地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
バルセロナの歴史に残る大雪
Twitterの方でも速報でお伝えしたのですが、昨日(38日)はバルセロナ史上に残る大雪の日でした。僕はもうかれこれバルセロナには8年程住んでいるのですが、ここでは雪が降る事自体珍しいというのに、昨日のような大雪なんて一生に一度見られるかどうか?という所だと思います。そんな突然の出来事に遭遇した際の「生の驚き」は昨日の僕のつぶやきに見る事が出来ます:

「なんか、バルセロナ雪降ってる!しかも、見た事無いような大雪!明日の新聞の一面はコレで決まりだな。 http://twitpic.com/17cwo9

「吹雪になって来た!秘書のEちゃんが「こんなに雪が降ってるのを見たのは25年間で初めて」ってはしゃいでる。多分バルセロナでは今日は歴史に残る大雪。」

「歴史的バルセロナの大雪模様。
http://tweetphoto.com/13699205

やっぱりお天気や想定外の事故など突然の出来事に関してはブログよりもTwitterの方が圧倒的に伝播力とリアルタイム性が強いですね。ただ記録として残るのはやはりブログだと思うのですが・・・。とか思ってバルセロナ在住の皆さんのブログを覗いてみるとやっぱり大半の人達が大雪の事について触れていました。だってこんなんですよ:



サグラダファミリアもビックリの雪化粧。昨日は降った雪の量もすごかったのですが、それにも増して風が強かった!そんな暴風の中では勿論傘なんて全く役に立たず、壊れた傘が街中のゴミ箱の中に散々していたのも印象的でした。

さて、バルセロナ市内で雪がこんなに降るなんて滅多に無い事なので、カタラン人の皆さんは、もう大はしゃぎ!



ここぞとばかりに雪を触ったり、記念撮影しまくったり、ココは小学校か!!って思う程の「はしゃぎっぷり」でしたね(笑)。勿論こんな日には仕事なんかになるはずも無く、公共交通機関がストップする事も目に見えていたので、ここぞとばかりにみんな、14時には荷物を纏めて帰り仕度。16時にオフィスに残っていたのはホンの数人という信じられない状態でした。

昔、小学校で習った歌で、「南の島のカメハメ大王(?)」っていう歌があったと思うんだけど、あれが冗談に聞こえないのがスペイン人の暮らし振りです。陽気なカメハメ大王は、「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みでー♪」なんだけど、カタラン人も全く一緒!ちょっと強風が吹いたら遅刻してくるし、雨が降ってちょっと寒くなったりすると、何だかんだと理由を付けて遅刻あるいは欠席するんですね。昨日のように雪なんて降った日には完全に休業ですからね。この民族は本当に僕を楽しませてくれます。

さて、昨日の時点で大雪関連のニュースが今朝の新聞の一面になる事は分り切っていたのですが、昨日の大雪がカタラン社会に与えたインパクトの強さは僕の予想を遥かに上回っていました。



La Vanguardia紙なんて、一面前面に昨日の大雪の写真&12ページに渡る特集を組んでいた程です。何故かと言うと、どうやら昨日の大雪は過去25年間で最も激しいものだったそうです。いやー、納得しますよ、そりゃ。

街の被害状況としては、市内の全てのバス路線と近郊電車(Cercanias)がストップして、路面電車も17時には運行を中止。市内と市外を繋ぐ180の主要幹線に影響が出て、200,000世帯が停電に陥ったそうです。更に学校などは当然休校で160,000人の子供達が早退、郊外に住んでいる人達などは帰る手段が無く、市内のホテルで一夜を過ごした人が多かったのだとか。

バルセロナという街の脆弱性が露になった瞬間なのですが、これは逆に言えば(というか思いっきりプラス思考に考えれば)、普段この都市が恩恵を受けている自然環境(明日は晴れ、明後日も晴れ、その次もずーっと晴れみたいな)が如何に良いかという事の裏返しとも読めますよね。そしてそれこそがこの都市の「生活の質」を担保している決定的な要因でもある訳なのですが・・・。この話をし出すと長くなるので、又今度。

それにしても地中海都市での思わぬ体験でした。 
| バルセロナ日常 | 20:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題
先週の木曜日(34日)の事だったのですが、バルセロナが長い間夢見ていた地中海の弧同盟(La Union por el Mediterraneo(UpM))の常設事務局のお披露目パーティーがペドラルベス宮(Palau de Pedralbes)にて盛大に行われました。



思えばバルセロナが「地中海の首都」になろうと試みたのが1995年の事。その当時は「バルセロナプロセス」という名でバルセロナがイニティアティブを取ってはいたのですが、各国間の調整が上手い事運ばず、時間だけが流れ去っていくという状態が10年以上続いていたんですね。そのような硬直状態に変化が現れたのが2008年の事。サルコジ仏大統領がEU議長国の地位を利用して(2008年後半はフランスが議長国でした)地中海同盟のイニティアティブを取り直し、フランスの後押しなどもあって晴れてバルセロナが常設事務局の座についたのが忘れもしない2009115日の事でした。

