地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について
前回のエントリ、スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1の続きです。

オモロガシオン(Homologacion)と呼ばれるプロセスは、外国人が自国で取ったタイトルを、スペインで同等と思われるタイトルに読み替えるプロセスで、両国間(両大学間)の授業内容や履修時間などが比べられ、両タイトル間で振り替えが出来るかどうか?がスペインの教育省によって詳細に検討される過程の事を言います。

例えば、パリで建築学部を卒業し建築家のタイトル(architect)を取ったフランス人が、その後スペインで建築家として働きたい場合など、このオモロガシオンを行う事によって初めて異国の地スペインで建築家として働くという事が可能になるんですね。

勿論我々日本人がスペインで建築家として働きたい場合もこの過程を経る事になる訳なのですが、ココで日本人は他の国の人には起こり得ない様な深刻な壁にぶち当たる事になります。それが前回のエントリで書いた両国間における「タイトルの違い」です。教育省にタイトルの読み替えを申請する際の(暗黙の)前提は、建築家だったら建築家のタイトルを、工学だったら工学のタイトルをという様に用に、同じタイトル同士の振り替えが基本とされています。しかしですね、日本人建築家が保持しているタイトルは「工学」(美大系の場合は造形など)です。故に、「工学」のタイトルを「建築」のタイトルに読み替えるという大変不自然な過程が発生する訳なんですね。

「そんな事が通るのか!」というと、勿論「通りません」(笑)。普段は無茶苦茶いい加減で、銀行ですらお金の勘定を時々間違える国、スペインであっても、違うタイトル名くらいは間違え無いらしい(苦笑)。

とは言っても、同じ建築学科ですから授業内容などはある程度似ているので、長―い比較検討期間を経た結果、「都市計画の授業が足りないから履修しなさい」とか、「スペイン建築史は必須なので、取ってください」とか、スペインの建築家教育システムに照らし合わせ、「足りない授業」などが指示され、それらを履修する事によってスペインの建築家タイトルに振り替えが可能みたいなんですね。

僕の周りでも何人かの人達がこのオモロガシオンに挑んで「かなり理不尽な結果に終わった」と言う様な事を幾つか聞いた事があったのですが、色んな人からの体験談を集めた結果、この謎に包まれたオモロガシオンについて、最近分かってきた新事実があります。

先ずスペインでは(というか、日本でもそうだと思うのですが)各タイトル間に暗黙の上位関係が存在します(これは友達のカタラン人に聞いた情報)。例えば医者、弁護士、教授が上位グループで・・・みたいな。そんな感じでタイトルを並べていくと、今回登場した3つのタイトルの順位はこんな感じになります:

1. 工学
2. 建築
3. 造形

これらの間や上や下に医者とか弁護士とか大学教授とか一杯入ってくると思うんだけど、これら3つのタイトルの上下関係は大体こんな感じなんだそうです。

実はこのタイトル間の関係が、スペインのオモロガシオンをする上で大変重要だと気が付いたのはごく最近の事です。それというのも、僕がオモロガシオンをしようと思い、カタラン人の友達に相談した所、大変不思議そうな顔をされたからなんですね。彼曰く、「「工学(Engineering)」のタイトルを持ってるなら、わざわざ「建築(architect)」に振り返るなんて事しなくてもいいんじゃないの?工学のタイトルのままの方が何かと有利だよ」みたいな。

そう、つまり僕が「工学」から「建築」のタイトルに変えるという事は、いわば、上から下へと降りていく事を意味する訳なんです。その証拠に、僕がオモロガシオンをした時、最初の結果が出るまで約6ヶ月、そしてタイトル変換の条件としては「卒業設計」提出のみが課せられました。ちなみに6ヶ月というのはスペインでは信じられないくらい早いスピードで、タイトル変換の必須条件が「卒業設計提出のみ」というのは、コレ又異常なくらいの好条件です。

打って変わって、「造形」のタイトルを持っている友達の場合、最初の結果が出るまでに2年、更に取らなくてはならない授業が山程+卒業設計という通知が来たそうです。それらを全てクリアするのには少なくても3年は掛かるとか。何故なら「造形」から「建築」のタイトルに変換する為には、上に昇らなければならないからなんですね。

今までは漠然とケースバイケースだと思われ、「運が全て」だと思われていた「魔のオモロガシオン」にも、実はこんな裏事情があったのです。

この「魔のオモロガシオン」に挑み、見事にスペインで建築家のタイトルを取得した日本人は今までで2人居るそうです。その内の一人は、以前のエントリで紹介した、バルセロナ近郊の街、サンクガット(Sant Cugat)市で建築事務所U1ARCHITECTSを主宰されている鈴木裕一(Yuichi Suzuki)さんです。以前お会いした時にもこの話は話題に上ったのですが、本当に大変だったと昔を回想されていました。そりゃ、そうだよなー。情報が溢れている今でさえこんなに大変なのに、何にも無い当時(20年位前?)の状況を想像すると、もうそれだけで鳥肌が立ちますね(鈴木さんの奮闘についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン公認建築士の鈴木裕一さんにお会いしました

スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い、に続く。
| 仕事 | 21:04 | comments(1) | - | ↑PAGE TOP
スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1
前回の続きなのですが、今回のランチで話題に上った事の一つが、スペインでの就職事情に関する事でした。この案件は僕が最も質問を受けるタイプのもので、事ある毎に当ブログでも言及して来ましたし、各国・各都市を代表するブログを見ていても、その国における就職事情に関するエントリは頻繁に更新されています。記憶に新しい所では、つい最近、渡辺千賀さんが「海外で働いている人の体験談募集」というエントリを自身のブログで発表して、ネット界で大反響を巻き起こしたばかりです。

渡辺さんが海外体験談を募集した背景には、彼女なりの「日本はもうダメだから、みんな海外に出て働く道を探そう」という、これ又、ネット界を揺るがしたエントリ「日本はもうダメだ論」が元になっているのですが、コレは逆に言うと、それだけ、この話題に対する興味が世界的に広がっている証拠だと思うんですね(地中海ブログ:日本はもうダメだ論を読んで思った事:スペインで生活するという選択肢)。

そんな訳で、僕もスペインという異国の地で働いているものとして、何かのお役に立てればと思い、エントリ(地中海ブログ:渡辺千賀さんのOn Off and Beyondで「海外で働いている人の体験談募集」というエントリがあったので:スペインの場合)を書いた訳なのですが、その後の反響などを見ていると、どうやら状況が一昔前とは違ってきているという事に気が付き始めました。どう言う事かというと、一昔前のように、大学の奨学金などで1,2年という比較的短期の滞在で帰ってしまうのではなくて、5年、10年という大スパンで考えている人が増えてきているのでは無いのか?という感じを受けているんですね。

