地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ディープラーニングアーキテクト:人工知能の目から見た建築デザインの分類

昨年末、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)では、ハイライン(ニューヨークの歩行者空間プロジェクト)に関する展覧会を開催していました(2018年12月20日まで)。

当ブログの読者の皆さんは既にご存知かとは思うのですが、一応、わたくしcruasan、欧米では歩行者に関するビックデータやAI分析、歩行者空間計画のスペシャリストということになっていて、いま現在、世界のどの都市でどんな歩行者空間計画が行われているかについては、それなりに把握しているつもりなんですね。そんな僕の目から見て、ニューヨークのハイラインはバルセロナのスーパーブロックと並ぶ「世界2大歩行者空間化プロジェクトと言っても過言ではないかな、、、」と、そう思っています。

そんな訳で、ニューヨークを訪れる際には必ず現場を歩き回り、街中の何処にどんな公共空間が立ち現れ、それらの空間が市民生活にどの様な影響を与えているのかを注意深く観察してきた訳なのですが、「ハイラインに関する展覧会がうちの近所で始まる!」と聞いたからには行かない訳にはいきません。

←いや、いま住んでるところ、GSDの真横なんですよ(笑)。

という訳で、この展覧会のオープニングセレモニー(11月14日)から、その後の連続レクチャーなど、なにかと足を運んではこのプロジェクトの新しい側面を発見したりして、ここ数週間は非常に楽しい毎日を送らせて頂いていました。

で、何回か訪れる内に、どうやら今回の展覧会の背景には「ハイラインがなにかしらの賞を受賞したらしい」ということが分かってきてですね、、、11月14日に行われたセレモニー(事実上、これがオープニング・セレモニーだったのですが)では、Field OperationsのJames Corner and Lisa Tziona Switkinやディーラー&スコフィディオ(Elizabeth Diller and Ric Scofidio)、そしてニューヨーク市役所の関係者の方々などが登壇者として招かれ、Diane Davisさん(現ハーバード大学デザイン大学院アーバン・プランニング&デザイン学科長)のオープニングスピーチで授賞式の幕が上がりました。で、何気なくその言葉を聞いていてビックリ!

「えー、この賞は優れた公共空間デザインに対してハーバード大学が与えるもので、過去の受賞者にはバルセロナ市なんかがいます、、、」

「え、え、あ、あれ、、、いま、バルセロナって言った???っていうか、この説明、、、どっかで聞いたことがあるような、、、ないような、、、」

とか思って、ちょっと調べてみたら、、、凄いことを発見してしまって2度びっくり!!

この賞の正式名称は「Veronica Rudge Green Prize in Urban Design」と言うらしいのですが、これがなんと、我々が普段呼んでいる「バルセロナのアーバンデザイン賞」だということが発覚してしまったのです!

←多分この記事を読んでる99%の方々は、いったい僕が何を言っているのか、さっぱり意味が分からないと思いますので、ちょっと解説をします。

「バルセロナの専門家」と呼ばれる人達がバルセロナ関連の論文を書く際、その冒頭(イントロダクション)で良く引用するフレーズが幾つかあります。例えば、「(RIBAに関して)それまでは個人にしか与えられていなかった国立英国建築家協会賞(RIBA)が初めてバルセロナという都市に贈られた」だとか、「都市デザインと都市戦略の質という点において、我々(ロンドン)は多分、アムステルダムやバルセロナに20年は遅れている(リチャード・ロジャース)」みたいな。

その中で必ず引用されるのが、「バルセロナの公共空間計画は、1987年にハーバード大学から都市デザイン賞を授与された」っていうフレーズなんですね。

いままで我々はこの「ハーバード大学から贈られた賞」っていう箇所にはあまり注意を払ってこなかったんだけど、、、つまりは、「あー、そういう賞があるのねー」くらいにしか考えてなかったんだけど、今回のハイラインの件を通して、どうやらそれが「Veronica Rudge Green Prize in Urban Design」だということが判明してしまったのです!

←いや、別にそんなことが分かったからって日本の読者の皆さんにはさっぱり関係無いかとは思うのですが、少なくとも、岡部明子さんと阿部大輔さんだけは興奮していることだろうと想像します(笑)。

さて、ここからが今日のメインテーマなのですが、今日のお題は一言でいうと「先週、新しい論文を発表しました!」です。その名も:

ディープラーニングアーキテクト:人工知能の眼から見た建築デザインの分類

とあるジャーナルに投稿した論文をarXivにアップロードして発表しました(原著論文はコチラ)。

←えっっと、多分、「arXivとはなにか?」という所から説明を始めた方が良いかと思うのですが、と言うのも、建築・都市計画・まちづくり系の研究者の方々にはあまり馴染みがないかも知れないからです。

arXivとは(一言でいえば)「掲載前の論文をみんなでシャアするサイト」、、、かな(もちろん合法。運営はコーネル大学)。コンピュータサイエンスやバイオロジー系、最近だとディープラーニングみたいに大変ホットな領域なんかだと、「誰が一番早く論文を出したか」っていう時間との戦いになってしまうことが多々あって、雑誌に投稿した後の「レビュー期間」というのは非常に「あたまの痛い期間」だと言わざるを得ないんですね。と言うのも、論文がレビューされている間に、他のグループが同じ様なアイデアで論文を書いて、もっと良いジャーナルに掲載してしまったりだとか、自分達が提案している手法が既に他のグループによって実証されている事実を知らずに、ひたすら時間とお金を掛けて初期テストをしていた、、、なんてことが多々あるからです。

←レビュー中の論文というのは他のジャーナルやウェブに掲載されることが殆どないので、いま現在、どこの誰がどんな論文を投稿してレビューされているのかなどを知ることは大変難しい状況だと言わざるを得ません。その様な状況を少しでも緩和しようという意図で提案されたのがarXivというシステムなんです。

←(ここからは僕の勝手な見解なのですが)科学というのは基本的に「シャアの世界」だと僕は思っています。もちろん「競争」という側面もあるんだけど、それ以上に「既に分かっていること」、「分かっていないこと」を明確にした上で、先人達が築き上げてきた「分かっていること」の上にホンの少しだけ新しい知見を築き上げること、これが科学の基本コンセプトだと思うんですね。

←だからこそ、いま現在、世界の何処で誰が何をやっているのか、どんなことが既に試されていて、どんなことが達成されているのか(もしくはいないのか)を知る事がこの上なく重要になってくるんです。逆に言うと、世界のどっかの誰かが既にやったこと、実証してしまったことをもう一度やる、、、というのは科学的には非常にナンセンスだと僕は思います(再現性を確認するという意味ではアリ)。

←だからこそ学術論文においては「文献レビュー」という作業が必ず必要になってきてですね、、、それを行なった上で、「じゃあ、我々のチームはこういうアプローチでこういう問題を扱っていこう」という基本方針を決めることが出来るからなんですね。ただ、大変残念なことに最近はそこの部分をしっかりとやっていない学術論文を数多く見掛けます。僕に言わせればそれらは「論文」ではなく「感想文」だと思います。

←感想文という形式はそれはそれで1つの非常に価値ある文章の形だとは思いますが、学術論文とは違います。

 

あー、脱線してしまった。。。

さて、その様な、長—い査読期間によって失われるであろう時間とお金のロスをなるべく避けようという目的のもと生み出されたのがarXivというシステムであり、投稿中の論文や投稿前の論文をアップすることによって、今この時点での科学的知見やアイデアを、「なるべくリアルタイムに近い感覚でみんなでシェアしよう」というコンセプトな訳です(注意:科学者と呼ばれる全ての人達がそうする訳ではありませんし、arXivについては賛否両論あります)。

 

と言う訳で(繰り返しになってしまいますが)今回発表した論文はarXivバーションであり、ジャーナルに最終的に掲載されたものではないことをここで断っておきます。

さて、今回発表した論文で僕達がやろうとしたこと=「リサーチ・クエスチョン」はなにかと言うと、それは「コンピュータの目には、建築家のデザイン的な特徴はどのように見えているのだろうか?」ということであり、「それら機械の目で見た時の建築家のデザインの特徴と人間の目(歴史家や批評家)との間には一体どのような違いがあるのだろうか?」ということに尽きます。

良く言われるようにディープラーニングが引き起こしたブレークスルーというのは、画像に写り込んでいる物体を認識させる為の特徴量の抽出を「自動化した」ということだと思います。逆に言えばそれまでは全て人間が入力しなければならなかったということなのですが、例えば「この写真に写っているのは猫だよー」ということを機械に教える為には、猫の特徴である「猫には耳が2つあり、、、ヒゲがあり、、、毛で覆われていて、、、」みたいなことを1つ1つ挙げていき、それらを全て機械に教える必要があったんですね。

しかしですね、ディープラーニングにおいては、そのような特徴量を機械が勝手に認識して抽出し、学習しながら自分の知識に変えていくことになります。

例えば、安藤(忠雄)さんの建築の特徴は(1)「打ち放しコンクリート」、(2)直方体や三角形など「厳格な幾何学を用いて」、、、みたいなことが挙げられるかと思うのですが、それらは全て「我々人間の目から見た安藤建築の特徴」なんですね。

←当然ですよね、我々人間が人間の目で見て判断している訳ですから。そしてそこには常に我々の先入観や事前知識、視覚以外の五感に由来する感覚などが含まれています(そして建築ではそれらが非常に重要だとも考えられています)。それらを全て考慮した上で総合的に判断したものこそ、現在我々が知るところの「建築の歴史」となっている訳なんです(というか、僕はその様に理解しています)。

 

しかしですね、もしかしたら安藤建築の大量の写真をAIに見せてトレーニングしてみたら、彼ら(機械)は我々人間の目では気が付かなかった特徴や、我々の目には見えない「なにか」に注目することによって、「この建築は安藤建築だ」と認識するかもしれません。

←この「かもしれません」というところがポイント。こういうのは実際にやってみないと分からないからです。もしかしたら機械はそういう判断をするかもしれないし、しないかもしれない。もっと言っちゃうと、これをやったからと言って、何かの役に立つのかどうなのかはサッパリ分かりません。

もしかしたら「やっても無駄」な場合だって多々あります。でも、分からないからやるんです。何かしらの発見があるかもしれないから挑戦するんです。

もし役に立つことが分かっていたり、お金儲けが出来ることが分かっているんだったら、それは我々アカデミックの分野にいる人間がやることではないと僕は考えています(個人的に思っているだけです)。そういうことは、他の領域にいらっしゃる方々がされれば良いことだと思うんですね(繰り返しますが、僕が個人的にそう思っているだけです)。

我々アカデミックの分野にいる人間、大学の研究者というのは、「役に立つかどうか分からないこと」、「なんだかよく分からないけど直感が働くもの」、そういうことに取り組むのが我々の仕事だと僕は理解しています。だから僕はいつも言います。この様な研究は「やってみた系」だと。

ああー、また脱線してしまった。

という訳で、取り敢えずやってみることに。まずはデータを揃えなければならないので、プリツカー賞を受賞した建築家を中心に、35人くらいの建築家を選び出し、各々の建築家毎にサンプル写真をグーグルから取得、更に個人的に今まで撮り溜めた建築写真も含め、合計約20,000の写真を用意しました。それをトレーニングデータと評価データに分けて、いよいよ実験開始です!

、、、と思った矢先、いきなり壁にぶち当たってしまいました。。。まあ、最初から分かっていたことではあったのですが、近代建築や現代建築の分類は思ったほど簡単ではありません。

歴史的な建築っていうのは比較的簡単に機械に教え込むことが出来ます。何故なら(良く知られているように)柱や柱頭、窓などに「建築オーダー」と呼ばれる特徴的なデザインが施されているので、それらを機械に教えてやれば良いだけのことなんですね。

その一方で、近代建築や現代建築には基本的に装飾が付いていません(まあ、ある意味、装飾を排除することで発展してきたのが近代建築や現代建築だと言うことが出来るのですが)。また、往々にしてそれらの建築は四角い箱であることが多いし、なにより近代建築、現代建築の大きな特徴の1つである「空間」というのは「物体そのもの」と言うよりは、柱とか壁、天井といった幾つかの空間エレメントに囲まれた結果現れてくるものだと思うんですね。

もっと言っちゃうと、「写真に映り込んでいる物体」という観点で見た場合、「柱」や「壁」というエレメントは、建築である限りどの建築家がデザインしたものであろうと、そう大して変わらないはずです。柱は柱であり、壁は壁ですから。では何処に違いが現れてくるかというと、それら各エレメントの構成や光の取り入れ方、配置や材料なんかによって、その後に立ち現れてくる「空間」にデザイン的な差異が現れてくる訳ですよ。

何が言いたいのか?

←つまりは画像認識技術を考慮した場合、一般的に用いられている「オブジェクト・ベースのアプローチ」では、うまくいかないんじゃないか、、、と、そう思う訳です。

じゃあ、どうするのか?

←こういう時に先行事例を探す訳です!

今回、道標になったのはアートの世界でやられていることだったのですが、、、というか正確に言えば、「アートの世界でやられている」というよりも、「コンピュータサイエンティスト達がアートに関してやっていること」なのですが。。。

実はですね、アート(特に絵画に関しては)、機械によるアーティストの分類という試みが結構やられていて、それこそ「この絵画はピカソだ」とか、「これはルノアールだ」なんていうのは、既に世界中で色んな研究者が成果を発表していたりします。

しかしですね、ちょっと考えてみれば分かる様に、彼らがぶち当たったであろう難問も僕達が直面していることと本質的には同じなんですね。というのも、ピカソが描いた絵画には「ひまわり」が写ってることもあれば、ゴッホが描く絵画にも「ひまわり」が写っていたりするからです。つまりは画家の分類も「オブジェクト・ベースではうまくいかないんじゃないか、、、」ということが直ぐに分かる訳ですよ。

じゃあ、彼らはどういうアプローチを取っているのか?

