地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
建築家、坂茂(Shigeru Ban):デザインの本質を見せ付ける見過ごされがちな彼のデザイン力
今日の新聞に坂茂さんの特集(Shigeru Ban:Arquitecto de Emergencia, El Pais semanal, p32-38)が載っていました。坂さんと言えば紙で建築を創る大変トリッキーな建築家としてヨーロッパでは良く知られています。今日の特集もその辺りの事をメインに書かれていて、特に彼が突然の災害や最貧国における住居の需要に経済的な材料と工法を用いる事によって見事に答えている旨が描かれていました。彼は世界が直面している大問題に彼の創造力を持って、今まで誰も成し得なかった方法で答えを出したんですね。

しかしですね、坂さんの建築をメディアが取り上げる時、紙で作られているというインパクトが強すぎて彼のもう一つの重要な側面が何時も見落とされている気がします。それが坂さんのデザイン力です。彼の大変トリッキーな「紙の建築」というアイデアを支えているのが実は大変繊細なデザイン力であるという事に言及している記事はあまり見かけません。

先ず、建築の主材料として紙を選ぶという点。コレは色んな所で言われているように低コストであり第三国の問題を解決出来るという、何処からどう見ても圧倒的に正しい選択で、ポリティカル・コレクトネスな訳です。紙を建築部材として実際に用いるまでには途方も無いお金と時間を費やした苦労があったと思うけど、出発点としてはこれ以上無いようなアイデアだと思います。

そしてこの「紙」という選択は世界的な視野で見た場合、彼のナショナリティーでありアイデンティティの拠り所である「日本人」と強く結び付いているとみなされます。それは日本人がそう思うかどうか?という問題ではなくて、ヨーロッパから見た時に彼らの中に「紙は日本文化に包含されている」という認識があるという事です。コレは世界の舞台で闘おうとしている建築家には非常に重要な事なんですね。何故なら建築とは社会文化の表象行為であり、その表象行為にはその建築家の育ったアイデンティティが強く関係してくるからです。

さて、ココまでなら売り出していこうとしている建築家の戦略計画としてMBAのクラスなら満点に近い回答だと思います。しかし坂さんが普通じゃなかったのはその戦略に加えて彼に普通じゃないデザイン力が備わっていたからです。

彼は彼が見出した「紙で建築を創る」というかけがえの無いアイデアを芸術品にまで磨き上げるデザイン力を有していました。それはよーく目を凝らして見ないと見えてこないような類のものです。特に「紙で建築」という普通の常識からはかけ離れた裏技を使っているのでそちらにばかり注意が要ってしまって、普通の人は勿論、建築家ですらナカナカ気が付かないのではないかと思います。

しかし彼のデザインから学ぶ事はかなり多い。ただの紙や筒が彼の手に掛かると輝きだすのだから不思議なんですね。どんなに醜いものでも普通の物でもやり方次第でこんなに美しくなるんだという事を僕は彼の建築デザインから学んだ気がします。そしてそれこそがデザインという行為です。美しく高い材料をふんだんに使えば誰だってそれ相応のデザインにはなります。

本物のデザインとは一見普通なんだけどちょっと違う、もしくは普通のモノを差異化する能力の事を言うんだと思うんですね。元々デザイン(Design)というのはサイン(sign)に否定語(de)が付いた単語であって、文字通り「サインを消す」という意味なのだから。
| 建築家という職能 | 21:12 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コーディネーターとしての建築家:創造力が問われる職業
Life is beautifulの中島さんが”Less is moreなもの作りと合議制と”というエントリを書かれています。建築家には良く知られたミースのこの言葉、”Less is more”が付いていたので一体何事か?と思って読んでみたら、デザイン過程における決定者の重要性についての話でした。

