地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
京都の学芸出版社で刊行記念レクチャーを行います。
昨年10月に出版された「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」の刊行記念レクチャーを、編著者の福岡孝則さん、そして龍谷大学の阿部大輔さんと共に、今月末(1月29日)京都の学芸出版社にて行います。
←おめでとー、パチパチパチー(祝)。



テーマは「モビリティ&テクノロジーで公共空間をつくる:バルセロナ市都市生態学庁元担当者と語る」ということなので、バルセロナの歩行者空間計画やモビリティ計画などを中心にご紹介させて頂こうかな、、、と考えているのですが(←詳細は未定)、福岡さんはアメリカ、阿部さんはスペインと3人とも海外経験者なので、今後海外への留学を考えている人、海外で働きたいと思っている方々などにとっても面白いお話が出来るのでは?と思われます。



僕に関しては、「どの様にスペインに渡ったのか?」、「どの様に仕事を探したのか?」などについては既に書籍の方に書かせて頂いたので、ここでは書き切れなかったテーマを少し記してみようかな……と思っていたのですが、、、今回の書籍を編集担当された学芸出版社の井口夏実さんのインタビュー記事を発見してしまい、それがあまりにも面白かったので、そのインタビューを紹介しつつ、当日の議論の下地を作れたらと思っています。

下記のインタビューは、“建てたがらない建築士”いしまるあきこさんによる「ウェブマガジン「フレーズクレーズ」の連鎖「素敵な本が生まれる時」vol.3、「ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜として発表されたもので、インタビューに答えられているのが我らが井口夏実さん(学芸出版社取締役、編集長)。全文はこちらで見れますので、ご興味のある方はどうぞ。

下記の青色の部分が井口さん、いしまるさん、黒字の部分が僕が思った事です。

井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。

基本的に僕は、「言語というのはコミュニケーションのツール」だと思っています。文法が多少間違っていようが、発音が少しばかりおかしかろうが、相手にこちらの言いたいことが伝わればそれで良いのです。ちなみに、現在ヨーロッパに住んでいる日本人の中には「なんちゃってトリリンガル」な人がチラホラと現れ始めています(地中海ブログ:内田樹の研究室の「リンガ・フランカのすすめ」を読んで:何故ヨーロッパでは、ゆるいコミュニケーションである「なんちゃってイングリッシュ」が成功するのか?、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景)。
←言語学者とかに言ったらすっごく怒られそうですが、僕は建築家なのでこんな感じで大丈夫(笑)。それに(井口さんも示唆されている様に)、我々建築家は哲学者や文学者と違って「言葉だけで勝負する職種」ではありません。相手に言いたい事が伝わらなかったらスケッチや図を使えばいいのです。



さて、ここからは僕の勝手な想像なのですが、ヨーロッパは陸続きなので、各国間における人的な移動(モビリティ)が非常に高いんですね。だから隣近所を見渡せば、自国語を話さない外人だらけという状況が多々あります。その様な社会・文化的バックグラウンドを共有しない人達と共存し、互いを認め合ってきたのがヨーロッパという社会なので、彼らにとって「言葉による完璧な意思疎通が出来ないこと」は、生まれた時からの日常茶飯事なんだと思います。だから南ヨーロッパでは、我々(移民)にも、「自国語を完璧に話せ、そうじゃないと聞かない!」などとは言わないのです。
←北ヨーロッパは状況が少し異なる様に思いますし、アメリカも全然違う様に感じます。このテーマ(海外に住むこと・働くことにおける言語の問題)は是非、福岡さん、阿部さんと共に当日の議論の中で深めたい所です。

井口:私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。

これは僕の勝手な考えですが、概して外国語が上手い人は日本語が上手いと思います。というか、日本語が上手い人じゃないと、外国語は上手くなり得ないと思うんですね。外国語を身に付けようと努力すると、ある程度までは上達するのですが、もう少し向こう側にいこうとすると誰しも必ず壁にぶち当たります。その壁を乗り越えられるかどうか、どこまで到達出来るかどうかは、その人の母国語の基礎言語能力、つまり日本語の能力に掛かっているのでは、、、と個人的には思っています。

井口:一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。

「その建築事務所が一流かどうかは、日本人スタッフが働いているかどうかを見れば良い」と言う冗談が、世界中の建築事務所で80年代くらいから言われていたらしいのですが、これは逆に言うと、世界の有名建築事務所、もしくは新興建築事務所には日本人スタッフ(もしくは学生)が1人や2人は必ず居るということを指し示しています。だから、知り合いの知り合いを通して「あの事務所、実はさー」とか、「いま、xx事務所で所員募集しててさー」という様な声がチラホラと聞こえてきたりするので、「世界の有名建築事務所の内部事情」というのは、簡単ではないにしろ、それなりに心に思い描く事が出来るのでは、、、と思うんですね。



その一方、シリーズ2冊目が主題にしている「都市計画、ランドスケープ」を扱っている建築事務所、もしくは各都市の市役所がどんな仕事を請け負って、そこの部署にはどんなキーパーソンがいて、、、といった情報は、有名建築事務所ほど流通していません。この分野で10年以上仕事をしている僕ですら、世界の何処で誰が何をやっているかなんて、この本を見るまで全く知りませんでした。だからこそ、今回の2冊目は非常に価値があると、僕はそう思っています。
←詳しくはこちらに書きました(地中海ブログ:海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!)。

いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。


まず、アメリカの状況なのですが、ボストン(アメリカ)には「ボストン日本人研究者交流会」なるものがあり、ボストンに在住している日本人の中から毎回2人くらいが30分程度のプレゼンを行い、その後近くのレストランに移動してインフォーマルな食事会、、、というイベントが一ヶ月に一回のペースで行われています(参加者は毎回200人くらい)。その会に出席すると、参加者の名前、ボストンでの所属、日本での所属、連絡先などが書いてあるリストがお茶とどら焼きと共に手渡され(←ここ重要w)、「この人と仲良くなりたい!」とか思ったら、気軽にメールして、後日コーヒー飲んで、、、ということが日常生活の中で行われていたりするんですね。

この様な会が組織的に行われている点は、バルセロナとは明らかに違う点だと強く感じました。ただこれはボストンなど日本人研究者が比較的多く集まる都市に固有のことなのかもしれません。フィラデルフィアではどうだったのか等、福岡さんに是非お聞きしてみたいところです。



また、ヨーロッパの日本人ネットワークについて、(敢えて)全く別の視点から一例を挙げると、欧州在住日本人によるTwitter組、、、みたいなものがあったりします(←僕が勝手にそう呼んでるだけですが(笑))。

これはですね、欧州全体を巻き込んだ大イベントなどがあると、それを見ながら各国からリアルタイムでツッコミを入れあって楽しむ、、、みたいな、正にニコニコ動画のリアルタイム版みたいな感じだったりします(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

例えば、ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、欧州の紅白歌合戦と名高い「ユーロビジョン」というイベントがあります。これは一年に一度、各国代表の歌手が生中継で歌を披露して、そこにヨーロッパ全土からリアルタイムで投票を行うという、(色んな意味で)物凄いイベントとなっているんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012)。

 

ちなみにこのイベント、各国から選ばれた歌手が歌を披露し合う和気藹々としたイベントかと思いきや、非常に政治的なイベントだったりします。一般視聴者とは別に、各国には「国として」の投票権が与えられているのですが、その投票先を見るだけで、ヨーロッパ地政学の縮図になっていたりします。例えば、フランスはどんなことがあってもイギリスだけには投票しないとか、スカンジナビア諸国は互いに票を入れあうとか、、、(笑)。

いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。


SNSで仕事の形態が変わった、、、というのは僕も実感する機会が何度もありました。

数年前のことなのですが、とあるミーティングの為にフランクフルトにいたことがあったのですが、たまたま打ち合わせが早く終わったのでシュテーゲル美術館を訪れたんですね。そうしたら丁度その日は小学校の団体が課外授業を行っていて、2階奥にあるルノワールの絵の前では女の子3人組が一生懸命写生をしている真っ最中でした。



大変衝撃的な光景だったのでTwitterでとっさに呟いたら、それが瞬く間にReTweetされまくり、この投稿をキッカケに公共空間系の講演依頼が激増しました。

また、村上春樹氏のインタビュー記事の影響はもっと衝撃的でした。「イベリア半島の片隅を拠点とするスペインの新聞なんて(日本人は)誰も読まないだろう」と村上氏が思ったかどうかは分かりませんが、インタビューの中で「1Q84の続編出します!」と口を滑らせていたんですね。ちなみに彼、日本では「続編は出しません!」と言っていたので、「こ、これは面白い!」と思い、その記事を直ぐさま全訳しブログ上に公開。その数時間後から日本のメディアは大騒ぎとなりました(地中海ブログ:スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳)。

その拡散度とスピード感。新聞という大手メディアの一次情報がSNSに取って代わられる現場を目撃したのと同時に、「Twitterでここまでこれるのか!」と思った瞬間でした。

井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。

海外で働けるかどうか、それはズバリ「運」です。この辺りの話も書籍の中で少し触れたのですが、スペインでいう運とは、その日担当してくれた担当官の気分が良いかどうか、彼/彼女が書類に眼を通した時がバケーション前なのか後なのか、はたまたその日は金曜日なのか月曜日か‥‥ということなのです。
←個人的には、イギリスとかドイツ、北欧など、割と社会システムがきっちりしてそうな都市でも、上に書いた様な南ヨーロッパと同じ様なことが起こっているのか?という所を、是非他の著者の方々に伺ってみたいところです。



さて、海外で働くのに最適なステップの一つはやはり、現地の大学や大学院へ進学して状況を見つつ、生の情報を集めながら職を探すというのが一番良いのでは、、、と思っています(地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い)。

ヨーロッパの大学、もしくは大学院事情についてはことある毎に書いてきました(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。また、前回の書籍に登場されたRCR事務所出身の小塙さんと藤井さんが企画されている短期留学体験みたいなオプションもバルセロナにはあったりします。