絵画(アーティスト)に関する画像分類の世界では、その難問を「デザインスタイルにまでレベルを上げてやることによって解決」しています。分かりやすいところで言うと、ゴッホの筆使いなんかは非常に特徴的なので、その画像を大量に集めてきてAIにトレーニングさせてみる、、、とそんな感じです。ちょっと前に話題になったレンブラントのプロジェクトなんかでは、大量のレンブラントの画像を通して、レンブラントの画法(筆使い、構成、色使いなど)をAIに習得させていました。

これらは全て、「オブジェクト・ベース」ではなく、「スタイル・ベース」で機械をトレーニングして、それによって分類しています。

「おおお、そうかー!じゃあ、そういう方向で考えてみようかな、、、」というのが、今回の論文の基本方針です。

←まあ、とは言っても、建築の場合はそんなに簡単ではなく、まだまだ「道半ば」という感じです。今回の論文ではこの辺の考え方やコンセプト、そして実装して得られた「取り敢えずの結果(preliminary resultsと言います)」を纏めて論文にしました。使ってるアルゴリズムや計算式なんかは実際の論文を見てもらうとして、下記ではどんな感じで結果が出たかを簡単にご紹介しようと思います。

今回、我々が得ることが出来た結果は大きく分けて2つ。1つ目はGrad camと言って、機械の目が建築デザインのどの辺りを見て、その写真の特徴を掴み出し他の建築家のデザインと差異化したかという部分です。その例がこちら:

上の例はアルヴァ・アールトの図書館なのですが、AIはこの写真を0.39の確率でアールトだと判断しています。その次にゲーリー(0.28)が来て、その次に坂茂さん(0.21)、そしてチュミ(0.11)という順番になっています。

では、どうしてAIはこの画像をアールトだと判断したのか?ヒートマップの感度を見てみると、AIは天井の丸窓を見ていることが分かります。ゲーリーや坂さんの画像においても、AIは天井に注目していることが分かるんだけど、それはゲーリーや坂さんのデザインの特徴が天井の丸窓っぽいものを創り出しそう、、、もしくはそういう傾向がありそうだとAIが判断したからです。と、まあ、こんな感じで、最近のAIは「機械がどこを見ながら判断したのか」をヒートマップとして示してくれるというところまできています。

そしてこの論文で僕達が示したもう1つの結果(preliminary result)がこちらです:

機械の目から見た時の建築デザインの分類(クラスタリング)なんですね。クラスタリングにはPCA(主成分分析)を使っているのですが、理屈としてはこんな感じ:何万枚という写真を使って我々がトレーニングしたAIは、「ノーマン・フォスターに特化」とか、「アルヴァロ・シザに特化」とか、インプットとして示された画像を分類出来るようにトレーニングしてあります。ディープラーニングで良く使われる指標であるaccurary(正確さ)は73%であり(つまりはどんな画像を放り込んでも、73%くらいの確率できちんと建築家を分類してくれる)、客観的に見てこの数字は非常に良い数字と言えるかと思います。

ちなみに一番成績が良かったのはチュミで90.4%、第2位はライト(87.7%)、第3位はカーン(87.6%)でした。

さて、我々はここで「アルゴリズム、アルゴリズム」と言っている訳なのですが、じゃあ一体、「そのアルゴリズム(モデル)とは具体的にはなんなのか?」と問われれば、それは結局「数字の羅列」なんですね。その数字の羅列が「シザ」に最適化された感じで並んでいたり、「フォスター」に最適化された形で並んでいたり、、、と、そんな感じのイメージを持って頂ければ大丈夫だと思います。

各々の建築家に特化したモデルが「数字の羅列」で与えられているということは、定量化出来るということであり、比べられるということです。では、どういう風に比べるのか?「各々の建築家がどれくらい似ているのか、もしくは違っているのか」—これがクラスタリングという手法なのです。

で、上の図が「機械の目から見た時の建築家のクラスタリング」なのですが、ここには既に幾つか面白いグループ分けを見る事が出来ます。先ずは右下のグループ:フォスター、ロジャース、ピアノが1つのグループに囲まれているのが見えるかと思うのですが、この三人の作風は「テクノ建築」として知られています。

また、もう1つの例としては、左下の方に「ライトと普通の家」のグループがきちんとクラスタリング出来ていることに気が付きます。このグループもそれなりに納得が出来るクラスタリングだと思うのですが、というのもライトがプレーリーハウスというスタイルを確立し、それが合衆国の郊外型ハウジングのモデルになったことは良く知られた事実だからです。

と、まあ、こんな感じでこの図を見ていると、色々な想像力を掻き立てられるのですが、まあ、とにもかくにも僕達がこの論文で示したかったことは、「機械の目で見た時の建築デザインの分類の可能性」です。上述した様に、「機械の目」は視覚情報以外のものからはなんの影響も受けません。「鉄骨が出てきた背景には、他産業の影響があって云々」とか、「シザの建築はアールトの有機的な影響を受けていて云々」とか、そういうことは全く関係がないのです。

建築史家や批評家の方々からすれば、「そんなの片手落ちじゃないか」と言われるかもしれませんし、それはそれでごもっともなご意見だとも思います。だから僕達は、今回我々が示した事がいままでに確立されてきた分析手法を覆すだとか、「それらに取って代わる」なんてことはこれっぽっちも思っていません。

そうではなく、視覚情報だけに頼った建築デザインの分類というのは、いままでの伝統的な分析手法とはまた違った可能性を我々に見せてくれるのではないか?そしてそれらは伝統的な分析手法と補完的な関係性が築けるのではないかと、そう思っています。

何度でも繰り返しますが、我々がやっていることが社会の役に立つか、もしくはなんの役にも立たないのか、それは分かりません。 分からないからやるんです。いままで誰もやったことがないから挑戦してみるんです。その結果、なんの役にも立たないことが分かっても、「あー、そうか」と、そう思うだけです。その時はまた何度でもやり直せばいいだけの話。

と言う訳で、この研究路線はいま始まったばかりであり、これから数年掛けて色々な研究者の方々と協働することによって発展させていこうと、そう考えています。まあ、取り敢えずここに記念すべき世界初の試みが発表出来たという訳で、今週末はコーヒーとクロワッサンで乾杯しよう。

←ぼく、ビール飲めないので(苦笑)。

| 大学・研究 | 07:17 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ルーヴル美術館、滞在記:ルーヴル美術館のもう1つの顔

ここ2週間あまり、パリのルーヴル美術館に滞在していました。

当ブログの読者の皆さんは既にご存知だとは思うのですが、実は僕、2010年以来ずーーーーっと、ルーヴル美術館と緊密なコラボレーションを展開しておりまして、その結果がこちらだったりします↓↓↓

地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!

地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

っていうことを書くと、「えーーー、cruasanって毎日カフェでコーヒーとか飲んで、適当にコメントする人じゃなかったの?」とか、「えーーー、cruasanって、モナリザとか見て「あー、きれいな絵だなー」とかいい加減なこと言ってる人じゃなかったの?」とかいう人達がたくさん出てくるんだけど、いま正にそう思ったそこのあなた、地獄に堕ちてください(笑)。

まあ、でも、当ブログの適当なコメント加減を見ていれば、そう言いたくなるのも分からないでもない、、、かな(笑)。

さて、上に書いたように今回はルーヴル美術館に「滞在」してきた訳なんですが、これはどういうことかと言うと、実は2016年から「ルーヴル美術館リサーチ・パートナー」という役職を頂戴しておりまして、その立場でお仕事をしてきたという訳なんですね。

ということはどういうことか、、、???

そーなんです!なにを隠そうわたくしcruasan、実はルーヴル美術館の「中で働いてる人」っていう分類なんです!

「ええええー、そんなこと可能なの?」とか思ったそこのあなた、はい、人間に不可能はありません(笑)。出来るかどうか、先ずはやってみればいいんです。可能かどうか、聞いてみればいいんです。で、もしダメだったら、それはその時に考えればいいだけの話。

という訳で2010年くらいから何ヶ月かに一度の割合でルーヴル美術館を訪れては館内に滞在しつつ、センサーのセッティングをしたり、位置を変えてみたり、はたまたフィールドワークをしたりということを繰り返してきたのですが、今回の滞在でふと気が付いたことがありました:

「あ、あれ、、、そういえば、ルーヴルについてはブログ記事にしてないな、、、」と。

という訳で今回はズバリ、「ルーヴル美術館の舞台裏について、中の人しか知り得ない情報を書いてしまおう」と、そう考えています。題して、「ルーヴル美術館の舞台裏、潜入リポート」でーす!

パリが誇る世界一の美術館、ルーヴル美術館のシンボルと言えばガラスのピラミッド、その真下が美術館への入り口になっていることは多くの方々が知っている通りだと思うのですが、中で働いている我々スタッフの出入り口が何処にあるのかを知っている人はあまりいないのでは、、、と思います(っていうか、ルーヴルを訪れる日本人の99.9%は観光客なので、そんなこと知らなくても全く問題ないんですけどね)。

我々が美術館へのアクセスに使うのは主に2つ:

1つ目はRivoli通りに面したこの鉄格子を潜ったところ。

この柵を超えてスロープを下って行くと入口に辿り着きます(中に入るにはIDが必要)。

ちなみにこの鉄格子を挟んだ前の通りがフランス政府文化庁(みたいなの)になってて、ルーヴル美術館のアドミニストレーション関連部署は数年前までここの3階に入っていました。そしてもう一つの入り口がこちらです:

ガラスのピラミッドからナポレオン広場のアーチを潜ってSully翼へと抜けて行きます。

↑↑↑ちょうど僕が滞在している期間中はSully翼の中庭にルイヴィトンがパリコレの舞台を作っている最中でした。このガラスの箱の中をモデルさん達が歩く、、、みたいな感じになるらしい。

で、ここを抜けるとカルチェラタン方面へと通じる裏道になっているんだけど、セーヌ川へ出る直前、左手側にひっそりと佇んでいるこの扉こそ、いま僕が働いているオフィスへの通用口となっているんですね。もちろん中へ入る為にはID(フランス警察からの許可書などに基づいたもの)が必要で、入口は厳重な警備がされている&上階へはエレベータでしか上がれない仕組みになっている為、観光客や一般の人達が入るのはほぼ不可能となっています。

←この警備の厳重さ加減には正直ビックリしました。っていうか、かなりひいた(苦笑)。で、この入り口をはいって上階へ登ったところに展開しているのがこの風景:

じゃーん、本邦初公開のルーヴル美術館のオフィスでーす。とっても長—い廊下(笑)。丁度真ん中に位置しているエレベーターから見ても、行き止まりが霞んで見えそうな勢いです。

この長—い廊下の両側に天井の高—い部屋が幾つもくっ付いているのですが、ルーヴルってもともと王様の宮殿だったので、いまの時代の我々(平民)が慣れ親しんでいる部屋割りとはプロポーションが全く違ってですね、、、まあ、なんやかんやと不都合が出て来る訳ですよ。

例えば、ルーヴル美術館は建物自体がユネスコの世界遺産に登録されている為に、部屋の中をいじることがほぼ不可能という状況だったりします。そうすると、壁や天井裏をいじることが出来ない為に、夏は暑いからといってエアコンとかが設置出来ない訳なんですね(苦笑)。

←今年の夏は特に暑かったので、「夏場はどうだった?」って同僚に聞いたら、「仕事どころじゃなかった、、、」と、、、(笑)。そりゃ、そうだろうね!

さて、ルーヴル美術館で働いている我々スタッフには、専用のインフラが用意されていて、例えば、日々の食事なんかはどうしているかというと、ピラミッドの地下に社員食堂みたいなのがあったりするんですね。

ビュッフェ形式なんだけど、これが結構本格的で、こういうところを見ると、「さ、さすが美食の国、、、」とため息をあげざるをえません。で、最も驚くべきがその値段なんだけど、例えば今日のランチで僕が選んだのが、前菜(サラダ+生ハム)、メイン(魚のポワレ+ジャガイモのムース)+デザート(チーズの盛り合わせ)+カフェ+飲み物だったんだけど、そのお値段、なんと3ユーロ(350円)!えええええ、僕の朝食代(コーヒー+クロワッサン)より安い(笑)。

←同僚に聞いたところ、フランスでは会社に社員食堂が併設されている場合、社員の昼食代の何パーセントかを会社が負担しなければならない、、、みたいな法律があるらしい。

←さらに雇用形態(国家公務員、インターンなど)や役職(部長、平社員など)によって、各自が負担しなきゃならない割合が違ってくるらしい。もちろん下にいくほど安くなる仕組み。

←これ、全部同僚に聞いた話。毎日みんなでランチしてたから、フランスの社会保障制度などの大変込み入った話なんかを色々と聞いてしまった。

ランチの話が出たので、今度は朝食のお話を。地下鉄を乗り継ぐこと30分、オフィスに着いてから僕が毎朝一番にやっていること、それが仕事前の一杯のコーヒーです。で、僕のお気に入りのカフェがこちら:

じゃーん!デノン翼の2階に入っているMollienカフェ。このカフェ、一般には毎日9:45分から開いてるんだけど(ルーヴルの開館時間と同じ)、午前中はテラス席は開放されていません(テラス席は12時からです)。

そんな中、ルーヴル職員という特権を活かして9:15分頃に職員専用口から入って、9:30分頃から誰もいないこちらのカフェのテラス席でエスプレッソを楽しむのが何よりの楽しみ。

この風景を眺めながら美味しいコーヒーを飲んでいると、「さあ、今日も頑張るぞ!」という気になります(ボストンでいつも飲んでるアレは、コーヒーじゃないな、、、ということを再確認。なんだかよく分からないけど、「黒い水」、、、かなw)。

ちなみに午後の休憩に僕が良く使っているのが、リシュリュー翼の2階に入ってるこちらのカフェです。

先ほどのMollienカフェと丁度正反対に位置しているこちらのカフェは、ちょっと格式が高いっぽい(きちんとしたテーブルセットが並んでる室内のカフェ)なので、いつもは午後のコーヒー用に使ってたんだけど、先日たまたま日本からのお客さんと一緒にこちらでランチしてたら、その中の一人のかたが:

「あ、あれ、このカフェ、アンジェリーナじゃないですか!」

とか言われてて、、、もちろん僕は何も知らず、、、「え、アンジェリーナってなんですか?」って感じだったんだけど、どうやらモンブラン発祥のお店ということで日本ではかなり有名なんだとか。という訳で、良い機会だったので幾つか頼んでみることに:

で、食べてみた感じ、おおおおお、こ、これは、、、「大変美味しゅうございます!」ちなみに僕が試した中では、エクレアがとっても美味しかった。

で、ここからが今日の本題です(笑)。

今回の滞在ではセンサーをちょっといじくってセッティングを少し変え、その上で館内全域にてフィールドワークを実施したんだけど、パソコンを片手に歩き回る僕の姿はかなり異様だったことと想像します。

げんに何人かの来館者の方には、「あ、あなた、一体なにやってるの?」と声を掛けられ、見回りのスタッフには散々怪しまれました(もちろん、IDを見せれば納得してもらえる訳なんですが)。

こんなに怪しまれながらも、僕はこんなことを一体何の為にやっているのかというと、それはズバリ、「館内を訪れる来館者の方々の美術鑑賞の環境を少しでも良くしよう」と、博物館内の環境データを必死になって集めている訳なんですね。

逆にいうとこれは、ルーヴル美術館の来館者環境がそれほど悪化している、、、ということの裏返しでもあります。ルーヴル美術館に一度でも足を運んだことがあるかたはお解りだとは思うのですが、年間来場者数が800万人を超え、1日の来場者数が2万人を超える名実ともに世界No.1の博物館ですから、館内の混雑度といったら、我々の想像を遥かに超えている訳なんですよ。例えばこちら:

言わずと知れたモナリザなんだけど、この作品の前には朝から晩まで常に5重、6重の人垣が出来ていて、美術鑑賞なんてレベルのお話では全くない訳です。

ミロのビーナスの状況も酷いし、サモトラケのニケなんてもう「アイドルのコンサートか!」と思うくらいだったりします(苦笑)。この様な環境を少しでも改善する為、あらゆるところからビックデータを取得して解析してみたり、AIを使ってパターン抽出をしてみたりと、我々は日々模索している訳なんです。

で、実はここにはもう1つ大きな問題が潜んでいて、それが博物館や美術作品のメンテナンスをどうするか、、、という問題だったりするんですね。これだけ多くの来館者の方々が美術館に押し寄せてきてしまうと、個々の作品を修復するとか、少し劣化してきた壁の色を塗り替えるとか、その様な日々のメンテナンス作業さえ困難になってきてしまう訳です。

そこでルーヴルが去年あたりから導入したのが、各セクションを曜日ごとに閉鎖するっていうアイデアだったりするのですが、これはこれで厄介な問題を引き起こしつつあります。

例えば、現在ルーヴル美術館では水曜日がエジプト部門、木曜日はフランス部門の一部を閉鎖しているのですが、つい先日も僕が展示室の椅子に座っていたら、僕が付けているバッチ(ID)を見た来館者のかたが:

「あのー、ちょっとお伺いしたいんですが、せっかくナポレオンの部屋を見に来たのに、今日はお休みって、どういうことですか?」

とか聞かれる訳ですよ。

←うーん、難しい問題です、、、としか言いようがないかな。。。

さて、これら曜日ごとの閉鎖に加えて、ルーヴル美術館が館内全体でメンテナンスを行う日があります。それが毎週火曜日です。

その日ばかりは、いつもは混み合っているガラスのピラミッドの周りにも殆ど人がおらず、非常に穏やかな雰囲気に包まれているんですね。そんななか、館内はどうなっているかというと、実は館内スタッフの動きが一番慌ただしくなるのが火曜日だったりします。

なぜか?

なぜなら週に1日しかないこの日を使って1週間の汚れを落としたり、壊れた箇所を修繕したり、はたまた作品の修復をしたりと、普段はおっとりしているスタッフの皆さんも、この日ばかりは真剣そのものだったりするからです。

かくいう僕も、来館者の皆さんがいないこの日のうちにやらなければならないこと、この日じゃなきゃ出来ないことが山ほどあり、火曜日ばかりは朝からゆっくりとコーヒーを飲んでる場合じゃあなかったりします。

↑↑↑彫刻の間に置かれている植栽に水をあげています。

こんな天地がひっくり返るほど大忙しの火曜日なのですが、我々スタッフにとって一番幸せで、「ここで働いていて良かった」と、そう思える瞬間を迎えられるのも火曜日だったりします。その理由がこちらです:

そう、誰もいない博物館。美術作品を独り占め出来る時間、、、我々スタッフにとってこれほど嬉しいひと時はありません。普段は来館者で溢れ返ってるイタリア・ギャラリーも火曜日だけはこんな風景が広がっています:

この回廊はもともと、王様の息子たちが狩りの練習などをして遊んでいた回廊だったらしいのですが、いまではレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなど、ルーヴル美術館の中でも超人気スポットとなっています。普段はお祭り騒ぎのサモトラケのニケも火曜日だけはこんな感じ:

誰もいません。ガラスのピラミッドのデザインと共に、この美術館の改修を担当したI.M.ペイ氏は、「サモトラケのニケという作品を空間的にどうドラマチックに持っていくか、フォーカスしていくかに最も心を注いだ」と、後にそう語っています。まさにその真意が垣間見える瞬間です。

普段は来館者の姿で視線が遮られてしまうダル・ギャラリーからサモトラケのニケを見通してみます。

荘厳な大階段の頂上に、あたかも天上界からの光が指すかのような、そんな演出が大成功しているように見受けられます。そして今度はこちらです:

ルーヴル美術館で1,2を争う人気作品、ミロのビーナスです。ピラミッドから入ってSully翼を抜けエジプト部門のスフィンクス、そしてそこから続くギリシャ彫刻部門は館内でも最も混雑する回廊として知られていて、そのクライマックスにあるのがこのミロのビーナスだったりするんですね(上の写真)。それが火曜日にはこうなります:

静寂が支配する空間です。「美術鑑賞ってこういう風にするべきなんだよなー」という当たり前のことを思い出させてくれます。そして来館者の姿がないからこそ、ミロのビーナスのベストショットを見つけることも出来ちゃったりします:

来館者がいては絶対に撮れない一枚、アテネ象を始めとする数々のギリシャ彫刻の隙間から、あちら側にミロのビーナスを見通すパースペクティブです。

そして、そして、ルーブル美術館と言えば勿論こちら:

モナリザです。ルーヴルの代名詞といっても過言ではないモナリザの部屋は、人垣が5重、6重に出来てしまっていて、絵画を鑑賞する、しないどころの話ではありません。

これはちょっと、、、ひどい(上の写真)。しかしこの状況が火曜日にはこうなります:

誰もいません。もうちょっと近づいてみます:

多分、この瞬間、僕は世界で一番幸せなひと時を過ごしている人間、、、とそう言うことが出来るかもしれません。モナリザを独り占めしているのですから。

昨日まではあんなに小さかった絵画が、いまはこんなに近くにあります。そして写真ではなく本物をこんなに間近で見られる幸運。筆使いの1つ1つまで、はっきりと見分けられるほど、近くに寄ってじっくりと鑑賞できる喜び。

この風景を一体何人の日本人が見ることが出来たのだろう。

芸術鑑賞とは、一人一人が作品と真に向かい合う時間のことを指すのだと、今回の滞在ではっきりと再確認することが出来ました。そして僕たちがやっていること、日々格闘していることは、一人でも多くの来館者の方々に、このような素晴らしい美術体験、博物館体験をしてもらい、一人でも多くの方に美術や芸術を通して心豊かになってもらうこと、幸せになってもらうことなのです。

追記:710

07/07/2019-07/09/2019、ルーヴル美術館で開催された「ビックデータと美術館」と題する国際ワークショップで基調講演をしてきました。「AI、ビックデータ、美術館」というキーワードで世界的な潮流を作り出していこうという意図のもと企画された今回の国際ワークショップ、ルーヴルを始め、地元からはソルボンヌやマルセイユ大学、英国からUCLなど、この分野で頭角を現し始めているリサーチャーが集まっていました。

パリ滞在は半年ぶりな上に、ノートルダムの大火災後初のパリ訪問だったので、とりあえず大聖堂がどんな感じになっているのか、真っ先に観に行きました。これが現在の姿です:

大屋根がごっそり抜け落ちて、足場などが組み上げられている様子が伺えます。

大型クレーンなんかも何台も動いていて、かなり大規模に修復工事が進められています。もうちょっと近づいてみます:

伝統的な石造りの様式と、繊細な線で構成されている足場などが相まって、これはこれで良い感じのデザインじゃないのかなー、、、とか思ったりして。

正面は全く変わらず。

ただ、今回の火災の為に、現在は内部は立ち入り禁止でした。ここの内部空間はパリ建築の中でも必見なので、それだけは非常に残念!

そこから歩いてカンファレンスが行われるルーヴル美術館へ。朝8時くらいに館内へ入って、終わって出てみたらもう20時だった(涙)。

だた、パリにおけるこの時期の20時ってまだまだ明るくて、日本の夕方っぽいので夜はまだまだこれから、、、っていう感じかな。ガラスのピラミッドも夕日に照らされて、幻想的ですらあります。

そこから歩いて15-20minくらいのところにあるポンピドゥー・センターへ。個人的には、ここからの眺めが一番好きかな:

旧市街からチラッと顔を出すハイテクテクノロジーのデザインの登場〜。

そしていつ来ても、この中庭空間が非常に気持ち良く使われているのが嬉しいですね。

そしてパリ市内が一望出来る上階からの眺めは最高の一言:

絶景かな、絶景かな。

今回ルーヴルが取ってくれたホテルが、パンテオンの近くで、「な、なんでかなー?」とか思ったら、2日目のミーティングがどうやらソルボンヌ大学(パンテオン・ソルボンヌ)であるからだということが判明。

歴史ある大学だけあって、構内のデザインも歴史を感じさせます。そして今回のパリ滞在で僕が一番驚いたのがこちらです:

じゃーん、言わずと知れたジャン・ヌーベルのカルティエ財団なのですが、なんとなんと、来週から始まる「樹木の展覧会」の為に、樹木が至るところに植えられて、それが街路の樹木と相まって、まるで建築が消えているかのような、そんな幻想的な風景がここには立ち現れています。

これは、、、ちょっと面白いぞー。もともとこの建築のエッセンスは、ガラスとガラスの間に建築を置くことによって、その存在を消す、、、みたいなところにあると思うのですが、内部に樹木を植えることによって、それがファサードに映り込み、さらにその映り込みが街路の樹木のものなのか、内部のものなのか、そのインタラクションによって建築が一段と消えている、、、と、そういうことが出来るかと思います。

テーマとしても面白いし、これは実際に訪れてみたかったなー。

来週からパリに行かれる人は必見です!

| 大学・研究 | 05:52 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
まちづくり・建築におけるAIの可能性:緑被率プロジェクト:神戸市編

今月号の「建築雑誌」に「まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?」と題した記事を書かせて頂きました。

AIブームの真っ只中、連日メディアを賑わせているAI(人工知能)なのですが、僕がいるMITは世界的に見てもAIの中心地であり、AIに関するテクノロジーが次々に生み出される聖地の一つと見做されています。

つい先月も、AIに関する新しい研究所を創設するという発表をしたばかりで、今後10年間でIBMが260億円相当の投資をするそうです(興味のあるかたはこちらのリンクをどうぞ)。でも、僕がもっと驚いたのは、IBM側からこの話を持って来てそれをまとめたのが、友達(MITで僕が初めて知り合ったアメリカ人で、それ以来最も親しい友人の一人)のお母さんだったことかな(笑)。創設記念講演会&パーティーに行ったら、「cruasan君—」みたいに声を掛けられて、「あー、A君のお母さんじゃないですかー。お久しぶりですー。」って立ち話をしてたら、どうやら彼女が今回のキーパーソンだったことが判明(驚)。「そ、そっかー、そういうこともあるかなー」っていう嘘のような本当の話ww

そんなこんなでうちのラボにもそれこそ毎日のようにAI目的の来客が絶えなくって、その度に「AIとまちづくり」というテーマでお話をさせて頂いているのですが、最近「ハッ」と気が付いたことがあります。それは、「世間一般のAIのイメージが二極化していること」なんですね。特に建築や都市計画に携わっている人に限って言うと、AI=(1) 自動運転、(2) 碁、(3) AIに職を奪われる悲観論、みたいな感じで綺麗に分かれると思います。で、もう少し勉強している人になってくると、ここにBIMみたいなのが入ってくる、、、という感じでしょうか。

別に僕はこの状況を批判しようとか、それが悪いと言ってる訳では全然なくて、逆にデータサイエンスからかなり遠いところにいる建築や都市計画、都市デザインの方々がAIやIoTに興味を示してくれるだけでも、それはそれでかなり嬉しい状況だとは思うんだけど、AIやIoTの可能性はずっと幅広くて、もっともっと色んなことが出来る、、、と、そうも思っています。

今回僕が書かせて頂いた記事は、その様な可能性を抽象的な議論ではなく、具体的に進んでいるプロジェクトとして出来るだけ分かりやすく日本の方々にお伝えしようと思い書いてみました。そしてその発刊と同時に、MITで僕が関わっている、AIを駆使した「まちづくり系のプロジェクト」の一つ、Treepediaのデモを神戸市を事例に作ってみたというオマケ付きですw

このプロジェクトの本質は、「都市の何処にどれだけの緑や植栽が存在しているかという情報をビックデータとして収集、分析すること」です。

今更言うまでもないことですが、都市におけるグリーンインフラというのは、生活の質を測る非常に重要な要素の一つとなっています。ゆえに何処の都市でも「緑被率」みたいなデータを持ってはいるのですが、伝統的にこのようなデータは市役所の方々や調査員の方々が紙と鉛筆を持って都市内を歩き回り、手作業で地道に一つづつ木の位置を確認していく、、、という手法が用いられてきたんですね。もしくは空から都市を捉えた航空写真を使って、「あ、この辺は緑が多いな」とか確認するのが典型的な手法だと思います。

しかしですね、人の手に頼っていると、手間暇が掛かり過ぎる上に、サンプル数が非常に限られてきてしまいます。反対に、航空写真は空から撮った写真なので、我々が都市を実際に歩いて感じる印象とは全く違った風景データとなってしまいがちなんですね。いま必要とされているのは、歩行者目線で見える風景を、ビックデータとして収集する技術であり、その為に我々が編み出したのが、AIを使ったデータ収集法なのです。

この技術がどうなっているかを簡略的に説明すると、まずはOpen Street MapからStreet Networkを土台に調査区域を区切ります。そのエリアからStreet Networkに沿って撮られた写真(Google Street Viewにアップされている写真)を収集します(テクニカルに言うと、だいたい何処の都市もGoogle Street Viewでカバーされているので、都市部だったら大抵のところからは写真を持ってこれる状況となっています)。また、Google Street Viewの良いところは、Google Carに搭載したカメラで写真を収集しているので、カメラの位置がほぼ歩行者目線だというところです。それらの写真を収集しつつ、今度はニューラルネットに「その写真に一体何が写っているのか?」を教え込みます。

最近のコンピュータというのは非常に面白くて、彼らは一度教えると、そのあとは勝に学習して賢くなっていくんですね。例えば、「この写真に写ってるのは車だよ」とか、「これは空だよ」とか教えてやる訳です。その上で、そういうサンプルを何千枚と見せてやる。そうすると、認識率がどんどんと上がっていって、最終的には写真に写っているものをきちんと判別出来る様になる訳です。

では、これらの技術をどう使うのか?

