地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
(速報)カタルーニャ州議会選挙2015:独立派の勝利
たった今、カタルーニャ州議会選挙(2015)の結果が出ました。
開票率84%の時点で、カタルーニャ独立を打ち出しているJunt pel Si(現政権のCDCと極左のCUP)の合計獲得議席数72で独立派が勝利宣言をしました!



カタルーニャにとって歴史的瞬間だと思います。ちなみに今回の投票率は77%!
カタルーニャの独立が掛かっていた今回の選挙への、カタルーニャ人達の非常に高い関心を反映していると思います。

この結果を受けて、勝利政党であるJunt per Siは数ヶ月以内の「独立を宣言」を目指し、具体的に動き出すものと見られています。
←前回のエントリで書いた様に、バルサはスペインリーグから去る可能性が非常に高くなってきました(地中海ブログ:カタルーニャが独立を宣言したらバルサはスペインリーグでプレー出来なくなるらしい)。



ただ、そこに辿り着く為には数々の壁が立ちはだかっている事もまた確か。

第一に、現政権のCDC(右寄りカタルーニャ主義政党)は単独では過半数に到達しない為に(単独では獲得議席数は62、絶対過半数は68)、同じく独立を目指しているCUPとの連立を組む事が必須となるんだけど、CUPはCDCの政策とはソリが合わないので、「現カタルーニャ州政府大統領であるArtur Mas氏が大統領に就任するのなら連立は組まない」とはっきりと宣言しています。そうなると残された道は、ERC(左寄りのカタルーニャ主義政党)が大統領候補を擁立する事になるんだけど、それをCDCがあっさりと受け入れるかは不明、、、かな。

しかしですね、もっと重要な問題は、確かに獲得議席数では独立派が過半数を取ってるんだけど、獲得票で見ると、「独立へ賛成」は過半数を割っているという事実なんですね。

獲得票では「独立への賛成票」は47%に留まっています。逆に言うと、「独立への反対」が53%を数える事になっているということなのです。

獲得票が獲得議席数に正しく反映されない点は、これまで度々指摘されてきていて、それを知っているからこそ、CDCは「(獲得票数ではなく)獲得議席数が過半数を超えたら、独立を宣言する」と公約していました。 勿論ここには、「投票者の過半数以上の人たちが独立へ反対しているのに、それを無視して独立を宣言していいのか?」という大きな問題が横たわっています。

その辺をどのように解決していくのか、それが今後の政策の鍵である事は間違いありません。



今回の選挙結果の詳しい解説や分析などは、すべてのデータが出揃う明日以降に回したいと思います。

追記
こんな時大変面白いのが、各種新聞が今回の件をどうやって報道しているかを見て見る事です。



スペイン社会労働党がバックについているEl Pais紙は、「独立派は獲得票数ではなく、獲得議席数で選挙に勝った」と報じています。



一方、右寄りのカタルーニャ主義政党がバックについているLa Vangurdia紙は、「独立派の完全なる勝利!」。カタルーニャの独立については今まで色々と書いてきたけど、カタルーニャを中心とするスペインの政治状況などについてもっとよく知りたい人達はこちら:


地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!

地中海ブログ:カタルーニャ州議会選挙その2:スペイン、そしてヨーロッパ左派の終わりの始まり‥‥かもしれない。

地中海ブログ:速報:バスク地方の独立を目指す民族組織ETAがテロ活動を永久に停止すると発表

地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2015

地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2011:バルセロナに革命起こる
| バルセロナ歴史 | 05:39 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カタルーニャが独立を宣言したらバルサはスペインリーグでプレー出来なくなるらしい。
なんか毎年のことなのですが、この時期は日本からのお客さんが非常に多くて、今週はパエリアを7回も食べました(苦笑)。



手長エビちゃんのピースにはちょっと笑ったけど、一週間に7回はちょっとキツイ。
←バルセロナが誇るパエリアの名店、Can Majoの特性パエリアでーす。

さて、最近巷を賑わしている話題と言えば、今月27日に行われるカタルーニャ州議会選挙のことで、僕自身も、地元の政治家や研究者、市民団体なんかに呼ばれては、「外国人として長くカタルーニャに住んでいる君の意見を聞かせてもらおう」とか言われてミーティングに駆り出されることが非常に多くなってきています。



さて、では何故こんなにも選挙の話ばかりするのか?

実は、今回の選挙では独立派(現政権)が絶対多数を獲得すると見られていて、現カタルーニャ州政府大統領が、「選挙に勝ったら即座に独立を宣言します!」と公約しているからなんですね。いままでは「独立、独立」と騒いではいても、その前に何かしらの壁が立ちはだかり具体的な話にまではいかなかったんだけど、今回はそこが違う。



まあ、とは言っても、マドリードが憲法を盾に「独立は違憲だ」と言ってたり、欧州委員会が「カタルーニャが独立するならEUからは出ていってもらう」と宣告したり、はたまたスペインの銀行がこぞって、「独立するならカタルーニャにある(銀行の)オフィスを他の都市へ移す準備をする」と異例の声明を発表したりと、反対派もかなり具体的な動きを見せる様になってきつつあります。


カタルーニャ銀行のクレジットカード。カタルーニャの国旗を上手く取り入れた魅力的なデザインに仕上がっていると思う。

そんな中、僕の立場はというと、、、「独立したければすれば良いんじゃない」っていう感じかなー。

数年前までは、「ど、独立!!何考えてるんだ!主要産業ないのに、どうやって生きていくの?」とか、「ど、独立!確かにスペインのGDPの20%以上をたたき出してるけど、それ以上の借金があること、忘れてるの?」とか色々な事を思ってたんだけど、それももう止めました(地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!、地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。

独立とかそういうことは、「この地に生まれ、この地で育った人たちが決めることであって、彼らの総意なら、それはそれでいいんじゃないか、、、」と、今では心からそう思っています。



だから地下鉄でこんなパンフレット(独立擁護派が作った広告)を見つけても、「あはは、、、微笑ましいなー」とか、結構余裕で笑ってたりするんですね:

「カタルーニャ独立に関する7つの回答」

1.なぜ独立するのでしょうか? →独立はより良い国家を作る唯一の手段であり、みんなにとって平等な社会が待っているから。

2.独立してもEUに残れるのでしょうか? →はい、残れます。

3.独立後も年金は受給できるのでしょうか? →はい、出来ます。

4.独立後の経済はどうなるのでしょうか? →すごく良くなります。

5.独立後も「スペイン人」であることは可能なのでしょうか? →はい、可能です。

6.独立後、政治家(と政治)の質は良くなるのでしょうか? →はい、とっても良くなります。

7.何故我々(カタルーニャ)には国家が必要なのでしょうか? →カタルーニャ国は社会的に平等であり、経済的にもっと豊かになり、より良い民主主義が待っているからです。

個人的にはNo.5が最高(笑)。

「独立後もスペイン人であることは出来るのでしょうか?
Podre seguir essent espanyol?)」
→→→ 「勿論です!スペイン人であることは、カタルーニャの独立を支持する事と両立します。独立後もスペイン国籍を保持する事は可能ですし、カタルーニャ国籍を保持する事は勿論、両方を保持する事すらも可能です。」
Es clar que si... Ser i sentir-se espanoyl es compatible amb voler la sobirania politica de Catalunya... Es podra mantenir la nacionalitat espanyola, la catalana o ambdues.