加えて、スペインの建築系の大学院に関しては、TOEFLやGREのような試験もなければ、厳格な入学審査(面接)のようなものもほとんどありません。また、学費も北ヨーロッパやアメリカに比べると格段に安く、近年は生活費が高くなってきたとは言っても、ロンドンやパリほどではありません。そういう意味において、南ヨーロッパへの留学というのは、北ヨーロッパ、もしくはアメリカへの留学と比べると「格段にお手軽かな、、、」という気はします。

では良いことばかりかというと、南ヨーロッパには「南なりのデメリット」も当然あります。その辺については当日のディスカッションで福岡さん、阿部さんと共に深めていけたら、、、と思っています。

井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。

もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。

最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。


初稿が真っ赤になって返ってきたのは僕です(笑)。かなりの部分が書き直し(ホントに真っ赤っかだったのです!)だったので、心配になってシザ事務所の伊藤さんに「い、伊藤さん、、、僕の原稿真っ赤なんですが、伊藤さんはどんな感じでした?」ってメールしたら、「あ、あれはですねー、出来の悪い人は真っ赤になるらしいですよ」っていう大変素直な返信があり(笑)、「や、やっぱりそうか!」と金曜日の夜に一人落ち込んでいたことも、いまとなっては良い思い出ですww
←ちなみにシザ事務所の伊藤さんも、前回の書籍「海外で建築を仕事にする」に書かれています。
←シザとのやり取りなどが巧みに組み込まれていて、すっごく魅力的な文章となっています。



井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。

いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。


今回の書籍には15人分の人生が凝縮されています。各人がどのように考え、どのように海外へ飛び立っていったのか、そして彼の地でどのように仕事を選び、どのようにプロジェクトに絡んでいったのか、、、

それがそのまま他の人の人生になる訳では無いのですが、「海外へ出て行くということを人生の中にどのように位置付けるのか」を参考にすることは出来ると思います。そしてそのような視点で作られた書籍は以前は無かった様に思うんですね。

これは裏覚えなのですが、1980年くらいの「建築雑誌」に「海外留学特集」みたいなのがあって、当時の僕はその記事を穴が開くほど読んだ記憶があります。
←いや、僕の先生(渡辺純さん、ハーバードに留学)が寄稿されていたのです。
←あの当時、「今回のような書籍があったらなー」と思わずにはいられません。



いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?

井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。


ここがこのインタビューの一番核心的なところだと思います。

「海外で建築を仕事にする」っていう本を出しておきながら何なのですが(笑)、実は海外に行くかどうか、海外で暮らすかどうかなんてことはあまり重要ではないと、僕も強くそう思います。

勘違いしている人が非常に多いのですが、海外には甘い生活が待っているとか、「海外に行けば何か面白いことができる」だとか、それは幻想に過ぎません。

他国で暮らすということは楽しいことばかりでは無く、くじけそうになることも多々あるし、全て投げ出してしまおうと思うことだってしばしばです。

また、見過ごされがちな事実として、我々日本人が海外で暮らすということは、「その国において移民になる」ということなのです。移民であるからには、定期的に移民局に行って何時間も待たされながらもビザを更新しなければならないし、「移民だから」と言う理由で仕事もかなり制限されます。

そしてそれは多分、その地域の文化を知れば知るほど、生活をすればするほど、「我々は日本人であり、この地では移民である」という事を思い知ることなんだと思うんですね。それが異文化の中で生きていく/生き残っていくということなのです。

では何故、僕はそんな思いまでして海外で働き、そして暮らしているのか?
←←←この続きは当日のディスカッションで。



井口:いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。


僕は書籍作りに関わらせて頂いたのは今回が初めてだったので、一般的に書籍がどういう風に作られるのか、編集側とのやり取りはどんな感じなのか、といったことに関しては全くの無知でした。

だから学芸出版社さんが僕にしてくれたこと、編集に関して井口さんが僕にしてくださったことが業界のスタンダードなのかどうなのか、それは分かりません。

しかしですね、彼女は僕の読みにくい原稿を一言一句丁寧に読んで下さり、僕の言いたいことを僕以上に理解してくれた上で、「こうしてはどうですか?」という適切なアドバイスを何度も何度もして下さいました。また、文章にあわせて載せる写真や図、スケッチなどを親身になって選んで下さり、その方向性に従って手直ししていくと、自分の原稿がみるみる良くなっていくのが分かる、そんな楽しい数ヶ月だったんですね。

もしかしたらこの様に親身になって執筆者の相談にのってくれるのは学芸出版社さんの社風かもしれませんし、もしくは僕を担当してくださった井口さんのお人柄だったのかもしれません。

でも、初めて参加させて頂いた本の担当が井口さんで本当に良かったと、いまでは心からそう思っています。

書籍作りを好きにさせてくれて、どうもありがとうございました!
| 仕事 | 11:06 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
Super Science High Schools(SSH):スーパー・サイエンス・ハイスクール:バルセロナ
年末、一時帰国を利用して日本の3つの都市で、それぞれテーマの異なる3つの講演会をさせて頂きました。その第一弾が、大阪市立都島工業高校における「スーパー・サイエンス・ハイスクール(Super Science High-School)」講演会です。
←この高校、二川幸夫さんのご出身校だそうです。



スーパー・サイエンス・ハイスクールとは一体何か?
Wikipediaによると:

「スーパーサイエンスハイスクールとは文部科学省が科学技術や理科・数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のことである。SSHと略記される。…(中略)… 目的は「高等学校及び中高一貫教育校における理科・数学に重点を置いたカリキュラムの開発、大学や研究機関等との効果的な連携方策についての研究を推進し、将来有為な科学技術系人材の育成に資する」

とあります。

まあ簡単な話が、将来日本の科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)を背負っていく人材を、(大学からではなく)高校という早い段階から育ててしまおうという取り組みなんだと思います。その一環で、実際に海外で働いている人達を招いて生の声を聞いてみよう、それらの話を高校生の皆さんに聞いてもらうことによって、海外へ興味を持ってもらうキッケケにしようということで僕に声が掛かったんだと思います(このお話を頂いたのは今から丁度1年前、2015年3月のことでした)。



この様な高校の研修というのはボストンには結構あって、というのもやはり、MITは工学系では世界一、更にボストンにはハーバード大学やウェルズリー大学など著名大学がひしめき合っているということもあり、「高校が研修という目的の為にボストンを選ぶ」というのは非常に無難な選択となっているからです(地中海ブログ:全米で最も美しい大学ランキング・ベスト10にランクインしているボストン郊外にある超名門女子大、ウェルズリー大学について、地中海ブログ:ハーバード大学の自然史博物館で飛行石を発見してしまった件)。



逆に言うと、高校が研修先にバルセロナを選ぶというのはそれほど普通のことではありません。というのも、バルセロナには世界ランキングに登場する様な著名大学はありませんし、学術系で世界をリードしている、、、と思われる分野もそれほど多くないと思われるからです(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム)。
←というか、そういう評価軸とは別のものさしで動いているというだけなんですけどね。。。



しかしですね、バルセロナは、セルダを始め、歴史的に大変優れた科学者、技術者を輩出した都市であるというだけではなく、ローマ時代から脈々と続いている人類の軌跡が、「ヨーロッパの知」といった形で街角に体現されているということを鑑みるにつけ、「高校生の研修先としてバルセロナという街は大変優れているのでは、、、」と思わずにはいられません。



そう、バルセロナという都市の魅力は、街全体が「集まって住むという喜びに満ち溢れていること」、そういう人間の根源に関わる部分を、書籍からの知識ではなく、その土地に生きる人々の生活に触れることによって「体験として知ることが出来る」という点なのです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在することを通して学ぶこと)。

今回、大阪市立都島工業高校さんがバルセロナを研修先として選んでくれたこと、そしてその様な試みに少しでも参加出来たことは僕の人生にとっても非常に稀有な体験だったと思います。



……丁度この文章を書いているいま、「研修から無事に帰ってきました」という報告メールを受け取りました。そして「生徒たちは、初めてのバルセロナに非常に興味を持った様子でした」とも書かれていました。

何年か経って、この時の体験のことを一瞬でも思い出してくれたら、講師としてそんなに嬉しいことはありません。

今回のバルセロナでの体験が、大阪市立都島工業高校の皆さんの人生にとって有意義なものであったことを心から祈っています。
| 大学・研究 | 09:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来
今月末(12月21日(月曜日))、横浜の情文センターにて「バルセロナの失敗に学ぶ、データ活用による都市観光の未来」と題したシンポジウムを開催します。
←お申し込みはコチラから。



主催はNPO横浜コミュニティ・デザイン・ラボとlaboratory urban DECODE、後援は横浜市役所とバルセロナ都市生態学庁です。

当ブログの読者の皆さんにはもう馴染み深いことだとは思うのですが、いまやバルセロナは世界に名だたる観光都市に発展してしまいました。「パリやロンドン、ローマだって世界的な観光都市なんだから、どうってことないじゃん!」とか思ったそこの貴方!ハズレですー、ぶっぶぶー(笑)。



いや、別にハズレってことはないんだけど(笑)、バルセロナの観光状況をパリやロンドンのそれと比べる時に考慮されるべき点が一つあります。それはスペインという国が1975年まで独裁政権下にあったということ、そしてそのフランコ政権時代においては、観光政策は勿論のこと、都市生活に必要不可欠な生活インフラにすら十分な投資が為されなかったという事実なんですね。つまりバルセロナを観光という切り口で見た時の一つの特徴は、「民主化後30年足らずでパリやロンドンといった世界トップレベルの都市と競い合えるまでになってしまった」ということなのです。

何故そんなことが可能だったのか?