「地中海同盟の常設事務局にバルセロナ選出」というニュースは普通なら各種新聞のトップを独占する程のビッグニュースのはずだったのですが、実はその日は世界にとってもっと衝撃的な歴史的な事件が起こった日でもありました。2009115日、それはアメリカで初めて黒人大統領が生まれた日だったんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。「地中海同盟の常設事務局にバルセロナ選出」は地中海にとっては大ニュースだったけど、さすがにオバマ大統領の誕生と比べられたらちょっと相手が悪かった。勿論スペインを含む世界中の新聞が、その日のトップニュースにオバマ大統領誕生のニュースを持ってきていました。

まあ、そんな苦い思い出があったからかどうか知らないけど(多分全く関係ないけど)、今回の新聞記事には大変面白い傾向を見る事が出来ました。というかそういう風に読む事も出来ると言う事なのですが・・・。La Vanguardia紙は次のように書いています:

「我々カタラン人にとって「地中海」とは国の外形を切り取る縁ではなくて、我々のアイデンティティの形成する本質的な要素である」とカタルーニャ州政府大統領はカタラン語で語った。バルセロナ市長も同じくカタラン語で語ったが、カステリャーノ語、英語そしてフランス語を混ぜて語った。」

“Para los ctalanes, el Mediterraneo no es una frontera exterior, sino una dimension esencial de nuestra identidad”, afirmo el presidene, Jose Montilla, que hablo en catalan. El alcalde de Barcelona, Jordi Hereu, hizo lo propio, pero salpicando su discurso de frases en castellano, ingles y frances.” P 14, La Vanguardia, 5 de Marzo 2010.


お分かりでしょうか?そう、「カタラン語で語った」とワザワザ言っているんですね。と言うか、この箇所がこの2ページに渡る新聞記事の本質部分だと言っても良いと思える程だと思います。



43
カ国の国旗の前でカタラン語で正式に声明を発表する事。これはカタラン人の長年の夢であり、15年かけて地中海の弧同盟を育ててきた集大成と言ってもいいんじゃないのかな。まあ、この新聞(La Vanguardia)は所詮、右寄りのカタルーニャ同盟(CiU)の広報誌なので、言語の問題を強調していても何の不思議も無いんですけどね。ちなみに左寄りのEl Paisでは勿論言語の事には触れていませんでした。

(ちょっと脱線するかもしれないけど、今日の新聞(El Pais, 7 de Marzo 2010)にマドリッドのルイスガジャルドン市長(Alberto Ruiz-Galladon)とバルセロナのエレウ市長(Jordi Hereu)との両都市の将来像に関する対談が載ってたんだけど、その中でジャーナリストがバルセロナ市長に「カタラン語は海外からの投資家や留学生、もしくは企業家などがバルセロナに拠点を置きたい場合には進入障壁となるのでは?」という質問に、「言語の問題は関係無い。我々はカステリャーノ語とカタラン語のバイリンガルであり、必要ならば勿論カステリャーノ語でコミュニケーションを取る事は全く問題無い!」と少し語調を荒げながら反論する部分があったのが印象的でした。)

自国が隣国と陸続きで、異なる言語を話す人達が集まってくるのが当たり前な環境に育ってきているヨーロッパでは、どのような状況でどの言語を使用するのか?と言う事が当たり前のように政治的な意味を持ってきます。それは何もこのような公共のオフィシャルな場だけの話ではなくて、企業内の会議だとか、はたまた友達同士の昼食の会話と言った些細な所にまで入り込んでいるんですね。いや、このような日常生活の中でさえ、そのような言語を通した政治的駆け引きが潜んでいると言う所にこそ、驚くべきなのか。これはつまり、人々の無意識の中にもう既にそのような言語に対するセンシビリティが潜んでいると言う証拠なのですから。

今回の地中海の弧同盟を言語の問題を通して伝えたLa Vanguardia紙は次のように締めくくっています。

“・・・今回のセレモニーは次のように締めくくられた。Muchas Gracias(カステリャーノ語). Moltes Gracies(カタラン語). Merci Beaucoup(フランス語).

13
世紀に地中海に跨る一大帝国を築いたジャウマ一世以来、表舞台では廃れ気味だったカタラン語が再び輝きを取り戻し、バルセロナが地中海の首都に返り咲こうとしている瞬間でした。
| 都市戦略 | 13:43 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
とっても嬉しい出会いがありました:都市計画/都市再活性化の研究者、AさんとElcheにてディナー
昨日の夜はバルセロナに滞在されていた都市計画研究家のAさんにお会いする事が出来ました。Aさんは僕とほぼ同世代(ちょっとだけ年上)なんだけど、都市計画や都市活性化などに興味がある人なら誰でも知ってる、世界中の都市再生事例を集めた大著を編集された日本の将来を担う若き研究者です。この本は500ページを超える大型本で非常に分厚くて重たいのですが、世界中の事例がカラー写真入りで載ってる事から、去年の夏に帰国した際、がんばってコチラへ持ってきました。この本をどのように活用しているのか?というと、旅行や出張に行く度に、行き先の都市での事例を見付けつつ現地で確認するという事をここ数年繰り返しています。それほど僕にとっては使い勝手が良い本なんですね。まさか、その本の編集者の方とお会い出来る日が来るとは思っても見ませんでした。