しかしですね、こんな余裕で構えていたぼくの前に、大変重大なニュースが飛び込んできました!それがこちら:


「カタルーニャが独立を宣言したら、バルサはスペインリーグから出て行ってもらう
(El Pais紙)」


えーーーーーーー!!!!!
そうなのー!!!!!!!!!!
これはさっぱり予想してなかったぞー!!!!

新聞記事(El Pais, 19/09/2015)をよく読むと、どうやらスペインには「スペインリーグで戦う為には、クラブはスペイン国内の連盟に登録する必要がある」という法律(スポーツ法)があるらしく、スペインフットボール連盟(RFEF)は、スペインの各州の連盟に所属していないクラブの登録を受け付けていないらしいんですね。これはどういう事かというと、カタルーニャが独立した場合、自動的にFCバルサは「外国のクラブ」ということになるので、スペインリーグには所属出来ない、、、という事態に陥ることを意味するのです。しかも注意しなくてはならないのは、「独立が認められた時」ではなく、「独立を宣言した時」だという点です。つまり、独立派が選挙に勝って、その瞬間に「独立を宣言します」と言った瞬間からバルサはスペインリーグでは戦えなくなるということなのです。

←勿論例外はあります。例えばアンドラのチームはスペインの地域リーグに属していますが、それは「交渉の結果認められた」ということであって「自動的にそうなった」ということではありません。つまりカタルーニャが独立した場合も交渉の余地が残されている事は確かなんだけど、今回の独立はスペイン国、もっと言っちゃうとEUとの喧嘩別れなので、「サッカーだけは別」みたいな都合の良い交渉が成立するかどうかは、かなり微妙、、、



これは勿論、「バルサ」という大変強力な武器を使った「独立反対派の脅迫」なんだけど(地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)、そんなことよりも、バルサの試合といえば、ぼくが毎日仕事から帰ってきて、ちょっとづつ切っては食べている生ハムと同じくらい重要な、人生を楽しむ為の一部なのに、それが無くなったら、どうするんだー!!
←悲しいなんてレベルじゃないです。



経済危機に端を発する独立への盛り上がりは、今のシルバー世代にとっては、「市民戦争前の第二共和制を思い出す」だとか、フランコを始めとするマドリードに虐げられてきたカタルーニャがやっと解放され、「我々自身の言語、我々自身の社会文化をやっと謳歌出来る」みたいな感じで感情論に突っ走り、それがその地域の運命すらも変えてしまうという大変危険極まりないものであることに間違いはありません(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題)。



そんな時、少し引いて冷静かつ論理的に事態を見据え、皆を導くリーダーが現れてもいいと思うんだけど、いかんせん、そんな資質のある人は現在のカタルーニャにはおらず。。。(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



このまま何も考えずに独立に走り、カタルーニャに居を構える国際機関が一斉にバレンシアに流れ、銀行や大企業のオフィスも他都市へと移り、残ったのは借金だけ、、、という状況になることは目に見えていると思うんだけど、上述したように、それはこの地に生まれ育った人達が決めることなので、僕はそこにあまり口を出そうとは思っていません。

、、、が、しかしですね、独立を宣言することによってバルサがスペインリーグから追い出されるというのなら話は別です!

これは一大事です!
ど、どうしよう。。。。(苦笑)。

追記:
スペイン中央銀行が「(今週末行われると見られている)カタルーニャ州の独立宣言は、預金封鎖の引き金となる可能性がある」と指摘(21/09/2015, El Pais)。

Financial Timesが「独立への投票率が50%を越えたらなら、その事実をEUは無視出来ないだろうし、マドリードは憲法改革を通してカタルーニャの自治権を拡大すべきである」と指摘(La Vangurdia, 21/09/2015)。

26/09/2016: バルサの命運が決まるまであと1日!いままで色んな人達にインタビューしたけど、皆一様に「バルサよりも独立の方が重要だ」と言っていた事が印象的だった。
| バルセロナ歴史 | 06:21 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン人に教えてもらった、誰にでも出来る美味しいパエリアの作り方
今や世界的に知られる所となった感のある、スペインを代表する名物料理の一つパエリア。今日はフライパンさえあれば誰にでも簡単に出来ちゃう、スペイン人に教えてもらった即席パエリアの作り方を伝授しちゃいます。



作り方は簡単だし、冷蔵庫にあるものだけで十分出来ちゃうので、一人暮らしの人や、気の合った友達なんかを家に呼んで「ちょっとパーティを!」って時には結構使えるかも。食卓にワインなんかを並べて食べたら「それこそレストランで食べるのと変わらない」‥‥と言ったら、ちょっと言い過ぎかもしれないですけどね(笑)。

まあ、そんなこんなで早速作ってみましょう! 用意する材料はこんな感じ(2〜3人分):
ピーマン1個
鶏肉(300グラムくらい)
トマト一缶(トマトの実が入ってるやつ)
お米




先ずはピーマンと鶏肉を適当に切り分けて、油を多めに引いたフライパンでしっかりと炒めます。



そこへトマト(一缶)を流し込み、トマトをほど良く潰していきます。



トマトがよく潰れたら、そこへお米1.5合を流し込みます。この時お米は研がずにそのまま入れるのがポイントなのだとか(何故だかは不明)。で、トマトのスープとお米が良く絡み合う様に混ぜます。



良く混ざったらお水350ml(お米1.5合を普通に炊く時の水の量と同じ)を加え、少し塩を振って味を整えます。 沸騰したら火を弱火にして、後はグツグツ炊くだけ。15分経ったら火を止めて、その上にアルミホイルを被せて更に10分間待ちます。



10分経って銀紙を開けたら、美味しそうなパエリアの出来上がり〜。



後は、その辺のスーパーで買ってきた赤ワインと一緒に盛り付ければ、気分はもうバレンシアの高級レストラン!!

簡単且つ早い!その上、フライパンさえあれば誰にでも出来ます。スペイン人に教えてもらった即席パエリアのレシピ。是非お試しあれ!
| バルセロナ歴史 | 07:35 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カタルーニャ地方(バルセロナ)で最後の闘牛が行われました:日本人の中に流通する闘牛のイメージについて
何か最近忙しい・・・。特に今週はバルセロナでモビリティに関するアカデミックな集まりがあったり、国連関連のミーティングに何故か知らないけど参加させられたりと、最近どうも全く関係が無さそうな所から突然電話が掛かってきたり、メールが来たりする事が多くなってきました。まあ、全く予想もしない所から突然連絡が来るって事は別に今に始まった事ではなくて、特に今更驚く程でも無いんだけど、そんな中、個人的にちょっと「あれっ?」って思った事が最近あったんですね。

と言うのも、先週受け取った一通のメールが発端だったんだけど、そのメールはボストン在住のアメリカ人の方からのメール(英語)で、内容を見てみたら「地中海ブログ何時も見てます!」とか書かれてる。しかもかなりしっかり読み込んでくれてるみたいで、バルセロナの政治・社会状況に関するかなり鋭い質問とかが載っている程でした。前々から薄々感じてはいたんだけど、このメールを受け取るにつれ、地中海ブログをGoogle Translateか何かで翻訳して結構マメに読んでるっぽい外国人(日本語ベースではない人達)が結構いると言う事が確信に変わりました。

今年の3月に起こってしまった東日本大震災の時に、「海外に居ながら何か出来る事は無いかな?」と考えた結果、Twitterなどで(日本語で流れた)ニュースの速報をスペイン語に訳して流したり、Facebookで立ち上げられた在日外国人の為の情報スペースのスペイン語訳をしてみた結果、日本語が分かるスペイン人が当ブログを読んでくれている、もしくは日本語からスペイン語に訳して見てくれていると言う事は知っていたのですが、スペイン人以外の外国人が結構見てくれているという事はかなり新鮮な驚きでした。

これからも頑張ろう!

