地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

先週金曜日(11月25日)、PhD Defense(日本で言うところの最終口頭審査)に合格し、博士号(Ph.D in Computer Science)を取得することが出来ました!

←バンザイ〜、バンザイ〜、バンザイ〜!!

←おめでとうー(祝)

学位論文のタイトルは「建築と都市における人の移動(モビリティ)分析」。都市や人々の活動に関するビックデータとその分析が、建築デザインやアーバン・プランニング(都市計画)にどのような影響を与えるのか(もしくは与えないのか)という問い(Research Question)について、「人の移動(モビリティ)」という観点から検討しました。この博士論文は3本の独立したジャーナル・ペーパー(査読付き論文)から成り立っています:

1.ルーブル美術館来館者研究(Environment and Planning B)

2.バルセロナ旧市街地における買い周り行動分析(Applied Geography)

3.クレジットカード情報を用いたバルセロナ市における人々の買い周り行動分析(Environment and Planning B)

3本ともこの分野における最高峰の国際ジャーナルに採択された論文です(つまりはカンファレンス・ペーパーではありません)。さらに博士論文の章立てとしては含まれてないけど、業績としては下記の2本の論文も国際ジャーナルに採択されました:

4. ルーブル美術館の来館者密度指標の開発(IEEE Pervasive Computing)

5. 携帯電話の電波を用いた新しいトラッキング手法(IEEE Communications)

博士論文提出条件として、上に示した5本のジャーナル論文の他に、欧州委員会とのコラボレーションを通したスマートシティ分野における欧州プロジェクトへの貢献、スマートシティという文脈における日本の自治体(神戸市役所など)や日本企業とバルセロナ市役所との関係強化への貢献、MITとバルセロナ関連機関との関係強化への貢献等、僕がこの5年間で関わってきた全ての活動が評価された上で、博士論文提出が認められました。そしてその提出した博士論文が内部委員会の審議に掛けられ、「最終口頭審査を受ける資格あり」と評価された上で、国内外から集められた専門家3人の前で最終口頭審査(PhD Defense)を乗り切ることによって博士号が授与されるに至ったんですね。

←PhD defense(最終口頭審査)って、てっきり形式的なものだとばかり思ってたら、「これでもか!」っていうくらい突っ込まれて、結構きわどかった(汗)。

当初思い描いていたよりも、長く苦しい道のりだったけど、僕の人生に大きな実りをもたらしてくれた5年間だったと思います。なにものにも代え難い体験、そんな経験をさせてくれた5年間でした。

今日から、Dr. cruasanです。

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↓↓↓「なぜ建築家である僕がコンピュタ・サイエンスで博士号を取ったのか?」、「海外の博士号とは一体どんな意味があるのか?」を書いてたらすごく長くなってしまったので、興味のある人達の為に下記に記しておきました:

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由、建築学部ではなくコンピュータ・サイエンス学部で博士号を取得しようと思った理由、、、それはいまから約10年前、バルセロナで目撃してしまった衝撃的な風景がもとになっています。

あれは忘れもしない、バルセロナ都市生態学庁で働き始めて2週間くらい経った日のことでした。まだ右も左も分からない新米の僕が、初めてミーティングの席に呼ばれ、地元の専門家達を巻き込んだ議論に参加する機会を得た時のことです。

そのプロジェクトは22@BCNの歩行者空間化の計画(いまではジャン・ヌーベルのアグバル・タワーやポンペウ・ファブラ大学などが立ち並ぶエリアの基本計画を作ったのは僕達だったりします(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎))を話し合う場だったのですが、そこに集まった面々を見てビックリ!なんと、そこに集まっていたのは、物理学者や統計学者、生態学者や心理学者といった人達であって、その中に建築家は僕しかいなかったんですね(驚)。「都市空間に関するミーティングなんだから、参加者はみんな建築家だろう」と高を括っていた僕に、先ずは最初の先制パンチ!そしてミーティングが始まると、更に驚くべき光景が展開され始めました。

先ず最初に口火を切ったのは、僕の目の前に座っていた物理学者のJさん。22@BCNエリアに散りばめられたセンサーから集めた大気汚染のデータを持ち出しながら、「バルセロナのこのエリアの汚染濃度はEU基準値の遥か上をいっています、、、」とか話し始めたのですが、正直、「え、センサーってなに?」って感じでした(笑)。

←いまでこそ大気汚染を測るセンサーなんて珍しくもなんともないのですが、10年前にはそんなの聞いたこともありませんでしたから。。。更に追い討ちをかける様にコンピュータ・サイエンティストのBさんが、「皆さん見てください、これはこの地区を構成している全てのお店の位置情報と、それに関する分析結果です」とか言って、これまた全く目にしたことも無いヒートマップ(当時はその地図がなんと言うのかすら知らなかった)を持ち出してくる始末。そうこうしている内に、物理学者であり交通シミュレーションの世界的権威、ジャウマさんが「このエリアのシミュレーションをしてみたんだけど、、、」みたいな感じで、これまた全く見たこともない交通シミュレーションを見せ始めた。。。(実はジャウマさんとお会いしたのは、このミーティングが初めてでした(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!))。

「都市のことを良く知っている都市の専門家=建築家」だと思い込んでいた僕の目の前で、全く知らない風景が展開し、見たこともないデータを用いて、見たこともない分析をしている人たちが存在する。。。膨大な定量データを巧みに操り、それらを実証データとして活用することによって、「データを用いたまちづくり」を実践している人たち。。。

凄かったです。本当に新鮮な驚きでした。なによりショックだったのが、彼らが言っていることに、「建築家とはまた違った説得力がある、、、」ということだったんですね。

だからこそ、僕は心の中でこう思ってしまったのです:

「これはダメだ、、、絶対にまずい、、、このままではアーバン・プランニングや「まちづくり」といった舞台における建築家の役割、建築家の存在意義が無くなってしまう、、、」

……都市は建築家の主戦場です。その主戦場から建築家が撤退せざるを得ない、そんな日が近い将来来ざるを得ないことを、この時のミーティングはハッキリと示していました。そして10年後の現在、それが現実のものとなってしまっていることを、我々は様々な場所で目にしているはずです。

例えば現在ヨーロッパで大問題を引き起こしているAirBNB(日本でいうところの民泊)が良い例かもしれません。僕の視点からいうと、これは都市に関する問題であり、建築家こそが率先して対処すべき問題だと思うんですね。

しかしですね、AirBNBの問題を建築家が扱おうとすると、直ぐに大きな壁にぶち当たります。建築家が提案する政策提言というのは現状分析に基づいています。その現状分析が正確であればあるほど、それに基づいたシナリオはより説得力を増す訳なのですが、逆に言えば、現状分析が曖昧であったり、全く出来ない様な場合、建築家が描く未来はそれこそ「絵に描いた餅」に終わってしまうんですね。そしてAirBNBに関する限り、建築家は往々にして現状分析をすることが非常に困難な状況へと追い詰められてしまうのです。

何故か?

何故ならAirBNBの現状を知る為には、対象都市(例えばバルセロナ市)においてどれくらいの部屋がAirBNBとして貸し出されているのか、どれくらいの需要があり、どれくらいの人たちが何日くらい何処に泊まっているのかなど、ウェブからデータを拾ってくる必要があるのですが、コードが書けない建築家はそれらの情報をウェブから集めることすら叶いません。仮に運良くそれらのデータを拾ってこれたとしても、それらのデータをどうやって分析し、どう可視化したら良いのか、途方にくれるのがオチだと思います。

この様に書くと、「じゃあ、そういう側面はコンピュータ・サイエンス学部の専門家達とコラボすれば良いじゃないか!」と言い出す人がいるかもしれませんし、それはそれで一つの解決方法だとは思います。が、しかし、、、「データ分析の外注」は建築家の創造力・想像力を殺す行為だと僕は思っています。データ分析というのは、生データを自分の手で触りながら整理していく中で、「あー、このデータはこういう傾向があるんだな」とか、「あー、こういうパターンがありそうだ」とか段々と分かってくるものなんですね。それらの過程を一気に通り越して、結果だけ見せてもらっていては絶対に見えてこないものがあると、僕は経験から学びました。

つまりは、都市に関するビックデータが優勢になりつつある我々の社会では、建築や都市計画の知識を有しながらも自分でコードが書けて、適切な分析が出来る人材、その様なプロフェッションが確実に必要になってくるのです。

10年前のあの日、ビーチの真ん前のオフィスで一人思った建築家の将来像、「これからはデータの時代であり、建築家といえどもデータが扱えなければやっていけない時代がやってくる」、、、そう思った時に、それらビックデータを適切に扱い、建築や都市に役立てる専門家になる為には一体どうしたら良いのだろうか?

←これが、建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部で博士課程を始めようと思った直接のキッカケとなりました。

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由はもう一つあります。それは海外ではPh.Dホルダー(博士号取得者)は非常に尊敬され、社会的地位が高いということに起因します。欧米において社会を引率するエリート層というのは、往々にしてPh.Dホルダーであり、博士号を持っていることがその層に属する為の必要条件(十分条件ではない)、もしくはパスだったりするんですね。

はっきり言います。「ヨーロッパにおいて博士号を取ることが出来る人」というのは非常に特殊な人に限られ、この学位は「普通の人が取る学位」とは差別化されています。それがヨーロッパ社会一般に通底している認識です。

この様に書くと、右を見ても左を見ても中流階級の中で生きている日本の皆さんには、「え、なにその階級社会?おかしくない?」とか思われるかもしれません。しかしですね、ヨーロッパ社会というのは基本的に階層社会であり、一部のエリートが残りの平民を導いていくという認識の元に組織されている社会なのです。だから最近日本で良く言われている「格差社会」なんて、ヨーロッパから見たら、結構カワイイものだったりします。

こういう状況に身を置いていると、日本における博士号取得者の地位の低さは世界的に見ても「異常」です。よく「日本の常識、世界の非常識」と言われるのですが、博士号に関してはまさにそれがピッタリと当てはまります。

←が、しかし、「日本の常識」が世界の常識に合わないが為に、常に日本が間違っている、劣っている、、、ということでは決してありません。ただ、博士号に関しては、明らかに日本の常識は世界の非常識だと思います。

ではその違いは何処から来るのか?

それは欧米においては、何の為に博士号を取得するのか、博士号取得者は社会的にどのような地位が与えられるのかなど、博士号とその取得者に対する「社会の覚悟」が、階層社会というコンセプトを通して歴史的に形成されているということが挙げられます。例えば上述したように、ヨーロッパにおいては博士号取得者は社会を統率していくエリートとしての役割を社会が用意してくれていますし、逆にアメリカでは市場主義とでもいうような階層、つまりは博士号取得者が起業してCEOになったりと、大学教授になる以外の道が数多く用意されていたりします。

←ちなみにドイツのメルケル首相が博士号を持っていることや、ヨーロッパの多くの国会議員が博士号取得者であるということ、バルセロナ市役所など自治体職員の幹部の多くも博士号を持っていたりするということも知っておいて損はありません。

←こういう認識を広めていくと、日本の自治体の方々が大好きな「表敬訪問」がいかに馬鹿らしい行為なのか、いかに海外の自治体職員に迷惑がられているかということが良く分かるかと思います。

←海外の自治体職員の幹部はPhDホルダーとして専門職に長年付いている人達なので(日本のようにコロコロ部署を移動したりはしない)、例えば、温暖化問題に対して横浜市役所が何をやっているのか、どんな政策を今まで取ってきて、そこにどれくらい投資をしているのか?また、これから何処へ向かっていこうとしていて、世界的に見た時の横浜市役所の強みは一体なんなのか?という基本情報なんてのは、当たり前の様に熟知している訳ですよ。

←そんな人達に向かって、付け焼刃的な情報を集め、自身の市役所のやってきたことをなぞるだけ、、、というのは時間の無駄でしかありません。

←もっと言っちゃうと、「名刺交換だけして帰る」とか、「名刺交換さえすれば交渉が終わった」といった態度は、海外の自治体職員をこの上なくバカにしている行為なので、今後絶対に止めて欲しいですね。

(あー、話しが脱線してしまった、、、) そんな中、日本はどうかというと、博士号取得者に「一体何を期待しているのか」、「社会は彼らをどう受け入れるのか」等の準備が全く出来ていないにもかかわらず、政策レベルで博士号を増やす、、、という大変不思議な状況になっているように思います。多分、博士号の数=その国の先進性を表す、、、みたいな勘違いをしているのではないでしょうか?