コレは多分、海外旅行やネットなどの急速な進化によって留学という敷居が下がった事や終身雇用形態の崩壊に伴う日本社会に対する夢や希望の喪失、隣の芝生は青く見える(現実とは決して対応していない)など、様々な要因に起因すると思われるのですが、問題はですね、短期滞在を前提とした場合と長期滞在を前提とした場合とでは、とるべき戦略が変わってくるという点なんですね。特に建築家の場合は、両者の間にものすごい開きがある為に、自分が将来何処に向かって進みたいのか?を見極めながら動く必要があるかと思われます。

今までは、このような情報は捜しても無かったし、発信する人もいませんでした。だから僕を含めた日本人建築家は、それこそ手探りで色んな事を試しながら「あーでも無い、こーでも無い」とやってきた訳なのですが、それらの過程を経て段々と「日本人がスペインの中で生きていくシステム」みたいなのがおぼろげながら見えてくるに至りました。更に上述したように、近年少しずつではありますが、スペインで働きたいという人も増えてきています。そういう人達の為に、我々先人が自身の体験を掻き集めて、それらを皆で知識として共有する事によって、後続の人達の為になるべく多くの選択肢を用意するのも、又一つの使命なのかな?と最近思うようになりました。

そんな折、今回は比較的スペインに長く滞在している建築家3人が集まったと言う事もあって、大変興味深い議論が展開されたので、少しココに記しておきたいと思います。(ちょっと長くなっちゃったので、3回くらいに分けて書きます)

先ず僕達3人に共通する事は、3人とも日本の4年制大学を卒業してからコチラへ来たという事です。つまり大学卒業の資格と「何らかのタイトル」を持っているという点が先ずは強調されてしかるべきだと言う事なんですね。ココで僕は敢えて「何らかのタイトル」と書いたのですが、ココが非常に重要。というのも(これも以前に書いたのですが)、ヨーロッパの建築家教育と日本の建築家教育にはものすごい違いがあって、ヨーロッパでは建築学科は建築学部という独立した学部に属していて、5−6年程度の学部の授業+半年くらいの実務+卒業設計を経ると、建築家のタイトル(Architect)が授与されるというシステムとなっています。

それに対して、日本の場合は建築学科は大抵工学部に属しているんですね。だから日本の建築学科を卒業した人が授与されるタイトルは「工学(Engineering)」な訳です。例外があって、それは美大系の建築学科の場合です。東京藝術大学の場合は建築学科は美術学部に属していて、授与されるタイトルは「芸術学士」。武蔵野美術大学の場合は建築学科は造形学部に属していて、授与されるタイトルは「造形学学士」だそうです(藤井香さん情報)。

ココで重要な事は、日本の建築学科を卒業した人が持っているタイトルは「建築(Architect)」では無いという点。どんなに有名な建築家でも、日本の大学を卒業した以上、彼(彼女)の持っているタイトルは「建築」では有り得ません。するとどういう事が起こるか?というと、こちらで働こうと建築事務所などに履歴書を提出した場合、そこに記されるタイトルが「建築」では無い為、取り合えず議論になります。

「あなた、建築家って言ったじゃない。でも、タイトルは「工学(エンジニア)」よね。って言う事は「なんちゃって建築家」?面白いわね、ハハハ」みたいな。

さて、ココが今日のメインポイントなのですが、スペインの建築事務所などで働こうとした場合、(つまり2−3年という比較的短期間の場合)建築家のタイトルは特に必要ではありません。現に僕達3人は今までこの問題(タイトルの問題)が原因で、就職が出来なかった、もしくは事務所から拒絶されたという事はありませんでした。(他の理由での拒絶は勿論あります)

建築家のタイトルが無いと困るのは、工事の契約にサインをしたり、建築事務所を立ち上げる時に必要だったりと、比較的長期滞在を目指している人が困難に出くわすんですね。

では、日本の建築学科を卒業した人がスペインで「建築家のタイトルあり」=「建築家」として働こうとするにはどうするのか?そういう道は我々に残されているのか?というと、勿論あります。それが、俗に言う、地獄へと通じる道「タイトル読み替え過程(Homologacion)」です。

スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、に続く。
| 仕事 | 18:24 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
小塙芳秀さんと藤井香さんによる日本現代建築展覧会inリスボン(Lisbon):(IN)VISIBLE PROCESS
先週の事なのですが、こちらに来て以来の知り合い(という事はもう7年くらい?)である日本人建築家、小塙芳秀さん、藤井香さんと毎月恒例になっているランチに行ってきました。何を隠そう彼らは無茶苦茶グルメ!食通のMさんと共に、バルセロナのレストランを知り尽しているんじゃないのか?というくらい、何時も美味しく、マニアックなレストランを紹介してくれます。

学生時代(カタルーニャ工科大学時代)から、彼らの事はずーっと知っているのですが、そんな彼らも何時の間にか独立し、事務所を構えてがんばっている有望な若手建築家になっちゃいました(おめでとー)。

マスター終了後、就職の為にバルセロナを離れ、大田舎のオロット(Olot)へ行ったり(ちなみに二人共、ヨーロッパで今一番輝いている建築事務所の一つ、RCR事務所の出身です)、一時はスペインを離れるとかいう話も出たりと、この数年間は色々とあった様なのですが、「そんな彼らも独立かー」とか思うと、つくずく時間が経つのは早いなと感じますね。そして何よりも、同じ日本人として、同じ建築家として同世代の人達が異国の地でがんばっている姿を見るのは、何よりの励ましになります。

さて、そんな彼らは今、ポルトガルのリスボン(Lisbon)で日本人建築家の活動を紹介する展覧会を開催中だとか(詳細はココ:http://www.anyweredoorarchi.com/)。オープニングセレモニーには古市徹雄さん、続く連続レクチャーには藤本壮介さん、Mount Fuji Architects Studio / 原田真宏+原田麻魚さん、CAt / 小嶋一浩+赤松佳珠子さんなどがいらっしゃって講演会を開き、地元のテレビ局が取材に来る程大盛況だったとか。ちなみに明日(6月29日)は三分一博志さんの講演会が開かれるそうです。

行きたい!非常に行きたいけど、無理ですね(笑)。だって遠いんだもーん。と言う訳で、ポルトガル在住の方、きっと面白い講演会になると思いますので、是非足を運んであげてください。
| 建築 | 01:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech I Montaner)の傑作、カタルーニャ音楽堂:コーディネーターとしての建築家の役割を再確認させてくれる名建築
先週の日曜日の事なのですが、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech I Montaner)の最高傑作であり、世界遺産にも登録されているカタルーニャ音楽堂(Palau de la Musica Catalana)が無料開放されていました。どうやら音楽記念日に因んだものらしいのですが、詳細は不明(笑)。重要なのは、こういう日は高い入場料を払わないで良い事と、(驚くべき事に)普段は禁止されている写真撮影がOKな事ですね。コレは嬉しい!!!