何かを創り出す時にワンマンタイプで行くのか、それとも合議制で行くのかという問題ですね。これは近年の都市計画では非常に重要な問題になっています。都市計画にもデモクラシーをという名の下に近年では市民参加の重要性が叫ばれているからです。しかし市民というのは勝手なもので、こういう場では「あれが欲しい、これが欲しい」と様々な事を言うんですね。それをいちいち聞いてたらきりが無いし絶対にまとまりません。それが建築のデザインを含んでいたら尚更です。

例えば公民館を建てるとして、ある人は形を三角にしたいという。別の人は丸っぽく。もう一人は四角がよいといったように。もしくは外観を白にしたいという人、赤にしたいという人などなど。

こういう時、全ての人の意見を聞いて巧い事回答を示してみせるのが建築家という職業です。「この意見とこの意見をくっつけて、こうしよう」とか、そういう創造的な問題解決は建築家の十八番。そして建築家に十分な決定権限が与えられた時、各々の部分がハーモニーを奏で素晴らしい音楽が出来上がります。

これはそもそも建築家という職業の根源に関わる問題だと思います。何故なら建築家の仕事とは「その時代に生きた人々の願望を表象する仕事」だからです。そしてそれは建物という狭い表象媒体だけの事に限りません。様々な分野を横断しつつ、まとめ、創造する事。

インターネットの出現によって依然とは比べ物にならないくらいの膨大な知識が手に入るようになりました。しかし問題はそれらの知識を蓄える事ではなくて、それらの知識を生かして何かを創造する事だと思うんですね。そう考えると建築家の仕事とは知識社会の中において主役を取れる職業だと思えてきちゃいますね。
| 建築家という職能 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(3) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能:ヨーロッパ・ロボット計画
今週は会議が続く。通称会議三昧週間。今も会議中でこのエントリーは会議上から書いてます。今日はヨーロッパロボット計画ミーティング。この計画はヨーロッパユニオン先進プロジェクトに登録されている計画であり、趣旨はヨーロッパに強力なロボット研究の拠点を創り出す事です。故にヨーロッパ各国から代表的な大学が集まり、拠ってたかってロボットを創り出そうとしています。先ず、やり方としては巧い。各国のコラボにより一つのセンターを創り出す為にはコミュニケーションが必要不可欠であり、各国が独自に追求しているプロトコルなどを統一する必要があります。それを達成する為にロボットを創り出すという一つの目的の下にプロジェクトを創り出し、定期的にミーティングを開いている。いわば、主目的に見えるロボットを創り出すというのは副産物であり、それを戦略的に用いているというのは注目に値する。これは我々がやっている都市戦略モデルのコンセプトに近い。

さて、僕はココにバルセロナ公共空間部門の代表として参加している訳ですが、何の為にロボットなんて又、全く関係が無いミーティングに参加しているかというと、ロボットを配置する場所を都市内に提供するためなんですね。つまりバルセロナの公共空間プロジェクトをほぼ網羅している僕らがプロジェクトに入る事によってロボット科学者達は都市との繋がりを持つ事ができたというわけです。元々彼らはロボットを実用化する為に公共空間に置きたがっていたんですが、コネクションが無かった為に実現が難しかった。それを偶然僕が他のプロジェクトの為にコーディネーターを訪れた事から都市的要素が強力に入り込む事になりました。

こういう場に来ると空間を通した建築家の権力が如何に強いかという事をあらためて感じさせられます。建築家の扱う領域というのはプラットフォームなんですね。公共空間というプラットフォームにロボット、カメラ、センサーなどのあらゆるモノを統合する事が出来る。そしてそれを支配しているのが建築家。僕の置かれたちょっと変わった境遇から日々、建築家とは、そして建築家が今後貢献出来る領域というのは、コーディネーターだなと感じているのですが、今日はその僕の勝手な意見をより一層強く確信させられました。