このような両社会一般に浸透しているPhDホルダーの社会的な意味・地位が日本とヨーロッパでは大きくかけ離れている為、欧米における博士号授与の審査と、そこに至るまでの過程は相当厳しいものとなっている、、、という訳なのです。

ちなみに僕は(上に書いたけどもう一度強調しますが)、博士号をもらう為に、査読付きの国際ジャーナル論文5本が必要でした。しかもその分野において「世界的なインパクトを引き起こすことが必須」みたいな(笑)。

←日夜論文執筆に躍起になっている研究者の皆さんなら、ジャーナル論文5本というのがいかに大変な業績であるかが分かってもらえるかと思います。

| - | 17:30 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナと長期的な友好関係、協働関係を築きたいと考えている皆さんへ

突然ですが私cruasan、バルセロナの都市計画や都市政策、モビリティやICTといった専門分野におけるバルセロナのキーパーソンとのミーティングのセッティングをコーディネートするサービスを始めようと思います。

←おめでとー(祝)。パチパチパチ。

←なぜ急にこんな事を思い立ったのかは下記↓↓↓に詳しく書きました。

(注意)下記に載せる写真は全て今年の48hオープンハウス(2016)で撮ってきた写真です(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

Barcelona Super computing center

←一言でいうと、バルセロナの都市計画や都市政策の専門家でない人がミーティングを設定したりすると、日本の自治体関係者や政策決定者を「バルセロナのキーパーソンではない、政策なんかとは全く関係ない人」と会わせちゃったりして、これは「双方の都市にとって不利益にしかならない」ということを目の当たりにしたからです。

←もっと言っちゃうと、これは90年代初頭くらいから岡部明子さんがバルセロナの面白さに気付かれ(地中海ブログ:とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)、阿部大輔さんが中心市街地の研究を始められ、僕がバルセロナの公的機関の内部から都市戦略などを実際に担ってきたという様に(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)、みんなで膨大な時間を掛けて築き上げてきたバルセロナの名声を無に帰す弊害だと認識しました。

Torre Bellesguard (Antino Gaudi)

取り敢えず、僕が想定しているのは次のような方々:

1. 日本の自治体関係者で、バルセロナ市への表敬訪問ではなく、「バルセロナの本音が知りたい」という方々。バルセロナの経験(良い面も悪い面も)を生かして、「自分達の街をより良くしたい」と本気で思っている方々。

2. 大学の研究者などで、都市やモビリティ、ICT分野においてバルセロナの公的機関や研究機関と長期的な視野に立って共同プロジェクトを立ち上げたり、それらの可能性を模索している方々。

3. バルセロナのキーパーソンを日本に招致することによってイベントなどを企画し、政権交代に左右される短期的な関係性ではなく、政治的状況に左右されない長期的な関係性をバルセロナと築きたいと考えている方々。

 

上記の様な方々の要求にお答えしようと思っています。

もっと具体的にいうと、「ICTのセンサー分野で専門家と意見交換したい」とか、「モビリティの分野でバルセロナ市を巻き込んだ長期的なプロジェクトがやってみたい」とか(←プロジェクトが実現出来るかどうかは別)、「バルセロナってスマートシティとか言ってるけど、実際どうなの?」とか、「バルセロナ市役所って何やったの?」などなど、かなり専門的なんだけど、スペイン大使館とかバルセロナ市役所の窓口に頼むと一般的すぎて誰が出てくる分からない、、、という悩みを持っている方々。もしくは、「一旦はバルセロナと協定を結んだんだけど、政権交代で市側の担当者が変わった為に連絡が途絶えてしまった」、「だから政権交代に左右されない長期的な視点に立った安定的な関係性が築きたい、、、」という方々を対象にしたいと思います。

(注意) バルセロナ市役所への表敬訪問を望まれる方や、「バルセロナがどんな分野に興味があるか?」とか、「バルセロナにヒヤリングした上で、うちの方針を決定したい」というような「一方通行的なヒヤリング」を望まれる方は除外させて頂きます。

Diposit del Rei Marti

なぜ僕がこんなことを考えるようになったのか?

←←← いや、前々から思ってはいたし、実際その様な要請は年がら年中受け取ってはいたのですが、僕自身非常に忙しくって自由になる時間がそれほどなく、また、バルセロナ側のキーパーソンとのミーティングの設定には手間暇が掛かることなどから後手後手に回っていたんですね。しかしですね、昨年のスマートシティ国際会議に参加した経験や、最近よく耳にする、旅行会社による「バルセロナ市役所とミーティング設定しますよ」的なスマートシティ視察ツアー、しかも「バルセロナ市役所が返信しないから何とかして!」という訳の分からないメールをひっきりなしに受けるにつけ、「このままではマズイ!」という危機感が僕にそう行動させたと言った方が良いかもしれません。

Can Po Cardona (Jujol)

はっきり言います。

「高いお金(と時間)を支払ってまで遠いイベリア半島の隅っこに足を運んでくれる方々の中には、自治体関係者は勿論、日本の各都市の政策決定者や専門家の方々が多くいらっしゃるものと思われます。だからバルセロナ側もそれ相応のキーパーソンとの会合なりミーティングなりをセッティングしないと、バルセロナと日本の両都市、双方にとって不幸せなことにしかならない、、、」と、そう強く思ってしまったのです!

それが今回、僕がわざわざ多大なる労力を掛けてまでバルセロナのキーパーソンとのコーディネートをかって出ようと考えた始めたキッカケです。

逆に(繰り返しになってしまいますが)、日本政府や自治体関係の方々で「バルセロナ市への表敬訪問が目的」とか、「バルセロナ市とミーティングすることを第一の目的とする」という方々は、スペイン大使館とか日本領事館に連絡を取って頂ければ、そちらからバルセロナ市役所なりカタルーニャ州政府なりに連絡がいき、担当者を介してミーティングの設定などをして頂けるかもしれません(大使館や領事館がそれらを受けてくるかは不明)。

また、建築、都市、都市計画、都市政策、モビリティ、ICT(もしくはこれらに関連のありそうな分野)以外の専門家や専門機関へのミーティングなどを望まれている方々、例えば「ピアノの達人とミーティングがしたい!」とか、「カタラン語の研究者を紹介してほしい」とか他分野への要望もお断り致します。まあ、出来ないことはありませんし、多分それなりに上手くやれるとは思いますが、それらの分野だったら僕以外にもコーディネート出来る専門家がいらっしゃると思いますので、そちらの方々にご連絡をお願いします。 Torre de la Creu (Jujol) 基本的に僕は「僕以外の日本人には出来ないこと、僕にしか出来ないこと」しかお引き受けするつもりはありませんし、他分野まで僕が出しゃばるつもりもありません。 という訳で、都市、建築、都市政策、都市計画、モビリティ、ICT分野でバルセロナのキーパーソンとのミーティングなどを通してバルセロナと長期的な友好関係、協働関係を築きたいと考えている方々、バルセロナの事例を通して、「本気で日本の都市を変えたい!」と思っている方々、ご連絡ください。

Can Negre (Jujol)

←そうじゃない人は、ビーチに行って美味しいパエリアを食べて、夜は生ハムとワインを飲みながらバルサの試合を見ていれば、それはそれで大変有意義なバルセロナ滞在になると思います。ただ、、、日本からわざわざ来たのに、地元で有名だからという理由から「日本食レストランに行く」という間抜けなことだけは止めましょう(苦笑)。

←バルセロナの日本食レストラン、フェラン・アドリアとか行ってるみたいで確かに美味しいことは美味しいんだけど、日本に帰ってその辺の焼き鳥屋で食べた方がマシなレベルだと思います。

追記) 下記に僕がこんな風に考えるキッカケとなった経緯を記します。ちょっと長いのですが、興味がある方はどうぞ:

 

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毎年、スマートシティ国際会議が近づくにつれ、僕のところには世界中の政府機関、自治体、研究者、私企業などからひっきりなしにメールが届きます。これには幾つか理由があって、まず一つ目には僕が所属しているMIT SENSEable City Labの所長、Carlo Rattiさんがスマートシティにおける世界的権威であり、SENSEableはスマートシティのメッカとして知られているということが挙げられます。ちなみにバルセロナが都市戦略としてスマートシティ国際会議を立ち上げた時、そのイベントの権威付けの為に(当時の)主催者にカルロさんを紹介したのは僕です。

もう一つは、labのメンバーの中でバルセロナを拠点として活動しているのは僕一人に限られるということ、そして欧米では僕の名前はビックデータ解析を建築・都市計画・都市政策やモビリティに応用するということに紐付けられている一方で、バルセロナの都市分析、バルセロナモデルの専門家と見做されているという理由が挙げられるかと思います。

Parc de Recerca Biomedica de Barcelona (PRBB)

という訳で、昨年のスマートシティ国際会議にいらっしゃった幾つかのグループの方々に同行することになったんだけど、それらの各グループの構成はこんな感じ(自治体の名前やコーディネーターの名前は伏せます):

1. 欧米の某都市(A自治体):MITの元同僚で都市政策・都市計画を専門としているA市の職員がコーディネーター。

2. 欧米の某都市(B自治体):在B国のスペイン大使館を通してバルセロナ市役所などとのミーティングをコーディネートした模様。 3. 日本人の団体様(職業はバラバラ):地元に長年住む(都市政策・都市戦略などに関しては素人だけど、やる気と熱意は十分な外国人(日本語話す))がコーディネート。

日程をずらしながらも、これら3つのグループに同行しバルセロナ市役所や私企業、ウォーキングツアーなどを体験していたのですが、それら3つのグループを比較することによって、ある重要なことに気が付きました。それは:

「コーディネーターの技量によって、バルセロナ市役所訪問時の担当官が変わるということ。そしてその担当官の説明如何によって、バルセロナへのイメージやその後の協定などに多大なる影響を与えるということ」

です。

Campanar de Sant Maria del Pi

まず、スマートシティ初日にいらしたのは日本人のグループだったのですが、最初の訪問先はバルセロナ市役所の某機関。先ずバルセロナ滞在の初日にココでバルセロナ市の一般的な説明とスマートシティへの取り組みなどの説明を聞きつつ、その後の活動に繋げるというなかなか良く考えられたプランだったと思います。しかしですね、バルセロナ市役所側の担当者から開口一番に出た言葉がこちら:

「ようこそバルセロナへ!あのー、大変残念なのですが、バルセロナ市では5月に政権交代が実施され、それに伴い市役所内のスマートシティ部門は消滅してしまいました。現場の担当者である我々も、スマートシティに関してバルセロナ市が何処へ行こうとしているのか、何がしたいのか分かりません。大変混乱しています」

正直、僕は自分の耳を疑いました。心の中で、「え!!!!」って思いました。更に、その担当官が説明し始めたバルセロナの紹介がかなり酷い!はっきり言って素人同然、、、っていうか、あとで話してみたら経済学のバックグラウンドを持つ公務員のかただったので都市に関しては素人だったのですが(←別に全ての人が都市のプロになれるという訳ではないので、それはそれで良いのですが、、、)、それにしてもスマートシティ国際会議に出席することを目的にいらっしゃった方々に対して、「上述の説明はないな、、、」と本気で思いました。

Torre de la Creu (jujol)

しかしですね、その2日後に今度はA自治体の方々と同じ機関、同じ場所で説明を受けたのですが、その時に担当官として出てきたのは僕も良く知っているバルセロナ市役所のキーパーソン。もちろん彼はバルセロナ市の状況を大変良く理解していて、バルセロナの現状からスマートシティへの取り組みに至るまで、短時間で見事に説明してくれました(どうやら都市政策の専門家であるA自治体のコーディネーター(友人のV君)が事前に調べて彼を指名したみたいです)。僕が最も感銘を受けたのがスマートシティに関する彼の下記の説明です:

「バルセロナ市では5月に政権交代があり、スマートシティに関しても現政権は前政権とは異なる見解を示しています。私が考えるに、スマートシティは何層ものレイヤからなっています。最下層にはセンサーなどのインフラがあり、上層レイヤには文化活動などがあるといった具合です。前政権では、このインフラ整備にかなり力を入れていました。センサー技術といった最新技術に多大なる投資をしていたのです。しかし現政権はそうではなく、上層レイヤにあたる文化活動や市民活動などに力を入れる政策を打ち出しています。同じスマートシティといっても、現政権と前政権では捉え方が異なるのです。この状況に適合させるために、市役所内部では部門のリストラクチャリングを行っている最中です」

そう、こういう風に説明されると、「あー、そうか、スマートシティの捉え方が違うんだなー」と納得するわけですよ。いきなり、「スマートシティ部門は潰れました」とか言われると、はっきり言ってやる気が無くなるし、バルセロナに初めて来た自治体の方々で事情をうまく飲み込めない方々は、「あー、そうなのか、じゃあ、バルセロナとは今後何も出来そうに無いな、、、」とか思ってしまうじゃないですか!