さて、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネールと言えば、無く子も黙るモデルニスモの巨匠なのですが、ガウディやその弟子、ジュジョール(Josep Maria Jujol)に比べたら、日本ではまだまだ知る人ぞ知るという存在かと思われます。彼はカタルーニャのあちこちに重要な作品を残していて、特にサン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)なんて、ものすごい傑作だと思うのですがね。

モデルニスモ(Modernismo)って、同時期にヨーロッパで沸き起こっていた大潮流、アール・ヌーヴォーの一変種だと言われる事が多いのですが、二つの間に横たわる大変に大きな違いの一つが、それらの建築が置かれていた当時の社会状況と、ひいては建築が不可避的に表わしてしまうそれらの表象だと思います。

アール・ヌーヴォーの様な世紀末芸術には概して退廃的な表現が多いのですが、カタルーニャで起こったモデルニスモにはそんなかけらは微塵も見られません。何故ならモデルニスモの建築家達が活躍したのは、カタルーニャがゴールドラッシュの時だったからです。1854年にバルセロナ市の成長を妨げていた市壁が壊され、1859年にはセルダの新市街地拡張計画が実行されました。1888年には万国博が開催され、今正にバルセロナがヨーロッパ都市の仲間入りを果たそうとしていた時期だったんですね。

ガウディやドメネク、もしくはプッチ・イ・カダファルク等、モデルニズモの建築家達が活躍出来た背景には、実はこんな社会・経済的背景がありました。そしてそれらの社会文化を見事に表していたのが、モデルニズモ建築だという訳です。モデルニズモ建築には、当時の「喜び」が溢れているんですね。だから僕はモデルニズモ建築を見ると、何時も建築の原点を思い出します。建築とは「悲しみ」よりは「喜び」を、「個人的な感情」よりは「集団の感情」を表象するのに最も適した芸術形式だという事を。

さて、そんな「歓喜」に満ち溢れている建築がカタルーニャ音楽堂です。



大通りから一本入った所にある音楽堂は、どちらかというとひっそりと佇んでいます。今日は無料開放日とあって、普段は観光客で溢れているこの辺りも、今日だけはあちらこちらからカタラン語が聞こえてきます。それにしてもすごい人だ!



多分、一般的なアプローチは大通り側(Via Laietana)からになると思うのですが、外観一番の見所は反対側のコーナーに位置しているミケル・ブライ(Miquel Blay)の彫刻です。

建物が小さな通りに面している為、どう考えても大胆なパースペクティブを得る事が出来ません。だからこの建築の外観における勝負所をコーナーに持ってくる事によって、一番パースペクティブが得られる所から、この建築の「顔」を撮ってくれと、そう言っているんですね。この辺りはさすがに巧いな!と思いますね。

そんな事を思いながら、イヨイヨ中へと入っていきます。で、最初に導かれるのがこの玄関ホール。



比較的こじんまりとした玄関ホールからは、ステンドグラスに飾られたガラスのスクリーンを通してあちら側にカフェが、左右には2階へと通じる大階段が見られます。



この音楽堂は2000人収容可能であり、それを考えるとこのホールはちょっと小さいように感じます。どう考えても、この小さなホールで2000人を捌き切れるとは到底思えない。



ここが結構面白い所なのですが、実はドメネクはコンサート前、人々が談話などをする場を街路(パブリックスペース)に設定していたのでは無いのでしょうか?

一年を通して大変に気候が良い地中海。天気予報のお姉さんが「今日も晴れ、明日も晴れ、ずーっと晴れ」とか言っている国において、公共空間が自分の家の居間と連続してて、相補的な関係にある事は当ブログでくどい程書いてきた通りです(地中海ブログ:バルセロナ公共空間と歩行者空間計画)。つまり、比較的コンパクトな都市形態を保ってきた地中海都市において、自分の家の居間は小さいけれど、目の前にある広場は大きいし、屋外は何時でも気持ちが良いから、「ま、いっか」というやつですね。(そしてそれが人々が都市の改造に対して意識的になる理由でもあります。自分の庭(公共空間)が改造される訳ですから)

夕暮れ時、着飾った人々が街路で談笑しながらコンサートが始まるのを今か今かと待っている姿は、ドメネクの素晴らしい建築装飾により一層の華やかさを添えるのでは無いでしょうか。そしてそんな「人が主役」の地中海都市においては、建築や公共空間のデザインが、人々の創り出すドラマを際立たせる背景としてより一層重要になってくるのは、言うまでも無い事です。

そんな事をドメネクが本当に考えていたのかどうか?というのは実はあまり重要ではありません。僕がこの建築を「そういう風に理解した」という事が重要なのです。

僕達の社会は多様です。多様な人が集まって、多様な社会を築いているからこそ、世界は面白いんですね。だから、一つの事象に対して「こう思わなければならない」という事は絶対にありません。百人の人がいたら百通りの解釈があって当然なのが僕等の社会です。そのような意見の多様性が地域の豊かさを創り出して来た事を歴史的に知っているからこそ、ヨーロッパは事ある毎に「多様性」を強調するのです。

さて、そんな事を思いながらもテクテクと階段を昇って行きます。そしてこの建築の最大の見所である、大ホールに入って行く訳なのですが、その最初の風景がコチラ:



むむむ・・・天井が非常に低く抑えられた地点から、あちら側に何やらクライマックス的空間っぽい(舞台)のがチラチラ見えます。そしてココから直に直進して舞台に向かうのでは無く、敢えて右手側に体の向きを変えられ、一旦舞台からは視線を外されます(基本的な大枠は槙さんのスパイラルと同じですね)。



両サイドに展開する廊下も天井が低く抑えられています。ココでは目の前に展開する素晴らしいステンドグラスを楽しむ事が出来ます。そしてこの距離感(今はステンドグラスが手に触れる程近い)が結構重要。(リーグルっぽい扱いか!(地中海ブログ:ミラノ旅行その5:パヴィア修道院(Certosa di Pavia)その2:アロイス・リーグル(Alois Riegl)に見る視覚・触覚と距離の問題



更に向こう側を見ると、この音楽堂が自然光で溢れている事を確認させてくれますね。3層に重なったその断面を見ていると、いやがおうにも大空間への期待が膨らみます。そして長い廊下の突き当たりを更に左手に90度折れると目に飛び込んでくるのが、この風景:



あちらからチラチラ見えた舞台です。彫刻やモザイクの素晴らしいアンサンブル。そしてこの建築に流れる物語はココで終わりかと思いきや、振り返り様に見えるのがコノ風景:



天井から素晴らしいステンドグラスが釣り下がっている、圧巻の大ホール。





このステンドグラスはちょっとやそっとの代物じゃ無い、滅多にお目にかかれない程の質を備えています。そしてコノ天井:



カタルーニャのお家芸、出ました、カタランボールト!

