地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ローマ滞在2015その2:ローマを歩く楽しみ、バロック都市を訪ねる喜び
ローマを歩いていると、「この街ほど都市と建築の楽しみかた、そして集まって住むことの喜びを教えてくれる都市はない」と、そう思えてきます。



直線的な街並みの向こうに見える壮大なモニュメント、いたるところに設けられた楽しげな噴水、何の前触れも無く現れる教会たち‥‥。



そう、この街では、彫刻、建築、そして都市の街路網ネットワークがバロック音楽の如く様々に主題を変えながらも劇的な眺望を用意し、壮大な交響曲を奏でているかのようなんですね。



ルネサンスが静的、秩序、比例などによって特徴付けられ、閉じた世界を理想としていたとするならば、バロックは劇的、動的、ダイナミックと言った単語で特徴付けられ、開かれた世界を目指していたと言えるかと思います。そして僕にとって大変興味深いのは、バロック建築が都市デザイン=都市空間のデザインであり、アーバンデザインであるという事実なのです。例えばこちら:



泣く子も黙るバロックの2大巨匠の一人、ボッロミーニ(Francesco Borromini)の傑作、サン・カルロ・アッレ・クッワトロ・フォンターネ教会堂(San Carlino alle Quattro Fontane)です。2層に重ねられた壁面が波打ち、波打たれる事によって、あたかも人をその空間に招いたり拒否したりしているかのようです。そして建築単体のファサードのデザインが、その建築だけに留まらず、街の空間にも影響を与えているのを見て取ることが出来るかと思います。



ちなみに僕がこの教会堂で心底感動したのがこちら:



教会堂の入り口に備え付けられた大理石の階段なんだけど、この歪みは、今までにこの教会堂を訪れた何百万人という人達一人一人の小さな重みの積み重ねによってこんなにも変形してしまった跡なんですね。この凹みこそ、如何にこの建築がこの都市にとって必要なものなのか、ひいては我々の世界にとって価値あるものなのかということを表しているのだと思います。



上の写真はパンテオン(Pantheon)の直ぐ近くに建つ、サンティニャツィオ(Piazza Sant Ignazio)という建物の写真なのですが、ここでは大小3つの楕円を形取るように、壁面がウネウネしているのが見て取れるかと思います。

ここでは建築自体が主役というよりも寧ろ、建築がその場の背景を形成する事に貢献しています。そう、まるでこの建築は、目の前にある教会堂の階段部分と建物の凹みにより創られた舞台の「背景になりたがっている」かのようなのです。



こちらは、かの有名なスペイン広場(Piazza di Spagna)の写真なんだけど、階段が緩やかなカーブを描いている事によって、その先がナカナカ見えないようになっています。そうする事で「この先に何があるのか?」という期待感を増大させる仕掛けを作っているのです。



頂上に到着した目の前には圧倒的な存在感の教会が眼前に広がり、振り返り様にはこの風景:



大変見事な演出です。そして極め付けはこちら:



この風景はトレヴィの泉(Fontana di Trevi)の近く、ダタリア通り(Via di Dataria)からクイリナーレ広場(Piazza del Quirinale)へ向かって坂を上って行く途中の写真です。左側の建物が先ずはしっかりとした軸線を作っていて、それに対してもう一つの建物の軸を少しずらす事によって上昇感を作り出しています。そしてその感覚は第三の建物が現れる事によって更に増します:



更に更に、もう少し進むと右側の壁が円弧を描きながらも大階段が先細りしていく事によって、この風景が大階段の前に劇的な効果を持って現れてきます。



‥‥と、まあ、こんな感じで街を歩いていると様々な風景が立ち現れてくるのですが、ここで取り上げたのは、ローマに無数に点在する風景のごく一部に過ぎません。そんな事を心に留めながら街歩きをしてみると、観光ガイドには載っていない、また違ったローマが見えてくるはずです。

これこそバロック都市を訪れる楽しみであり、ローマを歩く喜びなのです。
| 旅行記:都市 | 02:02 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
本邦初公開!ガリシア地方の山奥にリアル風の谷があった!エルミータ修道院(Santuario de Nuestra Senora de las Ermitas)
ガリシア地方のド田舎でのんびりとバケーションを満喫中だったんだけど、「どうしても(講演会&ミーティングに)来て欲しいのですが‥‥」みたいなメールが某所から送られてきて、「バカンス中なので‥‥」と断ったら、「そこを何とか‥‥」と言われてしまい、渋々人口500人の村からヨーロッパ金融の中心都市、フランクフルトへ。
←バカンスを謳歌する事を人生最大の楽しみにしているスペイン人だったら100%断ると思う。←っていうか、そもそも彼らはバケーション中はメールをチェックしないと思う←来年から僕もそうしよう(笑)。



という訳で、もう既にバルセロナに帰ってきているのですが、ちょっと時間を遡り、バカンス中に起こった出来事をメモ程度に書いておこうかなと思います(FacebookやTwitterと違い、ここがブログの良い所だと思う。過去の記憶をきちんと蓄積出来て、グーグルでも検索可能なので)。先ずはやっぱりガリシア名物、タコの話題から!



「ガリシアと言ったらタコ煮」と言うくらいスペインでは非常に有名なタコ煮なのですが、スペイン随一の港湾都市ビーゴ市(Vigo)に行った際に地元出身の知り合いが「ここで出される料理は絶品!」と、連れて行ってくれたレストラン、そこで出てきたタコ煮が凄かった→→→!!!



タコ丸ごと一匹(笑)!長年、色んなレストランでタコ煮を食べ歩いてるけど、タコが丸ごと一匹出てくるなんて聞いた事がありません。しかも美味しい!堅すぎず、柔らか過ぎず、絶妙な歯ごたえ!!さ、さすがタコ煮の聖地、ガリシア‥‥。恐るべしです。



さて、そんなガリシア地方なのですが、海産物やワインもさる事ながら、この地方の魅力といえば、非常に豊かな自然環境だと僕は思います。乾燥しきっているスペイン南部のアンダルシア地方とは違い、一年を通して比較的降水量が多い事で知られるガリシア地方というのは、何処に行っても深い緑に囲まれ、僕達の心を豊かにしてくれる大自然に出逢う事が出来ちゃうんですね。



ちなみにいま現在、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方では独立への気運が非常に高まってるんだけど、大変興味深い事に(というか同じ国(スペイン)だとは思えない程に)ガリシア地方では「独立」と言う言葉とは無縁の社会文化が展開されています。例えばカタルーニャでは「カタラン語をしゃべる事/しゃべれる事」が1つのステータスの様に考えられていて、若者の間では一種のファッションの様になっていたりするのですが、ガリシアでは逆に、「ガリシア語をしゃべる事がネガティブに捉えられる事がある」と言った様な認識が社会全体に蔓延っています(地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。

‥‥あー、また脱線してしまった。ガリシア地方については大変興味深い社会・経済・文化・政治・歴史がある割には日本語での情報が少なく‥‥。これを機に、意識的に書いていこうかな。

‥‥と、そんな事を思っていたら知り合いが、「近くに面白い教会があるよー」とか言い出した‥‥。なんでもその教会の創設は18世紀初頭らしく、昔からこの辺りに住んでる人達の「ローカルな聖地」になっているのだとか‥‥。

そんな事を聞いてしまったら行かない訳にはいきません!という訳で早速行ってきたのですが、これがビックリ!な、なんとこの教会、深い深―い谷の底に教会堂が位置しているという、「風の谷形式」を取っているじゃ無いですかー!
←風の谷形式とは、僕が勝手に名付けた建築タイプです(笑)。