Campanar de Santa Maria del Pi

繰り返しますが、このA自治体のグループをコーディネートしていたのはMITの僕の元同僚で、もともと都市計画や都市政策を専門としていたV君。現在はA自治体で働いているんだけど、僕がバルセロナの専門家だということで時々連絡を取ってアドバイスをしていたという裏事情は勿論あります。だから流石にポイントを良く押さえていて、都市再生やスマートシティの取り組みに関して「バルセロナでは何を見なければならないのか?」、「誰と合わなければいけないのか?」、「政策決定者には誰と話をさせて、何を見せなければならないのか?」などを熟知している訳ですよ!

Can Negre (Jujol)

ちなみに彼に頼まれて僕がA自治体の方々を案内させて頂いたのが、グラシア地区の歩行者空間プロジェクト(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)と、バルセロナ市のバス路線変更計画を指導したバルセロナのキーパーソン(地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画)。

Font Magica de Montjuic

更にこのグループはバスク地方にも関心があるということで、グッゲンハイム効果で都市再生をした「ビルバオではなく」、欧州の都市再生の専門家の間では非常に知名度の高いビトリア市へ視察に行き、そこの専門家集団と意見交換をしました。ちなみにビトリア市のスマートシティ計画には2007年頃から僕も参画していて、2010年には欧州グリーン賞を受賞しています(地中海ブログ:グラシア地区歩行者空間計画BMW賞受賞)。もちろんミーティングのセッティングを手伝ったのは僕です。

Torre de la Creu (Jujol)

その一方、日本のグループの方々はというと、上述のバルセロナ市役所から充てがわれた無茶苦茶な説明を聞いた後、バルセロナ市が売り出し中のスマートシティのモデルと言われている(←言われているだけです)22@エリアを「時間がない」という理由からチョロっと見るに留め、早足でビルバオとサンセバスチャンへ視察に行かれました。それ自体はそれほど悪いことだとは思いませんが、「ビルバオ市の都市再生の裏側にはキチンとした都市戦略が構築されていて、ビルバオ市は決してグッゲンハイム効果だけで蘇ったのではない」ということ(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)、サンセバスチャンの食(ガストロノミー)を打ち出した都市戦略が「伝統ではなく」、明らかに戦略的に誘致されたものであり、それを仕掛けた仕掛け人と政策担当者といったキーパーソンがいるということを、この企画をコーディートした方が知っていたかどうか?は知りません。

Torre Bellesguard (Antoni Gaudi)

更に更に、このグループの方々は、最終日にバルセロナのスマートシティの具体例として、グラシア地区や22@エリアではなく、近郊のサンクガット市を視察に行かれました。個人的にサンクガット市は大好きな町ですし、僕もお世話になっている素晴らしい日本人建築家のかたも在住されています。また、あの街に設置されているゴミ箱に付けられたセンサーからの情報取得システムは、2005年からバルセロナ市役所内で結成された専門家グループ(僕も参画しました)がスマートシティの文脈において企画提案し、開発に成功したものを採用しているので個人的によーく知っています。

Barcelona Supercomputing center

しかしですね、サンクガット市はスマートシティの好例なのかどうなのか、わざわざ日本から来て観に行くほどの取り組みをしているのかどうなのかは疑問です。「いやいや、サンクガット市はスマートシティの最高の事例だ」とか、「サンクガット市は欧州におけるスマートシティのモデルだ」ということを主張している論文や具体例、はたまたそういう専門家のかたがいらっしゃったら是非ご連絡ください。

←当ブログで真っ先に取り上げたいと思います。

Font magica de Monjuic

、、、と、まあ、書き出すとキリがないほど突っ込みどころが満載だった今回のグループ訪問だったのですが、一つだけ確信したことがありました。それは:

訪問者の方々がバルセロナ市に対して持たれる印象は、どこに連れて行くのか、そこで誰とのミーティングを設定するのかに掛かっている」

ということです。つまりは、コーディネーターの力量に全てが掛かっているということなんですね。

こういう観点に立つと、バルセロナの都市の専門知識やバルセロナ市のキーパーソンについて、日本人で僕より知識のある人、上手くセッティング出来る人は「そうはいないのでは?」と思うに至りました。僕が知る限り、日本人建築家でバルセロナ市のことを深く研究している専門家は僕を入れて3人しかいません。僕以外の2人の方々はそれぞれ大変素晴らしい方々で、知識も経験も豊富、僕もいつも学ばせて頂いていますので、バルセロナ訪問に関してはそちらの方々にご相談されても良いかもしれません。

、、、と、ここまで長々と書いてきてしまったのですが、何が言いたいかというと、(繰り返しになってしまうのですが)日本からわざわざ高いお金を払ってバルセロナに来ているのだから、この都市をもっと好きになって欲しいし、日本の自治体や日本人研究者の方々との間に、もっと長期的な友好関係を築けたらと思うわけですよ。

僕はバルセロナが大好きです。だからこの街のことを少しでも多くの日本人の皆さんに知って頂きたいし、この都市に実際に滞在してもらって好きになってもらいたい。また、バルセロナは非常に歴史ある街で、いままで様々な経験をしてきています。その中にはまだまだ我々日本人には知られていないけれども、日本に適応可能な政策やプロジェクト、はたまた今後の日本にとって大変示唆的な実験などを都市レベルで行ってたりするんですね。

(くどいくらいに繰り返しますが)バルセロナのスマートシティに関して何を見るべきか、バルセロナの都市戦略について誰と話すべきか、バルセロナの都市再生について具体的に街の何処を見るべきか、という判断を正しく下す為には、専門知識もさることながら、地元の公的機関の内部事情に詳しく、スペイン民主化以後のバルセロナの政治状況などが良く分かってないと効果的・効率的なミーティングなどは絶対に出来ません。

もしバルセロナの成功事例、そして失敗事例を探されていて、それを日本の都市再生に役立てたい、日本のスマートシティに役立てたいと真剣に考えていらっしゃる方々とお話しすることが出来たら僕も本望です。

| - | 16:43 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
第1回神戸―バルセロナ国際ワークショップ終了〜

615日から17日に掛けてバルセロナ市内にある世界遺産、サンパウ病院(カサ・アジア)にて行われた第1回神戸バルセロナ国際ワークショップが無事終了しました!

総勢40名を超える方々を日本からバルセロナにお招きし、バルセロナのオープンデータ戦略や都市戦略といった話を「書籍から」ではなく、現場の担当者から直接聞いてもらうことによって、バルセロナの考えていることを「体験として直に感じてもらおう」と企画した今回のワークショップ、「非常に勉強になった」、「とっても楽しかった」、「来年もまた来たいと思います」など、企画者としては大変嬉しい反応が数多く届いています。

反対に日本の皆さんのプレゼンを見たスペイン人達からは、「我々とは全く違うアプローチで非常に興味深い」、「神戸市ではどんなデータをオープンにしてるの?」、「日本のデータ・ビジュアリゼーションを扱っている企業(スタートアップなど)の状況をもっとよく知りたい」など、多様で活発なコメントが届いていたりするんですね。

こうしたスペイン側から届いている膨大な数にのぼるコメントを全て紹介する時間もなければスペースもないので、ここではワークショップが行われた期間中に特に印象に残った場面を紹介して、日本のみなさんへのご報告に変えたいと思います。

僕にとって非常に印象的だったのが、ワークショップ2日目の午後、バルセロナ市役所代表として登壇してくれたメルセさんが、聴衆からの質問に回答をしてくれた場面でした:

 

質問者(聴衆):「なぜバルセロナ市役所はこれほどまでにオープンデータに力を入れているのですか?」

メルセさん(バルセロナ市役所):「オープンデータはもともと市民の皆さんの物だったデータを返すことだと考えています(El concepto de Opendata del Ayuntamiento de Barcelona es devolver a los ciudadanos los datos que en principio eran suyos.)」

あの場にいた総勢100名近くの皆さんがあの瞬間に何を考え、何を感じたのか、それは僕には分かりません。たぶん、あの場に居た多くの皆さんにとって、メルセさんが不意に発したこの言葉は何気ない一言であり、2日間の間に聞いた数多くのコメントの一つに過ぎなかったのでは、、、と推察するんですね。

しかしですね、この言葉は僕にとって、今後都市に対峙していく上で非常に重みのある言葉となり、都市におけるオープンデータを考える上で最も心に響いた言葉となりました。

……ここ数年、「都市のデータをオープンにする」というアイデア=都市のオープンデータ化について、「建築家という立場から」色んな可能性を考え続けてきました(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。

その一方で、「都市データのオープン化」を考えれば考えるほど、「都市のデータをオープンするのはいいんだけど、それは一体何のためにやるんだろう?」という根本的なところで自問自答を繰り返しながらも、あまりスッキリとしない状況が続いていたんですね。

今回のワークショップ、そして様々なことを感じながらも聴くことが出来たメルセさんの言葉は、なにか僕の中でうやむやになっていた「オープンデータの意義、目的」みたいなことを整理する上での「キーストーン(鍵)」のような気がしてなりません。

この言葉が聞けただけでも、「今回のワークショップを企画してよかった」と、そう思えるほど、僕にとっては価値のある言葉だったと思います。

そしてもう一つ、これはかなり個人的な感想になってしまうのですが、初日のワークショップで登壇してくれたフランセスク・ムニョスさんと、今回のワークショップを通して再び意気投合出来たことは、僕にとって「非常に嬉しい誤算」だったかな。。。

当ブログでは度々触れてきたんだけど、実は彼は僕がバルセロナに来た15年ほど前(こちらでマスターコースで学んでいた時に)一緒に机を並べて学んだ仲だったりするんですね。というのも、彼の博士論文の指導教官がイグナシ・デ・ソラ=モラレスだったからなんです(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。

そんな彼も、もう押しも押されぬヨーロッパを代表する地理学者になってしまい、お互い超多忙という理由から、同じ都市に住んでいながらも、ここ数年は音信不通、、、という状況が続いていました。

今でもハッキリと覚えてるんだけど、当時の彼は非常に野心家&戦略家で、アンダルシアから大都市バルセロナに「留学」に来ていた彼の目的はマニュエル・カステルへの弟子入りでした(地中海ブログ:グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)Francesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales)。故に彼の修士論文はドゥルーズ&ガタリをネットワーク理論から読み解く、、、みたいな離れ業を見せたりしてたんだけど(笑)、その才能にいち早く気が付いたイグナシが彼を囲い込んだという訳なのです。フランセスクさんにとっては、グローバルシティで頭角を表しつつあったサスキア・サッセンや(地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー、地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)、当時はほぼ無名だったシャロン・ズーキンなんかを次々とバルセロナに連れてきていたイグナシの吸引力は非常に魅力的に映ったんだと思います。

そんなフランセスクさんとは毎晩の様に飲みに行っては、ヨーロッパの状況や彼自身の人生戦略など、かなりの時間を一緒に過ごしてですね、、、いま思えば、その時期というのは僕の人生にとって非常にエキサイティングな時期であり、人生に置ける戦略、どのように自己ブランディングをしていくかという点において、そのほとんどを彼と過ごした日々から学んだと言っても過言ではなかったりするのです。

今回のワークショップを通して、そんな彼とまた連絡を取り合うことが出来た上に、日本とバルセロナ、両都市で具体的なプロジェクトが展開出来そうな予感がして、久々に心踊る時間を過ごすことが出来ました。

←ワークショップが終了した翌週、彼の住むグラシア地区にて神戸市役所の長井さんと共にインタビューをした時の写真。

←彼のやってるプロジェクトもグラシア地区で実験してるって言ってたし、なんだかんだいって、グラシア地区ってやっぱり革新的だなー(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。

 

バルセロナ市役所のメルセさんのコメントや、旧友フランセスクさんとの再会など、これらは全て「僕の個人的な体験」なんだけど、今回のワークショップの期間中、参加者一人一人の皆さんにとって、このような「ふとした出会い」、「何気ない気付き」が沢山あったことだろうと思います。

その様な「気付き」はもしかしたら、スペイン人登壇者の何気ない一言だったかもしれないし、視察で訪れた先で案内してくれた担当者の言葉だったのかもしれません。はたまた、真っ青な地中海を背にしながら食べた巨大なパエリアに圧倒された人もいるだろうし、日本では滅多にお目に掛かれないマテ貝の美味しさに心奪われた人もいることだろうと思います。

同じ場面に直面しながらも、そこで感じたこと、考えたことは一人一人全く違うはずです。とかく日本人は右向け右とばかりに、こういう場面に直面したら、こう考えなければならない、こう感じなければならない、、、と思いがちです。

しかしですね、我々の社会にたった一つの正解なんてありません。

我々の世界は多様です。色んな考え方をする人がいて、自分とは全く違う角度から社会を見ている。そんな多様な人達がいるからこそ、僕達の社会は輝いているのだし、世界は面白いのです。

そしてそのような多様性を担っているカケラの一つ、我々の世界に輝きを付け加えている社会がここ地中海にもまた一つ存在し、今回聞くことが出来た様々な意見や表現などは、それら全く違う考え方をする社会文化的背景から出てきたものなのだ、、、とそんな事を今回のワークショップを通して感じてもらう事が出来れば、企画者としてこれほど嬉しいことはありません。

今回のワークショップは日本、スペイン、両方の国々から本当に沢山の方々に助けてもらいながら進めることが出来ました。彼らの助けがなかったら、絶対に実現することが出来ませんでした。

今回のワークショップに参加してくれた皆さん、裏方で色々と動いてくれた企画側の皆さん、現地で色々と助けてくれた皆さん、本当にありがとうございました!

