地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
2009年のスペイン観光事情と21世紀の都市問題について
先週の新聞(La Vanguardia, 31 de Enero 2010)に2009年のスペイン観光動向情報が載っていました。

観光は21世紀最大と言われている産業であり、ここカタルーニャにおいてはカタルーニャ経済を支える3大柱の一つにまでなっている程なんですね(地中海ブログ:移民について:カタルーニャの矛盾)。更に現在ヨーロッパの都市で見られるほとんどの都市現象は観光に関連するものであると言っても過言では無いと思われる事から、当ブログでは定期的に観光における定点観測を行っています。

さて、スペインでは「太陽とビーチ(Sol y Playa)」をモデルとして観光産業は90年代から順調に発展してきた訳なのですが、そういう大局的な目で見た場合、去年(2009年)の特徴は何と言っても「最悪の年」の一言でした。新聞の見出しも:

観光:最も暗かった年(TURISMO, El ano mas negro

とかなり直接的。やはり経済危機や、その前から顕著だったスペインの不動産バブルの崩壊などの影響が劇的に観光産業にも及んだ年だったようです。

数字で見るとそのすごさが一目で分かるのですが、一昨年の同じ時期(2008年)に比べて、去年スペインを訪れた観光客数は9%の減少、国内総生産(GDP)に占める観光の割合は5.6%減少し、換算すると50億円近く(6.380M Euro)の損失を被ったという事でした。

2000
年初頭からのもう少し詳しい観光動向を見てみるとスペインにおける観光産業の成長過程が良く分かると思うのですが、驚くべき事にGDPのピークは2000年なんですね。その一方で、当時の観光客数は4820万人止まりで、観光関連の雇用も140万人に留まっています。観光客数がピークに達するのは2007年で、その数なんと5920万人。GDPのピークは前述した様に2000年がピークだったのですが、観光関連の雇用数がピークになったのは、2004年と2006年で共に10.9%を示しています。

ちょっと深刻なのが観光客数の動向で、2000年から2007年までは毎年3%前後の成長を示していたのが、2008年は2.3%の減少、そして2009年に至っては8.7%の減少となっています。10年間くらいのスパンで見た場合、やはりこの下げ幅は尋常では無い事が分かるかと思われます。

ここまで書いて、引っかかる事が一つあるんだけど、それは観光客数とGDPの割合の不釣合いです。観光客の増加に伴って雇用数はそれに比例する様に増加してるんだけど、何故かGDPは緩やかな減少を示している。

何故か?

詳しくは分からないのですが、コレって近年見るチープ観光の影響なのでは無いのでしょうか?(チープ観光についてはコチラ:地中海ブログ:観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害)つまりライアンエアーがロンドン−バルセロナ間、5ユーロとかいう訳の分からない価格で飛行機チケットを販売したり、ホテルやレストランなどもどんどんとファーストフードやジャンクフードの様相を呈してきたりしている。更に深刻なのが、以前紹介した金曜日の夜に来て金曜、土曜とクラブで踊りまくったり、公共空間で一晩中ビールを飲みながら騒ぎまくって、そのまま日曜日の昼にライアンエアーでトンボ帰りするという、究極のローコスト観光が出てきた事です。そういう悪影響が引き起こした最近の現象が、中心市街地の質的悪化である事は以前書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化など

これらはかなり極端な例にしても、観光という現象の多くがローコスト化に向かっているのは確かだと思うんですね。そうすると、いくら都市が観光客を惹き付けたって、思った程のお金は落としてくれないわ、都市の資源を無駄使いするわ、騒音やゴミなど都市にとってはありがたくないお土産だけ置いていくわという、市役所側としては大変頭の痛い問題が発生してきている訳ですよ。例えばこんな感じで:

“2007年、バレンシアを訪れた65%の観光客は滞在に1ユーロも使わな かった。格安航空は製品の地盤沈下を引き起こしている。つまり観光客は製品を消費しなくなった代わりに、ビーチを占有し、水や電気を消費しゴミを出す。様 々な都市の生活インフラを崩壊させるのである。

“ En 2007, el 65% de los turistas que llegaron a Valencia no se gasto ni un euro en alojamiento. Los vuelos de bajo coste hunden el producto: un turista que no gasta, pero que llena las playas, colapsa las infraestructuras, consume agua, electricidad y genera basuras”. (El Pais, P31, 5 de marzo 2009)

多分、21世紀の都市が直面するのがこれら観光に付随する都市問題とその解決法だと思われます。それは1980年代からヨーロッパ都市が行ってきた観光を軸とする都市活性化とは又違ったレベルの話であり、中心市街地への公共空間挿入によるシャッター通りの再活性化ほど単純には答えの出ない問題だと思うんですね。ジェントリフィケーション、街頭売春、騒音、ゴミ、交通・・・頭の痛い問題多しです。

付録:スペインの観光関連動向

年:海外からの観光客数、成長率、雇用率、GDP

2000: 48.2, +3%, 1.4 Millones, 11.6%

2001: 49.5, +0.8%, 1.5 Millones, 11.5%

2002: 51.7, +3.3%, 1.5 millones, 11.1%

2003: 52.4, +0.3%, 1.6 Millones, 11.0%

2004: 53.6, +3.4%, 1.7Millones, 10.9%

2005: 55.6, +6%, 2.3 Millones, 10.8%

2006: 58.4, +4.5%, 2.5Millones, 10.9%

2007: 59.2, +1.7%, 2.6Millines, 10.8%

2008: 57.3, -2.3%, 2.6 Milliones, 10.5%

2009: 52.2, -8.7%, 2.3 Millines,

| 都市戦略 | 20:25 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
鋼の錬金術師を見てて思った事:「ココではない何処か遠く」を想起させるイメージ:何故Bleachではスペイン語が多用されるのか?
とある人に「鋼の錬金術師」というアニメの存在を教えてもらいました。全く知らなかったんだけど、今ちょっとWikiで調べてみたら、かなりの人気アニメみたいですね。リンクも教えてもらった事だし、「まあ、ためしに、12話見てみるか」と、軽い気持ちで見始めたんだけど、コレが予想以上に面白く、はまっちゃいました(笑)。ここの所、計画書の提出とか主張の準備とか目が回るくらい忙しいのに、コレはヤバイ(焦)。