ちょっと脱線しますが、先日、Twitterの欧州在住組の間で電子書籍の話題が盛り上がっていました。何故なら、多分、電子書籍の普及によって一番恩恵を受けるのは僕達、海外在住組だろうからです。年に一回の日本帰国、そしてヨーロッパへ帰ってくる際に僕のスーツケースの90%を占めているのは本の塊です。そしてそれは多分、海外に住んでいる人達なら多かれ少なかれ同じ様な状況だと思うんですね。それが無くなるかと思うとどれ程楽か!ちなみに残りの10%の内、5%程を占めるのはドラ焼きなんですけどね。「お前、ドラえもんか!」って声が聞こえてきそうですが(笑)。ちなみにスペインではドラえもんが大人気で、スペイン人はドラえもんが食べている不思議な食べ物(ドラ焼き)の中に入っている黒い物体はチョコレートだと思い込んでいます。

さて、今回ディナーを楽しんだのはバルセロナで美味しいパエリアが食べられるお店、Elcheです(Elcheについてはコチラ:地中海ブログ:バルセロナの食べ歩き方:エルチェ(Elche)その3)。

お酒が大好きなAさんは、一本目のRiojaのLorinonを空け、二本目のEsmeraldaもお水の様に飲む酒豪っぽかった。

最初の内は都市とか、建築とか結構真面目な話をしてたんだけど、そのうち話がどんどん別の方向に広がっていって、気が付いてみたらザブングルとか南野洋子とか、バルセロナとは全く関係無い話で盛り上がっていました(笑)。まさかバルセロナでザブングルの話をする日が来るとは・・・。

ちなみに上の動画がザブングルの伝説のオープニング。やっぱり今見てもナカナカ良く出来てると思います(ザブングルのオープニングのデザインについてはコチラ:地中海ブログ:ザブングル

こんな時、やっぱり同世代って良いなーって思っちゃいますね。多分誰でも感じる事だろうけれど、自分の年の±3年くらいの人達って、同じような環境の中で育ってきているので、小さい頃に見ていたテレビ番組が同じだったり、小学校の頃に起こった社会的な出来事に対するインパクトの受け取り方とか、そういうものの一つ一つが「阿吽の呼吸」で伝わる感じがするんですね。更に専門や興味も近いので読んでる本も同じ様なもんだし、専門、趣味問わず、話が通じ合って盛り上がれるのは話していて率直に嬉しかったです。

近年少しずつですが、色んな人達と知り合いになれる機会を与えてもらえて、バルセロナという一つのキーワードを通してネットワークが出来つつあります。こういう人と人との繋がりは僕が欧州で生活している上で手に入れたかけがえの無い財産になりつつあります。社会の中で働き出して10年近くになるけど、最近やっと分かってきたのは、このような人と人との繫がりの大切さです。如何にコンピュータが発達しようとも、Googleが今までとは全く違った次元に僕らの社会を引き上げようとも、最終的にキーとなるのはやっぱり人である事に変わりは無いだろうと思うからです。

Aさん、昨日は楽しいお話をありがとうございました。今後ともヨロシクお願いしまーす!
| 大学・研究 | 13:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
ホテルの歩き方:ブリュッセルのホテル:NH Atlanta hotel
久しぶりのホテルの紹介です。今回はブリュッセル編。仕事の関係で何かとブリュッセルに行く事が多いのですが、僕が何時も愛用しているホテルがココ:



NHホテルです。日本ではさっぱり知られてないと思うのですが、NHホテルというのはスペインのホテルチェーンで、ヨーロッパの各都市には必ずと言って良い程存在する、こちらでは結構有名なホテルです。大きな都市に行くと市内に数箇所ある事もざらでは無いのですが、ウェブで見た感じ、ココ、ブリュッセルでも3店舗ほど展開しているようですね。その中でも僕が結構気に入っているのがBoulevard Adolphe Max通りにあるNHホテルAtlanta店です。ロケーションとしては市の中心、グランプラス(Grand Palace)まで歩いて10分圏内で、最寄の地下鉄駅、Pl.de Brouckere駅の目の前という好立地。欧州委員会のビルがあるSchuman駅にも地下鉄一本で行く事が出来るので、僕にとってはこの上ない絶好のロケーションというわけです。

コンタクト
Address: Boulevard Adolphe Max 7

Tel:
+32.22.170120
Web: http://www.nh-hotels.com/


さて、大通りに面したガラス張りの入り口をくぐると出迎えてくれるのが大きな階段が設えられているエントランスホールです。



ゆったりと寛げるソファーなんかも置かれていて、ここでちょっとした待ち合わせをする事も勿論可能。もっと落ち着きたいという人やビジネス用のミーティングルームなどは正面階段を上った2階に用意されています。フロントは勿論英語が通じます。さて、早速チェックインを済ませてボーイの人に部屋へと案内されたのですが、それがコチラ:



部屋が隅だったのでちょっと小さめなのですが、トイレやシャワーは勿論、仕事机や椅子、コーヒーメーカーなど必要なものは一通り揃っています。

さて、ブリュッセルに数あるホテルの中でも何故に僕がこのホテルをこれ程気に入っているのか?というと、その答えが実はコレ:



実はこのホテル、朝食ルームが最上階に設えられていて、素晴らしい眺めの中でゆっくりと朝食を取る事が出来るんですね。



ビュッフェ方式で用意されている朝食の種類も申し分無いくらい豊富です。



定番のスクランブルエッグからハムやクロワッサン、フルーツやヨーグルト、そしてブリュッセル名物のチョコレートケーキまで用意されています。



ブリュッセルに来る時は大抵の場合が仕事で、朝から晩までミーティングが入っている事が多いのですが、この朝食ルームの眺めを見ながらゆっくりとクロワッサンとコーヒーを取っていると、「まあ、今日も一日がんばるか!」という気になってくるから不思議です。