また来年会いましょう〜。

 

上記の写真は全て:by Iwao KOBAYASHIです。

| - | 02:07 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
京都スマートシティエキスポ2016
突然ですが、わたしくcruasan、今週水曜日(61日)から京都で行われる「京都スマートシティエキスポ2016」、その中の「ICTが支える生活・文化の質の向上」と題された分科会に登壇します。
 
 
 
今回京都で行われるスマートシティエキスポは、バルセロナのスマートシティ国際会議の誘致版なのですが、では何故バルセロナはスマートシティ国際会議を始めたのか?
←それはバルセロナが自身を世界的なスマートシティのリーダーという文脈に位置付けようとした「都市戦略の一つだった」ということは当ブログでは散々書いてきた通りです(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)、地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画)。
 
 
 
バルセロナのスマートシティ国際会議には僕も結構深く関わっていてですね、そもそも、2011年にバルセロナで行われた第一回スマートシティ国際会議の基調講演者SENSEable City Labのカルロ・ラッティさんを紹介したのは僕ですから(笑)。そんな縁もあって、毎年11月にバルセロナで行われる会議には講師として参加させてもらっているのですが、京都に呼んで頂いたのは今回が初めて(祝)。
 
ちなみに京都スマートシティエキスポ初年度の基調講演者もカルロさんでした。。。しかもこの原稿を書いているいま現在(530日)、僕の横に座っているのもカルロさん(笑)。
←実は一緒にバルセロナでマスターコースの講師をしているのです。

←これ、嘘のような本当の話(驚)。この授業がなかったら1日早く京都入りして、どら焼きをたらふく食べまくったんだけどなー(笑)。
 
 
 
と、まあ、冗談はこれくらいにして、今回の講演内容は、「博物館におけるビックデータの可能性:ルーヴル美術館における来館者調査」にしようと思っています。この講演は、当ブログでは何回か取り上げてきた論文等を下敷きにしています(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!、地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文がファイナンシャルタイムズに紹介されました)。
 
 
 
更に更に、、、実はですね、、、先月ひっそりとルーヴル関連の新しい論文を発表したりしてまして、、、それが結構大々的にフランスのル・モンド(Le Monde)に取り上げられたりしました。
←おめでとー。パチパチパチー。
←論文のプレプリント・バージョンについてはこちらです。

 
 
なので、今回僕の講演会に参加してくださる皆さんには、先月出たばかりの最新の分析手法、分析結果についてもお伝えしようと思っています。
 
またこの国際シンポジウムの翌日(62日)、翌々日(63日)は「スマートシティメッセ in けいはんな」のJUEPISTEのブースに居ます。3日の午前11:45分からは「スマートコミュニティにおける日欧協力及び事例:ClouTプロジェクト及び神戸・バルセロナ連携国際ワークショップ」と題されたビジネスセミナーにも登場します。
 
 
 
お近くの皆さん、是非遊びに来てください!!!
| 仕事 | 17:49 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
神戸市とバルセロナ市の連携プロジェクト
今年(2016年)6月、神戸市とバルセロナ市の連携プロジェクト:「まちづくりICTをテーマとするデータビジュアライズの国際ワークショップ」をバルセロナにて開催します。
←お申し込みはこちらからお願いします。
 

 
この企画の目的はズバリ以下の2点:
 
1. バルセロナ市のオープンデータ・ビックデータ分析とその政策手法を、参加型ワークショップを通して実際に体験してもらうこと。
 
2. バルセロナ市におけるオープンデータ・ビックデータ政策関連部署・機関を訪問することによって、バルセロナ市役所の政権交代に左右されない長期的な関係性を築くこと。
 
 
 
スマートシティの分野でトップを走るバルセロナは、オープンデータの分野でも世界的なリーダーと見做されています(バルセロナのスマートシティ政策についてはこちら:地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))。都市に関する様々なデータを非常に使いやすいフォーマットで提供し、それらを市民の皆さんに自由に使ってもらうことによって新たなる価値を生み出そうとしているんですね。

かくいう僕も、バルセロナ市に関する研究論文を執筆する際などは、バルセロナ市役所のオープンデータカタログから関連データを持ってきて、それを元に分析を進めることが多々あります。というか、それに慣れてしまっている状況下では、他都市の分析などを頼まれた際、「その都市に関するデータがオープンに使えるようになっていない」ということに違和感すら感じるようになってしまいました
←俗にいう職業病かもしれませんが、、、(苦笑)。
 
 
 
そんな雰囲気が漂うバルセロナにおいては、これら無償のデータを個人レベルで勝手に分析してみたり、それらを視覚化(ビジュアリゼーション)することによって、「自分たちが住んでいる都市への新しい見方を発見しよう」だとか、「自分たちが住んでいる地区の地域問題を浮き彫りにしよう」という動きが、それこそボトムアップ的に市民の間から現れるようになってきたんですね。
 
更に、それら市民側から上がってきた分析結果を踏まえ、バルセロナでは自治体側がそれらの提言を受け入れながら市の政策に反映させるという好循環が出来つつあります。
 
 
 
「このようなサイクルが何故生まれてきたのか?」、「それは具体的にどのように行われているのか?」、「バルセロナ市役所は何故そのような、「データをオープンにするといった政策」に踏み切ったのか?」、そして「市民はこれら自治体の動きに対して実際はどう思っているのか?」
 
それらの疑問に答える為、今回はワークショップという形を取って、実際にデータに触れてもらうことでより良く理解してもらおうと考えました。具体的には、バルセロナ市が提供しているオープンデータを使って、それらを視覚化してもらい、それを元に現地の人達の前で発表。その上で、自治体関係者とのグループワーキングなどを通して、オープンデータ活用先進都市、バルセロナのやり方を身を持って学んでもらおうというのが今回の趣旨となっています。
 
 
 
今回はバルセロナ市役所情報局(IMI)とバルセロナ自治大学(UAB)の全面的な協力のもと、在バルセロナの多くの公的機関・私企業などを巻き込みつつ、講演会を含む様々なプログラムを組んでいます。マニュエル・カステル率いるカタルーニャ・オープン大学(UOC)のICTと社会学研究グループもサポーターとして参加してくれたり(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか)、最近日本でも出版された「俗都市化ありふれた景観グローバルな場所」の著者であり僕の元同僚、フランチェスク・ムニョス氏が在籍するバルセロナ自治大学地理学部も参加してくれる予定です。
 


それらワークショップに加え、バルセロナ在住15年の僕が、「この機関こそ、はるばるバルセロナに来てくれた日本人の皆さんが見なければならない公的機関!」という部署を厳選し、それら各機関を回りつつ責任者などに話を聞くプロフェッショナル・ツアーを同時に開催します。そのツアーには、バルセロナのオープンデータ戦略やe-Government戦略を根本から創り上げたバルセロナ情報局、ビックデータという言葉が巷に現れるずっと以前から、まちづくりにビックデータを活用した政策提言を行ってきているバルセロナ都市生態学庁、バルセロナのスタートアップ政策を一手に引き受けているバルセロナ・アクティーバと22@エリアの街歩きなどを予定しています。
←若干の変更があるかもしれません。
 


このようなワークショップやプロフェッショナル・ツアーを通して、バルセロナの政権交代に左右されない長期的な関係性の構築を目指します。また、EU関連機関や欧州委員会などを巻き込むことによって、今後の欧州プロジェクト(Horizon 2020)の立ち上げも視野に入れています。
 


僕が知る限り、今までこのようなプログラムが行われたことは、バルセロナでは勿論、欧州レベルでも無かったのでは?と思います。
 
それはひとえに、現地のキーパーソンを見極め、それらの人達ときちんとコンタクトを取り、実のあるミーティングをセッティングすることの出来る人材不足にあります。世界広しと言えど、欧州の自治体レベルの都市計画やICT政策に深く入り込んだ日本人はそれほど多くはないのが現状なのです!
 


それ故に、日本の自治体の方々は、毎年3月、もしくは9月頃集中的にヨーロッパ都市へ視察にみえるのですが、往々にしてそれらの視察は表敬訪問に終わってしまったり、ある特定分野における覚書きなどに留まってしまっているんですね。
←まあ、それはそれで大変有意義なアクションであることは間違いないとは思うのですが、それら表敬訪問や覚書きの問題点は、政権交代でバルセロナ市側の担当者が変わる度に連絡が取れなくなり、いつの間にかその関係性が消えてしまう、、、という点に尽きます。
←そうすると、それらのプロセスをもう一度初めからやり直さなくてはならず、それが4年毎に永遠と続く事となり、その為だけに莫大な税金がつぎ込まれることになるのです。
 


しかしですね、在バルセロナ15年の僕の経験と知識、そしてバルセロナの公的機関で働いてきた間に構築してきた個人的な関係性を駆使すれば、バルセロナ市との長期的な関係性を築くことが可能です。それは大変難しいチャレンジだとは思うのですが、僕がコーディネートすれば不可能ではありません。
 
今回企画した神戸市役所とバルセロナ市役所連携プロジェクトは、そのような長期的な関係性を築くという観点に立ち、「両都市にとって有益なものにしたい!」という一心で立ち上げたものです。
 
参加者の方々を始め、両市にとって実りあるものとなることは間違いありません。皆さん、ふるってご参加下さい!

追記(517日):
2日間に渡る今回の神戸バルセロナ国際ワークショップを開催する場所が遂に決定しました!!!
その場所は、、、、な、なんと、、、サグラダファミリアに対峙するサン・パウ病院内にあるCasa Asia(カサ・アジア)でーす。
 


 
サンパウ病院(Hospital de la San Pau)は、ガウディのライバルであり当時のスペイン建築界の巨匠でもあったリュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech I Montaner)がデザインした、カタルーニャ音楽堂と肩を並べるカタルーニャが誇るモデルニスモ建築の傑作中の傑作です(地中海ブログ:リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech i Montaner)によるモデルニスモ建築の傑作、サンパウ病院(Hospital de la San Pau):病院へ行こう!どんな病気も直ぐに治るような気にさせてくれるくらい雰囲気の良い病院、地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day):世界屈指のロマネスク美術コレクションが凄いカタルーニャ州美術館(MNAC))。
 

 
 
ちなみにサン・パウ病院は世界遺産に登録されていたりします。
 

 
 
ということはどういうことかと言うとですね、、、そうなんです!!!今回のワークシップはなんと、「世界遺産の中で行われるワークショップ」ということなんですね!
↑↑↑
自分で言うのもなんだけど、これはちょっと凄いことだと思います。世界遺産の中でワークショップをする機会なんて、そう滅多にあるものではありません。




このような素晴らしい場所を提供してくださったカサ・アジアに感謝感謝です!!

| 仕事 | 17:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザのセトゥーバル教員養成学校:「ふつう」であることの凄さ
な、なんか先週末くらいから急に40度近い高熱が出てしまい、2日経っても一向に引いていく気配すらなかったので、仕方なく救急センターへ(連休中につき、市内の病院は絶賛お休み中(苦笑))。結論からいうと、疲れ&ストレスによるものだろうということで、「1週間は安静にしていなさい、、、」ということでした。
 
 
 
↑↑↑カタルーニャは先週まで復活祭(イースター)の大型連休で、この地方では伝統的に、豊穣のシンボルである卵の形をしたチョコレートを食べます。
 
正直言って、年度末のこのクソ忙しい時期に休んでる暇などなく、、、「熱下がれ、熱下がれ〜(念)」と内心思いつつも、焦っても熱は一向に下がってはくれないことも分かってはいたので、「こんな時は本でも読むか」と日本から持ってきた書籍をパラパラめくるも、あたまが痛くて全然文章が入ってこず。。。(涙)
 
「じゃあ、溜まってる論文やら原稿でも書くか、、、」と原稿を進めるも、論文って考えながら書かなきゃいけないので、これまたあたまが痛くてなかなか進まず。。。
←「そ、そうだ!京都行こう!
←←いや、違う(笑)。
←←←「そ、そうだ!なにも考えなくていいブログでも書こう」と思い付き(笑)、いまこの原稿を書いています。ほんとブログ記事って、なにも考えなくてもいいから楽ですよねー(笑)。
 
 
(ガリシア美術センター中庭)
という訳で、前回のリスボン滞在記の続きなんだけど(地中海ブログ:タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件)、今回のリスボン滞在最大の目玉は、なんと言ってもアルヴァロ・シザの建築訪問にあります。アルヴァロ・シザの建築については当ブログではことある毎に書いてきました(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築について僕がいつも思うことはですね、なんか世間的には彼の代表作って「白い教会(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)」ってことになってるんだけど、僕的にはあれは亜流だと思うんですね。何故なら、シザ建築の3つの特徴が「ダイレクトには見えない」からです。例えば天井操作。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築に欠かせない働きをしているのが天井操作であることはクドイくらい言ってきたことなんだけど、あの教会の天井はツルツル。「特徴がないことが特徴である、、、」と言ってしまえば、まあ、それはそうなのですが、、、
 
では、シザ建築第2の特徴である「パースペクティブ的空間」が見られるかというと、これも「ダイレクトには」見られません。こちらはですね、教壇左右に位置する半円同士が、教壇中央に開いた二つの穴(地階=地獄へと繋がる)へと我々の視線を誘導したり、空間に直接的なパースが付くというよりは寧ろ、左側の壁がこちら側へと迫ってくることなどから、それが「間接的に空間にパースをつけている、、、」と言えなくもない。だから第2の特徴は見えることは見えるんだけど、これも直接的ではありません。
 
 
(セラルヴェス現代美術館エントランス)
というわけで、世間的に言われているように、この教会がシザの代表作か?と言われれば、それは「亜流だけど、、、亜流であるが故に代表作かな、、、と思わないこともないかな、、、」と。
 
、、、いかん、いかん、、、シザを語り出すと熱くなりすぎて、それこそ熱が上がる(苦笑)。
 
そんな中、シザがデザインした「セトゥーバル教員養成学校(Escola Superior de Educacao: Instituto Politecnico de Setubal)」と言われてパッと頭に浮かぶ人、もしくは実際に現地まで見に行った人というのはそう多くはないのではないでしょうか?