さて、僕は結構アニメやマンガを見る方なのですが、最近のアニメを見ていて、「ん???」っと思った事があります。それは今ヨーロッパで大人気の日本発のアニメ(ナルトやBleach)には、ある共通点が存在するという事です。「そんな事、当然じゃーん」とか言われるかも知れないけど、物語の中に「侍装束」とか「刀」とか「忍者」とか「錬金術」とか、ヨーロッパの若者達の心をくすぐる要素がふんだんに散りばめられているんですね。つまり原作者は最初から世界のマーケットを視野に入れて作品を作っているのでは?と思われる訳です。

さて、ここまで読んで、「ん?」と違和感を感じた人はかなり鋭い!

そう、僕は今敢えて、日本的なイメージである「忍者」や「刀」と、ヨーロッパ起源の「錬金術」を並列に並べました。それが今日の記事の核心なんだけど、何故ならここには僕達の社会を切り取るある一側面がチラチラと垣間見えると思うからです。

「鋼の錬金術師」はその題名が示唆する通り、「錬金術」を使う少年が主人公の物語なのですが、この錬金術って勿論その発祥はヨーロッパな訳です。それがイスラムへ渡ったりして独自の発展を遂げ、もう一度ヨーロッパに逆輸入されたりするのですが、ココで重要なのは、現代人にとっては「錬金術」というのは、何かしら「何処か遠い国で行われている出来事」というイメージを誘発すると言う事です。そしてそれは日本のアニメやマンガが大好きなヨーロッパのオタク君達にとっても同じ。

「錬金術って何だか分かんないけど、日本のアニメだし、多分アジアの何処かで古くから伝わる忍法っぽいのだろう」というのが、彼らの本音なんじゃないのかな?そして彼らにとって重要なのは、それが「何処の国のものなのか?」とか、「一体何なのか?」と言った事ではなく、「どこか知らないけど、ココでは無い遠い国を連想させるから、すげーカッコイイ」という事だと思うんですね。だからそういう意味で言うと、ちょっとカッコイイ魔法に関連する「錬金術」は、「忍者」や「死神」と同じグループにくくられると思う訳です。

実は日本人もコレと同じ様な事をやっていて、Bleachの中に出てくる敵役にスペイン語の名前とか付けてますよね。コレについては以前詳しく書いたんだけど、要約すると、グローバリゼーションが進むにつれて、日常生活に英語がどんどん入ってきたり海外旅行が当たり前になってきたりすると、以前はちょっとした英語のフレーズ(ワン、ツー、スリーなんか)を台詞に入れるだけで、ちょっとクールな表現になったのが、今では多くの人が直感的にその意味が分かるようになっちゃいました。つまりグローバリゼーションが進んだ世界では、誰でもこの程度の英語は直感で理解出来てしまい、簡単な英語の台詞がクールでも何でも無い世界が到来してしまったと言う訳です。そんな状況下で、じゃあ、一体どうしようか?という事になって、ココで新たに採用されたのが、我らがスペイン語と言う訳なんですね。何故かと言うと、スペイン語は未だ英語ほどポピュラーじゃ無いので、「ウノ、ドス、トレス」とか言っても分かる人も少なく、なんだか良く分からないけど、ちょっとクールな感じを醸し出す事が出来るからです。

つまりこれらはみんなイメージの問題なんじゃないのかな?忍者も刀も死神も錬金術も、このようなイメージ、「ココではない、何処か遠くの国」というイメージと結び付いている気がして仕方ありません。そしてコレは多分、世界の隅々まで情報が行き渡ってしまい、もう何処にも秘境なんて無いんだけど、それでもある種のユートピアを探そうという願望と結び付いているんだと思っちゃったりするんですね。(この話は長くなるので又今度)

こう考えると、人間って、かなり昔から同じ様な事をやってるんだなーって思います。それにしても鋼の錬金術師、面白い!
| サブカル | 17:47 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その2:キュビズムの萌芽は春画にあった?
さて、前回のエントリ、バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情の続きです。先ずは現在ピカソ美術館で行われている特別展の内容に触れたいと思うのですが、今回のエントリはその内容上、エロチックな画像などを含みますので一応注意を促しておきます:
警告
エロチックな画像など、「そちらの方はちょっと」という方はココで読むのをストップしましょう。




さて、という訳で、今このエントリを読んでいるあなたは、とっても性に興味のある「好奇心旺盛な方」だと勝手に認定させて頂きます(笑)。まあ、冗談はコレくらいにして、今回の企画が素晴らしい点、それは「ピカソは日本の春画に影響を受けていたのではないのか」という仮説を幾つかの具体的な例を挙げながら検証している点です。

先ずピカソが若い頃に撮った写真の背景に春画が映っている事などから、既に彼が春画の存在を知っていた事実を挙げていたり、友人の日記の中に「ピカソに春画を買ってきてあげた」という記述を発見したりと、様々な角度から、ピカソと春画の関係について迫っているんですね。つまりココで「ピカソは確実に春画を見ていた」と言う事実を突き付けている訳です。そしてその後で、例えばピカソが書いた下の絵は、「実は春画を元にしているのではないのか?」と論を展開する訳です:





確かに構図などそっくり。そしてこんなのまで書いちゃっています:



コレは何を参考にしているかと言うと、葛飾北斎の有名なタコの絵ですね。



これらの絵をバラバラに見せられたら分からないけど、ピカソが春画を見ていたと言う事実と、2つの絵を一緒に見せられると、確かに春画の影響について非常に説得力がありますよね。そして更にこの展覧会の素晴らしい点が、このようなパッと見て分かる影響を遥かに超えた、春画がピカソに与えたであろうもっと深い影響を仮説として提唱している点です。それが:

「春画の特徴というのは書きたい部分だけにフォーカスして、誇張気味に書く点にあり、その為には必ずしも体を身体学的に正確に描写する必要は無い。そしてそれは後年のピカソの作風、つまりキュビズムに通じる所があるのではないのか?」

どう言う事か?



例えば上の春画では、性行為をしている2人の陰部と顔に焦点が当てられています。しかしですね、人間はこんなポーズは絶対に出来ませんよね。これでは首がつってしまいます。この図では明らかにそのような身体学的な論理は無視されています。



上の図も一緒。この男の人は、次の日から2週間はクビワッカをつける羽目になる事間違い無しです。

目の前にある風景(3次元)を2次元のキャンパスの上に忠実に再現する事を第一と考えてきたヨーロッパの画家達には、春画が採用しているこのような描写手法と言うのは、全く考えられない事でした。レオナルド・ダ・ヴィンチなんて、人体解剖して筋の一つ一つまで正確に描いていた程ですから。

では何故、春画絵師はこのような無理な姿勢を敢えて取らせてまで、顔と陰部に焦点を当てたのか?春画の専門家である早川聞多さんによると、顔と陰部というのは、その人の人生や生活の表と裏を表しているそうです。つまり隠す事の出来ない顔がその人の表を表し、何時も隠している陰部が、その人の裏を表していると言う事なんですね。春画というのは、実はそのような人間の表と裏を一枚の紙の上に表現しようとした芸術だと考える事が出来ると言う訳です。

しかしですね、ココが非常に重要且つ、面白い所なんですけど、じゃあ、このような表現はピカソの目にはどう映ったのか?実はピカソの目には、「春画の技法は一つの対象物を様々な視点から見る多視点の技法と写ったのでは無いのか?」と、この展覧会は仮定している訳なんですよ。

ピカソがどのようにキュビズムに到達したのか?と言うテーマには、今まで沢山の研究の蓄積があり、今更言うまでもありませんが、セザンヌの影響があったりして、最終的にアヴィヨンの娘達(Les Demoiselles d Avignon)に辿り着くというのが、良く知られている所だと思います。



ちなみにこのアヴィヨンというのは、南フランスのアヴィヨン市の事ではなくて、バルセロナ旧市街にある古い街路、アヴィヨン通りで、ココに描かれている女の人達は、その当時、ピカソが遊びまくっていた娼婦達なんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化

ピカソはその長い生涯の間に数々の女性と関係を持ち続けた事からも分かる様に、非常に女好きだった事は容易に想像がつきます。しかしそれだけで、彼がこれ程春画に惹かれていたとは到底思えない。もしかしたら、今回の展覧会が主張している様に、ピカソは春画の中に既にキュビズムの萌芽を読み取っていたのかも知れません。

20世紀最大の巨匠の作品に実は日本の春画が影響していた!」、そんな風に考えると、ちょっとゾクゾクしてきませんか?
| スペイン美術 | 07:01 | comments(4) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情
今週の水曜日の事だったのですが、バルセロナのピカソ美術館で行われた「浮世絵−春画の特徴」と題したカンファレンスを聞きに行ってきました。お話しをしてくださったのは国際日本文化研究センターの早川聞多さん。世界でも数少ない浮世絵の専門家の方だそうです。



今回のカンファレンスは現在開催中の「秘められたイメージ:ピカソと春画(Imatges secretes. Picasso i lestampa erotica japonesa)」と題された特別展の一環で行われたものなのですが、取り合えず、この展覧会がすごいんです!何がすごいって、日本なら絶対展示不可になるであろう「激しい性行為」をあからさまに描いた春画を、ここぞとばかりに公共の美術館で展示している所。会場にはカップルで来てる人とか、一人でじっくり一点だけを見てる(怪しい)人(笑)とか様々だけど、これは、親と来たら確実にコメントに困る類の展覧会ですね(笑)。親子でバルセロナ観光中の皆様、ピカソ美術館に訪問される場合は、企画展はなるべく避けて、常設展だけ見る事をお勧めします(半分冗談、でも半分本気)。

さて、本題に入る前に一言。

最近のピカソ美術館の企画展の切れ味の良さにはちょっと注目に値するものがあります。今回の展覧会は言うに及ばず(理由は後述します)、去年行われた「ラス・メミーナス、ベラスケスを忘れながら(Olvidando a Velasquez. Las Meninas)」と題された企画展も非常に面白い展覧会でした(地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その2)。



これは、言わずと知れたベラスケスの大作「ラス・メミーナス」が各時代のアーティスト達によってどのように評価されてきたかに焦点を当て分析していたのですが、その裏には勿論、バルセロナのピカソ美術館が所蔵するお宝、58枚のピカソ作によるラス・ミニーナスの連作が基になっていたりします。その辺りの戦略性もナカナカ。