その裏には非常に良く考えられた都市戦略、もっと言っちゃうと大規模イベントをうまく活用した都市政策なんかが挙げられると思います(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA(Mobile World Congress 2009))。ちなみに僕は、一時期ユネスコ(UNESCO)で働いていたことがあるのですが、バルセロナが2004年にでっち上げた大規模イベント世界文化フォーラム(FORUM2004)のバックにはUNESCOが付いていて、あれやこれやと画策していました。

世界遺産認定などで知られるUNESCOという機関はニュートラルな立ち位置を保っている為に、「一つの都市に肩入れする、、、」なんてことは普通はないのですが、元UNESCO総長だったカタラン人が「パリから引き上げる時のお土産に、ぜひ祖国に自分の記念碑を打ち建てたい!」みたいな超ワガママから生まれたのが、このFORUM2004だったりします。1992年のバルセロナオリンピック招致の裏にサマランチ会長がいたのと同じ構図です(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。

これら大規模イベントを用いた都市開発、都市計画の裏には見逃せない仕組み、システムがあるのですが、その辺についても今回のシンポジウムでは少しお話しようかな、、、と思っているのですが(こちらも参照してください→地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)、そんな中でも今までなかなか語られてこなかった側面、それが「バルセロナが如何にICTを使って都市を発展させてきたか?」、もしくは「都市政策や都市計画に如何にICTを活用してきたのか?」という点なんですね。

あまり知られていませんが、欧州においてバルセロナという都市はICT分野で抜きん出た功績を挙げています。例えば、Yahooリサーチがバルセロナにあったり、「初音ミク」の基礎技術を開発したのがバルセロナの研究所だったりする、、、ということを知ってる人ってなかなか居ないのではないでしょうか?ちなみにこのYahooリサーチや初音ミクの基礎技術を開発した研究所が集まっているのが、最近急激に伸びてきているポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)だったりします(地中海ブログ:初音ミクに使われている技術ってメイド・イン・カタルーニャだったのか!って話)。

また、2011年から始まったスマートシティ国際会議は、スマートシティ関連のイベントとしては世界一の規模を誇るまでに発展してしまいました(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))。



2011年当時、35年近く続いた労働左派政権(PSC)がカタルーニャ右派政権(CiU)に初めて変わる交代劇がバルセロナ市役所であり、「前政権とは何か違うことがしたい!」みたいな右寄り政権の超ワガママな要求に、「スマートシティ路線でいってみてはどうですか?」とアドバイスをしました。更にそのイベントの権威付けの為に、MITで僕が所属しているラボの所長(カルロさん)に連絡して、「バルセロナ来たい?」って聞いたら、「チョー行ってみたい!」みたいな感じのレスが速攻で返ってきたので基調講演を頼んだりしたんですね。



そんなバルセロナが、現在のスマートシティ政策に直接繋がるプロジェクトに取り組み始めたのが2000年代初頭のこと、そして偶然にも、そのプロジェクトに放り込まれたのが僕だったりします(笑)。
←いや、ほんと当時は何にも分かってなかったんだけど、勝手に放り込まれてしまったのです!

実はその事実に気が付いたのはつい先日のことで、オープンデータ関連でバルセロナを訪問されたいた方と一緒にバルセロナ市役所のスマートシティのキーパーソンにお話を伺っていたら、なんと、そのプロジェクトが現在バルセロナが推し進めているオープンデータ政策の根幹であり始まりであった、、、という驚くべき証言が出て僕自身ビックリしてしまったのです!



その当時、僕はバルセロナ都市生態学庁からモビリティの責任者としてこのプロジェクトに参加していたのですが、そこで僕がやっていたことは、「ICTを用いたモビリティマネジメントの開発」というテーマであって、それが後のBluetoothセンサーなんかに繋がっていく訳なのですが(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!)、その一方で別のチームが、ICTを活用した都市プラットフォーム・インターフェイスの開発みたいなことをやっていて、それを横目でチラチラ見ながらも、「な、なんかやってるなー」ぐらいにしか思っていませんでした。



その時のアレが、実は現在バルセロナがオープンデータで世界的な主導権を握っているプラットフォームの根幹になっているとは、夢にも思わなかったのです!

というわけで、奇しくもバルセロナのICT活用の現場にその始まりから関わることになってしまい、机上の空論ではなく、現場で実際にプロジェクトが動いているところを見てしまったという稀有な体験から、「この経験をぜひ皆さんと共有したい」と思ったのが、今回のシンポジウムを立ち上げたキッカケです。

特に今回は、バルセロナが体験してきた観光という分野、そこに焦点を当てて講演出来たらと思っています。

講演会は2部構成になっています。前半では僕が基調講演をして、横浜市役所のかたも「横浜市の観光の現状」みたいな感じで講演をして下さる予定になっています(あくまで予定)。その後、観光に関わる幾つかのベンチャー企業の方々にプレゼンをして頂いた後、休憩を挟んで後半からは日本のオープンデータの引率者として知られている国際大学GLOCOMの庄司さんにmoderatorをお頼みし、様々な方々を交えながらディスカッションなど出来たらと考えています。

2020年の東京オリンピックを控える中、良い意味でも悪い意味でも、観光という分野においてバルセロナは日本の一歩も二歩も先に行っていると思います。そんな「バルセロナの体験している現在」は、「東京の未来の姿」かも知れません。そのバルセロナから一体何が学べるのか、どうすれば東京オリンピックをもっと良くできるのか、また周辺都市の役割は一体何なのか、はたまたそんな中で、ビックデータ・オープンデータはどの様に活用出来るのか?などを考えるキッカケになれば幸いです。

皆さん、宜しくお願いします!
| 仕事 | 15:40 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サロン・デ・マンガ2015:たんこぶちん(TANCOBUCHIN)とかいうガールズバンドが凄かった件。
今年もとうとうこの季節がやってきました。僕が首を長―くして待っているイベントの一つ、サロン・デ・マンガ(Salon de Manga)の開幕です!



毎年ハロウィンの週末に合わせて開催されるこのイベントは、自由奔放なコスプレをしたスペイン人オタク君達がイベリア半島中から集まり、マンガやアニメ、ゲームなどを楽しもうっていう、夢のような祭典なんですね。ちなみにバルセロナのサロン・デ・マンガは、(この手のイベントとしては)東京、パリに次ぐ世界第3位の規模を誇っています(入場者数13万人!)。数年前までバルセロナは世界第2位だったんだけど、パリが始めたジャパンエキスポにあっさり抜かれた。さ、さすが華の都パリ、、、としか言いようがない、、、(涙)。



スペイン人って、もともとコスプレ大好き民族なので、昔から地下鉄ではゾンビや魔女っぽい人達を見掛けてたんだけど、最近はこのサロン・デ・マンガの影響から、街中を歩いていると不意に全身真っ赤な巨人(進撃の巨人)だとか、暁のマント(ナルト)を羽織ったグループなんかに出くわすことがしばしば。そんなことを知らない一般人は、「一体、何が起こったんだ?」と、かなりビックリすること間違いナシという状況となっています。

ちなみに今までに(過去に)僕が出会ったスペイン人オタク君達のコスプレはこんな感じ:



念入りに作り込んだスカウターを装着したサイヤ人(2010年)。



定番アスカ(2010年)。



ちょっと微妙なミサトさん(笑)。



こちらもちょっと微妙なメーテル(笑)。「哲郎、999(スリーナイン)に乗りなさい」とか言われても、特に乗りたくないかも、、、(笑)。万感の思いを込めて汽車がゆく、、、ポォーwwww



更に、何を思ったか、ドラゴンボールのボール(笑)。しかもスーシンチュー(四星球)。



最初は「なんのキャラクターかな?」と思って聞いたら、イエスキリストのコスプレだった(笑)。



個人的には現在のジャンプの中では一番面白いと思っている「食劇のソーマ」から、ソーマのコスプレ。そして極め付けはコチラ:



フリーザ様(笑)。、、、っていうか、普通やりますかね、フリーザのコスプレなんて(笑)。かなり衝撃的だったので写真を撮らせてもらった後にちょっと話してたら、「来年はフリーザが乗ってるオマル(飛行船みたなの)も作ってくる」とか言って、やる気満々でしたが。。。(笑)。



まあ、そんなこんなで今年も始まったサロン・デ・マンガなんだけど、今年は例年とは違う(嬉しい)ハプニングがあったので、そっちをメインに書こうと思います。

取り敢えず、僕はこのイベントの運営に関わっている訳ではないのですが、「バルセロナ、日本、アニメ」みたいなキーワードで検索すると僕が引っ掛かることが多いらしく、この企画に関してアドバイスを求められる事がしばしばあります。とは言っても、僕としては個人的にこのイベントを目一杯楽しみたいほうなので、出来るだけそういう事には関わらず、一人でひっそりとイベントに参加して一人で勝手に盛り上がるスタイルを貫いているんですね。

しかしですね、今回、とある関係者の方から、「cruasanさん、今年のゲストで来るガールズバンドの子達、凄いですよ。是非ご意見が伺いたいので、ライブに行ってみてくれませんか?」ということを事前に言われていました。

サロン・デ・マンガの一つの魅力として、毎年多くのゲストを招いてサイン会を開いたり、コンサートを開いたりということが挙げられます。ちなみに2006年には影山ヒロノブさんが来てくださり、むちゃくちゃ盛り上がりました。

 

多分、予想以上の盛り上がりに一番驚いてたのは影山さん本人かな、、、と(笑)。もう一つちなみに、上の動画の前列から3列目くらいには僕が居ます(笑)。いや、ほんと凄かったんですよ、影山さんのライブ。スペイン人達、Cha-la Head-cha-la大好きなのでwww

 

また、2007年に行われた山田信夫さんのライブも凄かった。最初は「nobuo yamadaって誰だ?」とか思ってたら、聖闘士星矢のオープニングを歌ってる人だった(驚)。ヨーロッパにおいて、聖闘士星矢はドラゴンボール、キャプテン翼と並ぶ大人気アニメであることから、誰もが知ってるんだけど、オープニングソングの2番をみんなで合唱し始めた時はちょっと焦りました(笑)。

そんな楽しい経験から、今年もライブには行こうとは思っていたのですが、正直言ってそんなに期待していた訳でもなく、、、始まりが19:30だったので、「帰り掛けにちょっと寄ってみるか」くらいに思っていたんですね。そしたらですね、このライブが凄かったのです!正直言って圧倒されました!!