(谷の上方から見たセナンク修道院)

これは正に5年ほど前に南フランスはエクス・アン・プロヴァンスで見たプロヴァンス3姉妹の次女、セナンク修道院と形式的には一緒です(地中海ブログ:風の谷のセナンク修道院:天空の城の後に見る風の谷:リアル宮崎駿ワールド)。


(ル・トロネ修道院内部)

ちなみに同じプロヴァンス地方に位置している、建築家なら誰しも憧れるル・トロネ修道院には、感動し過ぎて4日間連続で行ってしまいました(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院(Abbaye du Thoronet)の回廊に見る光について:地中海ブログ:プロヴァンス旅行その4:ル・トロネ修道院(Abbaye du Thoronet)の窓に見る神業的デザイン:地中海ブログ:プロヴァンス旅行その6:ル・トロネ修道院の絶景スポット発見!)。


(セナンク修道院から徒歩1時間弱の所にあるリアル・ラピュタっぽい様相を呈する天空の城ゴルド村)

今回のエルミータ修道院とセナンク修道院の大きな違い、それはセナンク修道院が世界的な観光名所であり、毎日大量の観光客で溢れ返っているのに比べ、エルミータ修道院の方は、スペイン国内にすらその存在を殆ど知られること無く、人知れずひっそりと佇んでいるという点かなと思われます。そりゃ、そうだよなー。近郊の街までバルセロナから電車で12時間、ビーゴからだって4時間、更にそこから車で1時間弱ですからね。地元の人以外で態々こんな所に来るなんて僕くらい(笑)。
←「cruasan‥‥相当暇だな!」とか言う声が聞こえてきそうですが‥‥(笑)

という訳で早速レッツゴー!(あ、ちなみにこの修道院、本邦初公開です)。

エルミータ修道院へは僕が滞在している村から山間を縫う様にクネクネと山道をひたすら走って行くだけなんだけど、それこそ気分はこんな感じ:

「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ〜♪」 ←じゃなくて、真っ白なオペル(OPEL)ww←しかもかなりポンコツ(笑)。



濃い緑の中を走る事、約30分‥‥「あ、あそこー」と知り合いが教えてくれたのがこの風景:



え、どこどこ‥‥?←眼が悪いのであまり良く見えない‥‥もうちょっと近寄ってみます:



あー、ほんとだー!教会っぽいのがある!しかもちょっとした村っぽいのも形成されてる!!上から見ると、谷底のどの部分に教会が建っているのか?また、周りの家々が教会に対してどの様な布陣を敷いているのか?がハッキリと分かって大変興味深いですね。‥‥と、ここで車を降りてみたら、天気も良いし、それほど暑くも無いし、何よりお昼まではまだちょっと時間があったので、谷底までは歩いて行く事に。



谷の頂きから谷底までは車一台通ったら一杯になってしまうくらい狭い道がスリバチ状にグルグルと走っているんだけど、その道なりに歩いていくと、自ずと谷の底=目的地である教会に到着する様になっています。



で、「僕が非常に面白いなー」と思ったのが、歩いて行くにつれて教会の姿が違って見えてくるというポイントなんですね。まあ、当然と言えば当然なんだけど、少し歩くとさっきまで見ていた教会とは全く違う様相を呈してくる訳ですよ!

ほら、こんな感じで、さっきまでは凄く遠くに見えていた教会が、今はちょっと大きくなりました(笑)。



更にさっきまで見ていた方向、角度とは違う教会の顔も見えてきちゃったりします。



‥‥これは僕の個人的な性格であり資質でもあると思うんだけど、僕はこの様な、日常の風景の中に見え隠れするチョットした差異、「パッと見」は一緒なんだけど、「よーく見るとホンのちょっとだけ違う」‥‥そんな所にとっても感動してしまいます。



それが良い事なのか悪い事なのか、それは僕には分からないし、そんな事は僕にとってはどうでも良いことなのです。そうではなくて、「僕の眼には世界はこう見えている」、「こういう風に僕は世界を切り取っていて、世の中にはこんな風に世界を見てる人がいる」、そう言っているだけなのです。



多分、こんな些細なこと(つまりはちょっと歩いたら教会がホンのちょっとだけ違って見えるということ)は、世界の大多数の人にとってはどうでも良い事だし、多くの人達は、それこそ何も気が付かないままに過ぎ去っていく1つの風景でしか無いのだと思います。でも、こういうちょっと違った見方をするマイノリティ、そういう多様な人々が集まりながら我々の社会というものは形成されているが故に、僕達の世界は面白いのだし、非常に魅力的だと思うのです。



さて、あちら側の斜面には、ワインを作る為のちょっとした葡萄畑が見えちゃいます。更に更に、道のあちらこちらでは様々な植物を見る事が出来て、ここになっているのなんて、そう、栗です!



かなり下の方まで降りてくるとちょっとした小川がありました。



上空を見上げれば、雲1つない快晴。正にスペイン晴れ(笑)。



そんなことを思っていたら、不意に出会すのがこの風景:



じゃーん!ようやく教会の足下まで到着〜。教会まではあと一歩なんだけど、ここからが結構大変だった!物凄い急な坂を上らなきゃならなくて、ホント、つまずいたらそのまま谷底までまっしぐら‥‥みたいな(笑)。



面白いのは、教会の周りに住居群が出来ていて、この教会を中心とした小さな村が形成されている事です。「あー、ヨーロッパの街というのは、やっぱり教会を中心に形成されてきたんだなー」と改めて思わされる瞬間です。



なんて言ったって、鐘の音が聞こえないエリアは浄化されていないので「悪魔が出る地域」と認識されていますからね。←スペインってリアルに王様とか居るし、お城とかあるし、正にドラクエの世界、そのものです(笑)。

そしてとうとう目的地である教会に到着〜。うーん、なんとも感慨深い。



教会に行く意味。それは勿論、お祈りをしに行く訳なのですが、それよりも何よりも、そこに到達するまでに色んな事を考え、色んな思いを巡らしながら歩く事、そしてその途中に展開している風景を心に刻みつける事、それが重要なんじゃないのかな?

現代社会を生きる僕達には、それこそ車という大変便利な文明の利器が利用可能なので、どんな辺境だって、来ようと思えばそれこそ何十分、何時間という比較的短い時間単位で訪れる事が出来ます。しかしですね、この教会が創られた何世紀も前にはそんな便利なものは無かった訳で、もっと言うなら、夜道を照らす街灯も何も無い訳で、そんな中を遠くの村から何日も掛けて歩いてくる信者の人達は、さぞかしこの教会が有り難かったことだろうと想像するんですね。



ジュースが飲みたいと思ったら近くのコンビニで買ってみたり、何処かに行きたいと思ったら新幹線に乗って日本一周だって出来てしまう今の世の中。そんな現代文明から少し離れ、こうして歩いてみるだけでも、今まではナカナカ見えなかった事象が見えてきたり、車に乗っていては気が付かなかった風景が見えてきたりと、人生が又1つ豊かになった気がします。

良かった、非常に良かった!来年もまた来てみよう。
| 旅行記:都市 | 04:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア地方でのド田舎生活:コウノトリの巣ってこんなに大きいって知ってた?
先日から始まったガリシア地方でのド田舎生活。