我々の場合は、「この写真に写っているのは「木だよ」」と教えてやる訳です。その上で、先ほどネットから入手した都市の写真を放り込んでやると、位置情報付きの都市の緑被率マップが自動的に出来上がると、そういう仕組みになっています。

もちろん実際はこんなに単純ではないし、現場ではもっと泥臭いことをやっていたり、色々と違うコードを試したりしているのですが、基本的な方向性はこんな感じかなー。で、出来上がった生データがこちら:

オレンジ色の線に見えるところが、今回のデータ解析に使った写真が撮影されたポイントです。街路に沿って何万という撮影ポイントが帯を成し、それが街路を形成しているのが見て取れます。

Google street viewは写真データを常にアップデートする為に、年間を通してカメラ搭載車両(Google Car)を走らせています。故に、都市によって写真が撮影された時期が違ったりするんですね。ということは、例えば1月に撮った写真を使った場合と、7月に撮った写真を使った場合とでは、緑被率にバイアスが掛かってきてしまいます。1月は7月に比べて葉っぱが少ないですからね。それを確認する為に、「何月に取られた写真をどれくらい使ったか?」という結果も自動的に出るようにしました:

神戸の場合は4月の写真が多いようです。

この手法の良いところは、世界各国の都市間での緑被率が科学的に比較出来る点にあります。また、AIにやらせているので、一度設定すれば、あとは勝手にやってくれたりします(とは言っても、まだまだ手間暇は掛かりますが、、、将来的には全自動洗濯機のように、全て自動化する方向で我々は動いています)。 これがこのプロジェクトの概略であり、建築雑誌の短い記事には書き切れなかった追加情報です。

さて、こんな感じでMITではAI全盛期を迎えているのですが、そんな環境にどっぷりと浸かっている僕が最近思うことが以下の2点;

1つ目は、今後の建築・都市計画界隈とAIやIoTをめぐる環境について。これはもう、きっぱりと二極化すると思うのですが、AI(人工知能)やデータサイエンスを使える研究室、企業、もしくは建築事務所と、それらが全く使えない・導入出来ないところとでは圧倒的な差が出てくるだろうということです。

何度でも書きますが、AIやIoT全盛期における我々建築家の一番の問題点は、建築家はデータを扱うことやコードを書くことが苦手な職種だということに尽きます(地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由)。こう書くと、「じゃあ、外注すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうなのですが、データというのは自分の手で触って分析しているうちに、「あー、こうなっているのか」とか「あー、こういう可能性もあるんだな」と、段々と分かってくるものなので、その過程を外注したり、そこだけコンピュータサイエンス学部の人達とコラボしても、それは片手落ちにしかなりません。

その間に立てる人材が世界的に見ても圧倒的に不足していて、これから20年くらいは、そういう人材に世界の投資が圧倒的に集中する状況となって来るだろうし、もう既にその兆候は見え始めています(日本ではどうなっているのか知りません)。

2つ目は、リベラルアーツに代表される基礎教養が益々重要になってくるだろうという点です。僕は2011, 2014年とMITに滞在する機会を得たのですが、その時はIoT全盛期でした。どこもかしこもIoT、つまりはセンサーだったんですね。まあ、僕の目から見ればIoTというのは、全てのモノをデータ化する技術であり、そこから得られたビックデータを解析する技術がAIやディープラーニングだったりするのですが。。。

で、今回(2017年)来てビックリしたのは、あれから3年も経ってないのに、MITの学内の雰囲気がガラッと変わっていたことでした。いまでは右を見ても左を見てもAIだらけです。

このように技術というのはものすごいスピードで変わっていきます。MITの凄いところは、そんな目まぐるしく変わりゆく技術だけを教えるのではなく、その環境に対応する為の教育を何十年も前から行っている点なんですね。そしてその教育方針こそが、MITを世界最高峰の工学系大学にしているエッセンスだと僕は思うのですが、この話をし出すと長くなるのでまた今度。今回は問題を少し簡略化して、そんな環境の中において建築家である僕が「なぜ今日まで生き残ってこれたのか?」と問うてみることにします。

それはですね、うわべの技術を追い掛けるだけではなく、「その時々の技術革新に合わせた適切な設問を作り出すことが出来ているから」だと、僕は勝手に自己分析しています。そして「そういう設問を、案外みんな作れないんだなー」ということに最近気が付きました。

ではなぜ僕はそれが出来ているのか?

それは僕のプロフェッショナルキャリアの最初期に、大変質の高い論客たちと、それこそ夜が更けるまで散々議論出来たこと、バルセロナという公共空間の中で、都市問題を「体験として」自分の中に蓄積できたことが大きいかな、、、と、そう思います。

この辺りのことやMITのリベラルアーツ教育については、以前のインタビュー記事に掲載されているので、興味のある方はこちらをどうぞ(下記は抜粋です):

僕がバルセロナに行った2001年というのは、イグナシが立ち上げたプログラムや彼の影響力が非常に強く残っていて、バルセロナがヨーロッパの知のハブとして機能している時期でした。いまとなっては大御所になってしまった、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やデヴィット・ハーベイ(David Harvey)、ジョン・アーリ(John Urry)などは頻繁に来ていましたし、マニュエル・カステル(Manuel Castells)はバークレーからバルセロナに戻って来ている時期でした(地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。マスタークラスの同級生には、のちに『俗都市化—ありふれた景観 グローバルな場所(昭和堂)』を出版することになるフランチェスク・ムニョス(Francesc Muñoz)がいましたし、「ジェントリフィケーション」という聞き慣れない現象を熱く語っていたニール・スミス(Neil Smith)とは、夏のあいだ頻繁に飲みに行っていました。

…中略…

MITの教育方針を見ていると、単に科学技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている感じがしてなりません。つまり、単に街角にセンサーを取り付けて終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのです。技術ありきではなく、先ずはそこを深く掘り下げているからこそ、科学技術の限界とその可能性への探求といったアプローチが出てくるのではないでしょうか。

とにもかくにも、MITの緑被率プロジェクト、最初の日本都市の事例でした。

←おめでとー。

←パチパチパチー。

| - | 07:41 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
日本では報道されないバルセロナの同時多発テロの背景について

先週木曜日(08/17/2017)、観光客で溢れるバルセロナの中心街ランブラス通りにワゴン車が突っ込み、死者13人、負傷者100人以上を出す大惨事が起こってしまいました。その数時間後、今度はバルセロナから車で1時間ほど南下したところにあるリゾート地、カンブリス市(Cambrils)にて同様の事案が発生し、警察は5人の容疑者を射殺。また、バルセロナから内陸へ車で1時間ほど行ったところにあるビック市(Vic)にて関連すると思われるワゴン車が見付かっており、警察は今回の事件を周到に準備されたテロと断定し捜査を進めています。今回の事件は、2004年に191人が犠牲となってしまったマドリードの列車爆破テロ以降、スペインで最悪の犠牲者を出す結果となってしまいました(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

事件の詳細については日本でも各種メディアが取り上げているので、そちらを見て頂くこととして、当ブログではそこには出てこない情報や、僕の観点から見た今回の事件の背景などを少しメモ代わりに書き留めておこうと思います。

先ず僕がこの第一報を聞いたのは、ボストン現地時間の木曜日のお昼頃のこと、TwitterにLa Vanguardia紙の緊急ツイートが流れてきた時でした。その時はMITの研究室にいて、とあるプロジェクトのミーティング中だったのですが、この事件の異常性に直ぐに気が付き、そのミーティング中もずっとEl Pais紙とLa Vanguardia紙のホームページを眺めていたんですね。

その時点では(つまりは事件発生から30分後)、La Vanguardia紙は「テロリストによるもの」という報道をし、El Pais紙は「テロかどうかはいまだ不明」としていました。個人的に(そして多くのスペイン在住の知識人達もそうしていると思うのですが)、新聞記事の質としてはEl Pais紙の方が他のどの新聞よりも圧倒的に上な為、El Pais紙の報道状況を見た上で、その事件の詳細を判断する様にしています。

事件当初の報道では、犠牲者は2人であり負傷者も少数という感じだったのですが、時間が経つにつれ、その数がどんどんと増えていき、最終的に13人にまで膨れ上がりました。また事件の動画が次々とアップされるに従い、今回の事件がかなり大規模であることなどが分かってきたんですね(日本とは違い、スペインでは死者や負傷者などもモザイクを入れることなく新聞社のサイトにアップされます)。またこの時点では、「ボケリア市場で銃撃戦があった」だとか、「犯人は人質をとって近くのバルに立てこもり中」だとか、とくかく様々な憶測や情報が錯綜していた状況でした。

これらを一番最初に耳にした時、僕が思ったことは、「何かおかしいな」という違和感でした。というのも、「なぜこの時期にテロ?しかもランブラスで?」と思ったからです。

実はバルセロナでは先々週から空港のセキュリティ会社が断続的なストを敢行していて、先週の月曜日からはそのストが24時間体制で行われていたんですね。当然バルセロナ空港は大混乱に陥り、その緊急対策としてスペイン警察が多数補助に入っているという状況でした。つまりは「通常よりも多くの警察がバルセロナ近郊に待機している」という状況だった訳です。勿論、このことはテロリスト達も承知していた訳で、「そんな状況でテロなんてやるかな?」と思ったんですね。

空港がストをしている関係で、街中(特にランブラスなど)には通常よりも多くの観光客が集まりやすい、、、ということは確かに言えるかもしれなくて、そうするとテロリスト達にとっては好都合(より多くの人を殺傷することがテロの目的の一つだとするならば)だったかもしれないけれど、ランブラス大通りには通常モードでも十分過ぎるほどの観光客が集まっているので、そこに少しぐらい観光客が増えたとしても、そんなに影響力は変わらないんじゃないか、、、と思います。

それよりも、バルセロナ近郊に通常よりも多くの警察が配置されているということの危険性の方が、彼らにとってはより重要なのではないか、、、つまりはそんな状況の中で、「なぜ彼らは今この時期にテロをしなければならなかったのか?」、別の言葉で言うならば、「彼らには今テロを実行しなければならない、何か別の理由があったのではないか?」、というのが、僕が最初に感じた違和感でした。

そしてもう一点。なぜ犯人達はランブラスを狙ったのか?確かにランブラスはバルセロナの観光名所の一つであり、上述した通り、特別イベントの有無に関わらず、常時「歩行者でごった返している」ということを考えると、テロの標的としてはこの上ないとは思います。しかし、それだったらサグラダファミリアの方が効果的なのでは、、、とか思ったりする訳です。メディアの見出し的にも「バルセロナのランブラス大通りでテロ」よりも、「サグラダファミリアでテロ」の方がインパクトがありますからね。

更に不可解だったのは、その後犯人達が逃げたルートが、北ではなく南だったという点について。事件発生から数時間後には犯行グループの一人が使用した車が、バルセロナ郊外のSant Just Desvern(ボフィールのWalden7の前あたり)で見つかっています。ここから分かることは、犯人グループは南へ逃げようとしていたという事実です。普通、バルセロナでテロなどを起こしたら、逃げ道としては南ではなく北を選ぶのが妥当なんじゃないかなー。確かにアンダルシアからモロッコへという道もあるだろうけど、フランス国境を経てヨーロッパへという経路の方が逃げ延びる可能性があるのでは、、、とか思うんですね。

これら3点が僕がこの事件を聞いた時に瞬時に感じた違和感でした。そしてそれらの違和感は、今日(日曜日)のEl Pais紙とLa Vanguardia紙を通した報道を見るに付け、色々と腑に落ちる状況となってきています。

先ず今回の事件の主犯格は、な、なんと、Ripollのイマーム(イスラム教の指導者の意味)だという報道がされています。カタルーニャ、もしくはスペインの歴史を少しでもかじったことがある人なら、「Ripollのイマームかー」と言う感じでしょうか。。。

彼の表の顔は、近所にも評判が良いごくごく普通のイマーム。しかしその裏の顔は、イスラム過激派に属していた人物だったそうです。その彼が、地元の若者数名を洗脳し、テロリストへと仕立て上げていったのでは、、、、というのが現在の警察の見方です。今日の新聞にはそれら若者の家族のインタビュー記事などが掲載されていたのですが、家族は全く何も知らなかったこと、そんな仕草さえも全く見せなかったことなどが強調されています。