今年のゲストは「たんこぶちん」とかいう佐賀で結成された5人組のガールズバンド。正直言って、「日本の最近の若い女の子達はこんな感じですよ」みたいな、「お飾り枠」だとばかり思っていたら、なんか生演奏が始まった、、、 ←今までのサロン・デ・マンガで生演奏はありませんでした。 で、その音楽の完成度の高さにもビックリ。そして楽曲もなかなか良いんだな、コレが!

 

もちろん初めて聞いた曲ばかりだったんだけど、いつの間にか周りにいたスペイン人達も大盛り上がり。そのパフォーマンスの高さと迫力には凄まじいものがありました。そしてそして、彼女達がラスト曲に選んできたのが、、、「Welcome to this crazy time!このふざけた時代へようこそ、、、」、、、って、「たっぽい」じゃないですかー!

 

←「たっぽい」とは、北斗の拳2のオープニング、TOM CATが歌う「TOUGH BOY(タフボーイ)」のことで、歌詞の中の「TOUGH BOY, TOUGH BOY, TOUGH BOY」という箇所が、「たっぽい、たっぽい、たっぽい」に聞こえることから、巷ではそう呼ばれていたりします(笑)。

これには僕も大興奮!思っても見なかった状況に大満足!で、家に帰って早速検索してみたら、どうやら彼女達は「TOUGH BOY」を「TOUGH GIRL」としてカバーしているみたいですね。更に更にこんなの見つけちゃいました:

 

世界で一番暑い夏!本家プリプリとはまた一味違った雰囲気に仕上がっていると思います。

まあ、ちょっと真面目に分析とかしてみると、取り敢えず、「売り出し方が上手いなー」と思います。

最近はPerfumeやきゃりーぱみゅぱみゅ、ベビーメタルなど、最初から国外を視野に入れたアーティストが多くなってきてると思うんだけど、ヨーロッパへの足掛かりの一つとして(濃い日本オタク君達が集まる)ジャパンエキスポやコスプレサミットを狙ったマーケティングは素晴らしく目の付け所が良いと思います。



逆に、サロン・デ・マンガの運営側からすると、「彼女たちのプロモーションに手を貸すから」ということで「交渉を有利に進めたんだろうなー」という裏事情も容易に読み取ることが出来たりするんですね。

さっぱり期待してなかっただけに、かなり印象に残った今年のサロン・デ・マンガ。例年とはちょっと毛色の違った視点から存分に楽しませてもらいました。あー、今から来年が楽しみだー。
| サブカル | 19:16 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした。
今週末(10月24日、25日)バルセロナでは市内に点在する200近くの建物が一般公開されるイベント、48H OPEN HOUSE BCN2015が行われていました。

←バルセロナで行われた過去のオープンハウスについてはコチラ(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館、地中海ブログ:出版界の大手、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその2:カタルーニャにおける近代建築の傑作などなど)。



6年前から始まったこのイベント、もう既にこの時期の風物詩になったと言っても過言ではなく、今年は5万人にも上る参加者が普段は入る事が出来ない個人住宅や、普段は一般入場が制限されている公共建築などを楽しんだということです。



オープンハウスと言えば、シカゴ郊外のオークパーク(フランク・ロイド・ライトのお膝元)で毎年7月に行われる催し(ライトの自邸やスタジオ、更には彼が設計した一般住宅などが無料公開されるイベント)や、毎年9月中旬の週末にロンドン市内全域を巻き込んだロンドン・オープンハウスなどが世界的に知られていると思うのですが、バルセロナのオープンハウスでは毎年テーマが決められ、特定の建築家にフォーカスしつつ数々のイベントが同時並行で開催されるという体制をとっているんですね。



そんな中、今年のオープンハウスのテーマはずばり、ガウディの影武者だった男、ジュジョール!で、出たー!バルセロナの伝家の宝刀、ジュゼップ・マリア・ジュジョール!!(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))。



上述のプラネイス邸に加え、今年はカタランボールトの特徴をふんだんに使ったジュジョール学校(Escola Josep Maria Jujol)や、ジュジョールが改修に関わったとされるピ教会(Santa Maria del Pi)の鐘塔などが公開されるという、ジュジョール・マニアにとっては嬉しい限りのイベントに。



更に更に、ジュジョール作品が数多く残るSant Joan Despi町の全面的な協力で、この町に点在しながらも普段は入る事が出来なくなっている個人邸宅や、教会なども公開されていたんですね。



基本的にケチな僕は、「この機を逃す手はない!」ということで、ちゃっかり複数のツアーに参加(笑)。様々なジュジョール体験をしてきちゃいました。 ←っていうか、このツアーに参加しないと見る事が出来ない教会や個人住宅が多かったのです!



今回見る事が出来たジュジョール作品については、また今度機会を改めて書こうと思っているのですが、今年のオープンハウスで非常に面白かったのがこちらです:



じゃーん!分かる人にはシルエットだけで分かるかもしれませんが、ピカソ美術館の直ぐ裏に建っているSanta Maria del Mar教会の屋上テラスです。



普段は絶対に立ち入る事が出来ない教会の屋上に昇っちゃおうという好企画!この教会のシンボルとも言える大きな大きなステンドグラスが嵌っている部分を真近で見る事が出来るなど、この企画は本当に素晴らしかった!



1934年、コルビジェがセルトの招きでバルセロナを訪れた際、この教会のデザインに感銘を受けたという記録が残っているSanta Maria del Mar教会なのですが、中世には「海の教会」とも謳われたほどの名教会の屋上テラスから見る旧市街の風景は別格(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



ヴォールトの詳細などが「これでもか!」と迫ってくる感じが教会マニアの僕には堪らない(笑)。そしてもう一つ:



ジュジョールが改修に関わったとされているピ教会(Santa Maria del Pi)の屋上テラスです。



Santa Maria del Mar教会に比べ、ピ教会の方が背が高く、またランブラス通りに面していることなどから、バルセロナ現代美術館を始め、旧市街地の細い路地や大聖堂、更にはサグラダファミリアなんかも見通せて、非常に面白い体験でした(地中海ブログ:まるで森林の中に居るかの様な建築:サグラダファミリアの内部空間)。



そしてこれら「上空からの体験」と対になるかのような企画、それが「地の底からの体験」なんですね。それがこちら:

 

じゃーん!バルセロナの観光名所の一つ、七色の水飛沫をあげて観光客を楽しませてくれるスペイン広場にある噴水なのですが、「この噴水がどうやって色を変えるのか、どうやって噴水の水を管理しているのか?」という、その裏側のシステムを「噴水の下から見せてくれる」という企画です。



噴水の直ぐ横にある小さなエントランスを入っていくと、旧式のコンピューターがぎっしりと並んでいるコントロールルームへと導かれます。なんか素晴らしくレトロフューチャーっぽいなー(地中海ブログ:リアル・ドラゴンボールっぽい、ブリュッセル万博(1958年)の置き土産、アトミウム(Atomium))。



そしてこちらが上の噴水の色を自由自在に変えているシステムの正体です。色の付いた巨大な箱が幾つも重なり、それらが回転することによって色を変幻自在に変えているんだそうです。



ガイドの説明によると、水の形と色の組み合わせは7000種類を超えるのだとか。へぇー、へぇー、へぇー!



その他にもセルト設計のミロ美術館に行ったり、その合間にバルセロナで一番美味しいと評判のイタリアン、その姉妹店(モンジュイックの丘)でマルガリータを頬張ったりと、今回も存分に楽しませてもらったオープンハウスなんだけど、それらの建築を訪れるにつけ幾つか思った事がありました。



と言うのもですね、最近僕は日本政府や日本の自治体が進めている「オープンデータ」という潮流に関わる機会があったりして、「公共セクターが持っている各種データをオープンにする」という流れに非常に敏感になっているからです(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!)。



建築というのはその地域に住む人たちの共通の財産であり、後世に残していくべき共同の記憶である為に、それをより良い形でオープンにしていくことは、シビックプライドの形成を通して民主主義を推し進めていく上で非常に重要なプロセスだと思っています。その辺のことについては以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

オープンデータの文脈におけるオープンハウス、そしてオープンアーキテクチャーの意義については上のリンクを参照してもらうとして、今日は「この様なイベントがどのように運営されているか?」という、マネジメントサイドの観点から少し書いてみようと思います。



当ブログの読者の皆さんにはもう既に馴染み深いことだとは思うのですが、バルセロナという都市は大型イベントを誘致することによって都市を大々的に発展させてきたという歴史があります(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。この手法は「(ある種の)バルセロナモデル」と呼ばれていたりして、欧米では最大限の成功事例として頻繁に取り上げられていることも、繰り返し書いてきた通りです(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



その一方で、それらオリンピックが一体どうやって運営されていたのか、もっと具体的に言うと、「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」について語られることは今まであまりなかったのでは?と思うんですね(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



それは何も、日本という文脈に即して見た時だけなのではなく、世界的に見てもそこまで突っ込んだ議論をしている論文、論客は非常に稀だと思います。



それでは現地(バルセロナ)ではどうなのか?、、、確かに何人か顔が浮かびますが、うーん、、、という状況かな、、、と。という訳で「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」という論題にフォーカスしたのは、当ブログ記事が初めてだったのでは、、、とか思う訳ですよ(笑)。

僕の見るところによると、バルセロナオリンピックが成功した理由、それはボランティアの力が大きかったのではと思っています。



そう、オリンピックのような大型イベントは、公的資金だけでやりくりするのは非常に難しく、それ以上に重要なのが現地でのサポートや、それらを支える市民意識だったりするんですね。市民にやる気があるのと無いのとでは大違い!そうすると、次の様な疑問が浮かんできます:

「何故バルセロナオリンピックでは市民が一体となってオリンピックを成功させようという気になったのか?」、、、と。



それはバルセロナの置かれた非常に複雑な歴史的な文脈を考慮する必要があって、1975年までフランコ政権にいじめられ続けてきたバルセロナがその呪縛から解放され、ヨーロッパに打って出ようという時に舞い込んできたイベント、それがオリンピックという晴れの舞台だったということが大きいかな。
←まあ、勝手に舞い込んできた訳ではなくて、それを無理やり引き寄せたんですが、、、(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



と言う訳でバルセロナオリンピック時になぜ沢山のボランティアの手が借りられたのかという答えの一つは、「当時のバルセロナが一つの国として高揚しようとしている時期と重なっていた」ということが挙げられ、「日本の高度経済成長期と同じような空気が蔓延していたから」ということが出来るかと思います。



しかしですね、その一方で、「ここバルセロナには、なにかしらボランティア精神みたいなものが昔から根付いていたんじゃないのか、、、」と、最近そう思うようになってきました。



そう思うようになってきたキッカケの一つが、何を隠そう数年前から毎年参加しているこのオープンハウスというイベントだったりするんですね。



知り合いが主催者なのでバルセロナがオープンハウスを始めた当初から内部事情はよく知っているのですが、このイベントにはなんと2日間で1200人以上のボランティアが参加し、それらボランティアによってこのイベントは成り立っています。



そしてボランティアなので、勿論「無償」です。では、何故ボランティアはこのイベントに参加するのか?