それにしても今日だけで「ロボット」という言葉を1000回以上聞いた気がする。
| 建築家という職能 | 20:35 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家の職能について:創造力と環境について
下の写真は現在の僕が勤務する事務所の僕の机から見える風景です。はっきり言って最高の環境だと思う。今まで生きてきた中では勿論、今後これほどの労働環境に出会えるかどうかというぐらいの仕事場だと思う。海の真ん前でしかも建物が何も無いので地平線まで見えるし朝方は朝日が地平線から昇ってくるのを毎朝見ます。しかも毎日晴れてる。さっき天気予報を見てたら雨降る気配が全く無い。今日も晴れ、明日も晴れ、あさっても晴れ、ずーーと晴れ。こっちで言う晴れって半端な晴れじゃ無いですよ。雲ひとつも無いですから。

僕が何故わざわざ外国のスペインまで来て、しかもやっかいなカタラン語まで覚えて公的機関に勤めているかと言うと、スペインという国を特徴付けている「生活の質の豊かさ」に関わる仕事がしたかったし、それを僕の生涯の仕事にしたかったからです。故に僕のやってる仕事はバス路線改変やバス亭デザイン、携帯電話関係、公共空間プロジェクトなど多分野に渡りますが全ては「市民の生活の質」を上げる仕事なんですね。元々この仕事こそ建築家の仕事だったはずです。それが何時の間にか形態遊びに変化してしまったのは職能のポピュラリゼーションやグローバリゼーションといった社会経済状況の変化が原因なのでしょうか?

生活の質というと様々な要因が絡んできて例えばバルセロナなんかは地理的条件に大変恵まれていると言える。その一方で人の手や努力によって改変出来る所だってかなりの部分あると思うんですね。で、そういう観点で言うとバルセロナは明らかに進んでいると思う訳です。僕はその部分が学びたいし身に着けたいと思っている訳です。

毎日こんな事を考えて暮らしている訳ですが最近分かってきた事は彼らは彼らの人生をすごく楽しんでいるという事。例えば今日、皆でお昼ご飯を食べに行きました。事務所から徒歩3分の所にある海に面した海産物を出すお店で赤ワインとウニを死ぬほど食べました。天気が良かったのでテラスで海を見ながら。仕事が終わる18時には皆一斉に帰宅しその後の生活を楽しみます。ある人は本屋に言ったりある人は美術館に行ったり、はたまた友達とバーで待ち合わせたりと。

僕はこのような環境が人生は勿論、仕事に多大な影響を与えると思っています。

こちらでの生活は言葉の問題などからはっきり言って大変です。母国語以外で毎日生活するストレスや文化習慣の違いから理解がすれ違ったりなんて日常茶飯事。日本に帰ろうと思った事だって結構あります。でもそんな落ち込んだ時に窓から海みてたり、お昼においしいモノ食べたり、カフェのテラスで太陽光浴びながらコーヒー飲んでると「もうちょっとがんばろうか」という気になるし、煮詰まってる時にだってアイデアだって浮かんでくる。

ずるい言い方かも知れないけどこればっかりはこちらで経験した人にしか分からないかも知れませんね。






| 建築家という職能 | 05:55 | comments(5) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
Lonely Girl15 en Youtube:建築家という職能
半年ほど前にYoutube上でLonely Girl15という自宅の部屋からビデオ・ダイアリーとしてメッセージを送り続ける少女が大変話題になりました。(何時か書こう書こうと思っていて時間が過ぎていってしまった。)彼女は学校には行ってなくてカミングスの詩などを読んで思春期の少女の繊細な気持ちを語っている。しかもスーパーかわいいときているからそっち系の人にはたまらない。その証拠に計30本アップロードされたビデオにはYoutube史上最高の1500万回アクセスがあったそうなんですね。

その一方で当初からファンの間ではある種の疑惑がありました。話が出来すぎている。その後、この少女はアマの16歳の少女ではなくてプロが書いた台本によるニュージーランドの女優の演技だった事が発覚しました。