そしてそのイマームは度々南の方に旅行に行っていたらしく、カタルーニャとバレンシアの国境付近に位置する人口1万人弱の小さな村、アルカナー村の一角にあるアパートを1年ほど前から占拠していて、そこが今回のテロリスト達のアジトだったということが分かってきました(テロが起こるまで、そこを占拠しているのが一体誰なのかは誰も知らなかったし、そんなことは村の住民も気にもしていなかったそうです)。彼らはそこを爆弾などを作る実験室として使っていたそうなのですが、実は今週水曜日の夜にそのアパートが原因不明のガス爆発により吹っ飛んでいて、2人が死亡、1人が重傷を負っています。死亡した内の1人が、上述したリポイのイマームだと見られていて、警察がいまDNA鑑定などをしている真っ最中です。また、このイマームはブルッセルなどにも度々旅行に行ってることなどから、そこにも何らかの繋がりがあるのではと見られています。

ここまで分かってくると、冒頭で僕が感じた「違和感」にもかなりのヒントが示された気がします。

先ず、「警察がウヨウヨしているこの時期に、なぜテロリスト達はテロを実行しなければならかったのか?」

それは、水曜日の夜の時点で、主犯格の男(つまりはリポイのイマーム)が不意の事故により死んでしまったからです。この事故はテロで使うはずだった爆弾を作っていて誤って爆発したと見られています。この事故によりリーダーを失ってしまったこと、そして時間が経てば経つほど、その爆発の詳細を警察が調べることにより、一年前から着々と準備していたテロとの繋がりがバレてしまうのでは、、、という焦り。

上述した様に今回のテロは前々から周到に準備されたものだったことは間違い無いのですが、それが直前になって、「そうせざるを得なかった」という事情がどうもある様に思えるんですね。つまり彼らはいまこの時点でテロを起こさずにはいられず、それが計画性のない現場のドタバタ感に現れていると読むことが出来るのです。

そしてこのことが2点目の疑問にも答えを与えてくれます。「なぜ犯行グループはサグラダファミリアを狙わなかったのか?」。現時点で報道されている記事を読むと、犯行グループは「サグラダファミリアを当初からテロの標的にしていた」らしいのですが、水曜日に起きた事故によって彼らは仕掛けるはずだった爆弾を失っています。それが最終的にサグラダファミリアでの爆撃がなかった理由だということが分かってきました。

そして最後の疑問、「なぜ彼らは北ではなく南へ逃げたのか?」について。それには2つの可能性があって、1つ目は彼らの本拠地が南にあったからという点、もう1つは(上述した様に)「彼らの犯行はよく考えられたものではなく、行き当たりばったり感満載」だという点です。

先ずバルセロナから市内を通らずに逃げる為には山側の環状線か海岸沿いの環状線を通って高速に乗るしかありません。しかし今回の事件が起こってからの警察の動きは素晴らしく、既に両環状線は封鎖されていました。

ランブラスを迷走した犯人はその後ワゴン車を乗り捨て、近所をたまたま走っていた車を止めて運転手を殺害し車を奪い逃走。Diagonal大通りを北上したのですが、そこを検問していた地元警察に尋問され掛かったところを強引に突破。近郊の町(Sant Just Desvern)で車を乗り捨て逃走しています。つまり犯人はDiagonalから南へ、もしくは内陸部へ逃げようと計ったのですが、この逃走ルートは果たして最適だったのか?という疑問です。これも「事前にあまり計画されず、行き当たりばったりで行われた」と考えれば合点がいきます。

今回のテロでは、100名以上にも及ぶ被害者・負傷者が出てしまい、上述した様に2004年のマドリード以来の大惨事になってしまった訳なのですが、それでも様々な幸運が重なり、それは最小限に食い止められた、、、と言うことが出来るかと思います。当初の予定通り、サグラダファミリアが爆破されていれば、もっと多くの犠牲者が出ていたことは容易に想像出来ますし、今回の事件に爆弾が使われなかったことも不幸中の幸いだったと言えます。

それにも増して素晴らしかったのは、カタルーニャ警察とスペイン警察の迅速な対応です。また、日本では全く報道されていないし、その存在さえ知られていませんが、バスクの警察、Ertzaintzaが今回の事件に多大なる貢献をしてくれたことが大変大きかったと思われます。バスク警察のテロに対する知識と経験は確実にワールドクラスです(地中海ブログ:速報:バスク地方の独立を目指す民族組織ETAがテロ活動を永久に停止すると発表)。なんせ、長年ETAと戦ってきた実績がありますからね。そのバスク警察との連携により、今回の事件がかなり早い段階で解決できたことは強調してもし過ぎることはありません。

これが現時点で分かっていること、そして日本では報道されていない今回の事件の背景です。

昨日(土曜日)、スペイン国王夫妻がバルセロナを訪れ、テロ現場や負傷者を訪問している姿が映し出されていました。また、今日(日曜日)はサグラダファミリアでミサが行われ、来週土曜日には「我々はテロには屈しない」という意味合いの、「なにも恐れない(No tinc por)」を合言葉に、市内を練り歩く大行進が予定されています。

そう、これがバルセロナの強さであり、バルセロナの底力なのです。 バルセロナの1日も早い復興を心から願っています。

追記1:

今回の事件でランブラスで犠牲になってしまった観光客は世界35カ国から来ていて、それ自体がバルセロナという街が如何にコスモポリタンな都市に成長したかと言うことを表していると思うのですが、その一方で、地元ではカタルーニャ州政府がカタラン人の犠牲者をスペイン人の犠牲者と別枠でカウントしていることが問題となっています。これはつまり、「カタルーニャは独立国家だ」と言いたいんでしょうが、この様な緊急事態に政治を持ち出すのはどうかな、、、と個人的には思います。もう一つちなみに、上述の空港のストですが、セキュリティ会社は「今回のテロで、早く家に帰りたい被害者の方々もいるだろうことを考えると、我々はストなどしている場合ではなくなった」という理由から、空港は通常モードに戻っています。

追記2:
今日の新聞(08/21/2017)によると、犯人はボケリア市場付近でワゴン車を乗り捨て、そこからZona Universitatまで歩いて移動。そこで停車中だった車の運転手を殺害して車を奪い逃走、、、ということでした。

追記3:
月曜日(08/21/2017)の16:10時頃、バルセロナから内陸へ1時間ほど行った所にある村、Subiratsにて、爆弾らしきものを腰に巻き、銃を持った犯人らしき男を地域住民が発見、警察に通報。17:05時頃、警察に対して発砲を始めた為、犯人を射殺したそうです。

| - | 07:00 | comments(8) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
TBSの「セカイはいま、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」について思うこと。

なんか先週、TBSで「セカイは今、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」という番組が放送され、それが結構な反響を呼んでいるということで、僕のところにも各種メディアや自治体、研究者の方々などからの問い合わせが殺到しています。

バルセロナの観光政策とその行き過ぎた成功、そしてその結果引き起こされている市民生活への弊害については当ブログでは度々指摘してきたところです。下記に纏めておきましたので、興味のある方はこちらをご覧下さい:

観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来

観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側

都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)

エンターテイメント社会におけるチープ観光がもたらす弊害:観光のローコスト化による観光客の質の変化:Salouの場合

「観光が引き起こす弊害」という問題については、もう既に2008年の段階でその兆候が見えていました。今から10年も前のことです。更に言えば、2年前には横浜にて「バルセロナの失敗から学ぶ観光政策」というシンポジウムを開催したのですが、時期が早過ぎたらしく、「2020年の東京オリンピックに向けてインバウンドを目指してるのに、なに言ってるんだ、この人は?」みたいな感じで殆ど誰も理解してくれませんでした(苦笑)。そんな中、唯一興味を持ってくれたのが、国際大学GLOCOMの庄司さんで、翌年のバルセロナ・スマートシティエキスポにまで足を運んでくれたり、僕がコーディネートしたバルセロナ市役所副市長や幹部クラスとのスペシャル・セッションの最中も熱心にメモを取られたりと、「あー、さすがだなー」と思わされたりしたのは良い思い出です。

まあ、僕に言わせれば現在のバルセロナが観光に成功し過ぎてしまって、その弊害が出始めるだろうなんてことは、論理的に考えていけば普通に導き出せる答えだったので、そんなに驚きではないのですが、TBSもどうせだったら現在のバルセロナがその弊害に対してどういう対応策を考えているのか、「どの方向に舵を切ろうとしているのか?」など、そういうところまで踏み込んで取材してくれれば良かったのに、、、と個人的には思います。

ちょっと意地悪なことを言ってしまうと、今回のTBSの元ネタは上述した僕のブログだということは丸分かりで、放送された最後のコメント、「オリンピックを控えた日本では外国からの観光客の誘致を進めていますが、観光客を増やすことだけを優先してきたバルセロナの失敗から学ぶべきことは多いと感じました」っていうのは僕のブログ記事そのままですからね(笑)。っていうか、ネタは丸パクリって分かってるんだから、最後の表現くらい変えればいいのに、、、(苦笑)。

バルセロナの名誉の為に少しだけ補足しておくと、一応この分野では世界トップを走っている都市なので、「観光客にやられっぱなしで黙っている」なんてことはしていません。僕の目から見ると、むしろかなり積極的に革新的な政策を打ち出しています。バルセロナの背後で都市戦略を創っている人達も勿論知っていますし、彼らは来月ボストンに来て僕と色々と打ち合わせをすることになっていたりもするんですよねー。

我々の世界は常に動いていて、状況は刻一刻と変わっていっています。そこに見えている表面的な変化ではなく、もっと深いところにある構造的な変化を敏感に察知しながらも、そこから常に5年先、10年先の都市の姿を想像すること。その想像に基づいて、いまから打つべき最善の手を創造できる人達が少なからずいるということ。

そのような「想像力」と「創造力」が必要な時代に、我々は突入しているのです。

P.S.

最近は夏休みということもあって、MITには小中高校生がひっきりなしに観光に来てるんだけど、先日廊下を歩いてたら、やたらと「写真撮らせて下さい!」リクエストが多い日がありました。最初は何が起こったのかさっぱり分からなかったんだけど、写真を撮った後に何気なく聞いてみたら、「科学者(サイエンティスト)とピカチューのギャップが面白かったから」とか言われてしまい。。。

それでもなんの事か良く分からなくて、、、突っ込んで聞いてみたら、どうやらその日僕が着てたTシャツがピカチューだったらしい(驚)。「え、そ、そんな筈は無い!」とか思って、トイレに行って鏡を見てみたら、「ほ、ほんとだー。ピカチューだ!!」。

い、いや、このあいだ偶々ユニクロに行った時に適当に黒いTシャツを選んで買ったら、それが任天堂とのコラボTシャツで図柄がピカチューだったみたいです(笑)。 言われるまで全く気が付かなかった(汗)。

ちなみにMITの研究室の多くはこんな感じでガラス張りになってて、檻の中に閉じ込められている我々の姿を「まるで珍しい生き物が生息しているかの様に」観光客の皆さんが覗いていきますww

| 都市戦略 | 08:24 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと

所用の為に、スペイン北部(バスク地方)のビルバオに行ってきました。

「ビルバオ」と聞いて多くの日本人の皆さんが思い浮かべるのは、奇抜な形態で世界的に有名なグッゲンハイム美術館ではないかと思います。建築家フランク・ゲーリーがデザインしたあの独特な形態と、鈍く光るチタニウムに包まれた外観、そんな摩訶不思議な建築が、重工業で廃れた街を蘇らせたというシンデレラストーリー。

ビルバオの都市再生については(バルセロナの都市再生の事例と共に)、当ブログでは何度も扱ってきたので再度ここで詳しく取り上げることはしません(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。ただ一点だけ強調しておくと、ビルバオはグッゲンハイム美術館だけで蘇ったシンデレラ都市ではありません。そうではなく、バスク州政府やビルバオ市役所などが何年も練ってきた都市戦略と都市再生計画、それらの上に細心の注意を払いながら乗せられたもの、それがゲーリーによるグッゲンハイム美術館であり、ビルバオ都市再生の骨子でもあるんですね。

極端な話、ゲーリーによるグッゲンハイム美術館が無かったとしても、僕はビルバオの都市再生は成功していたと思います。そしてこの点にこそ僕は「都市に対する建築の可能性」を感じてしまう瞬間はありません。 ←どういうことか?

上述したようにビルバオは決してゲーリーのグッゲンハイム美術館だけで再生したシンデレラ都市ではありません。←ここ、本当に大事です!←テストに出ます(笑)。

しかしですね、いまではビルバオに住んでいる誰もがグッゲンハイム美術館のことを知っていて、(ビルバオに実際に行けば直ぐに分かることなのですが)この地では子供からお年寄りまで、誰もがグッゲンハイム美術館のことを嬉しそうに語るんですね。街中で道を尋ねようものなら、「あなた観光客?グッゲンハイム美術館ならあの角を曲がってちょっと行ったところよ、、、」といった感じで、その口調は「この美術館のことを心から誇りに思っている」、そんな感じを受けてしまいます。

いわばグッゲンハイム美術館という建築は、「都市再生の効果を何十倍にも増幅することに成功した」と、そういうことが出来るのでは無いでしょうか?そしてこれこそ建築本来の姿なのでは、、、と思う訳ですよ。何故なら:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

だからです。

そんなグッゲンハイム美術館なのですが、その都市的コンテクストについては今まで数々の言説が出ているにも関わらず、その内部空間、ひいては展示物との関係性についてはそれほど語られていない状況だと思います。そしてこの美術館を訪れた時に見るべきなのは、「内部空間の連なり」と、「その展示物との類稀なる関係性である」ということを今日は書いてみようと思います。

グッゲンハイム美術館は工業都市ビルバオの旧市街からはこんな風に見えます:

これだけで背筋がゾクゾクしますね。この辺りは旧重工業地帯のど真ん中で、それらの工場が廃れていくと共に、売春婦や麻薬中毒者、貧困層などが多く住み着くエリアとなってしまったそうです。

失業率は50%を超え、誰もが希望を失う、そんな悲しい街となっていったんですね。その時の名残、、、とでもいうのか、この細い路地の両側には車両が立ち並び、少し薄暗い路地を通してグッゲンハイムを見ることが出来るのです。そしてこの路地を抜けると出逢うのがこの風景:

圧巻の風景です。右手に見えるのはコピーと言う名前で呼ばれている巨大猫(笑)。この猫、表面が植栽されていて、季節によっては色とりどりのパンジーなどが植えられ、色鮮やかな猫に生まれ変わるそうです。