さて、日本でも結構大きく報道されてたみたいなのですが、先週末(9月24、25日)バルセロナでは歴史に残る一大事件が起こりました。それこそ今日のお題である闘牛についてなんだけど、20世紀初頭以来脈々と続けられてきた闘牛が先週末を最後にバルセロナから姿を消すという大事件が起こったんですね。



まあ、元々闘牛禁止と言う事は、かなり前から決まっていて、と言うのも動物愛護団体などが「闘牛は動物虐待だ!」みたいな感じで社会にプレッシャーをかけ続けた結果、昨年末、とうとうカタルーニャ自治州議会が闘牛禁止の法案を可決したのがその始まりだったんですね。この法律が有効になるのは2012年の1月からなんだけど、それに先立つ先週末、バルセロナでは最後の闘牛が行われたと言う訳なんです。

実は僕、バルセロナに10年も住んでるのに闘牛たるものを一回も見た事が無くって、「この機会に是非行ってみよう」と意気込んでたんだけど、チケットを買おうとしたら既に完売(悲)。ネットで調べてみた所、ダフ屋が横行してて、値段が3倍近くにも跳ね上がってるという情報があったのに加えて、当日は熱烈なファンが当日券を買いに長打の列を作る事が予想されたので、泣く泣く諦める事に。前日の土曜日の部はチラホラ席は空いてたんだけど、その日は朝から雨模様で、「今日は中止かな」と踏んで、コチラもオジャンに。結局、行く事が出来ず仕舞いでした。

今回どうして急に闘牛を見に行こうと思ったかと言うとですね、まあ、バルセロナで見る事が出来る最後の機会と言う事もあったんだけど、それ以上に、最近(偶然にも)連続して日本人から聞いた闘牛に関する感想が余りにも印象的だった事が僕の心を動かしたと言う事が大きいかな。そのとっても印象的だった会話って言うのはこんな感じ:

証言その1:知り合いの日本人から聞いた話

「先日、親戚がバルセロナに来て、サグラダファミリアなんかの観光地を巡って楽しんでたんだけど、その勢いで「闘牛に行こう」って言う事になったんですよ。で、どうせなら一番前で見たいって言うから、結構値段の高い席を取って、ワクワクしながら見てたんだけど、闘牛場を出る頃には親戚の叔父さん達の元気が無くなってて、「食欲が無いから夜のご飯はいらない」とか言ってホテルの部屋に閉じこもっちゃんですよ(笑)。お昼まではパエリアとか結構食べて元気モリモリだったのに、目の前で牛が「バタン」って殺されたのが相当ショックだったみたいです。まさか、殺されるとは思ってなかったそうですから。」

証言その2:知り合いの日本人(日本在住)との会話から

cruasan:「闘牛とか見たい?」
知り合いの日本人:「見たい!!」
cruasan:「でも、あれ、結構ショック受けるらしいよ。目の前で牛が死んだりして」
知り合いの日本人:「えー、どうして牛が死ぬの?闘牛って、赤いマントをヒラヒラさせて、牛と遊ぶんでしょ?」

この会話なんかは結構興味深くて、実はこれらの意見が闘牛に関する日本人の一般的なイメージなのかな?とか思っちゃうんですね。では何故こんなイメージが形成されたのか?と言うと、理由は簡単で、テレビなんかで日本人が目にする闘牛って言うのは、あの赤いマントをヒラヒラさせて、まるで「牛と遊んでる」様なシーンばかりだからです。更に、背中に何本も刺さってる剣は、飾り物だと思ってる人も多いんじゃないでしょうか?

これら、闘牛に対する日本人が作り出した「楽しいイメージ」を裏付けるのが、アニメやマンガなんかに度々登場する闘牛のシーンなんだけど、例えばコチラ:



これは90年代に爆発的な人気を博した柔道マンガ、YAWARAのオープニングなんだけど、柔道家のおじいちゃんが闘牛士の格好で現れたり、YAWARAが牛に追い回されたりするって言う、何とも楽しげな風景が描き出されています。更に今、Googleで「闘牛、アニメ」みたいな感じで検索したら、「花の子ルンルン、友情の闘牛士」みたいな結果が出てきた(笑)。



残念ながらこの映像は見る事が出来なかったんだけど、まさか花の子ルンルンで、牛が殺される場面は出てこないだろうから、こちらも「お花に囲まれて牛さんと戯れる」的な映像なのかな?と推測されます。

探せば他にも沢山あると思うんだけど、どれもこれも共通している事と言えば、それらの場面には「死を匂わすイメージが全く無い」という事だと思います。本物の闘牛と言うのは闘牛士も牛も常に死と隣り合わせで真剣な闘いそのものなんだけど、そんな、死が付き纏う筈の闘牛が何時の間にか、「赤いマントを持ったピカピカの服を着た闘牛士」と、「燦燦と降り注ぐ太陽の下で、牛と戯れる」というイメージに変わってしまった訳ですよ!

僕は特に闘牛に思い入れがあるとか、「闘牛は有史以来のスペインの伝統なのだから守るべきだ」とか、「いや、闘牛は明らかな動物虐待だから早く禁止されるべきだ」とか、そう言った意見は全く無いんだけど、そんな毎回物議を醸し出してきた闘牛も、もう見れないのかと思うと、ちょっと感慨深いものがある事は確かかな。まあ、これも時代が変わったと言う証拠なのかもしれません。

カタルーニャと言う地方は歴史的に数々の前衛的な法案を可決してきてて、その軸線上で見るならば、今回のカタルーニャ自治州の決定は他の州にも影響を及ぼす事は間違い無いと思います(闘牛に関してはカナリア諸島が既に禁止の法案を可決している)。もしかしたら今回の闘牛禁止と言う事件はバルセロナに限った事ではなくて、近い将来スペインで闘牛が廃止されるという可能性も無きにしも非ずかなとも思います。