ココがこの空間のクライマックス的空間だったと、この時気が付かされます。入り口を入った所では、「あー、クライマックスは舞台か」と思わせておいて、実は真のクライマックスは、この3層吹き抜け+ステンドグラス空間だっという訳ですね。2段構えとは恐れ入りました。



さて、この建築に流れる空間構成物語はこれくらいにして彫刻郡に話を移したいと思います。というのも、今回舞台を飾っている彫刻+モザイク群を初めて真近で見たのですが、これが非常に素晴らしかった。



18人もの乙女たちが、「これでもか!」というくらい楽しげに演奏をしている姿は、上述した様にモデルニズモ建築の特質をよーく表わしています。





上半身が彫刻で、下半身はモザイクになっている2.5次元の表現。



多分、コレが全て彫刻だったら非常に重く、逆に全てモザイクだったら、ダイナミックさに欠けていた事でしょうね。それらが混ぜ合わさる事によって、不思議な雰囲気を醸し出しています。



ココには沢山の違う職種の職人達の技が結集して、この素晴らしい風景を創り上げていると思うのですが、これこそカタルーニャで花開いたモデルニズモのもう一つの特徴です。陶器やタイル、ステンドグラスや鉄、木工など、全てが一丸となって、この時期の「歓喜」を視覚化していく。カタルーニャという国が勃興している、正にその勢いや都市に満ち溢れていた雰囲気、そして市民が無意識下に感じていながらも、ナカナカ形に出来なかった集団意識を、正に一撃の下に表わしてくれた、それがこのカタルーニャ音楽堂だった訳です。
その時、建築家というのは正にコーディネーターとしての役割を担っていたんですね。

様々な職種を理解し、その垣根を飛び越えてそれぞれの分野を繋ぎ合わせたり、別々の物を組み合わせたりして新しいものを創り出したりする。そういう能力こそ建築家が最も得意とする能力であり、建築家にしか出来ない仕事なんですね。

モデルニズモの時代から100年経った今、社会の中における建築家の職能は変化を求められています。僕自身、建築家として新たなる領域に挑戦する日々が続いているのですが、カタルーニャ音楽堂のような素晴らしい建築と、それを実現させたドメネクの職能に思いを馳せていたら、何かとっても元気を貰った様な気になりました。
| 建築 | 23:32 | comments(4) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナの食べ歩き方:ハンバーガーが奇跡的に美味しいレストラン2回目:La BURG: Hamburgueseria
今週は、とある計画の締め切りがあってハチャメチャに忙しかったのですが、それも無事に終わり、同僚と打ち上げを兼ね、以前紹介したハンバーガーが奇跡的に美味しいレストラン、La BURGに行ってきました。何でって、前回行った時以来、あの味が忘れられなかったからなんですね。

コンタクト
Address: P.San Juan Bosco 55
Tel: 932056348

今回は4人で行ったので、店の入り口付近にあるカウンターではなく、奥のテーブル席へ案内されました。

これが、結構良い雰囲気。



中庭とか作ってあって、「インテリアにも力を入れてるぞ!」みたいな感じがヒシヒシと伝わってきます。

さて、今回はハンバーガーに加えてスペイン名物の一つ、Patatas Bravas(パタタス・ブラバス:ポテトフライにマヨネーズとニンニクソースが付いてる名物)を頼んでみました。



コレが、又美味しいったらなかった!今まで食べてきたBravasがまるでBravasじゃ無かったかのような絶品。カリカリに揚げてあるフライも凄いのですが、特にソースが美味しい!少し生姜が入っているのでしょうか?料理記者歴2年の僕には良く分かりませんが、とにかくベラボウに美味しい事だけは確か。

全く話は変わりますが、さっきちょっと気になって「岸朝子」で検索したら、ホームページがあって「料理記者歴50年」ってなってた。そうだよなー、料理の鉄人がやってたのって、僕が丁度高校生くらいの時で、その時の決め台詞が「料理記者歴40年の岸朝子」だったから、今なら大体50年か。なんか、時間の流れを感じてしまった(笑)。

さて、で、今日のメイン料理:



New York: Hamburguesa se 150 g., tomate, cebolla confitada, queso Emmental, huevo poche y pan(ハンバーグ150グラム、トマト、タマネギ、チーズ、半熟卵とパン)

実は前回書き忘れたのですが、このレストランでは牛肉100%のハンバーグの焼き具合を聞いてくれます。



お店の人曰く、「ミディアムよりちょっとレア寄りがお薦め」との事だったので、そのようにしてもらいました。この辺りにも、お店のこだわりが見えますね。

さて、今回のハンバーガーなのですが、ハンバーグの上に半熟卵が載っていました。これをプチッと割って、トマトと一緒に食べると、もうこの上ない幸せ。



更に、今回は例の手造りケチャップの撮影に成功しました。これがその極秘映像:



「トマトをわざわざ手で潰したぞ」と言わんばかりの、機械では絶対に出ない見た目と食感。こんなケチャップ食べた事無いぞー!!!これを付けて食べると、又違った味わいが出来てしまいます。

今回は、メインの前にBravasを食べたので、もうお腹が一杯。デザートもコーヒーも頼みませんでした。占めて一人13ユーロ。

いやー、食べたばっかりでアレなんですが、又来たいです。そう思わせてくれる所が、このレストランのすごい所ですね。
| レストラン:バルセロナ | 23:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています
今バルセロナでは是枝裕和監督の話題作(と言っても一年前の作品ですが)「歩いても、歩いても」が、ベルディ映画館(Verdi Park)で上映されています。同監督作品の「誰も知らない(2005)」は、バルセロナで毎年開催されるアジア映画祭(2006年度版)のオープニング作品に選ばれ、大喝采を受けた作品だっただけに、是枝監督の新作を首を長―くして待っていたカタラン人ファンも多かったはず。

実は僕の周りにも既にこの映画を見た友達が沢山いて、「とっても良かったから是非行って、感想を聞かせて欲しい」と言われていたんですね。そんな事もあり、土曜日の夕方に早速出かけてきました。天気が良かったので、歩いて行こうと思い、張り切って歩いたのですが、途中から無茶苦茶暑くなってきて、もう死にそう。それこそ「歩いても、歩いても、着かない!」みたいな(苦笑)。それでも何とか映画館に着いたのですが、ココで今日2度目のビックリ。なんと入場料が7.5ユーロもするじゃないですか!「あれ、ベルディ映画館ってこんなに高かったけ?」って驚き桃の木。普段よく行くイカリア映画館(Yelmo Cineplex)は6.5ユーロ(確か)ですから。