もしかしたら、「その存在すら知らない、、、」という人が多いのでは?と思われるんですね。
 
しかしですね、僕の見る限り、シザが1986-1993年に掛けてデザインしたこのセトゥーバル教員養成学校はシザ建築の中でも傑作中の傑作だと思います。というか、個人的には、デザインを学んでいる人、デザインに関わっている人には絶対に一度は見に行って欲しい、そんな建築となっているんですね。
 
そんなわけで、とりあえずいつものように「建築の歩き方」から。
 
 
 
行き方は簡単で、リスボン市内の鉄道駅(僕はSete Rios駅から乗りましたが、Roma-Areeiro駅からでも大丈夫です)からセトゥーバル(Setubal)行きの電車に乗ります。
 
 
 
ちなみにこの電車に乗ると、テージョ川(Rio Tejo)に掛かっている425日橋(Ponte 25 de Abril)を渡ることが出来ちゃいます。電車に乗って揺られること約1時間、セトゥーバルに到着〜。セ、セトゥーバルってポルトガル第4の都市だと思ったけど、、、駅、ちっちゃ!!!
←そのあまりの小ささに軽いショックを受けながらも、そこからローカル線のPralas do Sado A行きに乗り換えて終点(Pralas do Sado A)で降ります。そこまで約5分。
 
 
 
(注意)
上の写真のように目指すべき駅は終点なので電車はこの先には行きません。セトゥーバル駅から終点(Pralas do Sado A)の間には1駅(Praca do Quebedo)しかないのですが、その駅と終点との間くらいに地元民が多く働く工場があるため、そこで一旦電車が止まります。が、、、間違えて、そこで降りてはダメです。そこで降りてしまったら、道無き道を20分近く歩かされることになります。僕は間違えてそこで降りちゃったんだけど、運良く車掌さんが「おいおい、ここは労働者しか降りない駅だから、多分君の行きたいところとは違うよ」と教えてくれました。

←ポルトガル人、優しいー。スペイン人だったら絶対無視するところだな(苦笑)!
 
という訳で、終着駅を降りたそのすぐ目の前に建っているのが今回目指すべき建築、セトゥーバル教員養成学校です。
 
 
 
僕がこの建築を初めて訪れたのはいまから約15年程前のこと、ちょうどポルトに住み始めて半年くらい経った時のことでした。「一度、首都リスボンにでも行ってみるか!」と思い立ち、リスボンに来た次いでにセトゥーバルに立ち寄ったのがその始まりだったんですね。
 
 
 
まあ、正直最初は、かなり軽い気持ちで「一応見ておくか」くらいに考えていたのですが、来てみてビックリ!この建築にはシザ建築の特徴がギッシリと詰まってると言っても過言ではなく、それがデザインの本質にまで昇華しているのを目の当たりにしてしまったからです!
 
 
 
シザ建築をいやという程見てきた僕に、そこまで言わせた圧倒的な風景がこちらです:
 
 
 
多分、当ブログの大方の読者の皆さんは、「。。。」という感じでしょうか(笑)。「こ、これのいったい何がそんなに凄いんだ」、、、と。いやね、この建築のいったいなにが凄いってね、この圧倒的な普通っぽさなんですよ。上の写真は真正面から見た全体像なんだけど、なんの変哲も無い、ごくごく普通の建築でしょ?
←「じゃあ、普通ってなんなの?」とかいうメタ議論はいまは無しでお願いします(笑)。
 
 
 
基本的な形態は、コの字型の建物が二層に積み上げられ、芝生で覆われた中庭と庇が突き出た屋根部分とを隔てる列柱群がリズミカルにコの字を描いている、、、というただそれだけの構成です。
 
 
 
ローマとか行くと頻繁に目にしそうな構成なんだけど、この建築とローマのそれ(完璧な調和)とを大きく分け隔てているのがこちら:
 
 
 
正面から見て左手前側なんだけど、そこに「ガクン」と一段だけ下がっているところがあるんですね。で、そこを支えている柱だけがV字型になっている。これはあたかも2つの柱が「寄り添い合っているかのような」、そんな表現を取っているんですね。
 
 
 
そう、この部分がこの建築の全てです。この部分があるのと無いのとでは大違い。このわずかな差が多大なる差異を生み出しているのです。
 
 
 
僕がこの建築から学んだこと、それは「建築のデザインってこれくらい静かでいいんだ」ということなんですね。で、これを遂行するのは言うほど簡単なことではありません。
 
これくらいの規模の建築を設計出来ることになると、みんな気負ってしまって、「あれもやりたい!」、「これもやりたい!」と色んなものを詰め込み過ぎてしまったり、一つのアイデアに絞ったはいいけど(一つの建築に一つのアイデアは鉄則)、それがいかにも大げさでいやらしく、もしくは生々しく見えてしまったりするものなんですね。
 
しかしですね、アルヴァロ・シザという建築家の凄いところは、彼が創造する建築はどれもが本当に普通なのです。一見、知らなければ通り過ぎてしまうくらい、それくらい普通に存在し、そういう建築がポルトやリスボンの街角を構成している。それが彼の建築の真骨頂なのです。
 
 
(ブラガンサの集合住宅)
その建築の前を通り過ぎようとした時に、「あれ、ちょっと待てよ」と少し振り返ってみる。「あの庇、ちょっと面白いよな」とよく見てみる。そうするとちょっと違うことに気がつく。そのうちだんだん、「あそこも、あそこも」とデザインの物語の連鎖が始まる。いつの間にかデザインを読むことに夢中になっている自分に気が付く(地中海ブログ:三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
 
これが僕が思うデザインの本質であり、日本の伝統的な美の意識だと思います。
 
 
(チアド地区改修)
……昔、僕に建築デザインの基礎を教えてくれた先生が、「cruasan君ね、シーランチみたいな建築って解る?」と言われたことがありました。「私はねー、将来はムーアのシーランチみたいな建築が創り出したいと常々思ってるんだよ、ハハハ」とか言われてて、というのも、彼は以前アメリカの大学で教えていた時に(←日本人ですが)、チャールズ・ムーアと同僚だったらしく(←まあ、いろんな意味で日本人離れした人なのです)、シーランチを何度も見に行かれたそうなんですね。で、その彼曰く、「シーランチは非常に静かで、そして普通」だったんだとか。あの時はよくわからなかったけど、いまなら彼が言おうとしていたことも、それなりに理解出来る様な気がします。
 
 
(教会近辺の改修)
さて、上にも少し書いたのですが、シザ建築には3つの特徴があります。天井操作、パースペクティブ的空間、そして物語空間です(知らない人はこちら:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。さらに、シザは幼少期のトラウマから、建築を外に開くのではなく、敢えて内に開く建築を創ることを志してきた、、、とインタビューで語っています(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。そう、このセトゥーバル教員養成学校も、実はそんな内に閉じた建築シリーズの一つ、しかも最初期のものと考えることが出来ると思います。
 
 
(ポルト大学離れ)
確かにこの「内に開くシリーズ」は、ケネス・フランプトンが既に指摘していて(でも彼は、なぜシザがそうする様になったのか?までは明らかにしていません。僕の知る限り、上に訳したインタビューはシザが自身の建築のアイデンティティの在りかを語った非常に貴重なものの一つとなっています。グッジョブ、El Pais紙!)。フランプトンは、それが最初に見られるのは「ポルト大学の離れ」だと主張しています。また確かに、「離れ」の場合には、コの字が少し内側に倒れかかっていて、内向き志向をより鮮明に打ち出していると読み取ることが可能。
 
その反面、セトゥーバル教員養成学校で僕が興味を持ったのがこちらです:
 
 
 
この2本の柱がV字になって寄り添う様に建っているところなんですね。さっき見た右手側の柱から始まって、全てが均等にまっすぐに並んでいるのに、ここだけ、そして最後だけガクンと落ちた上に、その柱が2本寄り添っている、、、物語的に言えば、ここが明らかにクライマックス的空間ということになります。
 
 
 
建築のデザインにおいてリズミカルというのは非常に重要なキーワードだったりします。このことを理解するのに一番良いのはキン肉マンのオープニングかなー(笑)。
 
 
 
サビの部分に注目:
わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜♪♪♪
走る、すべる、みごとに転ぶ〜♪♪♪
 
最初のクール(前半部分)で「わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜」とあった後、「走る、すべる、、、」と同じリズムで繰り返されることから、我々の脳は「あ、これは前回と同じリズム(4つの部分)で来るんだな!」と思わされるのですが、後半部分では「見事に転ぶ」と、二つの部分が一つになっていることから、後半には3部分しかなくなっていて、その部分がクライマックスになるようにリズムを付けている訳ですよ。
 
 
 
シザがここで行っていることも基本的にはキン肉マンのオープニングと全く一緒。
 
右手側から始まった列柱のリズムが建物のコの字と共にグルッと一周するにつれてリズミカルに発展していきます。で、ルネサンス建築のように完璧な調和を保ちつつ最後までいくのかな、、、と思いきや、最後の最後だけ列柱のリズムを少し変えてやることによって、見事にこの部分にクライマック的な役割を担わせているのです。
 
 
 
しかもそれが大げさではなく、非常にさりげなく、そして爽やかに行われている。シザの差異化の巧さのなせる業です。
 
 
(ボア・ノヴァのティーハウス&レストラン)
、、、また昔話しになってしまうのですが、以前、僕の先生と話していた時、東京体育館のデザインの話になり、「あのデザインの発端は、あたかも二枚の葉っぱが寄り添う様に、重なり合う様に、そんなところから始めたんだよ」と言われていました。この2本の柱を見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったなー(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。
 

(レサのスイミングプール)
何度も言いますが、やっぱりこのアルヴァロ・シザという建築家は他の建築家とは明らかに違うものを目指している気がします。なにか、こう、人間のもっと奥深くにある、我々の生の本質というか、そういう大きなものを建築を通して表現しているんじゃないか、、、とそう思わずにはいられません。
 
もしくは彼はそんなことは全く考えていないのかもしれない。しかし、知らず知らずのうちに、そのような「共同体の内なる心の声」を可視化してしまう行為、それが具現化出来てしまう人のことを我々は建築家と呼んできたはずです。そう、まさに:
 
「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)
 
今回も素晴らしい建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 16:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件
ポルトガルの某機関から「ビックデータ・オープンデータ系の講演会を企画してるんだけど、そこで基調講演してくれない?」ってお誘いを受けたので、復活祭(イースター)のバカンスも兼ねて、数日前からリスボンに来ています。



当ブログの読者の皆さんにはご存知の方も多いかと思うのですが、僕は以前、「アルヴァロ・シザの建築を根幹から理解したい!」という理由からオポルト(Porto)に1年弱住んだことがあります(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。
←あの一年があったからこそ、モビリティとかビックデータとか、建築や都市とは一見関係が無さそうな分野を扱っている今でさえ、建築や都市から離れず、寧ろ「建築側から見た新たな視点を発見する」という立ち位置を保ち続けられているのかな、、、と、そう思います。