お値段の方はシングルルームで一晩100ユーロ前後。Wifi24時間10ユーロくらいだったと思います。
静かだしサービスは良いし、設備も十分に整っているし、それでこの値段なら悪くは無いと思います。一度お試しあれ!
| 旅行記:ホテル評価 | 22:58 | comments(6) | - | ↑PAGE TOP
ブリュッセル出張その3:アール・ヌーヴォー建築の傑作、オルタ邸(オルタ美術館)を見ていて思った2つの事:ブログ全盛時代の内部撮影禁止事項とヴィクトール・オルタ(Victor Horta)の空間構成力について


アール・ヌーヴォー建築の創始者として名高いヴィクトール・オルタ(
Victor Horta)が設計し、一時期家族と共に住んでいたオルタ邸(今はオルタ美術館(Musee Horta))に行ってきました。



場所は92番か97番のトラムに乗ってJanson駅で降り、そこから今乗ってきたトラムと同じ進行方向に100メートル程進んだ所に見えるBRICOを左手に折れて50メートル程進むと目的の建築が見えてきます。



このオルタ邸、噂に違わず内部空間が素晴らしかったのですが、問題が一つ。実は内部の撮影が禁止で、今回ブログに載せられる写真が一切撮れませんでした。多分建築と写真の問題というのは肖像権とか色んな問題が絡んでくるのでそれ程単純には解決出来ないのだろうけれど、それにしても、ブログ論壇が盛んな今、内部撮影禁止というのはものすごく時代錯誤な気がするのは僕だけでしょうか?最近は、撮影を禁止する事によって建築管理者側が得られる利益(囲い込みによる利益)と撮影を許可する事によって得られる利益(個人レベルでどんどん宣伝してもらう事による利益)の逆転が起こりつつあるのでは?と思うのですが・・・。何か問題あるのかな?この辺はあまり詳しくないので、どなたか詳しい方いらしたら教えてください。

と言う訳で、今回は写真が一切無いのですが、それでもこれだけは言いたい。

「このオルタ邸は本当に素晴らしかった。何が素晴らしいかというと、良く言われているようにアール・ヌーヴォー特有の曲線美とか、目眩がする様な非物質化された装飾とか、そんな難しい事ではなくて、ちゃんと空間がある事。」

コレですね。オルタというのはやはりアール・ヌーヴォーの創始者という事で、その素晴らしい装飾の数々にスポットが当てられがちなのですが、彼がこれだけ装飾に傾倒出来て且つ、その建築と空間が素晴らしいものとなっているのは、その基礎にきちんとした空間構成があるからだと思います。我々は先ずはそこを見なくてはならないのでは?と思う訳です。

写真が無くて分かりにくいので一つだけ例を挙げます。それが床の仕上げ材と空間の関係。エントランスホールではグレーのタイルを敷き詰め、そしてそれに続く階段部分では白色の大理石に切り替え、そして2階の大広間では再び先ほどのグレーのタイルに切り替えています。しかしですね、この大広間から半階上がり、更に3階へと続く階段の床の扱いを見ると、ここでは絨毯に切り替わっている事に気が付く事と思います。そう、オルタは意識的に床の扱いでパブリック/プライベートを意識して切り替えているのです。

そしてやはり素晴らしいのが道路側に展開する2.5階部分から大広間を見通した空間ですね。この建築の大まかな構成というのは、中庭側と道路側が4段程の階段で繋がるステップ構成になっているのですが、この少しの段差を導入するというちょっとしたアイデアによって、空間をここまで素晴らしいものに出来るオルタのデザイン力にはすさまじいものを感じずにはいられません。

こういう事も写真があればもうちょっと上手く説明できるんだけどなー。
建築というのは実際に行かない事には何も分かりません。写真では写らない質があるからこそ、建築というのは面白い表象文化だと思うんですね。その一方で、人をそこに行く気にさせるかどうか?というのは、やはり未だ写真のようなメディアに頼らざるを得ない状況だとも思うんですよ。そこに貢献出来るのがブログなのではないのか?とも。


この問題は今後ちょっと注意して追って行きたいと思っています。

| 旅行記:建築 | 00:37 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景



昨日は朝から欧州委員会の本部ビルに隣接する
Charlemagne Conference Centerの中でほとんど缶詰め状態でした。ちなみに上の写真が欧州委員会の本部ビル(ベルレモン(Batiment Berlaymont))で、下の写真がその目の前にあるCharlemagne Conference Center



9
時から始まったICT関連の会議に出席しつつ、その合間を縫って各種プロジェクトのミーティングやら欧州委員会の人達との打ち合わせ等、気が付いてみたら19時回ってた。それでもチョコレートだけは外に食べに行きましたけどね。それがコレ:



その辺にあったカフェに入って適当に選んだんだけど、これがビックリする程美味しかった。普通のチョコレートケーキなのですがチョコの甘みが程良く抑えてあって、スッキリした上品なお味。そして驚いたのがコレ:



ケーキの中にチョコクッキーの粒が入ってて、スポンジのふんわり感とクッキーのパリパリ感が不思議なハーモニーを醸し出している。料理記者歴3年の僕もちょっとビックリの「大変おいしゅうございます!」。ものの30分程度のカフェ滞在だったけど、ブリュッセルのチョコ文化の奥深さを垣間見た気がしましたね。



さてここからが今日の本題です。今回の会議のオープニングのキースピーチを担当したのは、スペイン人とフランス人、そして司会者(国籍不明)など総勢6名だったのですが、スペイン人とフランス人はどうやら英語が苦手らしく、それぞれスペイン語とフランス語でスピーチをしていました。こんな事が出来ちゃうのも、EUが誇る複数言語同時通訳を可能とするこの翻訳ブースがあるからなんですね。



会議場を取り巻くように、ズラーっと並んだボックスの中では各国語のエキスパート達が必死に同時通訳を試みています。



そして電光掲示板には何語が何番のチャンネルで聞けるかの案内が表示され、それに従い各テーブルに備え付けられているコントローラに番号を入力すると、ヘッドホンから通訳が流れてくるという仕組みになっています。

で、今日、タマタマかもしれないけど、僕の前後左右10人くらいの人達が1時間半のキースピーチ中、一回もヘッドホンに手を触れていませんでした。これはつまり、彼らは最低でも英語、フランス語そしてスペイン語が理解出来るトリリンガルだと言う事を意味しているんですね。

単一言語話者が大多数を占める島国、日本で育った我々から見たらコレは物凄い事の様に思われるかもしれませんが、実は複数語を話すという事はヨーロッパではそんなに珍しい事ではありません。ヨーロッパは陸続きなので人の移動が激しい分、気が付いたら自分の隣に全く違う言語を話す人が居たなんて事はごく普通の日常風景です。小さい頃からそんな環境で育っているから、多文化や多言語への敷居が低く、自然と何ヶ国語も話せるようになっちゃったと、まあ、こんな訳です。

そんな「一人で翻訳君」みたいなヨーロッパ人なのですが、実は最近、ちらほらと日本人の中にも数ヶ国語を話す人が出て来ている様な感じを受けています。つまり日本人トリリンガルなのですが、その担い手は誰なのか?というと、何の事は無い、日本人留学生の皆さんやヨーロッパ各地で地元密着で仕事をされている人達です。

「そんなの昔からいたじゃないか!」って思われるかもしれませんが、昔と今とでは明らかに違う点が一つあります。それはコチラに来る人の絶対量です。グローバリゼーションなどの影響で海外旅行が当たり前になり、それにつれてヨーロッパ留学の敷居が下がった事により、こちらに来る人がここ10年程で激増した事は間違いありません(その理由はコチラ:地中海ブログ:スペイン留学について)。

では一体そのような人達が何故トリリンガルになっているのか?というと、理由は簡単で、英語ベースでは無い地域で生きている人達は、フランス語やスペイン語など地元の言葉を習得するのは当然として、その地で生きていく為には英語を理解する事までも要求されるからです。多分このような人達というのは、普段は地元の言葉(フランス語やスペイン語)で生活しているんだけど、必要に応じて英語も使い分けているという人が多いのでは?と思われます。ただ、この場合の「英語が操れる」というのは、何も完璧に喋れたり聞けたりする訳では全く無くて、パーティーで雑談が出来るとか、興味のあるカンファレンスに行って理解出来るとか、その程度。言語というのはコミュニケーションの道具なので、通じれば良いんですね。多くの日本人が勘違いしているように、完璧に喋る必要なんて全くありません。だからこのような人達の事をトリリンガルというとちょっと言い過ぎかもしれないので、ここでは「なんちゃってトリリンガル」と呼ぶ事にします。

ここからは僕の勝手な妄想なんだけど、このような「なんちゃってトリリンガル」が多く集まっている最初のグループは、おそらく今30代前後の人達、つまり1975年前後生まれの人達だと思われます。そしてこれらの人達がビジネスや研究所などをリードしていける立場になる10年後、きっとヨーロッパと日本の関係というのは変わっているんじゃないのかな?少なくとも今日の欧州会議で見たような風景、数ヶ国語のスピーチを翻訳機無しで理解出来る人達の中に、日本人の姿が多数見られる日はそう遠く無いような気がします。

「言語が出来れば何か変わるのか?」と言われれば、それは分かりません。変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。そしてこれは先日話題になったベーシック・インカムの様な根本的な社会システムの変革という大げさな話ではありません。今ヨーロッパの各地で現在進行形で起こっているリアルな話なんですね。我々はそのような現実を踏まえた上で未来を語る時期に差し掛かっているのでは?と思う訳です。

そう考えると現実に即したちょっとは明るい未来予想図が描けるんじゃないでしょうか?
| 仕事 | 21:34 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
2010年、今年最初のブリュッセル出張その1:アクセッシビリティ評価 
とあるEU関連の会議の為に今日の午後からブリュッセルに来ています。何だかんだ言ってブリュッセルには結構頻繁に来てる気がするんだけど、まあ、それもこれも欧州委員会の本部があるので当然と言えば当然なんですけどね。で、何時も来る前に気になるのがブリュッセルのお天気。昨日の夜、天気予報とか見てたら最高気温5度とかなっていたので、「雪だるまの如く」に厚着してきたのに、来てみたら思った程でも無い。先週のバルセロナの方が寒かったくらいです。

さて、今日は今まで書こう書こうと思っててナカナカ書けなかった話題を書こうと思います。それはズバリ、ブリュッセルの都市アクセッシビリティ評価についてです。このアクセッシビリティ評価は、ヨーロッパの都市を訪れたら先ずは一番最初に書くべきエントリになっているのですが、何故ブリュッセルに限ってこのエントリを書くのが遅れたのか?実は・・・忘れてました(笑)。というのも結構頻繁に来てるので、てっきりもう書いたものだとばかり思ってて、今日初めて未だ書いてない事に気が付いちゃったと言う訳です。ブリュッセルの皆さん、ゴメンなさい!