でも、まあ、ここまで来て見ずに帰るのも馬鹿らしいので、ブツブツ言いながら見たのですが、コレがナカナカ良かった。日本芸術のお家芸である、「静のデザイン」が際立っていました。突破な事件を作り上げ、好きな人に対して「好きだ、好きだ」と強く押すのでは無く、ごくごく普通の日常を切り取りながらも、その風景を「差異化」する事で我々の記憶に残ろうとする。

僕はよくこのようなデザインの違いを「歌舞伎」と「能」の違いで説明するのですが、コノ映画は正に「能」型の映画だと思いますね。歌舞伎というのは毎回違う事をやって派手さで勝負する。逆に能というのは、毎回大筋は同じなんだけど、ホンの少し細部を変える事で勝負をする。だから能を楽しむ為にはその違いが分かる「鑑賞者の目」が大変重要な要素となってくるんですね。正に「違いの分かる男」(もう死語?(笑))が必要になってくる訳です。

そんな、一定のラインをクリアしている良質な映画だからこそ、ちょっと又、映画評を書いてみようかなーという気にもさせてくれます。と言う訳で、何時ものようにここからは僕の独断と偏見で勝手な映画解釈(笑)を書き始めます。こんな見方もあるというくらいに思ってもらえると嬉しいですし、逆に言うと、それ以上のものではありません。そして一応念の為に:

警告
ここからはネタバレになる危険性がありますので、まだ映画を見ていない人は読むのをストップしましょう。





さて、この映画は「評価する」のが大変に難しい映画だと思います。何故なら、コノ映画は「僕達が映画を評価する(良いとか悪いとか)」という、ごくごく普通の形式では創られてはいなくて、むしろ逆に「映画の方が僕たちを評価する」かのように創られているからです。この映画がしている事、それはただ単に現在の日本社会がどのように機能しているか?を淡々と描写する事、唯それだけなんですね。ココには右寄りだとか左寄りだとか、良いとか悪いとか、そんな主観は一切無く、ただただニュートラルに我々の日常を描写しています。

例えば日本の伝統として、親の仕事を継ぐ事が良い事だ、子供は社会の中においてこう振舞うべきだという、日本社会全体で共有されている(いた)描写はされていますが、それに対して特別批判するという操作は見られません。むしろこの映画がしている事は、そういう現実を突きつけた上で「あなたはいったいどう思う?」と我々の方に問いかけているのです。その返答如何によって、まるで我々の方が「映画に評価されている」気にさえさせられます。

この映画は横山家のとある一日を描く事で進行して行く訳なのですが、横山家の構成員たちは長男が亡くなったという事に起因する、それぞれに固有の問題を抱え、未だそれらの問題から各自が抜け出せていません。まるで(長男が亡くなった時点で)時間が止まってしまい、各々がグルグルと同じ所を回り続けているかのようです。そのような状況を暗示しているのが「おばあちゃんの家」なんですね。非常に遠く不便で行きにくい所にある、古くて何時まで経っても変わらないその家自体が、冒頭からこれら各々のシチュエーションを暗に指し示しています。

そして冒頭から頻繁に出てくる「料理」の占める位置が結構重要。おばあちゃんの家と同様に、料理は「家族が集まる場所」、もっと言っちゃうと「家族が集まる理由」を暗喩しています。一年の内でバラバラに住んでいる家族が集まるのはお盆くらいで、場所はおばあちゃんの家。そんなおばあちゃんの家で共通の話題、もしくは皆が一同に会す理由(現代社会において家族を微かに引き留めているもの)と言えば、もう食事くらいしか無いという事をこの映画は言いたいんですね。むむむ‥‥監督、良く見ているなー。

更にもう一つ。映画の終盤において、良多と父親(おじいちゃん)が海岸で会話する場面が出てきます。映画の中で彼らが面と向かって話す事はさほど無く、二人の会話が一番長く、印象的なのがこの場面なのですが、その話題が何と野球なんですね。思えば映画の最中に二人が話していた事と言えば、「仕事はどうなんだ?」とか、「ちゃんと生活出来ているのか?」とか、若者が一人立ちしたての頃に交わされると思われる話題ばかりでした。「野球」というのは、それらを代表する話題。つまり彼らの時間は、良多が若かった頃、未だ、野球などに興味があった頃(長男が亡くなったと推定される時)から全く進んでいないという事が言いたい訳なんですね。

さて横山家の人達は、このような「歩いても、歩いても」終わる事の無いメビウスの輪の中に居る訳なのですが、これら登場人物はその役割から2つのグループに分ける事が出来ます。一つ目のグループは良多とその息子あつし。2つ目のグループはそれ以外の人々で構成されます。これら2つのグループがそれぞれどんな役割を持っているかというと、前者が「変わっていこう」とするタイプであり、後者が「変わらない」とするタイプ。

特に良多とあつしは違う社会(家族と学校)の中において、同じ役割を与えられている所などは注目すべきです。

どんな役割か?それはずばり「革新」です。

良多は同じ事を繰り返す家族の中において、「父親と同じ職業にはならない」、「家を継がずに出て行った」、「普通のお嫁さんではなく、バツイチの子持ちをお嫁さんにもらった」など、古い伝統から見ると、到底受け入れられない様な「変わった」立ち位置をし、何時までも変わらない家族の中において、一人だけ変わっていこうという姿勢が見られます。彼が変われないのは、変わっていこうとする彼に対して、家族が「変わるな」と同じ場所へと何時も呼び戻すからです。

一方のあつしの方はというと、冒頭のファミレスでの良多との会話からその立ち位置が伺えます:

良多:「ママから聞いたんだけど、どうしてウサギが死んだ時笑ったの?」
あつし:「だって、友達が、死んだウサギに手紙を書こうって言ったんだ。誰も読まないのに‥‥それが可笑しくって‥‥」


あつしのこの「変わった死生観」が、亡くなった息子に対するおばあちゃんの強い思いなどに触れる内に成長を遂げたと見る事も出来、この映画の主題は「子供の心の成長」と考える事も出来なくは無いのですが、それではちょっと射程が狭すぎる気がしますね。もっと言っちゃうと、あつしは映画の中で特別成長はしていないように僕には思われます。彼は普通の子供と違い、かなり早い時期に父親の死に直面しました。だから、彼は同年代の子に比べてかなり早熟なんですね。多分彼は何度も天国にいる父親に手紙を書いたのでしょう。しかし一度も返事は来なかった。そんな事が分かっているからこそ、「死んだウサギに手紙を書く」という行為が可笑しかったのだと理解出来ます。

