2015.04.28 Tuesday
ローマ滞在2015その2:ローマを歩く楽しみ、バロック都市を訪ねる喜び
ローマを歩いていると、「この街ほど都市と建築の楽しみかた、そして集まって住むことの喜びを教えてくれる都市はない」と、そう思えてきます。
直線的な街並みの向こうに見える壮大なモニュメント、いたるところに設けられた楽しげな噴水、何の前触れも無く現れる教会たち‥‥。
そう、この街では、彫刻、建築、そして都市の街路網ネットワークがバロック音楽の如く様々に主題を変えながらも劇的な眺望を用意し、壮大な交響曲を奏でているかのようなんですね。
ルネサンスが静的、秩序、比例などによって特徴付けられ、閉じた世界を理想としていたとするならば、バロックは劇的、動的、ダイナミックと言った単語で特徴付けられ、開かれた世界を目指していたと言えるかと思います。そして僕にとって大変興味深いのは、バロック建築が都市デザイン=都市空間のデザインであり、アーバンデザインであるという事実なのです。例えばこちら:
泣く子も黙るバロックの2大巨匠の一人、ボッロミーニ(Francesco Borromini)の傑作、サン・カルロ・アッレ・クッワトロ・フォンターネ教会堂(San Carlino alle Quattro Fontane)です。2層に重ねられた壁面が波打ち、波打たれる事によって、あたかも人をその空間に招いたり拒否したりしているかのようです。そして建築単体のファサードのデザインが、その建築だけに留まらず、街の空間にも影響を与えているのを見て取ることが出来るかと思います。
ちなみに僕がこの教会堂で心底感動したのがこちら:
教会堂の入り口に備え付けられた大理石の階段なんだけど、この歪みは、今までにこの教会堂を訪れた何百万人という人達一人一人の小さな重みの積み重ねによってこんなにも変形してしまった跡なんですね。この凹みこそ、如何にこの建築がこの都市にとって必要なものなのか、ひいては我々の世界にとって価値あるものなのかということを表しているのだと思います。
上の写真はパンテオン(Pantheon)の直ぐ近くに建つ、サンティニャツィオ(Piazza Sant Ignazio)という建物の写真なのですが、ここでは大小3つの楕円を形取るように、壁面がウネウネしているのが見て取れるかと思います。
ここでは建築自体が主役というよりも寧ろ、建築がその場の背景を形成する事に貢献しています。そう、まるでこの建築は、目の前にある教会堂の階段部分と建物の凹みにより創られた舞台の「背景になりたがっている」かのようなのです。
こちらは、かの有名なスペイン広場(Piazza di Spagna)の写真なんだけど、階段が緩やかなカーブを描いている事によって、その先がナカナカ見えないようになっています。そうする事で「この先に何があるのか?」という期待感を増大させる仕掛けを作っているのです。
頂上に到着した目の前には圧倒的な存在感の教会が眼前に広がり、振り返り様にはこの風景:
大変見事な演出です。そして極め付けはこちら:
この風景はトレヴィの泉(Fontana di Trevi)の近く、ダタリア通り(Via di Dataria)からクイリナーレ広場(Piazza del Quirinale)へ向かって坂を上って行く途中の写真です。左側の建物が先ずはしっかりとした軸線を作っていて、それに対してもう一つの建物の軸を少しずらす事によって上昇感を作り出しています。そしてその感覚は第三の建物が現れる事によって更に増します:
更に更に、もう少し進むと右側の壁が円弧を描きながらも大階段が先細りしていく事によって、この風景が大階段の前に劇的な効果を持って現れてきます。
‥‥と、まあ、こんな感じで街を歩いていると様々な風景が立ち現れてくるのですが、ここで取り上げたのは、ローマに無数に点在する風景のごく一部に過ぎません。そんな事を心に留めながら街歩きをしてみると、観光ガイドには載っていない、また違ったローマが見えてくるはずです。
これこそバロック都市を訪れる楽しみであり、ローマを歩く喜びなのです。
直線的な街並みの向こうに見える壮大なモニュメント、いたるところに設けられた楽しげな噴水、何の前触れも無く現れる教会たち‥‥。
そう、この街では、彫刻、建築、そして都市の街路網ネットワークがバロック音楽の如く様々に主題を変えながらも劇的な眺望を用意し、壮大な交響曲を奏でているかのようなんですね。
ルネサンスが静的、秩序、比例などによって特徴付けられ、閉じた世界を理想としていたとするならば、バロックは劇的、動的、ダイナミックと言った単語で特徴付けられ、開かれた世界を目指していたと言えるかと思います。そして僕にとって大変興味深いのは、バロック建築が都市デザイン=都市空間のデザインであり、アーバンデザインであるという事実なのです。例えばこちら:
泣く子も黙るバロックの2大巨匠の一人、ボッロミーニ(Francesco Borromini)の傑作、サン・カルロ・アッレ・クッワトロ・フォンターネ教会堂(San Carlino alle Quattro Fontane)です。2層に重ねられた壁面が波打ち、波打たれる事によって、あたかも人をその空間に招いたり拒否したりしているかのようです。そして建築単体のファサードのデザインが、その建築だけに留まらず、街の空間にも影響を与えているのを見て取ることが出来るかと思います。
ちなみに僕がこの教会堂で心底感動したのがこちら:
教会堂の入り口に備え付けられた大理石の階段なんだけど、この歪みは、今までにこの教会堂を訪れた何百万人という人達一人一人の小さな重みの積み重ねによってこんなにも変形してしまった跡なんですね。この凹みこそ、如何にこの建築がこの都市にとって必要なものなのか、ひいては我々の世界にとって価値あるものなのかということを表しているのだと思います。
上の写真はパンテオン(Pantheon)の直ぐ近くに建つ、サンティニャツィオ(Piazza Sant Ignazio)という建物の写真なのですが、ここでは大小3つの楕円を形取るように、壁面がウネウネしているのが見て取れるかと思います。
ここでは建築自体が主役というよりも寧ろ、建築がその場の背景を形成する事に貢献しています。そう、まるでこの建築は、目の前にある教会堂の階段部分と建物の凹みにより創られた舞台の「背景になりたがっている」かのようなのです。
こちらは、かの有名なスペイン広場(Piazza di Spagna)の写真なんだけど、階段が緩やかなカーブを描いている事によって、その先がナカナカ見えないようになっています。そうする事で「この先に何があるのか?」という期待感を増大させる仕掛けを作っているのです。
頂上に到着した目の前には圧倒的な存在感の教会が眼前に広がり、振り返り様にはこの風景:
大変見事な演出です。そして極め付けはこちら:
この風景はトレヴィの泉(Fontana di Trevi)の近く、ダタリア通り(Via di Dataria)からクイリナーレ広場(Piazza del Quirinale)へ向かって坂を上って行く途中の写真です。左側の建物が先ずはしっかりとした軸線を作っていて、それに対してもう一つの建物の軸を少しずらす事によって上昇感を作り出しています。そしてその感覚は第三の建物が現れる事によって更に増します:
更に更に、もう少し進むと右側の壁が円弧を描きながらも大階段が先細りしていく事によって、この風景が大階段の前に劇的な効果を持って現れてきます。
‥‥と、まあ、こんな感じで街を歩いていると様々な風景が立ち現れてくるのですが、ここで取り上げたのは、ローマに無数に点在する風景のごく一部に過ぎません。そんな事を心に留めながら街歩きをしてみると、観光ガイドには載っていない、また違ったローマが見えてくるはずです。
これこそバロック都市を訪れる楽しみであり、ローマを歩く喜びなのです。