これに答えることは非常に難しいと言わざるを得ないんだけど、何人かのボランティアにインタビューしてみたところ、皆一様に口を揃えて言う事は、「この街の建築が好きだから、この街が好きだから」ということでした。



シンプルかつ単純、、、だけど多分これがキーポイントだと思います。



オープンハウスに限らず、この様な大型イベントを成功させる鍵、それはその街に住む人たちの街への愛着、建築への愛着にあるのだと思います。



そしてそのようなシビックプライドは短期間で育つものではなく、非常に長い年月を掛けて育つものであり、その基礎になるのは生まれた時から変わることの無い風景、自分と共に育ってきた街角や記憶といったものと共に成長するということを、僕はスペイン北部に存在する小さな村から学びました(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質、地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。



今回のオープンハウス、そしてそれに伴うマネジメント、さらにはそれを支えるボランティアの存在とその動機は、「2020年にオリンピックを控えている我々日本人にとっても大変示唆的だよなー」とか思いながら、今年も素晴らしい2日間が過ぎていきました。
| 建築 | 17:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!
僕が第3章(テクノロジーとモビリティをデザインする)を担当させて頂いた「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」という書籍が、学芸出版社から先日発売されました!
←パチパチパチ〜。



このお話を頂いたのが昨年11月頃のこと。その後、文章を練るのは勿論のこと、掲載図版の許可を関係各所に取り付けに行ったり、待っても待っても全く来ない返信にヤキモキしたりと、結構四苦八苦した中での執筆だっただけに、Amazonなんかで出版されているのを見るに付け、すごく感慨深かったりします。

非常に粘り強く僕の文章を校正してくれた担当編集さんには心から感謝したいと思います。

どうもありがとうございました!
←以前のエントリでも書いたんだけど、書籍や学術論文って、僕一人の力だけでは到底出来上がらないものであって、みんなの助けがあったからこそ出版まで漕ぎ着けたんだと、心からそう思っています(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文がファイナンシャルタイムズに紹介されました)。


記の写真は全て、約12年ぶりにバルセロナ市内で行われた「カー・フリー・デー」の写真です(10月17日)。「車の騒音が無いと、どれだけ快適か?」ということを市民に体感してもらおうという好企画)

この書籍はですね、海外で都市計画やランドスケープなどを仕事にしている人達(日本人)が16人集まって、それぞれの仕事のこと、その職にどうやって就いたのかという裏話、その国や地域の社会文化のことなどをそれぞれのスタイルで書き綴っているエッセイ集となっています。僕の章は、バルセロナでの仕事のこと、今まで携わってきたプロジェクトの話、更にはバルセロナ都市生態学庁(バルセロナ市役所)への就職秘話や、カタラン社会の中で生きていく喜びや苦しみなどについても書いていたりするんですね。


(普段は車両でいっぱいの都市の大動脈も、今日は子供達の遊び場に)

最初の草稿の段階では(当ブログの様な)軽いノリで、「ラテン社会に暮らす楽しみ」とかを思いっきり書き散らしていたんだけど、「ラテン社会のお話は大変面白いのですが、それは想定内なので、、、」と担当編集の方にバッサリ切られ(笑)、そのおかげもあって、当ブログとは一味違う真面目なスタイルで、しかし読み易く、また読み応えのある内容に仕上がったと自負しています。
←繰り返しますが、これは全て担当編集さんのお力添えのおかげです。

そんな学芸出版さんには、僕の紹介文としてこんなことを書いて頂きました:

「登場する16人の中で、 建築家の職能へのありふれたイメージから一番離れた仕事をしておられるのが、吉村有司さんかもしれません。エッセイの冒頭でも、"モビリティ"や"ネットワーク"、"データ分析"などをキーワードとする自分の仕事を、初対面の人に伝えることの難しさが綴られています。

…中略…

吉村さんのユニークな仕事ぶりを、プロジェクトのメモやスケッチも通して垣間見ることができ、建築家の仕事への印象が大きく変わります。」



(「都市の主役は我々人である」ということを思い出させてくれる風景)

さて、全編を通して読んでみた第一印象、それは「世の中、いろんな人がいるなー」ということに尽きると思います。ある人は大都会ニューヨークのど真ん中でパブリックスペースのデザインに関わっていたり、ある人はアフリカで測量していたり、正直言ってこんなに沢山の日本人が海外で都市計画やランドスケープに関わっているなんて想像もしていませんでした。

そして多分、ここがこの書籍の最も重要なポイントだと思います。

「海外で建築を仕事にする」=「世界で働いている建築家」と聞くと、誰しも「スター建築家の事務所で働いている」ということを想像すると思うんですね。で、そういう情報って結構内輪では共有されていて、例えば「シザ事務所には今日本人がxxxx人在籍していて、スティーブン・ホールの事務所にはxxxxさんがいらっしゃるけど、今月もう一人入ってくるらしい、、、」みたいに、世界の有名建築事務所で働いている「日本人建築家分布図」みたいなものは、比較的パッと頭に浮かぶと思います(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。


(このイベントことを知らずに、何処からか迷い込んでしまった車両が、いかにも申し訳なさそうにしている様子が笑える)

しかしですね、その一方で「海外で都市計画、ランドスケープに携わっている日本人建築家の分布図」というのはそう簡単には想像出来ません。というのも「都市計画やランドスケープといった仕事をどの事務所が扱っているのか」という所から考え始めなければならないので、定期的にメディアに載ったりする「建築作品」とそれを扱った「建築事務所」ほど、その所在が自明ではないということが言えると思うからです。

実際、今回の企画書とその執筆陣のリストを見るまで、世界のどんな事務所で誰が何をしているのかなんてことは、(少なくとも僕は)さっぱり知りませんでした。更に、それら執筆者の所属は十人十色で、かたや個人事務所に所属している人もいれば、かたやNPOで働いている人もいたり、はたまた僕のように市役所や州政府といった公的機関で働いている人もいたりと、本当にバラバラ!それらを眺めてみるだけでも、今回の書籍は手に取る価値があると、僕はそう思います。


(街路は一つのパブリックスペース(公共空間)です。そう考えると、都市にはまだまだ可能性が残っている気がする)

その様な違いの一方で、全ての執筆者に共通すること、それは扱っている物件のスケールが大規模だということだと思います。まあ都市計画やランドスケープなので当たり前と言えば当たり前なんだけど、東京ドーム8個分の人工湖を創っていたり(別所力さん)、よく分かんないけど、アフリカに測量しに行ったりと(長谷川真紀さん)、色んな意味でスケールが大きい、大きい(笑)。


(街路とパブリックスペースがゆるやかに繋がっている様子)

個人的には、ニューヨークで都市生態学を研究・実践されている原田芳樹さんのエッセイが一番面白かったかな。

「都市を生態学的に捉える」という視点は僕の根底にあるコンセプトでもあり(僕はバルセロナ都市生態学庁の出身!)、制御系インフラとして緑地をデザインすること、更には都市機能改善の為に緑地を都市内に戦略的に配置していくという、ある種の「都市戦略」の考え方はものすごく共感出来るものがあります(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。


(街路のど真ん中に機材を持ち込んで、勝手にコンサートをし始めた(笑))

また、別所力さんはご自身のエッセイの中で、「莫大な予算を注ぎ込んで作るオリンピック施設には批判もあるが」と前置きされつつ、「バルセロナの例のように、オリンピック後もパブリック・オープンスペースとして活気を見せる例はある」と書かれていたり、「スペインのガウディ」(保清人)という文字が見えたりと、我が街バルセロナに影響を受けた人達が多い事も、大変嬉しい発見でした。


(椅子を持ち込んで、くつろいでいる人達もいる)

編著者の福岡孝則さんは、「あとがき」でこんなことを述べられています:

「海外で学び、働くことは何か特別なプログラムが用意されているわけではない。大切なのは、自分が立つ場所とそこに流れる時間、出会った人間を最大限に生かして、自分を掘り下げることだ…‥」

そう、海外で生活をする、仕事をするということは、その地に住む人達との出会いや触れ合いを通して、自分にしか創り上げることが出来ないプログラムをゼロから組み上げ、その価値を信じてひたすら歩み続けることだと思います。

それは世の中の絶対多数の人達が決めた価値に「単に乗っかる」ことではなく、自分だけが見出すことが出来た価値をひたすら信じていくという、大変困難な道でもあるんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。‥‥どんなに叩かれようが、どんなに無視されようが、自分の信じた価値をひたすら追求していく不屈の精神…‥それは、ある種の「狂気」と言えるのかもしれません。しかし建築の深み、建築の可能性とは、そんな狂気にも似た絶えまぬ歩みの中からこそ発見されるのではないでしょうか?