そこを通り過ぎて、もう少し近づいてみます:

どーん。先ずは向かって右手方向に大きく傾斜している壁、、、というか「アルミの塊」が非常に印象的です。これがものすごい圧迫感で迫ってきます。そして(雑誌に掲載されている写真ではナカナカ伝わらないと思うのですが)この建築へのアプローチはここから階段で1フロア降りていった所からになっているんですね:

うーん、、、このアプローチは非常に良く考えられてるなー。と言うのも、このアプローチは先程見た巨大猫との関係性から逆算されてデザインされているものだからです。多分、大多数の来館者の方々が先ず訪れるのは先程の巨大猫だと思うのですが、そこから一直線に美術館に向かってアプローチして行ってみます:

先程見た塊(右側の壁)が「これでもか!」と言わんばかりに迫り出してきます。そして下階へと向かう階段が、「左周りに螺旋を描きながら」下降していっているんですね。それはこちら側から見ると良―く分かります:

ほらね。もしもゲーリーが感覚に任せて、まるで「紙を丸めてグチャグチャと形態を決めているだけ」なら、決して出てこない形だと思います。言うまでもないことですが、このようなアプローチ空間における螺旋の構造は、コルビジェが非常に得意としたところでもあります(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。アルド・ヴァン・アイクとかもやってました(地中海ブログ:アルド・ファン・アイク(Aldo Van Eyck)の建築その1:母の家:サヴォア邸に勝るとも劣らない螺旋運動の空間が展開する建築)。

そしてエントランスを潜ったところで出会うのがこの空間:

非常に気持ちの良いエントランス空間の登場〜。壁が飛び出てきたり、反対に引っ込んだりと、非常に不思議な感覚を醸し出しています:

見上げれば色んな形態が複雑に絡み合いながら空を切り取っています。

ここから外へ出て行ってみます。川沿いに芸術作品が並び、観光客と共に地元の人達のお散歩コースになっているようでした。

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといました。

ちなみにここから10分程歩いた所にはカラトラバの橋が掛かり、街中にはノーマン・フォスターがデザインした地下鉄の入り口が口を開けています。

街の中心、Moyua駅構内にはノーマン・フォスターが残していったサインが大切に保存されていました。スペインという社会文化の中で、建築家という職業がどの様に扱われているのか、社会的にどの様な地位が与えられているのかが良〜く分かる象徴的な取り組みだと思います。

さて、グッゲンハイム美術館の内部空間に話を戻します。

先程外へ出た所から左手方向に歩いていくと、この美術館最大の展示室へと導かれます。そしてこの展示室にはリチャード・セラの超大作(The matter of time (1994-2005))が「これでもか!」と、所狭しと並べられているんですね。

(注意) グッゲンハイム美術館の内部は、美術作品以外は基本的に写真撮影可能となっています。そして写真撮影不可の美術作品が展示されている入口には「撮影禁止」という表示が掲げられています。しかしですね、リチャード・セラの展示室の入口には撮影不可の表示はありませんでした。また、他の来館者の行動を観察していると、みんなパシャパシャ写真を撮っているし、その姿を見ていた学芸員も注意等はしていなかったので写真撮影可と判断しました。

と言う訳で、いよいよリチャード・セラの作品を体験してみます。良く知られている様に、リチャード・セラは巨大な鉄板を弓形に曲げて、あたかも空間の歪みを作り出しているかの様な、そんな作風で知られています:

こちらは分厚い一枚をグルグルっと巻いて作った空間です。少しづつ中へと入って行ってみます:

入ってみると分かるのですが、この鉄の曲がり方が少し手前へ倒れていたり、あちら側に反れていたりと、一見同じに見える形態でも、それらの間にチョットした変化があるんですね:

そして見上げてみればこの風景:

歩くことによって刻々と変わっていくカーブが空を切り取っています。更に進むと、先程の倒れ掛かってくる壁の角度が変わることから、僕を包み込む空間も激変するんですね:

そしてまた空を見上げてみます:

先程とはちょっと角度が異なっていることにより、これまた空間が激変します。 、、、こんな時、僕が何時も思い出すのは、学生時代に目にした新建築住宅コンペ金賞案に書かれていた次の記述です:

四角形を多角形の中に挿入する。それをどんどん変化させていく。ある所は部屋になり、ある所は廊下になる。わずかな差であるが、空間は激変する」

(もう15年近く前だから裏覚え。でもこんな感じだったと思う)

これはジャック・ヘルツォークが審査員を務めた年の金賞案だったんだけど、説明文はこれだけで、あとはその四角形の中で多角形が少しづつ変化していく図が100個ぐらい書いてあるだけ。。。 ←キョーレツな印象を僕の心に残してくれました。

、、、と、そんなことを思いながら、今度は隣にある彫刻を見に行ってみます。こちらには何枚もの鉄板が立っています。その隙間から入って行ってみます:

壁がこちら側に押し寄せてきたり、あっち側へ行ったり、、、:

うーん、これはちょっと面白いぞー、、、と思い始めたら最後、気が済むまで体験するのが僕の可愛いところ(笑):

この巨大な空間に散らばるリチャード・セラの彫刻を一つずつ、端から端まで行ったり来たりしてみました:

特に数えてた訳じゃないけど、20往復はしたと思います(笑)。時間にして約6時間、、、 ←ひ、暇だな、オイ(笑)。 ←挙句の果てに、彫刻の前に座っていた警備員が、「あのー、だいぶ熱心に見られてるようですが、専門の方ですか?」とか話し掛けてくる始末(笑)。 ←「ええ、来館者調査のエキスパートですよ。MITの研究員とルーヴル美術館のリサーチ・パートナーやっています」って答えたら、なんか奥から学芸員という人が出て来て、、、と、今日の記事とは関係ないので、この続きは別の機会にでも。

そんなこんなで、6時間くらい歩き回った時のこと、「あ、あれ、この壁の傾き方はちょっと面白いかも、、、」と思ったのがこちら:

そう、この壁の傾き方は、シザの教会の壁の膨らみに似てるかも、、、と一瞬そう思ってしまったんですね。そしてここで僕はあることに気が付きました:

「も、もしかして、リチャード・セラという彫刻家は、こんな風に壁を迫り出したり、押し込めたり、はたまた湾曲させてみたりして、その空間を歩き回る我々がその空間でどう感じるかという実験を行なっているんじゃないのか、、、???」

そーなんです!リチャード・セラがこの広大な空間で実験していること、それは一枚の大きな壁を使って様々なパターンを作り出し、我々がそういう空間に身を置いたらどう感じるか、、、という壮大な空間実験をしているのです!

これは凄い!というか面白い!何故ならこれは非常に建築的な提案でありながらも、単体の建築には真似出来ないことだからです。 ←上に述べたシザの教会の壁や(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)、エンリック・ミラージェスのお墓で傾いていた壁など(地中海ブログ:イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地)、局所的に一つか二つくらいの空間体験を作り出すことは可能かもしれないけど、空間体験の色んな可能性をここまで用意するのはコストの面から言っても非常に難しいかなー、という気がします。

僕がこの壮大な実験のことに気が付いたのは、この展示室に入ってからかなり時間が経った頃のことだったんだけど、何故そんなに時間が掛かってしまったかというと、それは僕の頭の中では「彫刻=一瞬の凍結」いう方程式が先入観としてあったからなんですね。彫刻と建築の違いを僕は以前のエントリでこんな風に書いています:

「‥‥彫刻の素晴らしさ、それは一瞬を凍結する事だと思います。何らかの物語の一コマ、その一コマをあたかもカメラで「パシャ」っと撮ったかのように凍結させる事、それが出来るのが彫刻です。建築家の言葉で言うと、「忘れられないワンシーン」を創り出す事ですね。

では何故、彫刻にこんな事が可能なのか?それはズバリ、彫刻は動かないからです。「そんなの当たり前だろ、ボケ!」という声が聞こえてきそうですが(笑)、これが結構重要だと思うんですよね。彫刻は時間と空間において動きません。だから僕達の方が彫刻の周りを回って作品を鑑賞しなければならないんですね。そしてもっと当たり前且つ重要な事に、彫刻は一度彫られた表情を変えないという特徴があります。だからこそ、彫刻の最大の目標は「動く事」にあると思うんですね。

‥‥中略‥‥

建築家である僕は(一応建築家です(笑))、ココである事に気が付きます。「これって建築、もしくは都市を創造するプロセスとは全く逆じゃん」という事です。どういう事か?

僕達が建築を計画する時、一体何を考えてデザインしていくかというと、空間の中を歩いていく、その中において「忘れられないワンシーン」を創り出していく事を考えると思います。何故か?何故なら建築とは空間の中を歩き回り、その中で空間を体験させる事が可能な表象行為だからです。だから建築や都市には幾つものシーン(場面)を登場させる事が出来ます。そう、幾つものシーンを登場させる事が出来るからこそ、我々は、忘れられない「ワンシーン」を創り出そうと試みる訳なんですね。

‥‥中略‥‥

このように彫刻と建築は、その作品の体験プロセスにおいて全く逆の過程を経ます。彫刻は「ある一瞬」から心の中に前後の物語を紡ぎ出す事を、建築は様々な場面から心に残る一場面を心に刻み付ける事を。しかしながら、それら、彫刻や建築を創り出す人が目指すべき地点は同じなんですね。それは「忘れられないワンシーン」を創り出す事です。」(地中海ブログ:彫刻と建築と:忘れられないワンシーンを巡る2つの表象行為:ベルニーニ(Bernini)の彫刻とローマという都市を見ていて

しかしですね、このグッゲンハイム美術館で展開されているリチャード・セラの彫刻は、今まで僕が見てきたどんな彫刻とも全く違うものだったと思います(地中海ブログ:世紀末の知られざる天才彫刻家、カミーユ・クローデル(Camille Claudel)について)。それは、何かしら忘れられないワンシーンを一瞬に凍結したものではなく、その中を歩くことによって我々に空間を体験させる、いわば、建築の様なものだったのです。

彫刻は動きません。だからこそ、いかにそこに動きを創り出すかが彫刻の究極の目的だと僕は思います。その一方、建築は空間を連続させることによって、来館者にその空間を体験させます。つまりは、その空間の中を動く来館者が、いかに「忘れられないワンシーン」を記憶に残すことができるか、それが建築の醍醐味なんですね。

しかしですね、今回見たリチャード・セラの彫刻は、あたかも「建築的に振舞っているかの様」なのです。しかも、建築には到底真似出来ない方法で、来館者に様々な建築的な体験をさせるというおまけ付き。

この様な建築的な彫刻が、ゲーリーのグッゲンハイム美術館の、その最も代表的な彫刻としてここにあることの意味、それを考えるのもまた面白いとは思うんだけど、それはまた、別の話。

動かないが故に、一瞬の中に動きのエッセンスを込めることによって、そこから動きを彷彿させることを信条とする彫刻。空間の中で動くことが出来るが故に、その動きの中から忘れられないワンシーンを永遠に動かないものとして止めることを目的とする建築。

非常に良いものを見させて頂きました! 星、3つですー!!!

追記: バスク地方はグルメの街としても非常に良く知られています。一応事前に調べて「タパスが美味しい」と評判のお店に行ったのですが、これがトンデモなく美味しかった。下記は僕が滞在中に食べたタパスの一例。どれも400円くらいの小皿なんだけど、全てのお皿がコース料理のメインをはれるくらいの質を持っていました。正直、このレベルの料理がこの値段で街の至る所に溢れているというのは、ちょっと驚愕レベルだと思います。

タコ煮。

ホセリート(イベリコ豚の最高級品)、チーズ、フォアグラ。

中はこんな風になっています。

こちらはホセリートの角煮っぽいやつ。

卵、フォアグラ、キノコ、ポテトなんかをフライパンに載せたもの。一体自分が何を食べているのか、正直良く分からなかったけど、今まで食べたことがないくらい美味しかったことだけは確かww

こちらは卵焼き(トルティーリャ)。在スペイン16年だけど、こんなに凝ったトルティーリャはいままで見たことがありません(笑)。

| 旅行記:建築 | 14:32 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アントニ・ガウディの建築:コロニア・グエル(Colonia Güell)の形態と逆さ吊り構造模型

先週末、バルセロナから電車で約15分のところにあるガウディの傑作中の傑作、コロニア・グエル教会に行ってきました。

ガウディ建築に関しては、バルセロナの「街としての質」を決定付けていることなどから、当ブログでは頻繁に取り上げてきました(地中海ブログ:まるで森林の中に居るかの様な建築:サグラダファミリアの内部空間、地中海ブログ:ガウディ設計の世界遺産グエル館(Palau Guell)その1:この建築の地下に眠っている素晴らしい空間は馬の為のものだった!、地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))。その中でも、コロニア・グエルに関しては、行き方やその建築の特徴を含め、特筆する形で書いてきたんですね(地中海ブログ:アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その1:行き方)。

「コロニア・グエル駅」に着いたら、そのまま駅を出て電車の進行方向とは反対側へ歩くこと5分、旧紡績工場群が姿を現してきました:

古い工場や建物を壊すのではなく、改修して蘇らせることによって地域活性化に貢献させるべく、新しく蘇った建物の中にはベンチャー企業やクリエイティブ産業などが多く入り、この廃れた街に活気を与えているのが見て取れます(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

当時の趣を色濃く残す町中には、ガウディ建築を目指して集まってきた観光客がチラホラ見えます:

町の中心近くにある観光案内所を訪れ、教会堂へのチケットを購入します。この観光案内所では、この町の歴史に関する情報や、近郊の町の情報、更には観光ルートなどを教えてもらうことが出来ます。そんな観光案内所を出て歩くこと約3分、林の中にひっそりと佇んでいる教会が姿を現します:

その佇まいは本当にさりげなく、まるで周りの雰囲気と一体化しているかのようなんですね。そしてコチラが現在の正面ファサードです。

何とも不思議な造形です。2002年に完成した改修によって現在はこの方向からのアプローチとなっているのですが、それ以前は大階段があった下記の方向からのアプローチとなっていました:

しかしですね、造形的には現在の方向から見たファサードの方が圧倒的にカッコイイかなー、と個人的には思います:

向かって右側にある作りかけの階段が途中で折れて捩じれている事によって、大変不思議な上昇感を創り出しているんですね。右端の一番低い部分から始まった「線」が斜めに駆け上り、左側の不思議な形の窓が付いた壁がしっかりとその「線」を受け止めているのが見て取れます:

よく知られているように、この建築は工事半ばでガウディが手を引いてしまった為、「永遠の未完の作品」となってしまいました。だから地下の未完成部分だけを指して「ガウディの造詣能力」を賞賛するのはちょっと違う気がしないでもないけど、そうせずにはいられないほど魅力的な造詣である事も又確かなんですね。

さて、このコロニア・グエルで僕が、ずーーーーーっと心に引っ掛っている事があります。

伝説ではガウディは、コロニア・グエルの建築形態や内部空間を「逆さ吊り実験模型で自動的に決定した」となっていたと思います。 ←ちょっと違うかもしれないけど、多分こんな感じ。

明らかなのは「逆さ吊り模型」の視覚的なインパクトの強さと、ガウディの自然信仰と合致する分かり易い物語(柱や壁に相当する位置に実際の荷重を模した袋を吊り下げると重力がアーチを作ってくれる)が相俟って「形態の自動決定神話」を生み出したんだと思います。

この伝説に従うと、この建物は「全体」でバランスを取っているということになります。逆に言うと、建物バランスは一部分だけでは成り立たない訳ですよ。何が言いたいかというと、、、地下部分しか完成しなかったコロニア・グエルは何故崩れないんでしょうか?←だって、構造計算には完成予定だった上階の加重とか応力とかも考慮されているんですよね?