オポルトに住んでた時は結構頻繁にリスボンにも行ってたんだけど、あれから10年近く経ち、シザが改修したチアド地区の工事も終わり、その周辺一帯は歩行者空間化の影響からか、かなり賑わいを取り戻している様に見えます。



また市内には以前は無かった電気自動車のチャージング場所や、100%電力で走るチョイモビ(公共交通機関(バス)とタクシー(私的)の間)みたいな乗り物が、リスボンの象徴とも言える黄色い路面電車の合間を縦横無尽に走っていたりして、「あー、結構変わったなー」と思うところも多々。



かと思えば、目抜通りから一本裏通りに入っただけで近隣住民の生活が至るところに垣間見えたりと、以前と全く変わらない風景に少し安心感を感じてしまったりもするんですね。
←こういういつまで経っても変わらない街角の風景こそ、その人のアイデンティティを形成する非常に重要なファクターだったりするということは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

…変わっていくこと、変わらないこと…これら相反する2つの力学が共存している存在、それこそ我々が興味を惹かれて止まない「都市というものの本質」なのかもしれません。



さて、冒頭に書いたように今回はビックデータ・オープンデータ系のカンファレンスに登壇することがメインだったんだけど、その合間を縫って「久しぶりにリスボン周辺のシザ建築でも見て回るか」と思い付き、幾つかの建築を訪れてきました。それらについては次回以降のエントリで詳しく書き綴っていくこととして、今回のエントリでは「リスボンの食」について少し書いてみたいと思います。まずは今回連れて行ってもらったレストランの中から特に印象に残ったこちらから:



Name: Casa do Alentejo
Address: Rua Portas de Santo Antao 58
Tel: +351213405140
Email: geral@casadoalentajo.pt


今回招かれたカンファレンスの司会者や登壇者の人たちと事前打ち合わせを兼ねたランチで連れて行ってもらったレストランなんだけど、場所はリスボンのど真ん中、フィゲラス広場から歩いて5分くらいのところに位置しています。言われなければ絶対に通り過ぎてしまうほど小さい入り口なので、まさかこの中にレストランが入っているなんて想像もつきません。だって入り口、これですよ↓↓↓



で、この小さいドアを開けて階段を登っていくと現れてくるのがこの風景:



じゃーん、外からは全く想像が付かないかなり立派な中庭の登場〜。更に階段を登っていくと、こんなに広いパーティー会場まであったりします:



最初はワインで乾杯してから魚介のスープ(前菜)、そして今日のメインはこちらです:



タコの雑炊(Arroz de Pulpo)。魚介の出汁が良く効いていて絶品。文句なく美味しい!



他の登壇者達は、豚肉とアサリの組み合わせっぽいものやタラのオーブン焼きなんかを頼んでて、「味見してみる?」って聞いてくれたので、一口食べさせてもらったらんだけど、どれも素晴らしかった!



デザートには手作りプリンを注文。で、これだけ食べて、これだけ飲んで(赤・白ワイン5本)、一人当たりたったの10ユーロ!!これです!これこそポルトガルの醍醐味の一つなんですね。



ポルトガルでは非常に美味しい料理が、非常にお手頃価格で今でも満喫出来てしまうのです。いき過ぎた観光化の弊害で物価が急上昇しているバルセロナでは、これはもう夢のまた夢。というか、なにも考えずに「観光客来い、観光客来い!」と叫んだ結果、観光客が来過ぎてしまった弊害だということは、以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。



初日からかなり良い感じのリスボン滞在だったんだけど、今回の滞在中に訪れたカフェでもう一軒、どうしても日本の皆さんに紹介したいカフェがあってですね、、、それがこちらです:



Name: Landeau Chocolate
Address: R. das Flores, 70 1200-195, Lisbo
email: chiado@landeau.pt
Tel: 911810801


シザが最近リフォームした集合住宅(Complejo Residencial y Comercial Terracos de Braganca)から道一本西側に行ったところにあるんだけど、ここのチョコレートケーキは絶品だった。こちらは自分で調べたわけではなく、登壇者の一人(ポルトガル人)に「リスボン市内で何処か美味しいお菓子屋さん(カフェ)知らない?」って聞いたらここを教えてくれました。

青いタイルが非常にオシャレな外観で、室内はこれまたレンガ素材がそのまま仕上げ材となっていて、建築としてもかなり良い感じに纏まっています。メニューは「コーヒーとガトーショコラしかない」っていうかなり強気な経営方針なんだけど(笑)、騙されたと思って頼んでみたら、これが素晴らしかった!



(基本的に)建築もそうなんだけど、料理というのはその地方の文化や気候、素材などに非常に影響を受けている「芸術」なので、「なにを美しいと思うか」、「なにを美味しいと思うか」はそこに展開している文化圏を考慮すること無しには判断出来ません。だから例えば、ポルトガル人には美しいと思える芸術品が、日本人にとってはゴミ同然に見えるものなんて山ほどあるし、その逆もまた然り。だからこそ文化というのは面白いのだと思うし、ぼくは建築を評価・批評する時は、その様な枠組みを超えた「もう少し普遍的な視点から批評したいなー」と強く思いつつも、その難しさを十分に実感しているつもりなんですね。



ちょっと長くなってしまいましたが、単純化して言ってしまうと、西洋文化圏での評価軸と日本文化圏での評価軸にはかなりの違いがあり、(料理に関して言うと)味付けの好み(文化)が違うことなどから、双方の口に合うものを見付けるのはなかなかに骨が折れると、そういうことを言いたいのです。というか、そういうお菓子に出会うことは極めて難しいというのが現実だと思います。



しかしですね、今回訪れたこのカフェで提供されているガトーショコラは地元ポルトガルでも非常に評価が高いそうなのですが、これは間違いなく日本人の口にも合います。最近日本で流行っている、テレビ番組の撮影の為に海外の有名レストランや有名パティシエの経営するカフェを訪れ、砂糖がたっぷり入った甘いだけのデザートを持ち出して、「な、なにコレー、超美味しい〜」なんて言ってるデザートとは格が違います。その様な砂糖三昧の甘ーいお菓子は、その土地では評価されているのかもしれませんし、その地方の人々にとっては最高のお菓子なのかもしれません。しかしそれが日本人の口に合うかどうかは全くの別問題なのです。なので、いくら海外で有名なお店の商品だからといって、それがそのまま日本人の味覚からして「超美味しい〜」なんてことになるのは寧ろ稀だと思うんですね。だからこそ、もしリスボンに来たらこのお店のガトーショコラは絶対に試す価値があると思います。

そしてデザート系ではもう一軒。日本でもエッグタルトという名前で数年前に大流行したポルトガル発のお菓子パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)の本家本元。



Name: Pasteis de Belem
Address: rua de Belem 84-92
Tel: +351213637423
Email: pasteisdebelem@pasteisdebelem.pt


リスボン市内から路面電車(15番)に揺られること約30分、世界遺産で有名なジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)の目の前にあるお菓子屋さんなのですが、1837年の創業以来、ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を頑なに守り通している「オリジナルが食べられる」とあって、世界中からここのお菓子を一口食べようと連日長蛇の列が出来ています。



しかしですね、このお店の注文方法には裏技があって、(それを知らない人は店頭に何十分も並んで買っているのですが)このお店は奥行きが非常に深く、奥には広々としたテーブルが並べられ、ゆったりと座れる空間が用意されているんですね。



で、勿論そっちはガラガラ。なので、ここを訪れる方は是非そちらへ移動して、コーヒーと一緒に食されるのが良いかと思われます。ちなみにそちらへ移動する途中にはお菓子を作っている工程を見ることも出来ちゃいます。



そんなこんなで、出てきたのがこちら:



じゃーん。これが正真正銘のPastel de Berenでーす。



お好みで粉砂糖とシナモンパウダーを自分で振りかけて食べます。その感想なのですが、、、



こ、これは、、、むちゃくちゃ美味しいぞー!パステル・デ・ナタはいままで様々な場所で食べてきましたが、こんなに美味しい一品は初めてです!焼きたてなので中のクリームがホカホカなのは当たり前なのですが、外の生地は本当にパリパリ。いや、これは本当、どうやったらこんな風に焼けるんだろう???世界中から歓呼客が押し寄せるのも納得です!

そしてですね、今回のリスボン滞在で一番驚いたのがこちらです:



な、なんと、タイムアウト(TimeOut)がコーディネートしたフードコートがリスボンには存在するんですね。



1968年にロンドンで創刊されたタイムアウト誌は「シティガイド」として、現在では世界40都市(35カ国)で11の言語に対応し発刊されています(wikipediaより)。日本語版も普及していることなどから、その存在を知っている人も多いかと思いますが、ヨーロッパではこのタイムアウト誌は書店というよりは路上のキオスコなどで新聞の横に並べられ売られていて、ヨーロッパでは、ロンリープラネットなどと共に、その都市に関する「主要な情報源の一つ」という地位にまで登り詰めています。



「では、なぜタイムアウト誌がこのような地位を築くことが出来たのか?」。それについては様々な要因が考えられると思うんだけど、その一つは、その都市についてかなり地域密着型でありながらも、グローバルな展開を強く意識していること(言語は勿論英語で発刊)、そして都市に関して様々なトピックを取り上げつつ、それをランキング形式で随時発表しているなどのゲーム感覚で楽しめる形式・企画があるのかな、、、と思ったりします。かく云う僕も、「バルセロナで最も美味しいクロワッサン特集」みたいなのが組まれていたりすると、ついついその特集号を買ってしまい、それを片手にクロワッサン巡りをしてしまうんですね。で、こういう人って意外と多いのです!



今回リスボンへ来てみて僕が驚いたのは、これら都市の情報を様々な角度から集めていたタイムアウト誌が、今度はなんと、現在は使われなくなった古い市場(1892に開店したリベイラ市場)を市役所から買い取り、そこを市内でも有数の観光スポットに改修することによって地区活性化の起爆剤にしようとしているという点なのです!
←タイムアウト誌が本当にそこまで考えているのかどうかは僕にとっては特に重要ではなく、僕の眼から見ると「そういう文脈で読める」ということが重要なのです。



体育館のようなだだっ広い空間の真ん中には、おしゃれなテーブルと椅子が並べられ、その間にはビールやワインなど飲み物を注文するスペースが備え付けられています。室内に500席、テラスには250席が設えられているそうです。営業時間は日曜から水曜までが朝10時から24時まで、木曜日から土曜日までは朝10時から深夜2時までやっているというから、観光客にとっては嬉しい限りです。



で、それを取り囲むように、独立店舗を基本としたお店がグルーっとお客さんを取り囲むという形式を取っているのですが、それら独立店舗にはハンバーガー屋さんや寿司屋さん、シーフードを目の前で調理してくるお店から伝統的なポルトガル料理を出すお店まで本当に多彩なお店が揃っているんですね。



また、アイスクリーム屋さんやカフェ、ご丁寧に観光客向けのお土産屋さんまで揃っているという徹底ぶり!これらお店のチョイスには(当然のことながら)タイムアウト誌が独自に選んだランキングがかなり影響していて、そこから最も成功しそうなお店をチョイスし、それらをこの空間に集めた、、、と想像してしまうのですが、逆に、この空間のことを再びタイムアウト誌で宣伝して、、、という逆循環も十分に考えられ、双方で多大なるシナジーが生まれるという結果になっていると思われます。

これは言ってみれば、いままでは出版やウェブ空間でその都市についての情報を握り、その都市を訪れる観光客に活字を通して多大なる影響を与え、更にはそれら観光客の動向をコントロールしていた「単なる一つの雑誌に過ぎなかった」タイムアウト誌が、彼らの持っている情報をリアル空間で最大限に活かすことの出来る「インターフェイスを手に入れた」ということを意味しています。



このインターフィイスという画期的なアイデアのおかげで、タイムアウト誌は単なる情報誌を超えた、もう一つ上の段階の媒体へと変化を遂げている、、、と僕は思います。更に更に、これは言うまでもないことなのですが、今回タイムアウト誌が打ち出したこの戦略は、何もリスボン市だけに限ったことではなく、世界中どこの都市でも展開することが出来ちゃうんですね。

言ってみれば、これは「都市の編集作業」のようなものかもしれません。
←「都市の編集作業」という言葉は、この間日本に帰った時に、学芸出版社の井口さんとお話させて頂いた時に彼女が使われていた言葉で、非常に印象に残っているフレーズです。

これはすごい、というか面白い!