この書籍に収録されている16本のエッセイは、それら一人一人の執筆者が自らの人生を掛けて紡ぎ上げた物語であり、各々が信じたものへの絶えまぬ情熱であり、その歩みの先にある「未開拓のフィールドへの可能性」だったりします。

そう、この書籍全体を通して伝わってくるもの、それは「我々建築家に残されたフィールドはまだまだ広い」という確信に満ちたメッセージなのです。

「世界はチャンスで満たされている」(田根剛)

この書籍を通して、そんなチャンスを感じてもらえれば、共著者としてこれ以上嬉しいことはありません。

この本が、一人でも多くの人の心に響くことを切に願っています。
| 大学・研究 | 05:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
(速報)カタルーニャ州議会選挙2015:独立派の勝利
たった今、カタルーニャ州議会選挙(2015)の結果が出ました。
開票率84%の時点で、カタルーニャ独立を打ち出しているJunt pel Si(現政権のCDCと極左のCUP)の合計獲得議席数72で独立派が勝利宣言をしました!



カタルーニャにとって歴史的瞬間だと思います。ちなみに今回の投票率は77%!
カタルーニャの独立が掛かっていた今回の選挙への、カタルーニャ人達の非常に高い関心を反映していると思います。

この結果を受けて、勝利政党であるJunt per Siは数ヶ月以内の「独立を宣言」を目指し、具体的に動き出すものと見られています。
←前回のエントリで書いた様に、バルサはスペインリーグから去る可能性が非常に高くなってきました(地中海ブログ:カタルーニャが独立を宣言したらバルサはスペインリーグでプレー出来なくなるらしい)。



ただ、そこに辿り着く為には数々の壁が立ちはだかっている事もまた確か。

第一に、現政権のCDC(右寄りカタルーニャ主義政党)は単独では過半数に到達しない為に(単独では獲得議席数は62、絶対過半数は68)、同じく独立を目指しているCUPとの連立を組む事が必須となるんだけど、CUPはCDCの政策とはソリが合わないので、「現カタルーニャ州政府大統領であるArtur Mas氏が大統領に就任するのなら連立は組まない」とはっきりと宣言しています。そうなると残された道は、ERC(左寄りのカタルーニャ主義政党)が大統領候補を擁立する事になるんだけど、それをCDCがあっさりと受け入れるかは不明、、、かな。

しかしですね、もっと重要な問題は、確かに獲得議席数では独立派が過半数を取ってるんだけど、獲得票で見ると、「独立へ賛成」は過半数を割っているという事実なんですね。

獲得票では「独立への賛成票」は47%に留まっています。逆に言うと、「独立への反対」が53%を数える事になっているということなのです。

獲得票が獲得議席数に正しく反映されない点は、これまで度々指摘されてきていて、それを知っているからこそ、CDCは「(獲得票数ではなく)獲得議席数が過半数を超えたら、独立を宣言する」と公約していました。 勿論ここには、「投票者の過半数以上の人たちが独立へ反対しているのに、それを無視して独立を宣言していいのか?」という大きな問題が横たわっています。

その辺をどのように解決していくのか、それが今後の政策の鍵である事は間違いありません。



今回の選挙結果の詳しい解説や分析などは、すべてのデータが出揃う明日以降に回したいと思います。

追記
こんな時大変面白いのが、各種新聞が今回の件をどうやって報道しているかを見て見る事です。



スペイン社会労働党がバックについているEl Pais紙は、「独立派は獲得票数ではなく、獲得議席数で選挙に勝った」と報じています。



一方、右寄りのカタルーニャ主義政党がバックについているLa Vangurdia紙は、「独立派の完全なる勝利!」。カタルーニャの独立については今まで色々と書いてきたけど、カタルーニャを中心とするスペインの政治状況などについてもっとよく知りたい人達はこちら:


地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!

地中海ブログ:カタルーニャ州議会選挙その2:スペイン、そしてヨーロッパ左派の終わりの始まり‥‥かもしれない。

地中海ブログ:速報:バスク地方の独立を目指す民族組織ETAがテロ活動を永久に停止すると発表

地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2015

地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2011:バルセロナに革命起こる
| バルセロナ歴史 | 05:39 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カタルーニャが独立を宣言したらバルサはスペインリーグでプレー出来なくなるらしい。
なんか毎年のことなのですが、この時期は日本からのお客さんが非常に多くて、今週はパエリアを7回も食べました(苦笑)。



手長エビちゃんのピースにはちょっと笑ったけど、一週間に7回はちょっとキツイ。
←バルセロナが誇るパエリアの名店、Can Majoの特性パエリアでーす。

さて、最近巷を賑わしている話題と言えば、今月27日に行われるカタルーニャ州議会選挙のことで、僕自身も、地元の政治家や研究者、市民団体なんかに呼ばれては、「外国人として長くカタルーニャに住んでいる君の意見を聞かせてもらおう」とか言われてミーティングに駆り出されることが非常に多くなってきています。



さて、では何故こんなにも選挙の話ばかりするのか?

実は、今回の選挙では独立派(現政権)が絶対多数を獲得すると見られていて、現カタルーニャ州政府大統領が、「選挙に勝ったら即座に独立を宣言します!」と公約しているからなんですね。いままでは「独立、独立」と騒いではいても、その前に何かしらの壁が立ちはだかり具体的な話にまではいかなかったんだけど、今回はそこが違う。



まあ、とは言っても、マドリードが憲法を盾に「独立は違憲だ」と言ってたり、欧州委員会が「カタルーニャが独立するならEUからは出ていってもらう」と宣告したり、はたまたスペインの銀行がこぞって、「独立するならカタルーニャにある(銀行の)オフィスを他の都市へ移す準備をする」と異例の声明を発表したりと、反対派もかなり具体的な動きを見せる様になってきつつあります。


カタルーニャ銀行のクレジットカード。カタルーニャの国旗を上手く取り入れた魅力的なデザインに仕上がっていると思う。

そんな中、僕の立場はというと、、、「独立したければすれば良いんじゃない」っていう感じかなー。

数年前までは、「ど、独立!!何考えてるんだ!主要産業ないのに、どうやって生きていくの?」とか、「ど、独立!確かにスペインのGDPの20%以上をたたき出してるけど、それ以上の借金があること、忘れてるの?」とか色々な事を思ってたんだけど、それももう止めました(地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!、地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。

独立とかそういうことは、「この地に生まれ、この地で育った人たちが決めることであって、彼らの総意なら、それはそれでいいんじゃないか、、、」と、今では心からそう思っています。



だから地下鉄でこんなパンフレット(独立擁護派が作った広告)を見つけても、「あはは、、、微笑ましいなー」とか、結構余裕で笑ってたりするんですね:

「カタルーニャ独立に関する7つの回答」

1.なぜ独立するのでしょうか? →独立はより良い国家を作る唯一の手段であり、みんなにとって平等な社会が待っているから。

2.独立してもEUに残れるのでしょうか? →はい、残れます。

3.独立後も年金は受給できるのでしょうか? →はい、出来ます。

4.独立後の経済はどうなるのでしょうか? →すごく良くなります。

5.独立後も「スペイン人」であることは可能なのでしょうか? →はい、可能です。

6.独立後、政治家(と政治)の質は良くなるのでしょうか? →はい、とっても良くなります。

7.何故我々(カタルーニャ)には国家が必要なのでしょうか? →カタルーニャ国は社会的に平等であり、経済的にもっと豊かになり、より良い民主主義が待っているからです。

個人的にはNo.5が最高(笑)。

「独立後もスペイン人であることは出来るのでしょうか?
Podre seguir essent espanyol?)」
→→→ 「勿論です!スペイン人であることは、カタルーニャの独立を支持する事と両立します。独立後もスペイン国籍を保持する事は可能ですし、カタルーニャ国籍を保持する事は勿論、両方を保持する事すらも可能です。」
Es clar que si... Ser i sentir-se espanoyl es compatible amb voler la sobirania politica de Catalunya... Es podra mantenir la nacionalitat espanyola, la catalana o ambdues.

しかしですね、こんな余裕で構えていたぼくの前に、大変重大なニュースが飛び込んできました!それがこちら:


「カタルーニャが独立を宣言したら、バルサはスペインリーグから出て行ってもらう
(El Pais紙)」


えーーーーーーー!!!!!
そうなのー!!!!!!!!!!
これはさっぱり予想してなかったぞー!!!!

新聞記事(El Pais, 19/09/2015)をよく読むと、どうやらスペインには「スペインリーグで戦う為には、クラブはスペイン国内の連盟に登録する必要がある」という法律(スポーツ法)があるらしく、スペインフットボール連盟(RFEF)は、スペインの各州の連盟に所属していないクラブの登録を受け付けていないらしいんですね。これはどういう事かというと、カタルーニャが独立した場合、自動的にFCバルサは「外国のクラブ」ということになるので、スペインリーグには所属出来ない、、、という事態に陥ることを意味するのです。しかも注意しなくてはならないのは、「独立が認められた時」ではなく、「独立を宣言した時」だという点です。つまり、独立派が選挙に勝って、その瞬間に「独立を宣言します」と言った瞬間からバルサはスペインリーグでは戦えなくなるということなのです。

←勿論例外はあります。例えばアンドラのチームはスペインの地域リーグに属していますが、それは「交渉の結果認められた」ということであって「自動的にそうなった」ということではありません。つまりカタルーニャが独立した場合も交渉の余地が残されている事は確かなんだけど、今回の独立はスペイン国、もっと言っちゃうとEUとの喧嘩別れなので、「サッカーだけは別」みたいな都合の良い交渉が成立するかどうかは、かなり微妙、、、



これは勿論、「バルサ」という大変強力な武器を使った「独立反対派の脅迫」なんだけど(地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)、そんなことよりも、バルサの試合といえば、ぼくが毎日仕事から帰ってきて、ちょっとづつ切っては食べている生ハムと同じくらい重要な、人生を楽しむ為の一部なのに、それが無くなったら、どうするんだー!!
←悲しいなんてレベルじゃないです。



経済危機に端を発する独立への盛り上がりは、今のシルバー世代にとっては、「市民戦争前の第二共和制を思い出す」だとか、フランコを始めとするマドリードに虐げられてきたカタルーニャがやっと解放され、「我々自身の言語、我々自身の社会文化をやっと謳歌出来る」みたいな感じで感情論に突っ走り、それがその地域の運命すらも変えてしまうという大変危険極まりないものであることに間違いはありません(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題)。



そんな時、少し引いて冷静かつ論理的に事態を見据え、皆を導くリーダーが現れてもいいと思うんだけど、いかんせん、そんな資質のある人は現在のカタルーニャにはおらず。。。(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



このまま何も考えずに独立に走り、カタルーニャに居を構える国際機関が一斉にバレンシアに流れ、銀行や大企業のオフィスも他都市へと移り、残ったのは借金だけ、、、という状況になることは目に見えていると思うんだけど、上述したように、それはこの地に生まれ育った人達が決めることなので、僕はそこにあまり口を出そうとは思っていません。

、、、が、しかしですね、独立を宣言することによってバルサがスペインリーグから追い出されるというのなら話は別です!