この問題が指し示している事は誰もが同じ土俵に立つ事が出来るWeb2.0上ではアマとプロの間の境界線の曖昧化だと思います。現在のソフトウェアの発展とその普及によって誰でも簡単にそれなりのレベルのビデオなどが作れるようになりました。中にはプロの作品と見間違うようなモノも少なくありません。Lonely Girl15の場合はこの状況を逆手に取って大成功したんですね。つまりプロがアマの作品に見せかける事によって成功したと言えると思います。

今までアマがプロの作品に見せかけるというのは結構あったと思います。何故ならアマがプロに見せかけるというのは上昇すると言う事であって矢印の向きが上に向いているから。しかし今回は矢印の向きが逆なんですね。プロがわざわざアマのレベルに降りて来ている。そしてそれが需要を生み出しているという新しい現象が起こっている。

あ、ナルトが始まったので続きは又今度。



| 建築家という職能 | 19:03 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その4
ヨーロッパのディプロマ教育って大体5年もしくは6年間プログラムで最終学年にはプラクティスという企業や事務所である一定期間(大抵半年くらい)働いて経験を積む事が義務つけられています。その後、卒業設計と論文を出して初めて各々のタイトルが貰えるという仕組みになっています。

さて、このタイトルが問題なのですが日本において建築学科って大抵の場合工学部に属していますよね?更に大学が与えるタイトルに建築家というタイトルは存在しない。故に日本の大学を終了した建築学生は殆ど工学のタイトルを授与されているはずです。コレおかしくありませんか?少なくともヨーロッパの文脈でいくと工学と建築は明らかに別モノで工学を出た人は建築家ではないし建築を出た人はエンジニアではありません。

どうしてこんな事を書いたかというと数日前にEUレベルのプロジェクトを申請する為に何人かの履歴書を収集するという事があったんですね。僕もその一人で提出したのですが僕の履歴書を見た友達が「え、あなた建築家じゃなかったの?」って言うわけですよ。勿論僕は建築学科卒業で建築家な訳です。でもそれを証明するものが無いわけですよ。だって僕のタイトルは「エンジニアリング(専攻建築)」とかなってて「建築」じゃない。

僕がいくら日本の教育システムの違いとか世界的に有名な日本人建築家だってタイトルは「工学だ」って説明したってタイトルが「工学」なんだから彼らにしてみたら建築家じゃ無い事は明らかなんですね。

今世紀に始まった建築家のポッピュラリゼーションによって「建築家とは何か」という問いに答える事がますます難しくなる中、それを制度的に証明する数少ない公的文書の一つであるタイトルすら存在しないに日本の状況。
建築家の職能の変化に加えて制度的に見ても建築家って大変曖昧だと言わざるを得ないのではないでしょうか?


| 建築家という職能 | 04:37 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その3
今日はとにかく忙しかった。春からやってきたビトリアの都市計画の締め切りだったんですね。(前半部分だけ)と言うわけでもう皆テンテコマイ。アレとって、コレとって、地図出して、人口分布何処??、交通シュミレーション未だでないの???などなど。個人的には締め切りの最終局面は好きです。なんか皆で何かを創って行くという雰囲気が好きなんですね。そういう状況になると自然と普段は絶対に手伝わないような事とかも皆やってる。学生時代の課題提出前を思い出す。こういう時はつくずく自分が建築出身なんだなと思ってしまう。

さて当ブログでも何回か問題にしているのですが、今日のような状況ほど建築家の職能について考えさせられる日はありませんでした。僕が属している部門は様々なプロフェッションを持った人が居て、例えば交通工学者、水理学者、数学者、経済学者、地理学者、等々。各自が自分の職能を生かして自分の観点から分析・提案をしています。そういう人が集まる事によって例えば公共空間の多様な視点による分析と立案が可能になるわけです。しかしココに一つの大問題があります。殆どの分野の人というのは自分の分野の事しか分からないし他の人との連携や他の人の観点をどう自分のプロジェクトに入れ込むかという事が出来ないという事です。

ココに建築家が活躍出来る空間があるんですね。建築家というのはどうしてか分からないけどアレとコレをくっつけてとか考えられちゃうんですね。もっというと、プロジェクトを広く見渡せる眼が備わっているのでプロジェクトをコーディネート出来るわけです。