都会で生活していては絶対に見ることが出来ないモノ/体験出来ないコトに出逢えてしまうのがココで暮らす醍醐味だと思うんだけど、僕がこの村に来て大変驚いた事の1つがコチラです:



直径1メートルを超えると思われるコウノトリ(スペイン語ではcigüeñaと言います)の巣なんですね。この地方にはこの様なコウノトリの巣が、教会や集合住宅の屋根、はたまたお店の軒先など、至る所で見られます。



日本では「赤ちゃんを運んでくる」という逸話と共に知られているコウノトリなんだけど、この鳥がこんなにも大きな巣を作るなんて知っている人はあまりいないのではないでしょうか?(←これこそ正に、建築家無しの建築!) 実際僕はこの田舎に来るまで、コウノトリの巣をこの眼で見る事になるなんて夢にも思わなかったし、コウノトリという鳥自体、見た事ありませんでした(笑)。

ちなみに(日本と同様に)スペインでも、「コウノトリは赤ちゃんを運んでくる」という逸話と共に知られてるんだけど、スペインのコウノトリは「赤ちゃんを「パリ」から運んでくる」という事になってるらしい(驚)。 ←「って事はスペイン人と言うのはフランス人なのー!?」とか、知り合いが言ってて、ちょっと面白かった(笑)。

ちなみに僕が滞在している家のお隣さん、クララお婆ちゃんの家の地下にはこんなのがいたりします:



丸々と太った2匹の豚ちゃん(笑)。全長1メートルくらいあって、驚くほど元気がいいww。聞いた所によると、毎年11月くらいに知り合いから子豚ちゃんを貰ってきて、その子豚ちゃんを1年くらいかけて育てるらしい。で、その豚ちゃん達、10月になったらこんな風になっちゃいます:



←生ハムでーす(笑)。ちなみに、豚ちゃんの後ろ脚からとれるのが生ハム(Jamon)、前脚からとれるハムをLaconと言います。つまり一匹の豚ちゃんからは2本の生ハムと2本のLacon、合計4本ものハムがとれるということなんですね。もう1つちなみに、日本でも大人気の「ベジョータ」とは、ドングリの実だけを食べて育った最高品質の黒豚ちゃん、その後ろ脚から作った生ハムの事を指します←どうでもいいマメ知識終わり(笑)。



毎日お昼前になると、向かいのチャベラお婆ちゃんの家の庭になっているイチジクをもらいに行きます←食後のデザートにするため。



その帰り道、村で唯一のパン屋さんにパンを買いに行きます。ちなみにこのパン屋さんでは、昔ながらのパン釜でパンを焼いているので、13時頃にパンを買いに行くと、それこそ出来立てホカホカのパンが貰えちゃいます(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

このパンにバターと蜂蜜をぬって食べると、もう最高〜。

日本の一流レストランや星付きレストラン(バルセロナ)で出てくる料理に舌鼓を打つのもいいけど、こんな風に自分達の身近で獲れたものをテーブルに並べるという生活も、また悪くは無いかなと思います。

‥‥とココまで書くと、「な、何―!cruasanのやつ、現代社会は疲れるから、「みんなで原始の生活に戻ろう!」って言ってるんじゃないのー?」って思う人がいるかも知れませんが、そうではありません。そうではなくて、このような生活、我々が知っている尺度とは別の尺度で動いている社会というものが存在し、そこでは我々現代人とは全く違った価値観で全てのものが動いていると言う、ただ、その事を知ってほしいのです。



‥‥この村に身を置いていると、研究室(ボストン)の同僚(ブラジル人)が言っていた言葉を思い出します:

ブラジル人同僚:ブラジルにはAmazon(ネット通販)が無いんだよねー。
フランス人同僚:でもブラジルには本物のアマゾン(熱帯雨林)があるじゃない!


この会話を聞いていて、どちらの「アマゾン」があった方が我々(=人間)にとって幸せなのか‥‥ちょっと考えてしまいました。

‥‥いかん、いかん、何も考えずに「ボーっとする」ことがこのバケーションの目的だった(笑)。バナナ食べて寝よ。
| 旅行記:都市 | 01:03 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
今日から夏休み!ガリシア地方のど田舎で過ごす2014年の夏
ボストン→ニューヨーク→名古屋→ソウル→アムステルダムと、地球を約1周して、ようやく一昨日バルセロナに戻ってきました。



7月下旬にボストンを発って以来、この一ヶ月の間に6カ所の空港を利用する機会があったのですが、その際、幾つか気が付いたことをメモ程度に書き留めておこうかなと思います。

先ず、それら殆どの空港でwifiが利用可能(勿論無料)だったと言うこと。そしてその中でも唯一、無料wifiを提供していなかったのが、何と!ニューヨークのJFK空港!!ニューヨーク=大都会=「wifi無料提供は当たり前」くらいに思っていたので、この事実は個人的にはかなり衝撃的でした。



また、以前書いた様に(地中海ブログ:アムステルダム出張:如何に訪問者にスキマの時間を使って街へ出るというインセンティブを働かせるか?:スキポール空港(Schiphol Airport)の場合)、スキポール空港(アムステルダム)は、自国の特徴を全面に押し出していて、(オランダらしく)チューリップを大々的に空港で売っていたり、空港内に美術館を完備していたり(フェルメール関連の広告付き)、はたまたシャワー室があったりと(一回700円くらい)、長時間滞在していても全く退屈しない造りになっていて、空港という機能を「その都市における玄関口」とキチンと認識している辺り、「さすがヨーロッパを代表する国際空港を名乗るに相応しい格を持っている」と再確認しましたね。



そしてもう一カ所、今回の地球横断移動に際して僕が非常に感心したのが、ソウル(韓国)の玄関口、仁川空港の素晴らしさだったんですね。



何がそんなに素晴らしかったかって、空港自体が非常に機能的且つショッピング通りの充実さもさることながら、空港の至る所に韓国伝統芸能を扱ったお店や体験コーナーみたいなのが用意されていて、様々なデモンストレーションをやっていたりするのです。これは仁川空港で長時間トランジット待ちをしていた一人の空港利用者として、非常に嬉しかったなー。

だいたい空港でトランジット待ちをしている人達って、ショッピング以外、その時間帯は特に何をする訳でもなく(なかにはパソコンを広げたりして働いてる人もいますが)、退屈な時間を過ごしている事だろうと想像します。この様な隙間時間に目を付け、自国の文化に興味を持ってもらえる仕掛けを創り出し、トランジット待ちの人々に働きかけるというのは、非常に上手い戦略だと僕は思います。

さて、そんなこんなで各都市の空港を回りつつ、一昨日、約8ヶ月ぶりにバルセロナに帰ってきた訳なのですが、記念すべき帰国日初日にする事と言えば、やっぱりコレ:



近所のカフェに行き、久しぶりの帰国を祝ってコーヒーとクロワッサンで一人で勝手に乾杯!(僕、ビール飲めないので(笑))。どんなに長くこの地を離れていても、コーヒーとクロワッサンを食べるだけで、瞬時に地中海の生活リズムに引き戻されるから人間って不思議です。更に言うなら、この8ヶ月間、殆どスペイン語を話さなかったのに、半日もすると又もとの様に聞いたり話せたり出来る様になるというのは、「一度身に付けた言語は、一生忘れる事は無い」という何処かで聞いた格言を自分自身の体験として蓄積出来たというのは非常に貴重だったと思います。