いずれにしても、又一つ、バルセロナで歴史的な出来事が行われた週末でした。
| バルセロナ歴史 | 06:31 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ
毎年夏休み明けに各種メディアを賑わす話題と言えば、今から丁度10年前に起こってしまったアメリカの同時多発テロ事件、通称9.11の話題だと思うんだけど、今年も例年に漏れずスペインの各種メディアはこぞってこの話題を書き立てています。個人的には「あー、もうあれから10年も経つのかー」と、時が経つ早さに只々驚くばかりなんだけど、一昨日の新聞には世界貿易センタービルが建っていた跡地に計画される事になっている超高層ビル群の詳細な計画図が載っていました:



現在ではグランドゼロとして知られるココの跡地計画って、最初はユダヤ系アメリカ人建築家リベスキンドが国際コンペで勝って結構魅力的な案を提出してた様な気がするんだけど、それが何時の間にか複数の建築家達が別々の高層を担当する案に摩り替わっちゃいましたよね。まあ、世界中が注目する計画、しかもニューヨークのど真ん中に高層ビルをデザインする事が出来る建築家なんてスター中のスターだけだと思うんだけど、そんなスターの中に日本人建築家が混ざっていると言う事は案外知られていません。それがこの人:



じゃーん、日本が世界に誇る大建築家、槙文彦さんです。槙さんと言えば幕張メッセやヒルサイドテラスなど、正に「記憶に残る場所」を数多く手掛けてきた誰もが尊敬する建築家だと思うんだけど、実は槙さんの先生ってバルセロナ出身のカタラン人建築家、ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)なんですよね(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)。と言う訳で、槙さんは密かにバルセロナと深い繋がりがあるんだけど、それを話し出すと終わりそうも無いので、それは又別の機会に。

さて、実は上の記事が載っていたLa Vanguardia紙を注意深く観察していると分かる事なのですが、この新聞、毎年9月11日のテロの話題を9月11日以前に特集して、当日や翌日の一面にはアメリカ同時多発テロの話題を持ってくるって事が(殆ど)無いという事に気が付くかと思います。

何故か?

何故ならカタルーニャには9月11日にどうしても特集しなければいけない事があるからなんですね。それが今日のお題でもある、1714年に終止符が打たれたスペイン継承戦争に纏わる話題です(スペイン継承戦争が詳しく知りたい人はコチラ(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合)。

手短に言うと、スペイン継承戦争って言うのは、カタルーニャがマドリッドを中心とするブルボン軍を相手にこの地方の特権を守る為に激しく闘い、多くの血が流された末に負けてしまったという結構ドラマチックな歴史的事実です。それ以降、カタルーニャが中世以来謳歌してきた全ての特権は剥奪され、事実上政治的な舞台から引き摺り下ろされる事になるのですが、近年の研究ではこの時に負けた事が現在の繁栄を齎したと見る研究も存在します。つまりこの戦争と言うのは、カタルーニャに決定的な変化を生んだ戦争だったと言う事なんですね。

その日以来、この9月11日と言う日は、カタルーニャ人達にとって特別な日となりました。つまり2001年以降、9月11日が世界にとって特別な日となったその何百年も前から、この地ではこの日を大変神聖な日として特別視する動きがあったという事なんです。





そのシンボルとなる像がバルセロナの中心街近く、碁盤の目の様に行儀良く並んだ新市街地の一角に位置しています。今から300年前のこの日、その身を挺してブルボン軍と闘い、最後の一兵になるまで戦い抜いた軍団を率いていた総大将、ラファエロ・カサノバの像です。



この辺りは閑静な住宅街なのですが、9月11日の早朝だけは、その様相を一変します。偉大なご先祖様に敬意を表して、朝早くから大勢の政治家達や、それを中継するテレビカメラなどがこぞって押しかけ、カサノバの像の足元に大きな大きな花束をささげる事が恒例行事となっているからです。そしてそれを取り囲むようにして、市民がその行事を見守り、その後、舞台を近くのシウダデリャ公園に移し、様々な催しものが行われるというのがこの日の恒例行事となっています。



地元カタルーニャの右寄りの新聞、La Vanguardia紙の9月11日の話題と言えば、何十年も前から、この祭典を取材し、それをカタルーニャ国民に知らせる事と相場が決まっています。世界の主要紙がアメリカの動向などを一面に持ってくるのなんてお構い無しに、独自色をハッキリ出していると言う訳です。

グローバリゼーションが進行する最中において、我々を取り巻く環境は一様になりつつあります。どの都市に行っても同じ様な風景が展開し、同じ様な食べ物が提供され、そして同じ様な服装に身を包んだ人達で溢れ返っていると言う様に、我々の社会は確実に画一化の方向に進んで行っているんですね。そんな画一化が進めば進むほど、逆説的にローカリティが重要になってくるという事は、言うまでも無い事かも知れません。そしてここスペインのバルセロナと言う地域は、今でもそのローカルなアイデンティティに満ち溢れたパワーを「これでもか!」と見る事が出来る、世界でも数少ない稀有な地域となっています。

グローバルの中にローカルの息遣いがハッキリと見て取れる事、それは書籍などの活字からでは決して理解出来る事なのではなく、自分の五感を通してしか、その体験を記憶として自分の体の中に蓄積出来ない事なんですね。何故ならそれは、「今、ココ」でリアルに起こっている事だからです。そしてその様な体験こそ、どんな情報でも整理し引き出せてしまう天下のグーグルにも提供出来ない類の情報であり、情報化が進めば進むほど、「生身の体験」、「自分が今まで蓄積してきた経験」の重要性が大きくなっていくだろう事を示唆しているのだと思います。

それらの事が、僕が今、途方も無い時間とお金を注ぎ込んでバルセロナに居る事の理由なのかも知れません。
| バルセロナ歴史 | 04:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サグラダファミリア前で、カタルーニャの伝統「人間の塔」に遭遇
週末の朝は、いつもよりもゆっくり起きて、新聞を買いつつ近くのカフェでコーヒーとクロワッサンで朝食を取ると言うのが、僕の人生最大の至福の時の一つなんだけど、その後にサグラダファミリアを拝んで帰ると言うのが、最近の僕の日課になりつつあります。

前回のエントリで書いた様に、先週末はサグラダファミリア前に沢山の人達が集まって、「日本との連帯の日」を祝ってくれてたんだけど、一昨日通りかかったら何やら人だかりが出来て何かやってる様子。「何だー」とか思って覗いてみたら、先週末はどうやらサグラダファミリア地区のお祭りの日らしいと言う事に気が付きました
(地中海ブログ:今年のサンジョルディ(2011)は「日本との連帯の日」に:カタルーニャが日本を全力で支援してくれています)



受難の門前の公園には大きな舞台が設置され、そこでは民族衣装に身を包んだ小さな女の子達が、この地に伝わる(と思われる)踊りを一生懸命披露してくれてたんですね。何も知らずに通りかかった観光客達は大喜び!写真取りまくり状態!!「受難の門側がこんなに盛り上がってるなら、生誕の門の方はどうなってるのかな?」と思いつつ行ってみたら予想通り!あっち側はもっと凄かった!