さて、ピカソ美術館がバルセロナに創設された歴史的経緯や美術館を巡る都市戦略、ピカソというイメージを利用したいバルセロナ市の思惑などについては以前書いた通りなのですが(地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略)、ここの所のピカソ美術館の目を見張るようながんばり、それは一重に館長のがんばりに拠る所が大きいのではないのかな?と僕は思います。

今の館長がピカソ美術館に就任したのは2年程前の事だったのですが、その当時、こちらではスペイン中を巻き込んだ大論争がありました。というのも、今の館長はピカソの専門家でもなんでもなく、ピカソに関しては全くの素人、館長経験は勿論無しの若いだけがとりえの一学芸員で、美術関係者の間でさえ、全く知られていない存在だったからなんですね。だからピカソ美術館の新館長がアナウンスされた時には誰もがビックリ。

「誰だ、○○って???」

って事になり、各メディアなどが詳しく調べていく内に、思わぬ裏事情が明らかになりました。実は彼の叔父さんがスペイン人なら誰でも知ってる超大物政治家で・・・ブツブツ、とまあ、はっきり言えば「コネ」という、それだけの理由だったんですね。

笑ったのが、当時、La Vanguardia紙が一面に渡って載せていた彼に対する批判の横に、「応援」みたいな感じで、彼を擁護するインタビュー記事が載っていた事。普通、そういうのって、「○○美術館館長談」とか、「○○教授語る」みたいなそれなりに社会的に認められ、美術館関連のご意見番みたいな人が擁護するのが普通だと思うんだけど、彼の場合は本当に誰にもコンタクトが無かったのか、高校の先生がインタビューされてて、その内容も、「彼はがんばり屋さんだからきっと大丈夫」みたいな、ある意味すごい内容だったのを覚えています。

それから数年。

周りのバッシングや陰口が酷かった事は想像に難くありません。彼もかなり苦労したとは思うのですが、でも、だからこそ、何とか結果を出そうとして、なりふり構わずがんばったんじゃないのかな?そしてその多大なる努力の結果が、近年の、何処の美術館にも負けていない好企画と入場者数に表れているのだと思います。去年のデータによれば、市内で唯一入場者数増加を果たしたのはピカソ美術館だけでした(地中海ブログ:世界の観光動向とカタルーニャの観光動向2008)。

このような彼のがんばりは、我々若い世代にとって非常に励みになります。何故なら僕達には、経験豊富な上の人に勝るものと言ったら「やる気」ぐらいしかないからです。(ちなみに昨日のアムステルダムミーティングではかなり凹みましたし(苦笑))でも、今回のピカソ美術館館長のように、「経験が多少無くても、そこは有り余るエネルギーでカバーできるし、それを結果に繋げる事出来る!」という所を見せてくれる例が増えてくれば、社会的にも「ココは一丁、若者に任せてみるか」という気運が高まってくるかもしれない。

今回のカンファレンスに行って、彼にはものすごい勇気をもらった気がします。
バルセロナ・ピカソ美術館の好企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その2:キュビズムの萌芽は春画にあった?に続く。
| スペイン美術 | 18:31 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
アムステルダム出張:如何に訪問者にスキマの時間を使って街へ出るというインセンティブを働かせるか?:スキポール空港(Schiphol Airport)の場合
今日は朝から、とあるプロジェクト・ミーティングの為にアムステルダムに来ています。結構大きなプロジェクトで7カ国から45ものパートナー達が集まってるんだけど、総勢60人を超える人達が一つの机を囲んで一同に会する風景はナカナカ圧巻。この大所帯を取り仕切っているのが、世界的大企業から来てる経験豊富そうな年配の方なんだけど、見てるとホントに大変そう。一人一人の意見を聞いて、互いの利害が衝突しないように役割を振り分けて行くのは職人技の域に達している。

ここ数年、大変嬉しい事に、このようなEUプロジェクトに参加する機会に多数恵まれ、その為のミーティングに呼ばれる事が多くなってきたのですが、そんなミーティングに集まってくるのは大概、各企業のプロジェクトマネージャー以上の人達なんですね。つまり各企業内で部署を取り締まっていたり、沢山の部下を使ってプロジェクトを動かしていたりするすごく忙しい人達。だからみんなミーティングは出来るだけ効率良くやって、出来るだけ早く切り上げて帰りたい訳です。そしてその際、非常に重要な問題になってくるのが、「一体何処の都市でミーティングを行うのか?」という選択です。

コレは結構難しい問題で、ヨーロッパ中からパートナーが集まってくるので、取り合えず、それらの都市と直通便が飛んでいる都市で無いとお話にならないんですね。つまり第一に考えなければならないのがコネクティビティの良さと言う訳です。次に問題になるのが、その空港で利用可能なファシリティの高さ。そうすると、選択肢が結構限られてきて、ヨーロッパの空港ランキングの上位に何時も顔を出すようなハブ空港の名前が挙がってくる事が多いのですが、僕がこの34年で経験した中で最も快適で利用回数が多かったのが、ドイツ航空のお膝元であるフランクフルト空港です。

当ブログでも何度かこの空港の素晴らしさは紹介しているのですが(地中海ブログ:フランクフルト旅行その1:フランクフルト(Frankfurt)に見る都市の未来)、世界中と繋がっているコネクティビティと言い、その規模の大きさと言い、もう言う事無し。しかも空港から市街地までは電車で15分圏内にある事から、ミーティングが早く終わった場合など、簡単に中心市街地まで行って、帰りの飛行機の登場時間ギリギリまで観光を楽しむ事が出来ます。もし仕事をしたいなら、空港内にあるビジネスルームやカフェを使う事も勿論可能。

多分このフランクフルト空港というのは世界屈指の設備とアクセッシビリティを備えた空港だと思うのですが、実はもう一つ、機能的に全く引けをとっていないと思われるのが、今回のミーティングが行われているアムステルダムのスキポール空港です。