という訳で、言葉も体も慣れてきて、本当ならここから、パエリア、生ハム、チーズなどを頬張りながら赤ワインに舌鼓を打ちつつ‥‥といきたい所なのですが、今回のバルセロナ滞在は1日だけ!実はいま、バルセロナからガリシア地方(スペイン北部)へと移動する特急電車の中にいます。理由は勿論、(毎年恒例になりつつある)ガリシア地方で夏のバケーションを満喫する為なんですね。



僕が乗ってるこの電車、バルセロナを出発してサラゴサ(地中海ブログ:サラゴサの都市戦略とかサラゴサ万博跡地とか)を経由し、バスク地方のビトリアを通り抜けガリシアに入るという進路をとるので、車窓からの風景が、大都会(バルセロナ)―土と砂しか無い乾き切った荒涼とした大地(サラゴサ)―緑豊かな土地(ガリシア地方)へと、鮮やかに変わっていく風景を楽しむ事が出来ちゃいます。個人的には、何年か前に都市計画/モビリティ計画/公共空間政策を担当したビトリア市を通ったりするので、ちょっと懐かしい感じもして、結構ノスタルジックな電車の旅だったりもするんですけどね(地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画)。

人間の時間感覚って面白いもので、窓から真っ白な雲しか見えない飛行機の10時間はスゴく長く感じるのに、窓からの風景が刻一刻と変わっていく電車の旅の早いこと!‥‥バルセロナを出発して11時間後‥‥ガリシア地方のど田舎にある駅に降り立つと、眼の前に広がっているのがこの風景です:



イベリア半島最西部に位置するだけあって、午後20時だというのにこの明るさ!駅前の鉄塔には、今年もコウノトリが大きな大きな巣を作っていました。コウノトリがこんなに大きな巣を作るなんて、僕はこの田舎に来るまで全く知りませんでした。そしてちょっと丘を駆け上がればこの風景:



山々に囲まれつつ、湖の畔に佇んでいる、大変美しいこの村の全貌の登場です。

ローマ時代に起源があるというこの村には、その時代に造られた石橋が残っていたり、豚を自分の家の地下で飼っていたり、庭にちょっとしたワイン畑を持っていて、(お金儲けの為ではなく)家族が楽しむ分だけのワインを作っていたりと、外の世界とは全く違う、非常にゆったりとした時間が流れていたりします。



世界最先端を表明し、毎日が非常に慌ただしく過ぎ去っていく世界都市ボストン/ケンブリッジから帰ってきたばかりの今の僕の眼だからこそ、両都市のこの様な時間の流れ方の違いがより一層クリアに映るのかも知れません。



 「‥‥人間とは、変わっていくこと、変わらないこと、その2つの間で葛藤している生き物である‥‥」とは以前何処かで聞いた言葉なのですが、風景を含む全てのものが急激な早さで目紛るしく移り変わっていく現代社会において、それらとは全く違うリズムで時間が流れているこの村に、毎年僕は「変わらないこと」、「変わってはいけないことの大切さ」を自分の眼で確認しに来ているのかも知れません。



今日から暫くの間、教会の鐘の音と共にベッドに入り、鶏の鳴き声と共に目を覚ますド田舎生活が始まります。

今年も目一杯、楽しもーっと。
| 旅行記:都市 | 00:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行2013その1
「ゴツッ」‥‥これは何の音でしょう?

正解→→→電車がカーブに差し掛かった所で座席の上に置いてあったフルーツが落ちてきて頭に当たった音でしたー。しかも結構痛かった(涙)。確か2年くらい前、同じ路線の同じ電車に乗ってて全く同じ状況になった様な気がする‥‥(苦笑)。



僕は今、バルセロナ発ビーゴ(Vigo)行きの長距離列車(Alvia)に乗っています。「あ、あれ、Alvia?‥‥なんか聞いた事あるなー」と思ったあなたは凄く勘がいい!「ALVIA」とは丁度一ヶ月くらい前にスペイン史上最悪の脱線事故(死傷者200名以上)を引き起こしてしまった電車の名前なんですね。



その事故が起こったのはガリシア地方の首都、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)の近郊路線だったんだけど、僕が今乗ってるのも全く同じガリシア地方へと向かう路線‥‥。



そーなんです!週末の朝早くから僕がわざわざ長距離列車なんかに乗っている理由、それは毎年恒例になりつつある、ガリシア地方にある小さな小さな村、PETIN村でバケーションを過ごす為なんですね。

「えー、cruasanのやつ、またバケーション!?ついこの間、「バカンスがやっと明けたー」とか言ってたばっかじゃん!」とかいう声が聞こえてきそうですが(笑)、これこそスペインで暮らす醍醐味!ちなみに大多数のスペイン人達のバカンス明けだった先週日曜日の朝にカフェで聞かれた典型的な会話がコチラ:



 「あー、久しぶり、元気だった?私なんて1ヶ月もビーチで過ごしちゃって、バカンス疲れ気味。今日から2週間くらいこの疲れをとる為のバケーションが必要」

みたいな(笑)。



さて、日本滞在を経て7月中旬にヨーロッパに帰ってきたのですが、約1年間もヨーロッパを空けていた事もあって、最近はモーレツに忙しく、ブログの更新すらまともに出来ない状況が続いていました。

「何がそんなに忙しかったのか?」というと、先ずは去年の渡米(ボストン)以来、なかなかFace-to-Faceでミーティングをする機会の無かった各種プロジェクトの管理と運営、それに並行して作成していた論文の再提出が9月のあたまに迫っていた事が大きいかなと思います。



この2ヶ月くらいの間に起こった事を掻い摘んで記しておくと、丁度この旅行の前日にやったオタク君3人組(カタラン人)とのプロジェクトミーティングが(ある意味)非常に面白くて、まあ、彼らに会うのも実に1年ぶりだったんだけど、「今週の金曜日に市役所で待ち合わせでどう?」みたいなメールを送ったら、「今回は市役所じゃなくてココのカフェがいい!」みたいなメールが返ってきて「ヘェー、珍しいなー」とか思って場所を調べたら、そこがゲーム屋の隣という事が判明‥‥。

もうこの時点で怪しさ満点だったんだけど、どうやら9月12日までに任天堂DSを持ってゲーム屋へ来店するとWifi経由でポケモンのレアモノが貰えるっていうキャンペーンを実施中なんだとか。で、有無を言わさずその店に連れて行かれ、一通りスペインのゲーム状況の説明を受けてから、やっと本題のプロジェクトミーティングへ。2時間の打ち合わせの内、1時間50分はポケモンの話だった(苦笑)。



8月初旬にはボストンで仲良くなった友達が数人、バルセロナ観光に来てくれました。こちらの人達はみんなそれなりに大人(みんなポスドク)なので、ポケモンとかそういう話は全く無く(笑)、この時ばかりは僕も久しぶりのバルセロナ観光を楽しみました。



8月中旬にはバルセロナから電車で1時間程の所にある街、ジローナへ。こちらはカタルーニャ州政府関連のミーティングだったんだけど、真っ青な空に真っ白な教会がスクッと立ち上がる姿は本当に美しかった。この様な風景を見ていると、ヨーロッパにおいては教会こそ街のシンボルであり、街というのは教会を中心に発展してきたという事を思い出させてくれます。