それが完成しなかったという事は、その部分が無くなるわけだから、当然全体の構造に響いてくると考えるのが普通なんじゃないでしょうか?この点がずーーーと、僕の心に引っ掛っていたんですね。

「なんでだろうなー?」とか思いつつ家に帰って鳥居徳敏さんの傑作、「ガウディ建築のルーツ:造形の源泉からガウディによる多変換後の最終造形まで」をパラパラとめくっていたら、大変明快な答えが書かれていました。

鳥居さんはこの著作の中で「構造合理主義」と「構造表現主義」という概念を用いてガウディの建築における「構造表現主義の重要性」を説かれています。両者の違いは何かというと:

「構造が形態を要求する」が構造合理主義の理念とするならば、構造表現主義のそれは「形態が構造を要求する」といえるであろう。・・・構造が形態を要請し、力学から自動的に形が生まれると考えるのが構造合理主義の理念とすれば、構造表現主義は最初に形が存在するのであり、その形は作者が想像した形態であり、作者の想像力の賜物になろう。」(p38)

と簡潔に述べられています。

そして構造表現主義の特徴が顕著に見て取れるのがコロニア・グエルだと言われているんですね。それを示す一つの例が教会堂内部の内側に倒れ掛かっている4本の柱です。

模型では内部の柱は全て垂直、もしくはほぼ垂直だったそうです。しかし実際の教会では4本の柱は内側に倒れ掛かっています。

何故か?←何故ならガウディは彼が想像した美しい内部空間を構造の合理性を使って表現しようとしたからです。

そして僕が疑問に思っていた事と全く同じ事が、模型と実際の形態が異なる証拠として提出されています。

「・・・もしこのクリプトが逆さ吊り実験どおりに建設されていたとしたら、すでに崩壊していなければならない。なぜなら、逆さ吊り模型は全体が完成して初めて構造の安定が計られることを前提とした実験であったからで、実際は教会堂本体の上部構造が未着工であり、実験前に計算された上部荷重が全く存在しないからだ。」(p64)

これらから導かれる結論は、コロニア・グエルでは実験模型によって自動的に内部空間や形態が決定されたのでは無いという事です。

では、何故ガウディはこんな事をしたのか?というと、それはガウディが構造合理主義の建築家ではなく、構造表現主義の建築家だからなんですね。つまり構造によって経済性を追求する(構造合理主義)のではなく、あくまで美しい形態を目指し、「建築家の表現意欲に従って構造力学の合理性が建築制作に利用される事」を目指したからです。

素晴らしい。非常に明快です。

さて、鳥居さんが大変に素晴らしいのは、海ぐらい深い知識もさる事ながら、それらの知識を道具とした彼の解釈(創作)だと思います。鳥居さんは本書の冒頭でこのように述べられています:

「「創造」が「無」から「有」、あるいは「一」から「多」を作ることを本質にするとすれば、「創作」は「有」から「もう一つの有」、もしくは「多」から「一」を作ることを最大特色とする。つまり、何も無いところから何かを作るのでなく、与えられている無数の材料から何らかの一つのものを作ること、これが人による「創作」の基本になろう。」(p2)

全くその通りだと思います。例えば僕が大好きな建築家、ポルトガルのアルヴァロ・シザの建築の源泉は明らかにアールトであり、ハンス・シャウロンであり、モロッコの土着建築だと思うんですね(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そこから出発して幾度かの変遷を経て、最終的にはシザの建築になっています。変形の過程で、ある時「ふっ」と彼の建築になる瞬間があるわけですよ。だから彼の建築にアールトの片鱗が見えようとも、シャウロンの形態が見えようとも、空間は紛れも無くシザのものになっているのです。

ガウディという一人の天才に真摯に向き合う事によって、膨大な知識を道具としながらも、その組み合わせで新しい解釈を創り出した鳥居さんこそ、人間に与えられた素晴らしい能力である「創作」を通して人間としての生き方そのものを示した偉人だと思います。

| 建築 | 13:47 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガウディの影武者だった男、ジュジョールのメトロポール劇場

「理念的にも技術的にもジュジョールが先進工業社会の芸術家たちと同じ基盤から出発しなかったという意味において、一般に認められている20世紀前衛芸術の歴史が示すものとは異なる」- イグナシ・デ・ソラ=モラレス

「今日までなかったことだが、もし誰かが20世紀のスペイン芸術・建築界で最も多様性に富み、創造性と想像性に秀でた3人の芸術家、ある意味で、その方面で最も重要な3人を指摘せよと私に訪ねたとすれば、躊躇することなく、ガウディ、ピカソ、ジュジョールの名を上げるであろう。」- カルロス・フローレス

バルセロナから電車で1時間ほど南に行ったところにある世界遺産指定都市タラゴナ(Tarragona)に行ってきました。世界遺産指定都市とは、旧市街地などが「全体で」世界遺産に登録されている都市のことを指し、現在スペインではサンティアゴ・デ・コンポステーラなど13都市が指定されています(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センターその2)。

古代ローマ時代に築かれたタラゴナはイベリア半島最大の規模を誇り、当時の栄華を伝えるかのような雰囲気が、この街にはそのまま残っていたりするんですね。街中を歩いていると不意に石積みの城壁や巨大なモニュメントに出くわすこのワクワク感!

これはバロック都市ローマを歩く感覚に似てるなー、、、とか思ったりして(地中海ブログ:ローマ滞在2015その2:ローマを歩く楽しみ、バロック都市を訪ねる喜び)。

そしてこの街の最大の魅力の一つがこちらです:

その名も「地中海のバルコニー」!眼前に広がる地中海、それが全て自分のものであるかのような、そんな感覚を引き起こしてくれるほど圧巻の眺めとなっています。朝から晩まで見ていても全く飽きない、この街にはそんな風景が広がっているんですね。

そして左手を見下ろせばこの風景:

ローマ時代の円形競技場です。ローマのコロッセオに比べると規模は小さいんだけど、タラゴナの円形競技場は、「地中海に浮かぶ競技場」と、そう形容出来るほど素晴らしい作りとなっています。ローマ人がこの地をイベリア半島の拠点に選んだのも納得がいくなー。

こんな見どころ満載の世界遺産指定都市タラゴナなんだけど、今回この街を訪れたのはローマの遺跡群を訪問する為ではありません。僕がわざわざこの街に来た理由、それは普段は一般公開されていないジュジョールの傑作中の傑作、メトロポール劇場を訪れる為なんですね(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした)。

ひょんなことから知り合いになったタラゴナ市役所の人と話していた所、「え、cruasan君って建築家なの?てっきりコンピュータ・サイエンティストだとばかり思ってた(驚)!それならジュジョールの建築とかって興味ない?市役所の友達がメトロポール劇場の管理責任者だから、連絡してあげるよ」、、、と。そりゃもう、「興味ありまくりです!」。なんてったって、普段は公開していない建築ですからね、どんなに忙しくたって飛んできますよ(笑)。

(注意)この建築は「団体での訪問(数週間前に要予約)」のみ受け付けており、個人への一般公開はしていません。しかし今でも現役の劇場として使われているので、もしどうしてもこの劇場を見たいという方は、週に何回か催される演劇のチケットを購入して劇場の中に入る、、、という裏技があったりします。ちなみに僕が訪れたのはお昼の12H頃だったんだけど、舞台のリハーサル中だった為、照明がつけられないとのこと。暗闇の中での建築鑑賞でした。

 

この建築への入り口は市内随一の目抜通り新ランブラス通り(Nova Ramble)に面しています。どちらかというとこのエリアは観光客向けのエリアとなっていて、この通りに面して沢山のレストランやバル、小売店などが立ち並び、非常に活気のある地区となっているんですね。←その代わり、カフェの値段設定も観光客向けで、パッと見た所、ベルムッ(お酒一杯)、サンドイッチ、オリーブの実の三点セットで5euroというお店が結構多かった。

こちらがメトロポール劇場のファサードなのですが、まさかこの中に劇場が入ってるなんて、言われないと分かりません。まあ、確かに「メトロポール劇場」とは書いてあるんだけど、パッと見は普通の集合住宅ですからね。ちなみに真ん中の入り口は現在は使われてなくて閉鎖中。今回は特別に右側の入り口を開けてもらいました。で、中に入ると我々を出迎えてくれるのがこの空間:

真っ白な壁に真っ赤な光線が非常に印象的なジュジョール空間の登場〜。

窓ガラスには真っ赤な光線が映り込んでいます。黄色いストラクチャーとの兼ね合いも抜群。これを見て「ガンダムのシャアっぽいなー」と思った人、結構いるのではないでしょうか?(笑)。

また、ジュジョール建築には欠かせない彼独特の装飾タイルも健在。ここの廊下は細部を見出すとキリが無いくらい面白くって、この空間だけで3時間は見ていられます(笑)。後ろ髪を引かれながらも、この長―い廊下をくぐり抜けると出くわすのがこちらの空間です:

この劇場のエントランスホールとでも言うべき階段ホールの登場〜。天井には先ほどの渡り廊下からの装飾が続き、空間的な一体感を醸し出しつつ、左手にはジュジョール作のドラゴンの彫刻が神秘的な光の中に浮かび上がっているんですね:

上に行ってみます。この階段空間も味があるなー:

そして出くわすのがこちら:

で、出た!ジュジョールの真骨頂、まるで抽象絵画のような空間。。。暗闇の中に真っ青な背景、その中に真っ赤な目のような形をしたオブジェが浮かんでいます。そこから劇場の中へと入っていくと、全体はこんな感じかな:

上述した様に、僕が訪れた時は舞台を作っている最中だったので劇場内は真っ暗。そのおかげで、明暗のコントラストが非常に強い状態を見ることが出来ました。

そしてこの建築のもう一つの見所がこちらです:

じゃーん!観客席のど真ん中に立っている柱とその天井です。当時の市の建築家に「構造が持たないだろう」と大反対されたというこの客席を支える柱。ここにジュジョールの思いを見るような気がします。そしてこの天井がちょっと凄い:

これは後にジュジョールがプラネイス邸で見せた手法ですね(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells)):

このうねるような天井、これを観れただけでも、この建築を訪れた価値があるというもの。正にジュジョールの「イマジネーションの具現化」です。

個人的にジュジョール建築の面白さは、「彼があたまの中に描いた魅力的な世界観がそのまま現実空間に具現化されているところ」だと思うんですよね。スケッチが上手い建築家は星の数ほどいるし、その世界観が非常に魅力的な芸術家も沢山いるんだけど、それら多くのイマジネーションは現実空間に具現化された途端に輝きを失ってしまいがちです。しかしですね、ジュジョールの場合、そのイマジネーションの輝きがそのまま現実空間の中でも輝き続けている、、、ということが出来るのではないでしょうか。彼が描いた夢の世界に生身の体のまま連れて行ってくれる、、、そのように思わせてくれる空間の質が彼の建築には存在しているのです。

さて、次は地下に降りて行ってみます:

実はこの劇場は、「海の中」、そして「船」というモチーフと共に考えられたらしく、地下は深海のイメージでデザインされています。

地下空間の至る所にはそれらのモチーフがふんだんに使われているんだけど、天井には海面のゆらゆら感が表現されていたりします。

ここから外へ出て行ってみます。

これがこの劇場の全体像。入口がある新ランブラス通りに面している住宅と、裏手にある住宅一棟分が演劇ホールになっているのですが、その間を結ぶ回廊が非常に良い均衡空間となっていることが分かります。つまりこの空間を通ることによって、「これから劇場の中に入っていくぞ!」という心構えを作る前室となっているんですね。この回廊の天井も必見:

黄色い筋交いが非常に印象的です。この部分は内戦の際に爆撃により破壊されてしまった為、半分がジュジョールのオリジナル、もう半分がオリジナルに忠実に基づいて復元された部分となっています。そして目線の先には、ガウディが得意とした逆三角形の柱がチラチラと見え隠れしています:

この建築の改修の依頼はもともとガウディにきていたらしいのですが、サグラダファミリアに没頭していたガウディが、同郷(タラゴナ出身)の弟子(ジュジョール)に仕事を回した、、、という経緯があるそうです。そんなこんなで、ガウディの工房から独立したジュジョールが実質的に初めて手掛けた建築作品という位置付けでもあるんですね。また、ジュジョールは長らく「忘れられた建築家」だった為、この建築は後年(1950年代)映画館に改装され、その際に窓が塞がれたり、動線が不明になったりと、建築としては廃墟同然の状態にまでなってしまいました。

そんな中、近年のジュジョール建築への再評価が高まるにつれ、タラゴナ市役所が物件を購入し、修復・再建する方針を打ち出したこと、そしてもう一つ重要なファクターとして、この修復に携わったのが、スペインを代表する建築家の一人、ジョセップ・リナスだったことが挙げられます(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。

元々ジュジョールの大ファンだったリナスは、ジュジョールのオリジナル部分を丹念に調べ上げ、注意深く修復を施しました。いわばこの建築は、時代は違えどカタルーニャが生んだ代表的な建築家二人の協働作品というべきものにまで昇華された、そんな建築作品となっているのです。

追記: 地中海都市タラゴナは海産物が非常に充実していることで有名です。

特にパエリアやロブスターの雑炊(スープパエリア)、ムール貝などは絶品なので、もしタラゴナに行かれた方は是非試されてみる事をオススメします。

値段もバルセロナよりも安く、地中海を眺めながら非常にゆったりとした時間を過ごす事が出来ると思います。

| 建築 | 14:13 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

| 建築 | 01:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

先週金曜日(11月25日)、PhD Defense(日本で言うところの最終口頭審査)に合格し、博士号(Ph.D in Computer Science)を取得することが出来ました!