これは一大事です!
ど、どうしよう。。。。(苦笑)。

追記:
スペイン中央銀行が「(今週末行われると見られている)カタルーニャ州の独立宣言は、預金封鎖の引き金となる可能性がある」と指摘(21/09/2015, El Pais)。

Financial Timesが「独立への投票率が50%を越えたらなら、その事実をEUは無視出来ないだろうし、マドリードは憲法改革を通してカタルーニャの自治権を拡大すべきである」と指摘(La Vangurdia, 21/09/2015)。

26/09/2016: バルサの命運が決まるまであと1日!いままで色んな人達にインタビューしたけど、皆一様に「バルサよりも独立の方が重要だ」と言っていた事が印象的だった。
| バルセロナ歴史 | 06:21 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!
怒涛ともいえる3日間の日本滞在を経て、やっとの思いでバルセロナに到着しました。



今回の弾丸帰国、トランジット待ち(2時間の予定)のミュンヘン空港のカフェでコーヒーを飲みながら、「あー、そろそろ搭乗時間かなー?」とか思ってもう一度チケットをよく見たら、待ち時間が「2時間」じゃなくて「12時間」だった(苦笑)。
←「1」を一つ見落としてたー!ギャー!!
もう、愕然とするしかなかったんだけど、ミュンヘンは今まで一度も来たことがなかったし、「良い機会かな?」と気持ちを切り替えて、前々から行きたかったコープ・ヒンメルブラウ設計のBMW博物館へGO!



ぼく、車とかバイクとかサッパリ興味がないんだけど、この博物館ではBMW車に試乗出来たり、バイクに跨ることが出来たりと、色々と体験することが出来て結構楽しい。



そしてそして、ミュンヘンと言えば、我々建築家にとって思い出されるのはやはりフライ・オットーのミュンヘンオリンピック競技場かな?、、、と思います(これについては次回のエントリで詳しく書こうと思っています)。

と、そんなこんなで東京到着前から既に波乱だらけの幕開けとなった今回の弾丸帰国、その目的は前回のエントリで書いた通り、8月8日に横浜で行われた「スマートシティとオープンデータ」に関するシンポジウムに参加する為だったんですね(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))。



いままで登壇者としてプレゼンすることは(色んな国と地域で)それこそ数え切れないほど経験させてもらったんだけど、その様なシンポジウムを企画する側に回ったのは実は今回が人生初!もうホント、分からないことだらけで、手探りの状態の中で進めてきたということもあり、当日は結構ドタバタだった気がします。



また、どれくらいの参加者の方々に来てもらえるかなどがサッパリ予測出来なかったことなどもあって、少々不安でもあったんだけど、当日は本当に沢山の人たちに来てもらうことが出来て、結果から言うと、「大」の上にもう一つ「大」が付く程の「大大大成功」と言っても過言では無かったと思います。



「(有料の)オープンデータ系のイベントでこれだけの人達が集まるのはちょっと異例」という言葉を色んな人達から言って頂けるほどの活況でした。



今回のシンポジウムを企画するにあたり、スポンサーの方々や登壇者の方々は勿論、分からない部分について様々なアドバイスを下さった方々や、お忙しい中、当日会場に駆け付けて下さった方々に心から感謝します。



どうもありがとうございました!!!!

で、この大成功を受け、「このシンポジウムを連続シンポジウムにしよう」という提案が出ています。今回と同じく、横浜市役所、バルセロナ市役所、そしてMITのバックアップのもと、第2回目は「オープンデータと医療」、第3回目は「オープンデータと観光」と題して行おうと画策している所です。

特に第3回目の「オープンデータと観光」については、2020年の東京オリンピック問題を絡め、「バルセロナオリンピックの成功と失敗から学ぶこと」みたいな感じで企画出来たらと思っているんですね。



当ブログの読者の皆さんには既に馴染み深いテーマだとは思うのですが、バルセロナは1992年のバルセロナオリンピックを契機に都市のインフラを大規模改善することに成功し、この都市開発手法は後に「大規模イベントを活用した都市開発モデル=バルセロナモデル」として世界中の都市に注目され続けてきました(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



それらの議論では、「なぜバルセロナはこれほどまでに発展することが出来たのか?」、「いったい何が成功の要因だったのか?」など、主に「成功面から捉えたもの」が殆どだったと思うのですが、その一方で「バルセロナの失敗」についてはあまり語られることがなかったと思います。



僕の眼から見ると、バルセロナは数々の失敗を幾つも繰り返しているし、特に近年は、「成功し過ぎた観光」による都市への弊害、「増えすぎた観光客による市民生活への影響」が現地で大問題となってきつつあります(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化)。これは、「観光こそ21世紀を担う産業だ!」と手離しで観光客を誘致することだけを考えている日本の現在の状況に、それと並行して「観光マネジメントを考慮することの重要性」を示唆する事例でもあったりすると思うんですね。



更に、バルセロナオリンピック時において建設された施設群が「今現在、どのように使われているのか、どう運営されているのか?」といったポストオリンピックにも焦点を当てることによって、東京で計画されている選手村を含むオリンピック施設群の問題にも何かしらの光が当てられたらとも思っています。



‥‥と、こんな感じで今回初めて企画した「スマートシティとオープンデータ」シンポジウムから学んだ教訓を活かし、これから4ヶ月ほどを掛けてこれらの企画を実現していきたいと思っています。

上記のようなテーマで、「こんな話が聞きたい!」、「こんなテーマを取り上げてくれ!」というようなご意見、ご要望があったら、是非メール頂ければと思っています。



取り敢えず、今日はシンポジウムの成功を祝って、一人で勝手に乾杯しよう。
←いつもながらにコーヒーとクロワッサンで。
←ぼく、ビール飲めないので(笑)。

追記(今回の東京滞在で思ったこと)
シンポジウムの翌日(日本滞在最終日)は仕事関係のミーティングがギッシリ入ってたんだけど、その間の短い時間を使って森アーツセンターギャラリーで開催中の「機動戦士ガンダム展:THE ART OF GUNDAM」へ行ってきました。



日本ミュージアム・マネジメント学会の基調講演の為に帰国した6月の時には、同じ場所で「ナルト展」がやってたんだけど、森アーツセンターギャラリーって、こういう路線に変更したのでしょうか? ←個人的にはかなり嬉しい。

今回の展覧会ではガンダムの頭部が原寸大で作ってあったり、見たことない原画が展示してあったりと、ガンダム好きには堪らない展覧会となっています。

ここを駆け足で見て回り、バルセロナへの帰国便に乗る為に羽田空港へ。実は羽田空港を使うのは人生初! ←いつも日本へ帰る時は中部国際空港(セントレア)なので。で、今回、初めて羽田空港を使ってみたのですが、正直言って、これが日本の首都、東京の玄関口だとは思えないほど貧弱な空港で「ある意味」驚きました。

上述したように、羽田空港を使うのは今回が初めてだったので、この空港のことをよく知らないし、東京にはもう一つ成田空港があるということも分かっています。また、僕が使ったのは国際線の方で、「羽田は国内線と分かれているらしい」ということも分かった上でのことなのですが、取り敢えず「初めて使ってみた感想」を率直に書いてみます。

まず、ニューヨーク、ロンドン、パリなどと肩を並べるグローバルシティ、東京の空の玄関口としては貫禄がなさすぎ。レストラン街も、お寿司とかラーメンとか揃えてるのは分かるけど、ちょっと品揃えが少なすぎな感が否めません(レストランのラインナップだけなら、セントレアの方が良いと思うほどです)。



外国人観光客向けに橋とか非常にがんばって作ってるけど、正直言って、「うーん」って感じかな。チャックインして中に入っても、欧州のハブ空港フランクフルトなんかとは比べようもない。そして決定的なのは、空港から都内へのアクセッシビリティ。電車で40分って、これは遠すぎる。フランクフルトの12分(電車)は例外としても、バルセロナですらバスで20分の距離圏内ですからね。


(フランクフルト市内の街並み)
その一方、都内の公共交通機関の充実度は世界トップレベルであることは間違いありません。つまり空港は都心から無茶苦茶遠いけど、都内に入ってしまいさえすれば移動は最高にスムーズだということです。また、近年批判され続けてきた無料wifiの面も、地下鉄会社(?)が無料提供し始めたので、大変改善されていると思います。


(仁川空港)

もう一度言いますが、今回初めて羽田空港を使ったので、この空港については知らないことが多いし、もしかしたらものすごく間違ったことを言っているだけなのかもしれません。

今後、羽田空港、成田空港を使うことが多々出てくると思われるので、この空港問題に関しては観光客目線で、もうちょっと観察を続けてみようと思います。
| 仕事 | 02:01 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
磯崎新さん設計によるア・コルーニャ人間科学館(DOMUS)
暑い、非常に暑い!前回のエントリで書いた様に(スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))、現在ヨーロッパにはアフリカからの熱波が押し寄せて来ていて、スペイン内陸部では連日40度を越す猛暑が続いています(ニュースでは38度とか言ってるけど、あれは日陰で測った温度です)。



街路に掲げられている温度計(43度!)も暑すぎて壊れてるっぽい(苦笑)。「ヨーロッパは乾燥してるから、暑くてもジメジメしてないんだよねー」という、間違ったイメージを持ってバルセロナに来る観光客のかたが非常に多いのですが、バルセロナは海に面していることもあり、意外と「ジメッ」としています。以前京都から来た友人が「バルセロナって京都よりも湿度高いかも」と汗ダラダラになりながら苦笑いしていたのを思い出しますねー。