先週末同様、交通を全て遮断した歩行者空間には、人、人、人の山。テレビカメラとかも来てて、「何かあるのかなー?」とか思ってたら、掛け声と共に、青い服を着た集団が円陣を組んで何かやり出した。「あ、あれはまさかー!」:



カタルーニャの心、人間の塔だー!!
18世紀から続くと言われている、この地に伝わる伝統、人間の塔って言うのは、まあ、簡単に言ってみれば組み立て体操の事なんですね。先ずはみんなで円陣を作り、上に登って行く人が落ちてきても大丈夫な様に、人の手でしっかりと安全ネットを作ります。そしてその土台の上に先ずは第一段目の塔が出来上がる:

それが出来たらその人達を伝って、第二段目、三段目と続くのですが、この塔、結構高くて不安定なので、崩れやしないかと、見てるこちらの方が、ハラハラドキドキ!



上に行く程、体重が軽い人が登る事になるんだけど、天辺は大概小さい子と決まっているんですね。で、その子が、片手を上げたら完成の合図なんだけど、もう、本当に直ぐにも崩れそうなくらい不安定なので、片手を上げて静止してる時間なんてまるで無し。



小さい子が頂上に辿り着き、手を上げるまでの時間、わずか
1秒足らず()。と言う事で写真は撮れませんでした(悲)。



降りる時は、上る時と全く逆の手順でやるんだけど、見てたら上から順番に、まるで上り棒を滑って降りていくかの様に、かなりスムーズに解体してました。周りからは大歓声と割れんばかりの拍手喝さい。サグラダファミリアの前でカタルーニャの国旗も沢山はためき、「カタランパワー炸裂!」って感じでした。そうこうしてたら、隣で緑色の服の一段が何やら円陣を組み出した:



どうやらもう一つ別のグループが今度は人間の塔を作るらしい。手順はさっきとそれ程変わらないんだけど、一段目が6人くらい居て、さっきよりも規模が大きそう。

あれよ、あれよと言う間に2段、3段と出来ていき、気が付けば、今度は3人くらいの小さい子達が頂上を目指して登ってる。



「今度こそ、頂上の子が手を挙げた瞬間を撮ってやるぞ!」と意気込んだんだけど、やっぱ駄目だった。だって、ホント、一瞬なんですよ!

この人間の塔は、カタルーニャの団結を表す、由緒正しい伝統行事で、良くお祭りの時なんかに各地でやられてるんだけど、こんな真近で見たのは今回が初めてでした。マンモスラッチーって感じだったかな()
| バルセロナ歴史 | 06:30 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」

今週はマドリッドで欧州委員会の人達と打ち合わせがあった為に、何時にも増して一週間が慌ただしく過ぎていった様な気がしたんだけど、そんな中、先週の月曜日にふとした事がキッカケで、FCバルセロナ(バルサ)の本拠地、カンプ・ノウ・スタジアムと、そこに併設されているバルサ・ミュージアムに行く機会がありました。



僕はそんなに熱狂的なバルサファンと言う訳では無いので、毎週末カンプ・ノウにバルサの応援に行くと言う事はあまり無いのですが、それでも今までに何回かはこのスタジアムに足を運んだ事はあったんですね。収容人数98600人を誇る欧州最大のこのスタジアムの中に最初に身を置いた時の興奮は、今でも昨日の事の様に覚えています。10万人もの人々が、ゴールが決まりそうになる度に悲鳴の様な歓声を上げると、正にその度に空気が振動する様なあの感覚!あの臨場感!

そんなスタジアムの真横に併設されているミュージアムは、実はバルセロナに数多く存在する美術館/博物館の中でも、ピカソ美術館に次ぐ集客力を持つ協力な観光スポットなんだけど、今まで一回も行った事が無かったんですね。そんな訳で今回は「良い機会」とか思って、かなり軽い気持ちで行ったんだけど、これが予想以上に面白かった。



先ず、長-い列に並びチケットを購入すると、そこから真っ直ぐに延びるブリッジを渡りスタジアムへとアプローチして行く事になります。実は今日は全く建築的な質なんかには期待してなかったんだけど、このアプローチ空間に関しては、「今からスタジアムに入って行くぞ!」って言う気持ちを整える空間として見事に機能している様な気がしますね。そしてここには国内外に良く知られているFC Barcelonaの、こんなスローガンが掲げられています:

「クラブ以上の存在(
MES QUE UN CLUB))

そう、カタルーニャにとってバルサと言うチームは、一つのサッカークラブ以上の存在として捉えられ、正にカタルーニャのアイデンティティそのものであり、民主化運動の歴史そのものだと考えられているんですね。

何故か?

何故ならカタルーニャが徹底的に虐められていたフランコ政権下においてさえも、心おきなく「ヴィスカ!(万歳)」と(当時は禁止されていた)カタラン語で叫ぶ事が出来た唯一の公共空間がカンプ・ノウであり、レアルマドリッド対バルサの一戦に限っては、フランコ対反フランコと言う、云わば、代理戦争そのものの様相を呈していたからなんです。まあ、フランコ政権側としては、圧政下での「ガス抜き」と言う意味合いもあった様ですけどね。



そんな遥か昔に思いを巡らせながらミュージアムの中に入っていくと、あるわ、あるわ、お宝が!



110年と言う長―いクラブの歴史を示すかの様な、歴代の優勝カップやらメダルなんかが所狭しとガラスケースの中に立てかけられているじゃないですか!しかもその数が半端じゃないし。



タッチパネルなどの最新技術を用いて、歴史に残る名勝負の数々を思う存分楽しむ事が出来る仕掛けなんかは、ファンにとっては嬉しい事この上ないはずです。



ここを抜けると選手達が普段使っているロッカールームやら、実際に記者会見などをするプレスルームなんかを通り抜ける事になるんだけど、観光客の皆さんにとって最も嬉しい瞬間、最も興奮するであろう、この博物館のクライマックス的な空間はココでしょうね:



バルサの選手がフィールドに入ってくる時に駆け下りてくる通路です。実はこの通路、両サイドに仕掛けられたスピーカーから、実際の試合時に録音したと思われる観客の歓声や拍手が流されていて、あたかもバルサの選手になり切った様な気分を味わう事が出来る空間になっているんですよ!「いやー、これは気持ちがいい!」。「こんな感じで選手はフィールドに立つんだなー」と言う事が、正に五感を通して伝わってくるかの様です。そしてその先に待っているのがこの空間:



10万人収容の欧州最大規模を誇るサッカースタジアムの全貌です。これはスゴイ!圧巻の風景。



向こう側にはさっきも見たバルサのスローガン、「クラブ以上の存在(Mes que un club)」と言う文字が座席に掲げられています。



実際の試合ともなると、このスタジアム全体を10万人もの人々が埋め尽くし、その人達が阿吽の呼吸で掛け声とかするんですから、それはそれで(ある意味)恐ろしい光景が目の前に広がる訳ですよ。10万人って言ったら、関ヶ原の合戦の徳川軍よりもちょっと多いくらいの人数ですね。と言う事は、当時の関ヶ原の合戦では、「これだけの人達が家康の「いけー」とか言う掛け声にのって、一斉に傾れ込んだのかー」とかちょっと訳の分からない事を考えてしまった(笑)。