この空港の機能性の高さは以前の記事で紹介した通りなのですが(地中海ブログ:オランダ旅行その1:スキポール空港(Schiphol)アクセッシビリティ評価)、ヨーロッパ空港ランキングナンバーワンの座を守り続けているその実力はダテではありません。ハブ空港としての世界各国とのコネクティビティに加え、空港内に整備されているファシリティの充実性も半端じゃ無い。アムステルダム国立博物館との提携による空港内美術館を始め、教会なんかまであって、もう何でもアリって感じ。勿論宿泊施設系も充実してて、今回のミーティングが行われたのは、それらの内の一つ、空港に隣接する5つ星ホテル、シェラトンホテル(Sheraton Hotel)でした。



飛行機を降り空港のメインロビーまで行くと、そこからホテルへの渡り廊下が架けられていて、ここからホテルまでは歩いて3分の距離にあります。



つまり空港の外に出る事無く、ホテルのミーティングルームまで行く事が出来ちゃう訳です。

更にこの空港の最も驚くべき点が、中心市街地とのコネクティビティです(詳しくはコチラ:地中海ブログ:)。以前書いた様に、この空港の市街地へのアクセッシビリティは欧州最高峰にあり、空港からアムステルダム中心市街地まではなんと20分弱。更に空港のメインロビーに電車の乗り口があり、空港−市街地を結んでいる電車が10分毎に出ているというから驚きも倍増です。



これだけアクセッシビリティが良いと、一日の時間の使い方の可能性が数限り無く広がるんだけど、例えば今日なんて、17時にミーティングが終わって帰りの飛行機が21時。4時間って結構微妙な長さの時間で、普通の都市だと、市街地に行くには短すぎるし、空港で過ごすには長すぎる。パリなんかだと、中心街まで行って帰ってくるのに電車やバスの待ち時間入れて2時間以上。そうすると市街地にいられるのは1時間位しかない訳で、その為に街まで行ってみようかな?という気にはナカナカならないんですね。

その点、スキポール空港の場合は市街地まで往復で40分、帰りの電車の待ち時間はほとんど無しときてるから、どんなに短い時間でも「ビールでも飲みに行くか」というインセンティブが働く訳です。

ココが非常に重要なポイントなんですけれども、都市が今後考えなければならないのは、訪問者が「実際、街に何時間居られるのか?」という事ではなくて、「街まで出てみようかな」というインセンティブを訪問者に働かせる事が出来るかどうか?なんですね。どうしてかって、都市はなるだけ多くの人に市街地に行ってもらって、少しでも多くのお金を落としてもらいたいからです。そうするには取り合えず、街まで入ってもらわなきゃお話にはならないと言う訳です。そしてこのハードルは案外高い。

そういう意味で言うと、やはりスキポール空港やフランクフルト空港はヨーロッパの諸空港に比べて頭一つ抜けている気がします。多分、今後の都市はこのような戦略を真剣に考えなければ生き残れない時代に差し掛かっているんだと思います。
| 都市アクセッシビリティ | 23:20 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)監督作品、「The White Ribbon」:我々の社会におけるモンスターとは何か?
去年(2009年)のカンヌ映画祭でパルムドールを獲った作品、ミヒャエル・ハネケ監督 の「The White Ribbon」を見て来ました。

結論から言うと、非常に良かった。少なくとも映画を見終わった後で、今から週末の貴重な時間を使って、「久しぶりに映画評を書いてみようかな」という気にさせるくらいの質は持っていた様な気がします。と言う訳で何時もの様に僕の独断と偏見で(笑)、この映画に対する感想を書いていこうと思うのですが、これは僕の勝手な解釈なので、「あー、こういう意見もあるのかなー」と言うくらいに思ってもらえれば幸いです。そして一応念の為に:

警告: ネタバレになる可能性があるので、映画を未だ見ていない人はココで読むのをストップしましょう。

さて、先ずはこの映画の主題、つまり「この映画は一体何を言いたかったのか?」という事なのですが、それはズバリ、我々の人間社会における「怪物(モンスター)が生み出されるプロセスについて」だと思います。そしてこの映画はその問いに、「怪物は怪物によって創られる」という明快な返答を持って答えているんですね。

舞台が第一次世界大戦ちょっと前のドイツである事から、この映画を見た人は即座にファシズムやナチスとの関連を思い浮かべるかもしれません。しかし僕の見る所、ハネケ監督がこの映画で描き出している世界というのは、僕達のどの社会にも当てはまる、大変普遍的な問題であって、ドイツの村々が舞台だからと言って即座にナチスと結び付けるのは安直だと思います。

そして更に、この映画には上述の「表の主題」とも言うべきものの裏に、もう一つの隠れた主題、言うなれば、「裏の主題」のようなものが挿入されています。(そしてそれこそ僕達がこの映画から読み取るべきメッセージであると思います。)
それが語られるのが、物語の終盤近く、主人公の一人である医者とその愛人が激しい口論を交わす場面です。悪の象徴の如くに設定されている医者は散々弄んだ愛人に向かって、この上ない酷い言葉を浴びせ、軽蔑的な態度を繰り返します:

 「この醜い女め。早く消えろ、口もくさいんだよ・・・」

この場面は(僕が思うに)、この映画が最も伝えたかった「モンスターが創り出される過程を描写した場面」であり、我々が深刻に受け止めるべき場面だと思うんですね。人間は他人にされた事を他の人にもしようとするし、正に目には目をじゃ無いけど、モンスター的な振る舞いはモンスターを生むという訳です。