あつしというのは、この映画におけるキーパーソンであって、節目節目で大事な事をちらほらと言っています。例えば冒頭、母から「今日だけは良多の事をパパと呼んで」と頼まれるのに対して、はっきりと「嫌だ」と言っていた割には、従兄弟の子供達の前ではちゃんと「パパ」と言っていたり、おじいちゃんに「将来何になりたいんだ?」と聞かれて「ピアノの調教師」と答え、「何でだ?」と聞かれ、「音楽の先生が美人だから」と答える辺りなど、あつしは日本社会の中において、子供というのは「こう振る舞うべきだ」という古い因習を「あえて演じる」役割を担わされています。つまり彼は、自分の「感情」を殺して「慣習」に従わされている象徴として存在している訳なんですね。そしてそれが日本社会の現実であると。

冒頭に書いたように、この映画は我々にこのような現状を突き付けるに留まっています。しかしながら、その裏で暗に、我々にこう問いかけている訳です:

「こんな小さな子供が本当の事を言えない社会、こんな小さな子供にまで嘘をつかせる社会って果たして健全なのか?」と。

さて、映画の中盤辺りから、モンシロチョウが登場します。途中と最後に「何故モンシロチョウは黄色いのか?」という説明が2度も出てくる事、更に映画の終わり近くになって、おばあちゃんがモンシロチョウを息子の生まれ変わりだと思い込んで、狂った様に追いかける事などから、「あ、何か深い意味でもあるのかな?」とか思ってしまいますよね。控えめな表現で埋め尽くされているこの映画にしては珍しく、くどいくらいの「押しの表現」になっています。

先ず、モンシロチョウが亡くなった長男を暗喩しているのは容易に分かる事と思います。「モンシロチョウは最初は白かったんだけど、冬を乗り越えて生き残ると、黄色くなる」という説明のごとく、死(=冬)を通り越した長男が被ったその受難が故に、彼は黄色い(受難を表す色)モンシロチョウに生まれ変わったと言う解釈ですね。(おばあちゃん曰く)

しかしですね、このモンシロチョウは何も長男だけを指しているのではなく、実は横山家の全員を表していると言う所にも注目すべきです。おばあちゃんは必要に、「死という受難」を被った長男を「可哀想」といたわっていますが、長男の死で一番苦しんでいるのは実はその家族なんですね。長男が亡くなってから何十年もの間、出口の無い旅を強いられる事になった彼らこそ、長―い冬を越し、色が変わってしまったモンシロチョウのごとく、心を黄色く濁らせてしまった存在な訳です。

何時まで経っても息子の死を忘れられず、毎年のように義男(長男が助けた子供)を呼び付ける母、跡継ぎを失い解決策が無いまま、完全に定年も出来ない父、長男の抜けた穴を埋めようとするけど、両親に拒絶される妹(不動産問題はそのシンボル化)。そんな堂々巡りの「歩いても、歩いても」一行に出口の見えない旅を続けている内に、彼らの心は黄色くなってしまったと言う訳です。

そんな中において、唯一の例外が良多です。何故なら良太だけが、この家族の中において「もう一度やり直そう」という姿勢が見られるからです。家族から離れる為に家を飛び出し、お嫁さんをもらい独立してやっていこうとする彼の背中を引っ張るもの、それこそ何時までも同じ所をぐるぐると回り続けている家族。彼らに事ある毎に呼び出され、昔話をされる度に、「変わっていこうとする力」が「変わらないとする力」に浸食され、結局何も変わらずに終わっているんですね。

その事をよーく表している逸話が「トウモロコシ泥棒」の思い出話です。隣家から盗んできたトウモロコシを調理していた時、お隣さんがやって来てバツが悪かったと。すると、すかさず良多が「市場で買ったトウモロコシ、お得だったね」みたなフォローを入れ、「そういう所だけは昔から頭が良く回る」と、両親が褒めます。しかし、実際にそのフォローを入れたのは実は長男の方だったんですね。

ココでは何が言いたいのか?つまり、両親は長男の代わりを無意識的に何時も次男に求めていたという暗喩になっている訳です。

しかしそんな良多も映画終盤で両親が亡くなった事で、過去を吹っ切れる事が出来た様です。彼が長い間悩んでいた事、それは両親の長男の代わりになって欲しいという重苦しい思いであり、独立したいのに、事ある毎に実家に呼び戻され、事ある毎に昔を思い出させられる重苦しい空気でした。それらから解放された彼は、今正に生まれ変わったように自由になりました。

それを暗示しているのが、新しく生まれた長女(新しい生まれ変わりみたいな)と、今まで決して買う事の無かった車です(母親は車を買えとくどいくらいに言っていた)。これら二つは、良太が黄色いモンシロチョウから生まれ変わり、白いモンシロチョウになったシンボルだと見る事が出来ます。

さて、ここまでで僕が語った事柄が一撃の下に表されているのが、実は「歩いても、歩いても」のウェブページです:



モンシロチョウが飛んでいます。そして言語を選択すると現れるのがこのページ:



もうお分かりだと思うのですが、これら2枚の絵は一枚目が「苦悩、苦痛、忍耐」などを、二枚目が「革新、変化、希望」などを表しているんですね。一見、「チョウチョが飛んでてキレイ」とか思ってしまいますが、大変意味深な皮肉になっている訳です。そしてこれら2枚の絵が、この映画全体の主題と構想を現しているかと思うと、その絶妙な技に舌を巻かずにはいられません。

良多とあつし。彼らは冒頭に書いたように、違う社会の中において同じ様な役割を担わされています。そして2人共別々の回答を見つけ出しました。しかしながら、そこには「伝統と変化」に対する二人の回答において、世代間の微妙な違いが「慣習と感情」の相違として現れています。

実はココにこの映画が我々に問いかけている(唯一主観的な)微妙な期待が見られるのではないのでしょうか。日本社会は大変閉ざされた社会である。しかしながら、日本社会の未来は我らの子供達(少しずつ開かれた心を持ちつつある)にあるとでも言わんばかりに。

冒頭に書いたように、この映画は唯単に現実を描写し、我々にそれらの問いを突き付けてきます。人間が千差万別な様に、一つの事象に対しての感じ方は人それぞれ。だから、コノ映画が問いかけてくる問題に対する決まった答え、正解などは決してありません。そうではなくて、この映画は我々にそれらの問いに対して「考える事」を促進させるのです。そしてそれらの思考を通して、正に今、この映画が「僕自身」、もしくは「あなた自身」を評価しようとしているのです。
| 映画 | 21:38 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
海産物のファースト・フード:La Paradeta
以前から噂に聞いていた海産物のファースト・フードと異名を取るレストラン、La Paradetaに行ってきました。このレストランがちょっと変わっているのは(マクドナルドのように)海産物を市場で買い物をするごとくグラム単位で購入し、その場で調理してもらえる所なんですね。注文から料理を取りに行き、更にお皿を返す所まで、全て自分でしなければならないセルフサービス形式なので海産物のファースト・フードと言う訳です。