そんな酷暑の中、所用の為にア・コルーニャに行ってきました。スペイン北西部に位置するア・コルーニャ市は、真夏といえどもそれほど気温が上がらず、最高でも25度から27-8度程度と、非常に過ごし易い気候で知られているんですね。



また市内には、ユネスコ世界遺産に登録されているヘラクレスの塔(ローマ時代に作られた灯台)があることなどから、世界遺産大好きな日本人観光客のみなさんにも比較的馴染み深い都市となっているのでは?と思われます。



その一方、我々建築家にとって「ア・コルーニャ」といえば、やはりコチラかな:



そう、泣く子も黙る日本が生んだスーパースター、磯崎新さん(建築家)が設計されたア・コルーニャ人間科学館(ドムス:Domus)です。完成は1995年なので、ちょうど磯崎さんがパラウ・サン・ジョルディ(バルセロナオリンピックのメイン会場)を完成されて、「これからヨーロッパでガンガン建築を創っていくぞー」と息を巻いていた頃だと思われますね。



この建築が建っているのは、「大西洋のテラス」と形容出来そうな最高のロケーション!イメージとしては、僕が小学生くらいの時にテレビで放送していた「メイプルタウン物語」に出てきそうな街、、、というところでしょうか(笑)。
←ちなみにあのアニメ、第二弾が「パームタウン編」とかいって、「メイプルタウンとさっぱり関係ないじゃん!」と、子供心に思っていました(笑)。更に更に、なんでパームタウンに行く事になったかというと、主人公(うさぎ)の従兄弟がその街に住んでるからっていう設定だったんだけど、その従兄弟、犬なんですよね(笑)。しかも猫のギャングに虐められる‥‥っていう不思議な設定(笑)。

↑↑↑はい、どうでもいい豆知識終わりww

さて、海岸線沿いに降りてみると、カーブを描くビーチの何処からでもこの建築が目に入ってくることから、「この建築は、この街のシンボルになるように期待された」と、そう読み取る事が出来ます。



‥‥僕がこの街を初めて訪れたのは今から14年も前のこと、丁度オポルトに住み始め、シザの建築を見て回っていた頃だったと思います。「青春18切符ヨーロッッパ版」みたいなのを買って、ポルトガルやスペインを始め、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアなどの建築や街を見て回っていた時に、乗り換えの都合でたまたま立ち寄ったのが、このア・コルーニャという都市でした。



ただ当時は(乗り換えの為に)あまり時間が無く、街を一回りするだけで精一杯。磯崎さんのドムスも海岸側からチラッと見て、写真を1−2枚撮るだけに留まっていました。

しかしですね、今回の滞在で改めてこの建築をジックリと観察してみてビックリ!そのデザインの質の高さに驚いてしまったという訳なのです!!

そんな素晴らしい建築、先ずは、海岸側から眺めてみます:



全身に風を受けて立つ帆のイメージでしょうか、、、。目の前に広がる海岸の緩いカーブに沿って建てられた、非常に素直な形態です。そして大変特徴的な緑色のファサード、これはこの辺りで取れるスレートだそうです。



海岸線を背にしつつ、大階段の右手奥にそっと設えられた階段を登ってみます:



この小階段は大階段に対して直角方向に付いていることから、先ずは「ファサードに向かって」ではなく、「ファサードと平行方向に」歩かされます。
←ここ、重要!
左手側には海岸線、そこから更に右手方向に半転(90度)させられ、ここで再びファサードとご対面〜:



そして大階段を登り切ったポイントから振り返るとこの風景:



うーん、絶景かな、絶景かな。ここでちょっと上の方を見上げてみます:



これがファサードを構成する緑色のスレートのディテール。石を長方形にカットしておいて、それを一枚一枚丁寧に貼り付けているのが見て取れます。スペインとは思えない非常に丁寧な仕事、そしてそれを実現する技術力、、、といったら言い過ぎでしょうか?(苦笑)



そんなことを思いつつ、更に階段を登っていくとエントランスホールに導かれます。



海岸線から大階段、そしてエントランスへと、「これがこの建築の基本的なアプローチ空間の構成かなー」とか思ってたら、ここで大どんでん返し!!!



エントランスホールを左手に見ながらそのまま真っ直ぐ進むと裏通りに出るのですが、この建築の裏側、そこのデザインが凄かったのです!



表側の「緩いカーブ」とは対照的な「ジグザグ」を基本としたファサード、ちょうど屏風の様な形になっているんですね。ちょっと左方向に歩いて行ってみます:



うーん、ジグザグです(笑)。次は右手方向に歩いて行ってみます:



やっぱりジグザグ(笑)。しかもなんだか、「ジグ」と「ザグ」を繋いでいる直線部分が間延びしてたりして、ちょっとカッコ悪い、、、。



一番端っこまで行くと、そこから表側に回れるようになっていて、そちら側にはレストランが設えられていました。



この視点から見る空の切り方は秀逸。更に更に、端の切り方はもっと秀逸:



真横にビヨーンと伸びた形態って、その端の切り方でその建築の質が変わってくると思うんだけど、この納め方は非常に美しいですね。そしてここからもう一度裏側へ戻ろうとした時、事件は起こりました!それがこちらです:



な、なんと、先ほど見た伸び伸びでカッコ悪すぎた一つ一つのジグザグ、それらが重なり合うことによって「襞」を創り出し、この上ない風景を出現させていたのです!



す、素晴らしいの一言!

この様なデザインは、(1)我々人間の眼が地上から150cmくらいのところに付いている、(2)人間とはその様な眼を持って空間内を歩き回る存在である、ということが十分に解ってないと出来るデザインではないと思います。



「な、何をそんな当たり前のことを、、、」と思われるかも知れませんが、これが意外と難しいんだなー。そしてこの様な襞を創り出しているということは、この建築の一番の見所、そのパースペクティブを常に意識してデザインしているということでもあるんですね。

この様な手法を用いて創られた非常に優れた建築としては、ラペーニャ&エリアス・トーレスがデザインしたトレドのエスカレーターがあるかと思われます(マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



色んな方向を向いたエスカレーターが折り重なることによって襞を創り出し、更に適切な天井操作と相まって素晴らしくカッコイイ風景を創り出しています。が、しかし、それを反対側から見るとこんな感じに見えちゃいます:



ほらね、間延びしててカッコ悪いでしょ(笑)。しかしですね、こんな間延びすらデザインにしてしまったのが、何を隠そう我らがアルヴァロ・シザだったりするんですね:



シザのこの住宅、真正面から見ると襞が重なり合って非常にカッコイイ風景を創り出しているのですが、それを真横から見るとこんな感じ:



上の2作品と同様に確かに間延びしてるんだけど、このシザの建築の場合は、この間延びが、あたかもポルトガルの「ゆったりと流れる時間」のような社会文化を表象しているかのようですらあるのです!正にシザ・マジック!

‥‥僕は思うのですが、はやり建築というのは、「その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である(槇文彦)」‥‥と。そしてそういう能力を兼ね備えた人のこと、無意識の内にもデザインからその様な片鱗が見えてしまうものを創り出してしまう人のことをこそ、我々は建築家と呼ぶのだと‥‥。

あー、また脱線してしまった、、、。

さて、今回の磯崎さんの建築デザインなのですが、この様な「ジグザグ形態による襞」というかけがえのないアイデアを中心とした、「裏側のデザイン」を知った上で、「表側のデザイン」を見ると、また違った意味合いが出てくるから不思議です。



大西洋の風を全身で受け止めながら市内の一等地に建っているこの建築のファサードは様々なメディアに取り上げられ、「ア・コルーニャの顔」ともいうべきシンボルとなってはいるのですが、上述の形態操作などを見るにつけ、今まで「表」だと思っていたこちら側が、実は「裏側」なんじゃないか、、、という気すらしてくるんですね。

エントランスの扱い方を見るに付け、この思いはより一層強くなっていきます。

先ほどの襞が一番カッコよく見えるポイントから少し坂を登っていくとこの建築のエントランスにぶつかるのですが、進行方向に向かって門が少し「ハスに構えている」のが見て取れます:



そして言われるがままに歩いて行ってみます:



向こう側にはパッと開ける視界が少しだけ右側に曲がりながら開けているのを見ることが出来るんですね。



つまりこうすることによって、螺旋状の動きを作り出し、その流れに沿って自然にエントランスに導かれる‥‥という流れを作り出しているのです!入り口を入ったところがコチラ:



2層分吹き抜けの大変気持ちの良いエントランス空間の登場〜。ちなみに内部空間はこんな感じ:



‥‥どちらが表でどちらが裏なのか分からない、、、はたまた表はやはり表であって、でも裏側から見たときはそれが表になって、、、と考えれば考えるほど、なんか磯崎さんの術中にはまり、ひいては彼の掌の上でチョロチョロと遊ばされているだけだった、、、ということになるという、、、なんか、そんな色んなことを考えさせられる建築であることは間違いありません。



素晴らしい建築体験でした!

追記:
ア・コルーニャを訪れる楽しみの一つは大西洋が育む豊富な海産物です。そんな中でもガリシア風タコ煮は絶品!市内でも1、2を争うと言われるレストランがスペイン広場にあるんだけど、その名もA Pulpeira de Melide(メリデ村から来たタコ煮職人の家(笑))!



ここのタコ煮は絶品です。柔らかすぎす、かと言って固すぎず、厚さも適切にカットされている極上の逸品に仕上っています。



マテ貝も頼んでみたのですが、コチラも素晴らしい逸品でした!こんなに身がプリプリのマテ貝は珍しい。

食後のデザートはコチラで:



ア・コルーニャを本店とするチューロスの名店、Bonilla a la vista! 程よい甘さのホットチョコレートを揚げたてのチューロスにつけて食べると、もう最高〜。



建築探訪と共に、食事も最高のア・コルーニャ訪問でした。
| 旅行記:建築 | 12:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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