しかしですね、この場面が上映されている最中、僕にとって大変驚くべき事が起こりました。それは会場のあちこちから少数ではありますが、笑い声が聞こえてきた事です。確かに医者の悪口は非常に極端であり、皮肉とも取れるかもしれないのですが、コンテクストなどを考えると、やはりココは笑うような場面じゃ無い。この瞬間に、この映画が言いたかった「もう一つの主題」と、以前に読んだ、あるインタビュー記事が僕の頭の中で交錯しました。その記事とはホロコースト研究で大変有名なPeter Longerichが最近出版したハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー(Heinrich Luitpold Himmler)についての新著(HeinrichHimmler, RBA)に関するインタビューです。

ヒムラーなんて、ナチスに相当関心がある人くらいしか絶対知らないと思うけど、何をした人かというと、「ユダヤ人皆殺し計画」の最高責任者だった人なんですね。そしてヒムラーの研究者であるLongerichが彼に関する膨大な資料を精査した結果導き出した一つの結論が:

 「ヒムラーは確かにある種の人間的感情を欠落していた感があるけれども、決して精神病者ではなかった」

という事でした。更に続けて彼は言います:

「ヒムラーは人間だった、それこそが問題なのだ」

これはつまり、そこら辺にいるごく普通の人でも、ひょんな事から簡単にモンスターに変わってしまうと言う事を物語っているんですね。この言葉は僕達人間にかなり重い言葉として圧し掛かり、人間という生き物の恐さを改めて知らしめさせてくれます。

多分この映画が言いたかったもう一つのメッセージ、裏の主題はコレなんじゃないのかな?つまり僕達の隣に座っているごく普通のカップルだって、周りの環境しだいで、どんなに恐ろしい事も素知らぬ顔でしてしまえるモンスターになってしまう・・・。

監督がそこまで計算してこの場面を入れたのかどうかは僕には分かりません。唯一つ言える事は、この映画は「答え」よりも「沢山の疑問」を我々見る人に投げかけてくるという事です。つまり我々に安易な答えを与えるよりも、映画館を出た後で長い時間をかけて我々自身に考えさせる事を強いる映画なんですね。だからこの映画の解釈には「決まった答え」や「正解」はありません。それは我々一人一人が各々の人生の中で見つけ出して行くしか無いのです。この映画はそのような思考をするキッカケを我々に与えてくれているだけに過ぎないのですから。

(注意)
今回は当ブログで毎回しているような詳細なシンボル解説や映画の構造解説などは極力避けるようにしました。だから何時もとはちょっと書き方が変わっているかもしれません。たまにはこういうのも悪くないなー。
| 映画 | 20:18 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
マドリッド出張:スペイン高速鉄道(AVE)、ファーストクラス初体験
今日は朝からマドリッドに出張でした。何時ものようにバルセロナ−サンツ駅からスペインの高速鉄道(AVE)に乗って行って来たのですが、今回の旅はいつもとはちょっと様子が違いました。何とファーストクラスに乗っちゃったんですね!人生初のファーストクラスです。

まあ、僕みたいな青二才がファーストクラスに乗れる理由なんて、重要人物のお供と相場が決まっているのですが、今回は交通計画の世界的権威Jさんのお供でした。何てったってJさんは3年前に日本に出張した際、JALのファーストクラスに座ったというツワモノ。そりゃAVEだってファーストだわな。そしてよく僕の分までチケットを取ってくれました、秘書のEちゃん。冬休みがあまりに楽しくて、仕事始めの日にパソコンのパスワード忘れて半日大騒動した事はチャラにしてあげます(笑)。

さて、スペインの高速鉄道(AVE)には3つの座席クラスがあります。普通席(Turista)、ビジネス(Preferencia)そしてクラブ(Club)と呼ばれるファーストクラスです。そしてこれが本邦初公開、スペイン高速鉄道のファーストクラスの激写映像です:



先ずビジネスと比べても席が非常にゆったりと造られていますね。元々AVEは普通席であっても座席に余裕を持たせて造られているのですが、ファーストクラスはかなりくつろぐ事が出来ます。



ビジネス以上になると電源供給が各座席に付いているので、座席でパソコンを広げて作業している人が多いのですが、ファーストクラスの場合はビジネスに比べて更に机が広いのでマウスを使ってもなお余裕があるゆったりさ。コレは快適だー!
サービスとしては、新聞や雑誌、お手拭、ジュース/アルコール類の飲み放題と結構豪華な朝食(昼食)などなど。ちなみにコチラが朝食:




前菜の100%オレンジジュース



スクランブルエッグとクロワッサン、ヨーグルトなど。



そして食後のカフェ。



お土産にRENFEのロゴが入ったバックまでくれちゃうサービス振り。更に6座席に一人くらいの割合で添乗員さんが付いてて、何から何まで希望通りの事をしてくれちゃうという、王様気分を味わう事が出来ます。

行き帰りと、そんな王様気分を味わったのですが、今日一番の収穫は、Jさんと普段は絶対しない様な話が出来た事ですね。こんなに優秀で偉い人でも、いや、こんなに偉い人だからこそ、こんなに人間的なんだなー、と思っちゃいました。彼から学ぶべき事はまだまだ山程ある事を再確認した一日でした。
| 仕事 | 22:31 | comments(4) | - | ↑PAGE TOP
スペインの違法サイト取締り法規について
先々週(1月8日)の事なのですが、スペインでアニメや音楽などの違法ダウンロードを提供しているウェブを取り締まる為の法規を、政府が本格的に準備し始める旨が発表されました。この法規は「持続可能な経済に関する法律(Ley de Economia Sostenible)」というサパテロ内閣が今必死になって推し進め、夏以降に施行を目指している新しい法律のアネックスに付加される事となっています