と言う訳で、気を取り直して行こうと思うのですが、ここが超国際都市ブリュッセルが誇るブリュッセル空港(Brussels Airport)(些細な事ですが、空港に自分の都市名を付けてる空港って珍しいですよね。フランクフルトのフランクフルト空港くらいか)。デザインとしては、シリンダー状のガラスチューブが「スコーン」と真っ直ぐに貫いている大変分かり易いデザインになっています



両サイドをガラスで覆う事によって、光が十分に空間を満たし、透明度の高い大変気持ちの良い空間になっていますね。



この空港から市内へはバスやタクシーなど幾通りかの行き方があるようなのですが、今回は電車を選びました。乗車口は到着ロビーの目の前に階下に降りるエスカレータがあり、降りた直ぐの所に市内行きの電車が待っています。



エアポート・シティ・エクスプレスという名前の列車なのですが、15分おきに運行しているようです(平日527027分)。これはナカナカの頻度だと言えると思いますね。そしてチケットの値段は市内なら一律5.05ユーロでした。ちなみにスキポール空港ーアムステルダム間が4ユーロで、フィウミチーノ空港(Fiumicino)−ローマ間が12ユーロである事を考えると、これもそれなりに安い部類に入りますね。さて、電車の外観はそれ程綺麗では無いのですが、内部はそれなりに清潔に保たれています。



この電車はブリュッセル市内の3つの駅、北駅(Gare du Nord)、中央駅(Gare Centrale)、南駅(Gare du Midi)にそれぞれ順番に停まるようなのですが、最初の北駅には20分で到着。そして中央駅には25分で到着しました。スキポールーアムステルダム間が20分、フィウミチーノ−ローマ間が30分だった事を考えると、時間的にはマズマズか。

タダ一つ、気になる事が。何時もブリュッセルの電車に乗っていて思う事なのですが、多分この都市では、電車の信号コントロールがあまり上手く機能していないのでは?という感じを受けます。だから電車が駅と駅の間で立ち往生したりノロノロ運転する事なんてザラ。もしこれら数回のストップが無く、それなりのスピードで走っていたとしたら、余裕で15分圏内で市内に入る事が出来るでしょうね。しかも、かなり頻繁に停まるので、せっかちな僕なんかはすごくイライラしてしまう。「早く走れよ、本気で!」とか思っちゃう。

多分これって些細な事なんだろうけど、そういう積み重ねが人の心に「都市のイメージ」として残り、その都市で感じる「生活の質」の評価に影響してくるのではと思います。そいういう意味で言うと、このような信号トラブルはブリュッセルにとって明らかに減点要因になっていると思います。
| 旅行記:都市 | 23:39 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
ガリシア語の危機
今日の新聞(La Vanguardia, 21 de Febrero 2010)に「ガリシア語の危機」と題する記事(El gallego, el gran problema)が載っていました。ガリシア語とはガリシア自治州、アストゥリアス、レオン、サモーラの各県の一部などで話されている言語でその歴史は古く、13世紀にはプロヴァンス語と並んで「詩」の為の言語として重要視されていた程だったんですね。

スペインにおける言語の問題はその地域における歴史や社会、ひいてはスペイン国とヨーロッパ全域との関係などが複雑に入り組み、海の底ほど奥が深いので到底ここで書き切れる問題では無いのですが、大まかに見た時のガリシア語の大きな特徴の一つ、それはガリシア社会の中においてガリシア語が占めている地位に見る事が出来るのでは?と思われます。僕の周りには結構な数のガリシア人の友達がいるのですが、彼らが口を揃えて言う事は、「ガリシア人はガリシア語を重要である(プレステージ)と見做していない」と言う事です。

ガリシア語というのはガリシア社会の中において家族間で話される言葉、もしくは貧しい人達が話す言葉と考えられている傾向が強いんだとか。だから子供を持つ親などは、学校で自分の子供がガリシア語を学んでいる事を良く思っていない人が大勢を占めるそうです。と言うか、将来を見込んでカスティーリャ語を先ずは身に付けさせる事を優先させたい親が多いらしいのです。

じゃあ、学校の教育システムはどうなっているかというと、ガリシア語とその他の言語が授業で使用される比率は50%対50%。どうやらこの比率は自治州の令(Decreto:法律の下に位置する規則のようなもの)で決められていて、各学年の年間カリキュラムの内の50%はガリシア語を使用しなければいけないそうです。つまりそうする事で彼ら独自の文化を守ろうと言う訳なんですね。