もう一つは建築家というのは人々が考えていてもナカナカ形に出来なかった願望のようなモノをヴィジュアライズ出来るという能力があります。長い間プロジェクトについて考えてきて皆それぞれの想像力を働かせているのだけれど、絵には出来ないモノをパッと表す事が出来る。

ちなみに僕のポジションは最高技術責任者且つ最高デザイン責任者でもあります。つまり都市分析ツールを開発・提案するというテクノロジー系の役目と公共空間からドキュメントのフォーマットに至るまでデザインを統括もしています。こういう環境でデザインをしているとホントに見にしみて思うのがデザインのパワーについて。パワーというのは皆の眼を引き付けるという意味と権力をも意味します。つまり皆の分析を纏める事が出来てしまうわけですよ。

多分、このような観点は普通の建築事務所に居たのでは得られなかった僕の人生における財産だと思います。


| 建築家という職能 | 06:34 | comments(1) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
デザイナーとしての山下達郎
昨日Youtubeで山下達郎のクリスマスイブを聞いた。
こう言ってはなんなのですが彼ってものすごいデザイナーだと思う。
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。Silent night, Holy night。きっと君は来ない、一人きりのクリスマスイブ

曲の主題としては失恋ですよね。でも最初から「好きだ」とか「嫌いだ」とか「振られた」とか言わずにものすごくさりげなく曲に入っている。で、その次のフレーズでやっと「あ、これは失恋ソングなんだ」と分かる訳です。
こういうテクニックはものすごく高度なテクニックであり且つ、とても日本的なものだと思う。コレだコレだと主張せず、さりげなく、注意していなければ見落としてしまうけど、もう一度聞いてみよかな、見てみようかなと思わせる、正に記憶に残るデザインですね。

こういうデザインこそが今、建築に欠けているモノなのでは無いでしょうか?一筆書きで綺麗な空間を創る事だけが建築のデザインでは無いし、目立つ形態をコレだコレだと創出する事が建築では無いという事をこの曲は思い起こさせてくれるような気がします。

ちなみにこの曲を用いたJRの有名なCMシリーズがありますよね。あれも全てYoutubeで見れますが、個人的には1991年の牧瀬理穂のが一番良いですね。恋人の帰郷を待つ女の子の心境とそれをサポートするJRのインフラという大変効果的なCMに仕上がっています。


| 建築家という職能 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その2
昨日はバルセロナのとある公共施設である大物建築家を祝う会のようなものがあった。彼はかの有名なバルセロナの公共空間政策である鍼療法・スポンジ政策を生み出した張本人で1975年の独裁政権後より今日までバルセロナの都市を背負ってきた存在だと言っても過言ではないと思います。故に参加者もカタルーニャ政府大統領マラガルから甥っ子や息子、嫁さんまで、ずらーっとお偉い所が揃いもそろって昔話を披露していました。

この会は何か賞を授与するとか講演会でパブリックに開かれているとかという事は全く無く参加者は招待客だけで彼のこれまでの軌跡を辿るとか言うコンセプトの会の様子。注目すべきはこのかなり家族的な会、いわゆるプライベートな会が公共的な施設で公共のお金を使って行われているという事。そしてそれを公共メディアが堂々と報道しているという事だと思うんですね。つまりこの建築家はバルセロナという街では既にヒーロー的な存在で誰でも知ってるし何をやったか・やってるかも知ってる。だからそんな彼に公共のお金が使われるというのはごく自然な発想と皆捉えているんだと思う。

もう一点は彼の家族や親類がバルセロナの街の重要な機関のポストに就いててあたかもバルセロナの建築・デザイン界は彼の家族経営のような様相を呈しているという事。例えば昨日の会が開かれた公共施設のディレクターは彼の奥さんだし息子は現在若手ナンバーワンの建築家。政治家・財界人は皆、親戚のような友人達という具合に。コレを取り仕切る建築家は勿論、各々と話をしなければならないので自ずと各方面の知識が深くなる。そして各分野の利益を総括してビジュアライズしてくれる職能こそ建築家でありこの意味において建築家とはある種のプラットフォームのような存在であると言えると思うんですね。

他の都市はどうなのか分かりませんがヨーロッパの都市にはこのようなヒーローとしての建築家が存在してその建築家がその都市の文化を背負っているという構図なのではないでしょうか?