勿論、スペインのウェブの住民達は大騒ぎ。連日反対運動や活発なディスカッションなどを至る所で展開しているのですが、この法規で一体何が制限されるのか?というと、裁判所から通告を受けたサイトを政府がブロック、もしくは閉鎖する事が出来ちゃうんですね。日本でも今月1日からダウンロード違法法案が施行され話題となっていますが、「著作権無法地帯のスペインにも規制の波がとうとう来たか!」という感じを受けています。

今回発表された法規は、その草稿案が12月初めに発表されていたのですが、詳しく見てみると、その時のモノとは随分中身が変更されている事に気が付きます。草稿案の特徴は:

1.違法ダウンロードを促進するようなサイトを裁判所の許可無くブロック、もしくは閉鎖する事が出来る
2.
プロバイダーに違法サイトの管理者のデータ提供を義務付ける事が出来る
3.
この法案の対象はサイトであって、そのサービスを利用している利用者ではない

3点だったのですが、特に「裁判所の許可無くサイトを閉鎖出来る」という点が論争の的となり、これらの法規を提案した政府与党内にあっても、意見の一致が見られないくらいでした。例えば、

サパテロ首相(Jose Luis Rodriguez Zapatero)

「・・・違法サイトの閉鎖は無い。言論の自由は確保されるべきである。」

カアマニョ法相(Francisco Caamano Dominguez)

「サイトの閉鎖には裁判所の命令が必要である」

サルガド財務相(Elena Salgado Mendez)

「サイトの閉鎖には裁判所の命令が必要だが、ブロックするには必要ない」

ゴンサレス・シンデ文化相(Angeles Gonzalez Sinde)

「サイトの閉鎖には裁判所の命令は必要ない」

更に最大野党である国民党のマリアノ・ラホイ党首(Mariano Rajoy)は、この法規に大反対してたんだけど、つい先日(昨年11月)、EU議会で「違法サイトの閉鎖を裁判所の許可無しで行える」という法案に賛成したのは、何を隠そう彼の国民党であり、その結果この法案が可決されるという結果になりました。つまり彼の言ってる事はテンデばらばら。

そんなこんなで紆余曲折を経て今回の最終案へと至った訳なのですが、その大枠組みは、「著作権所有者が自分のコンテンツが掲載されているサイトを専門家チーム(文化庁所属)に通告すると、彼らが調査・分析し、裁判所に分析結果を報告。それに基ついて、裁判所が4日以内に違法かどうか判断し、違法と見なした場合に限り、閉鎖する事が出来る」と書き換えられました。

注目すべきはこの裁判所が下す決定の速さですね。最長で4日、最短で24時間で決定が下されるそうです。煩雑になりがちな行政処理を最大限シンプルにし、ネットという、スピードが命の新しいテクノロジーに適した新しいタイプの法規が生み出されている予感がします。
| スペイン政治 | 19:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
違法移民の住民登録問題:蛮族というシステム
現在スペインでは、人口およそ4万人にも満たない小さな町Vic(バルセロナ近郊)が、スペイン中を巻き込む大論争を引き起こすであろう震源地の様相を呈し始めています。

というのも先週、この町の市役所が「違法移民の住民登録を拒否する」と(ある意味驚くべき)発表をしたからなんですね。「違法移民(ビザ無し)なんだから、住民登録拒否されたって当然じゃないか!」って思われるかもしれませんが、スペインではその点が必ずしも明確ではありません。法律には違法移民は住民登録「出来る」とも「出来ない」とも書いて無いんですね。故に今まで最終判断は各都市の市役所に委ねられ、経済が順調に回っていた昨年頃までは、Vic市を含む大抵の都市が違法移民の住民登録を容認する姿勢を示していました。


スペインにおける移民に関する法律が今の形に固まったのは2004年の事だったのですが、その裏には住民登録を通して、「把握しきれていない移民の実態を明らかにする」という政府の思惑がありました。次から次へと秘密裏にやってくる移民の正確な数を計る事は、国のシステムを保つ為には必要不可欠な作業なんですね。そして特に移民大国スペインにおいては、それが国のシステムをも揺るがしうる要因になる為、政府も必死だったと言う訳です。


何故か?


以前書いたように、スペインでは緊急の場合に限り、住民に限らず、全ての人に対して医療費がタダになります(地中海ブログ:
健康ツーリズム:スペインの誇る医療サービスの盲点を突いた、グローバリゼーションの闇。これは(友達のお母さん曰く)「社会的に重要なインフラである病院は全ての人に対して平等に開かれていなければならない」という、フランコが残した唯一の(良い)功績だといわれています(これが一般的なスペイン人の意見かどうかは不明)。そして住民登録をすると更に、担当医がついたり、長期にわたる診察やどんな大手術も無料になったりと、医療に関する数限りない恩恵が誰でも受けられる様になる為、そこを利用した社会問題が噴出している事も以前書いた通りです。

このようなシステムは言うまでも無く、スペインで働いている人達の税金によって賄われています。そしてビザ無し違法移民の人達というのは、勿論、税金なんか払っていない人達です。つまり、その人達が住民登録するという事は、税収が小さな町にとっては、大きな負担となる事を意味します。景気が抜群に良かった去年までは、この事はそれ程問題にはなっていなかったのですが、一向に経済的回復が見えない今となっては、それが大問題と化し、とうとう今回のVic市のように、「拒否」という姿勢を見せる市役所も出て来たという訳です。