コンタクト
Address: Pasaje Simo,18
Tel:932681939
Web: http://www.laparadeta.com/

レストランはサグラダ・ファミリアの直ぐ目の前、大通りを一本入った所にある事から、観光エリアにも関らず、お客さんは地元の人ばっかり。



地元では結構有名店なので、食事時は何時言ってもお店の外にまで列が出来ています。





お店を入ると、コレでもか!というくらいの海産物の山、山、山。



上述した様に、ココではグラム単位で好きな海産物を注文します。すると、おばちゃんが調理方法を聞いてくるので、焼くなり煮るなり、好みの方法を伝えます。



海産物を注文し終えたら、隣のテーブルに回されて飲み物などを注文します。ここで、合計金額と注文した海産物が書かれたレシート(番号付)が貰えるので、それを持って好きな席について待ちます。自分の料理が出来ると、館内放送で「・・・番の人、出来ました。取りに来てください」みたいに呼ばれるので、料理を取りに行くというシステムです。さて、今日最初に頼んだのはコレ:



アサリのトマトソース蒸し(Almeja Marinera)
何時もはアサリのニンニク焼きを頼むのですが、トマトソース蒸しもナカナカいける。何よりも、市場で買う感覚なので、ボリュームたっぷり。



お次は定番、イカリング(Calamares a la romana)。コレが美味しかった。こんなに身がプリプリのイカリングは久しぶり。海産物の冷凍モノでは出ない味ですね。



そしてコレも定番、マテ貝のニンニクソテー(Navajas)。言うまでも無く、無茶苦茶美味しい。



今日の締めは海老のニンニクソテー(Gamba Plancha)。海老を焼いただけなのですが、海老が新鮮なので、身がとっても締まっていてプリプリ。しかも一つ一つの海老が大きい!

コノ店の良い所は、どの海産物も非常に新鮮であると言う所ですね。入り口で自分の目で見て、その新鮮さを確認出来る所などもお客さんに対して非常に好意的だと思います。

全て食べ終わったら、お皿をお店の一番奥にある洗い場に自分で返しに行きます。



なんか、学食を思い出しますね。

気になるお値段なのですが、コレだけ食べて(飲み物入れて)全部で一人18ユーロ!コレは安い!以前紹介したBar Restaurante Ginesもかなり安かったけど、ここも負けず劣らずの値段です。料理の質は言わずもがな。

タダ、自分で頼んで、番号が呼ばれたら取りにいかなきゃいけない(何回も)ので、スペイン語がある程度出来ないと来店は難しいと言う所でしょうか。と言う訳で、前回に引き続き、バルセロナ在住の日本人の皆さん、是非一度どうぞ。
| レストラン:バルセロナ | 22:31 | comments(2) | - | ↑PAGE TOP
Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成
昨日の新聞(La Vangurdia, 19 de Junio 2009)のメインは何と言っても、毎年この時期に行われるSONAR関連記事だったのですが、La Vanguardia(スペインの主要新聞の一つ)なんてこんな写真を一面に持って来ていました。



みんな踊りまくっています。夏ですね、夏!

バルセロナ現代文化センター(CCCB)とバルセロナ現代美術館(MACBA)を核として行われるこの世界最大級のエレクトロニック音楽祭には、毎年何万人もの観光客が、コンサートや関連フェスティバル目当てにバルセロナにやって来ます。でも僕が現代文化センターに居た頃(5年くらい前)は未だ、今程大きなお祭りじゃ無くて、中心街だけで細々とやっていたものだったんですね。それが何時の間にかこんなに大きなお祭りに発展してしまいました。驚き桃ノ木です。

さて、バルセロナの街はそんなこんなでお祭りムード一色なのですが、昨日の新聞の片隅(El Pais, 19 de Junio 2009, P22)にちょっと興味深い記事が載っていました。

“Montilla y Antich reactivan la Euroregion con el apoyo frances”

“Jose Montilla(カタルーニャ州政府大統領)とFrancesc Antich(Baleares州大統領)はフランスの助けを得てEuroregionを再活性化する“


と題された記事の内容は勿論、Euroregionに関する記事です。

Euroregionとは何か?っていうと、国という単位を超えてある共通の目的(環境保護、交通、研究や文化など)の為に、隣接する地域同士が国境を跨いで協力しちゃおうという、簡単に言えばまあ、そういう事です。

このようなEuroregionは欧州圏内では結構あるのですが、我らがカタルーニャの場合は2004年にスペイン側のCatalunya,Baleares,Aragonとフランス側のLanguedoc-Roussillon,Midi-Pyreneesが合意に至り、スペインーフランス間にPyrenees-Mediterranean Euroregionが設立されました。というのも、約160.000ヘクタールに広がるこのエリアは、ヨーロッパ内でも有数の人口高密度を誇り(フランスとスペインの総人口の約13%)数字にしておよそ1300万人が居住するエリアなんですね。しかも、この地域は地中海の弧の一部を形成している事から、EU内でも断トツな成長を見せている諸都市、Barcelona、Toulouse, Montpellier, Zaragozaを含んでいます。

という訳で、地域のポテンシャルとしては申し分無く、これら諸地域が一体となって「何かをしよう」と言うのは全く理にかなっていると思うのですが、問題は「一体何をするのか?」という、中身なんですね。

今日の新聞によると、どうやらこのエリア一帯を「知の集積地帯」に変えようとしているという事らしいのですが、詳細については一切記述無し。怪しい!!!何も無いっぽい(笑)。

こんな時、僕が良く例えに出すのがイギリス人、フランス人そしてスペイン人の思考の違いを良く表している以下の様な例え話。

イギリス人というのは走り出す前に「何故走るのか?」を考えてから走り出す。フランス人というのは「何故走るのか?」を走りながら考える。スペイン人というのは、「何故走るのか?」を走った後に考える。つまり、このEuroregionも(もしかしたら)「何か」をやろうとして条約とかしちゃったけど、じゃ一体何をするんだ?って事なんじゃないのかな?(笑)

とか思って、さっきチラッとウェブを見たら、「バイオ医療関連で行こう」みたいな記事を発見しちゃいました(EuroBIOtechとか言う名前も出て来た。)。バイオ医療に関してはカタルーニャは相当力を入れていて、それと関連付けるんだったら、「あー、なるほどね」とは思いますね。(カタルーニャのバイオ医療戦略についてはコチラ:地中海ブログ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio))一先ず安心。