これはある程度市民社会みたいなのが機能している所ではそんなに悪い事じゃ無い気がします。とりあえずトップの顔が見えるというのは分かり易くて良い。何かやりたいプロジェクトがあった時に「とりあえずこの人に話を通しておくか」というのが明確なので。故に全体像が見渡し易く都市に一貫性が出てくるのかもしれない。つまり各々の小さな計画だけではなくて街を全体として見た時にこの辺りに緑が少ないから公園を持ってくるかとか中心性を持ってくるかとか言う、正に都市分析が機能する大枠が整っているのかもしれない。建築はそれらの浮き彫りになった問題を具体的に解決する道具なんですね。

昔話を語った一人にイグナシのお兄さんで建築家のManuel de Sola Moralesが居ました。彼曰く、「80年代に比べて最近の建築というのは社会的な問題を解決する機能を失って久しくそして悲しい」と言っていました。

このような建築の使い方とその背後にある分析手法こそ僕たちが学ぶべきなのではないでしょうか。



| 建築家という職能 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その1
最近又、訪問者が多くなってきた。
昨日はアルゼンチンから某財団のディレクターとアルゼンチン政府住宅局所長、今日はグリーンピースの人達が来て何時ものように各々が何をしているのかを説明しました。グリーンピースという団体があるという事は今まで聞いた事があったけど、一体何の団体なのかは知りませんでした。少し調べてみたらどうやら環境保護団体らしいじゃないですか。と言う訳で我々を訪問して来た理由を納得。

我々の部署は約30人くらいの人が働いているのですが、今日皆それぞれの仕事の説明を聞いていて改めて様々な職種の人が居るのだなと言う事を実感。例えば隣の人は水理学、前の人は交通工学、斜め前の人は数学者と言う具合にそれぞれが違う分野を担当していてその分野に責任を持っている。このような環境は、もし僕が普通に設計事務所に勤務してたら決して出会う事が無かった環境だと思う。卒業してからこのようなキャリアを歩み始める前には勿論、設計事務所に就職してという道もありました。しかしある時から他分野間の交流という面白さとそこからの刺激にはまってしまったのですね。

建築畑の人たちと話しているとやはり同じような環境で育ってきたので大体予想が付く範囲での話し合いとなるように思います。勿論程度の差は人によってありますよ。そんな中でとてつもない知識と先見の明を持った人に出会うと感動するのですが。しかしですね、他分野の人というのは全く違う事を考えてるし建築家である僕からすると突拍子もない事を言うわけですよ。そんな中でコラボしながら何かを創っていくという面白さは一度覚えたら病みつきになります。

しかし面白い事ばかりでもなくて逆に大変厳しい環境だと言う事も言えるんですね。何故かというと各々が各々の分野を背負っているのでその分野に関しては責任を持たなくてはいけない。全て知っていないといけないわけです。事務所なら他の建築家に聞けば良いか、もしくは体外チームを組んで設計していると思うので連帯でやっていく事が出来る。それが出来ない苦しさ。そして他の建築家の人に違う環境に居ると言うことであいつはいい加減な事しかやってない、言ってないと言われない、言わせない為にも人一倍の努力が必要です。

しかし僕にとってはそのような困難を差し引いても今の環境に居る事を選ぶくらい刺激的な環境です。このような建築家と言う職業についてはいろいろと思う事があるので又書きたいと思います。


| 建築家という職能 | 20:00 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 1/1PAGES