しかしですね、僕の見る所、この問題は表面に見えている「移民の受け入れ/拒否」という問題ほど単純では無いような気がしています。その裏にはもっと大きな、僕達の社会が抱え込んでいる複雑な問題、それこそヨーロッパが生まれた時から抱え込んでいる社会的問題がチラチラと見え隠れしている様な気がするんですね。それがコミュニティ内で意図的に仮想敵を作り出し、ガス抜きをするという「蛮族」の問題なんですけれども・・・(ヨーロッパにおける蛮族の問題についてはコチラ:地中海ブログ:
イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。

つまりどう言う事かというと、「一向に良くならない経済、我々の生活を圧迫しているのは、何処からともなく来て、我々の土地に住み着き、我々の受けるべき恩恵をタダで食いつぶしているあいつらが悪いんだ」みたいな、「自己」と「他者」を分ける集団心理原理が働いている気がしてならないんですね。このような「蛮族」となりえるのは、その時代時代によって異なるのですが、今回の場合は移民がその槍玉に上げられたと言う訳です。


島国で育った我々日本人には全く免疫が無いのですが、スペインにおいては僕達は正しく移民なんですね。多分、お金持ちの国、日本から来た日本人で違法移民という人は少ないとは思いますが、我々が移民である事に変わりはありません。つまりこの問題は他人事では無いと言う事です。スペインに在住しているすべての日本人が心しておくべき問題だと思います。
| バルセロナ日常 | 22:18 | comments(4) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナ、2022年冬季五輪に立候補の意思表明
昨日の事なのですが、バルセロナが2022年の冬季オリンピックに立候補する意向がある事を市長が発表しました。今日の新聞はその話題で持ち切りです。何でかって、市民は勿論、市関係者や政府関係者、はたまた州政府の国際プロジェクト責任者まで、全く何も知らされていなかった完全なるサプライズだったからなんですね。だからもうみんなビックリ。「えー、そうなのー!本当にやるのー!!!」みたいな。

勿論僕にとってもサプライズだった訳で、今日の新聞をじっくりと読み込んでみた所、どうやらこの計画は市長が単独でイニシアティブを取っているという事でした。普段は座って物静かにプレゼンをする
Jordi Hereu市長も、昨日は1時間半立ちっぱなし、カンペ無しで、全身を使って熱弁してたとEl Pais紙は写真入で報じている程です:



その一方で市民の反応はというと、大変冷ややかですね。「ホントにやるの?」「そんな事にお金を使うくらいなら、優先すべき問題があるんじゃ無いのか?」という意見が大半。更に
1992年の夏季オリンピックの大成功を覚えている市民よりも、2004年に開催されたForum2004の「成功とは言い難い大イベント」という悪いイメージの方が強い為、今回の提案は余計に税金の無駄使いと写るのかもしれません。

多分市長側としては「オリンピック誘致」という言葉を、いい風に言えば、「悲観論が蔓延している都市に明るい話題を呼び込むキッカケ」、悪い風に言えば、現在バルセロナ市が抱えている諸問題から市民の目を逸らさせる、それこそ「パンとサーカス」だったのかも知れないけど、今はさすがにタイミングが悪い。失業率が
20%に迫る勢いで、一向に景気回復の兆しが見えない事から、市民の目は相当厳しくなっています。

世界の反応はというと、「バルセロナはもう一つのオリンピックを求めている」と題したワシントンポストが結構上手くまとめてくれてますね:


1992年にオリンピックを開催した都市バルセロナは2022年の冬期オリンピックの切符を獲得したがっている。・・・未だかつて夏期と冬期、両方のオリンピックを開催した都市は存在しない。唯一、ミュンヘンだけが1972年の夏期、そして2018年の冬期を準備している。”

そう、多分注目すべきはココで、バルセロナもしくはカタルーニャというのは、本当に地の利に恵まれている稀有な都市だと言う事が出来ると思います。バルセロナという都市は温暖な地中海性気候の恩恵を十分に受けて、伝統的にビーチ文化や公共空間文化が存在しているのですが、1時間も北に車を走らせると、そこにはスキーやスノボーなど、冬の大レジャーランドが腕を広げて待っているという事は、案外知られていません。


今回の提案は正にそのようなバルセロナにしか出来無い、地の利をフルに生かした提案だと思います。僕に言わせれば、今まで冬季五輪に立候補しなかった事の方が不思議なくらい。そして多分、今回の立候補の裏には、オリンピックの投資を利用して、バルセロナと北の村々との交通網のインフラ整備、そして「バルセロナは夏のビーチだけじゃない!冬のスキーもいけるんだ!!!」という、「都市の宣伝」をする事が目的なのでは?と思われるんですね。この
2番目の点は強調されるべきで、今回の冬季五輪立候補問題を通して、既に国際的に「え、バルセロナってスキーも出来るの?」と驚いた人も多いはず。つまり既に「都市の広告」になっている訳です。

更に本気で計画を進めるのならば、当然、イベリア半島随一の免税店を抱え込んでいるアンドラ公国も一枚噛んでくるはず。更に更に、北の方は温泉も豊富な上に、最近流行の健康観光も絡めて、上手くやれば結構壮大な観光戦略が練られるはずです。


とまあ、都市的に見ればこんな感じだと思うのですが、多分、市長の思惑は別の所にありますね。それは来年に控えた選挙でしょう。民主化後、
30年近くに渡って市政を牛耳ってきた社会労働党(PSC)の人気に最近陰りが見え始めています。幾つかのインタビュー調査によると、「次の選挙では社会労働党には入れない」という人が大半を占めているとか。「このままでは負ける」、そういう焦りが今回の市長の提案を突き動かしている側面がある事は否めませんね。

まあ、今後見逃せない話題である事だけは確かです。
| 都市戦略 | 19:54 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
  • 1/55PAGES
  • >>