ぼくはこれと非常に似たようなことを「都市に関するビックデータ解析を通した科学的な裏付け」の下、地区レベルでやろうと奮闘しているのですが、今回のタイムアウトの試みは地区レベルの活性化と非常に相性が良いと思います。もちろんそこにはいくつか気を付けなければならない案件も存在して、例えばその中の一つにジェントリフィケーションが挙げられると思うんだけど、今回ぼくが関わっている案件ではそちら負の面もどうにかして緩和していこうと奮闘しているので、もしかしたら、近い将来何かしたらの進展が見られるかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

なにはともあれ、個人的にタイムアウト誌にはアプローチしてみよっかなー、とか思っています。

乞うご期待!
| 地球の食べ歩き方 | 21:43 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
京都の学芸出版社で刊行記念レクチャーを行います。
昨年10月に出版された「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」の刊行記念レクチャーを、編著者の福岡孝則さん、そして龍谷大学の阿部大輔さんと共に、今月末(1月29日)京都の学芸出版社にて行います。
←おめでとー、パチパチパチー(祝)。



テーマは「モビリティ&テクノロジーで公共空間をつくる:バルセロナ市都市生態学庁元担当者と語る」ということなので、バルセロナの歩行者空間計画やモビリティ計画などを中心にご紹介させて頂こうかな、、、と考えているのですが(←詳細は未定)、福岡さんはアメリカ、阿部さんはスペインと3人とも海外経験者なので、今後海外への留学を考えている人、海外で働きたいと思っている方々などにとっても面白いお話が出来るのでは?と思われます。



僕に関しては、「どの様にスペインに渡ったのか?」、「どの様に仕事を探したのか?」などについては既に書籍の方に書かせて頂いたので、ここでは書き切れなかったテーマを少し記してみようかな……と思っていたのですが、、、今回の書籍を編集担当された学芸出版社の井口夏実さんのインタビュー記事を発見してしまい、それがあまりにも面白かったので、そのインタビューを紹介しつつ、当日の議論の下地を作れたらと思っています。

下記のインタビューは、“建てたがらない建築士”いしまるあきこさんによる「ウェブマガジン「フレーズクレーズ」の連鎖「素敵な本が生まれる時」vol.3、「ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜として発表されたもので、インタビューに答えられているのが我らが井口夏実さん(学芸出版社取締役、編集長)。全文はこちらで見れますので、ご興味のある方はどうぞ。

下記の青色の部分が井口さん、いしまるさん、黒字の部分が僕が思った事です。

井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。

基本的に僕は、「言語というのはコミュニケーションのツール」だと思っています。文法が多少間違っていようが、発音が少しばかりおかしかろうが、相手にこちらの言いたいことが伝わればそれで良いのです。ちなみに、現在ヨーロッパに住んでいる日本人の中には「なんちゃってトリリンガル」な人がチラホラと現れ始めています(地中海ブログ:内田樹の研究室の「リンガ・フランカのすすめ」を読んで:何故ヨーロッパでは、ゆるいコミュニケーションである「なんちゃってイングリッシュ」が成功するのか?、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景)。
←言語学者とかに言ったらすっごく怒られそうですが、僕は建築家なのでこんな感じで大丈夫(笑)。それに(井口さんも示唆されている様に)、我々建築家は哲学者や文学者と違って「言葉だけで勝負する職種」ではありません。相手に言いたい事が伝わらなかったらスケッチや図を使えばいいのです。



さて、ここからは僕の勝手な想像なのですが、ヨーロッパは陸続きなので、各国間における人的な移動(モビリティ)が非常に高いんですね。だから隣近所を見渡せば、自国語を話さない外人だらけという状況が多々あります。その様な社会・文化的バックグラウンドを共有しない人達と共存し、互いを認め合ってきたのがヨーロッパという社会なので、彼らにとって「言葉による完璧な意思疎通が出来ないこと」は、生まれた時からの日常茶飯事なんだと思います。だから南ヨーロッパでは、我々(移民)にも、「自国語を完璧に話せ、そうじゃないと聞かない!」などとは言わないのです。
←北ヨーロッパは状況が少し異なる様に思いますし、アメリカも全然違う様に感じます。このテーマ(海外に住むこと・働くことにおける言語の問題)は是非、福岡さん、阿部さんと共に当日の議論の中で深めたい所です。

井口:私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。

これは僕の勝手な考えですが、概して外国語が上手い人は日本語が上手いと思います。というか、日本語が上手い人じゃないと、外国語は上手くなり得ないと思うんですね。外国語を身に付けようと努力すると、ある程度までは上達するのですが、もう少し向こう側にいこうとすると誰しも必ず壁にぶち当たります。その壁を乗り越えられるかどうか、どこまで到達出来るかどうかは、その人の母国語の基礎言語能力、つまり日本語の能力に掛かっているのでは、、、と個人的には思っています。

井口:一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。

「その建築事務所が一流かどうかは、日本人スタッフが働いているかどうかを見れば良い」と言う冗談が、世界中の建築事務所で80年代くらいから言われていたらしいのですが、これは逆に言うと、世界の有名建築事務所、もしくは新興建築事務所には日本人スタッフ(もしくは学生)が1人や2人は必ず居るということを指し示しています。だから、知り合いの知り合いを通して「あの事務所、実はさー」とか、「いま、xx事務所で所員募集しててさー」という様な声がチラホラと聞こえてきたりするので、「世界の有名建築事務所の内部事情」というのは、簡単ではないにしろ、それなりに心に思い描く事が出来るのでは、、、と思うんですね。



その一方、シリーズ2冊目が主題にしている「都市計画、ランドスケープ」を扱っている建築事務所、もしくは各都市の市役所がどんな仕事を請け負って、そこの部署にはどんなキーパーソンがいて、、、といった情報は、有名建築事務所ほど流通していません。この分野で10年以上仕事をしている僕ですら、世界の何処で誰が何をやっているかなんて、この本を見るまで全く知りませんでした。だからこそ、今回の2冊目は非常に価値があると、僕はそう思っています。
←詳しくはこちらに書きました(地中海ブログ:海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!)。

いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。


まず、アメリカの状況なのですが、ボストン(アメリカ)には「ボストン日本人研究者交流会」なるものがあり、ボストンに在住している日本人の中から毎回2人くらいが30分程度のプレゼンを行い、その後近くのレストランに移動してインフォーマルな食事会、、、というイベントが一ヶ月に一回のペースで行われています(参加者は毎回200人くらい)。その会に出席すると、参加者の名前、ボストンでの所属、日本での所属、連絡先などが書いてあるリストがお茶とどら焼きと共に手渡され(←ここ重要w)、「この人と仲良くなりたい!」とか思ったら、気軽にメールして、後日コーヒー飲んで、、、ということが日常生活の中で行われていたりするんですね。

この様な会が組織的に行われている点は、バルセロナとは明らかに違う点だと強く感じました。ただこれはボストンなど日本人研究者が比較的多く集まる都市に固有のことなのかもしれません。フィラデルフィアではどうだったのか等、福岡さんに是非お聞きしてみたいところです。



また、ヨーロッパの日本人ネットワークについて、(敢えて)全く別の視点から一例を挙げると、欧州在住日本人によるTwitter組、、、みたいなものがあったりします(←僕が勝手にそう呼んでるだけですが(笑))。

これはですね、欧州全体を巻き込んだ大イベントなどがあると、それを見ながら各国からリアルタイムでツッコミを入れあって楽しむ、、、みたいな、正にニコニコ動画のリアルタイム版みたいな感じだったりします(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

例えば、ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、欧州の紅白歌合戦と名高い「ユーロビジョン」というイベントがあります。これは一年に一度、各国代表の歌手が生中継で歌を披露して、そこにヨーロッパ全土からリアルタイムで投票を行うという、(色んな意味で)物凄いイベントとなっているんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012)。

 

ちなみにこのイベント、各国から選ばれた歌手が歌を披露し合う和気藹々としたイベントかと思いきや、非常に政治的なイベントだったりします。一般視聴者とは別に、各国には「国として」の投票権が与えられているのですが、その投票先を見るだけで、ヨーロッパ地政学の縮図になっていたりします。例えば、フランスはどんなことがあってもイギリスだけには投票しないとか、スカンジナビア諸国は互いに票を入れあうとか、、、(笑)。

いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。


SNSで仕事の形態が変わった、、、というのは僕も実感する機会が何度もありました。

数年前のことなのですが、とあるミーティングの為にフランクフルトにいたことがあったのですが、たまたま打ち合わせが早く終わったのでシュテーゲル美術館を訪れたんですね。そうしたら丁度その日は小学校の団体が課外授業を行っていて、2階奥にあるルノワールの絵の前では女の子3人組が一生懸命写生をしている真っ最中でした。



大変衝撃的な光景だったのでTwitterでとっさに呟いたら、それが瞬く間にReTweetされまくり、この投稿をキッカケに公共空間系の講演依頼が激増しました。

また、村上春樹氏のインタビュー記事の影響はもっと衝撃的でした。「イベリア半島の片隅を拠点とするスペインの新聞なんて(日本人は)誰も読まないだろう」と村上氏が思ったかどうかは分かりませんが、インタビューの中で「1Q84の続編出します!」と口を滑らせていたんですね。ちなみに彼、日本では「続編は出しません!」と言っていたので、「こ、これは面白い!」と思い、その記事を直ぐさま全訳しブログ上に公開。その数時間後から日本のメディアは大騒ぎとなりました(地中海ブログ:スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳)。

その拡散度とスピード感。新聞という大手メディアの一次情報がSNSに取って代わられる現場を目撃したのと同時に、「Twitterでここまでこれるのか!」と思った瞬間でした。

井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。

海外で働けるかどうか、それはズバリ「運」です。この辺りの話も書籍の中で少し触れたのですが、スペインでいう運とは、その日担当してくれた担当官の気分が良いかどうか、彼/彼女が書類に眼を通した時がバケーション前なのか後なのか、はたまたその日は金曜日なのか月曜日か‥‥ということなのです。
←個人的には、イギリスとかドイツ、北欧など、割と社会システムがきっちりしてそうな都市でも、上に書いた様な南ヨーロッパと同じ様なことが起こっているのか?という所を、是非他の著者の方々に伺ってみたいところです。



さて、海外で働くのに最適なステップの一つはやはり、現地の大学や大学院へ進学して状況を見つつ、生の情報を集めながら職を探すというのが一番良いのでは、、、と思っています(地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い)。

ヨーロッパの大学、もしくは大学院事情についてはことある毎に書いてきました(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。また、前回の書籍に登場されたRCR事務所出身の小塙さんと藤井さんが企画されている短期留学体験みたいなオプションもバルセロナにはあったりします。

加えて、スペインの建築系の大学院に関しては、TOEFLやGREのような試験もなければ、厳格な入学審査(面接)のようなものもほとんどありません。また、学費も北ヨーロッパやアメリカに比べると格段に安く、近年は生活費が高くなってきたとは言っても、ロンドンやパリほどではありません。そういう意味において、南ヨーロッパへの留学というのは、北ヨーロッパ、もしくはアメリカへの留学と比べると「格段にお手軽かな、、、」という気はします。

では良いことばかりかというと、南ヨーロッパには「南なりのデメリット」も当然あります。その辺については当日のディスカッションで福岡さん、阿部さんと共に深めていけたら、、、と思っています。

井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。

もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。

最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。


初稿が真っ赤になって返ってきたのは僕です(笑)。かなりの部分が書き直し(ホントに真っ赤っかだったのです!)だったので、心配になってシザ事務所の伊藤さんに「い、伊藤さん、、、僕の原稿真っ赤なんですが、伊藤さんはどんな感じでした?」ってメールしたら、「あ、あれはですねー、出来の悪い人は真っ赤になるらしいですよ」っていう大変素直な返信があり(笑)、「や、やっぱりそうか!」と金曜日の夜に一人落ち込んでいたことも、いまとなっては良い思い出ですww
←ちなみにシザ事務所の伊藤さんも、前回の書籍「海外で建築を仕事にする」に書かれています。
←シザとのやり取りなどが巧みに組み込まれていて、すっごく魅力的な文章となっています。



井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。

いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。


今回の書籍には15人分の人生が凝縮されています。各人がどのように考え、どのように海外へ飛び立っていったのか、そして彼の地でどのように仕事を選び、どのようにプロジェクトに絡んでいったのか、、、

それがそのまま他の人の人生になる訳では無いのですが、「海外へ出て行くということを人生の中にどのように位置付けるのか」を参考にすることは出来ると思います。そしてそのような視点で作られた書籍は以前は無かった様に思うんですね。

これは裏覚えなのですが、1980年くらいの「建築雑誌」に「海外留学特集」みたいなのがあって、当時の僕はその記事を穴が開くほど読んだ記憶があります。
←いや、僕の先生(渡辺純さん、ハーバードに留学)が寄稿されていたのです。
←あの当時、「今回のような書籍があったらなー」と思わずにはいられません。



いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?