さて、この圧巻の風景が広がるグランドを抜けると最上階に位置するプレスルームへと導かれるのですが、ここは全面ガラス張りで、試合が一望出来る、正に特等席になってます。



これは見やすいなー。テレビで見るのとほぼ同じ感覚です。

歴代選手のユニフォームやスパイクの陳列、そしてバルサの歴史から始まって、選手のロッカールームだとか、スタジアムを堪能しまくった後は、ファンならずとも気持ちが高ぶってくると言うもの。そこを逃すまいとちゃっかり攻め込んでくるのがバルサのマーケティングのすごい所なんだけど、このルートの最後には何と、合成技術を使った、「メッシと一緒に記念撮影」みたいなコーナーがあるんですね。



これが結構高いんだけど(一枚確か10ユーロとか(詳細は分からず))、やっぱりみんな興奮してるから、メッシと一緒に写真撮影したいと思うんだろうなー。



だって、こんなに並んでるんですよ、この合成写真の為に!そして最後のダメ押しがコチラです:



バルサのオフィシャルショップ。こちらでは選手のロゴが入ったユニフォームだとか、マグカップとか売ってるんだけど、興奮状態の中でこういうの見せられると、それだけで買いたくなっちゃうのが人情と言うもの。子供にせがまれた親も、「今日くらいは」って財布の紐が緩くなっちゃうのも分からないでも無い。

うーん、この建物全体を最大限に利用したマーケティングはちょっとスゴイかも。人々の気持ちをどうやって高揚させるかを考え抜いた末に、ある一つの物語を考え出し、それを一つのルートに乗っけて実践していく巧みさ、そしてその戦略性には舌を巻くものが有ると思います。更にスタジアムと言うのは試合をやってる時以外は「もぬけの殻状態」なので、メンテナンス費用がかかる分、放置しておくとその分だけマイナス費用を生み出すお荷物な訳ですよ。そこにちょっとした飾り付け(展示物)をして、ルートを設定するだけで、「金の卵を産む鶏」に変えてしまったのだから、その手腕は素晴らしいと言わざるを得ないと思いますね。

バルサの試合には毎回興奮するけど、「それ以外にも実は見るべき所はある」と言う事を痛感させられた今回の訪問でした。正に「ゴールは偶然の産物ではない!実はその裏には物凄く巧妙に張り巡らされた戦略と言うものが潜んでいるんだ!」と言う事を、正に体験を通して見せ付けられたバルサ・ミュージアム初体験でした。

追記:

今年(2016年)最後のリーグ戦(12月18日、エスパニョール戦)でメッシが4人を抜き去る神業ドリブルを披露!La Vanguardia紙(12/20)は見開きで詳しすぎる解説を載せています。

| バルセロナ歴史 | 06:48 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日その3:カタルーニャの場合
911日、それは世界のほとんどの人にとっては9年前ニューヨークで起きた世界同時多発テロ事件のメモリアルデーと言う記憶のされ方をしていると思うのですが、この日、僕の住んでいるバルセロナを中心とするカタルーニャ地方では全く別の世界が繰り広げられています。



カタルーニャでは世界の目が911日に向けられる遥か以前からこの日を「カタルーニャの記念日」として祝ってきたのですが、と言うのも、300年前のこの日は、この「地方の形」を決定付けた政治経済文化的な分岐点となった日だからなんですね。その直接的な原因となったのは、スペイン継承戦争においてハプスブルグ家側に加担したカタルーニャが惨敗した事がキッカケだったんだけど、「カタルーニャと言う地域の特権を守る為」に、負けると分かっていながらも憎っくきブルボン軍に立ち向かっていったカタラン戦士達の勇気に敬意を評す為、バルセロナが陥落した9月11日を記念日としたと言う訳なんです(詳しくはコチラ:地中海ブログ:もう一つの911日:カタルーニャの場合



バルセロナ市内のサン・ホアン大通りの近くには、この時戦った戦士達のリーダーであったラファエロ・カサノバ(Rafael Casanova)の彫像があるのですが、この日はこの彫像の前に多くの政治家達がカタルーニャの国旗に彩られた大きな花束を捧げにやって来ます。



それらお祝いに来る政治家達の表情を逃すまいと、固定カメラまで準備している周到さ。そして街頭を埋め尽くした人、人、人!現在のこの辺りは中国系のお店が集まりまくっているバルセロナのチャイナタウンの如き様相を呈しているのですが、この日ばかりは中国語の看板を覆い尽くす程の赤と黄色のカタルーニャ国旗で埋め尽くされた風景が展開しています。そしてパン屋さんの店頭にはこんなものが並んでる:



じゃーん、カタルーニャ模様のケーキ!ナカナカ奇麗だけど、それよりも何よりも美味しそう!!まあ、こんな感じでこの日は街を挙げてのお祭り気分なんだけど、その一方で、先日行われた新カタルーニャ自治憲章案のデモの件があったり(地中海ブログ:スペインの民主主義始まって以来の歴史的なデモ:新カタルーニャ自治憲章案に関して)、11月にはカタルーニャ州議会の選挙が控えていたりと、かなりの(政治的な)混乱が予想されていた為に、例年よりも配備されている警察官の数が多かった様な気がしないでも無かったかな。



お祭り好きの僕は毎年この行事には参加しているのですが、例年通りの道順だと、この後ここから歩いて15分程度の所にあるシウタデリャ公園(Parc de la Ciutadella)に移動し、そこで行われている数々のイベント(政治的な儀式やらコンサートやら)に参加しつつ近くにある中華料理屋さんでラーメンを食べて帰ると言うのが定番コースになっています。ちなみにこの中華料理屋さんと言うのは数年前に食通のMさんに教えてもらった、バルセロナでは珍しい手打ちラーメンを出しているお店。そう言えば、(驚くべき事に)今年度の「地球の歩き方、バルセロナ編」に紹介されていましたね(地中海ブログ:手打ちラーメンの店:斎心面館II)。バルセロナ在住者ならともかく、日本から来る日本人観光客の皆さんは特に行く必要は無いと思うんだけど・・・。

さて、実は余り知られてはいませんが、シウタデリャ公園で行われるコンサートを巡っては毎年ちょっとした衝突が繰り返されています。去年はイスラエル出身でヨーロッパでは超メジャー級の歌手であるNOAが招待されていたのですが、彼女の意図とは関係なく、カタルーニャ独立派によって彼女の存在が勝手にパレスチナとの関係に結びつけられてしまって、誹謗中傷の的になると言う事件が起こってしまいました(詳しくはココ:地中海ブログ:もう一つの911日:カタルーニャの場合その2

更にその前の年にはアンダルシア出身のフラメンコ歌手が招待されてたんだけど、「カタルーニャの神聖なお祝いなのに何故フラメンコなんだ!それに何故カタラン語で謳わないんだ!」と歌と踊りを披露している最中に、コレ又大規模なデモが行われてしまったんですね。まあ、僕から言わせればナショナリズム色が否が応にも強くなるこういうお祭り時には、全く関係の無い所から絶対に文句の付けようが無い人とかを呼ぶ事を提案したんですけどね。例えば松田聖子とか(笑)。さっぱり関係ないでしょ?全く関係無いからカタルーニャ独立派も文句の言いようが無いはず(笑)。カタラン人達の前で青い珊瑚礁とか結構良いと思うんだけどなー。この時期のバルセロナの空と海も真っ青だし。