まあ、そんなこんなで昨日までは結構切羽詰まった毎日を送ってたんだけど、いま乗ってる電車から見える風景は、そんな僕の疲れた心を癒してくれるかの様なんですね。



この電車はバルセロナを出てからサラゴサ(地中海ブログ:サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略)、緑の首都ビトリア(地中海ブログ:グラシア地区歩行者空間計画BMW賞受賞)、ブルゴス、パレンシア、レオンを経てガリシアへと入って行きます。その間に展開する風景は正に万華鏡そのもの。スペイン中央部に展開している草と砂しかない砂漠から始まり、北上するに従い緑が増えていき、ガリシアに至っては本当に濃い緑を楽しむ事が出来ます。そんな、スペインの多様性を表しているかの様な風景の終着点、そう、僕の今回の旅の目的地がコチラです:



湖に面した人口400人足らずの小さな小さな村、PETIN村の風景です。大自然に囲まれたこの村には、グローバリゼーションという名の下に忙しい毎日を送っている我々とは全く違う時間が流れているんですね。



この村での生活‥‥それは鶏の鳴き声と共に目を覚まし、都市部では見掛けなくなったパン釜(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)で焼いたアツアツのパンが毎朝食卓の上に並び、この地方で取れる野菜、海産物そしてワインを嗜みつつ、教会の鐘の音と共にベッドに入るという、とても「人間的な生活」です。



この様な生活‥‥お日様と共に過ぎ去る時間を楽しむという生活‥‥人間としてごく当たり前だった生活‥‥「忙しさ」という名の下に、我々現代人が忘れ掛けてしまっている生活‥‥。そう、僕はここに「人間としての自分」を取り戻しに来ているのかもしれません。



今年もこのPETIN村を中心に、ガリシア地方の様々な場所へ赴き、色々なものを食べながら、ここでの生活を思いっ切り楽しみたいと思います。

さあ、ガリシア滞在の始まりです!
| 旅行記:都市 | 01:29 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインの田舎で見るペルセウス流星群
先週スペインはアフリカ大陸からの熱波に見舞われ、各地で記録的な猛暑日を観測する程だったんだけど、中でも驚いたのはアンダルシア地方。何と、摂氏51度を観測したらしい(驚)。



現在僕が滞在しているガリシア地方と言うのは、スペインの中では涼しい事で有名なのですが、それでも日中気温が38度近くまで上がり、日向に出ると「フライパン状態!」っていう日が続いていました。まあ、それでも日が落ちると本当に涼しくて、朝方なんて毛布が無いと寒いくらいなんですけどね。

そんな先週末、湖畔を挟んだ向こう側に位置する村の森林公園で、ガリシア地方を代表するワインの生産地、Valdeorrasで作られたワインの試飲販売会が行われました。



この地方に存在する20程のワイン農家が集まったこの販売会、システムは至って簡単で、入り口でワイングラスを購入し(150円)、自分の好きなテントへ行ってワインを注いで貰うだけ。ちなみに試飲は一杯50円。全部のテントを回っても1000円足らず。安過ぎです(笑)。



で、気に入ったワインがあったらその場で即購入出来るって言うシステムになってるんだけど、僕はお土産用に今年最優秀賞を獲得した赤と白、共に2本づつ購入しました。ちなみに「ガリシア、ワイン」とくれば勿論コチラ:



ガリシア風タコ煮!何時見てもガリシア人の鋏さばきには恐れ入ります(笑)。

そんなこんなで昼間っからワインを飲みまくり、ホロ酔い気分で迎えた先週日曜日の夜はオリンピックの閉会式を見ようと意気込んでたんだけど、ネットを検索していたら、どうやら丁度その日の夜はペルセウス流星群が結構奇麗に見える日だという情報が。それから小1時間、オリンピックの閉会式を見るか、それともペルセウス流星群を見に行くかで久しぶりに頭を使ったかな(笑)。

まあ、これは大げさに言うと、「人間の創造力/創造力(イギリスが自国の威信を掛けて創り上げた閉会式)」を見るか、それともペルセウス流星群という「自然が創り上げた神秘」を見るかという選択だったかなと、そう思います(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。

で、悩みに悩んだ挙げ句、結局ペルセウス流星群を見に行く事に。普段はペルセウス流星群なんて聞いても「はぁ?」って感じなのですが、人口500人程度のド田舎の夜というのは、それこそ月明かりしか無い為に、辺りは真っ暗な闇に包まれます。どれくらい真っ暗かって言うと、こんな感じ:



何にも見えない(笑)。真ん中右方向に一点だけ灯っている明かりは、村を見下ろす山の中腹に建てられた教会の明かりです。


「瞑想する哲学者(1632)」レンブラント

こんな真っ暗な空間に身を置いていると、闇の中に微かに灯る光の神秘を捉えようとしたレンブラントの想いが良く分かる様な気がします。


「星空(1851)」ジャン・フランソワ・ミレー

そして見上げれば、取り留めも無いほど広大な空間全体に、まるで宝石を鏤めたかの様な、そんな光景が広がっているんですね(流石に今回ばかりは写真ではその美しさを伝える事は不可能なので、夜空をテーマに描かれた絵画を載せる事にします)。

‥‥人類が闇から逃れる為に発明した「明かり」、それが無いが故に浮かび上がる自然の神秘‥‥僕達の頭上には、毎日こんなに沢山の星達が光っていたんですね。全く気が付きませんでした。今から何百年、何千年も前に生きていた人々も全く同じ夜空を見上げ、そして全く同じ星々を見ていたのかと思うと、本当に不思議な気持ちになります。


「ローヌ湖畔の星空(1888)」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

こんな取り留めも無い程の星々を見つめ続けていると、それら1つ1つの星を結び付け、「星座やそれに纏わる物語を創り出したい」って言う物語創造の衝動に駆られたのも分かる気がするなー。って言っても、天体の知識なんて全く無い僕が見分けられるのなんて北斗七星くらい。で、一生懸命それを探していたら、見ちゃいけないものを見ちゃいました!



ぎゃー、死兆星だー!し、死ぬー!(笑)。死兆星、俗に言うアルコル星というのは北斗七星の柄杓の柄の方から2番目の星の脇にそっと光っている恒星の事で、目の良い人なら見えて当たり前。別に死ぬ訳じゃありません(笑)。

ちなみに世紀末の覇者ラオウの余りにも有名な台詞、「お前は死兆星を見た事があるか?」、で、「見てない」と答えると、「そうか、お前は未だ俺と闘う時ではない様だ」と戦いを回避し、「見た」と答えると、「そうか、お前は俺と闘う運命だった様だ」と言って闘うラオウ。でもあれって良く考えたら、実は死ぬって分かってる相手としか闘わないって言う、ラオウの選別だったんじゃないのかな?だって死兆星見てないって事は死なないって事で、という事は自分が死ぬって事ですからね。さ、流石ラオウ(笑)。無敵な訳だ!(どうでも良いアニメ話終わり)

以前MISIAはペルセウス流星群を前にこんな風に歌いました。

 

「‥‥星降る丘に立っていた。去年君と見たペルセウスの流星群、こぼれ落ちてくる。手を伸ばしたら届きそうなほど、鮮やかに1つ1つ光を放つ、眩しく‥‥」

このド田舎では、それこそ手を伸ばしたら本当に手が届きそうな程、きらきらと光り輝く星々を見る事が出来るんだけど、ペルセウス流星群が見えるこの期間に限っては、そこからまるで頭上に向かって落ちてくるかの様な、そんな勢いで星が降って来るんですね。「ハウルの動く城」で、若き日のハウルが満天の星空の下、流星の如く降ってくるカリスファーを受け止める場面があったんだけど、正にあんな感じかな。

 

