘れちゃいけない事、そして忘れられない事‥‥それらの葛藤の狭間に生きているのが人間という生き物なのであり、この6ヶ月の間に起こった様々な出来事は、僕にとって「忘れてはならない事」、いや「忘れられない事」なのです。
‥‥空港の館内放送がローマ経由バルセロナ行きの搭乗案内を始めました。
こんな素敵な思い出を胸に、僕は今から暖かい地中海へ帰ろうと思います。
もう一度言います。
僕はこの半年間に起こった事を一生忘れません。
ボストンで僕に出逢ってくれたみなさん、ありがとう。
ボストンで僕と仲良くしてくれたみなさん、ありがとう。
ボストンで僕を支えてくれたみんな、本当にありがとう。
さようならボストン。
そしてこんにちは、バルセロナ!