井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。


ここがこのインタビューの一番核心的なところだと思います。

「海外で建築を仕事にする」っていう本を出しておきながら何なのですが(笑)、実は海外に行くかどうか、海外で暮らすかどうかなんてことはあまり重要ではないと、僕も強くそう思います。

勘違いしている人が非常に多いのですが、海外には甘い生活が待っているとか、「海外に行けば何か面白いことができる」だとか、それは幻想に過ぎません。

他国で暮らすということは楽しいことばかりでは無く、くじけそうになることも多々あるし、全て投げ出してしまおうと思うことだってしばしばです。

また、見過ごされがちな事実として、我々日本人が海外で暮らすということは、「その国において移民になる」ということなのです。移民であるからには、定期的に移民局に行って何時間も待たされながらもビザを更新しなければならないし、「移民だから」と言う理由で仕事もかなり制限されます。

そしてそれは多分、その地域の文化を知れば知るほど、生活をすればするほど、「我々は日本人であり、この地では移民である」という事を思い知ることなんだと思うんですね。それが異文化の中で生きていく/生き残っていくということなのです。

では何故、僕はそんな思いまでして海外で働き、そして暮らしているのか?
←←←この続きは当日のディスカッションで。



井口:いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。


僕は書籍作りに関わらせて頂いたのは今回が初めてだったので、一般的に書籍がどういう風に作られるのか、編集側とのやり取りはどんな感じなのか、といったことに関しては全くの無知でした。

だから学芸出版社さんが僕にしてくれたこと、編集に関して井口さんが僕にしてくださったことが業界のスタンダードなのかどうなのか、それは分かりません。

しかしですね、彼女は僕の読みにくい原稿を一言一句丁寧に読んで下さり、僕の言いたいことを僕以上に理解してくれた上で、「こうしてはどうですか?」という適切なアドバイスを何度も何度もして下さいました。また、文章にあわせて載せる写真や図、スケッチなどを親身になって選んで下さり、その方向性に従って手直ししていくと、自分の原稿がみるみる良くなっていくのが分かる、そんな楽しい数ヶ月だったんですね。

もしかしたらこの様に親身になって執筆者の相談にのってくれるのは学芸出版社さんの社風かもしれませんし、もしくは僕を担当してくださった井口さんのお人柄だったのかもしれません。

でも、初めて参加させて頂いた本の担当が井口さんで本当に良かったと、いまでは心からそう思っています。

書籍作りを好きにさせてくれて、どうもありがとうございました!
| 仕事 | 11:06 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
Super Science High Schools(SSH):スーパー・サイエンス・ハイスクール:バルセロナ
年末、一時帰国を利用して日本の3つの都市で、それぞれテーマの異なる3つの講演会をさせて頂きました。その第一弾が、大阪市立都島工業高校における「スーパー・サイエンス・ハイスクール(Super Science High-School)」講演会です。
←この高校、二川幸夫さんのご出身校だそうです。



スーパー・サイエンス・ハイスクールとは一体何か?
Wikipediaによると:

「スーパーサイエンスハイスクールとは文部科学省が科学技術や理科・数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のことである。SSHと略記される。…(中略)… 目的は「高等学校及び中高一貫教育校における理科・数学に重点を置いたカリキュラムの開発、大学や研究機関等との効果的な連携方策についての研究を推進し、将来有為な科学技術系人材の育成に資する」

とあります。

まあ簡単な話が、将来日本の科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)を背負っていく人材を、(大学からではなく)高校という早い段階から育ててしまおうという取り組みなんだと思います。その一環で、実際に海外で働いている人達を招いて生の声を聞いてみよう、それらの話を高校生の皆さんに聞いてもらうことによって、海外へ興味を持ってもらうキッケケにしようということで僕に声が掛かったんだと思います(このお話を頂いたのは今から丁度1年前、2015年3月のことでした)。



この様な高校の研修というのはボストンには結構あって、というのもやはり、MITは工学系では世界一、更にボストンにはハーバード大学やウェルズリー大学など著名大学がひしめき合っているということもあり、「高校が研修という目的の為にボストンを選ぶ」というのは非常に無難な選択となっているからです(地中海ブログ:全米で最も美しい大学ランキング・ベスト10にランクインしているボストン郊外にある超名門女子大、ウェルズリー大学について、地中海ブログ:ハーバード大学の自然史博物館で飛行石を発見してしまった件)。



逆に言うと、高校が研修先にバルセロナを選ぶというのはそれほど普通のことではありません。というのも、バルセロナには世界ランキングに登場する様な著名大学はありませんし、学術系で世界をリードしている、、、と思われる分野もそれほど多くないと思われるからです(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム)。
←というか、そういう評価軸とは別のものさしで動いているというだけなんですけどね。。。



しかしですね、バルセロナは、セルダを始め、歴史的に大変優れた科学者、技術者を輩出した都市であるというだけではなく、ローマ時代から脈々と続いている人類の軌跡が、「ヨーロッパの知」といった形で街角に体現されているということを鑑みるにつけ、「高校生の研修先としてバルセロナという街は大変優れているのでは、、、」と思わずにはいられません。



そう、バルセロナという都市の魅力は、街全体が「集まって住むという喜びに満ち溢れていること」、そういう人間の根源に関わる部分を、書籍からの知識ではなく、その土地に生きる人々の生活に触れることによって「体験として知ることが出来る」という点なのです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在することを通して学ぶこと)。

今回、大阪市立都島工業高校さんがバルセロナを研修先として選んでくれたこと、そしてその様な試みに少しでも参加出来たことは僕の人生にとっても非常に稀有な体験だったと思います。



……丁度この文章を書いているいま、「研修から無事に帰ってきました」という報告メールを受け取りました。そして「生徒たちは、初めてのバルセロナに非常に興味を持った様子でした」とも書かれていました。

何年か経って、この時の体験のことを一瞬でも思い出してくれたら、講師としてそんなに嬉しいことはありません。

今回のバルセロナでの体験が、大阪市立都島工業高校の皆さんの人生にとって有意義なものであったことを心から祈っています。
| 大学・研究 | 09:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来
今月末(12月21日(月曜日))、横浜の情文センターにて「バルセロナの失敗に学ぶ、データ活用による都市観光の未来」と題したシンポジウムを開催します。
←お申し込みはコチラから。



主催はNPO横浜コミュニティ・デザイン・ラボとlaboratory urban DECODE、後援は横浜市役所とバルセロナ都市生態学庁です。

当ブログの読者の皆さんにはもう馴染み深いことだとは思うのですが、いまやバルセロナは世界に名だたる観光都市に発展してしまいました。「パリやロンドン、ローマだって世界的な観光都市なんだから、どうってことないじゃん!」とか思ったそこの貴方!ハズレですー、ぶっぶぶー(笑)。



いや、別にハズレってことはないんだけど(笑)、バルセロナの観光状況をパリやロンドンのそれと比べる時に考慮されるべき点が一つあります。それはスペインという国が1975年まで独裁政権下にあったということ、そしてそのフランコ政権時代においては、観光政策は勿論のこと、都市生活に必要不可欠な生活インフラにすら十分な投資が為されなかったという事実なんですね。つまりバルセロナを観光という切り口で見た時の一つの特徴は、「民主化後30年足らずでパリやロンドンといった世界トップレベルの都市と競い合えるまでになってしまった」ということなのです。

何故そんなことが可能だったのか?

その裏には非常に良く考えられた都市戦略、もっと言っちゃうと大規模イベントをうまく活用した都市政策なんかが挙げられると思います(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA(Mobile World Congress 2009))。ちなみに僕は、一時期ユネスコ(UNESCO)で働いていたことがあるのですが、バルセロナが2004年にでっち上げた大規模イベント世界文化フォーラム(FORUM2004)のバックにはUNESCOが付いていて、あれやこれやと画策していました。

世界遺産認定などで知られるUNESCOという機関はニュートラルな立ち位置を保っている為に、「一つの都市に肩入れする、、、」なんてことは普通はないのですが、元UNESCO総長だったカタラン人が「パリから引き上げる時のお土産に、ぜひ祖国に自分の記念碑を打ち建てたい!」みたいな超ワガママから生まれたのが、このFORUM2004だったりします。1992年のバルセロナオリンピック招致の裏にサマランチ会長がいたのと同じ構図です(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。

これら大規模イベントを用いた都市開発、都市計画の裏には見逃せない仕組み、システムがあるのですが、その辺についても今回のシンポジウムでは少しお話しようかな、、、と思っているのですが(こちらも参照してください→地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)、そんな中でも今までなかなか語られてこなかった側面、それが「バルセロナが如何にICTを使って都市を発展させてきたか?」、もしくは「都市政策や都市計画に如何にICTを活用してきたのか?」という点なんですね。

あまり知られていませんが、欧州においてバルセロナという都市はICT分野で抜きん出た功績を挙げています。例えば、Yahooリサーチがバルセロナにあったり、「初音ミク」の基礎技術を開発したのがバルセロナの研究所だったりする、、、ということを知ってる人ってなかなか居ないのではないでしょうか?ちなみにこのYahooリサーチや初音ミクの基礎技術を開発した研究所が集まっているのが、最近急激に伸びてきているポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)だったりします(地中海ブログ:初音ミクに使われている技術ってメイド・イン・カタルーニャだったのか!って話)。

また、2011年から始まったスマートシティ国際会議は、スマートシティ関連のイベントとしては世界一の規模を誇るまでに発展してしまいました(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))。



2011年当時、35年近く続いた労働左派政権(PSC)がカタルーニャ右派政権(CiU)に初めて変わる交代劇がバルセロナ市役所であり、「前政権とは何か違うことがしたい!」みたいな右寄り政権の超ワガママな要求に、「スマートシティ路線でいってみてはどうですか?」とアドバイスをしました。更にそのイベントの権威付けの為に、MITで僕が所属しているラボの所長(カルロさん)に連絡して、「バルセロナ来たい?」って聞いたら、「チョー行ってみたい!」みたいな感じのレスが速攻で返ってきたので基調講演を頼んだりしたんですね。



そんなバルセロナが、現在のスマートシティ政策に直接繋がるプロジェクトに取り組み始めたのが2000年代初頭のこと、そして偶然にも、そのプロジェクトに放り込まれたのが僕だったりします(笑)。
←いや、ほんと当時は何にも分かってなかったんだけど、勝手に放り込まれてしまったのです!

実はその事実に気が付いたのはつい先日のことで、オープンデータ関連でバルセロナを訪問されたいた方と一緒にバルセロナ市役所のスマートシティのキーパーソンにお話を伺っていたら、なんと、そのプロジェクトが現在バルセロナが推し進めているオープンデータ政策の根幹であり始まりであった、、、という驚くべき証言が出て僕自身ビックリしてしまったのです!



その当時、僕はバルセロナ都市生態学庁からモビリティの責任者としてこのプロジェクトに参加していたのですが、そこで僕がやっていたことは、「ICTを用いたモビリティマネジメントの開発」というテーマであって、それが後のBluetoothセンサーなんかに繋がっていく訳なのですが(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!)、その一方で別のチームが、ICTを活用した都市プラットフォーム・インターフェイスの開発みたいなことをやっていて、それを横目でチラチラ見ながらも、「な、なんかやってるなー」ぐらいにしか思っていませんでした。



その時のアレが、実は現在バルセロナがオープンデータで世界的な主導権を握っているプラットフォームの根幹になっているとは、夢にも思わなかったのです!

というわけで、奇しくもバルセロナのICT活用の現場にその始まりから関わることになってしまい、机上の空論ではなく、現場で実際にプロジェクトが動いているところを見てしまったという稀有な体験から、「この経験をぜひ皆さんと共有したい」と思ったのが、今回のシンポジウムを立ち上げたキッカケです。

特に今回は、バルセロナが体験してきた観光という分野、そこに焦点を当てて講演出来たらと思っています。

講演会は2部構成になっています。前半では僕が基調講演をして、横浜市役所のかたも「横浜市の観光の現状」みたいな感じで講演をして下さる予定になっています(あくまで予定)。その後、観光に関わる幾つかのベンチャー企業の方々にプレゼンをして頂いた後、休憩を挟んで後半からは日本のオープンデータの引率者として知られている国際大学GLOCOMの庄司さんにmoderatorをお頼みし、様々な方々を交えながらディスカッションなど出来たらと考えています。

2020年の東京オリンピックを控える中、良い意味でも悪い意味でも、観光という分野においてバルセロナは日本の一歩も二歩も先に行っていると思います。そんな「バルセロナの体験している現在」は、「東京の未来の姿」かも知れません。そのバルセロナから一体何が学べるのか、どうすれば東京オリンピックをもっと良くできるのか、また周辺都市の役割は一体何なのか、はたまたそんな中で、ビックデータ・オープンデータはどの様に活用出来るのか?などを考えるキッカケになれば幸いです。

皆さん、宜しくお願いします!
| 仕事 | 15:40 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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