ハウルの声を担当した木村拓哉さんが宮崎駿監督に「ハウルってどういうキャラなんですか?」って聞いたら、

「星にぶつかった少年」

って答えたらしいけど、「なかなか良いイメージだなー」とか思う。ちなみにハウルの動く城は映画として非常に良く出来ていて、個人的には傑作だと思うので、何時か暇を見付けて映画評を書こうと思っています(映画評についてはコチラ:地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)。


「失恋(1860)」John Everett Millais(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)

‥‥本当に真っ暗な空間。そこに鏤められた宝石達。聞こえてくるのはさざ波と、スズムシ達が醸し出すハーモニー、ただそれだけ‥‥。

こんな、何処までも無限に広がっていくかの様な空間に身を置いていると、まるで自分が世界の中心であり、世界=空間とは、自分の周りに同心円状に広がっている、あたかもそんな錯覚に陥るかの様ですらあります。と同時に、こんな偉大な自然の前では、人間なんて何時消えても不思議ではない、「何て儚い存在なんだろう」とも感じるんですね。

こんな拠り所の無い私、こんなに弱く今にも消え入りそうな私を世界に繋ぎ止めておきたい衝動。それこそ、我々の皮膚や、その上を覆う衣服の延長線上に創造された建築の起源なのかな?、と、この暗闇の中に浮かび上がる満天の星空を見上げていたら、そんな事を思ってしまいました。

2012年の夏、イベリア半島の端っこで見たこの風景を僕は一生忘れる事は無いでしょう。
| 旅行記:都市 | 05:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その2:田舎では僕達が全く想像もしない方法でCDを使ってた!
今日は七夕の一日前。と言う事はサラダ記念日じゃないですか!

 「この味がいいねと君が言ったから、7月6日はサラダ記念日」

僕が小学校くらいの時に流行った俵万智さんの短歌なんだけど、誰もが思い付く直球ど真ん中の7月7日を題材にはせず、一日前の7月6日を主題に持ってくるって辺りが、「大変さりげなくてデザインセンス抜群だなー」、とか子供心ながらに思ってたりしました。



さて、前回のエントリで書いた様に、先日からガリシア州はオウレンセ地方のクソ田舎に来ているのですが、この村、その辺で牛が「モォー」って鳴いてたり、鶏の「コケコッコー」って言う鳴き声で目が覚めるって言う、そんな大変長閑な風景の中で、多分人生初となる「田舎暮らし」を体験中なんだけど、「まあ、こんな都会の喧騒から離れた生活もたまには良いかな」と思わせてくれる様な、ある意味、質が非常に高く、そして「人間らしい生活」がこの村には展開しているんですね。

ちなみに動物の鳴き声って言うのは、各々の社会文化を象徴していて、異なる文化圏においてはその聞こえ方、そして表象の仕方が全く違います。だからスペインでは鶏は「キッキリキー」って鳴くし、豚は「オインク、オインク」と鳴くらしい(笑)。僕達にとってはかなり突拍子もない鳴き声に聞こえるかもしれないけど、彼ら(スペイン人)にしてみたら、日本の豚が「ブー、ブー」って鳴くのはかなり笑えるみたいです。



違う社会文化圏の中で暮らすという事は、その鏡に映った自分自身の姿を省みるという行為に他ならないんだけど、僕が「面白いなー」と思うのは、スペインという国に属しているガリシア地方の生活を通して、同じ国に属するカタルーニャ地方の独自性が浮き彫りになるって言う点なんですね。そしてこの様な、同じ国の中に全く違った文化圏が展開しているという事、多様な世界が共存していると言う点こそ、このスペインという国の最大の魅力であり、多くの人々を魅了する最大の要因であると僕は思います。



フェルナンド・ブローデルを持ち出すまでもなく、その地方の社会文化の特徴を決定付けている要因の一つは地形であり気候であり、お天気であるという事は、ヨーロッパとアフリカの間=文化の十字路に位置するバルセロナにおいて、「何故に公共空間政策があれほどまでに成功したのか?」という点を見るだけでも十分に分かるかと思うんだけど(地中海ブログ:第7回バルセロナ、モデルニスモ祭り(Fira Modernista de Barcelona 2011))、そんな中でも僕がバルセロナの生活とこのガリシア地方の生活の中で最も違うと感じる点は、やはりこの地に展開している生活リズム、そしてそれに基づいた食文化だと思うんですね。この村に限らず、ガリシア地方の田舎では何処でも、その地方で獲れた肉や野菜、そして魚なんかが毎日の食卓に並ぶ事になるそうなのですが、今日のお昼のデザートにはこんなものが出てきました:



じゃーん、美味しそうなイチジクの登場〜。



こんな感じで庭に沢山なってるイチジクを獲ってきてデザートにしたんだけど、そこでちょっと面白いものに遭遇しました:



都会人には意味不明の、軒先にCDが吊るされた風景です。



これ、何かって言うと、どうやら軒に鳥が住み着いたり、糞をしたりしない様に、ピカピカ光るCDを取り付け、その反射光によって鳥除けに使ってるらしいんですね。つまり現代版、カカシって言う訳。

 

僕がCDを初めて買ってもらったのは丁度小学校高学年くらいの時で、工藤静香のGraduationだった事を今でもはっきり覚えています。1ミリにも満たないピカピカ光る円盤に、それまでの黒くゴツゴツとしたカセットには無い魅力と、「これからはデジタルの時代だ!」という期待に心躍らした事を今でも覚えてるんだけど、そんな若者文化の象徴であり、ひいては都会文化のシンボルですらある(あった?)と言えるCDが、こんな田舎では全く別の姿で役立ってると言うのは、全く持って興味深い!!

こんな、「毎日が発見の連続(笑)」みたいな生活を送っているのですが、そんな中でも(今の所)一番驚いたのがコチラです:



見た目は単なるパンなんだけど、実はこのパン、世にも珍しいパン釜で焼いたパンなんですね。実は僕が滞在している家の目の前に、1世紀前から続いてる様な、町に一軒しかないパン屋さんがあるんだけど、なんと、このパン屋さん、未だに釜でパンを焼いているっていう、大変珍しいパン屋さんなんですよ!パン屋の釜については以前のエントリでバルセロナの都市計画と絡めてチラッと書いた事があったんだけど、こんなパン釜、ちょっとやそっとじゃあお目にはかかれませんよ(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

で、釜について興味津々って目で見てたら、その思いが伝わったのか、パン屋のお姉さんが「パンを焼く所、見たいの?」って聞いてくるから、「絶対見たい」とか何とか言ってみたら、ラッキーな事にも見せてもらえる事に。いやー、言ってみるもんですね!!で、これがその、一世紀前から続いている、世にも珍しいパン釜です:



ここに薪を入れて火を焚くんだけど、これが思った以上に暑いのなんのって!で、こちらがパンを入れるスペース:



想像してたよりも、うーんと広い!ちょっとビックリした。で、これがこの釜で焼いたパンなんだけど、これがまた美味しいんだな:



中はホワホワなのに、外は見事にパリッと焼きあがってる。そして表面にはほんのりと薪の香りが良い感じで残っています。この味は釜でしか出ない味ですね。星、三つです!!!