まあ、冗談はコレくらいにしつつ、今回メディアの注目を最も集めていたのがこの人:



つい先日、労働移民大臣を辞職する事を明らかにしたセレスティーノ・コルバチョ氏(Celestino Corbacho)です(地中海ブログ:スペイン、サパテロ新内閣(Jose Luis Rodriguez Zapatero):セレスティーノ・コルバッチョ(Celestino Corbacho)労働・移民相(Ministro de Trabajo e Inmigracion)とスペインの移民問題)。今月末29日には大規模なゼネストも計画されているし、何故今の時期に内閣を辞職したのか?それは再来月行われるカタルーニャ州議会選挙と関係があるのか?元々の政治基盤であったホスピタレット市に戻る気はあるのか?など、メディアとしては聞きたい事が山程あるという、今正に旬な人と言った所でしょうか。そしてもう一つ気になったのがコチラ:



「カタルーニャ言語推進委員会」みたいな団体とか、カタルーニャ独立推進団体みたいなのが、ここぞとばかりに思いっきり自分達の活動を売り込んでいました。実際、僕がこのスタンドの近くを通った際、「カタラン語を大学の授業のメイン言語にする運動をしています。署名をお願いします」みたいな署名活動とかされちゃったし。うーん、気持ちは分からないでもないけど、やはり言語とか独立とか、今日のお祝いにはさっぱり関係ないので、その辺は自粛した方が良いんじゃないの?とか思っちゃいますけどね。気持は分かりますけどね、気持は・・・。そして今日見た中で最も(ある意味)スゴかったのがコチラ:



じゃーん、バルサ!!全く関係ないじゃん(笑)!まあ、お祭りだから何でも有りと言うノリなんだとは思うんですけどね。ま、いっか。
| バルセロナ歴史 | 18:23 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グローバリゼーションの中における現在のナショナリズムについて:ワールドカップとカタルーニャ新自治憲章案
奇しくも今週のバルセロナでは、ワールドカップ、そしてカタルーニャ新自治憲章案という2つの全く違ったテーマを軸に、グローバリゼーションの中におけるナショナリズムとは一体何なのか?と言う事を考えさせられる良い機会に恵まれています。

今週水曜日にスペイン代表がドイツ代表を下してからというもの、カタラン人達のおしゃべりにおいてワールドカップの話題が出ない日はありません。面白いもので、普段は絶対にサッカーなんて見ない様な女の子達まで「プジョールかっこいい」とか言ってるのには驚きました(笑)。まあワールドカップというのは、現在のグローバリゼーションが進行する世の中において、国民が一丸となって自国を応援する事が出来るナショナリズムをくすぐる場であると言う事を考えるとそれ程驚きではないんですけどね。そんな中での今回ちょっと異色の事件:



日本でも話題になっているタコのパウル君です。実はパウル君、今までのドイツ代表の試合結果を全て当てているらしく、今週行われたスペイン対ドイツの試合も「スペインの勝ち」と予想していた事から、「負けたのはパウルのせいだ!パエリアにしちゃえ!」とか八つ当たりされているらしい。そんな因縁をつけられたパウル君を守る為にスペインのサパテロ首相が「食べないで!」と声明を発表したくらいなんだけど、僕的にはドイツ人の頭の中に、「タコ=海産物=スペイン料理=パエリア」っていうイメージの連鎖がある事の方が興味深かったですけどね。個人的にはどうせタコ料理にするんだったら、ガリシア風タコ煮の方が絶対お薦めだと思うんだけどなー:



ガリシア風タコ煮(詳しくはコチラ:地中海ブログ:バルセロナの食べ歩き方:この値段のガリシア料理にかけてはバルセロナ1じゃないかと噂のレストラン:Meson a Cada da Veiguela

さて、サッカーが国家や国民にとってどれ程重要なのか?もしくはどういう意味を持っているのか?と言う事は、今回のワールドカップの勝敗が原因で各国で起こりつつある大事件が何よりも明快に物語っていると思います。例えば日本でも良く報じられている様に、フランス代表団の内輪揉めが原因で、チームが内部崩壊した事に対する責任説明を、代表団の監督が公の場で求められたと言うのは、あたかも国家レベルの政治的な大事件の様相を呈しているかの様です。

もしくは(こちらは日本では全く報じられてないのですが)ナイジェリアの大統領、Goodluck Jonathan氏がナイジェリア代表の結果が余りにも酷かった為に、大統領自らの命で、今後2年間の国際試合を禁止したと言った事がありました。その裏には、つい先日就任したばかりの現政権のイメージを保つ為の施策であると見る動きもあるんですね。

一転、スペインではどうかと言うと、スペイン王室挙げて全面的に応援に回っており、水曜日に行われた準決勝にはスペイン王妃が直々に南アフリカまで応援に駆けつけていたくらいです。更に試合後には王妃自ら選手の控え室まで労をねぎらいに行ったそうなんだけど、その時、プジョールは着替えの真っ最中で、王妃の前でタオル一枚だったというオチまで付いていました(笑)。


サッカーとナショナリズムの関係については社会学の分野で結構研究が進んでて、良く知られている所なんかでは、オランダ人の社会学者Van Houtum y Van Damの研究なんかが有名ですね。もしくはイギリスの社会学者、Richard Giulianottiなんかはこんな事を言っています:

「サッカーと言うのは、世界の中において自国のアイデンティティの輪郭を定める教育やマスメディアと同様に、最も重要な文化的制度の一つである」

“una de las grandes instituciones culturales, como la educacion o los mass media, que da forma y cimenta la identidad nacional a lo largo del mundo”

もしくはトルコのノーベル賞作家、Orhan Pamukなんかは、トルコにおけるサッカーの地位について、

「(サッカーに関する話題は)ナショナリズム、外国人排他、そして権威に関する論争や思考を生産する機械と化している」

“Habia convertido en una maquina para la produccion del pensamiento nacionalista, xenofobo y autoritario”

と語っている程です。

僕が2006年にフランクフルトへ行った時の事、教会の側にあった小さな美術館(名前忘れた)でちょっとした特別展が開かれていて興味深く見てたんだけど、その展覧会の意図は「サッカーというのは現代の宗教である」みたいな事が言いたかったのかなー?とか思ってた事を今でも覚えています。国旗を模したカラフルな衣装や、顔に様々な模様を描いている様子なんて、未開の地の民族のお祭りを彷彿とさせるものがあるように思えてなりません。エリアーデとか生きてたら、喜んでその辺の関係とか研究したのではないのでしょうか?