←バンザイ〜、バンザイ〜、バンザイ〜!!

←おめでとうー(祝)

学位論文のタイトルは「建築と都市における人の移動(モビリティ)分析」。都市や人々の活動に関するビックデータとその分析が、建築デザインやアーバン・プランニング(都市計画)にどのような影響を与えるのか(もしくは与えないのか)という問い(Research Question)について、「人の移動(モビリティ)」という観点から検討しました。この博士論文は3本の独立したジャーナル・ペーパー(査読付き論文)から成り立っています:

1.ルーブル美術館来館者研究(Environment and Planning B)

2.バルセロナ旧市街地における買い周り行動分析(Applied Geography)

3.クレジットカード情報を用いたバルセロナ市における人々の買い周り行動分析(Environment and Planning B)

3本ともこの分野における最高峰の国際ジャーナルに採択された論文です(つまりはカンファレンス・ペーパーではありません)。さらに博士論文の章立てとしては含まれてないけど、業績としては下記の2本の論文も国際ジャーナルに採択されました:

4. ルーブル美術館の来館者密度指標の開発(IEEE Pervasive Computing)

5. 携帯電話の電波を用いた新しいトラッキング手法(IEEE Communications)

博士論文提出条件として、上に示した5本のジャーナル論文の他に、欧州委員会とのコラボレーションを通したスマートシティ分野における欧州プロジェクトへの貢献、スマートシティという文脈における日本の自治体(神戸市役所など)や日本企業とバルセロナ市役所との関係強化への貢献、MITとバルセロナ関連機関との関係強化への貢献等、僕がこの5年間で関わってきた全ての活動が評価された上で、博士論文提出が認められました。そしてその提出した博士論文が内部委員会の審議に掛けられ、「最終口頭審査を受ける資格あり」と評価された上で、国内外から集められた専門家3人の前で最終口頭審査(PhD Defense)を乗り切ることによって博士号が授与されるに至ったんですね。

←PhD defense(最終口頭審査)って、てっきり形式的なものだとばかり思ってたら、「これでもか!」っていうくらい突っ込まれて、結構きわどかった(汗)。

当初思い描いていたよりも、長く苦しい道のりだったけど、僕の人生に大きな実りをもたらしてくれた5年間だったと思います。なにものにも代え難い体験、そんな経験をさせてくれた5年間でした。

今日から、Dr. cruasanです。

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↓↓↓「なぜ建築家である僕がコンピュタ・サイエンスで博士号を取ったのか?」、「海外の博士号とは一体どんな意味があるのか?」を書いてたらすごく長くなってしまったので、興味のある人達の為に下記に記しておきました:

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由、建築学部ではなくコンピュータ・サイエンス学部で博士号を取得しようと思った理由、、、それはいまから約10年前、バルセロナで目撃してしまった衝撃的な風景がもとになっています。

あれは忘れもしない、バルセロナ都市生態学庁で働き始めて2週間くらい経った日のことでした。まだ右も左も分からない新米の僕が、初めてミーティングの席に呼ばれ、地元の専門家達を巻き込んだ議論に参加する機会を得た時のことです。

そのプロジェクトは22@BCNの歩行者空間化の計画(いまではジャン・ヌーベルのアグバル・タワーやポンペウ・ファブラ大学などが立ち並ぶエリアの基本計画を作ったのは僕達だったりします(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎))を話し合う場だったのですが、そこに集まった面々を見てビックリ!なんと、そこに集まっていたのは、物理学者や統計学者、生態学者や心理学者といった人達であって、その中に建築家は僕しかいなかったんですね(驚)。「都市空間に関するミーティングなんだから、参加者はみんな建築家だろう」と高を括っていた僕に、先ずは最初の先制パンチ!そしてミーティングが始まると、更に驚くべき光景が展開され始めました。

先ず最初に口火を切ったのは、僕の目の前に座っていた物理学者のJさん。22@BCNエリアに散りばめられたセンサーから集めた大気汚染のデータを持ち出しながら、「バルセロナのこのエリアの汚染濃度はEU基準値の遥か上をいっています、、、」とか話し始めたのですが、正直、「え、センサーってなに?」って感じでした(笑)。

←いまでこそ大気汚染を測るセンサーなんて珍しくもなんともないのですが、10年前にはそんなの聞いたこともありませんでしたから。。。更に追い討ちをかける様にコンピュータ・サイエンティストのBさんが、「皆さん見てください、これはこの地区を構成している全てのお店の位置情報と、それに関する分析結果です」とか言って、これまた全く目にしたことも無いヒートマップ(当時はその地図がなんと言うのかすら知らなかった)を持ち出してくる始末。そうこうしている内に、物理学者であり交通シミュレーションの世界的権威、ジャウマさんが「このエリアのシミュレーションをしてみたんだけど、、、」みたいな感じで、これまた全く見たこともない交通シミュレーションを見せ始めた。。。(実はジャウマさんとお会いしたのは、このミーティングが初めてでした(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!))。

「都市のことを良く知っている都市の専門家=建築家」だと思い込んでいた僕の目の前で、全く知らない風景が展開し、見たこともないデータを用いて、見たこともない分析をしている人たちが存在する。。。膨大な定量データを巧みに操り、それらを実証データとして活用することによって、「データを用いたまちづくり」を実践している人たち。。。

凄かったです。本当に新鮮な驚きでした。なによりショックだったのが、彼らが言っていることに、「建築家とはまた違った説得力がある、、、」ということだったんですね。

だからこそ、僕は心の中でこう思ってしまったのです:

「これはダメだ、、、絶対にまずい、、、このままではアーバン・プランニングや「まちづくり」といった舞台における建築家の役割、建築家の存在意義が無くなってしまう、、、」

……都市は建築家の主戦場です。その主戦場から建築家が撤退せざるを得ない、そんな日が近い将来来ざるを得ないことを、この時のミーティングはハッキリと示していました。そして10年後の現在、それが現実のものとなってしまっていることを、我々は様々な場所で目にしているはずです。

例えば現在ヨーロッパで大問題を引き起こしているAirBNB(日本でいうところの民泊)が良い例かもしれません。僕の視点からいうと、これは都市に関する問題であり、建築家こそが率先して対処すべき問題だと思うんですね。

しかしですね、AirBNBの問題を建築家が扱おうとすると、直ぐに大きな壁にぶち当たります。建築家が提案する政策提言というのは現状分析に基づいています。その現状分析が正確であればあるほど、それに基づいたシナリオはより説得力を増す訳なのですが、逆に言えば、現状分析が曖昧であったり、全く出来ない様な場合、建築家が描く未来はそれこそ「絵に描いた餅」に終わってしまうんですね。そしてAirBNBに関する限り、建築家は往々にして現状分析をすることが非常に困難な状況へと追い詰められてしまうのです。

何故か?

何故ならAirBNBの現状を知る為には、対象都市(例えばバルセロナ市)においてどれくらいの部屋がAirBNBとして貸し出されているのか、どれくらいの需要があり、どれくらいの人たちが何日くらい何処に泊まっているのかなど、ウェブからデータを拾ってくる必要があるのですが、コードが書けない建築家はそれらの情報をウェブから集めることすら叶いません。仮に運良くそれらのデータを拾ってこれたとしても、それらのデータをどうやって分析し、どう可視化したら良いのか、途方にくれるのがオチだと思います。

この様に書くと、「じゃあ、そういう側面はコンピュータ・サイエンス学部の専門家達とコラボすれば良いじゃないか!」と言い出す人がいるかもしれませんし、それはそれで一つの解決方法だとは思います。が、しかし、、、「データ分析の外注」は建築家の創造力・想像力を殺す行為だと僕は思っています。データ分析というのは、生データを自分の手で触りながら整理していく中で、「あー、このデータはこういう傾向があるんだな」とか、「あー、こういうパターンがありそうだ」とか段々と分かってくるものなんですね。それらの過程を一気に通り越して、結果だけ見せてもらっていては絶対に見えてこないものがあると、僕は経験から学びました。

つまりは、都市に関するビックデータが優勢になりつつある我々の社会では、建築や都市計画の知識を有しながらも自分でコードが書けて、適切な分析が出来る人材、その様なプロフェッションが確実に必要になってくるのです。

10年前のあの日、ビーチの真ん前のオフィスで一人思った建築家の将来像、「これからはデータの時代であり、建築家といえどもデータが扱えなければやっていけない時代がやってくる」、、、そう思った時に、それらビックデータを適切に扱い、建築や都市に役立てる専門家になる為には一体どうしたら良いのだろうか?

←これが、建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部で博士課程を始めようと思った直接のキッカケとなりました。

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由はもう一つあります。それは海外ではPh.Dホルダー(博士号取得者)は非常に尊敬され、社会的地位が高いということに起因します。欧米において社会を引率するエリート層というのは、往々にしてPh.Dホルダーであり、博士号を持っていることがその層に属する為の必要条件(十分条件ではない)、もしくはパスだったりするんですね。

はっきり言います。「ヨーロッパにおいて博士号を取ることが出来る人」というのは非常に特殊な人に限られ、この学位は「普通の人が取る学位」とは差別化されています。それがヨーロッパ社会一般に通底している認識です。

この様に書くと、右を見ても左を見ても中流階級の中で生きている日本の皆さんには、「え、なにその階級社会?おかしくない?」とか思われるかもしれません。しかしですね、ヨーロッパ社会というのは基本的に階層社会であり、一部のエリートが残りの平民を導いていくという認識の元に組織されている社会なのです。だから最近日本で良く言われている「格差社会」なんて、ヨーロッパから見たら、結構カワイイものだったりします。

こういう状況に身を置いていると、日本における博士号取得者の地位の低さは世界的に見ても「異常」です。よく「日本の常識、世界の非常識」と言われるのですが、博士号に関してはまさにそれがピッタリと当てはまります。

←が、しかし、「日本の常識」が世界の常識に合わないが為に、常に日本が間違っている、劣っている、、、ということでは決してありません。ただ、博士号に関しては、明らかに日本の常識は世界の非常識だと思います。

ではその違いは何処から来るのか?

それは欧米においては、何の為に博士号を取得するのか、博士号取得者は社会的にどのような地位が与えられるのかなど、博士号とその取得者に対する「社会の覚悟」が、階層社会というコンセプトを通して歴史的に形成されているということが挙げられます。例えば上述したように、ヨーロッパにおいては博士号取得者は社会を統率していくエリートとしての役割を社会が用意してくれていますし、逆にアメリカでは市場主義とでもいうような階層、つまりは博士号取得者が起業してCEOになったりと、大学教授になる以外の道が数多く用意されていたりします。

←ちなみにドイツのメルケル首相が博士号を持っていることや、ヨーロッパの多くの国会議員が博士号取得者であるということ、バルセロナ市役所など自治体職員の幹部の多くも博士号を持っていたりするということも知っておいて損はありません。

←こういう認識を広めていくと、日本の自治体の方々が大好きな「表敬訪問」がいかに馬鹿らしい行為なのか、いかに海外の自治体職員に迷惑がられているかということが良く分かるかと思います。

←海外の自治体職員の幹部はPhDホルダーとして専門職に長年付いている人達なので(日本のようにコロコロ部署を移動したりはしない)、例えば、温暖化問題に対して横浜市役所が何をやっているのか、どんな政策を今まで取ってきて、そこにどれくらい投資をしているのか?また、これから何処へ向かっていこうとしていて、世界的に見た時の横浜市役所の強みは一体なんなのか?という基本情報なんてのは、当たり前の様に熟知している訳ですよ。

←そんな人達に向かって、付け焼刃的な情報を集め、自身の市役所のやってきたことをなぞるだけ、、、というのは時間の無駄でしかありません。

←もっと言っちゃうと、「名刺交換だけして帰る」とか、「名刺交換さえすれば交渉が終わった」といった態度は、海外の自治体職員をこの上なくバカにしている行為なので、今後絶対に止めて欲しいですね。

(あー、話しが脱線してしまった、、、) そんな中、日本はどうかというと、博士号取得者に「一体何を期待しているのか」、「社会は彼らをどう受け入れるのか」等の準備が全く出来ていないにもかかわらず、政策レベルで博士号を増やす、、、という大変不思議な状況になっているように思います。多分、博士号の数=その国の先進性を表す、、、みたいな勘違いをしているのではないでしょうか?

このような両社会一般に浸透しているPhDホルダーの社会的な意味・地位が日本とヨーロッパでは大きくかけ離れている為、欧米における博士号授与の審査と、そこに至るまでの過程は相当厳しいものとなっている、、、という訳なのです。

ちなみに僕は(上に書いたけどもう一度強調しますが)、博士号をもらう為に、査読付きの国際ジャーナル論文5本が必要でした。しかもその分野において「世界的なインパクトを引き起こすことが必須」みたいな(笑)。

←日夜論文執筆に躍起になっている研究者の皆さんなら、ジャーナル論文5本というのがいかに大変な業績であるかが分かってもらえるかと思います。

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