「これでもか!」というくらい美味しいパンに加えて、食卓に並ぶのは、近場で獲れた有機野菜達。僕は特に「有機野菜派」であるとか、「スローフードを実践してる」とか、「そういう生活に憧れてこの地へ来た」とか、そういう事は全く無いんだけど、自分の家の近場で育てた野菜を「必要な時に必要なだけ獲ってきて食す」って言う生活は、レストランで美味しい料理に舌を包むのとは又違った良さがあって、これはこれで「そんなに悪くは無いかな」と思い始めました。なにより新鮮な野菜や魚は美味しいですからね。



夕食後、村に3件しかないカフェに赴くと、夜11時を回ったにも関わらず、続々と村の住人達が集まってきて、世間話に花を咲かせていました。この村では、「今日はどこどこの誰々が何々をした」と言う噂が直ぐに耳に入ってくるし、電球が無いと困っていると、それを聞きつけた隣近所のおばちゃんが、頼んでもないのにお手伝いに来てくれる。朝6時になれば何処からともなく聞こえてくる鶏の鳴き声で朝を向かえ、それに続く小鳥達の囀りが目覚まし時計代わり。

・・・日々の生活の忙しさに追われ、都会の喧騒の中では忘れがちだった、人間の根源に基づいた生活。とても人間らしい生活。こんな当たり前の生活がみんな案外出来なかったりするんですよね・・・。

今日も村のシンボル、17世紀に出来たと言われている教会が午前0時を知らせる鐘の音を打ち始めました。ヨーロッパでも最も西端に位置し、それが故に最も日が暮れるのが遅いこの村では、夜明けに向けてまだまだ住人達の世間話がビールやワインを片手に続けられています。

この村に滞在していると、我々現代人が忘れかけていた、何かとても大切なもの・・・効率性と引き換えに我々が失ってしまった「人と人との繋がりに基づいた生活」、「自然のリズムに即した生活」、その結果としての「人間らしい生活」の一端が垣間見えるかの様で、色んな瞬間に「ハッ」とさせられます。そしてこの様な生活の中にこそ、経済性という指標では測る事が出来ない、「豊かさ」というものが見え隠れしているのかもしれません。

間違ってほしくないのは、僕は別に、「みんなで原始の生活に戻ろう」と言っている訳ではないと言う事です。そうではなくて、このような生活、我々が知っている尺度とは別の尺度で動いている社会というものが存在し、そこでは我々現代人とは全く違った価値観で全てのものが動いていると言う、唯その事を知ってほしいだけなんです。

我々の世界は多様です。多様だからこそ、僕達の社会は輝いているのだし、世界は面白いのです。そしてそのような多様性を担っているカケラの一つ、我々の世界に輝きを付け加えている社会がここにも又一つ存在し、僕は今、その社会に直面している・・・とそんな事を思いつつ、今日も世が更けていきました。

追記:
Twitterで沢山の方に教えてもらったのですが、日本でもCDを鳥除けに使っているのですね。全く知りませんでした!世界の違う場所で同じ様な解決法がなされているというのは、それはそれでちょっと素敵な話だなー。
| 旅行記:都市 | 23:03 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その1:田舎の風景の中にこそガリシア地方の本当の魅力は保持されている
「ゴツ!」
・・・この音は一体何でしょう?



答えは長距離電車に乗ってたら急にカーブに差し掛かって、上のカゴから落ちてきたリンゴに頭を打った音でした(笑)。しかも結構痛かった(悲)。と言う訳で昨日から3週間程のバケーションの為にガリシア州はオウレンセ地方に来ています。

 
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何やかんやとスペインには10年程住んでいるのですが、実は今までガリシア地方に来た事は殆ど無くって、海産物が大変美味しい港湾都市ビーゴ(Vigo)と中世より巡礼者の聖地とされてきたサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)に少し立ち寄ったくらいだったんですね。



しかしですね、ガリシア地方の本当の魅力っていうのは、大都市周辺じゃなくって、そこから更に山奥に入った田舎地方に凝縮されていると言っても過言ではないと思います。そこには地中海地方を含めたスペインの他都市とは全く違った風景、一年を通じて比較的降水量が多い地方らしく、本当にうっとりとする様な豊かな大自然が広がっているんですね。そしてガリシア人というのは良い意味で「田舎者」であり、それこそこの地方の豊かな生活と伝統を保持している「本質でもある」という意味で、本当のガリシアの姿を知る為には、ア・コルーニャやサンティアゴ・デ・コンポステーラ、ビーゴといった大都市を訪れるだけでは全く見えてこないのでは?という思いが僕の心の中にずーっと巣くっていました。

と言う訳で今回はクソ暑いバルセロナの喧騒を離れて、思いっ切り、ガリシア地方、そしてそこから少し足をのばしてポルトガル北部の魅力を存分に味わってみたいと思います。

今回僕が滞在先に選んだのはガリシア州はオウレンセ地方にある小さな小さな村、Petin de Valdeorrasと言う人口500人程度の大変美しい村です。この村に行くにはビーゴまで飛行機で行ってそこから近郊電車に乗り換えて4−5時間っていうルートか、もしくはバルセロナから直通電車で10時間余りって言う、殆ど「究極の選択」と言っても過言ではない選択をしなきゃいけないんだけど、「まあ今回は電車に揺られながら風景を楽しみつつゆっくり行くか」と言う事で10時間コースを選びました。

バルセロナを朝9時に出て目的地に着いたのが夕方の20時近くだったんだけど、電車内で予期せぬ出来事が・・・。お昼ご飯を食べようと、ビジネスクラスと一般車両の間にある車内レストランに行った時の事、「何か、あっちの方に見た事のある人がいるなー」とか思って目を細めてたらビックリ!あ、あれは・・・



元カタルーニャ州政府大統領、パスクアル・マラガルさんじゃないですかー!!!何でも今回はお孫さんと一緒にプライベートな旅行に来たんだとかなんとか。服装も非常にラフな格好で、いつもと違って大変リラックスした雰囲気。でもさー、大統領、何で、一般車両で来てるんですか!!!って言うか、思いっ切り一般人の僕がビジネスクラスなんて乗っちゃって、何か申し訳無い様な気が・・・頼みますよー、大統領〜(悩)。

そんなこんなで20時前に目的地に到着〜。駅に降り立ってビックリしたのが、もう20時前だっていうのに、まだまだこんなに明るい!



バルセロナも最近は21時くらいまでは明るいんだけど、スペインの西の外れに位置するこの地方では日が落ちるのがカタルーニャ地方なんかに比べて1時間くらい遅くなるらしい。そんな長―い「夕方」を利用して夕食前の夕涼みに出てくる人が多いんだけど、みんなが散歩しに来るのがこの通りなんですね:



湖に面する、「これでもか!」というくらい空気が澄み渡っている宝石の様な風景です。いつまで見てても飽きる事が無い、そう、まるでここだけ時間が止まっているかの様な、そんな事を思わせてくれる風景・・・そして空を見上げれば、この地方に生息しつつも、絶滅種に指定されている、見た事もないような大きな大きな犬鷲が、優雅に羽を伸ばして飛んでいるのが見えます:



これから暫くの間、この静かな町を拠点に、疲れた心と体を休めつつ、あの鷲のように僕も思いっきり自由に羽を伸ばしたいと思っています。あー、楽しみだー!
| 旅行記:都市 | 22:41 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プロヴァンス旅行その7:天空の城、ゴルド(Gordes)の風景
フランスで最も美しいと言われている田舎プロヴァンス、その中でも特に美しいと評判の村、ゴルド(Gordes)へ行ってきました。この地方には山の頂に創られた村などが結構残っているのですが、その中でもゴルドほどその姿が見事な景観として残っている村は無いと言われているんですね。フランスでは田舎の風景を保存する目的などから「フランスで最も美しい村協会」なるものが設立され、「人口2000人以下である事」やら、「最低2つの歴史遺産を持つ事」などを条件に「美しい村」を名乗る事を許された村々がフランス中に散らばっているのですが、そんな数ある美しい村の中でもゴルドの人気は高いらしく、特に気候が良くなるこの時期には、村中が観光客でごった返すのだとか。