さて、そう言った流れがある一方で、全く偶然なんですが、この数日というもの、カタルーニャではカタルーニャナショナリズムが近年稀に見るような勢いで盛り上がりを見せています。その引き金となったのが、先日、憲法裁判所から返答があったばかりのカタルーニャ新自治憲章案についての回答だったんですね。

「カタルーニャ新自治憲章案とか何か?」と言うと、(簡単に言えば)、カタルーニャ州の権限を最大化しようと言う、州レベルで定めた憲法のようなものの事なんですね。元々カタルーニャ州は最初の自治憲章をフランコ独裁後の1979年に制定しているのですが、今回の親憲章案はそれを改訂&強化する形で提案されたものとなっています。その中にはカタルーニャ国民を認めるか?と言う問題や、言語や教育の問題など、欧州ースペインーカタルーニャの基本的な関係を築く上で大変重要な問題が数多く含まれている事から、長い間、カタルーニャとスペインの間で激論が交わされてきたと言う訳なんです。

しかしですね、今回、憲法裁判所から帰ってきた回答を見て、カタルーニャ州政府大統領初め、多くのカタラン人達はガッカリ。何故ならカタルーニャの社会政治状況を良くするはずの新法案が、蓋を開けて見れば全くかけ離れた内容のものとなっていたからです。そして遂にカタラン人達がブチ切れた!そんなこんなで、今日午後6時から、国を挙げてのデモが目論まれていると、まあ、こういう訳なんです。では、今からそのデモに行って来たいと思います。その結果は次回のエントリで!!
| バルセロナ歴史 | 22:17 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日:カタルーニャの場合その2
昨日9月11日のトップニュースと言えば、やはり8年前に起きた世界同時多発テロの追悼式関連だったと思います。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど、アメリカに拠点を置く新聞は勿論、世界各地の主要新聞の一面を飾ったのは、雨が降りしきる中での、残された遺族達の姿と演説するオバマ大統領の姿だったはず。



ただ一つの地方新聞を除いては・・・そう、それが我らがLa Vanguardia!!!(なんか、今年の9月1日、衆院選翌日の一面トップに、朝日を初め各紙「民主党勝利!」みたいなのを持ってきているのに、読売スポーツだけ、「(ゴルフの)遼君、池ポチャ」みたいな、一人だけ違う世界色をバンバン出しているのにちょっと似てる(笑))



何故ならバルセロナを中心とするカタルーニャ地方では、この9月11日という日はものすごく特別な日で、何十年も前から自分達の社会・文化的方向性を決定付けた記念日として盛大に祝っているからなんですね。

約300年前のこの日、カタルーニャの地方特権を守る為、勇敢にもブルボン・フランスの大軍に立ち向かう少数のカタラン人達がいました。彼らこそRafael Casanovaを筆頭としたカタルーニャ連合軍の生き残りであり、彼らが戦っていた戦争こそ、当時敗戦色の強かったスペイン継承戦争だったのです。

時は1714年、ハプスブルグ家とカール大帝が・・・グー、グー、グー(グーグーガンモ)っと、こんな話してたら眠ちゃいますね(笑)。と言う訳で、もうちょっと突っ込んだ話が知りたい人はコチラ:地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合、地中海ブログ:ハプスブルグ家(Habsburg)のお膝元、ウィーン(Vienna)で過ごす2008年9月11日

まあ、結果としては、カタルーニャはこの戦争に負けて、今までこの地方だけに許されていた諸特権(自治権だとかカタルーニャ語の使用だとか)が前面的に禁止されて、スペインの一地方へと下る、云わば暗黒時代が始まる訳なのですが、近年の研究によると、この戦争に負けたおかげで、カタラン人が政治的な権力を掌握する道が塞がれ「成功したいんだったら商業だ!」という事で、皆がそちらへと舵を切った事によって、18,19世紀に開花する経済的繁栄の基礎を作る事になったそうです。

そしてこの戦争において、自らの命を賭して、この地方を守り抜こうとした彼らの思いに敬意を評し、この日は祝日とされ、朝から街を挙げての盛大なお祭りが延々と続くのがカタルーニャの9月11日なのです。下の写真は街中にあるRafael Casanovaの像に政治家達が次々と花束を献上している場面:



さて、ナショナリズムで固められたこの式典には、毎年海外アーティストなどが招かれ式典を盛り上げているのですが、その招待客を巡って今年はちょっとしたトラブルが勃発していました。今年招待されたのは、イスラエル出身の歌手、NOA。ヨーロッパでは超メジャーなNOAなのですが、何が問題だったかと言うと、彼女がイスラエル出身であり、彼女が意図する、意図せざるに関わらず、パレスチナとの関係に結び付けられてしまった事だったんですね。

この問題に敏感に反応し、論争を立ち上げたのが、カタルーニャ独立派であるICV。彼等の言い分はこんな感じ:

「元々自分達の土地だったパレスチナに土足で上がりこんできたのがイスラエル。この状況は、我らが母なる大地、カタルーニャに後から土足で上がりこんできたマドリッド(スペイン)にそっくりだ。(つまり、カタルーニャ=パレスチナ、マドリッド=イスラエル)。そんなイスラエルを代表しているNOAは、云わばマドリッドを代表しているようなもの。そんな彼女に歌わせると言う事は、我々の神聖な祭典を汚す事に他ならない。コレはカタルーニャに対する侮辱だ!」

みたいな。

それに対するNOAのインタビューが昨日の新聞(La Vanguardia, 11 de Septiembre, 2009, p10)に載っていました。要約するとこんな感じ:

「イスラエルの中にも過激派とか穏健派とか色んな派閥の人がいる。私は暴力を許さない穏健な中立派。許せないのは、一部の過激なカタルーニャ独立派が事実を捻じ曲げて、私の事を利用している事よ!」

みたいな。

僕はイスラエルやパレスチナの詳しい状況を良く知らないので、詳細且つ正確な社会状況の分析をする能力は無い&NOAが言っている正統性の是非も分からないのですが、「カタルーニャ独立派が彼女の立場を利用している」というのは当たってるでしょうね。今日の新聞によると、彼女が歌ってる最中にも、ICVによるかなり激しい抗議があったそうです。



確か数年前にも、祭典に招かれた歌手がフラメンコ調の曲をカスティーリャ語で歌って、大ブーイングが起こった事がありました。つまり、この件に関しては毎年何かが起こるというのが慣例になっているような気がします。ナショナリズムの問題なのでしょうがないとは思うのですが・・・。つまり問題は、宗教と一緒で、どれが間違っていてどれがあっているか?という事では無いと言う事です。みんな正しいんです。みんな間違っていないという事が問題を生んでいるんですね。

まあ、それはしょうがないなんだけど、招待する歌手なんかは、もうちょっと人選考えた方が良いんじゃないのでしょうかね?過去に何度も衝突があるんだから。例えば絶対にケチが付けられないような、そんなシガラミとは全く関係無い所から呼ぶとか、例えば、松田聖子とか(笑)。

9月11日のカタラン人達のど真ん中で、いきなり松田聖子が青いサンゴ礁とか歌ったら、かなり笑えますよね。



全く関係ないでしょ?



多分コレは駄目ね。マッチの「アンダルシアに憧れて」。カタルーニャに憧れろ!とか、カタラン人怒りそうだしね。



飛んでイスタンブール?カタルーニャに飛んで来い!みたいな(笑)。
じゃあ、まあ、今日はこの辺で。
| バルセロナ歴史 | 22:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 1/4PAGES
  • >>