うーん、これを見た時僕が思った事は以下の様な事。

新聞には勿論書いてないし、そんな事多分誰も気にしていないと思うんだけど、このような各地域間連携の基礎になっているのは明らかにインフラ整備です。もっと言っちゃうと高速鉄道(AVE)が整備されなきゃ、お話にならないんですね。

上述したように、このエリアはAVEの建設が予定されている諸都市(Barcelona, Toulouse, Montpellier, Zaragoza)を含んでいます。つまりそれら諸都市は連結されるという前提の元で計画が動いているという事なんですね。更に言っちゃうと、フランス側としてはボルドー(Bordeaux)との連結も考えているに違いない。つまり、Zaragozaを拠点としてバスク地方からフランス側へと抜けるルートですね。

もしこれらが近年中に実現される事になれば、カタルーニャの思惑である「バイオ医療の世界的中心地域」という夢は満更でも無くなってくるはずです。そして「物流戦略」と対をなすこのバイオ医療が、カタルーニャの未来である事は間違いないと思われますね。
| 都市戦略 | 22:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナ新空港:リカルド・ボフィール(Ricardo Bofill)に見る現代社会が忘れかけている建築家という存在
前々回のエントリで書いたように、昨日はバルセロナ新空港(T1)の開港記念式典が盛大に催されました(地中海ブログ:バルセロナ新空港(T1)とうとうお目見え)。マドリッドからサパテロ首相(Jose Luis Rodriguez Zapatero)やナンバー2のJose Blanco氏、そしてカタルーニャ州政府大統領のJose Montilla氏など700人もの関係者が参加した、近年稀に見る式典だったようです。

先週の金曜日辺りから新聞はこの話題ばかりなのですが、それらの記事を読んでいて一つ気になった事が。それはこの空港をデザインした建築家、リカルド・ボフィール氏のメディアへの露出度の異常な高さなんですね。

日曜日の新聞の新空港特別特集に2ページ丸ごとボフィール特集が載っていた事は前々回のエントリで書いた通りなのですが、その日から今日まで新聞で「リカルド・ボフィール」という文字を見なかった日はありません。ちなみに火曜日と水曜日の新聞には写真入の紹介が付き、今日の新聞のカタルーニャ版の一面にはサパテロ首相とMontilla大統領を押しのけて、ボフィール氏が壇上で新空港を語っている姿が採用されていました。更に今日の新聞記事の中で「ボフィール」という文字の登場回数は実に9回。ボフィール、ボフィール、ボフィール。そんなにボフィールが好きなら結婚しろ!とか言いたくなっちゃうくらい、ボフィール・フィーバーが続いています。

近年一つの建物が完成し、これだけ建築家が表立って取沙汰された事は記憶にありません。未だ実際の建物を見ていないので、空間についてどうこう言う段階では無いのですが、それよりも何よりも、これだけ社会の中で建築家が取り上げられるという、その事実に驚いてしまいますね。

多分(というか確実に)彼の建築の質に関しては様々な批判があるとは思います。しかし、その一方で彼は未だに地元のヒーローであり、そういう意味において「本来の建築家の機能」を満たしているのではないか?と思う訳ですよ。

建築の高等教育が一般化する前、建築家っていうのは限られた人だけがなる事が出来る特別な職業でした。正に「市民が無意識下に思っていながらも、ナカナカ形に出来なかった願望を、一撃の下に表す行為」、それが出来る人の事を建築家と呼び、故に建築家とはその街のヒーローだったんですね。だから、彼の名前は子供から大人まで誰でも知ってるし、講演会に行けばおじいちゃん、おばあちゃんから、赤ん坊を連れた若い人まで大勢の人が訪れ、彼の言葉に耳を傾ける。僕がポルトガルの巨匠、アルヴァロ・シザから学んだ事は、「彼の建築が詩的」だとか、「その優れたディテール」だとか、そんな小さな事ではありませんでした。そうではなくて、もっと大きな、「社会にとって建築家とは一体何か?どんな存在なのか?」という、書物や写真からは勿論、実際の建築を訪れるという観光からでさえも絶対に分からない様な事だったんですね。

今回の一連のボフィールに関する記事は、僕が最近忘れかけていた、そういう何かとっても大事なモノを思い出させてくれたような気がします。
| 建築 | 21:54 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
バルセロナの食べ歩き方:ハンバーガーってこんなに美味しかったけ?って人生で初めて思わせてくれたレストラン:La BURG: Hamburgueseria
ちょっと前に「にきび生活inバルセロナの近所」のにきびさんが紹介されていたハンバーガーが美味しいレストラン、La BURGに行ってきました。場所はメトロ3番線、マリア・クリスティーナ(Maria Cristina)駅下車、お山の方へ向かって15分くらい歩いた、普段は絶対に行かないようなマニアックなエリアにあります。



コンタクト
Address: P.San Juan Bosco 55
Tel: 932056348

店内はこんな感じでカウンター席が並んでいてナカナカ良い感じですね。



メニューを見たら、ハンバーガー専門店だけあって、結構な数のハンバーガーがズラーっと並んでいました。悩んだ挙句、選んだのはコレ:



レタス、トマト、チーズにバジルソースのハンバーガー150g(Hamburguesa Fresca: Hamburguesa 150g con lechuga, tomate, mozzarella, salsa de albahaca y pan)です。見た目はとってもジューシーな感じ。

で、早速パク。
「ん、コレは、うまいぞー!!!」味王様じゃないけど、もう一回、「コレは、うまいぞー!!!」。

「え、ハンバーガーってこんなに美味しかったけ?」って感じなんですが・・・。お肉は勿論手作り。無茶苦茶ジューシー。で、驚きがこのパン。普通、ハンバーガーのパンって、その辺で売ってるパサパサのパンじゃ無いですか。でも、ココのは焼きたて、ホクホクもいいとこ。更に更に、ケチャップがすごい美味しい。驚くべき事に手作り!すごい美味しい!余りの美味しさに写真取るの忘れた!

すごい満足で、デザートも頼もうと思い、お奨めを聞いた所、アップルケーキが作り立てでお奨めだとか。



で、早速頼んだのですが、コレマタ、すごく美味しかった。よくあるような、甘甘でも無く、ほど良く甘さが抑えられた上品なお味。



閉めは勿論コーヒーで。

お値段の方は飲み物込みで15euroでした。
マックやバーガーキングなどに比べたら勿論割高なのですが、ココのハンバーガーは今まで食べた中(人生の中)でダントツに美味しかった。感動的ですらありました。場所が場所なので、観光客の人には余りお奨め出来ないのですが、在バルセロナの方には一度は味わって欲しい味だと思います。
| レストラン:バルセロナ | 22:04 | comments(6) | - | ↑PAGE TOP