そんな矢先、約一ヶ月程前の事なのですが、現ガリシア自治州の政権にある民衆党(PP)が学校教育におけるガリシア語の使用率を上限50%に制限する令をガリシア議会で可決し、近々施行する見通しであると言う事を新聞が報じました。もっと具体的に言うと、年間カリキュラムの内、ガリシア語、カスティーリャ語、英語をそれぞれ均等に33%ずつの配分にする規制力を持つ令だそうです。これはかなり影響力の強い令で、というのもこれまでは最低50%、もし学校長が認めれば100%ガリシア語で授業を行う事だって理論的には可能だったのが、この新しい令では最高でも50%しかガリシア語の使用を認めないとなったのですから。

このようなラディカルな令に対する社会の反応は様々で、(ここにこそガリシア社会の矛盾と彼らの面白さが垣間見えると思うのですが)、子供を持つ親達は諸手を挙げて喜んでいるかと思えば、自分達のアイデンティティの拠り所である言語が失われる可能性に憂えていたりする訳ですよ。「え、あなた達、さっきまでガリシア語、最悪だからもう教えないでくれ!とか言ってなかった?」って思っちゃうんですが、このような2面性、「どっちだかよく分からない」というのが実はガリシア人の一番の特長だったりするんですね。それがガリシア人の可愛い所でもあるんだけど、ガリシアに住んでる日本人とかはきっと大変なんだろうなー、とか思っちゃう瞬間です。

このような言語の問題はスペインの各地域のアイデンティティの基盤に当たる非常に重要な問題なので、ガリシアの動きには今後ちょっと敏感に耳を立てていようと思っています。
| スペイン政治 | 21:09 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010)
バルセロナでは今週月曜日から木曜日まで世界最大規模の携帯電話の祭典、GSMA(Mobile World Congress 2010)が市内スペイン広場にて盛大に行われていました。毎年この時期に開催されるこのイベントには世界各国から携帯電話関連の企業や関連研究者などが一堂に会し、地中海都市バルセロナを最新テクノロジーの首都へと変えてしまいます。当ブログでは数年前からこのイベントの詳細なデータなどを定点観測してきているのですが、その理由は、このようなイベントの裏側には「都市の思惑」と、それに伴う都市戦略がチラチラと見え隠れしているからなんですね(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA(Mobile World Congress 2009)、地中海ブログ:バルセロナの都市戦略と3GSM)。

このような各種祭典や国際会議というのは都市にとっては願っても無い収益のチャンスであり、その事にいち早く気が付いたバルセロナは、都市発展の為にこれらのお祭りを引き寄せようと戦略的に動いてきました。元々「ビックイベントによる都市発展」って言うアイデアは1992年のバルセロナオリンピックの誘致が最初と言われているんだけど、それ以来バルセロナはUIAForum2004など4年毎くらいに大型イベントを誘致しては都市の諸問題を改善し、都市計画に反映させ、最終的に市内における市民の生活の質を改善する事に成功してきたと言っても過言では無いと思います。先月、市長の口から飛び出たビックリ発言、「バルセロナは2022年の冬季オリンピックに立候補する」というアイデアは明らかにこの軸線上に載っている戦略です(地中海ブログ:バルセロナ、2022年冬季五輪に立候補の意思表明)。そしてそんな長期的大型イベントを活用した都市計画を実践してきたバルセロナが近年結構活発に働きかけているのが、37日間という比較的短期間で行われる各種イベントや国際会議などの誘致と言う訳です(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。

さて、昨日の新聞(La Vanguardia, 19 de Febrero 2010, P4)にはGSMA(Mobile World Congress 2010)の諸情報が載っていたのですが、これがナカナカすごかった。今年はなんと、去年よりも2,000人程多い49,000人という結果だったそうです。ピークだった2年前に記録した、4日間で50,000人という記録には手が届かなかったのですが、経済危機をモロに受けた去年の事を考えると「ようやく盛り返してきたな」という感があります。4日間の経済効果はずばり220億円(2億ユーロ)と言いますから、このイベントの重要性が分かるというものです。ちなみにこの数字は去年は勿論、ピークだった一昨年の170億という数字を遥かに上回っています。

そしてもう一つ、これらのイベントのインパクトを測る重要な指標になるのが、バルセロナ市内におけるホテルの占有率です。今年の数字は市内ホテル占有率が平均で90%、最初の2日間に至っては95%という、去年とさほど変わらない数字でした。去年は

「バルセロナ市内のホテルは携帯電話のイベントですら満席には至らなかった (“ los hoteles de Barcelona no logran llenar para la feria de telefonia movil)

とか言って大騒ぎしていたのですが、良く考えたら、市内ホテル占有率100%になる方がちょっと異常な状況であって、それこそバブルだった頃の異常さを示しているというものです。

さて、今日の新聞には関連記事としてもう一つ面白い記事が載っていたのですが、それは2008年を通して行われた各種イベントや国際会議がカタルーニャ地方に落としたお金についての記事でした。それによると、一年を通して1750億円(135200万ユーロ)のお金がカタルーニャ全土に落ちたそうです。カタルーニャ中で一番お金が落ちたのは勿論、首都であるバルセロナで全体の74%の訪問者がバルセロナを訪れ、全体の49%の会議がバルセロナで行われたのだとか。注目すべきは第二位で、そこにはGarrafが付けていました。約1,000の会議が行われ、80,000の訪問者が訪れたのだとか。

さて、これら短期的イベントと長期的イベントは、それら両方を適材適所に用いれば、都市を発展させる為の重要なツールになる事は間違いありません。そしてそれらをどのように使うのか?については問題意識も含めながら以前こんな風に書きました:

このような国際会議や催事を巧く使えば都市の大きな収益になる事は間違い無いんですね。これらをオリンピックなどの大型イベントと共存させていくというアイデアは大変に秀逸なものであるといわざるを得ないと思います。そしてこれら2つのタイプは共存関係にある。今後考えられるシナリオとしては、都市の「ある地域」を開発したい時にはオリンピック系の大型イベント誘致を図り、都市に賑わいをもたらしつつ収益を効率的に上げようという時には短期型を誘致する。更に 大型イベントで開発・建設した大型施設に継続的にプログラムを与えつつ意味を与えるという役割も果たす訳です。美術館や文化センターのような施設というの は、建設費用を集める事は実はあまり難しくないんですね。それよりも問題なのはどんなプログラムを走らせるかというコンテンツとランニングコストのほうな のです。その点、僕が以前勤めていたバルセロナ現代文化センターは大変巧くやっていると思います。

経済効果を見れば明らかな様に、これらのイベントはもう、都市内に各種建築やインフラを計画するのと同等のラインに位置付ける事が出来るかと思います。唯一の違いは、このようなイベントは一過性のものであり、恒久的な建築物などは残らないという点だけなのですが、それだって見方を変えれば、僕らの時代の建築、ひいては社会のある側面を表しているようで、それはそれで興味深い現象なんですね。そして更に僕にとって興味深い点は、短期的イベント、長期的イベント、建築、都市計画という様々な分野が、「都市戦略」という観点に立つと、あたかも一つの軸線上で語る事が出来るという事です。そう、我々の時代にはもうそれらの間に違いなど無いのかも知れません。あたかも全てのガジェット(携帯、ラップトップ、テレビなど)が同じ様な機能を持ち、それらの違いが「液晶の大きさ」でだけで区別されていく時代に突入している様に。
| 都市戦略 | 20:25 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
バレンシア出張:聞く所によるとマドリッド−バレンシア間の高速鉄道は2010年中に完成するらしい
今日は朝からバレンシア出張です。以前にも書いたように、バルセロナ−バレンシア間って驚く程交通の便(コネクション)が悪くて、飛行機なら午前と午後に一本ずつしか無いような状況なんですね(地中海ブログ:バレンシア・バルセロナ・サラゴサ計画とカンプス(Francisco Camps)氏の汚職疑惑騒動)。更にそのフライトスケジュールも、早朝のものすごく早い時間と夕方のすごく中途半端な時にしか無いという最高にタイミングの悪いスケジュール。その一方で、電車(RENFE)の方は結構本数があるのですが、こちらは時間がかかり過ぎるのが問題。片道3時間、行き帰りで6時間も取られてしまいます。

午前中に行われるミーティングに間に合う為にはバルセロナを7時発の電車に乗らなくてはならず、まあ、それでも「仕事だからしょうがないか」という感じでバルセロナ・サンツ駅をウロウロしていたら面白いものを発見:



サンツ駅拡張計画の模型です。この計画は近年の大幅な需要の増加に応える為に3年程前から計画されていたのですが、去年からの不況の影響を受けて確か今はストップしているはず。設計は地元出身の建築家、ジョセフ・ルイス・マテオ(Josep Lluis Mateo)と、今や世界的建築家となりつつあるRCRのコラボだったと思います。ジョセフ・ルイス・マテオはおいといて、RCRはさすがに乗りに乗ってるなー。つい先日もバルセロナの新裁判所のコンペを勝ち取った事が報道されたばかりですし、彼らの扱う物件の規模はどんどん大きくなっていますね(詳しくはコチラ:Barcelonaどこでも建築:ひさしぶりOlot)。

さて、今日のミーティングはバレンシア市が中心となって促進している交通計画に関するものだったのですが、コーヒーブレイクの時に市役所の人達と話していたら、スペイン高速鉄道(AVE)関連について面白い話を聞きました。

先週のエントリで書いたように、フランスの国有鉄道の会長が南フランス−カタルーニャ間の連結について具体的な工期を提示したり、去年の年末にはバルセロナ−バレンシアの協力体制についての理論的なバックグラウンドとなりうる著書が発表されたりと、「地中海の弧」に関する話題はにわかに活気付いてきたなと思っていたのですが、その一方でマドリッド−バレンシアの連結計画については情報がさっぱり回ってこなかったんですね。

しかしですね、今日の市役所の人達の内輪話によれば、今年中(2010年中)にマドリッド−バレンシア間の高速鉄道連結が完成するとか何とか。それが完成した暁には今は4時間かかっている両都市間の移動が、なんと90分に短縮されるそうです。
コレにはちょっと驚きました。インフラ整備は都市戦略に欠かせない要素である事から、普段から目を配らせていたのですが、少なくともメディアレベルではどの新聞も今の今まで報道はしていませんでしたね。問題は何故マドリッドはこの事を隠すのか?(隠してないのかもしれないけど、そう見える)という事なのですが、その辺りの事については色々と思い当たる事があるんだけど、長くなりそうなので又今度。


今日の収穫はメディアレベルでは出てこないこの情報と、バレンシア市が今週からGoogle Transitに参加し始めたという事です。Google Transitについては次のエントリで書こうと思っています。
| 都市戦略 | 20:50 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
  • 1/56PAGES
  • >>