ちなみにこの「フランスで最も美しい村協会」から美しいと認定された村には上の様なプレートが村の入り口などに掲げられていて、「美しい村ガイドブック」なるものもフランスの書店で売られているんだそうです。そんな訳で早速車を走らせて行って来たのですが、その「美しい風景」は僕の想像を遥かに超える美しさを放っていました。その風景がコチラ:



じゃーん、天空の城です。幻想的とは正にこの事!何故この村がフランスで最も美しい村に選ばれたのかも納得の風景です。



山の傾斜を利用して、石造りの家々が階段状に折り重なる様に創られています。



近寄ってみるとどんな風に建てられているのかが良く分かるんだけど、正に岩と一体になった建築とでも言う様な構造なんですね。こんな感じで緑のツタに囲まれた住居やテラスなんかも多く見受けられます:



このような一つ一つのディテールが積み重なって、圧倒的で纏まりある素晴らしい風景を創り出していると言う事が良く分かります。

さて、天空の城と言えば勿論、「天空の城ラピュタ」なんだけど、ラピュタという名称はガリバー旅行記に出てくるラピュータ王国に由来していると言う事は良く知られている事実です。しかし、ガリバー旅行記の作者であるスウィフトがどうしてラピュータという名称を思い付いたのか?はナカナカ知られていないと思うんですね。実は彼がスペインに旅行中に偶然耳にした、スペイン語の発音、「ラ・プータ」、つまり売春婦に由来していると言われています。だからスペイン語版の「天空の城ラピュタ」のタイトルは、発音でスペイン人が売春婦を想像してしまう「ラピュタ」という語は外されて、「天空の城(El castillo en el cielo)」という名称だけが使われていると言う訳です(どうでもいい豆知識)。

さて、僕がこの風景を「ボケー」っと見ていて思った事:

「南仏の陽光に照らされて明暗がくっきりとした家屋の面々が、あたかもキュビズムの抽象化された画面の様に見えるなー」



ほら、このあたりなんて、小さな家屋が集まってるんだけど、あちらこちらを向いた家屋の壁が、様々な表情を見せていて、あたかもそれら全ての面を使って「一つの家という物体」を説明しているかの様に見えるんですね。正に複数の視点から見た世界を平面状に共存させているかの様です。



ピカソに大変なインスピレーションを与えたと言われているセザンヌは、プロヴァンス地方の出身(エクス・アン・プロヴァンス)なので、勿論このような風景を熟知していたはず。更に、彼がアトリエを構えていた辺りには、切り口が大変鋭くシルエットが「キリッ」としている岩山があり、その風景もまるで一つの物体を多方面から見た様な景観になっているんですね。

ル・トロネやセナンクに代表される、シトー派の極限までミニマル化された近代建築のようなロマネスク教会が何故にそれ程までにシンプルなのか?という問いには、「シトー派の教義による為」と言ったような単純な回答では十分答えられないのではないか?と言う事は前回のエントリで書いた通りです。つまり、ロマネスクと言う様式の特徴−地方の文化と交じり合う事によって、様々な変化を起こす事−を考慮すると、プロヴァンス地方に残るシトー派の教会郡のシンプルさと言うのは、実は、「プロヴァンス地方の建築の特徴である」と言う事も出来るのではないのか?と思う訳です。

同様に、セザンヌからインスピレーションを受けたピカソ(とブラック)が発展させたと言われているキュビズムという様式も、実はその始まりは、この地方の文化、ゴルドの風景やエクス・アン・プロヴァンス近郊の岩と言ったこの地方が持っている風景がセザンヌにインスピレーションを与えたと言う事が言えるのかなー?なんて、又、「トンでも話」を思い付いてしまいました(笑)。

後の画家達に多大なる影響を与えた、生前セザンヌが言ったとされる言葉がコチラです:

「自然を円筒と球と円錐体によって処理しなければならない」

む、む、む・・・ゴルドの幻想的な風景を「じー」っと見ていると、強烈な陰影によって角が立った家々の面々が直方体に見えてくる・・・かな、なんて思ったりして。
| 旅行記:都市 | 00:22 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プロヴァンス(Provence)旅行2010その1
今日から1週間程休みを取って、南フランスはプロヴァンス地方へバケーションに来ています。って言うと、「えー、cruasanのヤツ、また休みー!!一体いつ働いてるの???」って声が聞こえてきそうなのですが()、いいの!これこそヨーロッパで働く醍醐味なんだから!!!

マルセイユ(Marseille)やエクス・アン・プロヴァンス(Aix en Provence)など、プロヴァンス地方へ来るのは実は今回が3回目。一度目は僕がヨーロッパへ来た最初の年に、それこそバックパック一つでヨーロッパ版青春18切符みたいなの(ユーロパスと言います)を買ってヨーロッパ中を1ヶ月かけて旅行した時でした。当時はまだ通貨が統一されてなくて、ユーロとフランが混じって使用されていた混沌とした状況を良く覚えています。何でかって、ユーロとフランの換金率みたいなのが良く分からなくって、フランスへ入った初日にタクシーでボラれたからです(笑)。

2
回目の旅行は2003年頃だったと思うのですが、結婚式教会の村瀬君が夏休みを利用してバルセロナに滞在していた時に、レンタカーを借りて、南仏からポルトガルを一緒に回った事があったんですね。この時もル・トロネやらラ・トゥーレットやら、名建築を巡る旅をしていたのですが、実はモンペリエで盗難にあってしまい、コンピュータから何から、全て盗られてしまったという苦い思い出があります。村瀬君はル・トロネで買ったフェルナン・プイヨンの「粗い石」を盗られてショックを受けていました。

この話には続きがあって、その後、再度レンタカーを借りて心機一転、「シザを見に行こう」という事で、ポルトガルへと歩を進めたのですが、ポルトガルとスペインの国境付近の高速道路で大追突事故を起こしてしまい、散々な目に合いました(シザについてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について。その日は霧がかなり出ていて視界が悪かったのですが、僕達の前に追突事故を起こしていた団体に思いっ切り突っ込んでしまったんですね。幸運だったのは、相当な大事故にも関わらず誰もケガをしなかったし、保険を掛けていたので、1円も払う必要が無かったと言う事。でも今までの僕の人生の中でも、あの時程心が暗くなった数時間はありませんでしたけどね(苦笑)

そんな苦―い思い出がある南仏なのですが、再度この地へ戻って来ようと思ったのには勿論理由があります。それはこの地には、一度体験したら忘れられない風景と美味しい食事、そしてなによりも素晴らしい建築が点在しているからです。特に今の時期、ラベンダーが咲き誇り、地中海の何処までも青い空と輝くばかりの太陽が燦燦と照りつける初夏は南仏が最も輝きに満ちる季節だと思います。

そんな今回の旅のテーマはずばり、中世の教会巡りです。ル・トロネ(Abbaye de Thoronet)とセナンク(Abbaye de Senanque)を死ぬ程見る旅です。今回はレンタカーを借りて、一週間程滞在する予定なので、気が向くままに色んな所へ行ってみたいと思います。

あー、今から楽しみだー!
| 旅行記:都市 | 23:02 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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